コーカサスの中石器時代~青銅器時代の人口史
古代ゲノムデータに基づくコーカサスの中石器時代~青銅器時代の人口史に関する研究(Ghalichi et al., 2024)が公表されました。本論文は、中石器時代~青銅器時代にかけてのコーカサスの人口史を、新たに提示される古代人100個体以上のゲノムデータや、既知の古代人および現代人のゲノムデータから検証しています。この期間のコーカサスにおいて重要となる遺伝的構成要素はおもに、コーカサス狩猟採集民(Caucasus hunter-gatherer、略してCHG)とヨーロッパ東部狩猟採集民(Eastern European hunter-gatherers、略してEHG)とアナトリア半島東部新石器時代農耕民に由来します。これらの混合で形成された遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、後にヨーロッパ西部狩猟採集民(Western hunter-gatherer、略してWHG)とアナトリア半島新石器時代農耕民の祖先系統の混合でおもに構成されていたヨーロッパ西部の新石器時代人口集団の遺伝的構成にも、大きな影響を及ぼすことになります。
コーカサスでは中石器時代において、山脈の南北地の人口集団で強い遺伝的分化が見られ、北側ではEHG的祖先系統、南側ではアナトリア半島東部農耕民との混合の増加した別のCHG的祖先系統が示されました。その後の金石併用時代には、特徴的なユーラシア西部草原地帯祖先系統の形成、および山岳地域と草原地域との間の相互作用の強化が観察されこれらはマイコープ(Maykop)文化複合体の技術的発展によって促進されました。その後の前期青銅器時代および中期青銅器時代における牧畜民の活動と領域拡大の最盛期は、長期の遺伝的安定性が特徴です。その後、後期青銅器時代には、複数の異なる人口集団からの遺伝子流動が示され、これは草原地帯文化の衰退と一致し、草原地帯祖先系統はコーカサスの高地人口集団へと変容し、吸収されました。
本論文は、外れ値(outlier、略してo)個体も考慮しつつ、こうした中石器時代~青銅器時代にかけてのコーカサス地域における人口集団の遺伝的構成の変容を、ダルクベティ・メショコ(Darkveti-Meshoko)文化やマイコープ文化やククテニ・トリピリャ文化(Cucuteni-Trypillia Culture、略してCTC)複合体や球状アンフォラ(両取って付き壺)文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)や地下墓地文化(Catacomb Culture)やクラ・アラス(Kura–Araxes)文化など、具体的な文化との関連でも検証しています。コーカサスは、遊動的な牧畜文化、さらにはインド・ヨーロッパ語族のユーラシア規模での拡散において重要な役割を果たしたと考えられる点でもたいへん注目される地域で、今後の研究の進展が期待されます。
なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。時代区分の略称は、中石器時代(Mesolithic、略してM)、新石器時代(Neolithic、略してN)、後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)、先土器新石器時代(Pre-Pottery Neolithic、略してPPN)、先土器新石器時代A(Pre-Pottery Neolithic A、略してPPNA)、先土器新石器時代B(Pre-Pottery Neolithic B、略してPPNB)、銅器時代(Copper Age、略してC)、金石併用時代(Eneolithic、略してEL)、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、前期青銅器時代(Early Bronze Age、略してEBA)、中期青銅器時代(Middle Bronze Age、略してMBA)、後期青銅器時代(Late Bronze Age、略してLBA)です。
●要約
豊富な金属資源があるコーカサスおよびその周辺地域は青銅器時代の坩堝、および最初期の草原地帯牧畜民社会の発祥地になりました。しかし、この地域がその後のヨーロッパおよびアジアの発展に大きな影響を及ぼしたにも関わらず、その狩猟採集民の過去や、拡大的な遊動型草原地帯社会の形成に関しては、まだ疑問が残っています[3~5]。本論文は、6000年間にわたる38ヶ所の考古学的遺跡から得られた131個体について、新たなゲノム規模データを提示します。中石器時代のコーカサス山脈の南北の人口集団間では強い遺伝的分化が見つかり、北側ではEHG的祖先系統[4、6]、南側ではアナトリア半島東部農耕民との混合が増加している、別のCHG的祖先系統[7]がありました。
その後の金石併用時代には、特徴的なユーラシア西部草原地帯祖先系統の形成、およびマイコープ文化複合体の技術的発展によって促進された、山岳地域と草原地域との間の相互作用の強化が観察されます。対照的に、EBAおよびMBAにおける牧畜民の活動と領域拡大の最盛期は、長期の遺伝的安定性によって特徴づけられます。LBAには複数の異なる供給源からの遺伝子流動の別の期間を示しており、これは草原地帯文化の衰退と一致し、その後で草原地帯祖先系統は高地人口集団へと変容して吸収されました。
●研究史
コーカサスおよびその周辺地域は、ヨーロッパとアジアの境界に位置しています。大コーカサス山脈は中期完新世まで、着想や技術や言語や人々が移動した、半透性の障壁として機能しました。地形的に複雑な南コーカサスの多様な気候帯は高水準の生物多様性を支えましたが、北コーカサスの山岳高地と丘陵山麓地帯は、ユーラシア西部草原地帯の平坦で開けた草原へと移行しました。多様な生態系と豊富な金属資源のあるコーカサス地域は紀元前四千年紀において、青銅器時代の坩堝および最初期の草原地帯牧畜民社会の発祥地となりました。その後の2000年間にわたるこれら草原地帯牧畜民集団の大陸規模の拡大は最終的に、ユーラシアの大半の遺伝的構成と言語と文化的軌跡をつくりかえました[11]。しかし、在来の狩猟採集民集団からの出現と、肥沃な三日月地帯における初期農耕共同体とのつながりについて、理解は乏しいままで、同様に紀元前二千年紀における最終的な消滅も依然として理解されていません。
●遺伝的構造
本論文は、山麓地帯と草原地帯を含めてコーカサス全域およびその周辺地域の、38ヶ所の考古学的遺跡から発見された131個体の新たなゲノム規模データと、84点の新たな放射性炭素年代を報告し、利用可能なゲノムデータを3倍にします(図1)。遺伝的な時間横断区は約6000年間にまたがり、その範囲は、中石器時代および新石器時代(紀元前七千年紀および紀元前六千年紀、7個体)、金石併用時代(紀元前五千年紀、11個体)、LNおよびEBA(紀元前四千年紀、20個体)、EBAおよびMBA(紀元前三千年紀、51個体)から、最終MBAおよびLBA(紀元前二千年紀、42個体)までとなります。品質基準を満たさなかった26個体は除外されました。集団遺伝学的分析の最終データセットには、刊行されている古代および現代の個体群と組み合わされた、親族関係にない102個体が含まれました。以下は本論文の図1です。
まず、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTURE分析が実行され、古代の個体群の遺伝的類似性が定性的に評価されました。草原地帯集団と山岳地帯集団の間で遺伝的分化が実証され[5]、以後は草原地帯クラスタ(まとまり)およびコーカサスクラスタと呼ばれ、祖先系統の形成と存続が説明されます。これには、まずポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)、その後でユーラシアの草原地帯全体で牧畜の確立と拡大を生じた、生物学的および文化的相互作用の動的な段階を反映している、混合した中間的集団が含まれます(図1)。最後に、LBAにおいて、主要なBA祖先系統クラスタの溶解と、北コーカサス地域の(複数の)人類集団で現在見られる祖先系統の形成が観察されます。
●中石器時代~新石器時代への移行
本論文で最古級の個体は、ロシアのサタナージュ(Satanaj)洞窟(SJG001、紀元前6221~紀元前6082年頃)と、ジョージア(グルジア)のアルヘロ(Arukhlo)の新石器時代遺跡(4個体、紀元前5885~紀元前5476年頃)に由来します(図1)。SJG001はコーカサスへの近東新石器時代の到来に先行し、個体群が異なる遺伝的祖先系統特性を有する[7]南コーカサスのCHG遺跡群と地理的には近い(約50km)にも関わらず、主成分(PC)空間ではEHGと重なります(図2a)。SJG001とロシア北西部のカレリア(Karelia)共和国で発見されたEHG個体群は、CHG個体群および他の検証対象の人口集団に対してクレード(単系統群)を形成します。qpAdmでの形式的な祖先系統モデル化を用いて、カレリア_EHGもしくはロシア西部のサマラ(Samara)のシデルキノ(Sidelkino)遺跡の個体(シデルキノ_EHG)的な祖先系統のいずれかでSJG001は上手くモデル化できました(図2c)。以下は本論文の図2です。
対照的に、アルヘロ遺跡の新石器時代4個体(ARO、AO2、ジョージア_N)はアルメニア_Nおよびアゼルバイジャン_LNとともに、CHGとチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡などアナトリア半島中央部新石器時代個体群との間で遺伝的勾配を形成し、アナトリア半島中央部新石器時代個体群自体[14~16]は、アナトリア半島祖先系統とレヴァント祖先系統の間の勾配に収まります(図2a)。そこで、遠位祖先系統供給源としてアナトリア_PPNとレヴァント_PPNとCHG-イラン_Nを用いて、この地域の全新石器時代集団がモデル化され(図2c)、ジョージア_Nとアナシェン(Aknashen)文化集団(アルメニア_アナシェン_N)が最高の割合のCHG的祖先系統を有しているのに対して、アルメニアのマシス・ブルール(Masis Blur)遺跡個体(アルメニア_マシスブルール_N)とアゼルバイジャン_LNはより多くのレヴァント_PPN関連祖先系統を有している、と分かりました。しかし、アナトリア半島もしくはレヴァントの新石器時代集団とCHGとの間の2方向混合モデルも検証され、ジョージア_NはCHGとチャタルヒュユク_Nもしくはアナトリア半島のテル・クルドゥ(Tell Kurdu)遺跡個体群との間の2方向混合としてモデル化できるものの、アナトリア半島中央部のPPN集団やレヴァントやメソポタミアもしくはアナトリア半島北西部の新石器時代個体群ではきモデル化できない、と分かりました。
●金石併用時代
