山東半島古代人のゲノムデータ

 山東半島で発見された古代人のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2024)が公表されました。本論文は、現在の中華人民共和国山東省淄博市に位置する、古代都市の臨淄(Linzi)で発見された戦国時代~後漢の頃までの14個体のゲノムデータを報告しています。この14個体の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)はすべて、新石器時代の山東半島人類集団ではなく、後期青銅器時代から鉄器時代の黄河中流域農耕民に由来する、と示されました。この14個体は遺伝的に現在の山東省の漢人と均質で、山東半島における2000年間の遺伝的連続性が示唆されています。

 なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。時代区分の略称は、新石器時代(Neolithic、略してN)、前期新石器時代(Early Neolithic、略してEN)、中期新石器時代(Middle Neolithic、略してMN)、後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、後期青銅器時代~鉄器時代(Late Bronze Age to Iron Age、略してLBIA)、鉄器時代(Iron Age、略してIA)、歴史時代(historical era、略してHE)です。


●要約

 中国北部沿岸の人口史は、新石器時代から歴史時代の古代人のゲノムの不足のため、ほぼ不明です。この研究では、周王朝から漢王朝にかけて中国の最も人口が密集して経済的に反映した都市の一つである臨淄から得られた古代人14個体のゲノムが新たに生成されました。この研究における古代の標本の年代は、戦国時代から後漢(東漢)王朝(2000年前頃)までとなります。これらの標本の祖先系統はすべて、在来の新石器時代人口集団ではなく、後期青銅器時代から鉄器時代の黄河中流域農耕民に由来する、と分かりました。これら14個体は遺伝的に現在の山東省の漢人と均質で、2000年間の遺伝的連続性が示唆されます。本論文の結果は、漢人の現在の遺伝的構造の形成における、中原の黄河流域農耕民の中国北部沿岸への東方移動の役割を浮き彫りにします。


●研究史

 約13億人の子孫がいる漢人集団は世界で最大の民族集団【約13億人の「漢人」という民族集団の設定について、異論があるかもしれませんが】であり、古代の黄河農耕民と古代の南方人口集団のさまざまな混合割合を通じて、言語学的および遺伝学的勾配によってほぼ特徴づけることができます[2、3]。これは、古代の黄河、とくに黄河中流域の農耕民の拡大が、現代の漢人集団を大きく形成した、と示唆しています。以前の古ゲノム研究は、黄河中流域の農耕人口集団の、雑穀農耕を伴う中国のさまざまな地域への拡大の証拠を示してきました。これには、長江のような南方地域[6]や河西回廊などの西方地域[7]や西遼河流域のような北方地域[3]が含まれます。しかし、中国の東部沿岸地域への黄河中流域農耕民の寄与の程度は不明なままです。

 それにも関わらず、考古学的研究は、黄河中流域と東部沿岸地域もしくは黄河下流域との間の相互作用への貴重な洞察を提供してきました。黄河下流域には、後李(Houli)文化(8500~7500年前頃)、北辛(Beixin)文化(7000~6100年前頃)、大汶口(Dawenkou)文化(6000~4000年前頃)、龍山(Longshan)文化(4600~4000年前頃)があります。黄河中流域の初期仰韶(Yangshao)文化以降、中原と北部沿岸地域との間の文化的交流は、次第に相互の影響を受けながらじょじょに深まってきました。初期大汶口文化の土器の装飾様式は仰韶文化の影響を受けており、後期仰韶文化の墓で発掘された人工遺物と抜歯も大汶口文化の大きな影響を明らかに示しています。抜歯とは、成長中の特定の位置における健康な永久歯の歯槽の人工的除去を指します。抜歯のこの慣行は北辛文化に由来しており、大汶口文化で繁栄し、龍山文化で衰退して、海岱(Haidai)地域、とくに大汶口文化の住民の重要な象徴として機能していました。さらに、考古学的証拠は前期青銅器時代における黄河下流域の岳石(Yueshi)文化と黄河中流域の二里頭(Erlitou)文化との間の相互作用を示唆しました。しかし、これらの地域の古代人のゲノムの不足のため、そうした文化伝播が人口移動および置換を伴っていたのかどうか、曖昧なままです。

