メキシコの14世紀の子供遺骸の学際的研究
メキシコで発見された14世紀の子供1個体の遺骸の学際的分析結果を報告した研究(Sedig et al., 2024)が公表されました。本論文は、メキシコのチワワ(Chihuahua)州に位置する、カサス・グランデス(Casas Grandes)としても知られるパキメ(Paquimé)遺跡の子供1個体について、古代ゲノム解析と放射性炭素年代測定とストロンチウム(Sr)同位体分析の結果を報告しています。この子供1個体の両親は遺伝的に2親等程度の親族関係にあり、パキメ社会の上流階層に属していた、と推測されています。こうした学際的分析によって当時の社会構造を推測する研究は今後ますます盛んになる、と期待されます。
●要約
カサス・グランデスとしても知られるパキメ遺跡は、メソアメリカと先プエボロ集団(Ancestral Puebloan group)との間のチワワ州に位置し、13~14世紀における活気に満ちた多文化的中心地でした。パキメ遺跡住民の社会的組織については、かなりの議論があります。本論文は、井戸の家の1部屋の中央支柱の下に埋葬された、独特な子供1個体の古代DNAの分析を報告します。本論文の主張は、分析で明らかになったこの子供の両親の密接な遺伝的関係と、埋葬の特別な堆積状況は、この古代の共同体における自らの社会的地位を強化および正当化しようとする家族の試みを反映している、というものです。以下は本論文の概略図です。
●研究史
考古学者は、数十年間にわたってメキシコのチワワ州のUNESCO(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization、国際連合教育科学文化機関)世界遺産であるパキメ遺跡を研究してきましたが、とくにその社会組織に関する重要な議論は依然として解決されていません。パキメ遺跡は「国際的」だったのでしょうか?上流階層が管理する階層社会だったのでしょうか?その隆盛は、12~13世紀における人口増加もしくは大規模な移住の結果だったのでしょうか?本論文では、遺伝的に男性の子供で、その両親がイトコより近い親族関係にある井戸の家の埋葬23-8号が、これらの問題にどのように回答を提供できるのか、調べます。
●パキメ遺跡の背景
パキメ遺跡は、メキシコ北西部/アメリカ合衆国南西部(北西部/南西部)における最も重要遺跡の一つです。チャールズ・ディ・ペソ(Charles Di Peso)が率いたカサス・グランデス共同計画では、1959~1961年のパキメ遺跡の一部が発掘されました。この計画との後の分析は、パキメ遺跡に関する考古学的理解の基礎を:制しています。パキメ遺跡の年代は1200~1450年頃で、おもに日干し煉瓦で造られました(図1)。その規模と精巧さは、ヨーロッパ勢力との接触前の北西部/南西部においては無比で、間違いなくこの地域の政治的および儀式的中心地でした。パキメ遺跡には約1100室あり、集合住宅様式の建物の一部は少なくとも3階建以上でした。複数の建築上の特徴によって、パキメ遺跡は同時代の遺跡と区別され、そうした中には、長さ約113mの「蛇」塚や、巨大な十字型の塚や、少なくとも2ヶ所の球戯場や、広場や、大きな焼却坑のある区域や、水を泉から北西へ約6kmパキメ遺跡に運ぶに水路が含まれます。ます。とくにメキシコ西部からの豊富な交易品がパキメ遺跡には補完されており、海洋性貝殻の400万点以上の断片が含まれており、パキメ遺跡にはコンゴウインコの繁殖集団がおり、コンゴウインコの囲いと何百ものコンゴウインコの埋葬があります。以下は本論文の図1です。
パキメ遺跡は間違いなく、この地域における社会政治的発展の中心でしたが、学者はパキメ遺跡の起源と社会的組織と衰退の性質を議論し続けています。考古学者はディ・ペソの仮説の多く、とくにメソアメリカのポチテカ(pochteca)と呼ばれる商人(アステカ帝国と関係のある長距離商人)がパキメ遺跡を創設した、との仮説を修正してきました。パキメ遺跡の隆盛は、ミンブレス・モゴヨン(Mimbres-Mogollon)地域から北方への移住、チャコ渓谷・アステカ遺跡(Chaco Canyon-Aztec Ruins)地域からの上流階層系統による影響、社会および宗教的指導者の魅力の結果だったのかどうか、依然として解明されていません。パキメ遺跡の終焉に関する総意もありませんが、証拠は不快なものだったことを示唆しています。パキメ遺跡の終末期の居住から発見されたほぼ100点のヒト骨格が埋葬されずに残っており、これらは暴力や疾患や飢饉やなどさまざまな原因とされており、パキメ遺跡が不名誉な終焉を迎えた可能性を提起します。それにも関わらず、一部のパキメ遺跡の住民とその子孫はこの地域に留まりました。スペインの文書や現存する植民地期の建物や頭蓋改変の分析を通じて、最近の研究では、スペイン人がその初期の探検中に遭遇したスマ人(Suma)は、パキメ遺跡およびカサス・グランデス地域体系の住民の子孫だった、と主張されています。
●埋葬データからのパキメ遺跡の階層への洞察
パキメ遺跡の社会構造と階層の程度と上流階層の影響は、カサス・グランデス共同計画以降、多くの注目を集めてきました。埋葬データを通じてパキメ遺跡の社会構造の問題を調べてきた研究は社会的階層化の証拠を見つけ、一部の系統は政治的および宗教的権力とつながっていた、と結論づけました。先行研究は、犠牲を通じて権力を正当化した、排他的な祖先崇拝儀式の存在を主張しています。パキメ遺跡で最も精巧な埋葬である死者の家の埋葬群44-13に関する他の研究は、12個体間の社会的区別を見つけました。上層には、解体痕および死後処理の証拠(食人の可能性が含まれます)とともに、エナメル質形成不全や骨萎縮性外骨症など、不健康を示唆する5個体の混在が含まれていました。
対照的に、下層の7個体は間接がつながっており、儀式的に重要な副葬品(たとえば、砕かれた土器製鼓や、七面鳥の犠牲や、ラモス黒陶容器)と関連していました。この7個体には、多くの健康圧迫や死後処理の多くの指標もずっと少なかった、と示されました。先行研究は、上層の3個体と下層2個体のSr同位体研究を行ない、下層の2個体が地元出身だったのに対して、上層の3個体のうち2個体は地元出身ではなかった、と分かりました。さらに、別の先行研究は、上層埋葬の個体のうち2個体の歯石に埋め込まれた微視的な植物の証拠を特定し、その2個体が死の少し前にトウモロコシ製発砲飲料を消費し、死んで埋葬される直前に酔っていたかもしれない、と示唆されました。まとめると、これら一連の証拠は、生贄の犠牲者がカサス・グランデス外から連行され、儀式的に殺され、その後に地元で生まれ育った上流階層とともに埋葬されたことを示唆しているかもしれません。
●井戸の家の単位8の埋葬23-8
