夜見ヶ浜人の再発見

 NHK地上波の『イマサラ調べてみた件』で、「日本最古の人骨」として「夜見ヶ浜人」が取り上げられました。「夜見ヶ浜人」とは、鳥取県境港市で1969年に発見された左側下顎骨です。当時、材木工場の現場があり、6mほど穴を掘ったところでこの下顎骨が見つかったそうです。この下顎骨の発見者は、農閑期の出稼ぎに来ており、貝殻と化石の収集を趣味としていた錦織文英氏でした。そうした人がこの工事現場に来ていたのは幸運だった、と言えるでしょう。錦織氏はこの下顎骨を早大教授の直良信夫氏に渡し、直良氏が研究成果を発表したものの、学術誌では発表しなかったこともあり、さほど注目されず、この下顎骨はさらに詳細な研究のため東大に送られ、1985年に東大から早大に返還されて以降、行方不明になっていたそうです。

 この下顎骨の存在を知った郷土史家で伯耆文化研究会会長の根平雄一郎氏が行方を18年にわたって追いかけ、ついには著書も刊行しました。根平氏はさらに、インターネットでも情報を募り、著書刊行後すぐの今年(2024年)4月に、早大の考古学研究室で仔の下顎骨が見つかったそうです。この経緯は、今年読売新聞でも報道されており、読んだはずですが、すっかり記憶から抜けていて、これも加齢のためだろうか、とやや憂鬱な気分になりました。直良氏と親交のあった春成秀爾氏は再発見前にこの下顎骨を直接見ており、化石化が進んでいたことから、更新世の人類遺骸だと確信していたそうです。

 この左側下顎骨には歯が2点残っており、DNA解析も含めて今後の研究がたいへん楽しみです。直良氏は、この左側下顎骨は華奢なことから女性ものもで、年代は5万~2万年前頃と考えていました。春成氏によると、この左側下顎骨は縄文時代より明らかに古いとのことで、日本列島、とくに本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする「本土」ではひじょうに貴重な更新世の人類遺骸となりそうです。もしこの左側下顎骨の年代が更新世だとしたら、4万年前頃に近い場合は、現代日本人や「縄文人」とは遺伝的につながっていないかもしれず、2万年前頃以降だとしたら、「縄文人」の主要な祖先集団(の一部)である可能性も考えられ、DNA解析の成功を強く願っています。ただ、DNA解析に成功しなかったとしても、その他に重要な情報が得られるのではないか、と期待されます。

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