アフリカ最南端の人類集団の長期にわたる遺伝的連続
古代ゲノムデータに基づいてアフリカ最南端の人類集団の長期にわたる遺伝的連続を報告した研究(Gretzinger et al., 2024)が公表されました。本論文は、南アフリカ共和国のオークハースト(Oakhurst)岩陰遺跡の初期完新世から後期石器時代(Later Stone Age、略してLSA)末までの人類9個体や、他の古代人および現代人のゲノムデータを用いて、アフリカ最南端において初期完新世からLSA末までの9000年間にわたる、人類集団の遺伝的連続性を示しています。さらに、アレル(対立遺伝子)頻度および同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片による手法を用いて、現在南アフリカ共和国内に暮らすコマニ・サン人(‡Khomani San)とカッレッジェメンセ人(Karretjiemense)が、オークハースト岩陰の古代の狩猟採集民との強い遺伝的関連を依然として示すことも、明らかになりました。こうしたアフリカ南部における古代人との関連は、他のアフリカ南部の現代人では、他地域から広範に到来した集団との遺伝的混合によって曖昧になりました。完新世においても、人類集団の遺伝的構成の連続や変容は地域によってさまざまだったことが、改めて示されています。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
●要約
アフリカ南部は世界において、人類化石の最長の記録のある1地域であり、最大のヒトの遺伝的多様性を有しています。しかし、ヒトの起源と世界中の拡散への関連にも関わらず、過去の遺伝子プールの形成と仮定はまだほとんど知られていません。本論文は、南アフリカ共和国の1ヶ所の遺跡であるオークハースト岩陰から回収された9個体の、ゲノム規模配列の時間横断区を提示します。完新世全体にわたるこれらの個体の古代DNAによって、過去1万年間の先住民のサン人集団およびその祖先の人口統計学的軌跡の再構築が可能となります。世界中のほとんどの地域とは対照的に、アフリカ最南端の人口史は、移住と置換と混合のいくつかの波によってではなく、初期完新世から後期石器時代末までの長期にわたる遺伝的連続性によって特徴づけられていた、と本論文は示します。牧畜と農耕の出現は1300年前頃行このアフリカ南部の大半において遺伝子プールをかなり変容させましたが、本論文では、アレル頻度およびIBD断片に基づく手法を用いて、南アフリカ共和国のコマニサン人とカッレッジェメンセ人は依然として、オークハースト狩猟採集民との関連性の直接的痕跡を示している、と論証され、これは最近の広範な非アフリカ南部との混合によって曖昧になったパターンです。しかし、南アフリカ共和国の一部の南部サン人は依然として、この古代の更新世に由来する遺伝的痕跡を保存しており、現在にまで遺伝的連続性の期間が延長しています。
●研究史
アフリカ南部の人口集団は現在、深い人口史をたどる遺伝的差異を有しており[1、2]、これは26万年前頃(非較正)の古代型現生人類(Homo sapiens)の化石のある考古学的記録や、少なくとも12万年前頃以降となる南アフリカ共和国で発見された解剖学的現代人の存在の証拠にも反映されています[4]。遺伝学的調査ではヒトの進化におけるアフリカ南部の人口構造の重要性が広範に調べられてきましたが、完新世(過去11700年間)におけるより新しい人口統計学的軌跡の理解には顕著な間隙があり、それ相対的にはまだ遺伝学的に研究されていません。
完新世において、石器インダストリーと生計慣行の大きな変容は、おそらく人口統計学的変化も反映しています。過去2000年間に、牧畜と農耕の拡大は、古代と現在両方の人口集団の遺伝的複雑さに見える繰り返しの混合事象をもたらしました[1、2]。第一に、牧畜民の拡大はアフリカ南部の狩猟採集民の遺伝的構成に、アフリカ北東部のレヴァントの豊富な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)をもたらしました。第二に、現在のバントゥー諸語話者と密接に関連する農耕民の流入は、サン人とコイ人(Khoe)の集団にアフリカ西部祖先系統をもたらしました[2]。その結果、すべての現在のサン人およびコイ人集団は、現代の南アフリカ共和国とナミビアとボツワナの非サン人供給源からの少なくとも9%の遺伝的混合を示し、これがLSAサン人集団の人口構造を曖昧にします。初期完新世サン人の人口構造への洞察を提供するため、南アフリカ共和国のオークハースト岩陰から発掘された一連の個体群からゲノム規模データが標本抽出されて回収され、完新世の大半にわたる年代範囲が提供されます。
オークハースト岩陰はアフリカ最南端のジョージの近くに位置し、沿岸から約7kmです(図1a)。オークハースト岩陰は20世紀前半に発掘され、12000年間にまたがる堆積物のかなりの蓄積のため、とくに注目に値します。オークハースト岩陰の前期完新世の巨石の人工遺物群はこの期間の特徴で、南アフリカ共和国全域の多くの遺跡で見つかった石器群と類似しており、現在では遺跡に因んで命名された「オークハースト複合体」と呼ばれる独特な技術複合体とみなされています。8000年前頃、石器は細石器の「ウィルトン(Wilton)」遺物群へと変わり、これは、いくつかの時間的変化、とくに過去2000年間の土器の追加にも関わらず、中期および後期完新世を通じて持続します。オークハースト岩陰遺跡には学童期(6~7歳から12~13歳頃)と成人の46個体の完全および部分的埋葬も保存されており、オークハースト岩陰遺跡の居住期間全体にまたがっていて、LSAの人口構造の研究に貴重な情報源を提供します。本論文は、1万年前頃(較正年代)にさかのぼる、南アフリカ共和国の最古のDNAを含めて、13個体のゲノム規模データを提示します。
●標本
13個体の骨格遺骸が標本抽出され、それぞれ骨のコラーゲンで放射性炭素(¹⁴C)年代測定され、較正年代の範囲は1万~1300年前頃です。これら¹⁴C年代のうち9点は以前に報告されており、標本4点について新たな¹⁴C年代が生成されました。骨格資料から粉末が調整され、古代DNAが抽出されて、二本鎖もしくは一本鎖ライブラリへと返還されました。混合DNA捕獲のため11点の二本鎖および15点の一本鎖ライブラリが選択され、124万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)と重複する配列について濃縮されました。13個体全員について、遺伝的性別が決定され、9個体ではミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が、5個体ではY染色体ハプログループ(YHg)が分類され、その全ては古代と現在のサン人およびコエ人集団で一般的です[1、2]。品質選別と重複ライブラリの統合後に、9個体について集団遺伝学的分析に充分なゲノム規模データが回収され、124万パネルの平均368359ヶ所のSNPと、1.7%の平均mtDNA汚染と、1.5%の平均X染色体汚染を特徴とします。以下は本論文の図1です。
●オークハースト個体群と現在のサン人およびコイ人
オークハースト遺跡の9個体を汎アフリカの進化状況へと位置づけるためにまず、TreeMixを用いて、古代と現在の人口集団におけるアレル頻度に基づいて人口集団系統樹が構築されました。現在のサン人個体群と同様に、オークハースト遺跡の9個体は他のヒト系統と基底部で分岐しています(拡張図1a)。その遺伝的祖先系統を詳しく調べるため、現在のサン人24個体、ナミビアとボツワナと南アフリカ共和国のコエコエ(Khoekhoe)語(ナマ語)およびバントゥー諸語話者人口集団の一式で主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行され、新規および刊行されている古代人のゲノムが最初の2主成分(PC)に投影されました(図1)。サン人およびコエコエ人の微細規模の人口構造に関する以前の分析と一致して、PC2に沿ってサン人とコエ人の集団間で顕著な遺伝的分化が観察され、カラハリ砂漠の南北に暮らす集団間の地理的分離を反映しています[29]。以下は本論文の拡張図1です。
