時代区分の問題

 最近当ブログでは人類の進化、とくに古代ゲノム研究の英語論文を取り上げて日本語に訳すことが多くなり、論文について私見を述べることもありますが、ほぼ翻訳だけになってしまうことが大半なので、たまには独自の文章を掲載しようと昨年(2023年)初頭に思い立ったものの、何を題材にすべきか迷ってしまい、けっきょく、2年近く経過したのにほとんど独自記事を掲載できていません。人類の進化について関心のある問題は多いものの、自分なりにまとめようとしても、たとえば種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)についてのまとめ記事のように、ほぼ当ブログにて取り上げた文献で明らかになった知見を羅列するだけになってしまっています。この状況を何とか打開したいとは思っているもの、一方で、人類進化史について学ぶべきことがあまりにも多いため、私の見識と能力を考えると、今は入力が必要だと開き直っているところもあり、興味深い論文を当ブログでほぼ翻訳するだけになってしまっています。

 ただ最近になって、現時点の能力と気力と経済力では、まだ多少なりとも最新の知見を摂取できているものの、これらのうち1点でも損なわれれば、自分なりのまとめの執筆はもちろん、最新の知見の入力も今よりずっと覚束なくなりそうですし、それは事故や病気などで突然生じるかもしれない、と考えたこともあり、人類進化史について、先行研究で明らかになった知見を単に羅列するだけではなく、少しでも自分なりに消化してまとめようと改めて思い、さまざまな論点を設定しており、その中にはもう10年以上前から考えていたことも多いので、大雑把には整理できています。まだそれらの論点すべてを体系的に論じられるだけの段階には至っていませんが、現時点での見識や能力を言い訳にしていると、いつまで経っても執筆が進みませんし、ある程度の分量を体系的に述べようとすると、怠惰な性分のため挫折しそうなので、人類進化史に関して自分なりに設定した論点について、短い分量でブログに掲載していくことにします。まずは、時代区分の問題についてです。

 最近当ブログにてヨーロッパ近世史に関する新書(岩井., 2024)を取り上げ、時代区分について少し考えました。そこで述べたのは、これまでの自分の時代区分認識で問題だったと考えている点で、つまり、中世を近代とは大きく異なる異質な時代、近代を到達点として把握し、近世を中世から近代への移行期と無自覚に認識してしまっていたことです。近世の展開を中世からの「離脱度」と近代への「到達度」で把握し、近代的要素の強化で近世の「成熟」を評価することが大前提になっていたのではないか、というわけです。しかし、近世を前後の時代、つまり中世および近代とは異質な独自の性格を有する時代と把握することもできるのではないか、と近年では考えるようになりました。

 この時は、歴史学の対象となるような時代区分についてしか言及しませんでしたが、元々は更新世を中心にいわゆる先史時代について考えていたことを拡張しただけでした。とくに強く意識していたのは、中部旧石器とも上部旧石器とも断定的に位置づけることの難しい「移行期インダストリー」で、具体的には、ヨーロッパのウルツィアン(Ulzzian、ウルツォ文化)やセレッティアン(Szeletian、セレタ文化)やLRJ(Lincombian–Ranisian–Jerzmanowician、リンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ)などです。なお、シャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)はこの「移行期インダストリー」の代表例とされてきましたが、シャテルペロニアンはその「過渡的性格」の見直しを提言されており(Sykes., 2022)、最近の研究では、シャテルペロニアンは初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)よりも「上部旧石器的」と評価されています(Djakovic et al., 2022)。

 ここでも、私は長年無意識のうちに、上部旧石器時代は中部旧石器時代とは大きく異なる、現代につながる一つの「到達点」で、「移行期インダストリー」はその中間的で曖昧な時代、と考えており、「移行期インダストリー」に見える中部旧石器時代からのからの「離脱度」や上部旧石器的特徴によって、その「先進性」や「到達度」を評価していました。逆に、「移行期インダストリー」の中部旧石器的特徴は、その「後進性」を表している、というわけです。しかし、「移行期インダストリー」自体を、先行する中部旧石器時代ともその後の上部旧石器時代とも異なる、一つの独自な時代相として把握する必要があるのではないか、と思います。上部旧石器時代に見られる諸要素を人類進化史における「発展」の「必然」とみなし、その有無や「到達度」で「移行期インダストリー」の「先進性」を評価するのではなく、その時代と環境、より具体的には食資源もしくは競合相手となる生物や気候や生態系との関わり合いの中での営みとして把握することも必要だろう、というわけです。この場合の生物には、異なる分類群の複数の人類集団も含まれます。まだ、「移行期インダストリー」の「独自の様相」を体系的にはとても理解できておらず、今後さまざまな知見の入力が必要ですが、こうした観点で「移行期インダストリー」を把握していくつもりです。