金石併用時代(紀元前4900/4700~紀元前3900年頃)には、定住型の近東新石器時代生活様式がダルクベティ・メショコ文化(紀元前4500~紀元前4000年頃)と関連して、コーカサス山脈の北側面にもたらされました[5]。その後、さらに北方の草原地帯には、ヴォルガ川下流の金石併用時代(EL)フヴァリンスク(Khvalynsk)文化の過渡的な採食民・牧畜集団が居住しました。新たな8個体のゲノム規模データの追加によって、北コーカサス草原地帯における金石併用時代集団の形成を説明できるようになります。南方のCHG的祖先系統とのEHG的祖先系統の漸進的な混合から生じた、草原地帯祖先系統の最古級の形成が観察されます。刊行されている金石併用時代およびフヴァリンスク文化個体群[5、18]とともに、新たに報告された草原地帯_EL個体群はPC空間においてEHGとCHGとの間で遺伝的勾配を形成します(図2a)。f₄統計では、北コーカサスの草原地帯_EL個体群はフヴァリンスク文化個体群よりもCHGとの高い類似性を有しており、55%のCHG的祖先系統と45%のEHG的祖先系統としてモデル化できる、と示されます。
したがって、PCAとADMIXTUREに基づいての二つの異なる遺伝的クラスタの出現、EHG-CHG勾配に沿っての草原地帯クラスタ、アナトリア半島新石器時代集団からCHG-イラン_Nとの勾配上で山岳地帯へと向かうコーカサスクラスタ[5]が確証されます(図2a)。新たなジョージア_Nのデータを用いて、本論文でジョージア_N (51±6%)祖先系統とCHG(49±6%)祖先系統の2方向混合としてモデル化される、北コーカサス(North Caucasus、略してNC)の農耕牧畜のダルクベティ・メショコ文化のコーカサス_EL個体群が再評価されます(図2c)。
ナリチク(Nalchik)遺跡(Zhur et al., 2024)の個体群(紀元前4531~紀元前4359年頃のNCK001と紀元前4930~紀元前4686年頃のNCK002)はEL_中間と分類表示され、PCAでは草原地帯集団とコーカサス集団の間に収まり、これらの集団間の遺伝子流動が示唆されます。じっさい、ADMIXTUREとf₄統計では、ナリチク個体群はコーカサス祖先系統を有しているものの、EHG的祖先系統も有している、と示されます(図2d)。これが意味するのは、EHGとCHGの勾配およびコーカサス祖先系統[16]は、ナリチク個体群の祖先が遭遇した時点までにすでに形成されていたに違いないことです。さらに、この混合の時間枠は紀元前五千年紀初期に限定され、紀元前四千年紀に強化された相互作用の軸が予測されます。DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)を用いて、両クラスタの集団の混合年代が推定され、アナトリア半島新石器時代からCHG-イラン_Nへの勾配は以前の推定値[16]と一致して紀元前6300~紀元前6000年頃に形成され、EHGとCHGの勾配は紀元前5800~紀元前5300年頃に形成されたた、と分かりました。注目すべきことに、最西端の遺跡の個体KHB003(紀元前4318~紀元前4057年頃)はWHGおよびアナトリア半島新石器時代的祖先系統とのより高い遺伝的類似性を有しており、CHGとウクライナ_Nとの間の2方向混合としてモデル化できます(図2d)。
●後期金石併用時代およびEBA
紀元前四千年紀は動的な人口集団の相互作用と文化的移行の期間を表しており、それはマイコープ伝統と関連する物質文化で視覚化されています。本論文で新たに20個体が追加された後期EL(金石併用時代)およびEBAの埋葬文化個体群では、三つの以前に定義された遺伝的集団[5]が確証され、それは、マイコープ_主要と草原地帯_マイコープと草原地帯_マイコープ_o1ですが、新たに3集団とも特定され、それは、後期_草原地帯_ELと後期_草原地帯_EL_oと草原地帯_マイコープ_o2です。マイコープ_主要個体群の遺伝的特性はさらに3下位群に区別でき、それは、マイコープと後期_マイコープとマイコープ文化のノヴォスヴォボドナヤ(Novosvobodnaya)形関連個体(マイコープ_ノヴォスヴォボドナヤ)です[5]。
後期_草原地帯_ELと分類表示された個体KST001およびNV3003(紀元前3781~紀元前3652年頃)は、EHGとCHGの勾配上に位置します(図2a・b)。しかし、後期_草原地帯_ELの、草原地帯_ELの場合よりもEHGと有意に高い類似性が見つかったものの、qpAdmはSJG001的な祖先系統52%とCHG祖先系統48%で類似の祖先系統特性を明らかにしています(図2d)。個体ZO1002およびZO1004(紀元前3953~紀元前3713年頃)はPCAとADMIXTUREではコーカサスクラスタの方へと動いており(図2b)、後期_草原地帯_EL個体群と比較してEHG関連祖先系統は少ないので、後期_草原地帯_EL_oと分類表示されます。近位供給源を用いて、両者はコーカサス_EL(55±6.4%)と草原地帯_EL (45±6.4%)の2方向混合としてモデル化できます(図2d)。ナリチク遺跡個体および草原地帯_マイコープ_o1とともに、これは草原地帯とコーカサス山麓に居住するEL集団間の遺伝子流動を反映しています(図1b)。
マイコープ関連個体群は密な第三のコーカサスのマイコープ_主要クラスタを形成しており、このクラスタは先行するコーカサス_ELと類似していて、これらの集団間の遺伝的連続性が示唆されます。先行するコーカサス_ELとアルメニア_C(銅器時代)の間の2方向混合モデルは統計的裏づけを書いていますが(P < 0.05)、第三の供給源としてのイラン_C集団の追加では、マイコープ_主要個体すべてで充分に適切なモデルが得られました(図2d)。後期_マイコープ個体群は、単一の在来の選好する供給源として以前のマイコープ祖先系統でモデル化でき、イラン_C関連の遺伝子流動がマイコープ文化初期に起きたことを示唆しています。
残りの2集団は、シベリア西部狩猟採集民(West Siberian hunter-gatherer、略してWSHG)とコーカサス_EL個体群との間のさまざまな遺伝的勾配に沿って位置しています。ポントス・カスピ海草原の遺跡群から構成される第1集団(個体AY2004とIV3005とKUG001)の年代はマイコープ文化期ですが、遺伝的には草原地帯_ELとアジア中央部のボタイ(Botai)遺跡の個体群とウラル山脈の東側のWSHGの間に位置しており、WSHGはANE(Ancestral North Eurasian、祖型北ユーラシア人)祖先系統が増加しています(図2b)。この集団はマイコープ文化に帰属する考古学的特徴を有しているので、元々は草原地帯_マイコープと記載されました。本論文では、WSHG的祖先系統が最大48%草原地帯_マイコープ個体群に寄与している、と示され、さらに北東の地域からの遺伝子流動が主張されますが、一方で、この構成要素はコーカサスおよび草原地帯クラスタのすべての他の同時代集団に存在しません(図2d)。
最後の集団(6個体、KUG002~005とIV3010とAY2001)は先行する草原地帯_EL集団の空間に収まりますが(図2b)、f₄統計と単一供給源のqpAdmモデルは、先行する草原地帯_EL個体群との直接的な人口連続性を却下します。しかし、この集団の年代はマイコープ文化の遺構と草原地帯_マイコープの相互作用後で、男性4個体のうち3個体は草原地帯_マイコープと北シベリア人口集団においてより一般的に見られるY染色体ハプログループ(YHg)Q1b(M346)なので、草原地帯_マイコープ祖先系統を含む代替モデルが調べられました。この集団はじっさい、草原地帯_マイコープ祖先系統(62±1.6%)とマイコープ_ノヴォスヴォボドナヤ祖先系統(38±1.6%)の2方向混合としてモデル化できるので、草原地帯_マイコープ_o2と分類表示されました。
●EBAからMBA
本論文は、ヤムナヤ(Yamnaya)文化複合体と関連する10個体の新たなゲノム規模データを報告し、この10個体はヤムナヤ_NC(紀元前3300~紀元前2800年頃)と呼ばれます。この10個体はおおむねPC空間では草原地帯集団のEHGとCHGの勾配上に位置し(図3a)、黒海地域とサマラ地域と北コーカサス(NC)地域の刊行されているデータと密なクラスタを形成します。微妙な地理的違いにも関わらず、f₄統計はその密接な遺伝的類似性を確証します。ヤムナヤ文化の牧畜民と農耕集団との間の接触地域を調べた先行研究[5、20、21]に対応して、一連のあり得る2方向qpAdmが検証されました。基準祖先系統としてのさまざまな草原地帯集団とCTC(ククテニ・トリピリャ文化)-GAC(球状アンフォラ文化)もしくはマイコープ_主要個体群を用いると、西ウクライナ_ヤムナヤのみが草原地帯_ELとCTC-GACの2方向混合としてモデル化できるのに対して、これらのモデルはヤムナヤ_NCおよびヤムナヤ_サマラ個体群では却下されます。しかし、第三の供給源としてウクライナ_Nとウクライナ_Mを追加すると、ほぼすべての視野でモデル適合性が改善されました。したがって、在来の代理供給源であるヤムナヤ_NCを草原地帯_ELとマイコープとウクライナ_Nの3方向混合としてモデル化できますが、CTC-GACでの代替の(複数の)供給源としてのモデルも裏づけられます。以下は本論文の図3です。
北コーカサス文化(North Caucasus culture、略してNCC、紀元前2800~紀元前2400年頃、12個体)および地下墓地(Catacomb)文化(紀元前2800~紀元前2400年頃、8個体)と関連するその後のMBA個体群も、PCAではヤムナヤ関連個体群のクラスタ内に収まり、f₄対称性検定はそれらの間の微妙な遺伝的差異を明らかにするだけで、遺伝的連続性が示唆されます。じっさい、地下墓地文化個体群は単一の先行する在来供給源としてヤムナヤ_NCでモデル化できるのに対して、NCC個体群は代わりにウクライナ_ヤムナヤのみでモデル化できます。紀元前三千年紀のすべての草原地帯集団はその混合年代推定値の範囲で重複し、その範囲は紀元前4800~紀元前4000年頃なので、草原地帯関連祖先系統の前期金石併用時代の形成とは異なりますが、草原地帯集団とコーカサスの北側のコーカサス金石併用時代集団の両方の存在および初期の相互作用と一致します。
