チベット高原における前期完新世以降の長期のヒトの居住
チベット高原における前期完新世以降の長期のヒトの居住を報告した研究(Chen et al., 2024)が公表されました。チベット高原では、中期更新世にまでさかのぼる人類の痕跡が確認されており、現生人類(Homo sapiens)のみならず、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の存在も確認されていますが、それがどのくらいの期間続いたのか、現代につながる居住がいつ始まったのかについては、まだ確証が得られていません(関連記事)。本論文は、チベット高原南西部に位置する夏達錯湖(Xiada Co)遺跡において、前期完新世以降に長期間ヒトが居住していたことを示しています。
●要約
狩猟採集民の定住パターンの複雑さはチベット考古学ではあまり調べられていない問題で、夏達錯湖遺跡における複数年にわたる調査と発掘は、この状況への取り組みを目的としています。この計画は、前期完新世以降の長期のヒトの居住に関する証拠を提供し、チベットにおけるヒトの居住構造を明らかにしました。
●研究史
最近数十年間の考古学的調査は、チベット高原の頭部と南部と北部の初期のヒトの居室に関する知識を顕著に増加させました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。しかし、前期完新世のチベットにおける狩猟採集民の定住パターンと居住地の移動は、依然としてあまり調べられていません。チベット考古学では、極限環境の初期狩猟採集民は社会的に単純だった、と推定されており、これは、居住遺構が一次的だった、との事実と組み合わさって、この定住パターンと社会的行動の複雑さを調査する、さらなる学術的試みを妨げてきました。本論文では、チベット西部の夏達錯湖遺跡(図1)において2019~2023年に行なわれた研究計画の結果が提供されます。夏達錯湖遺跡では、いくつかの居住構造とともに狩猟採集民による長期の居住の証拠が得られ、古代の標高の高い採食民の生活様式に新たな光が当てられます。以下は本論文の図1です。
●夏達錯湖遺跡における発掘と調査
海抜4360mの夏達錯湖遺跡(北緯33度23分34.17秒、東経79度23分22.91秒)は、チベット西部のガンディセ(Gangtise、Gangdise、岡底斯)山脈とカラコルム(Karakoram)山脈の間の、チベット自治区ルトク(Rutog)県の淡水湖である夏達錯湖の北側段丘に位置します。アジアの偏西風とインドの夏の季節風は、この地域における顕著な季節の違いにつながり、長くて寒冷で乾燥した冬と雨の多い夏が特徴です。この地域の山岳地帯は今では、草原と低木に占められています。
四川大学の考古学者が率いた1992年の考古学的調査では、夏達錯湖畔で数点の石器が発見されました。この石器群のさらなる研究によって、チベット西部のアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)握斧の存在の可能性が注目されました。2019年には、四川大学とチベット自治区の文化財保存研究所の合同考古学調査団が夏達錯湖遺跡の先史時代の文化的堆積物を発見し、2020年と2022年と2023年に3回発掘が行なわれました(図2)。以下は本論文の図2です。
2019年における最初の歩行調査と試掘後に、2020年に最初の考古学的発掘が始まり、合計49m²の範囲が発掘されました。2020年の最も重要な発見は、炭と石器と動物の骨と焼けた石の集中した、四角の砂地でした(図3a)。約4m四方のこの場所の内部と近くで、灰および石の堆積も発見されました。石器と動物の骨の空間分布によると、この場所は古代の狩猟採集民の野営場だった可能性が高そうです。以下は本論文の図3です。
2022年と2023年の現地調査では、発掘範囲が夏達錯湖遺跡の西側へと動かされ、夏達湖の段丘の包括的な考古学的調査が始まりました。合計200m²の発掘範囲で、石器のある黒砂の3層(F2、F3、L7)で構成される特性が発見され(図4)、この場所の長期にわたる連続的なヒトの居住を示唆しています。それらの発掘で、同様の4ヶ所の黒砂の区画が明らかになり、この区画には灰や数ヶ所の炉床や動物の骨や石器の豊富な堆積物が含まれます。黒砂の区画のうち2ヶ所は、数点の柱穴(ZDと分類表示されます、図3b)に囲まれていました。この柱穴はすべて、深さが約100~200mmで、黒砂の文化的堆積物に重なっています。灰色がかった白色の砂の2ヶ所の密な生活面が見つかりました。一方の密な生活面(YM3)はおそらく屋内施設もしくは踏みつけられた床として機能し、もう一方の密な生活面(YM4)は居住構造の外側に位置していました。以下は本論文の図4です。