 また時代区分については、前近代からそうした試みは各地で見られるものの、現在一般的に浸透しているのは、あくまでも近現代のおもに研究者による便宜的措置にすぎないことも、重要になってきます。いわゆる先史時代と歴史時代も含めて人類史の時代区分は、政治的中心地の所在地や多極的状況(南北朝時代や戦国時代など)や文化の違いなどに基づいていますが、あくまでも便宜的措置であり、そこに「本質」を見いだすと、的外れな主張に至る危険性があります。そもそも、現在一般的な文化の違い(区分)自体が、近現代のおもに研究者による便宜的措置にすぎない、と言うべきでしょう。

 さらに、道具の素材および製作技術や生計などに基づく考古学的な時代区分が地域によって異なることも重要です。たとえば、ヨーロッパでは下部旧石器時代→中部旧石器時代→上部旧石器時代→中石器時代→新石器時代→銅器時代→青銅器時代→鉄器時代となりますが、サハラ砂漠以南のアフリカでは前期石器時代→中期石器時代→後期石器時代→鉄器時代となります。日本列島については、ヨーロッパ基準の時代区分を当てはめる傾向が強いように思いますが、ある地域を基準とする時代区分を、他地域には安易に当てはめてはならないでしょう。

 もちろん、現在一般的な時代区分が、人類集団の置換や遺伝的構成の大規模な変容やおそらくそれに伴っただろう大きな文化的変化など、「本質的な違い」を表している事例はあるでしょう。たとえば研究が進んでいるヨーロッパについては、中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけては、もちろん複雑な様相があるとしても(Slimak et al., 2024)、大まかにはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)から現生人類(Homo sapiens)への置換と把握できるでしょうし、中石器時代から新石器時代および新石器時代から(銅器時代を経ての)青銅器時代は、人類集団の遺伝的構成と文化の大きな変容だったのでしょう(Allentoft et al., 2024)。しかし、現在一般的な時代区分がつねに「本質的な違い」を表しているわけではなく、たとえば、近現代の考古学者による時代区分を重視して、アイヌ文化期に初めてアイヌ民族が出現した、というような主張は、考古学的文化に民族名を冠することは問題だとして、アイヌ文化ではなくニブタニ文化と呼ぶよう、提唱している研究者もいること(瀬川., 2019)を考えると、説得力があるとはとても言えないように思います。そもそも、「民族」の定義自体が難しく、「日本民族」もしくは「大和(ヤマト)民族」にしても、いつ成立したと言えるのか、とても確定的とは言えないでしょう。

 現在一般的な時代区分については、そもそも基本的には便宜的措置で、そこに「本質」を見いだしたり、ある時代を歴史の必然とみなしたりするのは危険である、と念頭に置かねばならないでしょう。また、後世から見て重要な分岐点で、時代を画すると解釈できても、同時代には大きな変化とは認識されておらず、おそらくは連続性に強い疑問が抱かれていなかった、と思われる事例があることも重要になるでしょう。こうした事例でどのような時代区分がより妥当なのか、議論になる場合もあるでしょう。具体的には、476年の西ローマ帝国の「滅亡」が、「滅亡」や「衰退」と結びつける必要のないものだった、と指摘されています(岩井., 2024)。専門家にとって、この記事で私が述べてきたことはごく初歩的な常識にすぎないでしょうが、インターネット上では問題のある主張を見かける機会が多いので、非専門家の一人として、自戒の念を込めて述べた次第です。


参考文献:
Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
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Djakovic I, Roussel M, and Soressi M.(2022): The Neandertal-associated Châtelperronian industry is more ‘Upper Palaeolithic’ than the Homo sapiens-associated Initial Upper Palaeolithic. The 12th Annual ESHE Meeting.
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Slimak L. et al.(2024): Long genetic and social isolation in Neanderthals before their extinction. Cell Genomics, 4, 9, 100593.
https://doi.org/10.1016/j.xgen.2024.100593
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Sykes RW.著(2022)、野中香方子訳『ネアンデルタール』(筑摩書房、原書の刊行は2020年)
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岩井淳(2024) 『ヨーロッパ近世史』(筑摩書房)
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瀬川拓郎(2019)「アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか」北條芳隆編『考古学講義』第2刷(筑摩書房、第1刷の刊行は2019年)P85-102
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田中創(2020)『ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか』(NHK出版)
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この記事へのコメント

kurozee
2024年11月30日 09:29
「民族」の定義については、次の著作が参考になりました。
小坂井 敏晶(2002)「民族という虚構」 東京大学出版会

本書の「はじめに」の中で、「人種とは客観的な根拠を持つ自然集団ではなく、人工的に構成される統計的範疇にすぎない。同様に、民族概念の存在意義そのものが問題視されねばならない。」と述べ、「民族同一性は虚構に支えられた現象だという主張を本書は一貫して展開していく。」としています。

管理人
2024年11月30日 10:04
ありがとうございます。少し検索してみましたが、たとえば「民族」の「成立時期」を論じるさいに、前提としなければならない内容を検証した本のようです。