井戸の家はディ・ペソの発掘の北東部に位置し(図2a)、その中で見つかった独特な地下の歩行可能な井戸に因んで命名されました。この緯度は地下約12mにありました。ここに近づくには、急な階段を使い、床の入口と、銅製鈴や小さな石像やトルコ石や貝殻製数珠など他の儀式的人工遺物に埋め込まれた頭蓋冠を通過せねばなりません。ディ・ペソとその同僚によると、井戸に最も近い住居は富裕で、「最高の給水および排水設備」がありました。井戸の家の部屋には、パキメ遺跡の他の区域より多くの特産品も含まれており、60種の何百万もの海洋性貝殻、大量の未加工の蛇紋岩様岩石、トルコ石、塩、透石膏、銅鉱石や、50以上の外部で作られたヒラ多色彩(Gila Polychrome)容器、喫煙管、斬首された人形の容器、パキメ遺跡のどの区域よりも多くの犠牲になったコンゴウインコ(34点)がありました。儀式用品、とくに土器の人形容器と彫像、喫煙管や鉱物凝結物の貯蔵所、石英や小さな呪物などの分析を通じて、先行研究では、占い師の聖職者がパキメ遺跡では上流階層指導者で、その権力は井戸の家に集中していた、と主張されています。以下は本論文の図2です。
井戸自体とは直接的に接触していませんが、井戸の家の21c号室は、重要ではあるものの典型的ではない過程の部屋である稀な3階の部屋の1階でした。21c号室には調理用炉床がなく、ほとんどの部屋より大きくて(12.75×5.35m)、上の階へは精巧な階段があり、上の階には銅製品やアカコンゴウインコの囲いなどの人工遺物が含まれていました。3本の頑丈な木柱が天井と上階を支えていました(図2b)。各柱穴には、底部に大きく成形された礎石の円盤があり、その下の供物としてトルコ石の垂れ飾りが置かれていました。天井を支える1本の柱の底部に巻きつけられているのが埋葬23-8で、これは砂岩の円盤の上部に安置された2~5歳の子供1個体で構成されていました(図2c)。ディ・ペソとその同僚によると、「埋葬23-8の身体の位置から、この子供は、パキメ期再構築中に支柱が設置されたさい、ある種の懇願供物として安置された、と示唆されました」。さらに、頭蓋の後部左側は損傷を示しており、おそらくは致命的な殴打に起因し、ディ・ペソは埋葬23-8を犠牲者と分類しました。
ディ・ペソはいくつかの他の可能性のある犠牲者を記録しており、最も顕著なのは、死者の家に位置する埋葬44-13の上層個体群ですが、埋葬23-8はその形態と状況で独特でした。ディ・ペソでは、井戸の家から57個体が発掘されました(パキメ遺跡の被葬者の9.9%)。それら57個体のうち、25個体は家の床の下の儀礼的な穴状の遺構に、18個体は広場の下の儀礼的な穴状の遺構に埋葬されており、14個体は埋葬されていませんでした。ディ・ペソは井戸の家で13個体の子供を発掘し、6個体は家の床下、4個体は広場の下に埋葬されており、3個体は埋葬されていませんでした。埋葬23-8は柱の周りに巻きつけられており、井戸の家およびパキメ遺跡では唯一の事例でした。以下で説明される本論文の新たな遺伝学的分析は、この子供の埋葬の別の独特な属性が明らかになります。
●埋葬23-8の遺伝学的分析
埋葬23-8はPIPANOM(Proyecto de Investigación de Poblaciones Antiguas en el Norte y Occidente de México、メキシコ北部および西部古代人口研究計画)の一部として分析され、PIPANOMはメキシコの西部と北部における経時的な人口構造の変化を、この地域の研究者と緊密に協力して調べます。埋葬23-8から得られた標本1点の分析経路には、骨格資料の処理、配列決定、生物情報学、データ品質評価が含まれます(たとえば、Lazaridis et al., 2022)。これらの手法によって、埋葬23-8は確実な古代DNAデータを生成した、と確証されました(表1)。DNA配列は、真の古代DNAで予測されるように、末端にかなりの損傷があります。ミトコンドリア合意配列との一致率は95%信頼区間が99.4~100%で、最小限の汚染データと一致します。分析によって、この個体は遺伝的に男性と判断されました。片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)はアメリカ大陸先住民人口集団と一致しており、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はC1b、Y染色体ハプログループ(YHg)はQ1a2a2b1a~です。以下は本論文の表1です。
データの信頼性の確証後、埋葬23-8の遺伝的データがアメリカ大陸全域の以前に刊行された古代人609個体、およびスマ人(Suma)チャネ人(Chane)やウイチョル人(Huichol)やカリティアナ人(Karitiana)やサポテコ人(Zapotec)やミヘー人(Mixe)やミシュテカ人(Mixtec)やピアポコ人(Piapoco)やオオダム人(O'odham、Pima)やケチュア人(Quechua)やスルイ人(Surui)やヨーロッパ人やムブティ人を含めて現代人170個体の遺伝的データと組み合わされました。主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTUREと外群f₃統計が実行され、埋葬23-8の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)と、埋葬23-8が他の以前に刊行された個体と大きく異なっていたのかどうか、調べられました。
PCA(図3b・c)では埋葬23-8と北西部/南西部の以前に刊行された他の古代の個体(Villa-Islas et al., 2023、akatsuka et al., 2023)は現代のオオダム人祖先系統に向かって動いている、と論証されます。現代のオオダム人はユト・アステカ(Uto-Aztecan)語族話者のトウモロコ農耕民で、その故地は伝統的に現代のメキシコとアメリカ合衆国の国境にわたって伸びています。オオダム人は16世紀半ばに始まった北西部/南西部の征服期にスペイン人が遭遇した集団の一つで、現在依然としてこの地域に居住しています。以下は本論文の図3です。
外群f₃分析はPCAと同様の闕かを提供し、埋葬23-8は現代のオオダム人およびパキメ遺跡と地理的に最も近い古代の個体群とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しています。PCAおよび外群f₃分析と同様にADMIXTUREでは、埋葬23-8は最も近い地理的距離の古代の個体群と最も似ている祖先系統を有している、と明らかになります(図3d)。祖先系統の類似性は、パキメ遺跡からの距離の増加につれて減少します。
本論文の分析から、埋葬23-8の祖先系統は過去2000年間およびそれ以上の北西部/南西部に暮らしていた他の個体群と同様で、埋葬23-8の祖先系統は現代のオオダム人ととくに近い、と示唆されます。本論文は人口下部構造を広く調べていませんが、一般的に中央および北アメリカ大陸の古代の個体群の祖先系統は地理と連続変異的で相関している、と分かりました。この調査結果は、中央および北アメリカ大陸の古代と現代の人口集団の先行研究を再現します(Villa-Islas et al., 2023)。
●同型接合連続領域