 現在の中国の北部沿岸地域に位置する山東省は、人口の多い黄河下流域内の領域として顕著な重要性を有しています。古代中国文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使わないことにしていますが、この記事では「civilization」の訳語として使います】発祥地の一つとして広く認められている【現在の行政区分の】山東省は、歴史的に多文化主義の中心地でした。山東省の人々の遺伝的構造の調査は、【現在の中国の】北部沿岸地域の古代人の人口史の理解に重要です。先行研究は、龍山文化期の山東省の人口集団と【現在の行政区分の】河南省の仰韶文化期の人口集団間の母系での密接なつながりを明らかにしてきました。さらに、戦国時代や金および元王朝(大元ウルス)までの年代の歴史時代の山東省の人口集団の最近刊行されたゲノムから、これらの山東省古代人は後期青銅器時代から鉄器時代までの黄河中流域の農耕民の子孫だった、と示唆されています。しかし、中原から中国北部沿岸へのより広範な移動が初期新石器時代と歴史時代の間で起きたのか、あるいは単なる外れ値(outlier、略してo)だったのか、確証するにはさらなる同時代の山東省の古代人標本が必要です。

 本論文はこの間隙を埋めるため、戦国時代から東漢(後漢)王朝まで(紀元前475~紀元後221年【西暦換算でも後漢の滅亡というか曹丕の皇帝即位は220年だと思われます】)の山東省古代人の古代都市臨淄の数百点のヒト標本を収集しました。【戦国時代のいわゆる七雄の一国である】斉の首都である臨淄は人口稠密で経済的に反映しており、「東の古代ローマ」との愛称があります。大きな人口移動は、臨淄では高度な人口動態の多様性をもたらしました。53個体でショットガン配列決定が実行され、14個体で高品質な親族関係にない古代人のゲノムが得られ、先行研究[16]の9700~7800年前頃から本論文で新たに報告された研究の2000年前頃までとなる、中国北部沿岸の時間的網羅率は増加しました。これらのデータは、アジアの現代人および古代人集団のデータを報告した他の研究[17]と組み合わされ、以下の3点の目的達成のため用いられ、その目的とは、(1)歴史時代の中国北部沿岸の遺伝的構造の再構築、(2)いつどの人口集団が中国北部沿岸の人口置換に寄与したのか、(3)前期新石器時代から歴史時代および最終的には現在までの中国北部沿岸の進化的軌跡に光を当てることです。本論文の結果から、中国北部沿岸現代人の遺伝的構造は、前期新石器時代の山東省の人々を置換した古代黄河中流域農耕民の東方への移住によって少なくとも2000年前頃には形成された、と論証されました。


●標本

 山東省の臨淄の青嵐府(Qinglanfu)墓地の53個体について、ショットガン配列決定が実行されました。標本が閾値に合格しなかったと判断されたのは、(1)古代DNA損傷の痕跡がない場合、つまり、シトシン(C)からチミン(T)への置換率が0.06未満、(2)網羅されている標的SNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)が3万未満の場合、(3)性別割り当てが曖昧な場合、(4)汚染の証拠(0.03以上の汚染水準)を示した場合、(5)標本間で2親等以内の近い親族を示した場合です。これら53点のライブラリのうち、14点が本論文の分析選別に合格しました(SNPは31681~874497)。青嵐府墓地のこの14点の標本は相互に遺伝的均質性を示し、その祖先系統は対でのqpWave分析では単一の供給源に由来します。したがって、これらの標本はその後の集団遺伝学分析では単一の人口集団へと統合され、中国_山東_青嵐府_H Eと命名されました。


●歴史時代における山東省の古代人のゲノム特性

 青嵐府標本のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はアジア東部北方では一般的で、C・D4・D5・Zが含まれ、M7・M10・M11などアジア東部および南東部で優勢なmtHgも見られます。注目すべきことに、mtHg-Dが4600年前頃までさかのぼる新石器時代山東省個体群では一貫して高頻度を示しているのに対して、mtHg-M7・C・Zは過去4600年間において明らかでした[19]。これらの調査結果は、歴史時代の山東省内での顕著な人口移動および相互作用を示唆しており、この地域の複雑な人口動態を強調しています。青嵐府標本の一般的なY染色体ハプログループ(YHg)はO1b1とO2a2です。YHg-O1b1は中国北部の古代の人口集団、とくに黄河中流域および下流域の住民で特定されてきており[3]、山東省人口集団と黄河流域の古代の人口集団との間の父系のつながりを強調しています。

