本村凌二『地中海世界の歴史4 辺境の王朝と英雄 ヘレニズム文明』
講談社選書メチエの一冊として、講談社より2024年10月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はマケドニアを中心に、ヘレニズム「文明」を「普遍性」の観点から取り上げています(当ブログでは原則として「文明」という用語を使わないことにしていますが、この記事では本書に従って「文明」と表記します)。マケドニアとは、ギリシア語で「高地の人」を意味していたそうです。本書は考古学の知見も引用し、フィリポス(フィリッポス)2世が埋葬されているかもしれない墳墓(関連記事)も取り上げています。マケドニアの歴史で重要な特徴は、同時代の自国人による史料がほとんど残っていないことです。本書は、この点でスパルタやカルタゴとの類似性を強調します。ギリシア人の古典文献でマケドニア王が初めて登場するのは紀元前6世紀後半で、アテナイの僭主だったペイシストラトスの一族との結びつきがあったようです。そうした中で、マケドニア王家は自らの起源をギリシア世界に位置づけようとして、ヘラクレスにつながる系譜を主張しました。
マケドニアのギリシア世界への参入において、マケドニアの良質な木材が重要な役割を果たしたようです。当時、ギリシア南部では人口増加のため森林が失われつつある中で、建築や造船のための木材の需要が大きかったため、木材はマケドニアの貴重な収入源だったそうです。マケドニアは国力を伸ばしていきますが、ペルシアなど外部諸勢力の干渉もあり、自立した勢力としては苦難続きだったようです。そのマケドニアが大きく飛躍したのは、紀元前360年に即位したフィリポス2世の時代でした。フィリポス2世は財政基盤の確立と重装騎兵の整備および歩兵との連動による軍制改革を進め、ギリシア世界の覇者となります。また、フィリポス2世は旧来の支配層を首都のペラに集め、宮廷貴族とします。本書は、マケドニアにおけるこうした改革の背景に、古代ギリシア世界における自由な議論があったことを指摘します。
本書はフィリポス2世の政治家および軍人としての力量を高く評価しており、その息子であるアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)の征服の前提として、フィリポス2世の事績が大きかったことを指摘します。本書が描くアレクサンドロス大王は、残酷にして寛容、慎重にして果断、夢想的にして現実的と、相反する性質を兼ね備えた複雑な人物です。アレクサンドロス大王の事績が大英雄に相応しいものであることは間違いなく、それだけにすでに存命時から真偽さまざまな逸話が語られたこともあるのでしょう。私のような凡人には理解の及ばないところが多く、研究者でも人物像の把握が容易ではないところこそ、大英雄たる所以と考えるべきなのでしょうか。アレクサンドロス大王の言動には、本書で指摘されるギリシア人の第一人者志向の強さも重要な背景としてあったように思います。
アレクサンドロス大王が傑出した人物であることは間違いありませんが、本書はアレクサンドロス大王の事績の意義として、「ヘレニズム」世界の現出を特筆しています。ただ、本書は「ヘレニズム」をギリシア的要素とアジア的要素の融合とは理解しておらず、アジア的世界におけるギリシア的社会および文化の拡大と点在(都市におけるギリシア文化の受容、および都市部と農村部との乖離)、およびその結果としての共通語たるコイネーの成立を指摘します。それがよく現れているのは「後継者(ディアドコイ)」戦争で最大の勢力を築くに至ったセレウコス朝で、ギリシア人とマケドニア人による支配を強烈に志向していたようです。また、ヘレニズム時代は通常、アレクサンドロス大王没後からローマに夜地中海一帯の統一(紀元前30年)までの約300年間のユーラシア西方社会を指しますが、本書はフィリポス2世によるマケドニア王国の興隆にヘレニズム時代の開始をさかのぼらせ、経済の活性化と大都市の出現を大きな特徴として挙げています。