同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)は、1個体がその母親から受け取るDNAがその父親から受け取るDNAと同一であるゲノムの大きな連続で、これは、キョウダイもしくはイトコ間の子供で予測されるように、両親が最近の共通祖先を有していることに起因します。古代ゲノムにおけるROHの定量化と分析は、人々が暮らしていた共同体の規模と、個体の両親の近縁性の程度の推定に使用できます(Cassidy et al., 2020、Ringbauer et al., 2020、Skourtanioti et al., 2020)。ROHは、染色体上の2ヶ所の部位間の遺伝的距離の尺度であるcM(センチモルガン)で記録されます。より大きなcM値は、ゲノムのより多くが祖先の2(もしくはそれ以上の)個体間で共通していることを示します。hapROH(Ringbauer et al., 2021)など分析手段は、古代ゲノムで見つかってROHを定量化します。ROHの断片は長さで示され、合計されます。短いものから中程度のROH断片の合計は、人口/交配の集団規模についての推測に用いられ、なぜならば、小さく孤立した人口集団は相互に遠い(もしくは近い)関係にある個体を含んでいる可能性が高いので、その人口集団における配偶の組み合わせはROHのいくらかのより短い長さを共有している可能性が高いからです(つまり、偶然より密接に関連しています)。逆に、これらの個体が短いものから中程度の低いROH値を有しているならば、その直近の祖先はより大きくてより異質な人口集団の一部だった可能性が高かったでしょう。個体の両親の関係がより密接ならば、より多くの長いROHが個人のゲノム内に含まれるでしょう。hapROHを用いて、埋葬23-8について270.09の長いROH値が見つかりました(表2)。以下は本論文の表2です。
これは、アメリカ大陸の個体群(237個体、平均の長いROHは17.76、中央値の長いROHは0)で刊行された2番目に長いROHで、これを上回るのは、アメリカ合衆国カリフォルニア州のサン・クレメンテ(San Clemente、略してSCL)島の1個体(Nakatsuka et al., 2023)だけです(図4)。以下は本論文の図4です。
先行研究(Ringbauer et al., 2021)における1000個体の模擬実験では、イトコ(3親等の遺伝的親族)の合計ROHの範囲は50~500cMの間だった、と分かりました。しかし、これらイトコの模擬実験で270.09より高い値を有するのは1000回のうち29回だけで、埋葬23-8の両親がイトコより密接な親族関係だったことを示唆しています。先行研究(Ringbauer et al., 2021)のデータを用いて、埋葬23-8のROH値が特定の家族関係について予測されるROH値と比較されました(図5)。最も可能性の高い種類の関係は2親等で、これは両親が半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ関係)かオジとメイかオバとオイか祖父母と孫の場合に生じます。以下は本論文の図5です。
●放射性炭素分析
放射性炭素年代測定の範囲は1301~1397年(95.4%の信頼性、620±15年前)で、メディオ(Medio)期におけるパキメ遺跡の最盛期内に収まります(図6)。ディ・ペソとその同僚は、埋葬23-8が巻きつけられた柱について、1113~1234の年輪年代を生成し、これは本論文で得られた放射性炭素年代に1世紀以上先行します。しかし、先行研究はディ・ペソたちの樹木の年輪年代について問題を特定しており、それはおもに、多くの年代が古すぎることで、なぜならば、ディ・ペソたちは梁の形成と外輪の除去を考慮しなかったからです。本論文は、最も可能性の高い筋書きでは、埋葬23-8の埋葬は柱の設置と同年代だった、と提案します。以下は本論文の図6です。
●ストロンチウム分析
DNA分析から得た残りの内耳蝸牛殻の粉末を用いて、個体23-8のSr同位体比が分析されました。埋葬23-8のSr同位体比は0.70723±0.000010で、パキメ遺跡の範囲内(0.7068~0.7075)に収まります(図7)。本論文のSr同位体比分析は、井戸の家では地元の個体しか見つからなかった、パキメ遺跡の以前の同位体研究と一致します。これは、パキメ遺跡で発見された儀式的に重要な特徴と人工遺物の豊富さと組み合わされて、井戸の家に埋葬された人々は地元の上流階層集団の一部だった、との先行研究を示唆します。以下は本論文の図7です。
●考察
研究者はROHを用いて、以前には確認困難だった過去の側面を調べます。先行研究(Fernandes et al., 2020)は12~20cM断片の集合を用いて、古代カリブ海の人口規模を調べました。主要な2クレード(単系統群)、つまりドミニカ共和国の南部~東部沿岸の土器時代と大アンティル諸島東部の有効人口規模の推定値は、ほとんどの以前の推定値よりずっと小さなもの(3082、95%信頼区間では1530~8150)でした。それにも関わらず、カリブ海の古代の住民には全体的に高水準の近親交配はなく、換言すると、個体の両親がマタイトコより密接な親族関係だった可能性は低そうです(Fernandes et al., 2020)。
対照的に、別の先行研究(Ringbauer et al., 2020)は、アンデス中央部における1000年頃以後の高水準の近親交配を見つけました。特定された長いROH値は、両親がイトコもしくはマタイトコの個体に典型的でした。その先行研究はこの増加の原因を、ティワナク(Tiwanaku)およびワリ(Wari)文化が衰退した後の後期中間期における親族関係パターンの変化と考えています。
世界規模の古代DNAデータセット(45000年間にわたる古代人1785個体)においてROHを調べた先行研究(Ringbauer et al., 2021)では、民族学もしくは人類学的文献から予測できるよりも低水準の近親交配が見つかりました。合計で50cM以上となる長いROHを有しているのはわずか45個体で、54個体のうち11個体は孤立した島の人口集団に由来します。現代人のデータ(約150の現在の人口集団の1941個体)にhapROHを適用すると、176個体が合計で、合計で50cM以上となる長いROH(両親が3もしくは4親等の親族であることと一致します)を有している、と明らかになりました(Ringbauer et al., 2021)。これらの個体は地理的に現在の近東とアフリカ北部とアジア中央部および南部と南アメリカ大陸でまとまり、これらの地域ではイトコ婚が他地域(ヨーロッパ西部など)より一般的です。
2020年の研究(Cassidy et al., 2020)は、ゲノムの同型接合性を測定するさまざまな手法を用いて、アイルランドの中石器時代と新石器時代の44個体を調べました。その研究は、極端な近親交配のニューグレンジ(Newgrange)遺跡の羨道墓の1個体を特定しました。この個体(NG10)は成人男性で、その両親はキョウダイである可能性が最も高そうです(hapROHを用いると、NG10について687.41という長いROH値が計算されました)。その研究(Cassidy et al., 2020)では、NG10の両親の組み合わせは社会的に認められており、権力の強化と正当化のため支配家族に制約されていた可能性が高い、と示唆されています。埋葬23-8の長いROH値はNG10より低いものの、独特な埋葬状況を考えると、埋葬23-8の密接な親族関係にある両親の組み合わせも、上流階層の地位を正当化する手段だったかもしれません。
