岩井淳『ヨーロッパ近世史』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2024年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。近世は一般的には、時代区分に置いて古代→中世→近世→近代(→現代)の4(5)区分の中世と近代の間に位置づけられます。これまでの自分の時代区分認識で問題だったと考えているのは、中世は近代とは大きく異なる異質な時代で、近代を到達点として把握し、近世を中世から近代への移行期と無自覚に認識してしまっていたことです。近世の展開を中世からの離脱度と近代への到達度で把握し、近代的要素の強化で近世の成熟を評価することが大前提になっていたのではないか、というわけです。しかし、近世を前後の時代、つまり中世および近代とは異質な独自の性格を有する時代と把握することもできるのではないか、と近年では考えるようになりました。そうした観点から、ヨーロッパにおける近世とはどう定義されるのか、その様相が前後の時代とはどのように異なるのか、といった観点から本書を読みました。

 本書の冒頭では、そうした時代区分をめぐる認識の変遷が解説されており、当然のことながら、私が考えていたようなことは歴史学において20世紀後半にはとっくに議論されていたわけです。門外漢の「問題意識」とは往々にしてその程度のもので、歴史学に限らずどの学術分野でも、まず先行研究の把握が指導されるのは尤もなところです。本書はそうした議論を踏まえつつ、15~16世紀の「大航海時代」や宗教改革から18世紀後半の産業革命およびフランス革命の頃までを、近代でもなければ中世の延長上に位置づけられるのでもない、独自の時代である「近世」として把握しています。本書はヨーロッパの近世の重要な特徴として、多様な地域から構成される複合国家と、人や情報の世界規模の移動を挙げ、近世ヨーロッパを国単位よりも全体的に把握しようと試みます。本書では、この近世ヨーロッパの複合国家は、近代の国民国家に連続的に接続するのではなく、集権化は限定的だったことが指摘されています。複合国家とは、ある国の主権者が法と政治と文化の異なる複数地域を同時に支配する体制です(複合君主政、多元的王国、礫岩のような国家)。ただ、もちろん近世は中世とも近代ともつながる時代であり、本書でも、近世ヨーロッパの国家には近代につながる主権国家的性格と独自性を示す複合国家の両面がある、と指摘されています。18世紀後半以降には主権国家的性格が強くなりますが、現在のヨーロッパでも、スコットランドやカタルーニャの自立的傾向など、近世とのつながりを窺わせる側面があることを、本書は指摘します。そうした観点から、本書は近世ヨーロッパを国家だけではなく地域単位でも把握します。

 本書が近世ヨーロッパの構成要素として具体的に挙げている歴史事象は、宗教改革と地域での経済活動と帝国建設と戦争および国際条約です。本書はヨーロッパ近世史における宗教改革の影響の大きさとともに、ドイツにおけるルター派が過度に強調され、宗教改革を16世紀の現象と考える傾向があったことも指摘します。宗教改革ではルター派だけを特別視せず、カルヴァン派などにも配慮するとともに、宗教間の戦争を考慮すると、16世紀のみならず17世紀までに及ぶ長期的過程だったことにも留意すべきというわけです。また本書は、カトリックによる近世の改革(対抗宗教改革)も広義の宗教改革と把握しています。また本書は、プロテスタンティズムに遠心力と求心力の両方のようそがあったことを指摘します。近世ヨーロッパにおける地域水準の経済活動については、「統一的国内市場」や「国民経済」への統合としてのみ把握することはできず、地域の利害に密着したもので、国家の利害と相反することもあった、と指摘されています。帝国建設については、近世初期には君主を中心とした複合国家の延長として構想され、帝国の領土は多様で統合力を欠いていた、と本書は把握しています。近世ヨーロッパの戦争と講和条約は主権国家成立の画期と評価されており、とくにウェストファリア条約の重要性が強調されてきましたが、本書は主権国家成立へのウェストファリア条約の影響が過大評価されてきたことを指摘します。ウェストファリア条約は国家間ではなく支配者間の取り決めで、主権国家体制の出発点とは言えない、というわけです。

 本書では、近世ヨーロッパ諸国は君主政の国家と共和政を経た国家に二分されています。前者はスペインやフランスやオーストリアやプロイセン、後者はオランダやイギリスです。神聖ローマ帝国も本書では詳しく取り上げられており、神聖ローマ帝国は旧態依然の中世的遺物ではなく、近世的特徴を備えた複合国家(複合政体)で、広範な地域のさまざまな政治的勢力を包含した、「利害調整と合意形成」に努めた連邦的な国制で、ウェストファリア条約によって有名無実になったのではなく、それ以後も帝国の「まとまり」が維持されていた、と評価されています。本書では、近世ヨーロッパにおける没落するスペインと集権化進展によって発展するフランスとの伝統的な図式が見直されており、絶対王政の集権的国家と考えられていた近世フランスには、複合国家的側面もあった、と指摘されています。プロイセンについても、領土の分散や全国議会の欠如など複合国家的側面が指摘されています。また、プロイセンは神聖ローマ帝国を否定したのではなく、オーストリアと対抗しながら神聖ローマ帝国の主導権の把握を意図していた、と指摘されています。近世ヨーロッパにおいて、これら君主政の国家に対して共和政を経たのがオランダやイギリスでした。オランダについては、その分権的性格とともに、経済活動によるつながりが指摘されています。イギリスの複合国家的性格は、スコットランドやウェールズやアイルランドの存在からも分かりやすいと言えるでしょうが、16世紀の時点では、スコットランドには独自の王権と議会があり、ブリテン諸島全体にわたる複合国家はまだ存在しておらず、清教徒革命による共和政期に、イングランドがスコットランドとアイルランドを征服することで、複合国家が成立していきます。ただ本書は、国王の不在が複合国家の弱点にもなったことを指摘します。本書では、イギリスを結びつけていた要素として、王権だけではなく議会と経済活動も挙げています。

 近世ヨーロッパにおいて安易に主権国家を見いださないよう、強調している本書ですが、当然、近世ヨーロッパには近代にいたる過程という側面もあるわけで、そうした過程として17世紀後半以降が取り上げられており、宗教が国家統合に果たした役割も指摘されています。ただ、その様相は各国によって異なり、フランスではプロテスタントを排除してカトリックによる統合が進んだのに対して、イギリスではカトリックを排除することによって統合が進みます。経済も統合を進めた要因とされ、上述のように16世紀には経済面で地域の利害と国家の利害が対立する局面も珍しくなかったものの、17世紀後半以降、経済が国家統合を進める役割も果たしていきます。この過程で、フランスとイギリスが経済的に競合関係となり、ブリテン諸島において、イングランドの経済的利害がスコットランドやアイルランドとも共有されていったことも、近代イギリス国家へとつながります。近代イギリス国家への過程として戦争も指摘されており、議会主権の確立によって「重税国家」となり、「財政軍事国家」の形成を可能としたことに、近世ヨーロッパにおいて他国と異なるイギリスの特徴が把握されています。イギリスはこれによって長年のフランスとの抗争で優位に立ち、一方でフランスは財政破綻に至ります。そのフランスで18世紀に盛んになった啓蒙思想は、フランス革命を準備した、と評価されてきましたが、最近では啓蒙思想とフランス革命を直結させる見解は批判されているそうです。啓蒙思想には多様性があり、ヴォルテールの宗教批判やルソーの社会契約論などは「近代」に継承される側面が強いものの、多くの啓蒙思想家が貴族や「啓蒙専制君主」の庇護を受けていたことも無視できないわけです。この啓蒙思想は国を越えて広がったことが特徴で、「近世」の同質化の過程と評価されています。

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