本書は『地中海世界の歴史』第4巻となりますが、第3巻まで読んできて、宗教と神への信仰が時代の経過とともにどのように変わってきたのかが、主題の一つになっているように思います。本書は最終的に、「西ローマ帝国の滅亡」とキリスト教の「勝利」、さらにはその後のイスラム教の台頭までを視野に入れているのではないか、と私は予想しています。その意味で、ヘレニズムが信仰をどのように変えて、その後の信仰に影響を及ぼした、と把握するのか、注目していました。これに関して本書はまず、ヘレニズム文化をギリシア文化が東方各地の在来の土着文化と融合し、新段階に入った、と把握します。つまりは、オリエントのギリシア化であり、ギリシア文化のオリエント化でもあった、というわけです。本書はこのヘレニズム時代において、共通の言語(コイネー)が出現したことを重視します。そもそも、ギリシア世界においては元々、さまざまな「方言」が使用されていました。紀元前5世紀にアテナイがギリシア世界における政治と文化の中心になっていくと、アテナイのアッティカ方言が優勢となり、これにイオニア方言が加わり、一つの共通語(コイネー)が形成され、地中海東部世界では標準語として使用されるようになりました。
このヘレニズム時代の地中海世界は巨大な諸王国に支配され、都市国家(ポリス)の政治的重要性が低下し、都市国家の枠を超えて人々の関心が広がっていき、知的活動も(大都市に偏っていたとはいえ)盛んになった、と本書は把握します。ある意味では、混迷の時代とも言えるわけですが、そうした中で神々と人間世界の関わりについても多様な考えが生じており、空前絶後とも言える規模で宗教融合(シンクレティズム)が起きていた、と本書は指摘します。都市国家が衰退し、都市国家単位の信仰が意義を喪失していく中で、共同体単位ではなく個人単位の信仰が重要となっていき、多様な出自の個人が同じ宗教的儀式に加わります。オリエントのギリシア化であり、ギリシア文化のオリエント化でもあったヘレニズム時代には、ギリシア世界にもミトラ密儀など東方からの信仰が伝わりました。ギリシアの神については東方の在来神との類似性が人々に発見され、神々の融合が生じました。こうした融合で生じた宗教において共通する特徴として、本書は「救済の約束」を挙げます。さまざまな地域的な神の集約による宗教融合の結果として生じたのが、共同体としての安泰よりも個人としての救済を求める傾向で、これは短期的には目立つほど派手なものではなかったものの、長期的には大きな変化をもたらした、と本書は把握しています。
マケドニアのギリシア世界への参入において、マケドニアの良質な木材が重要な役割を果たしたようです。当時、ギリシア南部では人口増加のため森林が失われつつある中で、建築や造船のための木材の需要が大きかったため、木材はマケドニアの貴重な収入源だったそうです。マケドニアは国力を伸ばしていきますが、ペルシアなど外部諸勢力の干渉もあり、自立した勢力としては苦難続きだったようです。そのマケドニアが大きく飛躍したのは、紀元前360年に即位したフィリポス2世の時代でした。フィリポス2世は財政基盤の確立と重装騎兵の整備および歩兵との連動による軍制改革を進め、ギリシア世界の覇者となります。また、フィリポス2世は旧来の支配層を首都のペラに集め、宮廷貴族とします。本書は、マケドニアにおけるこうした改革の背景に、古代ギリシア世界における自由な議論があったことを指摘します。
本書はフィリポス2世の政治家および軍人としての力量を高く評価しており、その息子であるアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)の征服の前提として、フィリポス2世の事績が大きかったことを指摘します。本書が描くアレクサンドロス大王は、残酷にして寛容、慎重にして果断、夢想的にして現実的と、相反する性質を兼ね備えた複雑な人物です。アレクサンドロス大王の事績が大英雄に相応しいものであることは間違いなく、それだけにすでに存命時から真偽さまざまな逸話が語られたこともあるのでしょう。私のような凡人には理解の及ばないところが多く、研究者でも人物像の把握が容易ではないところこそ、大英雄たる所以と考えるべきなのでしょうか。アレクサンドロス大王の言動には、本書で指摘されるギリシア人の第一人者志向の強さも重要な背景としてあったように思います。