●近親交配と社会的地位
民族学および社会学的研究では、密接な親族関係は稀で、ほとんどの社会的集団はキョウダイの結婚を近親相姦、したがって禁忌とみなしている、と分かってきました。ほぼ普遍的な強化の近親相姦禁忌には例外があり、おそらく最もよく知られているのは、ローマ期エジプトのキョウダイ間の婚姻です。1964年の異文化研究では、キョウダイ婚の結婚に対する禁忌はある程度の社会的階層のある社会において最も頻繁に発生し、そうした社会で上流階層/支配者は社会的規範から免除されていた、と分かりました。その研究に対して1981年の研究では、民族学的に観察された42社会のうち34社会では、全キョウダイ【両親がおなじキョウダイ】もしくは半キョウダイ間の配偶は王室もしくは貴族のみで容認されていた、と分かりました。その研究では、「したがって、キョウダイの近親相姦は一夫多妻制で高位の人々の戦略と強く確認され、地位がより高くなると、より一夫多妻制になり、近親相姦戦略の可能性がより高くなる」と指摘されています。2004年の研究ではさらに、1964年の研究と1981年の研究がさらに解釈され、「高度な首長制/ほぼ国家」の上流階層におけるキョウダイや他の密接な親族との結婚は、早熟な指導者が「傲慢な禁忌破りによって権力の霊気(オーラ)を構築する」手段だっただろう、と主張されています。
密接な親族間の結婚の禁忌とその例外に関する人類学的および民族学的議論のほとんどはキョウダイに焦点を当ててきました。が、遺伝学的研究では、他のシュルツの密接な親族関係も避けられていた、と示唆されています。先行研究(Ringbauer et al., 2021)で調べられた古代の全個体のうち、2個体(紀元前六千年紀のイスラエルの1個体と紀元前三千年紀のロシアの1個体)のみが、埋葬23-8より大きな長いROH値を有していました(それぞれ、545.02と324.87)。一部の現代の個体は50cM以上となる長いROHが特定されてきましたが、1941個体の内71個体のみが合計で120cM以上の長いROHを有しており、これはイトコ間の配偶で予測される値です(Ringbauer et al., 2021)。これが示唆するのは、イトコ間の結婚(およびそれより近い親族間の結婚)は通常禁忌だった、ということです。対照的に、アンデス地域の複数個体はイトコもしくはマタイトコの子供で予測される長いROH値を有していますが、ROHの増加した13個体のうち2個体のみが、イトコ間の結婚で予測される値を有しています。アンデス地域の後期中間期の小規模な政体には、密接な親族関係を政治的資本として利用した、上述の「高度な首長制/ほぼ国家」水準の社会に相当する社会階層があったことも注目に値します。
●パキメ遺跡の埋葬23-8の意味
埋葬23-8の両親は、半キョウダイかメイ/オジかオバ/オイか祖父母と孫かそのゲノムの25~50%を共有している親族の他の組み合わせである可能性が高そうです。アメリカ大陸の配列決定された古代人わずか数個体が、埋葬23-8と同じくらい高い長いROH値を有しています。もちろん、埋葬23-8が禁止されている関係もしくは強制的な性的関係の結果生まれた可能性はあります。埋葬23-8の両親が、自身の密接な遺伝的関係に気づいていなかった可能性もあります。この遺伝的に男性の個体【埋葬23-8】の誕生につながった相互作用の動態は依然として不明ですが、井戸の家における独特な埋葬状況および地元のSr同位体痕跡は、両親の特別な社会的地位を示唆しています。これは、密接な親族間の結婚はおもに、権力強化のため親族と子供を儲けた高位個体群に限定されていた、と明らかにした研究と一致します。
2009年の研究では、パキメ遺跡の上流階層は埋葬儀式と厳重に守られた骨格遺骸の加工(埋葬44-13の事例など)を用いて、社会的規範外で行動できる人間としての地位を高め、したがってその高い社会的地位を体系化した、と主張されました。埋葬44-13の事例では、上層の個体混合は地元出身ではなく不健康で、犠牲活動の一部として処理(および恐らくは消費)され、その後に副葬品なしで埋葬されました。したがって、その犠牲は埋葬23-8とは著しく対照的で、密接な親族間の子供は地元で生まれ育ち、地元出身者のみが埋葬された重要な建物の儀式的に重要な部屋の支柱の下で、トルコ石の垂れ飾りの近くに埋葬されました。
死者の家における埋葬44-13の上層の犠牲者とは異なり、埋葬23-8は関節がつながっており、地元出身でした。井戸の家の埋葬は、先行研究では儀式的に課された重要な場所で、地元出身の上流階層がその権力を確立して育み、この子供【埋葬23-8】はパキメ遺跡において井戸の利用権と他の儀式を支配していたかもしれない地元家系の一部だった、と示唆されます。本論文が把握している限りでは、より大きな北西部/南西部において、柱の下に位置する儀式的に重要な副葬品と関連する埋葬の他に記録された事例はありません。しかし、子供の犠牲は古代メソアメリカ全域であった慣行で、儀式的に重要な建物の神聖化における犠牲者の使用も同様でした。さらに、ヨーロッパ勢力との接触前のメソアメリカの儀式に関する研究では、ヒトの犠牲は神を鎮めるもしくはその支援を受け取るための最も説得力のある手段の一つだった、と示されてきました。上流階層家系の地元の2人から生まれた子供の犠牲は、井戸の家を神聖化し、社会的・政治的・儀式的地位を高めるための、強力な手段だったでしょう。
●まとめ
本論文は、パキメ遺跡のゲノム規模データを初めて報告しました。これらのデータは、パキメ遺跡の社会構造への刺激的で新たな洞察を提供します。パキメ遺跡の埋葬23-8は両親が密接な親族関係の幼い少年で、これまでに刊行されたアメリカ大陸の古代の個体群の第2位の合計で長いROHを示しましたこれは、柱の周辺に埋葬された唯一の個体でした。これらが偶然である可能性はきわめて低い、と分かりました。民族学および人類学の文献と世界規模の古代DNAデータに関する本論文の再検討から、密接な親族間の結婚に対する禁忌は一般的で、キョウダイ間の関係に限定されていなかった、と示唆されます。そうした関係が容認された記録されている事例は、階層化された社会内の上流階層家族において見られることが最も多くなっています。これらの結果から、埋葬23-8はパキメ遺跡における同様の階層社会の一部だった、と示唆されます。考古学者は、パキメ遺跡の社会組織の性質について長く議論してきました。埋葬23-8のデータから、パキメ遺跡には上流階級が存在し、その上流階級は密接な親族の配偶の組み合わせの確立によって権力の強化を試みたかもしれない、と示唆されます。
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Villa-Islas V. et al.(2023): Demographic history and genetic structure in pre-Hispanic Central Mexico. Science, 380, 6645, eadd6142.