まとめると、主要な3クラスタが観察されます。それは、北部サン人祖先系統構成要素を表しているクン・ホアン(Kx`a)語族話者のジュホアン人(Ju|’hoansi)とクン人(!Xuun、Xuun)、南部サン人祖先系統構成要素を形成するコエ・クワディ(Khoe-Kwadi)語族話者のナマ人(Nama)やツウ(Tuu)語族話者のコマニ人(‡Khomani、Khomani)やカッレッジェメンセ人(Karretjiemense)とツウ語族話者のター人(Taa)、中央部サン人祖先系統に対応するクン・ホアン(Kx`a)語族話者のホアン人(ǂHoan、Hoan)やコエ・クワディ語族話者のグイ人(Gǀui、Gui)およびガナ人(Gǁana、Gana)です。カッレッジェメンセ人の自己認識は南アフリカ共和国のカルー(Karoo)地域のこれらサン人の子孫で、アフリカーンス(Afrikaans)語では「荷車の人々」と訳されます。この状況では、オークハースト遺跡の9個体は南アフリカ共和国の以前に刊行されたLSA狩猟採集民4個体[1、2]とともに密接にクラスタ化し(まとまり)、南部サン人およびコエコエ人クラスタの多様性内に収まります(図1b)。少ない分析された人口集団間でより大きなSNP重複のある、わずかに異なるPCA(拡張図1b)も検討され、これは特定の兆候に有効と証明されています。本論文では、データセットで最古級となる較正年代で10500~9500年前(95%信頼区間)の個体OAK006が、北部サン人クラスタの方向へとわずかに動いている、と分かりました(拡張図1b)。
DYSTRUCTを用いた教師なし祖先系統分解は、K(系統構成要素数)=6クラスタではPCAとの全体的な同様のパターンを示し(拡張図2)、現在の南部サン人およびコエコエ人は同じ主要な祖先構成要素(橙色で示されます)に割り当てられており、この構成要素は、オークハースト遺跡個体群、南アフリカ共和国沿岸のセントヘレナ湾(St. Helena Bay)で発掘された2241~1965年前頃の個体、南アフリカ共和国のファロオスコプ(Faraoskop)遺跡で発見された個体、南アフリカ共和国のバリット・ベイ(Ballito Bay)遺跡の石器時代(2000年前頃)の1個体といったLSA個体群で最大化されています。対照的に、北部サン人は異なる構成要素(青色で示されます)を示し、この構成要素はジュホアン人で最大化されます。最後に、第三の構成要素(赤紫色で示されます)はター人で最大化され、ホアン人やグイ人やガナ人やツァ人(Tshwa)などほとんどの残りのコエ・クワディ語族話者人口集団でも最大のサン人祖先系統構成要素を反映しています(拡張図2)。以下は本論文の拡張図2です。
PCAと祖先系統クラスタ化の観察が共有される遺伝的浮動のパターンと一致するのかどうか、定量的に検証するため、オークハースト遺跡個体群と現在のサン人およびコエ人集団との間でF₃形式(古代人;オークハースト遺跡個体群、検証対象)の外群F₃統計が計算されました。対でのFₛₜ(fixation index、2集団の遺伝的分化の程度を示す固定指数)も計算され、2点の測定値が比較されます(拡張図3a)。F₃とFₛₜの推定値は有意に関連していますが(拡張図3a)、外群F₃の兆候は現在の人口集団では先住民のサン人の祖先系統の割合とおもに相関しています。Fₛₜは非サン人祖先系統のさまざまな割合による影響が少ないようで、その結果として、その後の混合事象によって曖昧になった微妙な人口構造を検出できます。オークハースト遺跡個体群と南部サン人クラスタ、つまりカッレッジェメンセ人やコマニ人やナマ人との間で最高の遺伝的類似性が見つかります。以下は本論文の拡張図3です。
一般的に、オークハースト遺跡個体群と現在のサン人およびコエ・クワディ語族話者集団との間のFₛₜは緯度と強く相関しており、オークハースト岩陰のより近くに暮らすサン人およびコエコエ人集団は現在でも依然として、さらに北方の集団よりもLSA住民と密接に関連している、と論証されます。これは、オークハースト遺跡の最も新しい(較正年代で1344年前頃、95%信頼区間では較正年代で1400~1300年前)個体OAK0079とアフリカ南部の現代人との間のIBD断片の共有によってさらに裏づけられます。平均的に、個体OAK007はより多くてより長いIBD断片を他の検証された人口集団とよりもカッレッジェメンセ人およびコマニ人の方と共有しており、南アフリカ共和国の古代の狩猟採集民と現代のサン人およびコエ人集団直接的な遺伝的関連性を論証しています(拡張図4)。以下は本論文の拡張図4です。
●初期完新世以降のゲノム連続性
次に、続けて経時的な祖先系統の個々の変化が調べられました。まず、オークハースト遺跡個体群と以前に刊行された南アフリカ共和国やカメルーン[31]やケニア[32、33]やマラウイ[2、34]やタンザニア[34]やザンビア[34]の先史時代個体群のゲノム間の遺伝課的類似性の程度が、外群F₃統計を使用して評価されました。南アフリカ共和国のすべてのLSA個体のゲノムは、他の検証された先史時代のアフリカ古代人よりも相互に類似しています(図2)。しかし、いくつかの微細規模の人口階層化が明らかで、オークハースト遺跡個体群で最も新しい個体OAK007は、セントヘレナ湾およびファロオスコプ遺跡で発見された2000年前頃の狩猟採集民2個体とともにクラスタ化します。これらの標本はまとまって、南アフリカ共和国の東岸のクワズール・ナタール(KwaZulu-Natal)州に位置するバリット・ベイ遺跡の同時代の標本2点と姉妹クレード(単系統群)を形成し、より古いオークハースト遺跡の標本の多様性内に収まります。以下は本論文の図2です。
多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)での対の距離でのF₃行列を視覚化すると、較正年代で1300年以上前のオークハースト遺跡個体群は、より新しいLSA個体群のゲノムおよび西ケープ州のサザーランド(Sutherland)の歴史時代のサン人の標本3点から離れ、座標1に沿って動いている、と分かりました(拡張図5a)。一方で、PCAおよびDYSTRUCT分析で検出された類似性と一致して、南アフリカ共和国の1200年前頃の牧畜民1個体と鉄器時代の農耕民4個体はそれぞれ、マラウイとカメルーンのLSA個体群のゲノムの多様性でクラスタ化しており、アフリカ南部のすべての人口集団にさまざまな割合の非サン人祖先系統をもたらした、較正年代で1300年前頃以後の混合事象の影響が浮き彫りになります。以下は本論文の拡張図5です。
オークハースト遺跡個体群がすでに非サン人祖先系統とのわずかな過剰を示しているのかどうか検証するため、F₄形式(古代人、検証対象;北ジュホアン人、タンザニア古代人)のF₄統計(図3a)とF₄形式(古代人、検証対象;北ジュホアン人、カメルーン_SMA)のF₄統計(拡張図5b)が計算されました【タンザニア古代人とは、ルクマンダ(Luxmanda)遺跡の3100年前頃の牧畜民1個体(タンザニア_ルクマンダ_3000年前)で、カメルーン_SMAについては調べても意味するところがよく分かりませんでしたが、SMAは重度マラリア貧血(severe malarial anaemia)の略称かもしれません】。その結果、最も新しい個体OAK007を含めてオークハースト遺跡個体群は、刊行されているLSA個体群のゲノムよりもタンザニア_ルクマンダ_3000年前(アフリカ東部牧畜民祖先系統と関連しています)もしくはカメルーン_SMA(アフリカ中央部および西部祖先系統を表しています)の方と多くの遺伝的浮動を共有している、と分かり、較正年代でわずか1300年前頃以後のアフリカ南部沿岸における非サン人祖先系統の到来の年代の初期の境界を提供します。南アフリカ共和国のすべてのLSA標本について、ジュホアン人とよりも現在のコマニ人の方との有意に高い類似性が観察され、2万年以上前[36]、したがってマカディカディ(Makgadikgadi)古湿地が干上がる前[29]の、南北のサン人祖先系統の古い分岐年代を確証します(図3b)。以下は本論文の図3です。
