タジキスタンの旧石器時代遺跡
タジキスタンで新たに発見された旧石器時代遺跡を報告した研究(Zaidner, and Kurbanov., 2024)が公表されました。本論文は、タジキスタン北部のゼラフシャン(Zeravshan)川流域で新たに発見された、ソイイ・ハヴザク(Soii Havzak)岩陰遺跡について報告しています。ソイイ・ハヴザク遺跡は、中部旧石器時代と上部旧石器時代の連続した層序が確認されている点で、アジア中央部において希少な遺跡です。タジキスタンではネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と推測される遺骸も発見されており(関連記事)、ソイイ・ハヴザク遺跡は、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)、さらには存在したかもしれない種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との関係を検証するうえで重要な役割を果たすのではないか、と期待されます。
●要約
アジア中央部において中部旧石器時代と上部旧石器時代の層状遺跡は稀です。タジキスタン北部のゼラフシャン渓谷で最近発見されたソイイ・ハヴザク岩陰は層状遺跡で、石器と動物相および炭遺骸の豊富な旧石器時代の居住のいくつかの段階が含まれ、この地域の年代確定に役立ちます。
●背景
パミール高原と天山山脈の北西部を流れるゼラフシャン川は、アジア中央部の主要な河川の一つです(図1)。古人類学的観点からは、ゼラフシャン渓谷はIAMC(Inner Asian Mountain Corridor、内陸アジア山地回廊)の一部です。IAMCは気候変動期に人類集団にとっての退避地を提供し、旧石器時代には主要な移住経路として機能しました。そうした移住は、ともにウズベキスタンにある、ゼラフシャン渓谷の南西約130kmに位置するテシク・タシュ(Teshik-Tash)遺跡や、オビ・ラハマート(Obi-Rahmat)遺跡のネアンデルタール人遺骸によって証明されています。IAMCの北部はアルタイ山脈で、中部旧石器時代にはデニソワ人集団とネアンデルタール人集団の両方が存在していました。ウズベキスタンとアルタイ山脈における初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)の存在から、現生人類もこの地域に居住していた可能性が示唆され、IAMCは旧石器時代における3系統のヒトのメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)が遭遇し、相互作用したかもしれない場所となります。以下は本論文の図1です。
IAMCにおいて層状の旧石器時代遺跡は稀で、遠く離れており、技術的に多様です。この多様性が小さな標本規模のためなのか、あるいは実際の減少だったのかについては、この地域の旧石器時代のさらなる研究が必要です。2022年に、パンジャケント(Panjakent)市周辺のゼラフシャン渓谷の東部で調査が開始されました。この野外調査において、ゼラフシャン川のいくつかの支流が調べられました。2ヶ所の層状遺跡が発見され、それはオビ・ボリク(Obi Borik)とソイイ・ハヴザクです(図1)。ソイイ・ハヴザク岩陰は2023年の発掘期間に発見されました。本論文は、この発掘結果を提示します。
●ソイイ・ハヴザク遺跡
ソイイ・ハヴザクはパンジャケントの北方約10kmに位置する、ゼラフシャン川の小さな支流です(図2)。以下は本論文の図2です。
ソイイ・ハヴザク遺跡は、川から約40m上の崖面へと刻まれた岩陰/張り出しです(海抜1165m、図3A・C)。張り出しの下に蓄積された堆積物は、川の下流の段丘へと向かう、岩の破片および黄土と人為的物質で構成される広範な崖錐を形成しました。斜面での石器発見後に、3ヶ所の試掘坑が発掘されました(図3A・B)。以下は本論文の図3です。
●方法論と結果
試掘坑Iは堆積層の最上部に位置し、深さ1.2mまで発掘され、いくつかの原位置の考古学的層が発見されました(図3Dおよび図4A)。燧石と変成岩(おもにシルル紀の粘板岩である堆積岩)と石英と数百点の骨(重さは2792g)で製作された、合計で277点の人工遺物が回収されました。最上部の考古学的層2~4は、炭遺骸の豊富な密な堆積物で構成されており(図4B)、骨器と石器が含まれています。以下は本論文の図4です。