遺伝的連続性と均質化の同様のパターンは、コーカサスクラスタでも観察されます。ジョージアのクラ・アラス文化と関連する個体群(紀元前3600/3300~紀元前2400年頃、6個体)はPC空間とADMIXTUREではアルメニアおよびダゲスタン(Dagestan)共和国の刊行されているクラ・アラス文化個体群やマイコープ文化個体群の近くに位置し(図2bおよび図3a)、MBAにおけるコーカサス祖先系統の連続性が示唆されますが、さまざまなクラ・アラス文化集団間では異質性があります。マイコープ文化集団を単一供給源として用いると、充分に適合したモデルが得られ、マイコープ_ノヴォスヴォボドナヤがジョージアとアルメニアのクラ・アラス文化個体群個体群にとって最適の供給源で、マイコープ文化個体群がアルメニアのタリン(Talin)遺跡個体の最適な供給源です。対照的に、アルメニアのカプス(Kaps)遺跡もしくはダゲスタンウェリケンチェ(Velikent)遺跡の個体群は、アルメニア_Cかイラン_Cのどちらかもしくはその両方からの追加の祖先系統を必要とします。
イラン_BAの2個体、つまりBOE001(紀元前2861~紀元前2489年頃)とBOE003(紀元前2881~紀元前2623年頃)は、アジア南西部勾配上で近隣の銅器時代のテペ・ヒッサール(Tepe Hissar)遺跡個体群[11]の近くに位置します。f₄統計では、イラン_BAはアナトリア半島の銅器時代集団およびアルメニアのカルヌト(Karnut)遺跡のクラ・アラス文化個体群とより高い遺伝的類似性を有しており、qpAdmを用いての祖先系統モデル化では、イラン_テペヒッサール_Cおよびラ・アラス文化集団との充分に適合したモデルが得られる、と示唆されます。
●終末MBAとLBA
地下墓地文化後の遺構によって表される終末MBA(紀元前2200~紀元前1650年頃)とLBA(紀元前1800~紀元前1200/1000年頃)の段階は、この期間の新たな33個体によって証明されるように、人口集団の相互作用の増加と変容の別の期間を示しています。草原地帯クラスタ個体群によって以前には占められていたPC空間は、今度はほぼ開いており、さまざまな遺伝的祖先系統の4個体(KVO009、KNK006、ESY007、ESY009)のみが、この位置に収まります。草原地帯中央部の他のすべてのクルガン(Kurgan、墳墓、墳丘)被葬者は、南コーカサス人口集団との有意に増加した類似性のため、コーカサスクラスタの方へと動いています。その結果、これら地下墓地文化後の個体群は、先行する地下墓地文化集団(79%)とクラ・アラス文化集団(21%)の混合として上手くモデル化できます(図3d)。
同時代の草原地帯人口集団では、ローラ(Lola)文化の個体群(9個体)が、PC空間では先行する草原地帯_マイコープ個体群の近くに位置する、と主要な祖先系統パターンを表しています(図3b)。これらの個体は、PCAおよびf₄統計によって示唆されるANE祖先系統のさまざまな量に基づいて、2群(ローラ_1とローラ_2)に区別されます。次に、ローラ遺跡個体群が北コーカサスに戻った草原地帯_マイコープ祖先系統の連続性を表しているのかどうか、検証されましたが、単一の祖先系統供給源としての草原地帯_マイコープでのモデルが却下される一方で、草原地帯_マイコープとNCCか地下墓地文化どちらかと翰林する祖先系統の2方向混合は裏づけられる、と分かりました。草原地帯_マイコープとローラ遺跡個体群との間の約2000年間の時間的空隙を考えて、在来の基盤としての北コーカサスMBA草原地帯集団と、ANE祖先系統の非在来供給源としての草原地帯中央部のEBAおよびMBA集団での複数のqpAdmモデルも検証され、カザフスタンのクムサイ(Kumsay)遺跡のEBA個体での充分に適合したモデルが見つかりました。北西コーカサスの個体KVO013はPC空間ではヨーロッパ東部森林草原地帯のスルブナヤ(Srubnaya)文化個体群の近くに位置し、先行する青銅器時代のシンタシュタ(Sintashta)文化集団と草原地帯集団の混合としてモデル化できます(図3b)。LBAのスキタイ前の草原地帯個体群(ESY006、ESY007、ESY009、KNK006)は、北コーカサスにおける在来草原地帯祖先系統の最後の兆候を表しています(図3b)。しかし、f₄対称性検定では、これらの個体はローラ遺跡個体群および草原地帯_マイコープと同様にANE祖先系統を有しており、スルブナヤ文化個体群とローラ_1の2方向混合としてモデル化できる、と示されます。
コーカサスクラスタの終末MBAおよびLBA個体群は、PC2では草原地帯クラスタの方へと上方に顕著に動いています(図3b)。これは、古代の個体群が現在の人口集団と同じPC空間内に収まる最初の事例を示しています。コーカサス高地の西部と東部の個体群はPC2に沿って広がっており、草原地帯クラスタとのさまざまな水準の混合が示唆されます(図3b)。個体KVO008(MBA_コーカサス)と個体PUT001(アルヘロ遺跡)は類似の祖先系統特性を有しており、両クラスタの収斂がコーカサス高地に限定されていなかった可能性を示唆しています。f₄統計を用いると、ほとんどのMBAおよびLBA個体は草原地帯集団との類似性を示す、と分かりました。さらに、MBA_高地_東方集団と比較して、個体KVO008およびPUT001はEHG–WSHGおよびBA草原地帯集団とのより高い遺伝的類似性さえ示し、この両個体は供給源としてコーカサス祖先系統およびBA草原地帯集団の代理としてのクラ・アラス文化個体群で上手くモデル化できます。この2方向モデルは、より高い割合クラ・アラス文化関連祖先系統を有するにも関わらず、MBAとLBAの東方高地個体群でも裏づけられますが、単一供給源として先行するMBA_高地_東方集団でもモデル化でき、この遺伝子流動が終末MBAの前にすでに起きていたことを示唆しています。
さらに、東方から西方への遺伝的勾配が観察され、LBA高地人祖先系統における地理的構造が示唆されます(図3b)。ここでは、北西部のシュシュク(Shushuk)遺跡およびマルチェンコヴァ・ゴラ(Marchenkova Gora)遺跡の個体群が、ギンチ(Ginchi)遺跡およびガティン・ケール(Gatyn-Kale)遺跡の東方の個体群と比較して、BAスルブナヤ文化集団および草原地帯集団の方とより多くの遺伝的浮動を共有しており、これは、北西コーカサスのスルブナヤ文化関連個体KVO013の調査結果と一致します。西方高地人もマイコープ文化個体群とより大きな遺伝的類似性を示していますが、東方高地人はクラ・アラス文化個体群とより類似しています。マイコープ文化集団とクラ・アラス文化集団を、それぞれの在来の選好する祖先系統供給源、スルブナヤ文化集団を第二供給源として用いると、充分に適合したモデルが得られました。アルメニアのレルナケルト(Lernakert)遺跡のLBAの5個体(紀元前1411~紀元前1266年頃)はPCAでは、アルメニアの他の遺跡の刊行されているMBAおよびLBA個体群と類似の位置を占めており、局所的な遺伝的連続性が示唆されます[20、24]。f₄統計とqpAdmにおいて在来の基準としてアルメニア_MBAを用いると、単一の在来供給源の裏づけが見つかりました。
●時間横断区と人口統計学的断面
ユーラシア草原地帯における最も顕著な埋葬の特徴はクルガン(墳墓、墳丘)で、これは紀元前五千年紀以降、青銅器時代全体とそれを超えて、北コーカサスの墓を表していた土盛りの塚です。クルガンはじょじょに建造されることが多く、多くの世紀と文化期にまたがっているので、個々の遺跡における遺伝的連続性もしくは不連続性に関する観点を提供します。多くの塚では、死者は非連続的な一連の出来事で埋葬されました。先行研究は、そうした塚に埋葬された個体間の密接な遺伝的もしくは系図上の関係を想定してきました。これを検証するため、個体の組み合わせ間の遺伝的近縁性が推定されました。21ヶ所の複数埋葬のクルガンから得られた105個体[5]のうち、すべてのあり得る組み合わせのうち15組の1親等もしくは2親等の関係(5460組のうち0.27%)が見つかりました。同じ遺跡(272組、5.5%)もしくは年代と文化の重複した組み合わせ(1147組、1.3%)に選別した場合でさえ、おもに親族関係にないか遠い親族関係のみの組み合わせが見つかりました。さらに、草原地帯における男性埋葬への有意な性比の偏りが観察されましたが、コーカサスクラスタでは観察されませんでした。全体的にこれが示唆するのは、クルガンが一般的に血統もしくは系統に基づく埋葬地ではなかったことです。コムソモレック1・マルファ(Komsomolec 1-Marfa、略してKMM)遺跡とマリンスカヤ5(Marinskaya 5、略してMK5)遺跡の多段階の塚は、年代測定の充分な2事例を表しています。主要なEBA(12個体)およびMBA(7個体)居住段階に焦点を当てると、年代順に個体間の文化的および遺伝的類似性の変化が観察されます。KMMでは後期_マイコープの兄妹(姉弟)の1組が、MK5では祖父と孫息子の1組が見つかったのに対して、その後の文化と関連する他の全個体は親族関係にはありません。
ancIBDを用いて、コーカサスの全個体間で最大6浸透の遺伝的関係が推定されました。近隣の塚のマイコープ文化の個体VIN001と個体VS5001との間で1親等の関係が確証され、より遠い関係も特定されて、たとえば、MK5の祖父と孫息子の組み合わせと、60km離れて埋葬された個体ESY005との間でするしかし、データセット全体では草原地帯クラスタとコーカサス位田との間の子孫によって共有される一致は見つかりません。同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)を調べると[28]、草原地帯クラスタの個体群は、コーカサスクラスタの個体群と比較して、4~8 cM(センチモルガン)および8~12 cMの短いROH領域をより多く有している、と観察され、草原地帯共同体のより小さな有効人口規模が示唆されます。近マイコープ_主要個体群で親婚(20 cM超のROH)の5事例も検出され、これには、マタイトコ同士の夫婦の子供(AY2001とAY2003)の子供やイトコ同士の夫婦の子供(ESY005とSIJ003)や全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)もしくは半キョウダイ(両親のうち一方のみが同じキョウダイ)同士の子供(VS5001)が含まれます。
●考察
新石器時代への移行前のコーカサスでは、二つの遺伝的に異なる人口集団が観察されます。個体SJG001は地理的により近いウクライナ_Mおよびウクライナ_N個体群とは対照的に、カレリアおよびサマラ地域の狩猟採集民集団と密接な遺伝的類似性を共有しており、ヨーロッパの広大な地域にわたるEHG祖先系統の持続する遺産が証明されます[6]。南方からの遺伝的混合の欠如は、類似の石器インダストリーに基づいて提案された、肥沃な三日月地帯の続旧石器時代集団からの移住との見解に反します。対照的に、CHG関連祖先系統を有する集団は南コーカサスで存続していたに違いなく、それは、この祖先系統がジョージア_Nの供給源だからです。アナトリア半島新石器時代的集団とCHG的集団との間のこの勾配は、肥沃な三日月地帯から小コーカサス山脈の山間の渓谷への新石器時代の拡大とされる起源を反映しており、新石器時代集団が初期に集中的に在来集団と相互作用していたことを示しています。クラ川流域とアラス川流域の最古級の遺跡の年代は、紀元前6000/5900年頃です。アルヘロ遺跡の個体群は最初の移民の急速な同化を反映しており、これはヨーロッパにおける拡大する農耕民とWHGとの間の限定的な相互作用とは対称的です。在来のCHG的祖先系統は、アゼルバイジャンのメンテシュテペ(Menteshtepe)遺跡[33]およびアルメニアのアカナシェン(Akanashen)遺跡[15]の個体群でも検出できます。
