『卑弥呼』第138話「相似」
『ビッグコミックオリジナル』2024年10月20日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハが遼東郡の襄平で、後少し待てば、魏への道を阻む公孫淵は滅びる、と一行に力強く伝えるところで終了しました。今回は、作中の現時点から1年半ほど前、)金砂(カナスナ)国にて日下(ヒノモト)国の吉備津彦(キビツヒコ)が神名火山(カムナビノヤマ)を眺めている場面から始まります。吉備津彦は神名火山の形がよいことに注目し、配下のフリネに、云われのある山なのか、尋ねます。フリネによると、神名火山には岐比佐加美高日子命(キヒサカミタカヒコノミコト)という神が棲んでいるそうです。岐比佐加美高日子命は事代主(コトシロヌシ)の祀っている大穴牟遅神(オオアナムヂノカミ)より偉いのか、と吉備津彦に問われたフリネは、白ウサギを助けた後で大穴牟遅神は大勢の神に殺され、それを蘇らせた二柱の女神が、たしか岐比佐加美高日子命の娘だ、と答えます。つまり、事代主の祀る神より先輩もしくは兄貴というわけだ、と吉備津彦は認識します。では、ありだ、と吉備津彦は考えます。
作中の現時点より15日前、那(ナ)国には東方から舟が近づき、警固の兵士は出雲の舟だと気づきます。出雲から来たのは事代主の配下のシラヒコで、那国のウツヒオ王との面会を要望します。作中では現在、ヤノハ一行は、那国の港に近づいていました。オオヒコはトメ将軍からの要請をヤノハに伝え、港には大勢の民が歓迎のため集まっているので、ヤノハは港には行かずに近島(チカノシマ)で下船することにします。近島には、すでにウツヒオ王と山社国(ヤマトノクニ)イクメおよびテヅチ将軍が来ていると聞いたヤノハは、筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)に凶事が迫っているのではないか、と推測します。ウツヒオ王はシラヒコを招き入れ、ヤノハは以前に弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)で事代主と面会したさいに、シラヒコと会っていたようです(直接的な描写はなかったと思いますが、シラヒコは事代主に同行していたので、会っていたのでしょう)。シラヒコの報告によると、日下との戦いから4年経過して日下が再び動き出し、敵の総大将は出雲フルネで、その背後には吉備津彦がいます。ヤノハは、日下の動きが思ったより早いと考えており、日下の出方をシラヒコに尋ねます。シラヒコによると、今回日下は奇妙な動きを見せており、出雲周辺の邑を攻めて、邑人を虜囚にし、日下に連れ去っており、最初は能見邑(ノミノムラ)の住民250人、10日前には飯石(イイシ)邑の住民100人が拉致されました。吉備津彦が何を企んでいるのか、ウツヒオ王に問われたヤノハは、単純に考えれば、天照大神を廃し、事代主の祀る大穴牟遅神を日下の主神に据え代えようとしているのだろう、と答えます。シラヒコは、信仰する神を代えることなどあるのだろうか、と衝撃を受けますが、吉備津彦が恐ろしいのは、そのあり得ないことを実行するからで、日下が天照信仰を捨て、大穴牟遅神を取れば、事代主は戦う理由を失う、とヤノハは指摘します。
日下国では現在、吉備津彦が日下に強制連行してきた金砂国の能見邑の住民に、語りかけていましたが、強制連行されてきたことから、能見邑の住民は吉備津彦を敵意と不信のこもった表情で睨みつけます。吉備津彦はその視線に気づき、手荒な手段で連行したことをひとまず謝罪し、日下と金砂というか頑固な出雲との和平のためだ、と釈明します。吉備津彦が住民に、日下で幸せに暮らしてくれればよい、と語りかけると、能見の邑長で能見宿禰と呼ばれている年長の男性が、自分たちが日下に囚われていることで、なぜ出雲と日下の和平につながるのか、と吉備津彦に尋ねます。すると吉備津彦は能見邑の住民に、囚われの民ではなく日下への移住者で、日下に新たな出雲を造ってもらいたい、と要請します。能見邑の住民が日下に理想の邑を築けば、事代主様も日下に来てくれるだろうし、そうすれば日下と出雲は兄弟で、いがみ合う必要はない、というわけです。そんなことは可能なのか、と困惑する能見宿禰に対して吉備津彦は、中央からは少し離れるが、豊かな土地を用意したので、そこに邑を造ってのびのび暮らしてくれ、と伝えますが、日下から逃げることは厳しく禁止します。吉備津彦が能見宿禰に、山を見ながら、似ていると思わないか、と問いかけますが、能見宿禰は分からないようです。吉備津彦は三輪山(ミワノヤマ)を指し、三輪山の向こう側の土地を与えるが、明日には金砂の民100人(飯石の民なのでしょう)が新たに加わる、と能見邑の住民に伝えます。能見宿禰はそれでも吉備津彦の意図が分からず、吉備津彦は、人が増えていって新たな出雲になる、と説明します。ここで吉備津彦は、この構想を思いついた契機となったことを能見邑の住民に伝えます。能見邑の住民も含めて金砂国の民が聖なる山として崇める神名火山は、三輪山と形が瓜二つというわけです。吉備津彦が能見邑の住民に、これからは日下の三輪山が出雲の信仰の中心だ、と伝えるところで今回は終了です。