 次に、歴史時代の山東省個体群の遺伝的構造をより深く理解するため、アジア東部の古代人および現代人集団を含むゲノム規模SNP情報に基づいて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。すべての青嵐府標本はともに緊密にクラスタ化し(まとまり)、現代北方漢人集団(山東省と河南省と山西省が含まれます)の遺伝的勾配へと投影され、中原の古代黄河中流域人口集団(中国_黄河_LN、中国_黄河_LBIA)と重なりました(図1A・B)。以下は本論文の図1です。
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 さらに、前期新石器時代山東省個体群は歴史時代の山東省個体群と比較して、現在の漢人集団の遺伝的勾配から離れており、PCA図(図1A)ではアジア北東部(Northeast Asia、略してNEA)人とより密接に関連していた、と分かりました。同様に、教師無ADMIXTURE分析の結果は、PCA図での観察と一致しました。青嵐府人口集団はおもに4系統の祖先構成要素で構成されており、それは、古代中国南部人口集団で最大化される濃緑色の構成要素、高地アジア人口集団で最大化される橙色の構成要素、アジア北東部()人口集団で最大化される赤色の構成要素、日本人集団で最大化される青色の構成要素です(図1C)。歴史時代の山東省人口集団の組成割合は、古代中原人口集団および現代の北方漢人集団と類似していました。対照的に、前期新石器時代山東省個体群はより高い割合のアジア北東部構成要素を有していました。PCAおよびADMIXTUREの結果は、前期新石器時代から歴史時代にかけての中国北部沿岸における人口置換を示唆しました。


●中原農耕民により促進される山東省の人口置換

 上述のように、人口置換が山東省で起きたかもしれません。本論文は次に、どの人口集団がこの過程に寄与したのか、調べます。世界規模のすべての古代の人口集団を用いた外群f₃統計は、歴史時代の山東省人口集団と中原の黄河中流域人口集団、とくに中国_黄河_LNおよび中国_黄河_LBIAとの密接な遺伝的類似性を裏づけます。さらに、f₄統計(ムブティ人、世界規模の人口集団;青嵐府個体群、黄河中流域人口集団)も、有意ではないZ値を寄与しているほぼすべての人口集団によって反映されているように、歴史時代の山東省人口集団と後期新石器時代後の黄河中流域人口集団との間のより密接な関係を示しました。しかし、f₄統計(ムブティ人、中国南部人口集団;青嵐府個体群、中国_黄河_MN)の負の結果から、歴史時代の山東省人口集団はアジア東部南方人と黄河中流域新石器時代人口集団の場合よりも多くのアレル(対立遺伝子)を共有していた、と示唆されました。さらに、これら2人口集団間の関係を定量的に検証するため、f₄統計(ムブティ人、世界規模の人口集団;青嵐府個体群、中国_NEA_沿岸_EN)も実行されました。その結果、前期新石器時代山東省個体群が、正のZ値によって反映されているように、NEA構成要素を有意により多く有していたのに対して、歴史時代の山東省個体群は、負のZ値によって反映されているように、有意により多くのアジア南部構成要素を有していた、と分かりました。

 青嵐府標本で観察された遺伝的特性の形成を説明する2通りの仮説があり、一方は、青嵐府個体群が在来の前期新石器時代人口集団の子孫で、南方人口集団もしくは黄河上流~中流域の人口集団からの追加の遺伝子流動があった、というもので、もう一方は、山東省の在来集団が中原から到来した人口集団によって置換された、というものです。