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●要約
カサス・グランデスとしても知られるパキメ遺跡は、メソアメリカと先プエボロ集団(Ancestral Puebloan group)との間のチワワ州に位置し、13~14世紀における活気に満ちた多文化的中心地でした。パキメ遺跡住民の社会的組織については、かなりの議論があります。本論文は、井戸の家の1部屋の中央支柱の下に埋葬された、独特な子供1個体の古代DNAの分析を報告します。本論文の主張は、分析で明らかになったこの子供の両親の密接な遺伝的関係と、埋葬の特別な堆積状況は、この古代の共同体における自らの社会的地位を強化および正当化しようとする家族の試みを反映している、というものです。以下は本論文の概略図です。
●研究史
考古学者は、数十年間にわたってメキシコのチワワ州のUNESCO(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization、国際連合教育科学文化機関)世界遺産であるパキメ遺跡を研究してきましたが、とくにその社会組織に関する重要な議論は依然として解決されていません。パキメ遺跡は「国際的」だったのでしょうか?上流階層が管理する階層社会だったのでしょうか?その隆盛は、12~13世紀における人口増加もしくは大規模な移住の結果だったのでしょうか?本論文では、遺伝的に男性の子供で、その両親がイトコより近い親族関係にある井戸の家の埋葬23-8号が、これらの問題にどのように回答を提供できるのか、調べます。
●パキメ遺跡の背景
パキメ遺跡は、メキシコ北西部/アメリカ合衆国南西部(北西部/南西部)における最も重要遺跡の一つです。チャールズ・ディ・ペソ(Charles Di Peso)が率いたカサス・グランデス共同計画では、1959~1961年のパキメ遺跡の一部が発掘されました。この計画との後の分析は、パキメ遺跡に関する考古学的理解の基礎を:制しています。パキメ遺跡の年代は1200~1450年頃で、おもに日干し煉瓦で造られました(図1)。その規模と精巧さは、ヨーロッパ勢力との接触前の北西部/南西部においては無比で、間違いなくこの地域の政治的および儀式的中心地でした。パキメ遺跡には約1100室あり、集合住宅様式の建物の一部は少なくとも3階建以上でした。複数の建築上の特徴によって、パキメ遺跡は同時代の遺跡と区別され、そうした中には、長さ約113mの「蛇」塚や、巨大な十字型の塚や、少なくとも2ヶ所の球戯場や、広場や、大きな焼却坑のある区域や、水を泉から北西へ約6kmパキメ遺跡に運ぶに水路が含まれます。ます。とくにメキシコ西部からの豊富な交易品がパキメ遺跡には補完されており、海洋性貝殻の400万点以上の断片が含まれており、パキメ遺跡にはコンゴウインコの繁殖集団がおり、コンゴウインコの囲いと何百ものコンゴウインコの埋葬があります。以下は本論文の図1です。
パキメ遺跡は間違いなく、この地域における社会政治的発展の中心でしたが、学者はパキメ遺跡の起源と社会的組織と衰退の性質を議論し続けています。考古学者はディ・ペソの仮説の多く、とくにメソアメリカのポチテカ(pochteca)と呼ばれる商人(アステカ帝国と関係のある長距離商人)がパキメ遺跡を創設した、との仮説を修正してきました。パキメ遺跡の隆盛は、ミンブレス・モゴヨン(Mimbres-Mogollon)地域から北方への移住、チャコ渓谷・アステカ遺跡(Chaco Canyon-Aztec Ruins)地域からの上流階層系統による影響、社会および宗教的指導者の魅力の結果だったのかどうか、依然として解明されていません。パキメ遺跡の終焉に関する総意もありませんが、証拠は不快なものだったことを示唆しています。パキメ遺跡の終末期の居住から発見されたほぼ100点のヒト骨格が埋葬されずに残っており、これらは暴力や疾患や飢饉やなどさまざまな原因とされており、パキメ遺跡が不名誉な終焉を迎えた可能性を提起します。それにも関わらず、一部のパキメ遺跡の住民とその子孫はこの地域に留まりました。スペインの文書や現存する植民地期の建物や頭蓋改変の分析を通じて、最近の研究では、スペイン人がその初期の探検中に遭遇したスマ人(Suma)は、パキメ遺跡およびカサス・グランデス地域体系の住民の子孫だった、と主張されています。
●埋葬データからのパキメ遺跡の階層への洞察
パキメ遺跡の社会構造と階層の程度と上流階層の影響は、カサス・グランデス共同計画以降、多くの注目を集めてきました。埋葬データを通じてパキメ遺跡の社会構造の問題を調べてきた研究は社会的階層化の証拠を見つけ、一部の系統は政治的および宗教的権力とつながっていた、と結論づけました。先行研究は、犠牲を通じて権力を正当化した、排他的な祖先崇拝儀式の存在を主張しています。パキメ遺跡で最も精巧な埋葬である死者の家の埋葬群44-13に関する他の研究は、12個体間の社会的区別を見つけました。上層には、解体痕および死後処理の証拠(食人の可能性が含まれます)とともに、エナメル質形成不全や骨萎縮性外骨症など、不健康を示唆する5個体の混在が含まれていました。
対照的に、下層の7個体は間接がつながっており、儀式的に重要な副葬品(たとえば、砕かれた土器製鼓や、七面鳥の犠牲や、ラモス黒陶容器)と関連していました。この7個体には、多くの健康圧迫や死後処理の多くの指標もずっと少なかった、と示されました。先行研究は、上層の3個体と下層2個体のSr同位体研究を行ない、下層の2個体が地元出身だったのに対して、上層の3個体のうち2個体は地元出身ではなかった、と分かりました。さらに、別の先行研究は、上層埋葬の個体のうち2個体の歯石に埋め込まれた微視的な植物の証拠を特定し、その2個体が死の少し前にトウモロコシ製発砲飲料を消費し、死んで埋葬される直前に酔っていたかもしれない、と示唆されました。まとめると、これら一連の証拠は、生贄の犠牲者がカサス・グランデス外から連行され、儀式的に殺され、その後に地元で生まれ育った上流階層とともに埋葬されたことを示唆しているかもしれません。
●井戸の家の単位8の埋葬23-8
井戸の家はディ・ペソの発掘の北東部に位置し(図2a)、その中で見つかった独特な地下の歩行可能な井戸に因んで命名されました。この緯度は地下約12mにありました。ここに近づくには、急な階段を使い、床の入口と、銅製鈴や小さな石像やトルコ石や貝殻製数珠など他の儀式的人工遺物に埋め込まれた頭蓋冠を通過せねばなりません。ディ・ペソとその同僚によると、井戸に最も近い住居は富裕で、「最高の給水および排水設備」がありました。井戸の家の部屋には、パキメ遺跡の他の区域より多くの特産品も含まれており、60種の何百万もの海洋性貝殻、大量の未加工の蛇紋岩様岩石、トルコ石、塩、透石膏、銅鉱石や、50以上の外部で作られたヒラ多色彩(Gila Polychrome)容器、喫煙管、斬首された人形の容器、パキメ遺跡のどの区域よりも多くの犠牲になったコンゴウインコ(34点)がありました。儀式用品、とくに土器の人形容器と彫像、喫煙管や鉱物凝結物の貯蔵所、石英や小さな呪物などの分析を通じて、先行研究では、占い師の聖職者がパキメ遺跡では上流階層指導者で、その権力は井戸の家に集中していた、と主張されています。以下は本論文の図2です。