新石器時代の生活様式は、南コーカサス人口集団と祖先系統を共有する金石併用時代のダルクベティ・メショコ文化農耕牧畜民開拓者の間で、大コーカサス山脈の北側斜面に現れました。紀元前4300年頃、フヴァリンスク金石併用時代と文化的に関連する異なる1人口集団がさらに北方のポントス・カスピ海草原に現れ、最初の埋葬塚を建造しました。これはこの地域における草原地帯祖先系統の最初の出現を示しており、この祖先系統は、草原地帯では見られないアナトリア半島新石器時代祖先系統を含むダルクベティ・メショコ文化集団の出現前に、新石器時代の前の狩猟採集民の相互作用を通じて形成されました。草原地帯祖先系統の最初の形成は紀元前六千年紀半ばにさかのぼるので、説明されてきた一連の出来事と一致します。フートル・ベリー(Khutor Belyy)遺跡の個体KHB003は、黒海東部沿いの人々との草原地帯集団の遺伝的相互作用を反映しており、これは後にヤムナヤ文化期により重要なった軌跡です。
ナリチク墓地の最古級となる金石併用時代の遺伝的中間の個体群は、北方へのCHG関連遺伝子流動に先行する時間的制約を提供します。しかし、これら金石併用時代の出来事を順番に位置づけることは、放射性炭素年代測定の貯蔵効果のため困難で、これは青銅器時代牧畜集団にもある程度影響を及ぼす問題です。草原地帯とコーカサスの集団間の最古級の相互作用は南方にも拡大し、たとえば、アルメニアのアレニ1(Areni 1)洞窟です[24]。草原地帯_ELの個体KUG007およびPG2001による酪農生産物の消費とナリチク墓地におけるヤギの歯の存在から、初期牧畜経済がユーラシア草原地帯におけるこれらの接触を促進したかもしれない、と示唆されます。家畜化された動物に関する将来の遺伝学的研究はおそらく、紀元前三千年紀初期にアジア中央部とモンゴルの山岳地帯ですでに発展していた、動物および関連する牧畜技術の起源を明らかにするでしょう。
コーカサスの山脈と山麓におけるマイコープ伝統の紀元前四千年紀の出現は明確な文化的移行を示していますが、近隣の草原地帯では金石併用時代伝統が存続していました。遺伝的に区別でき、ほぼ同時代の5集団が観察されます。すべての山麓と関連するマイコープ文化個体群は、南方の新石器時代および金石併用時代集団から継承したコーカサス祖先系統を有しており、このコーカサス祖先系統はおそらく、結合した共同体における密接な親族関係の結びつきの維持によって保持されており、この結びつきは一部のマイコープ文化の塚で共有されている建築様式の特徴にも反映されています。対照的に、草原地帯の金石併用時代4集団における遺伝的変異性と密接な生物学的関係の少なさは、さまざまでより柔軟な親族構造を示唆しており、これは多様な文化的慣行の存続を反映しています。
しかし、全集団について、考古学的記録はマイコープ物質文化と社会的慣行の山麓から草原地帯への移動を裏づけており、異なる遺伝的集団による同じ塚の交互の使用は文化的な相互のつながりを示唆しています。この期間にヒツジの酪農慣行はより顕著になったので、紀元前3500年頃以降の同位体データは、山麓と草原地帯環境の共同体間の放牧地の分離を示しています。マイコープ文化の状況から、文化的相互作用は約1000年間続いたのに対して、じっさいのコーカサスクラスタ人口集団(マイコープ_主要)は広がらず、草原地帯集団との通婚をほぼ避けていた、と示されます。ウシが引く車輪での輸送やウマの家畜化に向けた最初の段階などの革新が、じょじょに移動性と群れの管理を高めました[44]。したがって、EHGとCHGの軸からWSHGとマイコープ文化の軸への後期_草原地帯_EL遺伝的勾配における時計回りの傾斜は注目に値し、それは、WSHGとマイコープ文化の軸が、初期のウマの家畜化の別の地域であるアジア中央部のボタイ遺跡でも見られる、追加のWSHG祖先系統を含んでいるからです[11、44、45]。
草原地帯_マイコープの東方集団との遺伝的類似性はユーラシア草原地帯の開幕を反映していますが、この関連は不可解で、まだあらゆる既知の考古学的現象と関連づけられていません。酪農のため牧草地に適応したヒツジや車輪や荷馬車や、おそらくは打加熱衣服や移動式建築の材料としての毛織物など、他の技術的革新も拡大し始めました。黒海北西部地域のウサトヴォ(Usatovo)文化集団との密接な文化的つながりによって示唆されているように、墓地における富の誇示もすぐに西方へと伝わりました。じっさい、草原地帯_EL個体群の遺伝的特性は、この地域の西方周辺部の集団との接触を証明しており、紀元前三千年紀のポントス・カスピ海草原牧畜民がその後に出現した遺伝的基盤を形成しました[21]。北コーカサスにおける複合的革新の層準は、牧畜の出現と相互作用の動的な様相と接続性と移動性を可能とし、これらはその後、より大きな地理的地域へと広がり、コーカサス地域とポントス・カスピ海草原とヨーロッパをアジア中央部および内陸部の土地とつなげました。
組み合わされた遺伝学と考古学の証拠は、草原地帯祖先系統特性の均質化とヤムナヤ文化集団の出現を含めて、紀元前三千年紀における牧畜経済の強化に関する展望を提供します。注目すべきことに、文化的に異なるNCCおよび地下墓地文化共同体の構成員も、この均質な遺伝的集団に収まります。さらに、コーカサス山脈の遺跡群で草原地帯祖先系統を有する個体群が見つかり、コーカサス祖先系統を有する集団がコーカサス山脈へとより高地に後退した、と示唆されます。一部の個体が1ヶ所の塚内で狭い埋葬の連続に由来することを考えると、密接な親族関係にある草原地帯個体の少なさは注目すべきです。親の素性の近縁性増加と組み合わせると、これは、比較的小さな有効人口内の族内婚を規制する、社会組織と親族関係の形態を示唆しています。ヤムナヤ文化によって最適に表されるユーラシア西部草原地帯牧畜民は、複数種の酪農生産物[49、50]と車輪付き乗り物の移動性に基づく経済を安定させて拡大し、その持続可能で永続的で自給自足の遊動的な生活様式をユーラシア草原地帯全域に広げました。
対照的に、同時代のコーカサス人口集団は現時点では、クラ・アラス文化の個体群でしか表されていません。ユーラシア草原地帯全域での牧畜民の拡大と並行して、クラ・アラス文化集団はレヴァントと現在のイランへと拡大し、それはイラン青銅器時代人口集団への遺伝的移動に反映されています。遺伝的に中間の個体群は観察されませんが、この期間については標本抽出の間隙が認められます。
紀元前二千年紀は、北コーカサス草原地帯における活動と人口密度の衰退および紀元前1700年頃までの全体的な放棄によって示され、これはおそらく、4200年前頃の環境危機に続く、気候変化と生態学的に脆弱な草原地帯生息地の過剰利用によってもたらされました。先行する紀元前三千年紀の均質な草原地帯祖先系統はいくつかの地下墓地文化後の集団へと分解し、これらの集団はローラ遺跡個体群で見られるようにアジア中央部との遺伝的類似性、もしくは北西部のスルブナヤ文化集団との遺伝的類似性を示します。山岳文化と草原地帯文化との間の相互作用もこの期間に強化し、それは物質文化とコーカサス集団の草原地帯クラスタへのおよびその逆方向の遺伝的変化で明らかです。これは以前には、紀元前2200~紀元前1700年頃の間の山岳人口集団のポントス・カスピ海草原への拡大として解釈されましたが、本論文では代わりに、おそらくは草原地帯の生息地がますます荒れ果てたことを原因とする、草原地帯集団のコーカサス集団への吸収が観察されます。
これらの発展から、文化的にLBAを表し、現在北コーカサスに依然として存続する祖先系統特性も表している、北西(シュシュク遺跡)の支石墓(Dolmen)文化からダゲスタン(ギンチ遺跡)までの汎コーカサス山脈相互作用圏が出現しました。この過程はその後のLBAおよび前期鉄器時代文化における山岳人口集団の統合を予測し、遊動的な青銅器時代草原地帯牧畜民経済からより定住的で複雑な農耕牧畜山岳経済への移行を示しました。
2000年間にわたって、遊動的な牧畜がコーカサス山脈から北方へと拡大する草原地帯の広範囲を支配していました。車輪での輸送および酪農牧畜やウマの飼育の出現などの技術的革新に刺激され、コーカサスと草原地帯の境界の草原地帯人口集団はユーラシア大陸に大きな影響を及ぼし、現在にさえ維持されている広範囲にわたる遺伝的および文化的足跡を残しました。マイコープ文化やヤムナヤ文化やクラ・アラス文化など、この地域の最も影響力のある青銅器時代集団を形成した、動的で複雑な人口集団の相互作用の理解は、ヨーロッパとアジア両方の人口史の再構築に重要です。本論文はこれらの集団の形成につながった遺伝的事象を明らかにし、この地域の遊動的な牧畜の遺産が他の場所で拡大して繁栄し続けたにも関わらず、紀元前1700年頃に最終的な衰退と放棄があった、この地域の歴史をたどります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
遺伝学:西ユーラシアにおける青銅器時代の家畜農耕民の起源
コーカサス地方とその周辺地域における青銅器時代の遺伝的歴史に関する洞察を報告する論文が、Natureに掲載される。131人の個人のゲノムデータに基づくこの調査結果は、中石器時代にはコーカサス地方の南北に2つの人口集団が存在し、2つの異なる祖先を生み出したことを示唆している。
コーカサス地方は、ヨーロッパとアジアの境界に位置し、その山脈は半透過性の障壁として、思想、言語、技術、および人々の移動を可能にしてきた。この地域は、青銅器時代に重要な役割を果たし、紀元前4千年紀には最古の遊牧社会を生み出した。しかし、これらの集団が地元の狩猟採集民からどのようにして生まれたのか、また肥沃な三日月地帯の初期の農耕社会とのつながりについては、まだ解明されていない。
Wolfgang Haakらは、コーカサス地方全域の38の遺跡から出土した131体の個人のゲノムデータを使用した。これらのデータは、中石器時代(紀元前7千年紀)から青銅器時代後期(紀元前2千年紀)までの6,000年にわたるものである。著者らは、中石器時代にはコーカサス山脈の南北で集団間に強い遺伝的差異があったことを発見した。北部では東方の狩猟採集民の祖先が観察されたが、南部ではコーカサス地方の狩猟採集民の祖先が明確に存在し、東アナトリアの農耕民の混血が進んでいた。続く新石器時代(紀元前4 – 5千年紀)には、西ユーラシアの草原の祖先と遊牧民社会が出現したことが確認された。これは技術開発の結果、山岳地域と草原地域間の交流が活発化したためであると、著者らは指摘している。