アレクサンドロス大王が傑出した人物であることは間違いありませんが、本書はアレクサンドロス大王の事績の意義として、「ヘレニズム」世界の現出を特筆しています。ただ、本書は「ヘレニズム」をギリシア的要素とアジア的要素の融合とは理解しておらず、アジア的世界におけるギリシア的社会および文化の拡大と点在(都市におけるギリシア文化の受容、および都市部と農村部との乖離)、およびその結果としての共通語たるコイネーの成立を指摘します。それがよく現れているのは「後継者(ディアドコイ)」戦争で最大の勢力を築くに至ったセレウコス朝で、ギリシア人とマケドニア人による支配を強烈に志向していたようです。また、ヘレニズム時代は通常、アレクサンドロス大王没後からローマに夜地中海一帯の統一(紀元前30年)までの約300年間のユーラシア西方社会を指しますが、本書はフィリポス2世によるマケドニア王国の興隆にヘレニズム時代の開始をさかのぼらせ、経済の活性化と大都市の出現を大きな特徴として挙げています。
本書は『地中海世界の歴史』第4巻となりますが、第3巻まで読んできて、宗教と神への信仰が時代の経過とともにどのように変わってきたのかが、主題の一つになっているように思います。本書は最終的に、「西ローマ帝国の滅亡」とキリスト教の「勝利」、さらにはその後のイスラム教の台頭までを視野に入れているのではないか、と私は予想しています。その意味で、ヘレニズムが信仰をどのように変えて、その後の信仰に影響を及ぼした、と把握するのか、注目していました。これに関して本書はまず、ヘレニズム文化をギリシア文化が東方各地の在来の土着文化と融合し、新段階に入った、と把握します。つまりは、オリエントのギリシア化であり、ギリシア文化のオリエント化でもあった、というわけです。本書はこのヘレニズム時代において、共通の言語(コイネー)が出現したことを重視します。そもそも、ギリシア世界においては元々、さまざまな「方言」が使用されていました。紀元前5世紀にアテナイがギリシア世界における政治と文化の中心になっていくと、アテナイのアッティカ方言が優勢となり、これにイオニア方言が加わり、一つの共通語(コイネー)が形成され、地中海東部世界では標準語として使用されるようになりました。
このヘレニズム時代の地中海世界は巨大な諸王国に支配され、都市国家(ポリス)の政治的重要性が低下し、都市国家の枠を超えて人々の関心が広がっていき、知的活動も(大都市に偏っていたとはいえ)盛んになった、と本書は把握します。ある意味では、混迷の時代とも言えるわけですが、そうした中で神々と人間世界の関わりについても多様な考えが生じており、空前絶後とも言える規模で宗教融合(シンクレティズム)が起きていた、と本書は指摘します。都市国家が衰退し、都市国家単位の信仰が意義を喪失していく中で、共同体単位ではなく個人単位の信仰が重要となっていき、多様な出自の個人が同じ宗教的儀式に加わります。オリエントのギリシア化であり、ギリシア文化のオリエント化でもあったヘレニズム時代には、ギリシア世界にもミトラ密儀など東方からの信仰が伝わりました。ギリシアの神については東方の在来神との類似性が人々に発見され、神々の融合が生じました。こうした融合で生じた宗教において共通する特徴として、本書は「救済の約束」を挙げます。さまざまな地域的な神の集約による宗教融合の結果として生じたのが、共同体としての安泰よりも個人としての救済を求める傾向で、これは短期的には目立つほど派手なものではなかったものの、長期的には大きな変化をもたらした、と本書は把握しています。
この記事へのコメント