大河ドラマ『光る君へ』第40回「君を置きて」

 今回も、宮中の人間模様の描写が中心となります。前回、一条帝の体調不良が描かれましたが、今回は一条帝の体調悪化と譲位と崩御まで一気に話が進みました。一条帝は中宮の彰子をすっかり信用しているようで、一条院の最期を看取ったのは彰子でした。一条帝の体調悪化は藤原道長(三郎)も気づき、道長は公卿に譲位を打診します。現時点の東宮は居貞親王(三条帝)で、焦点は一条帝譲位後の東宮となるわけですが、すでに道長は自身の孫である敦成親王(後一条帝)を次の東宮と決めています。藤原公任と藤原斉信と源俊賢も道長の意向に従いますが、一条帝の側近である藤原行成は、一条帝が定子との間の皇子である敦康親王を次の東宮としたい、と察しているため、この時は煮え切らない態度を示します。しかし、その一条帝に敦成親王を次の東宮とするよう説得したのは行成でした。ここは行成にとって大きな見せ場となり、これまでの人物描写を上手く活かした展開になっていたと思います。

 敦康親王ではなく敦成親王を次の東宮とする、と父の道長に伝えられた彰子は初めて父に対して激昂し、自我がなかったかのうようにさえ見えた当初からの成長が窺えます。この時、彰子はまだ4歳(以下、年齢は数え年)の敦成親王には先がある、と主張しており、この時点で46歳の道長にとっては、たびたび病もあって、24歳の彰子と違ってそんな先まで待てない、との心境だったのかもしれません。ただ、本作では、道長が自己の権勢のため孫の敦成親王を次の東宮としたのではなく、あくまでも政治を担当する臣下として最高位の責任感から、政治的安定のため敦康親王ではなく敦成親王を次の東宮とする、という話になっており、道長は当初からずっと、権勢欲が強くはなく、清らかな政治家として描かれており、この点は一貫しています。

 確かに、敦康親王が東宮となり、その叔父である藤原隆家の権力が強まれば政治は乱れる、といった「公的な」懸念が道長にはあり、それは他の公卿にも共有されていたのかもしれず、その意味では、敦康親王ではなく敦成親王を次の東宮とする道長の決断に、「私欲」以外の要素も強かったのだろう、とは思います。ただ、この道長の決断から「私欲」を消し去っている本作の構成には、かなり疑問も残ります。本作において、道長のこうした外戚の構築と皇位継承への関与は強引な父の兼家や兄の道隆と表面的には似ています。実はそうではなかった、というのが本作の中核の一つになっているわけですが、あるいは、自分が後世には父や兄と同じように見られ、悪し様に罵る人もいることを晩年の道長は悟って愕然とし、紫式部(まひろ、藤式部)だけは道長の真意を悟る、といった結末になるのでしょうか。やはり、最終回まで視聴しないと、本作の評価は難しいように思います。

 三条帝はこれまで登場回数が少なかったものの、野心家な側面が垣間見られ、なかなか印象に残る人物造形と演技になっています。ただ、今回はいよいよ即位が間近になったことから嬉しさを隠しきれない様子で、こうした脇の甘さのため道長との政争で完敗した、という展開になるのでしょうか。三条帝と道長との政争は終盤の見どころの一つとなりそうで、三条帝と道長の娘である妍子との関係とともに、その描写には注目しています。妍子は姉の彰子と違って我儘なところがあり、これは長女と妹の育てられ方の違いも反映した描写なのでしょうか。紫式部の娘である賢子(大弐三位)は、盗人に襲われたところを武者の双寿丸に救われ、身分差のあるこの二人の関係も終盤の見どころの一つになるのかもしれません。

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