南アフリカ共和国の年代順の集団が前後の人口集団と同じ遺伝的構成の共有において一貫するのかどうか検証するため、F₄統計の一般化であるqpWave[39、40]を用いて、連続性の有意な証拠について検証されました(つまり、P > 0.01でのクレード形成と一致するのかどうか、検証されました)。その結果、較正年代で1万年前頃と6000年前頃と4000寝間のオークハースト遺跡個体やアフリカ南部の西岸および東岸の集団(較正年代で2200~1300年前頃となる、セントヘレナ個体とファロオスコプ個体と個体OAK007とバリット・ベイ個体)はすべて遺伝的に区別できない、と分かりました(図3c)。一方で、較正年代で1300年前頃と1200年前頃の個体間、および較正年代で1200年前頃と400年前頃の個体間で有意な不連続性が観察され、南アフリカ共和国における非サン人のアフリカ東部牧畜民祖先系統およびアフリカ西部農耕民祖先系統の独立した到来と一致します(図3c)。これらの人口統計学的変化を定量的に評価するため、qpAdm[39、40]を用いて、これらの集団の、在来のLSA個体群と牧畜民と農耕民の祖先系統構成要素間の混合としてのモデル化に成功しました。サザーランドの3個体(年代は19世紀後半)内のアフリカ西部祖先系統の証拠は見つかりませんでしたが、北ケープ州の現在のコマニ人で測定された割合(9±1%)と匹敵する、少量(11±0.9%)のタンザニア_ルクマンダ_3000年前関連祖先系統が検出されました(図3c)。
全体的に、これらの観察から、較正年代で1万~1300年前頃の間に、現在の南アフリカ共和国外からの祖先系統はオークハースト岩陰個体群には到来しなかった、と示唆され、ほぼ9000年の期間にわたる相対的な遺伝的連続性の顕著な程度が論証されます。そうした人口統計学的パターンは世界中の考古遺伝学的記録では例外的ですが、オークハースト遺跡標本は遺伝的孤立の痕跡を示していません。オークハースト遺跡個体群の条件付きヌクレオチド多様性(conditional nucleotide diversity、略してCND)はマラウイとケニアとカメルーンのLSA人口集団より低いものの、西ケープ州とクワズール・ナタール州の刊行されている狩猟採集民で測定された多様性に匹敵し、セルビア[42]や日本[43]やブラジル[44]の古代の狩猟採集民より高くなっています(拡張図6a)。さらに、最高級の網羅率の3個体(OAK007、OAK012、OAK013)内の平均異型接合性は、ほとんどの現在のサン人およびコエ人集団より高いと分かり、長い遺伝的孤立のモデルと一致しませんが、1300年前頃以後の南部サン人とコエ人における有効人口規模の連続的なかなりの減少との最近の調査結果を裏づけます。以下は本論文の拡張図6です。
●過去2000年間の人口統計学的変化
LSA個体群のデータの利用可能性増加を用いて、過去2000年間のアフリカ南部における人口動態の変化が定量化され、特徴づけられました。しかし、これらの混合事象の再構築は困難で、それは、先史時代における少なくとも二つの移民人口集団からの追加の遺伝子流動[1、2、49]と、1650年代以降のヨーロッパ人の入植に続く追加の大陸内および大陸間の混合のためです。この複雑な歴史は、混合事象の時期と様相(たとえば、性別の偏りを含みます)についての推測を妨げます。これらの問題を回避するため、現在この地域に存在するさまざまな祖先系統のうち2系統のみを有する集団に焦点が当てられ、その結果のパターンが比較されて、南アフリカ共和国での非LSA祖先系統の推定される軌跡が特定されました。具体的には、qpAdmを用いて、現在のサン人やコエ人やバントゥー諸語話者人口集団について、供給源1か2か3のモデル(現時点でヨーロッパ人との混合のある個体は除外されます)が検証されました。供給源として、(1)南アフリカ共和国(South Africa、略してSA)の石器時代の狩猟採集民(SA_LSA)、(2)タンザニア_ルクマンダ_3000年前、(3)現在のメンデ人(Mende)で用いられ、(1)は在来のLSA個体群、(2)は牧畜民、(3)は農耕民の祖先系統を表します(拡張図7)。以下は本論文の拡張図7です。
供給源の最も少ない数を用いての最適モデルにおける推定混合割合に基づいて、おもにアフリカ西部もしくはアフリカ東部の混合区分へと人口集団が分類され、非サン人祖先系統が両方ともかなり存在する曖昧な事例は除外されました。これらの区分内で、関連する標的集団におけるアフリカ西部構成要素(拡張図8a)とアフリカ東部構成要素(拡張図8b)の混合年代が計算されました。アフリカ東部、つまりタンザニア_ルクマンダ_3000年前関連の祖先系統のサン人およびコエ人集団への遺伝子流動は、アフリカ西部関連集団からの遺伝子流動より一貫して古い、と分かりました。タンザニア_ルクマンダ_3000年前関連からの遺伝子流動について、サン人およびコエ人集団において1068年前の平均混合年代が特定され、南アフリカ共和国のカステールバーグ(Kasteelberg)遺跡の牧畜状況で埋葬された1200年前頃の1個体において観察されたアフリカ東部祖先系統、および19世紀のサザーランド標本群で推定された混合年代(1228±278年前)と一致します。
対照的に、サン人とコエ人とバントゥー諸語話者集団におけるアフリカ西部系との混合年代は、一貫してタンザニア_ルクマンダ_3000年前関連祖先系統からの遺伝子流動より新しく、バントゥー諸語話者集団とサン人/コエ人との間の違いも示します。具体的には、アフリカ南部におけるバントゥー諸語話者人口集団、たとえばヘレロ人(Herero)やツワナ人(Tswana)やクガラガディ人(Kgalagadi)におけるアフリカ西部祖先系統の混合の平均年代は平均して808年前頃と推定され、クワズール・ナタール州の鉄器時代農耕民(832±139年前)による較正年代で400年前頃の混合の年代測定と驚くほど一致します。対照的に、サン人およびコエ人集団におけるアフリカ西部祖先系統の推定年代はより新しく、578年前頃です。この不一致は、バントゥー諸語話者集団の移住の連続した波、もしくはバントゥー諸語話者関連集団からサン人およびコエ人集団への、バントゥー諸語話者集団へとサン人およびコエ人祖先系統をもたらした最初の混合事象後の連続的な遺伝子流動を示唆しているかもしれません(拡張図8)。以下は本論文の拡張図8です。
在来民と新参者との間の相互作用の様相について、ほとんどの現在のサン人とコエ人とバントゥー諸語話者集団において性別の偏りの証拠が見つかり、バントゥー諸語話者集団と比較してサン人およびコエ人集団におけるより強い兆候がありました(図4b)。一般的に、サン人およびコエ人の両方とバントゥー諸語話者集団は、常染色体よりもX染色体上で優位に多くのSA_LSA祖先系統を示し、常染色体上よりもX染色体上でSA_LSAと多くの浮動を共有しています(図4b)。これが示唆するのは、サン人の男性祖先よりもかなり多くの女性祖先がアフリカ東部牧畜民およびアフリカ西部農耕民の祖先系統の拡大に続く混合事象に関わっていた、ということで、これは片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)およびゲノム規模遺伝標識の先行研究[29]と一致します。単一の混合事象を仮定すると(DATES分析から得られた年代を使用)、X染色体の祖先系統に対して常染色体の祖先系統を明示的に比較し、以前に説明された手法を用いて、選択されたコエ人およびバントゥー諸語話者集団の遺伝子プールへの女性(sf)と男性(sf)の寄与が決定されます。各サン人男性に対するサン人女性の遺伝子プールへの寄与は、ダマラ人(Damara)については約1.4人、ホアン人については約2.28人、シュア人(Shua)については約4人、ハイオム人(Haiǁom、Haiom)については約5人、南アフリカ共和国のバントゥー諸語話者集団については約2.1人です。以下は本論文の図4です。
女性に偏った混合の兆候は歴史時代のサザーランド個体群のゲノムやカステールバーグ遺跡の1200年前頃の牧畜民1個体でも明らかですが、南アフリカ共和国クワズール・ナタール州の鉄器時代の標本4点(SA_400年前)はX染色体上よりも常染色体上でSA_LSAと多くの浮動を共有している、と観察され、サン人の女性祖先よりも多くの男性祖先が示唆されます(図4a)。これは南アフリカ共和国とボツワナにおけるほとんどの現在のバントゥー諸語話者集団もしくはサン人およびコエ人集団で観察されたパターンと矛盾しており、400年前頃以後のバントゥー諸語話者集団とサン人/コエ人集団との間の相互作用における変化と関連しているかもしれません。全体的に本論文の結果から、サン人およびコエ人集団からバントゥー諸語話者集団への女性に偏った遺伝子流動の優勢な傾向にも関わらず、相互作用と繁殖の様相は、最初の農耕民の到来後の局所的で時間的に定義された要因に強く影響された、と示されます。
