大河ドラマ『光る君へ』第44回「望月の夜」
今回は、藤原道長(三郎)と三条帝の対立の決着、および有名な「望月の歌」が描かれました。道長から譲位への圧力を受けた三条帝は、娘の禔子内親王を道長の嫡男とも言うべき頼通に嫁がせ、道長を懐柔しようとして、道長も受け入れますが、妻の隆姫女王を愛している頼通は拒絶します。この話は『栄花物語』に見えるそうですが、頼通は隆姫女王にかなり遠慮していたようなので、実際にあったことかもしれません。道長は頼通に仮病を命じ、それを口実に頼通と隆姫女王親王の婚姻を潰します。三条帝はついに譲位を決断しますが、藤原実資の進言によって、東宮の敦成親王(後一条帝)の即位後に、自分の息子の敦明親王を東宮とする条件で、譲位します。しかし、有力な後ろ盾がないため、後一条帝の即位後に三条院が崩御すると、敦明親王は東宮の地位を辞退し、一条帝の同母弟で道長にとって孫となる敦良親王(後朱雀帝)が東宮となります。ここはあっさりとした描写で、道長など他の貴族による圧力はありませんでしたが、そうした描写があってもよかったかな、とも思います。
後一条帝の即位に伴い、道長は摂政に任じられます。摂関政治の代表的人物と一般的に考えられているだろう道長ですが、摂政在任期間は1年数ヶ月程度で、道長が摂政を辞した後には、頼通が摂政に就任します。頼通は摂政就任後に、同母妹の威子に対して後一条帝に入内するよう命じ、威子は甥になる後一条帝よりずっと年上であることから断ろうとしますが、頼通と威子の母親である源倫子にも入内するよう言われ、断れませんでした。威子の入内は道長の意向だったのでしょうが、本作では道長が関わっていないかのような描写でした。道長を清らかな人物として描いてきたことに対して、本作には不満があるので、これも敦明親王への東宮辞退への圧力の描写がなかったこととともに、道長美化の一環なのか、と穿ってしまいます。威子の立后の宴で、有名な「望月の歌」が唱和されましたが、道長が得意満面で詠んだ、という通俗的な解釈には基づいていませんでした。
道長と源倫子との間の娘である中宮の妍子は三条帝との間の子供を産みましたが、皇子ではなく皇女(禎子内親王)だったので、道長はたいそう不機嫌だった、と伝わっています。本作の道長は禎子内親王の誕生に対してとくに不機嫌な様子を見せておらず、本作の人物造形とは整合的な描写でしたが、妍子は訪ねてきた道長に、たいそう落胆と聞いた、と問い質しています。周囲が道長の心境を想像し、そうした噂が妍子にも伝わったのか、そもそも年上の三条帝に入内したことに対して不満で、自分の贅沢を諫めてくる父の道長への不満から妍子が被害妄想気味にそう考えたのか分かりませんが、なかなか上手い構成になっていると思います。禎子内親王も登場しましたが、禎子内親王が後朱雀帝の皇后となり、尊仁親王(後三条帝)を産み、後三条帝の即位が摂関政治にとって大打撃となったことともに、さすがに本作では言及されないでしょうか。
道長の嫡妻である源倫子は紫式部(まひろ、藤式部)に、『枕草子』に対抗して道長の物語を書くよう依頼し、『栄花物語』では『紫式部日記』が引用されているそうですから、『栄花物語』原本を執筆したのは紫式部で、後に紫式部の娘である賢子(大弐三位)などが書き継いで、現在見えるような『栄花物語』が完成した、という設定になるのか、とも思いましたが、予告を見ると、本作では有力説?通り赤染衛門が作者で、その後に書き継がれていったことになりそうです。残り5回となって、いよいよ本作も完結が見えてきました。賢子が藤原道兼の息子の兼隆と結婚したことも、本作で描かれるのでしょうか。道兼が紫式部の母親を殺害した、との創作が初回で描かれたことから、賢子と兼隆の結婚も本作で取り上げられる可能性は高いように思います。紫式部にとって母親の仇である道兼の息子と自身の娘の結婚を、紫式部がどう思うのか、この経緯がどう描かれるのか、注目しています。
後一条帝の即位に伴い、道長は摂政に任じられます。摂関政治の代表的人物と一般的に考えられているだろう道長ですが、摂政在任期間は1年数ヶ月程度で、道長が摂政を辞した後には、頼通が摂政に就任します。頼通は摂政就任後に、同母妹の威子に対して後一条帝に入内するよう命じ、威子は甥になる後一条帝よりずっと年上であることから断ろうとしますが、頼通と威子の母親である源倫子にも入内するよう言われ、断れませんでした。威子の入内は道長の意向だったのでしょうが、本作では道長が関わっていないかのような描写でした。道長を清らかな人物として描いてきたことに対して、本作には不満があるので、これも敦明親王への東宮辞退への圧力の描写がなかったこととともに、道長美化の一環なのか、と穿ってしまいます。威子の立后の宴で、有名な「望月の歌」が唱和されましたが、道長が得意満面で詠んだ、という通俗的な解釈には基づいていませんでした。
道長と源倫子との間の娘である中宮の妍子は三条帝との間の子供を産みましたが、皇子ではなく皇女(禎子内親王)だったので、道長はたいそう不機嫌だった、と伝わっています。本作の道長は禎子内親王の誕生に対してとくに不機嫌な様子を見せておらず、本作の人物造形とは整合的な描写でしたが、妍子は訪ねてきた道長に、たいそう落胆と聞いた、と問い質しています。周囲が道長の心境を想像し、そうした噂が妍子にも伝わったのか、そもそも年上の三条帝に入内したことに対して不満で、自分の贅沢を諫めてくる父の道長への不満から妍子が被害妄想気味にそう考えたのか分かりませんが、なかなか上手い構成になっていると思います。禎子内親王も登場しましたが、禎子内親王が後朱雀帝の皇后となり、尊仁親王(後三条帝)を産み、後三条帝の即位が摂関政治にとって大打撃となったことともに、さすがに本作では言及されないでしょうか。
道長の嫡妻である源倫子は紫式部(まひろ、藤式部)に、『枕草子』に対抗して道長の物語を書くよう依頼し、『栄花物語』では『紫式部日記』が引用されているそうですから、『栄花物語』原本を執筆したのは紫式部で、後に紫式部の娘である賢子(大弐三位)などが書き継いで、現在見えるような『栄花物語』が完成した、という設定になるのか、とも思いましたが、予告を見ると、本作では有力説?通り赤染衛門が作者で、その後に書き継がれていったことになりそうです。残り5回となって、いよいよ本作も完結が見えてきました。賢子が藤原道兼の息子の兼隆と結婚したことも、本作で描かれるのでしょうか。道兼が紫式部の母親を殺害した、との創作が初回で描かれたことから、賢子と兼隆の結婚も本作で取り上げられる可能性は高いように思います。紫式部にとって母親の仇である道兼の息子と自身の娘の結婚を、紫式部がどう思うのか、この経緯がどう描かれるのか、注目しています。
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