井戸自体とは直接的に接触していませんが、井戸の家の21c号室は、重要ではあるものの典型的ではない過程の部屋である稀な3階の部屋の1階でした。21c号室には調理用炉床がなく、ほとんどの部屋より大きくて(12.75×5.35m)、上の階へは精巧な階段があり、上の階には銅製品やアカコンゴウインコの囲いなどの人工遺物が含まれていました。3本の頑丈な木柱が天井と上階を支えていました(図2b)。各柱穴には、底部に大きく成形された礎石の円盤があり、その下の供物としてトルコ石の垂れ飾りが置かれていました。天井を支える1本の柱の底部に巻きつけられているのが埋葬23-8で、これは砂岩の円盤の上部に安置された2~5歳の子供1個体で構成されていました(図2c)。ディ・ペソとその同僚によると、「埋葬23-8の身体の位置から、この子供は、パキメ期再構築中に支柱が設置されたさい、ある種の懇願供物として安置された、と示唆されました」。さらに、頭蓋の後部左側は損傷を示しており、おそらくは致命的な殴打に起因し、ディ・ペソは埋葬23-8を犠牲者と分類しました。
ディ・ペソはいくつかの他の可能性のある犠牲者を記録しており、最も顕著なのは、死者の家に位置する埋葬44-13の上層個体群ですが、埋葬23-8はその形態と状況で独特でした。ディ・ペソでは、井戸の家から57個体が発掘されました(パキメ遺跡の被葬者の9.9%)。それら57個体のうち、25個体は家の床の下の儀礼的な穴状の遺構に、18個体は広場の下の儀礼的な穴状の遺構に埋葬されており、14個体は埋葬されていませんでした。ディ・ペソは井戸の家で13個体の子供を発掘し、6個体は家の床下、4個体は広場の下に埋葬されており、3個体は埋葬されていませんでした。埋葬23-8は柱の周りに巻きつけられており、井戸の家およびパキメ遺跡では唯一の事例でした。以下で説明される本論文の新たな遺伝学的分析は、この子供の埋葬の別の独特な属性が明らかになります。
●埋葬23-8の遺伝学的分析
埋葬23-8はPIPANOM(Proyecto de Investigación de Poblaciones Antiguas en el Norte y Occidente de México、メキシコ北部および西部古代人口研究計画)の一部として分析され、PIPANOMはメキシコの西部と北部における経時的な人口構造の変化を、この地域の研究者と緊密に協力して調べます。埋葬23-8から得られた標本1点の分析経路には、骨格資料の処理、配列決定、生物情報学、データ品質評価が含まれます(たとえば、Lazaridis et al., 2022)。これらの手法によって、埋葬23-8は確実な古代DNAデータを生成した、と確証されました(表1)。DNA配列は、真の古代DNAで予測されるように、末端にかなりの損傷があります。ミトコンドリア合意配列との一致率は95%信頼区間が99.4~100%で、最小限の汚染データと一致します。分析によって、この個体は遺伝的に男性と判断されました。片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)はアメリカ大陸先住民人口集団と一致しており、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はC1b、Y染色体ハプログループ(YHg)はQ1a2a2b1a~です。以下は本論文の表1です。
データの信頼性の確証後、埋葬23-8の遺伝的データがアメリカ大陸全域の以前に刊行された古代人609個体、およびスマ人(Suma)チャネ人(Chane)やウイチョル人(Huichol)やカリティアナ人(Karitiana)やサポテコ人(Zapotec)やミヘー人(Mixe)やミシュテカ人(Mixtec)やピアポコ人(Piapoco)やオオダム人(O'odham、Pima)やケチュア人(Quechua)やスルイ人(Surui)やヨーロッパ人やムブティ人を含めて現代人170個体の遺伝的データと組み合わされました。主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とADMIXTUREと外群f₃統計が実行され、埋葬23-8の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)と、埋葬23-8が他の以前に刊行された個体と大きく異なっていたのかどうか、調べられました。
PCA(図3b・c)では埋葬23-8と北西部/南西部の以前に刊行された他の古代の個体(Villa-Islas et al., 2023、akatsuka et al., 2023)は現代のオオダム人祖先系統に向かって動いている、と論証されます。現代のオオダム人はユト・アステカ(Uto-Aztecan)語族話者のトウモロコ農耕民で、その故地は伝統的に現代のメキシコとアメリカ合衆国の国境にわたって伸びています。オオダム人は16世紀半ばに始まった北西部/南西部の征服期にスペイン人が遭遇した集団の一つで、現在依然としてこの地域に居住しています。以下は本論文の図3です。
外群f₃分析はPCAと同様の闕かを提供し、埋葬23-8は現代のオオダム人およびパキメ遺跡と地理的に最も近い古代の個体群とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しています。PCAおよび外群f₃分析と同様にADMIXTUREでは、埋葬23-8は最も近い地理的距離の古代の個体群と最も似ている祖先系統を有している、と明らかになります(図3d)。祖先系統の類似性は、パキメ遺跡からの距離の増加につれて減少します。
本論文の分析から、埋葬23-8の祖先系統は過去2000年間およびそれ以上の北西部/南西部に暮らしていた他の個体群と同様で、埋葬23-8の祖先系統は現代のオオダム人ととくに近い、と示唆されます。本論文は人口下部構造を広く調べていませんが、一般的に中央および北アメリカ大陸の古代の個体群の祖先系統は地理と連続変異的で相関している、と分かりました。この調査結果は、中央および北アメリカ大陸の古代と現代の人口集団の先行研究を再現します(Villa-Islas et al., 2023)。
●同型接合連続領域
