アジア中央部人類集団のゲノムとユーラシアの人類進化史

 アジア中央部人類集団のゲノムデータに基づくユーラシアの進化史に関する研究(He et al., 2024)が公表されました。本論文は、アジア中央部の古代のヒトや病原体に関する最新ゲノム研究を整理し、アジア中央部の人類史、さらにはユーラシア規模の人類進化史の理解を深めるとともに、医療面でのアジア中央部人類集団の遺伝学的研究の深化の必要性を指摘します。ヨーロッパ以外の地域でもこうした研究が進展することで、医療面などでの人類全体への貢献が期待されます。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。

 時代区分の略称は、新石器時代(Neolithic、略してN)、前期新石器時代(Early Neolithic、略してEN)、後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、前期青銅器時代(Early Bronze Age、略してEBA)、前期~中期青銅器時代(Early to Middle Bronze Age、略してEMBA)、中期青銅器時代(Middle Bronze Age、略してMBA)、中期~後期青銅器時代(Middle to Late Bronze Age、略してMLBA)、後期青銅器時代(Late Bronze Age、略してLBA)、鉄器時代(Iron Age、略してIA)、前期鉄器時代(Early Iron Age、略してEIA)、後期鉄器時代(Late Iron Age、略してLIA)です。


●要約

 アジア中央部は、先史時代および歴史時代のユーラシア横断の相互作用の坩堝で、文化的交流や人口動態や遺伝的混合の形成にたいへん重要でした。古代DNA研究からの最近の洞察は、旧石器時代の狩猟採集民から完新世の牧畜婚および歴史時代の遊牧民の帝国の集団まで含めて、この地域内の広範な人口置換に光を当ててきました。ユーラシア草原地帯全域の古代の病原体のゲノム解析は、病原体の起源、クローンの拡大、さまざまな病原体への曝露およびその拡大と関連する宿主と病原体の共進化の複雑な過程についての理解をさらに深めました。本論文はアジア中央部の古代のヒトおよび病原体のゲノムの最新の調査結果を統合し、アジア中央部現代人のゲノム多様性への顕著な影響を解明します。アジア中央部の現在のゲノムデータベース、とくにゲノミクス主導の精密医療の分野内における、顕著な間隙が強調されます。ヒトの形質や疾患の根底にある遺伝的計画の解明や、精密医療の多遺伝子得点モデルの改良や、アジア中央部全域のゲノム研究努力の支援について期待される、広範で地域固有のゲノム情報源について、緊急の必要性が強調されます。


●研究史

 アジア中央部は古代のシルクロード(絹の道)の中心部に位置し、解剖学的現代人(現生人類、Homo sapiens)がこの地域に最初に移住した後期更新世において、ユーラシアの人口集団の交流にとって重要な回廊として機能しました[1~7]。現在のキルギスタンとタジキスタンとカザフスタンとウズベキスタンを含むこの地域は、西方のカスピ海から東方の【現在は中華人民共和国の支配下にあり、行政区分では新疆ウイグル自治区とされている】東トルキスタンや南方のアフガニスタンや北方のロシアまで広がっています。言語学と考古学と歴史的な記録は、狩猟採集社会から洗練された食料生産および動物の家畜体系まで、この地域の顕著な経済的変化を説明してきており、ヒトの進化史におけるこの地域の重要性が反映されています[1、3、6~8]。ユーラシア横断の文化的交流は、計術的および技術的発達とともに、動物の家畜化および植物の栽培化の考古学的発見で論証されているように、これらの過程におけるアジア中央部の重要な役割を浮き彫りにします。雑穀農耕の起源は黄河流域にまでたどることができますが、オオムギおよびコムギ農耕の開発は近東およびイラン高原に起源があり、後期完新世においてユーラシア横断の文化伝播を通じて、ユーラシアの東西両方に影響を及ぼしました。これらの農耕パターンと牧畜の革新は、ウシやイヌやヒツジの家畜化、および旧石器時代と新石器時代における技術的進歩と一致します。青銅器時代におけるウマや馬車や銅の広範な使用と拡大は、アジア中央部人口集団の遺伝的多様性へのユーラシア横断の相互作用の顕著な影響をさらに強調します[15]。

