パオラ・ヴィラ氏の訃報

 考古学者のパオラ・ヴィラ(Paola Villa)氏が、先月(2024年10月)末に亡くなった、との情報をTwitterで見かけました。お悔やみ申し上げます。ヴィラ氏が筆頭著者の論文を当ブログでもいくつか取り上げていますが、ヴィラ氏が筆頭著者ではなく関わった論文では、押圧剥離の起源に関する研究を取り上げており(関連記事)、詳しく調べたわけではないので、他にもあるかもしれません。その研究では、南アフリカ共和国のブロンボス洞窟(Blombos Cave)で発見された中期石器時代の石器には、動物の骨またはいくつかの物体を用いて石片の縁付近を押圧し、比較的小さな石片を剥ぎ取る押圧剥離の技法が用いられているかもしれない、と指摘されていました。押圧剥離は2万年前以降に出現する石器技法とされていたので、この見解が妥当だとすると、押圧剥離の起源が大幅にさかのぼることになります。

 ヴィラ氏が筆頭著者の論文では、中期石器時代の牛乳を混ぜた顔料を報告した研究があります(関連記事)。その研究によると、南アフリカ共和国のシブドゥ(Sibudu)遺跡の49000年前頃の層から発見された、石の剥片に付着していた混合物ではオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)とカゼインが確認され、牛乳が用いられていた、と推測されています。このオーカーと牛乳の混合物は、石器を槍に装着するさいなどの接着剤として、また獣皮処理のさいに使用されたのではなく、顔料として使われたのだろう、と考えられています。現在の南アフリカ共和国の領域でウシの家畜化が始まるのは、紀元後300年の鉄器時代になってからのことなので、野生のウシ属から牛乳を得たのではないか、と推測されています。

 その他には、イタリアのラティウム地方では最大級の沿岸洞窟の一つとなる、ブヨ洞窟(Grotta dei Moscerini)の中部旧石器時代の遺物を報告した論文があります(関連記事)。 ブヨ洞窟では第42層から第14層までの多くの層で、二次加工されたヨーロッパワスレの貝殻が計171個発見されています。ヨーロッパワスレ(Callista chione)は食用に適しており、一部では焼かれた痕跡も見つかっていますが、ブヨ洞窟では火の使用痕跡が珍しくなく、二次加工後に焼かれた貝殻もあることから、食べられた可能性は排除できないものの、おもに削器の製作に用いられていたのだろう、と推測されています。これらの貝殻製の道具はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産と考えられており、ネアンデルタール人による浅瀬での素潜も示唆されています。

 ヴィラ氏が筆頭著者の論文で私にとって最も参考になったのは、ネアンデルタール人の絶滅要因を考古学的に検証した研究です(関連記事)。この研究では、それまでに主張されてきたネアンデルタール人の絶滅要因が11通りの仮説にまとめられており、たいへん有益だと思います。この研究は、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人の同時代の遺物や遺構の考古学的研究の検証から、両者間に決定的な違いはなく、ネアンデルタール人の絶滅に関する単一要因的説明はもはや妥当性を欠いている、と主張します。さらにこの研究は、ネアンデルタール人は同時代の現生人類よりも技術や社会行動や認知能力の点で劣っていたので絶滅した、との主流的見解を証明するには、現時点までの考古学的証拠は不充分で、これまでの研究は、ネアンデルタール人と同時代の現生人類との間の微妙な生物学的差異を過剰に解釈してきたのではないか、と指摘します。この研究のネアンデルタール人の絶滅(もっとも、ネアンデルタール人が絶滅したとはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので、形態学的・遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と表現するのがより妥当でしょうか)に関する見解に、私は大きな影響を受けており、上述の他の研究とともに、改めてヴィラ氏には感謝申し上げます。

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