さらに、著者らは、初期および中期青銅器時代は、比較的安定した遺伝子を持っていたが、後期青銅器時代には複数のグループから遺伝的多様性が増加しており、これは草原文化の衰退と一致しており、これらの祖先はコーカサス地方の人口に吸収された可能性があることを示唆している。
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コーカサスでは中石器時代において、山脈の南北地の人口集団で強い遺伝的分化が見られ、北側ではEHG的祖先系統、南側ではアナトリア半島東部農耕民との混合の増加した別のCHG的祖先系統が示されました。その後の金石併用時代には、特徴的なユーラシア西部草原地帯祖先系統の形成、および山岳地域と草原地域との間の相互作用の強化が観察されこれらはマイコープ(Maykop)文化複合体の技術的発展によって促進されました。その後の前期青銅器時代および中期青銅器時代における牧畜民の活動と領域拡大の最盛期は、長期の遺伝的安定性が特徴です。その後、後期青銅器時代には、複数の異なる人口集団からの遺伝子流動が示され、これは草原地帯文化の衰退と一致し、草原地帯祖先系統はコーカサスの高地人口集団へと変容し、吸収されました。
本論文は、外れ値(outlier、略してo)個体も考慮しつつ、こうした中石器時代~青銅器時代にかけてのコーカサス地域における人口集団の遺伝的構成の変容を、ダルクベティ・メショコ(Darkveti-Meshoko)文化やマイコープ文化やククテニ・トリピリャ文化(Cucuteni-Trypillia Culture、略してCTC)複合体や球状アンフォラ(両取って付き壺)文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)や地下墓地文化(Catacomb Culture)やクラ・アラス(Kura–Araxes)文化など、具体的な文化との関連でも検証しています。コーカサスは、遊動的な牧畜文化、さらにはインド・ヨーロッパ語族のユーラシア規模での拡散において重要な役割を果たしたと考えられる点でもたいへん注目される地域で、今後の研究の進展が期待されます。
なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。時代区分の略称は、中石器時代(Mesolithic、略してM)、新石器時代(Neolithic、略してN)、後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)、先土器新石器時代(Pre-Pottery Neolithic、略してPPN)、先土器新石器時代A(Pre-Pottery Neolithic A、略してPPNA)、先土器新石器時代B(Pre-Pottery Neolithic B、略してPPNB)、銅器時代(Copper Age、略してC)、金石併用時代(Eneolithic、略してEL)、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、前期青銅器時代(Early Bronze Age、略してEBA)、中期青銅器時代(Middle Bronze Age、略してMBA)、後期青銅器時代(Late Bronze Age、略してLBA)です。
●要約
豊富な金属資源があるコーカサスおよびその周辺地域は青銅器時代の坩堝、および最初期の草原地帯牧畜民社会の発祥地になりました。しかし、この地域がその後のヨーロッパおよびアジアの発展に大きな影響を及ぼしたにも関わらず、その狩猟採集民の過去や、拡大的な遊動型草原地帯社会の形成に関しては、まだ疑問が残っています[3~5]。本論文は、6000年間にわたる38ヶ所の考古学的遺跡から得られた131個体について、新たなゲノム規模データを提示します。中石器時代のコーカサス山脈の南北の人口集団間では強い遺伝的分化が見つかり、北側ではEHG的祖先系統[4、6]、南側ではアナトリア半島東部農耕民との混合が増加している、別のCHG的祖先系統[7]がありました。
その後の金石併用時代には、特徴的なユーラシア西部草原地帯祖先系統の形成、およびマイコープ文化複合体の技術的発展によって促進された、山岳地域と草原地域との間の相互作用の強化が観察されます。対照的に、EBAおよびMBAにおける牧畜民の活動と領域拡大の最盛期は、長期の遺伝的安定性によって特徴づけられます。LBAには複数の異なる供給源からの遺伝子流動の別の期間を示しており、これは草原地帯文化の衰退と一致し、その後で草原地帯祖先系統は高地人口集団へと変容して吸収されました。
●研究史
コーカサスおよびその周辺地域は、ヨーロッパとアジアの境界に位置しています。大コーカサス山脈は中期完新世まで、着想や技術や言語や人々が移動した、半透性の障壁として機能しました。地形的に複雑な南コーカサスの多様な気候帯は高水準の生物多様性を支えましたが、北コーカサスの山岳高地と丘陵山麓地帯は、ユーラシア西部草原地帯の平坦で開けた草原へと移行しました。多様な生態系と豊富な金属資源のあるコーカサス地域は紀元前四千年紀において、青銅器時代の坩堝および最初期の草原地帯牧畜民社会の発祥地となりました。その後の2000年間にわたるこれら草原地帯牧畜民集団の大陸規模の拡大は最終的に、ユーラシアの大半の遺伝的構成と言語と文化的軌跡をつくりかえました[11]。しかし、在来の狩猟採集民集団からの出現と、肥沃な三日月地帯における初期農耕共同体とのつながりについて、理解は乏しいままで、同様に紀元前二千年紀における最終的な消滅も依然として理解されていません。
●遺伝的構造
本論文は、山麓地帯と草原地帯を含めてコーカサス全域およびその周辺地域の、38ヶ所の考古学的遺跡から発見された131個体の新たなゲノム規模データと、84点の新たな放射性炭素年代を報告し、利用可能なゲノムデータを3倍にします(図1)。遺伝的な時間横断区は約6000年間にまたがり、その範囲は、中石器時代および新石器時代(紀元前七千年紀および紀元前六千年紀、7個体)、金石併用時代(紀元前五千年紀、11個体)、LNおよびEBA(紀元前四千年紀、20個体)、EBAおよびMBA(紀元前三千年紀、51個体)から、最終MBAおよびLBA(紀元前二千年紀、42個体)までとなります。品質基準を満たさなかった26個体は除外されました。集団遺伝学的分析の最終データセットには、刊行されている古代および現代の個体群と組み合わされた、親族関係にない102個体が含まれました。以下は本論文の図1です。
まず、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTURE分析が実行され、古代の個体群の遺伝的類似性が定性的に評価されました。草原地帯集団と山岳地帯集団の間で遺伝的分化が実証され[5]、以後は草原地帯クラスタ(まとまり)およびコーカサスクラスタと呼ばれ、祖先系統の形成と存続が説明されます。これには、まずポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)、その後でユーラシアの草原地帯全体で牧畜の確立と拡大を生じた、生物学的および文化的相互作用の動的な段階を反映している、混合した中間的集団が含まれます(図1)。最後に、LBAにおいて、主要なBA祖先系統クラスタの溶解と、北コーカサス地域の(複数の)人類集団で現在見られる祖先系統の形成が観察されます。
●中石器時代~新石器時代への移行
本論文で最古級の個体は、ロシアのサタナージュ(Satanaj)洞窟(SJG001、紀元前6221~紀元前6082年頃)と、ジョージア(グルジア)のアルヘロ(Arukhlo)の新石器時代遺跡(4個体、紀元前5885~紀元前5476年頃)に由来します(図1)。SJG001はコーカサスへの近東新石器時代の到来に先行し、個体群が異なる遺伝的祖先系統特性を有する[7]南コーカサスのCHG遺跡群と地理的には近い(約50km)にも関わらず、主成分(PC)空間ではEHGと重なります(図2a)。SJG001とロシア北西部のカレリア(Karelia)共和国で発見されたEHG個体群は、CHG個体群および他の検証対象の人口集団に対してクレード(単系統群)を形成します。qpAdmでの形式的な祖先系統モデル化を用いて、カレリア_EHGもしくはロシア西部のサマラ(Samara)のシデルキノ(Sidelkino)遺跡の個体(シデルキノ_EHG)的な祖先系統のいずれかでSJG001は上手くモデル化できました(図2c)。以下は本論文の図2です。
対照的に、アルヘロ遺跡の新石器時代4個体(ARO、AO2、ジョージア_N)はアルメニア_Nおよびアゼルバイジャン_LNとともに、CHGとチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡などアナトリア半島中央部新石器時代個体群との間で遺伝的勾配を形成し、アナトリア半島中央部新石器時代個体群自体[14~16]は、アナトリア半島祖先系統とレヴァント祖先系統の間の勾配に収まります(図2a)。そこで、遠位祖先系統供給源としてアナトリア_PPNとレヴァント_PPNとCHG-イラン_Nを用いて、この地域の全新石器時代集団がモデル化され(図2c)、ジョージア_Nとアナシェン(Aknashen)文化集団(アルメニア_アナシェン_N)が最高の割合のCHG的祖先系統を有しているのに対して、アルメニアのマシス・ブルール(Masis Blur)遺跡個体(アルメニア_マシスブルール_N)とアゼルバイジャン_LNはより多くのレヴァント_PPN関連祖先系統を有している、と分かりました。しかし、アナトリア半島もしくはレヴァントの新石器時代集団とCHGとの間の2方向混合モデルも検証され、ジョージア_NはCHGとチャタルヒュユク_Nもしくはアナトリア半島のテル・クルドゥ(Tell Kurdu)遺跡個体群との間の2方向混合としてモデル化できるものの、アナトリア半島中央部のPPN集団やレヴァントやメソポタミアもしくはアナトリア半島北西部の新石器時代個体群ではきモデル化できない、と分かりました。
●金石併用時代
金石併用時代(紀元前4900/4700~紀元前3900年頃)には、定住型の近東新石器時代生活様式がダルクベティ・メショコ文化(紀元前4500~紀元前4000年頃)と関連して、コーカサス山脈の北側面にもたらされました[5]。その後、さらに北方の草原地帯には、ヴォルガ川下流の金石併用時代(EL)フヴァリンスク(Khvalynsk)文化の過渡的な採食民・牧畜集団が居住しました。新たな8個体のゲノム規模データの追加によって、北コーカサス草原地帯における金石併用時代集団の形成を説明できるようになります。南方のCHG的祖先系統とのEHG的祖先系統の漸進的な混合から生じた、草原地帯祖先系統の最古級の形成が観察されます。刊行されている金石併用時代およびフヴァリンスク文化個体群[5、18]とともに、新たに報告された草原地帯_EL個体群はPC空間においてEHGとCHGとの間で遺伝的勾配を形成します(図2a)。f₄統計では、北コーカサスの草原地帯_EL個体群はフヴァリンスク文化個体群よりもCHGとの高い類似性を有しており、55%のCHG的祖先系統と45%のEHG的祖先系統としてモデル化できる、と示されます。