石器群は小さな剥片と微細破片と断片から構成されており、その一部は再研磨と小石刃の石核の調整を表しています(図5D)。小石刃(図5F)とわずかに再加工された剥片が、第2~4層で発見されました。石器群の組成から、これらの層は中部旧石器時代もしくは上部旧石器時代後期の居住を表している、と示唆されます。以下は本論文の図5です。
次の居住段階は、より下部の第8層と第9層によって表されます。第9層は灰で構成されており、骨と人工遺物が含まれます(図3C、図4C・D、図5A・B・C・E・I)。第10層は同じ居住を表している可能性が高そうではあるものの、攪乱されています。この石器群には剥片と未調整打撃台のある石刃が含まれます。いくつかの石刃石核調整の要素が発見されました。多数の剥片と断片は、その場での打撃を示唆しており、炭や灰や焼けた燧石は火の使用を示唆しています。石器群はいくつかの再加工された剥片や石刃や彫器も含んでいます。この石器群の特徴は上部旧石器時代を示唆しています。発見物の密度によると、この居住は第2~4層よりもずっと集中的でした(図6)。以下は本論文の図6です。
試掘坑IIおよびIIIでは、岩の破片や黄土や再加工された黄土でおもに構成された層でそれぞれ、149点と50点の人工遺物が発見されました。これらの人工遺物は新しく、巻き上げられておらず、緑青で覆われていません。これらの人工遺物群から、小石刃と石刃両方の製作がソイイ・ハヴザク遺跡では採用されていた、と確証されます(図5J~M)。さらに、表面の発見物と合わせると、人工遺物群から、ソイイ・ハヴザク遺跡には居住のより早い段階が存在したかもしれない、と示唆されます。これらの調査結果には、打面とルヴァロワ(Levallois)製作物と円盤状で階層的な表面石核のある細長い断片がいくつか含まれており(図5 H・J・K・Nおよび図4E)、中部旧石器時代および/もしくはIUPを示唆しています。したがって、ソイイ・ハヴザク岩陰には、少なくとも3期の居住段階が含まれており、2期は試掘坑Iで見つかった上部旧石器時代段階で、1期は表面と試掘坑IIおよび試掘坑IIIの収集物から明らかなそれ以前の居住段階です。
●まとめ
ソ連の考古学者は1930年代にアジア中央部において体系的な旧石器時代研究を開始しましたが、この地域は依然として相対的には調査されていません中部旧石器時代は、ウズベキスタンとタジキスタンのいくつかの遺跡で知られていますが、あまり年代測定されていません。一部の石器群、つまりすべてウズベキスタンに位置するテシク・タシュ遺跡とクトゥルブラク(Kuturbulak)遺跡とアンヒラク(Anghilak)遺跡の石器群は、ルヴァロワ技法と円盤状技術の使用を記録しています。これら剥片指向のルヴァロワおよび円盤状石器群は、単一の「技術複合体」としてまとめられることが多かった一方で、オビ・ラハマート遺跡とフゥジ(Khudji、Худжи)遺跡などにおけるルヴァロワ収束単方向手法石刃指向の石器群は、を表している、アジア中央部の中部旧石器時代の別の異型を表している、と考えられてきました。これらの異型が表しているのは、年代・層序段階なのか、それとも行動の変異性なのかは、まだ不明確です。この地域における上部旧石器時代の存在は、ひじょうに稀です。この地域の2ヶ所の主要な遺跡、つまりウズベキスタンのサマルカンドスカヤ(Samarkandskaya)とタジキスタンのシュグノウ(Shugnou)遺跡は、小石刃の優占するインダストリーで、竜骨型の破片が存在します。
ゼラフシャン渓谷の遺跡群における将来の発掘は、IAMCにおける中部旧石器時代および上部旧石器時代のヒトの居住の年代と特徴に関する問題に取り組むでしょう。具体的には、アジア中央部におけるひじょうに稀な多層の層状旧石器時代遺跡であるソイイ・ハヴザク岩陰は、この地域の旧石器時代の多様性に関するモデルの検証について、独特な事例を提供します。ソイイ・ハヴザク遺跡における継続中および将来の研究には、石器群および動物遺骸群と放射性年代測定の詳細な調査が伴うでしょう。
参考文献:
Zaidner Y, and Kurbanov S.(2024): Soii Havzak: a new Palaeolithic sequence in Zeravshan Valley, central Tajikistan. Antiquity, 98, 402, e31.