最後に、ヨーロッパ人からサン人/コエ人およびコールズバーグ(Colesberg)とウェリントン(Wellington)の混合集団への男性に偏った遺伝子流動に対応する相対的に最近の混合年代が検出されます。F₃形式(検証対象;サザーランド個体群、標的)の混合F₃統計で示されるように、この祖先系統はヨーロッパ惑星部人に最も近似しています。たとえば、コールズバーグの混合祖先系統の南アフリカ共和国の人々については、ユーラシア西部の40の人口集団間のF₃値はアイルランド人とアイスランド人とノルウェー人で最小となり、それに続くのがイングランド人です。これらの人口集団におけるヨーロッパ北部祖先系統の到来は199年前頃と測定され、これはオランダとイギリスからの17世紀半ば以降の植民の後となり、この地域におけるほとんどのサン人およびコエ人の遺伝と言語と文化の多様性の消滅に最終的につながり、アフリカ南部における人口統計学的軌跡に永続的影響を及ぼした進展です(図4c)。
南アフリカ共和国の人口構造は部分的に崩壊しましたが、新たな大陸外祖先系統がこの地域にもたらされ、混合景観の異質性は増加しました。アフリカ外からのこの流入と遺伝的多様性への影響を定量的に推定するため、ソフトウェアADMIXTUREに実装されている教師有クラスタ化手法を用いて、混合供給源が分解されました(拡張図9)。たとえば、コールズバーグの混合祖先系統の南アフリカ共和国の人々では平均的に、8.2±1.4%のヨーロッパ枠部祖先系統の他に、24.4±3.2%のアジア南部祖先系統と2.8±0.5%のアジア東部祖先系統が観察され、サン人関連祖先系統はわずか35.5±2.9%です。混合祖先系統の南アフリカ共和国の人々の他に、カッレッジェメンセ人(5.61%)とコマニ人(9.45%)とナマ人(6.83%)でヨーロッパ祖先系統がさらに検出され、南部サン人とコエ人がヨーロッパ供給源との混合にとくに影響を受けた、と示唆されます。以下は本論文の拡張図9です。
ADMIXTUREからの出力を用いて、FSTructによるアフリカ南部集団の祖先系統構成要素の変異性の測定へと進みました。その結果、南部サン人、つまりカッレッジェメンセ人とコマニ人とナマ人における差異の相対的水準は他の現在のサン人もしくはコエ人集団よりも有意に高く、それはさまざまなヨーロッパ祖先系統構成要素の頻繁な存在のためで、これはコールズバーグとウェリントンの混合祖先系統の南アフリカ共和国の人々で測定された変異性に匹敵する、と分かりました(拡張図9)。個体群の非アフリカ南部人との混合におけるこの異質性は、FₛₜとIBDの基準を用いて測定されたように古代オークハースト遺跡標本の高い遺伝的異質性を曖昧にし、アフリカ最南端のサン人集団の現在の遺伝的景観への非アフリカ南部系との混合の影響を適切に評価するための、地元の共同体のさらなる標本抽出の必要性を浮き彫りにします。一方で、北部および中央部のサン人は有意により低い変異性を特徴としており、これは同様にかなりの割合の非アフリカ祖先系統を示さない近隣のバントゥー諸語話者集団で観察された多様性と類似しています(拡張図9)。
●考察
アフリカ南部のLSAにおける人口集団の連続性もしくは不連続性の問題は、1世紀以上にわたって人類学的研究の焦点でした。過去20年間の考古遺伝学的研究では、石器時代のヨーロッパ[39、65~71]やアジア[43、72~77]とアフリカ北部[78~80]の人口統計学的歴史は、新参者とも混合もしくは既存住民の全体的置換の形態のどちらかとなる大規模な移住のいくつかの事象によって特徴づけられていた、と明らかになってきました。これらの生物学的変容は在来人口集団の遺伝的構成を変えましたが、新技術の導入や原材料の使用や生計戦略など技術的革新の媒介でもありました。対照的に、南アフリカ共和国について本論文では、在来の遺伝子プールはアフリカ南部外からの遺伝子流動のない(検出できない)遺伝的連続性の長い期間によって特徴づけられていた、と論証されます。古代DNAの得られた本論文で最古級の1個体は、オークハースト岩陰のその後の住民と区別できない遺伝的構成を示し、この在来の「南部」サン人の遺伝子プールは1万年以上前に形成され、近隣の「中央部」および「北部」サン人集団[29]もしくはマラウイとタンザニアのサン人集団と混合した北東のより遠い供給源との混合から孤立したままだった、と示唆されます。
その結果、オークハースト遺跡における一連の文化的変化、たとえばオークハースト技術複合体からウィルトン(Wilton)技術複合体への変化は、先住民によって始まった在来の発展から生じたようで、蓄積に続く同じ場所での革新の役割が浮き彫りになります。本論文のデータから、南アフリカ共和国のLSA沿岸部住民頭蓋顔面の大きさの微妙な変動(たとえば、4000年前頃と3000年前頃の間)は遺伝的不連続性の産物ではなく、おそらくは環境要因もしくは人口規模の変化と関連していた、と論証されます。しかし本論文では、オークハースト遺跡の住民は、小さくボトルネック(瓶首効果)を経た人口集団ではなかった、と強調されます。多様性のゲノム測定は、他のアフリカ狩猟採集民人口集団に匹敵する程度の遺伝的差異と、ヨーロッパもしくはアメリカ大陸の石器時代採食民より高い遺伝的差異を示唆しています。さらに、本論文の手法の現在の解像度とサハラ砂漠以南のアフリカに限定された参照データセットによって、集団規模もしくはアフリカ南部内の人々の小規模の移住の微妙な変化の検出能力は制約されます。しかし、本論文のデータは、オークハースト遺跡の居住の全期間にわたる他のサン人(および非サン人)集団から繁殖では孤立していた1人口集団と一致します。
この9000年間にわたる遺伝的連続性は、牧畜と農耕の拡大に伴ってアフリカの東西の関連祖先系統を【現在の】南アフリカ共和国にもたらした移住事象において、かなり急激に終焉しました。現在利用可能なデータに基づくと、非アフリカ南部祖先系統は【現在の】南アフリカ共和国の最南端に較正年代でやっと1300年前頃以後に到来したようです。しかし、較正年代で2000年前頃以降の、この地域における沿岸と沿岸に近い共同体の生計と居住パターンでの顕著な変化の豊富な考古学的証拠があります。これらの変化は以前には、牧畜の出現による狩猟採集民共同体の崩壊から生じた、と解釈されていました。注目すべきことに、同様の時間的不一致はヨーロッパにおいて中石器時代から新石器時代の移行期で観察されており、ヨーロッパでは、狩猟採集民と侵入してきた農耕民との間の混合が農耕の出現よりほぼ2000年遅れています。これは、狩猟採集民と農耕民が混合の前にかなりの期間地理的に近接して居住していたことを示唆しており、移住がその後の人口集団の混合にかなり先行していた可能性を論証します。あるいは、牧畜の慣行は実質的な人口拡大に先行して文化的拡散の過程を通じて【現在の】南アフリカ共和国へと拡大したかもしれず、これは較正年代で1300年前頃以前の【現在の】南アフリカ共和国におけるアフリカ東部関連祖先系統の欠如を説明します。
しかし、過去1300年間の事象は、【現在の】南アフリカ共和国の在来の遺伝子プールにかなりの影響を及ぼしました。現在、すべてのサン人およびコエ人集団はアフリカ東部牧畜民およびアフリカ西部農耕民祖先系統の一方もしくは両方と混合しています[1、2]。LSA人口構造の崩壊は、17世紀半ばにおけるヨーロッパ人入植者の到来によって加速されました。口承伝統の継続的喪失とともに、これらの問題は先史時代アフリカ南部の人口構造に関する貧弱な理解につながっています。アレル頻度とIBD断片に基づく分析を用いて、南アフリカ共和国の現在のサン人およびコエ人住民は、オランダとイギリスの支配下での最近の混乱期間にも関わらず、依然として過去1万年間の古代のオークハースト遺跡個体群と直接的に関連している、と示すことができました。とくに、アフリカ南部の最も混合したサン人/コエ人集団に属するコマニ人とカッレッジェメンセ人とナマ人のうち、一部の個体は依然としてその祖先系統の大半がこれらLSA狩猟採集民にさかのぼります。これは、19世紀後期のサザーランドの歴史時代のサン人3個体にも当てはまり、この3個体は、アフリカ南部外からのごくわずかな祖先系統の寄与と、それ以外にはLSAオークハースト遺跡人口集団との常染色体およびミトコンドリアの類似性を示しており、【現在の】南アフリカ共和国の西ケープ州の初期完新世遺伝子プールは、一部地域では過去2000年間を通じて大きな変化なしに存続し、アフリカ南部の一部では長期間の人口集団の連続性が完全には崩壊しなかった、と論証されます。