 2000年のヒト草案ゲノムの最初の航海は、ヒトゲノム研究における重要な転換点を示しました。過去10年間で、NGS(next-generation sequencing、次世代配列決定)技術の進歩と配列決定の費用減少は、現在と古代両方の人口集団からのゲノムデータの急速な蓄積を促進してきました[3、4、17~19]。ゲノム構造と困難なゲノム領域の潜在的機能に関する理解は、複数の完全な草案ヒトゲノム配列とヒト汎ゲノム計画[17、19]によって大きく強化されてきました。T2T(Telomere-to-Telomere、テロメアからテロメアへ)協会は、T2Tヒト参照配列を後悔しました。この新たな参照は、汎ゲノムに基づく人口集団小屋宇の参照配列とともに用いると、参照ゲノム配列GRCh38や他の不観世間参照に固有の参照の偏りに対処できます。顕著な事例は、ヒトY染色体の完全な配列[18]によって明らかになった、広範なゲノムの複雑さと多型です。1000人ゲノム計画とヒトゲノム多様性計画からの研究の調査結果は、遺伝的多様性および異なる大陸の人口集団間の関係の一般的パターンを解明してきました[23]。さらに、UKB(United Kingdom Biobank、イギリス生物銀行)や全員研究計画などの取り組みは、おもにヨーロッパの個体群およびその祖先から得られたゲノム配列決定データを活用して、ヒトの形質と疾患の遺伝的構造に焦点を当ててきました[23]。これは、ヒトゲノム研究においてヨーロッパへの偏りを意図せずもたらしてきました。残念ながら、アジア中央部人口集団から得られたゲノム情報源は提示不足で、ゲノム主導の精密医療の健康格差を永続させる可能性があります。


●アジア中央部および近隣地域における古代の人口変容

 シベリア南部中央の24000年前頃となるマリタ(Mal'ta)遺跡の少年(MA-1)およびアフォントヴァ・ゴラ2(Afontova Gora-2)遺跡の17000年前頃の個体はユーラシア西部人の基底部と確認され、古代北ユーラシア人(ancient Northern Eurasian、略してANE)を表しています。これらのゲノムは、アメリカ大陸先住民の祖先に直接遺伝的に寄与しました[5]。旧石器時代の遺伝的関連および類似性、バイカル湖に近いウスチ・キャフタ(Ust-Kyakhta)遺跡の14050年前頃の個体や、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site、ヤナ犀角遺跡)の31000年前頃の個体や、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体(田園個体)や、MA-1や、アムール川流域のさまざまな旧石器時代人のゲノムを通じても確証されてきており、ユーラシア東部におけるANEの存在の2万年間にわたる連続性が示唆されます[6、24]。上部旧石器時代ヨーロッパ人の古ゲノム研究は、とくに最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の頃もしくはその後の、ユーラシア西部全域の狩猟採集民集団間の複雑な人口のつながりや分化や置換を明らかにしてきました[4]。しかし、LGMのアジア中央部の遺伝的景観を推測するための直接的な考古遺伝学的証拠は、分かりにくいままです。ユーラシア草原地帯の初期の住民は、ヨーロッパ東部狩猟採集民(Eastern European hunter-gatherer、略してEHG)およびシベリア狩猟採集民(Siberian hunter-gatherer、略してSHG)との強い遺伝的類似性を示しました。ゲノム混合モデルは、ユーラシア北部人の主要なゲノム景観を定義した、西方のEHGから東方のSHGにまたがる東西の遺伝的勾配を明らかにしました。

 旧石器時代後の人類のゲノムが、アジア中央部人のゲノム形成に関わっている、と報告されてきました(図1A)。IAMC(Inner Asian Mountain Corridor、内陸アジア山地回廊)内陸生物地理仮説やヤムナヤ(Yamnaya)/アファナシェヴォ(Afanasievo)文化草原地帯仮説やBMAC(Bactrio Margian Archaeological Complex、バクトリア・マルギアナ考古学複合)オアシス仮説を含めて、完新世の古代アジア中央部における移住と混合のパターンを解明するため、いくつかの仮説が提示されてきました[1、2、5、6、25、26]。先行研究[7]では、アナトリア半島農耕民と関連する祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がアジア中央部の青銅器時代人口集団に限定的な影響を及ぼした、と判断されました。代わりに、ヤムナヤ文化草原地帯牧畜民ではなく、ユーラシア北部狩猟採集民と関連する祖先系統が、イラン東部とトゥーラーン(現在のトルクメニスタンとウズベキスタンとタジキスタン)における新石器時代のアジア南西部勾配に大きな影響を及ぼしました[7]。