同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)は、1個体がその母親から受け取るDNAがその父親から受け取るDNAと同一であるゲノムの大きな連続で、これは、キョウダイもしくはイトコ間の子供で予測されるように、両親が最近の共通祖先を有していることに起因します。古代ゲノムにおけるROHの定量化と分析は、人々が暮らしていた共同体の規模と、個体の両親の近縁性の程度の推定に使用できます(Cassidy et al., 2020、Ringbauer et al., 2020、Skourtanioti et al., 2020)。ROHは、染色体上の2ヶ所の部位間の遺伝的距離の尺度であるcM(センチモルガン)で記録されます。より大きなcM値は、ゲノムのより多くが祖先の2(もしくはそれ以上の)個体間で共通していることを示します。hapROH(Ringbauer et al., 2021)など分析手段は、古代ゲノムで見つかってROHを定量化します。ROHの断片は長さで示され、合計されます。短いものから中程度のROH断片の合計は、人口/交配の集団規模についての推測に用いられ、なぜならば、小さく孤立した人口集団は相互に遠い(もしくは近い)関係にある個体を含んでいる可能性が高いので、その人口集団における配偶の組み合わせはROHのいくらかのより短い長さを共有している可能性が高いからです(つまり、偶然より密接に関連しています)。逆に、これらの個体が短いものから中程度の低いROH値を有しているならば、その直近の祖先はより大きくてより異質な人口集団の一部だった可能性が高かったでしょう。個体の両親の関係がより密接ならば、より多くの長いROHが個人のゲノム内に含まれるでしょう。hapROHを用いて、埋葬23-8について270.09の長いROH値が見つかりました(表2)。以下は本論文の表2です。
これは、アメリカ大陸の個体群(237個体、平均の長いROHは17.76、中央値の長いROHは0)で刊行された2番目に長いROHで、これを上回るのは、アメリカ合衆国カリフォルニア州のサン・クレメンテ(San Clemente、略してSCL)島の1個体(Nakatsuka et al., 2023)だけです(図4)。以下は本論文の図4です。
先行研究(Ringbauer et al., 2021)における1000個体の模擬実験では、イトコ(3親等の遺伝的親族)の合計ROHの範囲は50~500cMの間だった、と分かりました。しかし、これらイトコの模擬実験で270.09より高い値を有するのは1000回のうち29回だけで、埋葬23-8の両親がイトコより密接な親族関係だったことを示唆しています。先行研究(Ringbauer et al., 2021)のデータを用いて、埋葬23-8のROH値が特定の家族関係について予測されるROH値と比較されました(図5)。最も可能性の高い種類の関係は2親等で、これは両親が半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ関係)かオジとメイかオバとオイか祖父母と孫の場合に生じます。以下は本論文の図5です。
●放射性炭素分析
放射性炭素年代測定の範囲は1301~1397年(95.4%の信頼性、620±15年前)で、メディオ(Medio)期におけるパキメ遺跡の最盛期内に収まります(図6)。ディ・ペソとその同僚は、埋葬23-8が巻きつけられた柱について、1113~1234の年輪年代を生成し、これは本論文で得られた放射性炭素年代に1世紀以上先行します。しかし、先行研究はディ・ペソたちの樹木の年輪年代について問題を特定しており、それはおもに、多くの年代が古すぎることで、なぜならば、ディ・ペソたちは梁の形成と外輪の除去を考慮しなかったからです。本論文は、最も可能性の高い筋書きでは、埋葬23-8の埋葬は柱の設置と同年代だった、と提案します。以下は本論文の図6です。
●ストロンチウム分析
DNA分析から得た残りの内耳蝸牛殻の粉末を用いて、個体23-8のSr同位体比が分析されました。埋葬23-8のSr同位体比は0.70723±0.000010で、パキメ遺跡の範囲内(0.7068~0.7075)に収まります(図7)。本論文のSr同位体比分析は、井戸の家では地元の個体しか見つからなかった、パキメ遺跡の以前の同位体研究と一致します。これは、パキメ遺跡で発見された儀式的に重要な特徴と人工遺物の豊富さと組み合わされて、井戸の家に埋葬された人々は地元の上流階層集団の一部だった、との先行研究を示唆します。以下は本論文の図7です。
●考察
研究者はROHを用いて、以前には確認困難だった過去の側面を調べます。先行研究(Fernandes et al., 2020)は12~20cM断片の集合を用いて、古代カリブ海の人口規模を調べました。主要な2クレード(単系統群)、つまりドミニカ共和国の南部~東部沿岸の土器時代と大アンティル諸島東部の有効人口規模の推定値は、ほとんどの以前の推定値よりずっと小さなもの(3082、95%信頼区間では1530~8150)でした。それにも関わらず、カリブ海の古代の住民には全体的に高水準の近親交配はなく、換言すると、個体の両親がマタイトコより密接な親族関係だった可能性は低そうです(Fernandes et al., 2020)。
対照的に、別の先行研究(Ringbauer et al., 2020)は、アンデス中央部における1000年頃以後の高水準の近親交配を見つけました。特定された長いROH値は、両親がイトコもしくはマタイトコの個体に典型的でした。その先行研究はこの増加の原因を、ティワナク(Tiwanaku)およびワリ(Wari)文化が衰退した後の後期中間期における親族関係パターンの変化と考えています。
世界規模の古代DNAデータセット(45000年間にわたる古代人1785個体)においてROHを調べた先行研究(Ringbauer et al., 2021)では、民族学もしくは人類学的文献から予測できるよりも低水準の近親交配が見つかりました。合計で50cM以上となる長いROHを有しているのはわずか45個体で、54個体のうち11個体は孤立した島の人口集団に由来します。現代人のデータ(約150の現在の人口集団の1941個体)にhapROHを適用すると、176個体が合計で、合計で50cM以上となる長いROH(両親が3もしくは4親等の親族であることと一致します)を有している、と明らかになりました(Ringbauer et al., 2021)。これらの個体は地理的に現在の近東とアフリカ北部とアジア中央部および南部と南アメリカ大陸でまとまり、これらの地域ではイトコ婚が他地域(ヨーロッパ西部など)より一般的です。
2020年の研究(Cassidy et al., 2020)は、ゲノムの同型接合性を測定するさまざまな手法を用いて、アイルランドの中石器時代と新石器時代の44個体を調べました。その研究は、極端な近親交配のニューグレンジ(Newgrange)遺跡の羨道墓の1個体を特定しました。この個体(NG10)は成人男性で、その両親はキョウダイである可能性が最も高そうです(hapROHを用いると、NG10について687.41という長いROH値が計算されました)。その研究(Cassidy et al., 2020)では、NG10の両親の組み合わせは社会的に認められており、権力の強化と正当化のため支配家族に制約されていた可能性が高い、と示唆されています。埋葬23-8の長いROH値はNG10より低いものの、独特な埋葬状況を考えると、埋葬23-8の密接な親族関係にある両親の組み合わせも、上流階層の地位を正当化する手段だったかもしれません。
