大河ドラマ『光る君へ』第41回「揺らぎ」
今回も、即位した三条帝と藤原道長(三郎)との駆け引きなど、を中心に話が展開しました。三条帝は東宮時代に何度か登場しており、野心的な人物として描かれてきました。まあ、よく言えば政務に意欲的な帝です。三条帝は道長に関白就任を打診しますが、道長は断ります。ところが、三条帝はそれを見越していたのか、15年以上前に死んでいる藤原済時の娘の娍子を、道長の娘の妍子とともに女御とします。この時点の政治状況からは、妍子が皇后になる、と道長も含めて多くの貴族が考えていたでしょうが、三条帝は、すでに自身との間に多くの子供がいる娍子を皇后と考えている、という史実を踏まえた展開になりそうです。
三条帝は、道長の子供のうち、源倫子の次男である教通を側近として、源明子の次男である顕信を抜擢しようと図ります。これは、道長の息子間の不和、さらには権力も地位も臣下筆頭である道長を抑えつけようとする意図なのでしょうか。じっさい、教通はこの抜擢を喜んでいるようで、三条帝の思惑通りに事態が進みつつあるようにも見えます。道長はそうした三条帝の意図に気づいているようで、三条帝との駆け引きで借りを作りたくないため、顕信の抜擢については断りますが、顕信はこれに悲観して出家します。明子の息子たちが、源倫子の息子たちと比較して官位の点で不遇だったのは確かで、明子は以前からこの点で道長に不満をぶつけていましたが、顕信の出家でさらに道長を恨むようになるのでしょうか。ただ、明子の長男である頼宗は頼通や教通と協調していたようで、今回登場しなかった明子の三男である能信が、母親の無念を強く受け継いだというか、母親から強い影響を受け、頼通や教通と対立的になっていくのかもしれません。
道長はすでに、三条帝の東宮で自身の孫である敦成親王の即位を見据えており、臣下として最高権力者となってすでに15年以上経過し、慢心というか権勢欲が強くなっているようにも見えます。それが、娘の彰子や息子の顕信など親族の心理を理解していないというか、配慮が足りないことにつながっているのでしょう。こうした道長は周囲の人物から、花山帝を騙して出家に追い込み、自身の孫(一条帝)を即位させた父親の兼家と重なって見えるでしょう。しかし本作では、道長が若き日に紫式部(まひろ、藤式部)と交わした「青臭い」とも言える政治的理想を実現するために、権力を掌握していなければならない、という構造になっており、この点で道長が美化されているとも言えますが、一方で、周囲の人物にも後世にも、道長は父の兼家や兄の道隆と同類の権力の亡者に見えていることが、よく描かれているように思います。道長の美化について、私も含めて不満に思っている視聴者は少なくないかもしれませんが、本作の構成はこの点でなかなか上手いように思います。
彰子が歌会を開いていると、清少納言(ききょう)が定子の産んだ敦康親王から彰子への贈り物を届けに来ます。清少納言は彰子に、敦康親王のことは忘れたのか、と恨み言をぶつけて、歌を詠むよう誘われても歌わず、すぐに退出します。この様子を間近で見ていた紫式部は、清少納言がひどい人になってしまった、と日記に書きます。紫式部が親しかった清少納言を日記で腐したのはなぜなのか、前半から気になっていましたが、清少納言が次第に道長や彰子、さらには彰子に仕える紫式部を恨む過程はしっかり描かれており、これまでの話を踏まえた自然な展開になっていたように思います。ただ、予想ほど捻ってきたわけではなく、その点でやや拍子抜けではありましたが、物語としては整合的で、納得のいく展開でした。紫式部の娘である賢子(大弐三位)は、盗人に襲われたところを武者の双寿丸に救われ、双寿丸と自宅で遭遇した紫式部は、その後の娘とのやり取りから、娘との間に相変わらず距離がありつつも、距離が少しは縮まった、と感じたようです。この親子関係も、終盤の見どころの一つとなりそうです。
三条帝は、道長の子供のうち、源倫子の次男である教通を側近として、源明子の次男である顕信を抜擢しようと図ります。これは、道長の息子間の不和、さらには権力も地位も臣下筆頭である道長を抑えつけようとする意図なのでしょうか。じっさい、教通はこの抜擢を喜んでいるようで、三条帝の思惑通りに事態が進みつつあるようにも見えます。道長はそうした三条帝の意図に気づいているようで、三条帝との駆け引きで借りを作りたくないため、顕信の抜擢については断りますが、顕信はこれに悲観して出家します。明子の息子たちが、源倫子の息子たちと比較して官位の点で不遇だったのは確かで、明子は以前からこの点で道長に不満をぶつけていましたが、顕信の出家でさらに道長を恨むようになるのでしょうか。ただ、明子の長男である頼宗は頼通や教通と協調していたようで、今回登場しなかった明子の三男である能信が、母親の無念を強く受け継いだというか、母親から強い影響を受け、頼通や教通と対立的になっていくのかもしれません。
道長はすでに、三条帝の東宮で自身の孫である敦成親王の即位を見据えており、臣下として最高権力者となってすでに15年以上経過し、慢心というか権勢欲が強くなっているようにも見えます。それが、娘の彰子や息子の顕信など親族の心理を理解していないというか、配慮が足りないことにつながっているのでしょう。こうした道長は周囲の人物から、花山帝を騙して出家に追い込み、自身の孫(一条帝)を即位させた父親の兼家と重なって見えるでしょう。しかし本作では、道長が若き日に紫式部(まひろ、藤式部)と交わした「青臭い」とも言える政治的理想を実現するために、権力を掌握していなければならない、という構造になっており、この点で道長が美化されているとも言えますが、一方で、周囲の人物にも後世にも、道長は父の兼家や兄の道隆と同類の権力の亡者に見えていることが、よく描かれているように思います。道長の美化について、私も含めて不満に思っている視聴者は少なくないかもしれませんが、本作の構成はこの点でなかなか上手いように思います。
彰子が歌会を開いていると、清少納言(ききょう)が定子の産んだ敦康親王から彰子への贈り物を届けに来ます。清少納言は彰子に、敦康親王のことは忘れたのか、と恨み言をぶつけて、歌を詠むよう誘われても歌わず、すぐに退出します。この様子を間近で見ていた紫式部は、清少納言がひどい人になってしまった、と日記に書きます。紫式部が親しかった清少納言を日記で腐したのはなぜなのか、前半から気になっていましたが、清少納言が次第に道長や彰子、さらには彰子に仕える紫式部を恨む過程はしっかり描かれており、これまでの話を踏まえた自然な展開になっていたように思います。ただ、予想ほど捻ってきたわけではなく、その点でやや拍子抜けではありましたが、物語としては整合的で、納得のいく展開でした。紫式部の娘である賢子(大弐三位)は、盗人に襲われたところを武者の双寿丸に救われ、双寿丸と自宅で遭遇した紫式部は、その後の娘とのやり取りから、娘との間に相変わらず距離がありつつも、距離が少しは縮まった、と感じたようです。この親子関係も、終盤の見どころの一つとなりそうです。
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