 EMBAユーラシア西方草原地帯牧畜民祖先系統を示すトゥーラ―ンの外れ値個体群の検出から、ヤムナヤ文化草原地帯牧畜民に由来する祖先系統は、BMAC内の遺跡群で観察されるように、紀元前2100年頃までにトゥーラ―ンに到達していた、と示唆されます[7]。EMBAにおいて、ユーラシア西方草原地帯のヤムナヤ文化牧畜民とその子孫は、ヨーロッパ東部およびコーカサスの狩猟採集民と関連する祖先系統を示しました。さらに、カザフ草原地帯における縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)やペトロフカ(Petrovka)文化やスルブナヤ(Srubnaya)文化と関連する考古学的複合体は、多くの文化的要素を共有していました[2]。遺伝的には、ユーラシア西方草原地帯牧畜民はコーカサス勾配に沿った集団との密接な相互作用を論証しており、ヨーロッパ農耕民およびヤムナヤ文化草原地帯牧畜民と関連する祖先系統を示します。注目すべきことに、91%の西方草原地帯_MLBA祖先系統およびシベリア西部狩猟採集民(West Siberian hunter-gatherer、略してWSHG)関連祖先系統を有する以前に特徴づけられたカザフスタンの人口集団からの約9%の祖先系統で構成される独特なMLBA祖先系統が、中央草原地帯およびミヌシンスク(Minusinsk)盆地で特定されました。この調査結果は、東方草原地帯から中央草原地帯にまでまたがる多様な祖先系統特性を示唆しています(図1)。以下は本論文の図1です。
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 ユーラシアの青銅器時代における人口動態と文化的交流は複雑でした(図1B~H)。新石器時代後のアジア中央部では、着想の伝達を伴って、ヤムナヤ文化牧畜民とその子孫による影響を受けて、顕著な人口移動と置換が起きました[1]。サカ人としても知られているスキタイ人は、定住農耕民によって命名された、ユーラシア草原地帯の牧畜民の1集団でした。スキタイ人の起源については依然として議論となっており、歴史的文献と考古学的証拠の両方から情報が得られています。ユーラシアにおける気候変化はアジア中央部の生態系を強化し、複数の歴史的部族の形成につながりました。先行研究[2]は、文化的類似性にも関わらず、スキタイ人は遺伝的にことにっ手織り、シベリア南部の狩猟採集民と青銅器時代後期の牧畜民とヨーロッパ農耕民からの遺伝子流動に影響を受けた、と報告しました。その後、匈奴とフンのような歴史的な牧畜民連合が、広範な混合過程から出現しました。IAMC仮説では、アジア中央部山脈沿いの農耕牧畜共同体が栽培化された穀物および文化の拡散を促進した、と仮定されています。IAMCに沿って暮らしていた青銅器時代個体群のトゥーラ―ンからの大きな遺伝的影響は、紀元前3000年頃以降、紀元前2000年頃までに激化し、草原地域への北方への移動と、その後のアジア東部関連祖先供給源との混合を促進しました[7]。この遺伝的パターンは、鉄器時代における中国の【現在支配下にある】東トルキスタンや河西回廊やユーラシア東方草原地帯人口集団でも観察されました[25、28、29]。さらに、アジア東部人と関連する混合特性は鉄器時代に先行するアジア南部個体群で確認されており、IAMC沿いの双方向の移動や、青銅器時代後のアジア中央部人および南部人の遺伝的景観への顕著な影響を示唆しています[7]。


●民族言語学的に多様なアジア中央部人についての医療研究におけるゲノムの多様性および代表の間隙

 考古学的および言語学的証拠は、インド・ヨーロッパ語族のアナトリア半島もしくは草原地帯どちらかの起源を裏づけ、ユーラシア西部全域にわたるその系統発生と広範な影響を詳述しています。鉄器時代の前には、半遊動的なスキタイ人やダハ人(Daha)を含めて、アジア中央部にはおもにインド・イラン語派祖語話者が居住していました。ユーラシア草原地帯全域にわたる東方への移動の停止後、匈奴と他の東方草原地帯の牧畜民による西方への移動が、テュルク諸語祖語話者によって初期イラン語群話者住民の置換を促進しました。絹の道(シルクロード)の交易経路は、ユーラシア草原地帯の遺伝と言語と文化の多様性を高めることになりました。現在、アジア中央部にはさまざまな民族集団と語族の7200万人以上が暮らしており、インド・ヨーロッパ語族やアルタイ諸語やシナ・チベット語族などが含まれます。この地域の文化的多様性は、一連の言語や宗教的慣行や伝統に現れています。アジア中央部における民族的多様性の歴史的背景に関する包括的な理解は、過去と現在の複雑さの理解に不可欠です。この地域の歴史の研究は、民族構成の起源や文化的景観を形成してきた多様な影響への、貴重な洞察を提供します。