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●要約
アフリカ南部は世界において、人類化石の最長の記録のある1地域であり、最大のヒトの遺伝的多様性を有しています。しかし、ヒトの起源と世界中の拡散への関連にも関わらず、過去の遺伝子プールの形成と仮定はまだほとんど知られていません。本論文は、南アフリカ共和国の1ヶ所の遺跡であるオークハースト岩陰から回収された9個体の、ゲノム規模配列の時間横断区を提示します。完新世全体にわたるこれらの個体の古代DNAによって、過去1万年間の先住民のサン人集団およびその祖先の人口統計学的軌跡の再構築が可能となります。世界中のほとんどの地域とは対照的に、アフリカ最南端の人口史は、移住と置換と混合のいくつかの波によってではなく、初期完新世から後期石器時代末までの長期にわたる遺伝的連続性によって特徴づけられていた、と本論文は示します。牧畜と農耕の出現は1300年前頃行このアフリカ南部の大半において遺伝子プールをかなり変容させましたが、本論文では、アレル頻度およびIBD断片に基づく手法を用いて、南アフリカ共和国のコマニサン人とカッレッジェメンセ人は依然として、オークハースト狩猟採集民との関連性の直接的痕跡を示している、と論証され、これは最近の広範な非アフリカ南部との混合によって曖昧になったパターンです。しかし、南アフリカ共和国の一部の南部サン人は依然として、この古代の更新世に由来する遺伝的痕跡を保存しており、現在にまで遺伝的連続性の期間が延長しています。
●研究史
アフリカ南部の人口集団は現在、深い人口史をたどる遺伝的差異を有しており[1、2]、これは26万年前頃(非較正)の古代型現生人類(Homo sapiens)の化石のある考古学的記録や、少なくとも12万年前頃以降となる南アフリカ共和国で発見された解剖学的現代人の存在の証拠にも反映されています[4]。遺伝学的調査ではヒトの進化におけるアフリカ南部の人口構造の重要性が広範に調べられてきましたが、完新世(過去11700年間)におけるより新しい人口統計学的軌跡の理解には顕著な間隙があり、それ相対的にはまだ遺伝学的に研究されていません。
完新世において、石器インダストリーと生計慣行の大きな変容は、おそらく人口統計学的変化も反映しています。過去2000年間に、牧畜と農耕の拡大は、古代と現在両方の人口集団の遺伝的複雑さに見える繰り返しの混合事象をもたらしました[1、2]。第一に、牧畜民の拡大はアフリカ南部の狩猟採集民の遺伝的構成に、アフリカ北東部のレヴァントの豊富な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)をもたらしました。第二に、現在のバントゥー諸語話者と密接に関連する農耕民の流入は、サン人とコイ人(Khoe)の集団にアフリカ西部祖先系統をもたらしました[2]。その結果、すべての現在のサン人およびコイ人集団は、現代の南アフリカ共和国とナミビアとボツワナの非サン人供給源からの少なくとも9%の遺伝的混合を示し、これがLSAサン人集団の人口構造を曖昧にします。初期完新世サン人の人口構造への洞察を提供するため、南アフリカ共和国のオークハースト岩陰から発掘された一連の個体群からゲノム規模データが標本抽出されて回収され、完新世の大半にわたる年代範囲が提供されます。
オークハースト岩陰はアフリカ最南端のジョージの近くに位置し、沿岸から約7kmです(図1a)。オークハースト岩陰は20世紀前半に発掘され、12000年間にまたがる堆積物のかなりの蓄積のため、とくに注目に値します。オークハースト岩陰の前期完新世の巨石の人工遺物群はこの期間の特徴で、南アフリカ共和国全域の多くの遺跡で見つかった石器群と類似しており、現在では遺跡に因んで命名された「オークハースト複合体」と呼ばれる独特な技術複合体とみなされています。8000年前頃、石器は細石器の「ウィルトン(Wilton)」遺物群へと変わり、これは、いくつかの時間的変化、とくに過去2000年間の土器の追加にも関わらず、中期および後期完新世を通じて持続します。オークハースト岩陰遺跡には学童期(6~7歳から12~13歳頃)と成人の46個体の完全および部分的埋葬も保存されており、オークハースト岩陰遺跡の居住期間全体にまたがっていて、LSAの人口構造の研究に貴重な情報源を提供します。本論文は、1万年前頃(較正年代)にさかのぼる、南アフリカ共和国の最古のDNAを含めて、13個体のゲノム規模データを提示します。
●標本
13個体の骨格遺骸が標本抽出され、それぞれ骨のコラーゲンで放射性炭素(¹⁴C)年代測定され、較正年代の範囲は1万~1300年前頃です。これら¹⁴C年代のうち9点は以前に報告されており、標本4点について新たな¹⁴C年代が生成されました。骨格資料から粉末が調整され、古代DNAが抽出されて、二本鎖もしくは一本鎖ライブラリへと返還されました。混合DNA捕獲のため11点の二本鎖および15点の一本鎖ライブラリが選択され、124万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)と重複する配列について濃縮されました。13個体全員について、遺伝的性別が決定され、9個体ではミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が、5個体ではY染色体ハプログループ(YHg)が分類され、その全ては古代と現在のサン人およびコエ人集団で一般的です[1、2]。品質選別と重複ライブラリの統合後に、9個体について集団遺伝学的分析に充分なゲノム規模データが回収され、124万パネルの平均368359ヶ所のSNPと、1.7%の平均mtDNA汚染と、1.5%の平均X染色体汚染を特徴とします。以下は本論文の図1です。
●オークハースト個体群と現在のサン人およびコイ人
オークハースト遺跡の9個体を汎アフリカの進化状況へと位置づけるためにまず、TreeMixを用いて、古代と現在の人口集団におけるアレル頻度に基づいて人口集団系統樹が構築されました。現在のサン人個体群と同様に、オークハースト遺跡の9個体は他のヒト系統と基底部で分岐しています(拡張図1a)。その遺伝的祖先系統を詳しく調べるため、現在のサン人24個体、ナミビアとボツワナと南アフリカ共和国のコエコエ(Khoekhoe)語(ナマ語)およびバントゥー諸語話者人口集団の一式で主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行され、新規および刊行されている古代人のゲノムが最初の2主成分(PC)に投影されました(図1)。サン人およびコエコエ人の微細規模の人口構造に関する以前の分析と一致して、PC2に沿ってサン人とコエ人の集団間で顕著な遺伝的分化が観察され、カラハリ砂漠の南北に暮らす集団間の地理的分離を反映しています[29]。以下は本論文の拡張図1です。
まとめると、主要な3クラスタが観察されます。それは、北部サン人祖先系統構成要素を表しているクン・ホアン(Kx`a)語族話者のジュホアン人(Ju|’hoansi)とクン人(!Xuun、Xuun)、南部サン人祖先系統構成要素を形成するコエ・クワディ(Khoe-Kwadi)語族話者のナマ人(Nama)やツウ(Tuu)語族話者のコマニ人(‡Khomani、Khomani)やカッレッジェメンセ人(Karretjiemense)とツウ語族話者のター人(Taa)、中央部サン人祖先系統に対応するクン・ホアン(Kx`a)語族話者のホアン人(ǂHoan、Hoan)やコエ・クワディ語族話者のグイ人(Gǀui、Gui)およびガナ人(Gǁana、Gana)です。カッレッジェメンセ人の自己認識は南アフリカ共和国のカルー(Karoo)地域のこれらサン人の子孫で、アフリカーンス(Afrikaans)語では「荷車の人々」と訳されます。この状況では、オークハースト遺跡の9個体は南アフリカ共和国の以前に刊行されたLSA狩猟採集民4個体[1、2]とともに密接にクラスタ化し(まとまり)、南部サン人およびコエコエ人クラスタの多様性内に収まります(図1b)。少ない分析された人口集団間でより大きなSNP重複のある、わずかに異なるPCA(拡張図1b)も検討され、これは特定の兆候に有効と証明されています。本論文では、データセットで最古級となる較正年代で10500~9500年前(95%信頼区間)の個体OAK006が、北部サン人クラスタの方向へとわずかに動いている、と分かりました(拡張図1b)。