https://doi.org/10.15184/aqy.2024.149
●要約
アジア中央部において中部旧石器時代と上部旧石器時代の層状遺跡は稀です。タジキスタン北部のゼラフシャン渓谷で最近発見されたソイイ・ハヴザク岩陰は層状遺跡で、石器と動物相および炭遺骸の豊富な旧石器時代の居住のいくつかの段階が含まれ、この地域の年代確定に役立ちます。
●背景
パミール高原と天山山脈の北西部を流れるゼラフシャン川は、アジア中央部の主要な河川の一つです(図1)。古人類学的観点からは、ゼラフシャン渓谷はIAMC(Inner Asian Mountain Corridor、内陸アジア山地回廊)の一部です。IAMCは気候変動期に人類集団にとっての退避地を提供し、旧石器時代には主要な移住経路として機能しました。そうした移住は、ともにウズベキスタンにある、ゼラフシャン渓谷の南西約130kmに位置するテシク・タシュ(Teshik-Tash)遺跡や、オビ・ラハマート(Obi-Rahmat)遺跡のネアンデルタール人遺骸によって証明されています。IAMCの北部はアルタイ山脈で、中部旧石器時代にはデニソワ人集団とネアンデルタール人集団の両方が存在していました。ウズベキスタンとアルタイ山脈における初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)の存在から、現生人類もこの地域に居住していた可能性が示唆され、IAMCは旧石器時代における3系統のヒトのメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)が遭遇し、相互作用したかもしれない場所となります。以下は本論文の図1です。
IAMCにおいて層状の旧石器時代遺跡は稀で、遠く離れており、技術的に多様です。この多様性が小さな標本規模のためなのか、あるいは実際の減少だったのかについては、この地域の旧石器時代のさらなる研究が必要です。2022年に、パンジャケント(Panjakent)市周辺のゼラフシャン渓谷の東部で調査が開始されました。この野外調査において、ゼラフシャン川のいくつかの支流が調べられました。2ヶ所の層状遺跡が発見され、それはオビ・ボリク(Obi Borik)とソイイ・ハヴザクです(図1)。ソイイ・ハヴザク岩陰は2023年の発掘期間に発見されました。本論文は、この発掘結果を提示します。
●ソイイ・ハヴザク遺跡
ソイイ・ハヴザクはパンジャケントの北方約10kmに位置する、ゼラフシャン川の小さな支流です(図2)。以下は本論文の図2です。
ソイイ・ハヴザク遺跡は、川から約40m上の崖面へと刻まれた岩陰/張り出しです(海抜1165m、図3A・C)。張り出しの下に蓄積された堆積物は、川の下流の段丘へと向かう、岩の破片および黄土と人為的物質で構成される広範な崖錐を形成しました。斜面での石器発見後に、3ヶ所の試掘坑が発掘されました(図3A・B)。以下は本論文の図3です。
●方法論と結果
試掘坑Iは堆積層の最上部に位置し、深さ1.2mまで発掘され、いくつかの原位置の考古学的層が発見されました(図3Dおよび図4A)。燧石と変成岩(おもにシルル紀の粘板岩である堆積岩)と石英と数百点の骨(重さは2792g)で製作された、合計で277点の人工遺物が回収されました。最上部の考古学的層2~4は、炭遺骸の豊富な密な堆積物で構成されており(図4B)、骨器と石器が含まれています。以下は本論文の図4です。
石器群は小さな剥片と微細破片と断片から構成されており、その一部は再研磨と小石刃の石核の調整を表しています(図5D)。小石刃(図5F)とわずかに再加工された剥片が、第2~4層で発見されました。石器群の組成から、これらの層は中部旧石器時代もしくは上部旧石器時代後期の居住を表している、と示唆されます。以下は本論文の図5です。