 アジア中央部の民族言語的多様性の重要性が強調されてきましたが、アジア中央部人のゲノム研究には多くの課題と機会が残っています。アジア中央部の遺伝的多様性の研究は初期の世界規模の人口集団のゲノムの取り組みは(図2)と最近のヒト汎ゲノム計画では、歴史的に見過ごされてきました[18、23]。ヒト汎ゲノム参照協会計画は47点のハプロタイプ解析ゲノムを報告し、世界規模の人口集団からの汎ゲノム参照を提示しました[17]。さらに、先行研究[19]は中国の36の人口集団のゲノム多様性に基づいてアジア固有の参照汎ゲノムを報告しました。しかし、ユーラシアの混合人口集団の包含は限られていました。したがって、適切に設計されてアジア中央部固有のゲノム計画や、人口集団固有のゲリラ豪雨データセットの開発が重要です。これらの情報源は、遺伝的感受性の包括的理解および疾患の診断や予測や治療の進歩だけではなく、現代の人口集団における起源と移住と混合の複雑なパターンの解明にも不可欠です。そうした試みは、代表の間隙を埋めて、ゲノム医療の正確さを世界的に高めるうえできわめて重要です。以下は本論文の図2です。
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 人類学的観点からのアジア中央部人の遺伝学の最近の進歩が明らかにしたのは、その遺伝的景観の一角のみです(図1C)。先行研究[26]は、スキタイ人とアジア中央部現代人の人口史の再構築に努めました。その研究で見つかったのは、アルタイ地域とウラル地域のスキタイ人の遺伝的構成がさまざまな混合事象のため不均質だったのに対して現代カザフ人の遺伝子プールは、おそらく厳密な族外婚の社会的慣行の結果としてより均質化していると分かった、ということです。人類学的に重要な情報をもたらした研究[29]では、タジク人の起源と混合の歴史が調べられ、古代のBMACおよびアンドロノヴォ(Andronovo)文化関連祖先系統が現代タジク人の遺伝的組成をおもに形成した、と明らかになりました。その混合モデルは高地タジク人集団とタリム盆地の青銅器時代のミイラとの間の骨折な遺伝的つながりを示唆しており、ユーラシア西部祖先系統は中国西部の東トルキスタンの歴史時代の人口集団にもたらされました。

 先行研究はアジア中央部のゲノム多様性へのシナ・チベット語族拡大の遺伝的影響を調べ、ヒマラヤ山脈周辺での古代の人口移動と混合に焦点を当てました。その研究はゲノム混合モデルを歴史的記録と組み合わせて、バルティ人(Balti)の遺伝子プールがおもに文化的拡散を通じて形成され、人口拡散を通じての形成はさほど大きくなかった、と示唆しました。さらに、モンゴルの拡大に関する研究では、長距離移動の契機となり、ハザーラ人(Hazara)やカルムイク人(Kalmyks)やドゥンガン人(Dungan)などの集団に影響を及ぼした、直接的な人口移住および遺伝的寄与が浮き彫りになりました。常染色体のゲノム構成要素で観察されたパターンと同様に、Y染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)の遺伝的多様性はアジア中央部においては限定的です。アジア中央部の小さな標本規模でのNGSに基づく最近の標本から、古代の新石器時代農耕民とインド・ヨーロッパ語族話者とテュルク人とモンゴル人がアジア中央部人の父方の遺伝子プールに寄与した、と示唆されました。先行研究は中国人の時間較正されたY染色体系統を再構築し、Y染色体ハプログループ(YHg)J・G・R関連の創始者系統が中国北西部とアジア中央部において高頻度と確認し、これらの地域における片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)ゲノムパターンの複雑さを示唆しています。これらの調査結果は、アジア中央部人のゲノム多様性の複雑さを浮き彫りにし、深い人口史をさらに解明すし、別ゲノム医療を進歩させるための、適切に設計され標本抽出の密なゲノム研究の必要性を強調しました。