したがって、PCAとADMIXTUREに基づいての二つの異なる遺伝的クラスタの出現、EHG-CHG勾配に沿っての草原地帯クラスタ、アナトリア半島新石器時代集団からCHG-イラン_Nとの勾配上で山岳地帯へと向かうコーカサスクラスタ[5]が確証されます(図2a)。新たなジョージア_Nのデータを用いて、本論文でジョージア_N (51±6%)祖先系統とCHG(49±6%)祖先系統の2方向混合としてモデル化される、北コーカサス(North Caucasus、略してNC)の農耕牧畜のダルクベティ・メショコ文化のコーカサス_EL個体群が再評価されます(図2c)。
ナリチク(Nalchik)遺跡(Zhur et al., 2024)の個体群(紀元前4531~紀元前4359年頃のNCK001と紀元前4930~紀元前4686年頃のNCK002)はEL_中間と分類表示され、PCAでは草原地帯集団とコーカサス集団の間に収まり、これらの集団間の遺伝子流動が示唆されます。じっさい、ADMIXTUREとf₄統計では、ナリチク個体群はコーカサス祖先系統を有しているものの、EHG的祖先系統も有している、と示されます(図2d)。これが意味するのは、EHGとCHGの勾配およびコーカサス祖先系統[16]は、ナリチク個体群の祖先が遭遇した時点までにすでに形成されていたに違いないことです。さらに、この混合の時間枠は紀元前五千年紀初期に限定され、紀元前四千年紀に強化された相互作用の軸が予測されます。DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)を用いて、両クラスタの集団の混合年代が推定され、アナトリア半島新石器時代からCHG-イラン_Nへの勾配は以前の推定値[16]と一致して紀元前6300~紀元前6000年頃に形成され、EHGとCHGの勾配は紀元前5800~紀元前5300年頃に形成されたた、と分かりました。注目すべきことに、最西端の遺跡の個体KHB003(紀元前4318~紀元前4057年頃)はWHGおよびアナトリア半島新石器時代的祖先系統とのより高い遺伝的類似性を有しており、CHGとウクライナ_Nとの間の2方向混合としてモデル化できます(図2d)。
●後期金石併用時代およびEBA
紀元前四千年紀は動的な人口集団の相互作用と文化的移行の期間を表しており、それはマイコープ伝統と関連する物質文化で視覚化されています。本論文で新たに20個体が追加された後期EL(金石併用時代)およびEBAの埋葬文化個体群では、三つの以前に定義された遺伝的集団[5]が確証され、それは、マイコープ_主要と草原地帯_マイコープと草原地帯_マイコープ_o1ですが、新たに3集団とも特定され、それは、後期_草原地帯_ELと後期_草原地帯_EL_oと草原地帯_マイコープ_o2です。マイコープ_主要個体群の遺伝的特性はさらに3下位群に区別でき、それは、マイコープと後期_マイコープとマイコープ文化のノヴォスヴォボドナヤ(Novosvobodnaya)形関連個体(マイコープ_ノヴォスヴォボドナヤ)です[5]。
後期_草原地帯_ELと分類表示された個体KST001およびNV3003(紀元前3781~紀元前3652年頃)は、EHGとCHGの勾配上に位置します(図2a・b)。しかし、後期_草原地帯_ELの、草原地帯_ELの場合よりもEHGと有意に高い類似性が見つかったものの、qpAdmはSJG001的な祖先系統52%とCHG祖先系統48%で類似の祖先系統特性を明らかにしています(図2d)。個体ZO1002およびZO1004(紀元前3953~紀元前3713年頃)はPCAとADMIXTUREではコーカサスクラスタの方へと動いており(図2b)、後期_草原地帯_EL個体群と比較してEHG関連祖先系統は少ないので、後期_草原地帯_EL_oと分類表示されます。近位供給源を用いて、両者はコーカサス_EL(55±6.4%)と草原地帯_EL (45±6.4%)の2方向混合としてモデル化できます(図2d)。ナリチク遺跡個体および草原地帯_マイコープ_o1とともに、これは草原地帯とコーカサス山麓に居住するEL集団間の遺伝子流動を反映しています(図1b)。
マイコープ関連個体群は密な第三のコーカサスのマイコープ_主要クラスタを形成しており、このクラスタは先行するコーカサス_ELと類似していて、これらの集団間の遺伝的連続性が示唆されます。先行するコーカサス_ELとアルメニア_C(銅器時代)の間の2方向混合モデルは統計的裏づけを書いていますが(P < 0.05)、第三の供給源としてのイラン_C集団の追加では、マイコープ_主要個体すべてで充分に適切なモデルが得られました(図2d)。後期_マイコープ個体群は、単一の在来の選好する供給源として以前のマイコープ祖先系統でモデル化でき、イラン_C関連の遺伝子流動がマイコープ文化初期に起きたことを示唆しています。
残りの2集団は、シベリア西部狩猟採集民(West Siberian hunter-gatherer、略してWSHG)とコーカサス_EL個体群との間のさまざまな遺伝的勾配に沿って位置しています。ポントス・カスピ海草原の遺跡群から構成される第1集団(個体AY2004とIV3005とKUG001)の年代はマイコープ文化期ですが、遺伝的には草原地帯_ELとアジア中央部のボタイ(Botai)遺跡の個体群とウラル山脈の東側のWSHGの間に位置しており、WSHGはANE(Ancestral North Eurasian、祖型北ユーラシア人)祖先系統が増加しています(図2b)。この集団はマイコープ文化に帰属する考古学的特徴を有しているので、元々は草原地帯_マイコープと記載されました。本論文では、WSHG的祖先系統が最大48%草原地帯_マイコープ個体群に寄与している、と示され、さらに北東の地域からの遺伝子流動が主張されますが、一方で、この構成要素はコーカサスおよび草原地帯クラスタのすべての他の同時代集団に存在しません(図2d)。
最後の集団(6個体、KUG002~005とIV3010とAY2001)は先行する草原地帯_EL集団の空間に収まりますが(図2b)、f₄統計と単一供給源のqpAdmモデルは、先行する草原地帯_EL個体群との直接的な人口連続性を却下します。しかし、この集団の年代はマイコープ文化の遺構と草原地帯_マイコープの相互作用後で、男性4個体のうち3個体は草原地帯_マイコープと北シベリア人口集団においてより一般的に見られるY染色体ハプログループ(YHg)Q1b(M346)なので、草原地帯_マイコープ祖先系統を含む代替モデルが調べられました。この集団はじっさい、草原地帯_マイコープ祖先系統(62±1.6%)とマイコープ_ノヴォスヴォボドナヤ祖先系統(38±1.6%)の2方向混合としてモデル化できるので、草原地帯_マイコープ_o2と分類表示されました。
●EBAからMBA
本論文は、ヤムナヤ(Yamnaya)文化複合体と関連する10個体の新たなゲノム規模データを報告し、この10個体はヤムナヤ_NC(紀元前3300~紀元前2800年頃)と呼ばれます。この10個体はおおむねPC空間では草原地帯集団のEHGとCHGの勾配上に位置し(図3a)、黒海地域とサマラ地域と北コーカサス(NC)地域の刊行されているデータと密なクラスタを形成します。微妙な地理的違いにも関わらず、f₄統計はその密接な遺伝的類似性を確証します。ヤムナヤ文化の牧畜民と農耕集団との間の接触地域を調べた先行研究[5、20、21]に対応して、一連のあり得る2方向qpAdmが検証されました。基準祖先系統としてのさまざまな草原地帯集団とCTC(ククテニ・トリピリャ文化)-GAC(球状アンフォラ文化)もしくはマイコープ_主要個体群を用いると、西ウクライナ_ヤムナヤのみが草原地帯_ELとCTC-GACの2方向混合としてモデル化できるのに対して、これらのモデルはヤムナヤ_NCおよびヤムナヤ_サマラ個体群では却下されます。しかし、第三の供給源としてウクライナ_Nとウクライナ_Mを追加すると、ほぼすべての視野でモデル適合性が改善されました。したがって、在来の代理供給源であるヤムナヤ_NCを草原地帯_ELとマイコープとウクライナ_Nの3方向混合としてモデル化できますが、CTC-GACでの代替の(複数の)供給源としてのモデルも裏づけられます。以下は本論文の図3です。
北コーカサス文化(North Caucasus culture、略してNCC、紀元前2800~紀元前2400年頃、12個体)および地下墓地(Catacomb)文化(紀元前2800~紀元前2400年頃、8個体)と関連するその後のMBA個体群も、PCAではヤムナヤ関連個体群のクラスタ内に収まり、f₄対称性検定はそれらの間の微妙な遺伝的差異を明らかにするだけで、遺伝的連続性が示唆されます。じっさい、地下墓地文化個体群は単一の先行する在来供給源としてヤムナヤ_NCでモデル化できるのに対して、NCC個体群は代わりにウクライナ_ヤムナヤのみでモデル化できます。紀元前三千年紀のすべての草原地帯集団はその混合年代推定値の範囲で重複し、その範囲は紀元前4800~紀元前4000年頃なので、草原地帯関連祖先系統の前期金石併用時代の形成とは異なりますが、草原地帯集団とコーカサスの北側のコーカサス金石併用時代集団の両方の存在および初期の相互作用と一致します。
遺伝的連続性と均質化の同様のパターンは、コーカサスクラスタでも観察されます。ジョージアのクラ・アラス文化と関連する個体群(紀元前3600/3300~紀元前2400年頃、6個体)はPC空間とADMIXTUREではアルメニアおよびダゲスタン(Dagestan)共和国の刊行されているクラ・アラス文化個体群やマイコープ文化個体群の近くに位置し(図2bおよび図3a)、MBAにおけるコーカサス祖先系統の連続性が示唆されますが、さまざまなクラ・アラス文化集団間では異質性があります。マイコープ文化集団を単一供給源として用いると、充分に適合したモデルが得られ、マイコープ_ノヴォスヴォボドナヤがジョージアとアルメニアのクラ・アラス文化個体群個体群にとって最適の供給源で、マイコープ文化個体群がアルメニアのタリン(Talin)遺跡個体の最適な供給源です。対照的に、アルメニアのカプス(Kaps)遺跡もしくはダゲスタンウェリケンチェ(Velikent)遺跡の個体群は、アルメニア_Cかイラン_Cのどちらかもしくはその両方からの追加の祖先系統を必要とします。
