大河ドラマ『光る君へ』第48回(最終回)「物語の先に」

 ついに最終回を迎え、1年間ずっと楽しんで視聴してきたので、かなりの寂しさがあります。今回は、前回最後からの続きで、藤原道長(三郎)の嫡妻である源倫子が紫式部(まひろ、藤式部)に、いつから道長と関係があったのか、問い質している場面から始まります。倫子は紫式部に、出家した道長の妾となるよう要請し、紫式部は倫子に、道長との出会いからこれまでを正直に話します。倫子は、道長が若き日から自分でも源明子でもない女性に心を寄せていることを知っていましたが、それが紫式部であることには今回初めて確信したようです。倫子は、自分も娘の彰子も紫式部にもてあそばれたかのような屈辱を感じつつも、紫式部に死ぬまで黙っているよう命じますが、さすがに動揺を隠せない様子でした。

 道長が重病となったことを紫式部に伝えたのは藤原隆家で、紫式部がその身を案じていると、倫子が病床の道長に会うよう、依頼してきます。自分の力では道長をこの世に引き留めておくことはできないので、道長にとって最愛の人にその役目を頼んだのでしょう。倫子は紫式部に対して複雑な感情を抱きつつも、器量の大きなところを見せており、ここは序盤から変わりません。紫式部と道長の二人だけのやり取りはかなり長く描かれ、この二人の関係が本作の主軸であることを改めて示しています。光る君の最期を描かなかったのは、幻がいつまでも続くよう願ったからだ、と真意を明かす紫式部に、道長は、紫式部が新たに物語を書けば生きる気力が湧いてくる、と言って、紫式部は小間切れに三郎の話を道長に語ります。しかし、ついに道長は生きる気力を失い、それでも紫式部は新たな物語を続けようとしますが、ついに寿命が尽き、それに最初に気づいたのは倫子でした。道長を長年支え続けた藤原行成も同日に没し、藤原実資はそれを日記に書きつつ、落涙します。

 賢子(大弐三位)は親仁親王(後冷泉帝)の乳母に任じられるなど、道長や彰子(上東門院)に重用されており、親しくしている公卿も複数いるようですが、藤原道兼の息子の兼隆との結婚は描かれませんでした。道兼が紫式部の母親を直接的に殺害した、との創作が初回に描かれたので、ここは終盤の見どころの一つになると予想していたため、やや意外でした。紫式部は自分の和歌集を賢子に託し、これが『紫式部集』となるようです。『更級日記』の作者である菅原孝標の娘(ちぐさ)も登場し、紫式部の前で、作者とは知らずに『源氏物語』の自己解釈を語り、光る君とは女性を照らす光だった、と論じます。清少納言(ききょう)も紫式部を訪ね、互いに文章で一条帝に、つまり政治に影響を及ぼした、と誇り合います。清少納言は、一時期のような毒気が抜けており、紫式部と昔のように親しく語り合っていました。紫式部と清少納言の関係がどう描かれるのかは、清少納言が登場した序盤から気になっており、一時は紫式部が清少納言に失望したこともありましたが、最後には友情が回復したようです。

 道長の死後、紫式部は長年自分に仕えてきた乙丸とともに旅に出て、双寿丸と遭遇します。双寿丸から、東国で戦いが始まり、朝廷の討伐軍に加わる、と聞いた紫式部が、嵐が来る、と今は亡き道長に語りかけたところで、本作は完結となります。最終回は、彰子が道長と倫子の家系のみが外戚であり続け、権力の中枢にあり続けることを宣言したり、菅原孝標の娘が登場したりと、道長死後の歴史的展開を示唆する内容になっていましたが、それを一番強く示唆したのが最後の場面で、おそらく双寿丸は平忠常の乱の平定に向かったのでしょう。ただ、最初の追討は乱の平定に失敗し、源頼信が追討使に任じられて乱を平定し、河内源氏隆盛の基礎を築きます。「武者の世」の到来を意識した描写だったのでしょうが、正直なところ蛇足だったようにも思います。まあ、本作では刀伊の入寇も本格的に描かれたので、蛇足とまでは言えないかもしれませんが、最後がこの場面なのは、紫式部と道長の関係が初回から最終回まで主軸となっていただけに、違和感もありました。違和感と言えば、彰子が道長と倫子の家系で権勢を独占し続けるかのような宣言をしたのも、やや唐突な感がありました。道長の死後、彰子が摂関家(まだ形成途上と言えるでしょうが)の実質的な「家長」になっていたことを考えれば、不思議のない発言とも考えられますが、彰子も清らかな人物として描かれてきたので、実質的な「家長」としての責任感を自覚するところなどの描写が足りなかったように思います。不満も残りましたが、なかなか楽しめた最終回でした。

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