●アジア中央部人の遺伝的多様性への生計の革新と食性の変化と病原体への曝露の影響

 ユーラシア草原地帯では、牧畜民は動物を飼っているだけではなく、多くの文化的革新も導入しました。青銅器時代における馬車の広範な採用は牧畜民の移動性を増加させ、大規模な人口移動と混合を促進しました。アジア中央部は酪農牧畜民の拡大にとって、きわめて重要な回廊として機能しています。このちいきでは、牧畜民はラクターゼ(Lactase、略してLCT、乳糖分解酵素)摂取の生物学的適応に独自の遺伝的基盤を発達させ、新石器時代後の草原地帯人口集団におけるより明るい皮膚の色素沈着を示しており、大きな食性と環境の適応を反映しています[3]。

 生計と社会の移行期のアジア中央部における病原体の拡散と疾患の動態は、病原体の起源と進化への重要な洞察を提供してきました。アジア中央部は、ペスト菌(Yersinia pestis)を含めて、病原体拡散の導管として機能します(図1I)。この地域における感染症の動態は、農耕と牧畜の強化への移行とともに、ますます複雑になりました。家畜化された動物との近い接触を伴う定住生計戦略は、農耕への移行期における人口密度および疾患生態系の変化とともに、感染症の危険性増加と関連づけられてきました。これらの要因は新石器時代後の人口集団における病原体への適応を促進し、病原体感への耐性増加および免疫関連疾患への高い感受性につながりました。気温変動や土地利用の変化や森林伐採や定住生活様式の採用や動物飼育慣行や食性の変化など、古代の環境要因が微生物生態系の形成に重要な役割を果たしてきました。これらの要素は宿主と病原体の共進化の重要な推進力として機能しており、生態学的変化と疾患動態との間の複雑な相互作用が強調されます。

 ペスト菌の歴史的動態は、ユーラシアの人口集団にじょじょに影響を及ぼしてきました[8]。ペストの原因媒体であるペスト菌は疫病の3回の破壊的な波を引き起こしており、それはユーラシアの人口統計学的景観を作り変えました。これらには、ユスティニアヌス疫病と関連する第一次、黒死病と関連する第二次、中国とアジア南部起源の第三次の世界的流行病が含まれていました。それぞれの世界的流行病は、影響を受けた人口集団における死亡率に大きな違いをもたらしました。最近の研究は黒死病犠牲者の草案ゲノムを再構築し、病原体の進化と適応における微生物遺伝学と媒介動物の動態と宿主の感受性の役割に光を当てました。先行研究はペスト菌の進化をさらに解明しており、後期新石器時代と前期青銅器時代における病原性の低い系統から、遺伝的変化、とくにymt遺伝子の獲得による猛毒性の形態への移行を示唆しました。黒死病の前と最中と後の古代の人口集団全体の高度に分化した遺伝子座の分析は免疫関連遺伝子の濃縮を明らかにしており、免疫遺伝子への正の選択圧を示唆しています[41]。古代DNAを活用した系統地理的調査は、第二次ペスト大流行の時期と位置と出現への新たな洞察を提供します。先行研究[8]は、当初ユーラシア中央部に出現し、天山地域にまで広がったかもしれない黒死病系統の、14世紀の出現を裏づけました。気温や降水量や自然災害の変化などの環境混乱は、おそらくは戦争やアジア南部横断交易網によって促進された、キルギスのチュイ渓谷(Chüy Valley)に位置するカラ・ジガチ(Kara-Djigach)墓地などの伝染性系統の初期拡大の契機に役割を果たした可能性が高そうです。アジア中央部における病原体とヒトのゲノム多様性との間の複雑な相互作用の過程は、その全体的な景観の確証と再構築のためには、より時空間的に密な古代の病原体とヒトのゲノム多様性の合同を必要とします。