 まず、対でのqpWave手法を用いて、歴史時代の山東省人口集団と黄河流域農耕民が遺伝的に均質で、単一の遺伝的か供給源に由来する可能性があるのかどうか形式的に検証されました。その結果、青嵐府個体群と中国_黄河_LNと中国_黄河_LBIAの間ではほぼ遺伝的に均質だったものの、青嵐府個体群と中国_黄河_MNと中国_NEA_沿岸_ENの間では遺伝的に均質ではなかった、と論証され、これは上述のf₄結果と一致します。さらに、青嵐府個体群と中国_黄河_LNと中国_黄河_LBIAがqpWaveによるとクレード(単系統群)であるのと一致することも分かりました。したがって、追加の供給源としてアジア東部南方人口集団が加えられ、青嵐府標本の遺伝的組成を説明するため、混合モデルが構築されました。青嵐府個体群との遺伝的差異の説明に充分適合する、単一供給源として中国_黄河_LNもしくは中国_黄河_LBIAを用いての、1方向モデルが見つかりました。ただ、2供給源として中国_黄河_LNとともに追加のアジア東部南方遺伝的構成要素(2.4~7.0%)も、青嵐府個体群の形成のモデル化で許容できました。しかし、2供給源として中国南部人口集団および中国_黄河_LBIAとのモデルは失敗し、それは、青嵐府個体群が中国_黄河_LBIAと比較してより多くの南方祖先系統を必要としなかったからです(図2B)。1供給源としての中国_黄河_MNでの許容モデルについて、青嵐府標本はより多くのアジア東部南方の遺伝的構成要素(約10%)を有している、と示唆され、これは中国_黄河_MNおよび南方人口集団を用いての中国_黄河_LBIAおよび中国_黄河_LNのモデル化の組成比と類似しており[7]、黄河流域における経時的な南方祖先系統の増加を示唆しています。以下は本論文の図2です。
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 さらに、青嵐府人口集団が山東_HEと共分析され、山東省における遺伝的置換が青嵐府人口集団について単一の外れ値の結果だったのかどうか、判断されました。本論文の分析から、山東省の歴史時代の2人口集団は遺伝的に均質で、両者は後期青銅器時代から鉄器時代の黄河中流域農耕民の子孫だった、と示されました。qpAdm分析では、単一供給源として山東_HEを用いての1方向モデルが、青嵐府個体群の遺伝的差異の説明に充分適合しました。

 最後に、青嵐府標本が在来の前期新石器時代狩猟採集民と南方人口集団もしくは黄河上流~中流域の人口集団の混合としてモデル化できるのかどうか、検証されました。しかし、供給源として在来の前期新石器時代狩猟採集民と南方人口集団もしくは黄河上流~中流域の人口集団に割り当てられる利用可能なすべての組み合わせで試みても、適合モデルは見つかりませんでした。これらの結果は、こうした歴史時代の山東省の人々が、中国南方および他の黄河流域関連人口集団からの追加の遺伝子流動を伴う在来の前期新石器時代人口集団の子孫ではなく、中期新石器時代後の黄河中流域からの移民だった、という確率がより高いこと(qpAdmとqpWave、図2Bおよび図3A)を示唆しました。以下は本論文の図3です。
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●青嵐府個体群と現代漢人集団との間の遺伝的関係

 PCA図では、現代の北方漢人集団は黄河中流域人口集団よりも青嵐府個体群の近くに位置していました(図1A)。青嵐府個体群と現代の漢人集団との間の関係を定量的に検証するため、f₄統計(ムブティ人、現代漢人14集団;黄河中流域人口集団、青嵐府個体群)が実行され、14の漢人集団では中国_黄河_MNや中国_黄河_LNや中国_黄河_LBIAと比較して正のZ値が得られる、と分かりました。これらの結果は、歴史時代の山東省標本と現在の漢人集団との間のより高い遺伝的類似性を示唆しました。したがって、祖先系統供給源の代理として青嵐府個体群を用いて、現代の漢人集団のモデル化が試みられました。

 まず、ヒト起源(Human Origins、略してHO)データベースに基づいて、すべての現代漢人集団について対でのqpWaveが実行されました。その結果、歴史時代の山東省人口集団(青嵐府_HE、山東_HE)および山東省と河南省と山西省の漢人で遺伝的均質性が検出されました(図3A)。さらに、これらの人口集団は単一の供給源から由来することと一致する、とも分かりました。これらの結果は、頻繁な政権交代を経たにも関わらず[20、21]、北方漢人集団全体の歴史時代以降の遺伝的安定性を示唆しました。最後に、qpAdmに基づいて現代漢人集団が形式的にモデル化されました。山東省と河南省と山西省の漢人集団が青嵐府個体群の直接的子孫として適切にモデル化できる、という事実とは別に、他の漢人集団の祖先系統は、青嵐府標本から56.1~87.9%、残りは中国南方の人々から由来するものとして、モデル化できます。