DYSTRUCTを用いた教師なし祖先系統分解は、K(系統構成要素数)=6クラスタではPCAとの全体的な同様のパターンを示し(拡張図2)、現在の南部サン人およびコエコエ人は同じ主要な祖先構成要素(橙色で示されます)に割り当てられており、この構成要素は、オークハースト遺跡個体群、南アフリカ共和国沿岸のセントヘレナ湾(St. Helena Bay)で発掘された2241~1965年前頃の個体、南アフリカ共和国のファロオスコプ(Faraoskop)遺跡で発見された個体、南アフリカ共和国のバリット・ベイ(Ballito Bay)遺跡の石器時代(2000年前頃)の1個体といったLSA個体群で最大化されています。対照的に、北部サン人は異なる構成要素(青色で示されます)を示し、この構成要素はジュホアン人で最大化されます。最後に、第三の構成要素(赤紫色で示されます)はター人で最大化され、ホアン人やグイ人やガナ人やツァ人(Tshwa)などほとんどの残りのコエ・クワディ語族話者人口集団でも最大のサン人祖先系統構成要素を反映しています(拡張図2)。以下は本論文の拡張図2です。
PCAと祖先系統クラスタ化の観察が共有される遺伝的浮動のパターンと一致するのかどうか、定量的に検証するため、オークハースト遺跡個体群と現在のサン人およびコエ人集団との間でF₃形式(古代人;オークハースト遺跡個体群、検証対象)の外群F₃統計が計算されました。対でのFₛₜ(fixation index、2集団の遺伝的分化の程度を示す固定指数)も計算され、2点の測定値が比較されます(拡張図3a)。F₃とFₛₜの推定値は有意に関連していますが(拡張図3a)、外群F₃の兆候は現在の人口集団では先住民のサン人の祖先系統の割合とおもに相関しています。Fₛₜは非サン人祖先系統のさまざまな割合による影響が少ないようで、その結果として、その後の混合事象によって曖昧になった微妙な人口構造を検出できます。オークハースト遺跡個体群と南部サン人クラスタ、つまりカッレッジェメンセ人やコマニ人やナマ人との間で最高の遺伝的類似性が見つかります。以下は本論文の拡張図3です。
一般的に、オークハースト遺跡個体群と現在のサン人およびコエ・クワディ語族話者集団との間のFₛₜは緯度と強く相関しており、オークハースト岩陰のより近くに暮らすサン人およびコエコエ人集団は現在でも依然として、さらに北方の集団よりもLSA住民と密接に関連している、と論証されます。これは、オークハースト遺跡の最も新しい(較正年代で1344年前頃、95%信頼区間では較正年代で1400~1300年前)個体OAK0079とアフリカ南部の現代人との間のIBD断片の共有によってさらに裏づけられます。平均的に、個体OAK007はより多くてより長いIBD断片を他の検証された人口集団とよりもカッレッジェメンセ人およびコマニ人の方と共有しており、南アフリカ共和国の古代の狩猟採集民と現代のサン人およびコエ人集団直接的な遺伝的関連性を論証しています(拡張図4)。以下は本論文の拡張図4です。
●初期完新世以降のゲノム連続性
次に、続けて経時的な祖先系統の個々の変化が調べられました。まず、オークハースト遺跡個体群と以前に刊行された南アフリカ共和国やカメルーン[31]やケニア[32、33]やマラウイ[2、34]やタンザニア[34]やザンビア[34]の先史時代個体群のゲノム間の遺伝課的類似性の程度が、外群F₃統計を使用して評価されました。南アフリカ共和国のすべてのLSA個体のゲノムは、他の検証された先史時代のアフリカ古代人よりも相互に類似しています(図2)。しかし、いくつかの微細規模の人口階層化が明らかで、オークハースト遺跡個体群で最も新しい個体OAK007は、セントヘレナ湾およびファロオスコプ遺跡で発見された2000年前頃の狩猟採集民2個体とともにクラスタ化します。これらの標本はまとまって、南アフリカ共和国の東岸のクワズール・ナタール(KwaZulu-Natal)州に位置するバリット・ベイ遺跡の同時代の標本2点と姉妹クレード(単系統群)を形成し、より古いオークハースト遺跡の標本の多様性内に収まります。以下は本論文の図2です。
多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)での対の距離でのF₃行列を視覚化すると、較正年代で1300年以上前のオークハースト遺跡個体群は、より新しいLSA個体群のゲノムおよび西ケープ州のサザーランド(Sutherland)の歴史時代のサン人の標本3点から離れ、座標1に沿って動いている、と分かりました(拡張図5a)。一方で、PCAおよびDYSTRUCT分析で検出された類似性と一致して、南アフリカ共和国の1200年前頃の牧畜民1個体と鉄器時代の農耕民4個体はそれぞれ、マラウイとカメルーンのLSA個体群のゲノムの多様性でクラスタ化しており、アフリカ南部のすべての人口集団にさまざまな割合の非サン人祖先系統をもたらした、較正年代で1300年前頃以後の混合事象の影響が浮き彫りになります。以下は本論文の拡張図5です。
オークハースト遺跡個体群がすでに非サン人祖先系統とのわずかな過剰を示しているのかどうか検証するため、F₄形式(古代人、検証対象;北ジュホアン人、タンザニア古代人)のF₄統計(図3a)とF₄形式(古代人、検証対象;北ジュホアン人、カメルーン_SMA)のF₄統計(拡張図5b)が計算されました【タンザニア古代人とは、ルクマンダ(Luxmanda)遺跡の3100年前頃の牧畜民1個体(タンザニア_ルクマンダ_3000年前)で、カメルーン_SMAについては調べても意味するところがよく分かりませんでしたが、SMAは重度マラリア貧血(severe malarial anaemia)の略称かもしれません】。その結果、最も新しい個体OAK007を含めてオークハースト遺跡個体群は、刊行されているLSA個体群のゲノムよりもタンザニア_ルクマンダ_3000年前(アフリカ東部牧畜民祖先系統と関連しています)もしくはカメルーン_SMA(アフリカ中央部および西部祖先系統を表しています)の方と多くの遺伝的浮動を共有している、と分かり、較正年代でわずか1300年前頃以後のアフリカ南部沿岸における非サン人祖先系統の到来の年代の初期の境界を提供します。南アフリカ共和国のすべてのLSA標本について、ジュホアン人とよりも現在のコマニ人の方との有意に高い類似性が観察され、2万年以上前[36]、したがってマカディカディ(Makgadikgadi)古湿地が干上がる前[29]の、南北のサン人祖先系統の古い分岐年代を確証します(図3b)。以下は本論文の図3です。
南アフリカ共和国の年代順の集団が前後の人口集団と同じ遺伝的構成の共有において一貫するのかどうか検証するため、F₄統計の一般化であるqpWave[39、40]を用いて、連続性の有意な証拠について検証されました(つまり、P > 0.01でのクレード形成と一致するのかどうか、検証されました)。その結果、較正年代で1万年前頃と6000年前頃と4000寝間のオークハースト遺跡個体やアフリカ南部の西岸および東岸の集団(較正年代で2200~1300年前頃となる、セントヘレナ個体とファロオスコプ個体と個体OAK007とバリット・ベイ個体)はすべて遺伝的に区別できない、と分かりました(図3c)。一方で、較正年代で1300年前頃と1200年前頃の個体間、および較正年代で1200年前頃と400年前頃の個体間で有意な不連続性が観察され、南アフリカ共和国における非サン人のアフリカ東部牧畜民祖先系統およびアフリカ西部農耕民祖先系統の独立した到来と一致します(図3c)。これらの人口統計学的変化を定量的に評価するため、qpAdm[39、40]を用いて、これらの集団の、在来のLSA個体群と牧畜民と農耕民の祖先系統構成要素間の混合としてのモデル化に成功しました。サザーランドの3個体(年代は19世紀後半)内のアフリカ西部祖先系統の証拠は見つかりませんでしたが、北ケープ州の現在のコマニ人で測定された割合(9±1%)と匹敵する、少量(11±0.9%)のタンザニア_ルクマンダ_3000年前関連祖先系統が検出されました(図3c)。