●東トルキスタンにおける民族集団の複雑な遺伝的混合とアジア中央部人の集団ゲノミクスへの示唆

 戦略的にアジア中央部の近くに位置する東トルキスタンには、広範な混合事象を反映して、多様な遺伝的祖先系統の人口集団が居住しており、これはアジア中央部の隣人における将来の大規模なゲノムに基づく精密医療への洞察の新たな窓口を提供できるかもしれません。テュルク諸語話者の遺伝学的およびトランスクリプトーム解析では、混合が顕著で特定の偏った祖先構成要素をもたらし、それがゲノム多様性と表現型の多様性と生物学的適応と祖先系統固有の遺伝子発現特性に顕著な影響を及ぼした、と明らかにされてきました。とくによく研究されているのは、ユーラシア東西両方の祖先系統との相互作用のため複雑な遺伝的歴史を示すウイグル人です。先行研究では、東トルキスタン南部ウイグル人は双方向の混合に起源があり、共有されるアレル(対立遺伝子)およびハプロタイプのパターンによって証明されるように、顕著な少数派のアジア東部祖先系統を伴うおもにヨーロッパ祖先系統だった、と示唆されました。

 東トルキスタンの南北両方の地理的に多様なウイグル人14集団を含む包括的なゲノム研究では、これらの混合事象が青銅器時代の3750年前頃にまでさかのぼりました。これらの研究では、ヨーロッパとアジア南部とシベリアとアジア東部の少なくとも4祖先供給源からの寄与が、ウイグル人の遺伝子プールを形成してきた、と示唆されています。ゲノム規模の混合識別では、アフリカ系のアメリカ合衆国人口集団で観察されたより最近の混合事象とは異なる、ウイグル人のより速い複雑な混合の歴史が、疾患関連の遺伝子局在化への固有の洞察を提供する、と明らかになりました。広範なゲノム規模配列決定と混合モデル化は、複数の祖先供給源がどのように、中国のウイグル人の遺伝的構成に寄与してきただけではなく、そのゲノムと表現型の多様性における顕著な進化的変化も促進してきたのか、浮き彫りにしました。さらに、テュルク諸語話者とフェイ人(Hui、回族)の多解析では、混合は、とくに免疫および代謝と関連する遺伝子において、祖先系統固有の発現特性に大きな影響を及ぼした、と論証されました。一般的に、天山山脈地域全体の包括的研究では、多様な祖先からの流入がテュルク諸語話者の遺伝子プールと発現特性を顕著に形成してきた、と示されてきました。これらの研究から得られた洞察は、アジア中央部人におけるゲノムおよび表現の多様性や発現特性や複雑な形質および疾患の遺伝的構造への将来の研究にとって、広範な示唆を有しています。


●結論と展望

 アジア南部とシベリアの間の重要な連およびユーラシアの東西にまたがる架け橋として、アジア中央部草原地帯は、古代と現代の人口集団の豊富な多様性のため、研究者を長く惹きつけてきました。多様な古代の個体群と異なる民族言語的背景の現代人集団から得られたゲノム研究は、この地域内の複雑な歴史とゲノム多様性に光を当ててきました。アジア中央部の過去の複雑な糸をさらに解明するためには、古代DNAのより密な標本抽出の実行が肝要です。この手法は、経時的に不明瞭になった歴史的な窓の再構築だけではなく、古代の社会構造および系統パターンへの洞察の提供にも役立つでしょう。さらに、生物医学および遺伝学的研究に向けられた現代人のゲノムデータセットは、アジア中央部人の健康と疾患の遺伝学的実証の解明でも有望です。配列決定技術の継続的な進歩は、この地域のゲノム研究の能力を大きく高める、と期待されます。

 高品質のゲノムデータの利用可能性増加につれて、ゲノム研究の将来は健康の公平性促進にとって大きな可能性を有しています。ゲノムにおける健康の公平性には、ヒトゲノム研究のすべての側面における人口集団や社会的背景や環境の考慮が含まれます。この分野における不公平性に取り組むには、研究基盤の強化や包括的なゲノム研究の設計と実行やゲノムの利益の公平な分配の確保を含めて、かなりの努力が必要でしょう。堅牢な研究基盤の構築には、確立された研究期間や社会基盤の活用、多様な専門家からの提言の取り入れ、方針の策定、協力の形成、戦略的な資金配分、健康格差の経験の活用が含まれます(図3A)。以下は本論文の図3です。
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 その後、ゲノム研究は包括性と適切性を慎重に考慮して、設計および実行されねばなりません(図3B)。さらに、ゲノム研究の利益がさまざまな分野に適用され、すべての人口集団にとって利用可能であるよう、保証することが不可欠です(図3C)。基本的な社会基盤を強化し、持続可能な戦略を実行することによって、これらの試みは、ヒトの健康と疾患の遺伝的基盤のより深い理解への道を開き、究極的には、アジア中央部の生物医学および遺伝学的研究の状況を豊かにすることができます。


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