『常識が変わる!?日本史の大論争』

 中央公論新社より2019年2月に刊行されました。本書は『中央公論』2019年2月号の特集の電子書籍化です。構成は、各時代についての対談(現代は対談というよりも取材ですが)で、古代が井上章一氏と倉本一宏、中世が堺屋太一氏と今谷明氏、近世がよしながふみ氏と大石学氏、近代が佐々木雄一氏と清水唯一朗氏、現代が山崎拓氏と宮城大蔵氏です。中公新書『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』(関連記事)の連動企画といった感じで、すでに馴染み深い見解もありますが、以下、改めてとくに興味深いと思った本書の指摘を述べていきます。

 古代に関しては、受領に大きな権限が与えられるようになり、収奪の連鎖が繰り広げられ、自力救済につながって中世の始まりになる、との指摘が注目されます。古代の対談では幕末の攘夷についても言及されていますが、倉本氏は、攘夷がどれだけ浸透していたのか、疑問視しています。近世に関しては、よしなが氏が作家の観点から、江戸時代が描きやすいのは現代につながっているからと指摘し、大石氏は、江戸時代に日本列島が広範に均質化されていった、と指摘しています。大石氏は、官僚制や文書主義など、現代につながるさまざまな体系が江戸時代に築かれた、と指摘しています。官僚制も文書主義も律令国家の特徴と言えるでしょうが、日本列島の社会に深く浸透したという点で、江戸時代が画期だったと言えるかもしれません。

 江戸時代と明治時代の連続性の評価については、とくに人材は断絶より連続が強かった、と指摘されています。ただ、連続性の強調にも問題があり、明治維新の背景に江戸時代の蓄積があることと、結果的に起きた明治維新が大きな転換だったのかどうかは区別する必要がある、とも指摘されています。廃藩置県による体制の変化は、担い手が連続していたとしても、江戸時代とは大きな断絶がある、というわけです。対外関係も西洋からの文物の流入についても、幕末から明治維新にかけて決定的に変化する、と指摘されています。戦争で得た権益に近代日本が固執した理由として、とくに日露戦争において犠牲者が多く、その慰霊が可視化されていったことも指摘されています。

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