次の居住段階は、より下部の第8層と第9層によって表されます。第9層は灰で構成されており、骨と人工遺物が含まれます(図3C、図4C・D、図5A・B・C・E・I)。第10層は同じ居住を表している可能性が高そうではあるものの、攪乱されています。この石器群には剥片と未調整打撃台のある石刃が含まれます。いくつかの石刃石核調整の要素が発見されました。多数の剥片と断片は、その場での打撃を示唆しており、炭や灰や焼けた燧石は火の使用を示唆しています。石器群はいくつかの再加工された剥片や石刃や彫器も含んでいます。この石器群の特徴は上部旧石器時代を示唆しています。発見物の密度によると、この居住は第2~4層よりもずっと集中的でした(図6)。以下は本論文の図6です。
試掘坑IIおよびIIIでは、岩の破片や黄土や再加工された黄土でおもに構成された層でそれぞれ、149点と50点の人工遺物が発見されました。これらの人工遺物は新しく、巻き上げられておらず、緑青で覆われていません。これらの人工遺物群から、小石刃と石刃両方の製作がソイイ・ハヴザク遺跡では採用されていた、と確証されます(図5J~M)。さらに、表面の発見物と合わせると、人工遺物群から、ソイイ・ハヴザク遺跡には居住のより早い段階が存在したかもしれない、と示唆されます。これらの調査結果には、打面とルヴァロワ(Levallois)製作物と円盤状で階層的な表面石核のある細長い断片がいくつか含まれており(図5 H・J・K・Nおよび図4E)、中部旧石器時代および/もしくはIUPを示唆しています。したがって、ソイイ・ハヴザク岩陰には、少なくとも3期の居住段階が含まれており、2期は試掘坑Iで見つかった上部旧石器時代段階で、1期は表面と試掘坑IIおよび試掘坑IIIの収集物から明らかなそれ以前の居住段階です。
●まとめ
ソ連の考古学者は1930年代にアジア中央部において体系的な旧石器時代研究を開始しましたが、この地域は依然として相対的には調査されていません中部旧石器時代は、ウズベキスタンとタジキスタンのいくつかの遺跡で知られていますが、あまり年代測定されていません。一部の石器群、つまりすべてウズベキスタンに位置するテシク・タシュ遺跡とクトゥルブラク(Kuturbulak)遺跡とアンヒラク(Anghilak)遺跡の石器群は、ルヴァロワ技法と円盤状技術の使用を記録しています。これら剥片指向のルヴァロワおよび円盤状石器群は、単一の「技術複合体」としてまとめられることが多かった一方で、オビ・ラハマート遺跡とフゥジ(Khudji、Худжи)遺跡などにおけるルヴァロワ収束単方向手法石刃指向の石器群は、を表している、アジア中央部の中部旧石器時代の別の異型を表している、と考えられてきました。これらの異型が表しているのは、年代・層序段階なのか、それとも行動の変異性なのかは、まだ不明確です。この地域における上部旧石器時代の存在は、ひじょうに稀です。この地域の2ヶ所の主要な遺跡、つまりウズベキスタンのサマルカンドスカヤ(Samarkandskaya)とタジキスタンのシュグノウ(Shugnou)遺跡は、小石刃の優占するインダストリーで、竜骨型の破片が存在します。
ゼラフシャン渓谷の遺跡群における将来の発掘は、IAMCにおける中部旧石器時代および上部旧石器時代のヒトの居住の年代と特徴に関する問題に取り組むでしょう。具体的には、アジア中央部におけるひじょうに稀な多層の層状旧石器時代遺跡であるソイイ・ハヴザク岩陰は、この地域の旧石器時代の多様性に関するモデルの検証について、独特な事例を提供します。ソイイ・ハヴザク遺跡における継続中および将来の研究には、石器群および動物遺骸群と放射性年代測定の詳細な調査が伴うでしょう。
参考文献:
Zaidner Y, and Kurbanov S.(2024): Soii Havzak: a new Palaeolithic sequence in Zeravshan Valley, central Tajikistan. Antiquity, 98, 402, e31.
https://doi.org/10.15184/aqy.2024.149
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