イラン_BAの2個体、つまりBOE001(紀元前2861~紀元前2489年頃)とBOE003(紀元前2881~紀元前2623年頃)は、アジア南西部勾配上で近隣の銅器時代のテペ・ヒッサール(Tepe Hissar)遺跡個体群[11]の近くに位置します。f₄統計では、イラン_BAはアナトリア半島の銅器時代集団およびアルメニアのカルヌト(Karnut)遺跡のクラ・アラス文化個体群とより高い遺伝的類似性を有しており、qpAdmを用いての祖先系統モデル化では、イラン_テペヒッサール_Cおよびラ・アラス文化集団との充分に適合したモデルが得られる、と示唆されます。
●終末MBAとLBA
地下墓地文化後の遺構によって表される終末MBA(紀元前2200~紀元前1650年頃)とLBA(紀元前1800~紀元前1200/1000年頃)の段階は、この期間の新たな33個体によって証明されるように、人口集団の相互作用の増加と変容の別の期間を示しています。草原地帯クラスタ個体群によって以前には占められていたPC空間は、今度はほぼ開いており、さまざまな遺伝的祖先系統の4個体(KVO009、KNK006、ESY007、ESY009)のみが、この位置に収まります。草原地帯中央部の他のすべてのクルガン(Kurgan、墳墓、墳丘)被葬者は、南コーカサス人口集団との有意に増加した類似性のため、コーカサスクラスタの方へと動いています。その結果、これら地下墓地文化後の個体群は、先行する地下墓地文化集団(79%)とクラ・アラス文化集団(21%)の混合として上手くモデル化できます(図3d)。
同時代の草原地帯人口集団では、ローラ(Lola)文化の個体群(9個体)が、PC空間では先行する草原地帯_マイコープ個体群の近くに位置する、と主要な祖先系統パターンを表しています(図3b)。これらの個体は、PCAおよびf₄統計によって示唆されるANE祖先系統のさまざまな量に基づいて、2群(ローラ_1とローラ_2)に区別されます。次に、ローラ遺跡個体群が北コーカサスに戻った草原地帯_マイコープ祖先系統の連続性を表しているのかどうか、検証されましたが、単一の祖先系統供給源としての草原地帯_マイコープでのモデルが却下される一方で、草原地帯_マイコープとNCCか地下墓地文化どちらかと翰林する祖先系統の2方向混合は裏づけられる、と分かりました。草原地帯_マイコープとローラ遺跡個体群との間の約2000年間の時間的空隙を考えて、在来の基盤としての北コーカサスMBA草原地帯集団と、ANE祖先系統の非在来供給源としての草原地帯中央部のEBAおよびMBA集団での複数のqpAdmモデルも検証され、カザフスタンのクムサイ(Kumsay)遺跡のEBA個体での充分に適合したモデルが見つかりました。北西コーカサスの個体KVO013はPC空間ではヨーロッパ東部森林草原地帯のスルブナヤ(Srubnaya)文化個体群の近くに位置し、先行する青銅器時代のシンタシュタ(Sintashta)文化集団と草原地帯集団の混合としてモデル化できます(図3b)。LBAのスキタイ前の草原地帯個体群(ESY006、ESY007、ESY009、KNK006)は、北コーカサスにおける在来草原地帯祖先系統の最後の兆候を表しています(図3b)。しかし、f₄対称性検定では、これらの個体はローラ遺跡個体群および草原地帯_マイコープと同様にANE祖先系統を有しており、スルブナヤ文化個体群とローラ_1の2方向混合としてモデル化できる、と示されます。
コーカサスクラスタの終末MBAおよびLBA個体群は、PC2では草原地帯クラスタの方へと上方に顕著に動いています(図3b)。これは、古代の個体群が現在の人口集団と同じPC空間内に収まる最初の事例を示しています。コーカサス高地の西部と東部の個体群はPC2に沿って広がっており、草原地帯クラスタとのさまざまな水準の混合が示唆されます(図3b)。個体KVO008(MBA_コーカサス)と個体PUT001(アルヘロ遺跡)は類似の祖先系統特性を有しており、両クラスタの収斂がコーカサス高地に限定されていなかった可能性を示唆しています。f₄統計を用いると、ほとんどのMBAおよびLBA個体は草原地帯集団との類似性を示す、と分かりました。さらに、MBA_高地_東方集団と比較して、個体KVO008およびPUT001はEHG–WSHGおよびBA草原地帯集団とのより高い遺伝的類似性さえ示し、この両個体は供給源としてコーカサス祖先系統およびBA草原地帯集団の代理としてのクラ・アラス文化個体群で上手くモデル化できます。この2方向モデルは、より高い割合クラ・アラス文化関連祖先系統を有するにも関わらず、MBAとLBAの東方高地個体群でも裏づけられますが、単一供給源として先行するMBA_高地_東方集団でもモデル化でき、この遺伝子流動が終末MBAの前にすでに起きていたことを示唆しています。
さらに、東方から西方への遺伝的勾配が観察され、LBA高地人祖先系統における地理的構造が示唆されます(図3b)。ここでは、北西部のシュシュク(Shushuk)遺跡およびマルチェンコヴァ・ゴラ(Marchenkova Gora)遺跡の個体群が、ギンチ(Ginchi)遺跡およびガティン・ケール(Gatyn-Kale)遺跡の東方の個体群と比較して、BAスルブナヤ文化集団および草原地帯集団の方とより多くの遺伝的浮動を共有しており、これは、北西コーカサスのスルブナヤ文化関連個体KVO013の調査結果と一致します。西方高地人もマイコープ文化個体群とより大きな遺伝的類似性を示していますが、東方高地人はクラ・アラス文化個体群とより類似しています。マイコープ文化集団とクラ・アラス文化集団を、それぞれの在来の選好する祖先系統供給源、スルブナヤ文化集団を第二供給源として用いると、充分に適合したモデルが得られました。アルメニアのレルナケルト(Lernakert)遺跡のLBAの5個体(紀元前1411~紀元前1266年頃)はPCAでは、アルメニアの他の遺跡の刊行されているMBAおよびLBA個体群と類似の位置を占めており、局所的な遺伝的連続性が示唆されます[20、24]。f₄統計とqpAdmにおいて在来の基準としてアルメニア_MBAを用いると、単一の在来供給源の裏づけが見つかりました。
●時間横断区と人口統計学的断面
ユーラシア草原地帯における最も顕著な埋葬の特徴はクルガン(墳墓、墳丘)で、これは紀元前五千年紀以降、青銅器時代全体とそれを超えて、北コーカサスの墓を表していた土盛りの塚です。クルガンはじょじょに建造されることが多く、多くの世紀と文化期にまたがっているので、個々の遺跡における遺伝的連続性もしくは不連続性に関する観点を提供します。多くの塚では、死者は非連続的な一連の出来事で埋葬されました。先行研究は、そうした塚に埋葬された個体間の密接な遺伝的もしくは系図上の関係を想定してきました。これを検証するため、個体の組み合わせ間の遺伝的近縁性が推定されました。21ヶ所の複数埋葬のクルガンから得られた105個体[5]のうち、すべてのあり得る組み合わせのうち15組の1親等もしくは2親等の関係(5460組のうち0.27%)が見つかりました。同じ遺跡(272組、5.5%)もしくは年代と文化の重複した組み合わせ(1147組、1.3%)に選別した場合でさえ、おもに親族関係にないか遠い親族関係のみの組み合わせが見つかりました。さらに、草原地帯における男性埋葬への有意な性比の偏りが観察されましたが、コーカサスクラスタでは観察されませんでした。全体的にこれが示唆するのは、クルガンが一般的に血統もしくは系統に基づく埋葬地ではなかったことです。コムソモレック1・マルファ(Komsomolec 1-Marfa、略してKMM)遺跡とマリンスカヤ5(Marinskaya 5、略してMK5)遺跡の多段階の塚は、年代測定の充分な2事例を表しています。主要なEBA(12個体)およびMBA(7個体)居住段階に焦点を当てると、年代順に個体間の文化的および遺伝的類似性の変化が観察されます。KMMでは後期_マイコープの兄妹(姉弟)の1組が、MK5では祖父と孫息子の1組が見つかったのに対して、その後の文化と関連する他の全個体は親族関係にはありません。
ancIBDを用いて、コーカサスの全個体間で最大6浸透の遺伝的関係が推定されました。近隣の塚のマイコープ文化の個体VIN001と個体VS5001との間で1親等の関係が確証され、より遠い関係も特定されて、たとえば、MK5の祖父と孫息子の組み合わせと、60km離れて埋葬された個体ESY005との間でするしかし、データセット全体では草原地帯クラスタとコーカサス位田との間の子孫によって共有される一致は見つかりません。同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)を調べると[28]、草原地帯クラスタの個体群は、コーカサスクラスタの個体群と比較して、4~8 cM(センチモルガン)および8~12 cMの短いROH領域をより多く有している、と観察され、草原地帯共同体のより小さな有効人口規模が示唆されます。近マイコープ_主要個体群で親婚(20 cM超のROH)の5事例も検出され、これには、マタイトコ同士の夫婦の子供(AY2001とAY2003)の子供やイトコ同士の夫婦の子供(ESY005とSIJ003)や全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)もしくは半キョウダイ(両親のうち一方のみが同じキョウダイ)同士の子供(VS5001)が含まれます。
●考察
新石器時代への移行前のコーカサスでは、二つの遺伝的に異なる人口集団が観察されます。個体SJG001は地理的により近いウクライナ_Mおよびウクライナ_N個体群とは対照的に、カレリアおよびサマラ地域の狩猟採集民集団と密接な遺伝的類似性を共有しており、ヨーロッパの広大な地域にわたるEHG祖先系統の持続する遺産が証明されます[6]。南方からの遺伝的混合の欠如は、類似の石器インダストリーに基づいて提案された、肥沃な三日月地帯の続旧石器時代集団からの移住との見解に反します。対照的に、CHG関連祖先系統を有する集団は南コーカサスで存続していたに違いなく、それは、この祖先系統がジョージア_Nの供給源だからです。アナトリア半島新石器時代的集団とCHG的集団との間のこの勾配は、肥沃な三日月地帯から小コーカサス山脈の山間の渓谷への新石器時代の拡大とされる起源を反映しており、新石器時代集団が初期に集中的に在来集団と相互作用していたことを示しています。クラ川流域とアラス川流域の最古級の遺跡の年代は、紀元前6000/5900年頃です。アルヘロ遺跡の個体群は最初の移民の急速な同化を反映しており、これはヨーロッパにおける拡大する農耕民とWHGとの間の限定的な相互作用とは対称的です。在来のCHG的祖先系統は、アゼルバイジャンのメンテシュテペ(Menteshtepe)遺跡[33]およびアルメニアのアカナシェン(Akanashen)遺跡[15]の個体群でも検出できます。
