渡辺精一『諸子百家』
角川ソフィア文庫の一冊として、KADOKAWAから2020年2月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はまず、諸子百家以前の思想を概観した後で、代表的な諸子百家を取り上げます。1章単独で取り上げられているのは、後世に大きな影響を残した、孔子と老子と荘子と孟子と荀子と韓非子と孫子です。その他に、墨子や管子蘇秦や商鞅や李斯などが取り上げられています。李斯は現代日本社会ではほぼ政治家としてしか認識されていないでしょうし、本書も思想家というより政治家の色合いが強い、と評していますが、韓非子とともに荀子に学んだ人物でした。
諸子百家以前の思想については、「天の思想」があり、これが諸子百家の思想の基盤になっている、と本書は指摘します。天とは人間にとって超越的存在で、帝も神も同じように使われ、「天神」や「天帝」という用語も使われました。天は元々、人間に罰を下すような存在でしたが、やがて、天が自らの力ではなく命令を与えた人間に行なわせる、というように観念は変わります。つまりは人間中心主義的になりつつあったわけですが、天の命令、つまり「天命」がある人物に降っているのかどうか保証はなく、人間の行為により突然天が人間を見放すこともある、と考えられました。依然として、天は不可知的な存在だったわけです。こうした「天の思想」を前提として、賛成して一歩前進したり、一部改善を試みたり、真っ向から否定しようとしたりして格闘したのが、諸子百家でした。
諸子百家の代表的存在である孔子には、自分は天命を受けて生まれた、との自覚があり、政治に関わる希望を抱き続け、周公旦を理想としていました。孔子は、素朴な「天(神)」への信仰から少し進み、人間の努力により「天運」も開けることを信じており、孔子に賛同するにしても反対するにしても、孔子の路線の上に諸子百家の思想がある、と本書は評価します。老子の思想は孔子以上に現実との間隙が大きく、その延長線上にあった荘子は、老子以上に弱者への眼差しがあった、と本書は評価します。孟子は、「理想」を「現実」に当てはめるのではなく、強引に「現実」を「理想」の方に持って行こうとしたのであり、それは人間愛だった、と評価されています。その孟子を激しく批判した荀子は、本性そのものと後天的修養を区別し、「教化」を重視しました。荀子の弟子の韓非子は、社会と人間が変わることを強く認識し、それに合わせて政治も変わることを主張しました。「現実」に妥協することはあってもその「理想」には妥協がなかった諸子百家の先人とは異なり、韓非子はその時代の「現実」に当てはまる考え方こそ「正しく」、「理想」としました。
諸子百家以前の思想については、「天の思想」があり、これが諸子百家の思想の基盤になっている、と本書は指摘します。天とは人間にとって超越的存在で、帝も神も同じように使われ、「天神」や「天帝」という用語も使われました。天は元々、人間に罰を下すような存在でしたが、やがて、天が自らの力ではなく命令を与えた人間に行なわせる、というように観念は変わります。つまりは人間中心主義的になりつつあったわけですが、天の命令、つまり「天命」がある人物に降っているのかどうか保証はなく、人間の行為により突然天が人間を見放すこともある、と考えられました。依然として、天は不可知的な存在だったわけです。こうした「天の思想」を前提として、賛成して一歩前進したり、一部改善を試みたり、真っ向から否定しようとしたりして格闘したのが、諸子百家でした。
諸子百家の代表的存在である孔子には、自分は天命を受けて生まれた、との自覚があり、政治に関わる希望を抱き続け、周公旦を理想としていました。孔子は、素朴な「天(神)」への信仰から少し進み、人間の努力により「天運」も開けることを信じており、孔子に賛同するにしても反対するにしても、孔子の路線の上に諸子百家の思想がある、と本書は評価します。老子の思想は孔子以上に現実との間隙が大きく、その延長線上にあった荘子は、老子以上に弱者への眼差しがあった、と本書は評価します。孟子は、「理想」を「現実」に当てはめるのではなく、強引に「現実」を「理想」の方に持って行こうとしたのであり、それは人間愛だった、と評価されています。その孟子を激しく批判した荀子は、本性そのものと後天的修養を区別し、「教化」を重視しました。荀子の弟子の韓非子は、社会と人間が変わることを強く認識し、それに合わせて政治も変わることを主張しました。「現実」に妥協することはあってもその「理想」には妥協がなかった諸子百家の先人とは異なり、韓非子はその時代の「現実」に当てはまる考え方こそ「正しく」、「理想」としました。
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