 本論文の結果の堅牢性の検証として、さまざまな外群および非感受性SNPの部分集合に基づく繰り返し分析も実行されました。これら新たな結果は上述の調査結果と一致しており、青嵐府個体群と中国_黄河_LNと中国_黄河_LBIAがqpWaveによるとクレードであることと一致し、単一供給源として中国_黄河_LBIAもしくは中国_黄河_LNを用いての1方向モデルが青嵐府個体群の遺伝的差異の説明に充分適合することも含まれます。


●考察

 現代の漢人集団の遺伝的組成は、古代の南北の人口集団のさまざまな混合割合から生じ、遅くとも最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)末までには、これらの集団(古代の北方と南方の人口集団)は区分されます[2、3、16、23]。前期新石器時代山東省個体群の遺伝的特徴は中国北方の人々と近かったものの、これらの個体のより多くのNEA関連祖先系統は、現在の山東省の漢人個体群の遺伝的特徴を説明できません。先行研究では、古代のミトコンドリアゲノムに基づくと新石器時代から歴史時代まで母系の遺伝的構造が多様性を増した、と明らかになり、これは山東省と近隣地域との間の交流強化を示唆しました[19]。しかし、これらの研究は、どの人口集団がいつ中国北部沿岸の現代時価の形成に寄与したのか、解決できませんでした。

 本論文では、山東省の臨淄から発見された歴史時代の中国北部沿岸古代人14個体のゲノムが新たに生成されました。臨淄は斉の首都として、大きな人口移動と高度な人口統計学的多様性を経ており、それらは都市における人口動態と相互作用の研究に適した地域として機能できます。これら臨淄の青嵐府個体群のゲノムは現代の山東省個体群と遺伝的に均質で、中原農耕民と関連する単一の供給源に由来する(図3A)、と分かり、中国北部沿岸の人々の現在の遺伝的特性は少なくとも2000年前頃には形成されており、歴史時代には安定性を維持し続けた、と示唆されました。北方漢人集団の遺伝的安定性は、数千年にわたる継続的な文化継承など、中国における特定の社会文化的状況と関連しているかもしれない、と本論文は推測しています。中国語の方言の進化に関する最近の研究では、中国北部が同一の言語構成を共有していた、と分かりました。本論文における青嵐府の1人口集団のみからの限定的な標本では、在来ではない性質もしくは非定型的な山東省個祖先系統を含めて、すべての潜在的な状況は排除されませんが、山東省の別の墓地からの追加の古代人のゲノムは、青嵐府人口集団と遺伝的均質で、両者は後期青銅器時代~鉄器時代の黄河中流域農耕民の子孫で、中原から中国北部沿岸へのより広範な移動を示唆しています。

 古代ゲノムの先行研究では、黄河流域農耕民が中国の西方と南方と北方へと拡大し、人口変化を促進した、と示されてきました。歴史時代における中原から西方の河西回廊人口集団の置換では、歴史時代の河西回廊人口集団が遺伝的には中国_黄河_LNおよび中国_黄河_LBIAとほぼ同一でした[7]。中原から南方の長江では、在来の後期新石器時代農耕民が形成されました[6]。中原から北方へは、モンゴルの人々との混合や、西遼河流域における農耕の促進がありました[3、20]。本論文の結果は、古代黄河流域農耕民の中国北部沿岸への東方移動が、在来の前期新石器時代個体群を置換した、と示しました。まとめると、本論文では、黄河流域農耕民が中原から全方向に急速に拡散し、在来人口集団を置換したか、それと混合して、漢人の主体を形成した、示唆されました。以下は本論文の要約図です。
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●この研究の限界

 この研究は山東省の人口史の理解に一定の前身をもたらしますが、中国北部沿岸における詳細な人口進化の軌跡はまったく明らかではありません。利用可能なゲノム間には広範な時間的および地理的空隙があり、そのため現時点では、中原と中国北部沿岸における古代の人口集団の微細規模の遺伝的構造を説明する能力が制約されています。より多くの中国の古代人のゲノムが将来刊行されるにつれて、中国の人口史のより包括的な全体像を構築できるでしょう。