全体的に、これらの観察から、較正年代で1万~1300年前頃の間に、現在の南アフリカ共和国外からの祖先系統はオークハースト岩陰個体群には到来しなかった、と示唆され、ほぼ9000年の期間にわたる相対的な遺伝的連続性の顕著な程度が論証されます。そうした人口統計学的パターンは世界中の考古遺伝学的記録では例外的ですが、オークハースト遺跡標本は遺伝的孤立の痕跡を示していません。オークハースト遺跡個体群の条件付きヌクレオチド多様性(conditional nucleotide diversity、略してCND)はマラウイとケニアとカメルーンのLSA人口集団より低いものの、西ケープ州とクワズール・ナタール州の刊行されている狩猟採集民で測定された多様性に匹敵し、セルビア[42]や日本[43]やブラジル[44]の古代の狩猟採集民より高くなっています(拡張図6a)。さらに、最高級の網羅率の3個体(OAK007、OAK012、OAK013)内の平均異型接合性は、ほとんどの現在のサン人およびコエ人集団より高いと分かり、長い遺伝的孤立のモデルと一致しませんが、1300年前頃以後の南部サン人とコエ人における有効人口規模の連続的なかなりの減少との最近の調査結果を裏づけます。以下は本論文の拡張図6です。
●過去2000年間の人口統計学的変化
LSA個体群のデータの利用可能性増加を用いて、過去2000年間のアフリカ南部における人口動態の変化が定量化され、特徴づけられました。しかし、これらの混合事象の再構築は困難で、それは、先史時代における少なくとも二つの移民人口集団からの追加の遺伝子流動[1、2、49]と、1650年代以降のヨーロッパ人の入植に続く追加の大陸内および大陸間の混合のためです。この複雑な歴史は、混合事象の時期と様相(たとえば、性別の偏りを含みます)についての推測を妨げます。これらの問題を回避するため、現在この地域に存在するさまざまな祖先系統のうち2系統のみを有する集団に焦点が当てられ、その結果のパターンが比較されて、南アフリカ共和国での非LSA祖先系統の推定される軌跡が特定されました。具体的には、qpAdmを用いて、現在のサン人やコエ人やバントゥー諸語話者人口集団について、供給源1か2か3のモデル(現時点でヨーロッパ人との混合のある個体は除外されます)が検証されました。供給源として、(1)南アフリカ共和国(South Africa、略してSA)の石器時代の狩猟採集民(SA_LSA)、(2)タンザニア_ルクマンダ_3000年前、(3)現在のメンデ人(Mende)で用いられ、(1)は在来のLSA個体群、(2)は牧畜民、(3)は農耕民の祖先系統を表します(拡張図7)。以下は本論文の拡張図7です。
供給源の最も少ない数を用いての最適モデルにおける推定混合割合に基づいて、おもにアフリカ西部もしくはアフリカ東部の混合区分へと人口集団が分類され、非サン人祖先系統が両方ともかなり存在する曖昧な事例は除外されました。これらの区分内で、関連する標的集団におけるアフリカ西部構成要素(拡張図8a)とアフリカ東部構成要素(拡張図8b)の混合年代が計算されました。アフリカ東部、つまりタンザニア_ルクマンダ_3000年前関連の祖先系統のサン人およびコエ人集団への遺伝子流動は、アフリカ西部関連集団からの遺伝子流動より一貫して古い、と分かりました。タンザニア_ルクマンダ_3000年前関連からの遺伝子流動について、サン人およびコエ人集団において1068年前の平均混合年代が特定され、南アフリカ共和国のカステールバーグ(Kasteelberg)遺跡の牧畜状況で埋葬された1200年前頃の1個体において観察されたアフリカ東部祖先系統、および19世紀のサザーランド標本群で推定された混合年代(1228±278年前)と一致します。
対照的に、サン人とコエ人とバントゥー諸語話者集団におけるアフリカ西部系との混合年代は、一貫してタンザニア_ルクマンダ_3000年前関連祖先系統からの遺伝子流動より新しく、バントゥー諸語話者集団とサン人/コエ人との間の違いも示します。具体的には、アフリカ南部におけるバントゥー諸語話者人口集団、たとえばヘレロ人(Herero)やツワナ人(Tswana)やクガラガディ人(Kgalagadi)におけるアフリカ西部祖先系統の混合の平均年代は平均して808年前頃と推定され、クワズール・ナタール州の鉄器時代農耕民(832±139年前)による較正年代で400年前頃の混合の年代測定と驚くほど一致します。対照的に、サン人およびコエ人集団におけるアフリカ西部祖先系統の推定年代はより新しく、578年前頃です。この不一致は、バントゥー諸語話者集団の移住の連続した波、もしくはバントゥー諸語話者関連集団からサン人およびコエ人集団への、バントゥー諸語話者集団へとサン人およびコエ人祖先系統をもたらした最初の混合事象後の連続的な遺伝子流動を示唆しているかもしれません(拡張図8)。以下は本論文の拡張図8です。
在来民と新参者との間の相互作用の様相について、ほとんどの現在のサン人とコエ人とバントゥー諸語話者集団において性別の偏りの証拠が見つかり、バントゥー諸語話者集団と比較してサン人およびコエ人集団におけるより強い兆候がありました(図4b)。一般的に、サン人およびコエ人の両方とバントゥー諸語話者集団は、常染色体よりもX染色体上で優位に多くのSA_LSA祖先系統を示し、常染色体上よりもX染色体上でSA_LSAと多くの浮動を共有しています(図4b)。これが示唆するのは、サン人の男性祖先よりもかなり多くの女性祖先がアフリカ東部牧畜民およびアフリカ西部農耕民の祖先系統の拡大に続く混合事象に関わっていた、ということで、これは片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)およびゲノム規模遺伝標識の先行研究[29]と一致します。単一の混合事象を仮定すると(DATES分析から得られた年代を使用)、X染色体の祖先系統に対して常染色体の祖先系統を明示的に比較し、以前に説明された手法を用いて、選択されたコエ人およびバントゥー諸語話者集団の遺伝子プールへの女性(sf)と男性(sf)の寄与が決定されます。各サン人男性に対するサン人女性の遺伝子プールへの寄与は、ダマラ人(Damara)については約1.4人、ホアン人については約2.28人、シュア人(Shua)については約4人、ハイオム人(Haiǁom、Haiom)については約5人、南アフリカ共和国のバントゥー諸語話者集団については約2.1人です。以下は本論文の図4です。
女性に偏った混合の兆候は歴史時代のサザーランド個体群のゲノムやカステールバーグ遺跡の1200年前頃の牧畜民1個体でも明らかですが、南アフリカ共和国クワズール・ナタール州の鉄器時代の標本4点(SA_400年前)はX染色体上よりも常染色体上でSA_LSAと多くの浮動を共有している、と観察され、サン人の女性祖先よりも多くの男性祖先が示唆されます(図4a)。これは南アフリカ共和国とボツワナにおけるほとんどの現在のバントゥー諸語話者集団もしくはサン人およびコエ人集団で観察されたパターンと矛盾しており、400年前頃以後のバントゥー諸語話者集団とサン人/コエ人集団との間の相互作用における変化と関連しているかもしれません。全体的に本論文の結果から、サン人およびコエ人集団からバントゥー諸語話者集団への女性に偏った遺伝子流動の優勢な傾向にも関わらず、相互作用と繁殖の様相は、最初の農耕民の到来後の局所的で時間的に定義された要因に強く影響された、と示されます。