数千点の石器が夏達錯湖の北側の段丘全体の地表で発見され、夏達錯湖遺跡が古代人によって集中的に居住されていた可能性を示唆しています。夏達錯湖段丘での2023の体系的調査では、シャベル検証標本抽出が採用され、夏達錯湖段丘での6ヶ所の文化的堆積物の場所が発見されました。これらの場所は点在して小さく、通常は各面積が100m²未満です。北東側段丘で土器と青銅器のある1ヶ所が発見され、完新世を通じての夏達錯湖遺跡の長期にわたるヒトの居住を示唆しています。
●人工遺物と年代
3期の現地調査での発掘によって、2万点以上の石器と動物の骨が見つかり、それらは依然として記録および分析中です。石器群は石核・剥片の道具と細石刃によって占められ、その一部は黒曜石で作られています。注目すべきは、6点の磨製石器の針が発見されたことで、これはチベットで見つかった最古級の磨製石器道具を表しています(図5)。以下は本論文の図5です。
2020年の発掘試掘坑でのL4およびL2層で発見された炭と動物の骨での放射性炭素年代に基づくと、夏達錯湖遺跡の最古級の居住は9000~8500年前頃です(表1)。以下は本論文の表1です。
夏達錯湖遺跡の西側で回収された新たな放射性炭素年代測定結果では、居住構造の年代は6000年前頃です(図6)。以下は本論文の図6です。
●まとめ
夏達錯湖遺跡は、初期狩猟採集民が長期間にわたって高い標高で居住していた稀な考古学的事例を表しています。2022年と2023年の計画における発掘の碁盤目は居住構造の程度を完全には表していませんが、その証拠から、そのうち少なくとも2ヶ所は柱穴が設置されていた、と示唆されます。これは、チベットで発見されたヒトの建てた居住構造のうち、現時点で最古の証拠です。将来の発掘では、夏達錯湖遺跡の空間構造が調べられます。夏達錯湖の段丘の体系的調査と発掘の結果から、この地域は初期完新世から青銅器時代までヒトが居住していた、と示唆されます。夏達錯湖遺跡における長期のヒトの定住は、ヒトの適応戦略の連続性と、極限環境における社会的行動を示唆しており、恐らくはそれらが夏達錯湖の段丘におけるヒトの集合につながりました。将来の研究では、夏達錯湖遺跡の青銅器時代の集落の発掘に焦点が当てられ、チベット西部における狩猟と採集から食料生産への移行が調べられます。
参考文献:
Chen X. et al.(2024): Long-term prehistoric human occupation in Western Tibet: excavations and surveys at the Xiada Co site. Antiquity, 98, 401, e25.
https://doi.org/10.15184/aqy.2024.12
●要約
狩猟採集民の定住パターンの複雑さはチベット考古学ではあまり調べられていない問題で、夏達錯湖遺跡における複数年にわたる調査と発掘は、この状況への取り組みを目的としています。この計画は、前期完新世以降の長期のヒトの居住に関する証拠を提供し、チベットにおけるヒトの居住構造を明らかにしました。
●研究史
最近数十年間の考古学的調査は、チベット高原の頭部と南部と北部の初期のヒトの居室に関する知識を顕著に増加させました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。しかし、前期完新世のチベットにおける狩猟採集民の定住パターンと居住地の移動は、依然としてあまり調べられていません。チベット考古学では、極限環境の初期狩猟採集民は社会的に単純だった、と推定されており、これは、居住遺構が一次的だった、との事実と組み合わさって、この定住パターンと社会的行動の複雑さを調査する、さらなる学術的試みを妨げてきました。本論文では、チベット西部の夏達錯湖遺跡(図1)において2019~2023年に行なわれた研究計画の結果が提供されます。夏達錯湖遺跡では、いくつかの居住構造とともに狩猟採集民による長期の居住の証拠が得られ、古代の標高の高い採食民の生活様式に新たな光が当てられます。以下は本論文の図1です。
●夏達錯湖遺跡における発掘と調査
海抜4360mの夏達錯湖遺跡(北緯33度23分34.17秒、東経79度23分22.91秒)は、チベット西部のガンディセ(Gangtise、Gangdise、岡底斯)山脈とカラコルム(Karakoram)山脈の間の、チベット自治区ルトク(Rutog)県の淡水湖である夏達錯湖の北側段丘に位置します。アジアの偏西風とインドの夏の季節風は、この地域における顕著な季節の違いにつながり、長くて寒冷で乾燥した冬と雨の多い夏が特徴です。この地域の山岳地帯は今では、草原と低木に占められています。