参考文献:
Wang B. et al.(2024): Population expansion from Central Plain to northern coastal China inferred from ancient human genomes. iScience, 27, 12, 111405.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2024.111405

[2]Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
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[3]Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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[6]Tao L. et al.(2023): Ancient genomes reveal millet farming-related demic diffusion from the Yellow River into southwest China. Current Biology, 33, 22, 4995–5002.E7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.09.055
関連記事

[7]Xiong J. et al.(2024): Inferring the demographic history of Hexi Corridor over the past two millennia from ancient genomes. Science Bulletin, 69, 5, 606-611.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2023.12.031
関連記事

[16]Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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[17]Mallick S. et al.(2024): The Allen Ancient DNA Resource (AADR) a curated compendium of ancient human genomes. Scientific Data, 11, 182.
https://doi.org/10.1038/s41597-024-03031-7
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[19]Liu J. et al.(2021): Maternal genetic structure in ancient Shandong between 9500 and 1800 years ago. Science Bulletin, 66, 11, 1129-1135.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2021.01.029
関連記事

[20]Jeong C. et al.(2020): A Dynamic 6,000-Year Genetic History of Eurasia’s Eastern Steppe. Cell, 183, 4, 890–904.E29.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.10.015
関連記事

[21]Yang XM. et al.(2023): Ancient genome of Empress Ashina reveals the Northeast Asian origin of Göktürk Khanate. Journal of Systematics and Evolution, 61, 6, 1056–1064.
https://doi.org/10.1111/jse.12938
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[23]Mao X. et al.(2021): The deep population history of northern East Asia from the Late Pleistocene to the Holocene. Cell, 184, 12, 3256–3266.E13.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.04.040
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この記事へのコメント

砂の器
2024年12月13日 01:04
山東省臨淄と言えばかつて現代日本人の直接の祖先等と骨格の比較で言われましたが、ゲノムは似ていないですね
現代日本人に見られない赤色が結構混じっている
この赤はNEAと思われますが、現代日本人と直接の関係無いツングース系ですかね
悪魔の門洞窟古人には見られるので、臨淄から沿海州の辺までは来ていた
高地アジアの要素もやや強すぎますね、こっちは一応現代日本人にもごく僅か見られますが
Yハプロも現代日本人と全く異なる

臨淄古代人の年代を考えると、もう既に現代日本人の主要な祖先候補から外して良いと思います
ツングース、チベット系、南北漢族の交雑集団と言った所でしょうか
論文の指摘通り中原の古代中国サンプルとよく類似していて、殆ど違いが感じられない

図1Cを見る限り、現代日本人に見られる先行研究で明示されたNEAは、明緑のガナサン人や中央ヤクート人(サモエード系)に近いと思われますがどう思いますか
明緑成分は僅か(無い個体もいる)ですが、これも先行研究に付合的です
サンプルがJPTなので、東北の現代日本人ではもっと高い割合かもしれません

ニブフとウルチは明緑が半分強で、(悪魔の門洞窟古人の存在から考えると)意外と赤色が無いですね
縄文がごく僅か入っていますが、ウルチに関しては、神澤らが指摘した縄文由来IBD断片長の観点から比較的最近の交雑であったとあります
ニブフ・ウルチ等の沿海州先住系はオホーツク文化人と近縁という先行研究もありますね

その他日本人の南東アジア祖先及び高地アジア祖先はEAに分類されると思います
あと青色がなぜ現代日本人で最大化されるのかもよく分かりませんが、
青色で殆ど構成される均一な渡来人集団が大量渡来しないとこういう図にならないと思います
しかし青色で殆ど占められる古人サンプルがこの図には見られないです
管理人
2024年12月13日 06:15
ADMIXTUREで具体的な集団間の遺伝的関係を直接的に推測するのには難しいところもあるとは思いますが、ユーラシア東部沿岸に拡散した古代人集団が、「縄文人」や現代の沿岸部を中心に現代や古代のユーラシア東部集団に残した遺伝的痕跡など、複雑な過程が反映されているのかな、と考えています。ADMIXTUREの結果から的確に解釈するのは難しいところですが。山東半島の古代人集団は、おそらく現代日本人の主要な直接的祖先集団ではない、と私も考えています。