●近親交配と社会的地位
民族学および社会学的研究では、密接な親族関係は稀で、ほとんどの社会的集団はキョウダイの結婚を近親相姦、したがって禁忌とみなしている、と分かってきました。ほぼ普遍的な強化の近親相姦禁忌には例外があり、おそらく最もよく知られているのは、ローマ期エジプトのキョウダイ間の婚姻です。1964年の異文化研究では、キョウダイ婚の結婚に対する禁忌はある程度の社会的階層のある社会において最も頻繁に発生し、そうした社会で上流階層/支配者は社会的規範から免除されていた、と分かりました。その研究に対して1981年の研究では、民族学的に観察された42社会のうち34社会では、全キョウダイ【両親がおなじキョウダイ】もしくは半キョウダイ間の配偶は王室もしくは貴族のみで容認されていた、と分かりました。その研究では、「したがって、キョウダイの近親相姦は一夫多妻制で高位の人々の戦略と強く確認され、地位がより高くなると、より一夫多妻制になり、近親相姦戦略の可能性がより高くなる」と指摘されています。2004年の研究ではさらに、1964年の研究と1981年の研究がさらに解釈され、「高度な首長制/ほぼ国家」の上流階層におけるキョウダイや他の密接な親族との結婚は、早熟な指導者が「傲慢な禁忌破りによって権力の霊気(オーラ)を構築する」手段だっただろう、と主張されています。
密接な親族間の結婚の禁忌とその例外に関する人類学的および民族学的議論のほとんどはキョウダイに焦点を当ててきました。が、遺伝学的研究では、他のシュルツの密接な親族関係も避けられていた、と示唆されています。先行研究(Ringbauer et al., 2021)で調べられた古代の全個体のうち、2個体(紀元前六千年紀のイスラエルの1個体と紀元前三千年紀のロシアの1個体)のみが、埋葬23-8より大きな長いROH値を有していました(それぞれ、545.02と324.87)。一部の現代の個体は50cM以上となる長いROHが特定されてきましたが、1941個体の内71個体のみが合計で120cM以上の長いROHを有しており、これはイトコ間の配偶で予測される値です(Ringbauer et al., 2021)。これが示唆するのは、イトコ間の結婚(およびそれより近い親族間の結婚)は通常禁忌だった、ということです。対照的に、アンデス地域の複数個体はイトコもしくはマタイトコの子供で予測される長いROH値を有していますが、ROHの増加した13個体のうち2個体のみが、イトコ間の結婚で予測される値を有しています。アンデス地域の後期中間期の小規模な政体には、密接な親族関係を政治的資本として利用した、上述の「高度な首長制/ほぼ国家」水準の社会に相当する社会階層があったことも注目に値します。
●パキメ遺跡の埋葬23-8の意味
埋葬23-8の両親は、半キョウダイかメイ/オジかオバ/オイか祖父母と孫かそのゲノムの25~50%を共有している親族の他の組み合わせである可能性が高そうです。アメリカ大陸の配列決定された古代人わずか数個体が、埋葬23-8と同じくらい高い長いROH値を有しています。もちろん、埋葬23-8が禁止されている関係もしくは強制的な性的関係の結果生まれた可能性はあります。埋葬23-8の両親が、自身の密接な遺伝的関係に気づいていなかった可能性もあります。この遺伝的に男性の個体【埋葬23-8】の誕生につながった相互作用の動態は依然として不明ですが、井戸の家における独特な埋葬状況および地元のSr同位体痕跡は、両親の特別な社会的地位を示唆しています。これは、密接な親族間の結婚はおもに、権力強化のため親族と子供を儲けた高位個体群に限定されていた、と明らかにした研究と一致します。
2009年の研究では、パキメ遺跡の上流階層は埋葬儀式と厳重に守られた骨格遺骸の加工(埋葬44-13の事例など)を用いて、社会的規範外で行動できる人間としての地位を高め、したがってその高い社会的地位を体系化した、と主張されました。埋葬44-13の事例では、上層の個体混合は地元出身ではなく不健康で、犠牲活動の一部として処理(および恐らくは消費)され、その後に副葬品なしで埋葬されました。したがって、その犠牲は埋葬23-8とは著しく対照的で、密接な親族間の子供は地元で生まれ育ち、地元出身者のみが埋葬された重要な建物の儀式的に重要な部屋の支柱の下で、トルコ石の垂れ飾りの近くに埋葬されました。
死者の家における埋葬44-13の上層の犠牲者とは異なり、埋葬23-8は関節がつながっており、地元出身でした。井戸の家の埋葬は、先行研究では儀式的に課された重要な場所で、地元出身の上流階層がその権力を確立して育み、この子供【埋葬23-8】はパキメ遺跡において井戸の利用権と他の儀式を支配していたかもしれない地元家系の一部だった、と示唆されます。本論文が把握している限りでは、より大きな北西部/南西部において、柱の下に位置する儀式的に重要な副葬品と関連する埋葬の他に記録された事例はありません。しかし、子供の犠牲は古代メソアメリカ全域であった慣行で、儀式的に重要な建物の神聖化における犠牲者の使用も同様でした。さらに、ヨーロッパ勢力との接触前のメソアメリカの儀式に関する研究では、ヒトの犠牲は神を鎮めるもしくはその支援を受け取るための最も説得力のある手段の一つだった、と示されてきました。上流階層家系の地元の2人から生まれた子供の犠牲は、井戸の家を神聖化し、社会的・政治的・儀式的地位を高めるための、強力な手段だったでしょう。
●まとめ
本論文は、パキメ遺跡のゲノム規模データを初めて報告しました。これらのデータは、パキメ遺跡の社会構造への刺激的で新たな洞察を提供します。パキメ遺跡の埋葬23-8は両親が密接な親族関係の幼い少年で、これまでに刊行されたアメリカ大陸の古代の個体群の第2位の合計で長いROHを示しましたこれは、柱の周辺に埋葬された唯一の個体でした。これらが偶然である可能性はきわめて低い、と分かりました。民族学および人類学の文献と世界規模の古代DNAデータに関する本論文の再検討から、密接な親族間の結婚に対する禁忌は一般的で、キョウダイ間の関係に限定されていなかった、と示唆されます。そうした関係が容認された記録されている事例は、階層化された社会内の上流階層家族において見られることが最も多くなっています。これらの結果から、埋葬23-8はパキメ遺跡における同様の階層社会の一部だった、と示唆されます。考古学者は、パキメ遺跡の社会組織の性質について長く議論してきました。埋葬23-8のデータから、パキメ遺跡には上流階級が存在し、その上流階級は密接な親族の配偶の組み合わせの確立によって権力の強化を試みたかもしれない、と示唆されます。
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