今回は、日下の策略とそれに対する山社出雲連合の対応が描かれました。吉備津彦は、日下の信仰を天照大神から出雲の大穴牟遅神に代えるのではないか、とヤノハは推測していましたが、吉備津彦がそう言明したわけではないようにも思います。吉備津彦は、日下に新たな出雲を造り、そこで日下とは異なる信仰を認めつつ、出雲の神話を日下の神話に統合しようと考えているのかもしれません。前回、吉備津彦は筑紫島の山社も日下に造ろうと考えている、とモモソに伝えており、倭国各地の神というか聖地を日下に集め、各地の信仰を日下の信仰へと統合し、日下を倭国の支配者とする構想なのかもしれません。ただ、前回の描写から、吉備津彦の構想は双子の姉のモモソにとって辛い選択となるようなので、あるいは天照大神信仰から大穴牟遅神信仰へと代えることを考えているのかもしれません。
日下は、疫病で退去したものの、現在の纏向遺跡の地に壮麗な都を建てており、考古学的には3世紀以降に纏向遺跡が日本列島の物流の中心地となって繁栄したことと、本作が現時点で228年頃であることを考えると、倭国の中心は纏向遺跡に移り、これがヤマト政権へと発展していく、という展開も考えられます。ただ、そうだとしても、日下が山社を中心とする筑紫島連合を制圧し、その歴史を「奪う」という単純な展開ではなく、もっと捻った展開になるのではないか、と予想しています。
本作の倭国の政治情勢は、現時点で山社出雲連合と暈(クマ)と日下連合の三大勢力の鼎立とも言えそうで、暈国が後の熊襲だとすると、山社出雲連合と日下連合が、どちらかの一方的な征服なのか、より対等に近い合併なのかはともかくとして、後に統一的な政治勢力(ヤマト王権)を形成し、暈国はその政治体制に加わらず、ヤマト王権と敵対的関係を続ける、という話で完結するようにも思います。ただ、これもかなり捻った展開になりそうで、現時点で本作の結末を予想するのは困難です。今後、魏(と遼東公孫氏を攻め滅ぼした司馬懿などの要人)は当然描かれるとして、呉の紀年銘の銅鏡が兵庫県宝塚市の安倉高塚古墳で発見されており、暈国の大夫で実質的な最高権力者である鞠智彦(ククチヒコ)が呉への使者派遣も考えていること(第118話)から、呉も描かれるかもしれず、ますます壮大な話になりそうなので、今後もたいへん楽しみです。
作中の現時点より15日前、那(ナ)国には東方から舟が近づき、警固の兵士は出雲の舟だと気づきます。出雲から来たのは事代主の配下のシラヒコで、那国のウツヒオ王との面会を要望します。作中では現在、ヤノハ一行は、那国の港に近づいていました。オオヒコはトメ将軍からの要請をヤノハに伝え、港には大勢の民が歓迎のため集まっているので、ヤノハは港には行かずに近島(チカノシマ)で下船することにします。近島には、すでにウツヒオ王と山社国(ヤマトノクニ)イクメおよびテヅチ将軍が来ていると聞いたヤノハは、筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)に凶事が迫っているのではないか、と推測します。ウツヒオ王はシラヒコを招き入れ、ヤノハは以前に弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)で事代主と面会したさいに、シラヒコと会っていたようです(直接的な描写はなかったと思いますが、シラヒコは事代主に同行していたので、会っていたのでしょう)。シラヒコの報告によると、日下との戦いから4年経過して日下が再び動き出し、敵の総大将は出雲フルネで、その背後には吉備津彦がいます。ヤノハは、日下の動きが思ったより早いと考えており、日下の出方をシラヒコに尋ねます。シラヒコによると、今回日下は奇妙な動きを見せており、出雲周辺の邑を攻めて、邑人を虜囚にし、日下に連れ去っており、最初は能見邑(ノミノムラ)の住民250人、10日前には飯石(イイシ)邑の住民100人が拉致されました。吉備津彦が何を企んでいるのか、ウツヒオ王に問われたヤノハは、単純に考えれば、天照大神を廃し、事代主の祀る大穴牟遅神を日下の主神に据え代えようとしているのだろう、と答えます。シラヒコは、信仰する神を代えることなどあるのだろうか、と衝撃を受けますが、吉備津彦が恐ろしいのは、そのあり得ないことを実行するからで、日下が天照信仰を捨て、大穴牟遅神を取れば、事代主は戦う理由を失う、とヤノハは指摘します。