新石器時代の生活様式は、南コーカサス人口集団と祖先系統を共有する金石併用時代のダルクベティ・メショコ文化農耕牧畜民開拓者の間で、大コーカサス山脈の北側斜面に現れました。紀元前4300年頃、フヴァリンスク金石併用時代と文化的に関連する異なる1人口集団がさらに北方のポントス・カスピ海草原に現れ、最初の埋葬塚を建造しました。これはこの地域における草原地帯祖先系統の最初の出現を示しており、この祖先系統は、草原地帯では見られないアナトリア半島新石器時代祖先系統を含むダルクベティ・メショコ文化集団の出現前に、新石器時代の前の狩猟採集民の相互作用を通じて形成されました。草原地帯祖先系統の最初の形成は紀元前六千年紀半ばにさかのぼるので、説明されてきた一連の出来事と一致します。フートル・ベリー(Khutor Belyy)遺跡の個体KHB003は、黒海東部沿いの人々との草原地帯集団の遺伝的相互作用を反映しており、これは後にヤムナヤ文化期により重要なった軌跡です。
ナリチク墓地の最古級となる金石併用時代の遺伝的中間の個体群は、北方へのCHG関連遺伝子流動に先行する時間的制約を提供します。しかし、これら金石併用時代の出来事を順番に位置づけることは、放射性炭素年代測定の貯蔵効果のため困難で、これは青銅器時代牧畜集団にもある程度影響を及ぼす問題です。草原地帯とコーカサスの集団間の最古級の相互作用は南方にも拡大し、たとえば、アルメニアのアレニ1(Areni 1)洞窟です[24]。草原地帯_ELの個体KUG007およびPG2001による酪農生産物の消費とナリチク墓地におけるヤギの歯の存在から、初期牧畜経済がユーラシア草原地帯におけるこれらの接触を促進したかもしれない、と示唆されます。家畜化された動物に関する将来の遺伝学的研究はおそらく、紀元前三千年紀初期にアジア中央部とモンゴルの山岳地帯ですでに発展していた、動物および関連する牧畜技術の起源を明らかにするでしょう。
コーカサスの山脈と山麓におけるマイコープ伝統の紀元前四千年紀の出現は明確な文化的移行を示していますが、近隣の草原地帯では金石併用時代伝統が存続していました。遺伝的に区別でき、ほぼ同時代の5集団が観察されます。すべての山麓と関連するマイコープ文化個体群は、南方の新石器時代および金石併用時代集団から継承したコーカサス祖先系統を有しており、このコーカサス祖先系統はおそらく、結合した共同体における密接な親族関係の結びつきの維持によって保持されており、この結びつきは一部のマイコープ文化の塚で共有されている建築様式の特徴にも反映されています。対照的に、草原地帯の金石併用時代4集団における遺伝的変異性と密接な生物学的関係の少なさは、さまざまでより柔軟な親族構造を示唆しており、これは多様な文化的慣行の存続を反映しています。
しかし、全集団について、考古学的記録はマイコープ物質文化と社会的慣行の山麓から草原地帯への移動を裏づけており、異なる遺伝的集団による同じ塚の交互の使用は文化的な相互のつながりを示唆しています。この期間にヒツジの酪農慣行はより顕著になったので、紀元前3500年頃以降の同位体データは、山麓と草原地帯環境の共同体間の放牧地の分離を示しています。マイコープ文化の状況から、文化的相互作用は約1000年間続いたのに対して、じっさいのコーカサスクラスタ人口集団(マイコープ_主要)は広がらず、草原地帯集団との通婚をほぼ避けていた、と示されます。ウシが引く車輪での輸送やウマの家畜化に向けた最初の段階などの革新が、じょじょに移動性と群れの管理を高めました[44]。したがって、EHGとCHGの軸からWSHGとマイコープ文化の軸への後期_草原地帯_EL遺伝的勾配における時計回りの傾斜は注目に値し、それは、WSHGとマイコープ文化の軸が、初期のウマの家畜化の別の地域であるアジア中央部のボタイ遺跡でも見られる、追加のWSHG祖先系統を含んでいるからです[11、44、45]。
草原地帯_マイコープの東方集団との遺伝的類似性はユーラシア草原地帯の開幕を反映していますが、この関連は不可解で、まだあらゆる既知の考古学的現象と関連づけられていません。酪農のため牧草地に適応したヒツジや車輪や荷馬車や、おそらくは打加熱衣服や移動式建築の材料としての毛織物など、他の技術的革新も拡大し始めました。黒海北西部地域のウサトヴォ(Usatovo)文化集団との密接な文化的つながりによって示唆されているように、墓地における富の誇示もすぐに西方へと伝わりました。じっさい、草原地帯_EL個体群の遺伝的特性は、この地域の西方周辺部の集団との接触を証明しており、紀元前三千年紀のポントス・カスピ海草原牧畜民がその後に出現した遺伝的基盤を形成しました[21]。北コーカサスにおける複合的革新の層準は、牧畜の出現と相互作用の動的な様相と接続性と移動性を可能とし、これらはその後、より大きな地理的地域へと広がり、コーカサス地域とポントス・カスピ海草原とヨーロッパをアジア中央部および内陸部の土地とつなげました。
組み合わされた遺伝学と考古学の証拠は、草原地帯祖先系統特性の均質化とヤムナヤ文化集団の出現を含めて、紀元前三千年紀における牧畜経済の強化に関する展望を提供します。注目すべきことに、文化的に異なるNCCおよび地下墓地文化共同体の構成員も、この均質な遺伝的集団に収まります。さらに、コーカサス山脈の遺跡群で草原地帯祖先系統を有する個体群が見つかり、コーカサス祖先系統を有する集団がコーカサス山脈へとより高地に後退した、と示唆されます。一部の個体が1ヶ所の塚内で狭い埋葬の連続に由来することを考えると、密接な親族関係にある草原地帯個体の少なさは注目すべきです。親の素性の近縁性増加と組み合わせると、これは、比較的小さな有効人口内の族内婚を規制する、社会組織と親族関係の形態を示唆しています。ヤムナヤ文化によって最適に表されるユーラシア西部草原地帯牧畜民は、複数種の酪農生産物[49、50]と車輪付き乗り物の移動性に基づく経済を安定させて拡大し、その持続可能で永続的で自給自足の遊動的な生活様式をユーラシア草原地帯全域に広げました。
対照的に、同時代のコーカサス人口集団は現時点では、クラ・アラス文化の個体群でしか表されていません。ユーラシア草原地帯全域での牧畜民の拡大と並行して、クラ・アラス文化集団はレヴァントと現在のイランへと拡大し、それはイラン青銅器時代人口集団への遺伝的移動に反映されています。遺伝的に中間の個体群は観察されませんが、この期間については標本抽出の間隙が認められます。
紀元前二千年紀は、北コーカサス草原地帯における活動と人口密度の衰退および紀元前1700年頃までの全体的な放棄によって示され、これはおそらく、4200年前頃の環境危機に続く、気候変化と生態学的に脆弱な草原地帯生息地の過剰利用によってもたらされました。先行する紀元前三千年紀の均質な草原地帯祖先系統はいくつかの地下墓地文化後の集団へと分解し、これらの集団はローラ遺跡個体群で見られるようにアジア中央部との遺伝的類似性、もしくは北西部のスルブナヤ文化集団との遺伝的類似性を示します。山岳文化と草原地帯文化との間の相互作用もこの期間に強化し、それは物質文化とコーカサス集団の草原地帯クラスタへのおよびその逆方向の遺伝的変化で明らかです。これは以前には、紀元前2200~紀元前1700年頃の間の山岳人口集団のポントス・カスピ海草原への拡大として解釈されましたが、本論文では代わりに、おそらくは草原地帯の生息地がますます荒れ果てたことを原因とする、草原地帯集団のコーカサス集団への吸収が観察されます。
これらの発展から、文化的にLBAを表し、現在北コーカサスに依然として存続する祖先系統特性も表している、北西(シュシュク遺跡)の支石墓(Dolmen)文化からダゲスタン(ギンチ遺跡)までの汎コーカサス山脈相互作用圏が出現しました。この過程はその後のLBAおよび前期鉄器時代文化における山岳人口集団の統合を予測し、遊動的な青銅器時代草原地帯牧畜民経済からより定住的で複雑な農耕牧畜山岳経済への移行を示しました。
2000年間にわたって、遊動的な牧畜がコーカサス山脈から北方へと拡大する草原地帯の広範囲を支配していました。車輪での輸送および酪農牧畜やウマの飼育の出現などの技術的革新に刺激され、コーカサスと草原地帯の境界の草原地帯人口集団はユーラシア大陸に大きな影響を及ぼし、現在にさえ維持されている広範囲にわたる遺伝的および文化的足跡を残しました。マイコープ文化やヤムナヤ文化やクラ・アラス文化など、この地域の最も影響力のある青銅器時代集団を形成した、動的で複雑な人口集団の相互作用の理解は、ヨーロッパとアジア両方の人口史の再構築に重要です。本論文はこれらの集団の形成につながった遺伝的事象を明らかにし、この地域の遊動的な牧畜の遺産が他の場所で拡大して繁栄し続けたにも関わらず、紀元前1700年頃に最終的な衰退と放棄があった、この地域の歴史をたどります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
遺伝学:西ユーラシアにおける青銅器時代の家畜農耕民の起源
コーカサス地方とその周辺地域における青銅器時代の遺伝的歴史に関する洞察を報告する論文が、Natureに掲載される。131人の個人のゲノムデータに基づくこの調査結果は、中石器時代にはコーカサス地方の南北に2つの人口集団が存在し、2つの異なる祖先を生み出したことを示唆している。
コーカサス地方は、ヨーロッパとアジアの境界に位置し、その山脈は半透過性の障壁として、思想、言語、技術、および人々の移動を可能にしてきた。この地域は、青銅器時代に重要な役割を果たし、紀元前4千年紀には最古の遊牧社会を生み出した。しかし、これらの集団が地元の狩猟採集民からどのようにして生まれたのか、また肥沃な三日月地帯の初期の農耕社会とのつながりについては、まだ解明されていない。
Wolfgang Haakらは、コーカサス地方全域の38の遺跡から出土した131体の個人のゲノムデータを使用した。これらのデータは、中石器時代(紀元前7千年紀)から青銅器時代後期(紀元前2千年紀)までの6,000年にわたるものである。著者らは、中石器時代にはコーカサス山脈の南北で集団間に強い遺伝的差異があったことを発見した。北部では東方の狩猟採集民の祖先が観察されたが、南部ではコーカサス地方の狩猟採集民の祖先が明確に存在し、東アナトリアの農耕民の混血が進んでいた。続く新石器時代(紀元前4 – 5千年紀)には、西ユーラシアの草原の祖先と遊牧民社会が出現したことが確認された。これは技術開発の結果、山岳地域と草原地域間の交流が活発化したためであると、著者らは指摘している。
さらに、著者らは、初期および中期青銅器時代は、比較的安定した遺伝子を持っていたが、後期青銅器時代には複数のグループから遺伝的多様性が増加しており、これは草原文化の衰退と一致しており、これらの祖先はコーカサス地方の人口に吸収された可能性があることを示唆している。
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