最後に、ヨーロッパ人からサン人/コエ人およびコールズバーグ(Colesberg)とウェリントン(Wellington)の混合集団への男性に偏った遺伝子流動に対応する相対的に最近の混合年代が検出されます。F₃形式(検証対象;サザーランド個体群、標的)の混合F₃統計で示されるように、この祖先系統はヨーロッパ惑星部人に最も近似しています。たとえば、コールズバーグの混合祖先系統の南アフリカ共和国の人々については、ユーラシア西部の40の人口集団間のF₃値はアイルランド人とアイスランド人とノルウェー人で最小となり、それに続くのがイングランド人です。これらの人口集団におけるヨーロッパ北部祖先系統の到来は199年前頃と測定され、これはオランダとイギリスからの17世紀半ば以降の植民の後となり、この地域におけるほとんどのサン人およびコエ人の遺伝と言語と文化の多様性の消滅に最終的につながり、アフリカ南部における人口統計学的軌跡に永続的影響を及ぼした進展です(図4c)。
南アフリカ共和国の人口構造は部分的に崩壊しましたが、新たな大陸外祖先系統がこの地域にもたらされ、混合景観の異質性は増加しました。アフリカ外からのこの流入と遺伝的多様性への影響を定量的に推定するため、ソフトウェアADMIXTUREに実装されている教師有クラスタ化手法を用いて、混合供給源が分解されました(拡張図9)。たとえば、コールズバーグの混合祖先系統の南アフリカ共和国の人々では平均的に、8.2±1.4%のヨーロッパ枠部祖先系統の他に、24.4±3.2%のアジア南部祖先系統と2.8±0.5%のアジア東部祖先系統が観察され、サン人関連祖先系統はわずか35.5±2.9%です。混合祖先系統の南アフリカ共和国の人々の他に、カッレッジェメンセ人(5.61%)とコマニ人(9.45%)とナマ人(6.83%)でヨーロッパ祖先系統がさらに検出され、南部サン人とコエ人がヨーロッパ供給源との混合にとくに影響を受けた、と示唆されます。以下は本論文の拡張図9です。
ADMIXTUREからの出力を用いて、FSTructによるアフリカ南部集団の祖先系統構成要素の変異性の測定へと進みました。その結果、南部サン人、つまりカッレッジェメンセ人とコマニ人とナマ人における差異の相対的水準は他の現在のサン人もしくはコエ人集団よりも有意に高く、それはさまざまなヨーロッパ祖先系統構成要素の頻繁な存在のためで、これはコールズバーグとウェリントンの混合祖先系統の南アフリカ共和国の人々で測定された変異性に匹敵する、と分かりました(拡張図9)。個体群の非アフリカ南部人との混合におけるこの異質性は、FₛₜとIBDの基準を用いて測定されたように古代オークハースト遺跡標本の高い遺伝的異質性を曖昧にし、アフリカ最南端のサン人集団の現在の遺伝的景観への非アフリカ南部系との混合の影響を適切に評価するための、地元の共同体のさらなる標本抽出の必要性を浮き彫りにします。一方で、北部および中央部のサン人は有意により低い変異性を特徴としており、これは同様にかなりの割合の非アフリカ祖先系統を示さない近隣のバントゥー諸語話者集団で観察された多様性と類似しています(拡張図9)。
●考察
アフリカ南部のLSAにおける人口集団の連続性もしくは不連続性の問題は、1世紀以上にわたって人類学的研究の焦点でした。過去20年間の考古遺伝学的研究では、石器時代のヨーロッパ[39、65~71]やアジア[43、72~77]とアフリカ北部[78~80]の人口統計学的歴史は、新参者とも混合もしくは既存住民の全体的置換の形態のどちらかとなる大規模な移住のいくつかの事象によって特徴づけられていた、と明らかになってきました。これらの生物学的変容は在来人口集団の遺伝的構成を変えましたが、新技術の導入や原材料の使用や生計戦略など技術的革新の媒介でもありました。対照的に、南アフリカ共和国について本論文では、在来の遺伝子プールはアフリカ南部外からの遺伝子流動のない(検出できない)遺伝的連続性の長い期間によって特徴づけられていた、と論証されます。古代DNAの得られた本論文で最古級の1個体は、オークハースト岩陰のその後の住民と区別できない遺伝的構成を示し、この在来の「南部」サン人の遺伝子プールは1万年以上前に形成され、近隣の「中央部」および「北部」サン人集団[29]もしくはマラウイとタンザニアのサン人集団と混合した北東のより遠い供給源との混合から孤立したままだった、と示唆されます。
その結果、オークハースト遺跡における一連の文化的変化、たとえばオークハースト技術複合体からウィルトン(Wilton)技術複合体への変化は、先住民によって始まった在来の発展から生じたようで、蓄積に続く同じ場所での革新の役割が浮き彫りになります。本論文のデータから、南アフリカ共和国のLSA沿岸部住民頭蓋顔面の大きさの微妙な変動(たとえば、4000年前頃と3000年前頃の間)は遺伝的不連続性の産物ではなく、おそらくは環境要因もしくは人口規模の変化と関連していた、と論証されます。しかし本論文では、オークハースト遺跡の住民は、小さくボトルネック(瓶首効果)を経た人口集団ではなかった、と強調されます。多様性のゲノム測定は、他のアフリカ狩猟採集民人口集団に匹敵する程度の遺伝的差異と、ヨーロッパもしくはアメリカ大陸の石器時代採食民より高い遺伝的差異を示唆しています。さらに、本論文の手法の現在の解像度とサハラ砂漠以南のアフリカに限定された参照データセットによって、集団規模もしくはアフリカ南部内の人々の小規模の移住の微妙な変化の検出能力は制約されます。しかし、本論文のデータは、オークハースト遺跡の居住の全期間にわたる他のサン人(および非サン人)集団から繁殖では孤立していた1人口集団と一致します。
この9000年間にわたる遺伝的連続性は、牧畜と農耕の拡大に伴ってアフリカの東西の関連祖先系統を【現在の】南アフリカ共和国にもたらした移住事象において、かなり急激に終焉しました。現在利用可能なデータに基づくと、非アフリカ南部祖先系統は【現在の】南アフリカ共和国の最南端に較正年代でやっと1300年前頃以後に到来したようです。しかし、較正年代で2000年前頃以降の、この地域における沿岸と沿岸に近い共同体の生計と居住パターンでの顕著な変化の豊富な考古学的証拠があります。これらの変化は以前には、牧畜の出現による狩猟採集民共同体の崩壊から生じた、と解釈されていました。注目すべきことに、同様の時間的不一致はヨーロッパにおいて中石器時代から新石器時代の移行期で観察されており、ヨーロッパでは、狩猟採集民と侵入してきた農耕民との間の混合が農耕の出現よりほぼ2000年遅れています。これは、狩猟採集民と農耕民が混合の前にかなりの期間地理的に近接して居住していたことを示唆しており、移住がその後の人口集団の混合にかなり先行していた可能性を論証します。あるいは、牧畜の慣行は実質的な人口拡大に先行して文化的拡散の過程を通じて【現在の】南アフリカ共和国へと拡大したかもしれず、これは較正年代で1300年前頃以前の【現在の】南アフリカ共和国におけるアフリカ東部関連祖先系統の欠如を説明します。
しかし、過去1300年間の事象は、【現在の】南アフリカ共和国の在来の遺伝子プールにかなりの影響を及ぼしました。現在、すべてのサン人およびコエ人集団はアフリカ東部牧畜民およびアフリカ西部農耕民祖先系統の一方もしくは両方と混合しています[1、2]。LSA人口構造の崩壊は、17世紀半ばにおけるヨーロッパ人入植者の到来によって加速されました。口承伝統の継続的喪失とともに、これらの問題は先史時代アフリカ南部の人口構造に関する貧弱な理解につながっています。アレル頻度とIBD断片に基づく分析を用いて、南アフリカ共和国の現在のサン人およびコエ人住民は、オランダとイギリスの支配下での最近の混乱期間にも関わらず、依然として過去1万年間の古代のオークハースト遺跡個体群と直接的に関連している、と示すことができました。とくに、アフリカ南部の最も混合したサン人/コエ人集団に属するコマニ人とカッレッジェメンセ人とナマ人のうち、一部の個体は依然としてその祖先系統の大半がこれらLSA狩猟採集民にさかのぼります。これは、19世紀後期のサザーランドの歴史時代のサン人3個体にも当てはまり、この3個体は、アフリカ南部外からのごくわずかな祖先系統の寄与と、それ以外にはLSAオークハースト遺跡人口集団との常染色体およびミトコンドリアの類似性を示しており、【現在の】南アフリカ共和国の西ケープ州の初期完新世遺伝子プールは、一部地域では過去2000年間を通じて大きな変化なしに存続し、アフリカ南部の一部では長期間の人口集団の連続性が完全には崩壊しなかった、と論証されます。
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