日下国では現在、吉備津彦が日下に強制連行してきた金砂国の能見邑の住民に、語りかけていましたが、強制連行されてきたことから、能見邑の住民は吉備津彦を敵意と不信のこもった表情で睨みつけます。吉備津彦はその視線に気づき、手荒な手段で連行したことをひとまず謝罪し、日下と金砂というか頑固な出雲との和平のためだ、と釈明します。吉備津彦が住民に、日下で幸せに暮らしてくれればよい、と語りかけると、能見の邑長で能見宿禰と呼ばれている年長の男性が、自分たちが日下に囚われていることで、なぜ出雲と日下の和平につながるのか、と吉備津彦に尋ねます。すると吉備津彦は能見邑の住民に、囚われの民ではなく日下への移住者で、日下に新たな出雲を造ってもらいたい、と要請します。能見邑の住民が日下に理想の邑を築けば、事代主様も日下に来てくれるだろうし、そうすれば日下と出雲は兄弟で、いがみ合う必要はない、というわけです。そんなことは可能なのか、と困惑する能見宿禰に対して吉備津彦は、中央からは少し離れるが、豊かな土地を用意したので、そこに邑を造ってのびのび暮らしてくれ、と伝えますが、日下から逃げることは厳しく禁止します。吉備津彦が能見宿禰に、山を見ながら、似ていると思わないか、と問いかけますが、能見宿禰は分からないようです。吉備津彦は三輪山(ミワノヤマ)を指し、三輪山の向こう側の土地を与えるが、明日には金砂の民100人(飯石の民なのでしょう)が新たに加わる、と能見邑の住民に伝えます。能見宿禰はそれでも吉備津彦の意図が分からず、吉備津彦は、人が増えていって新たな出雲になる、と説明します。ここで吉備津彦は、この構想を思いついた契機となったことを能見邑の住民に伝えます。能見邑の住民も含めて金砂国の民が聖なる山として崇める神名火山は、三輪山と形が瓜二つというわけです。吉備津彦が能見邑の住民に、これからは日下の三輪山が出雲の信仰の中心だ、と伝えるところで今回は終了です。
今回は、日下の策略とそれに対する山社出雲連合の対応が描かれました。吉備津彦は、日下の信仰を天照大神から出雲の大穴牟遅神に代えるのではないか、とヤノハは推測していましたが、吉備津彦がそう言明したわけではないようにも思います。吉備津彦は、日下に新たな出雲を造り、そこで日下とは異なる信仰を認めつつ、出雲の神話を日下の神話に統合しようと考えているのかもしれません。前回、吉備津彦は筑紫島の山社も日下に造ろうと考えている、とモモソに伝えており、倭国各地の神というか聖地を日下に集め、各地の信仰を日下の信仰へと統合し、日下を倭国の支配者とする構想なのかもしれません。ただ、前回の描写から、吉備津彦の構想は双子の姉のモモソにとって辛い選択となるようなので、あるいは天照大神信仰から大穴牟遅神信仰へと代えることを考えているのかもしれません。
日下は、疫病で退去したものの、現在の纏向遺跡の地に壮麗な都を建てており、考古学的には3世紀以降に纏向遺跡が日本列島の物流の中心地となって繁栄したことと、本作が現時点で228年頃であることを考えると、倭国の中心は纏向遺跡に移り、これがヤマト政権へと発展していく、という展開も考えられます。ただ、そうだとしても、日下が山社を中心とする筑紫島連合を制圧し、その歴史を「奪う」という単純な展開ではなく、もっと捻った展開になるのではないか、と予想しています。
本作の倭国の政治情勢は、現時点で山社出雲連合と暈(クマ)と日下連合の三大勢力の鼎立とも言えそうで、暈国が後の熊襲だとすると、山社出雲連合と日下連合が、どちらかの一方的な征服なのか、より対等に近い合併なのかはともかくとして、後に統一的な政治勢力(ヤマト王権)を形成し、暈国はその政治体制に加わらず、ヤマト王権と敵対的関係を続ける、という話で完結するようにも思います。ただ、これもかなり捻った展開になりそうで、現時点で本作の結末を予想するのは困難です。今後、魏(と遼東公孫氏を攻め滅ぼした司馬懿などの要人)は当然描かれるとして、呉の紀年銘の銅鏡が兵庫県宝塚市の安倉高塚古墳で発見されており、暈国の大夫で実質的な最高権力者である鞠智彦(ククチヒコ)が呉への使者派遣も考えていること(第118話)から、呉も描かれるかもしれず、ますます壮大な話になりそうなので、今後もたいへん楽しみです。
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