四川大学の考古学者が率いた1992年の考古学的調査では、夏達錯湖畔で数点の石器が発見されました。この石器群のさらなる研究によって、チベット西部のアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)握斧の存在の可能性が注目されました。2019年には、四川大学とチベット自治区の文化財保存研究所の合同考古学調査団が夏達錯湖遺跡の先史時代の文化的堆積物を発見し、2020年と2022年と2023年に3回発掘が行なわれました(図2)。以下は本論文の図2です。
2019年における最初の歩行調査と試掘後に、2020年に最初の考古学的発掘が始まり、合計49m²の範囲が発掘されました。2020年の最も重要な発見は、炭と石器と動物の骨と焼けた石の集中した、四角の砂地でした(図3a)。約4m四方のこの場所の内部と近くで、灰および石の堆積も発見されました。石器と動物の骨の空間分布によると、この場所は古代の狩猟採集民の野営場だった可能性が高そうです。以下は本論文の図3です。
2022年と2023年の現地調査では、発掘範囲が夏達錯湖遺跡の西側へと動かされ、夏達湖の段丘の包括的な考古学的調査が始まりました。合計200m²の発掘範囲で、石器のある黒砂の3層(F2、F3、L7)で構成される特性が発見され(図4)、この場所の長期にわたる連続的なヒトの居住を示唆しています。それらの発掘で、同様の4ヶ所の黒砂の区画が明らかになり、この区画には灰や数ヶ所の炉床や動物の骨や石器の豊富な堆積物が含まれます。黒砂の区画のうち2ヶ所は、数点の柱穴(ZDと分類表示されます、図3b)に囲まれていました。この柱穴はすべて、深さが約100~200mmで、黒砂の文化的堆積物に重なっています。灰色がかった白色の砂の2ヶ所の密な生活面が見つかりました。一方の密な生活面(YM3)はおそらく屋内施設もしくは踏みつけられた床として機能し、もう一方の密な生活面(YM4)は居住構造の外側に位置していました。以下は本論文の図4です。
数千点の石器が夏達錯湖の北側の段丘全体の地表で発見され、夏達錯湖遺跡が古代人によって集中的に居住されていた可能性を示唆しています。夏達錯湖段丘での2023の体系的調査では、シャベル検証標本抽出が採用され、夏達錯湖段丘での6ヶ所の文化的堆積物の場所が発見されました。これらの場所は点在して小さく、通常は各面積が100m²未満です。北東側段丘で土器と青銅器のある1ヶ所が発見され、完新世を通じての夏達錯湖遺跡の長期にわたるヒトの居住を示唆しています。
●人工遺物と年代
3期の現地調査での発掘によって、2万点以上の石器と動物の骨が見つかり、それらは依然として記録および分析中です。石器群は石核・剥片の道具と細石刃によって占められ、その一部は黒曜石で作られています。注目すべきは、6点の磨製石器の針が発見されたことで、これはチベットで見つかった最古級の磨製石器道具を表しています(図5)。以下は本論文の図5です。
2020年の発掘試掘坑でのL4およびL2層で発見された炭と動物の骨での放射性炭素年代に基づくと、夏達錯湖遺跡の最古級の居住は9000~8500年前頃です(表1)。以下は本論文の表1です。
夏達錯湖遺跡の西側で回収された新たな放射性炭素年代測定結果では、居住構造の年代は6000年前頃です(図6)。以下は本論文の図6です。
●まとめ
夏達錯湖遺跡は、初期狩猟採集民が長期間にわたって高い標高で居住していた稀な考古学的事例を表しています。2022年と2023年の計画における発掘の碁盤目は居住構造の程度を完全には表していませんが、その証拠から、そのうち少なくとも2ヶ所は柱穴が設置されていた、と示唆されます。これは、チベットで発見されたヒトの建てた居住構造のうち、現時点で最古の証拠です。将来の発掘では、夏達錯湖遺跡の空間構造が調べられます。夏達錯湖の段丘の体系的調査と発掘の結果から、この地域は初期完新世から青銅器時代までヒトが居住していた、と示唆されます。夏達錯湖遺跡における長期のヒトの定住は、ヒトの適応戦略の連続性と、極限環境における社会的行動を示唆しており、恐らくはそれらが夏達錯湖の段丘におけるヒトの集合につながりました。将来の研究では、夏達錯湖遺跡の青銅器時代の集落の発掘に焦点が当てられ、チベット西部における狩猟と採集から食料生産への移行が調べられます。
参考文献:
Chen X. et al.(2024): Long-term prehistoric human occupation in Western Tibet: excavations and surveys at the Xiada Co site. Antiquity, 98, 401, e25.
https://doi.org/10.15184/aqy.2024.12
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