『卑弥呼』第139話「心の戦い」
『ビッグコミックオリジナル』2024年11月5日号掲載分の感想です。前回は、日下(ヒノモト)国にて、吉備津彦(キビツヒコ)が日下国に強制連行してきた金砂(カナスナ)国の能見邑(ノミノムラ)の住民250人に、これからは日下の三輪山が出雲の信仰の中心だ、と伝えたところで終了しました。今回は、白ウサギの神話が語られる場面から始まります。本作では、この時代の出雲神話は天照大神とは無関係で、その後に統合されたことが示唆されているように思います。山社(ヤマト)では、遼東公孫氏の拠点である襄平までヤノハに同行したオオヒコを、イクメとテヅチ将軍が労っていました。オオヒコは、アカメとナツハがいなければ日見子(ヒミコ)様(ヤノハ)も危うかった、と言います。ヤノハは山社に帰還すると、ミマアキを楼観に呼び出します。ヤノハは、ミマアキの表情が固いことから、体調が悪いのではないか、と尋ねますが、ミマアキは否定します。ミマアキは、親友のクラトの殺害をヤノハが命じたのではないか、と疑っており(第136話)、その心境が表情に出てしまったのでしょう。ヤノハは、日下(ヒノモト)の出雲侵攻は喫緊の課題だが、もう一つ気になるのが暈(クマ)国と述べ、暈国の実質的な最高権力者である鞠智彦(ククチヒコ)に動きがあったか、ミマアキに尋ねます。ミマアキは、自分が知る限りはとくになく、越境の兆しもないと考える、と答え、ヤノハは安堵します。するとミマアキは、なぜ暈は一度だけ刺客を送り、自分の友(クラト)を討ったのだろう、と尋ねます。ミマアキが、先日久しぶりにクラトの墓を詣でて、クラトの亡骸があった川に花を捧げた、と言うと、ヤノハは、その友の名はクラトで、ミマアキにとって最高の友だったのだな、と言って涙を流します。その様子を見たミマアキは、楼観から太守室氏、あれが司馬懿ならば、日見子様(ヤノハ)は稀代の大嘘つきだから、ヤノハがクラトの殺害を命じたのは考えすぎだろうか、と自問します。
金砂(カナスナ)国の出雲では、事代主(コトシロヌシ)が配下のシラヒコから、日見子(ヤノハ)様が山社への帰還中に運よく会えて、日見子様が津島(ツシマ、現在の対馬でしょう)国から加羅(カラ、朝鮮半島を指すのでしょう)に渡って、公孫一族の支配地(遼東郡)まで行った、と報告を受けていました。日下が金砂攻めに動いた話について、日見子殿と那(ナ)国王(ウツヒオ王)はどう言ったのか、と事代主から問われたシラヒコは、時が来れば筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)から派兵するので、心配しないよう言っていた、と答えます。さらにシラヒコは、金砂より民が山社に奪われている心の痛みに耐え、しばし静観するよう、日見子が提言していたことも事代主に伝えます。シラヒコは事代主に、日下に連れ去られた能見邑(ノミノムラ)の住民は大穴牟遅神(オオアナムヂノカミ)よりも古い神である伊毘志都幣命(イビシツベノミコト)を奉じる人々で、我々と違う神の下に集う民を、事代主が気にかける必要はないのではなかろうか、と尋ねます。すると事代主は、シラヒコがまだ大穴牟遅神を分かっていないようだ、と言います。
山社では、楼観に山社の指導層である、イクメとミマト将軍とミマアキとヌカデとテヅチ将軍とオオヒコが集まり、会議が開かれていました。ミマアキは、日下では先の戦でおそらく鉄板(カネ)が不足しているので、金砂に全面攻撃を仕掛けられないのだろう、と推測します。鉄を入手するため鬼国(キノクニ)を奪ったのに、まだ奏功していないのか、と父のミマト将軍に尋ねられたミマアキは、吉備津彦(キビツヒコ)が獲得したタタラ集団も韓(カラ、朝鮮半島)の地の技術には及ばないのだろう、と答えます。では、事代主様には民の拉致を耐えてもらうしかないようだ、とミマト将軍は発現します。イクメも、山社に連れ去られた能見の邑人は大穴牟遅神とは別の神を祀る人々と聞いているので、事代主様もことさらに心を痛める必要はないのではなかろうか、と考えます。するとヤノハは、一番の心配はそのことで、自分と吉備津彦と事代主殿で、しばらく心の戦いが続くだろうが、心の戦いに一番脆いのは事代主殿だ、と言います。その理由をイクメから問われたヤノハは、事代主から聞いた出雲神話を語ります。大穴牟遅神は最初、金砂に降った多くの神、つまり八十神(ヤソノカミ)に嘘をつかれて蔑まれ、一度殺されたものの、最後は八十神を破り、金砂を統一した、というわけです。では、その八十神の中に能見邑の民が祀る神もおり、つまり能見はかつての憎き敵ではないのか、とヌカデは考えます。ヤノハによると、大穴牟遅神はそう考えず、八十神を殺せばよいのに追放するだけで、これまで敵だった神の下の民も等しく愛でることにしました。この話を聞いて、なんと心が広い神だろうか、とイクメは感心します。その優しさは、出雲の白ウサギの話でも分かる、とヤノハは言います。ワニザメを騙して出雲に渡った嘘つきのウサギすら大穴牟遅神は助けたわけです。我々の天照大神様とはまるで違う、とテヅチ将軍は言い、天照大神様が人を律し、鼓舞する神ならば、大穴牟遅神は人を許し、助ける神なので、事代主殿は連れ去られた民を救うため、自ら日下に赴き、身代わりになるのではないか、と推測します。大穴牟遅神は戦乱の世にはてきさない紙で、事代主殿も白ウサギを助けた神と同じく心が優しすぎる、と言うヤノハに、心の戦いの勝敗はどうしたら決まるのか、とミマアキが尋ねます。するとヤノハは、嘘をつける方が勝ち、嘘が下手な方は負ける、と答えます。ヤノハが、自分ほど嘘の上手い者はいないと思っていたが、しょせん自分は底の浅いすぐばれる嘘しかつけず、吉備津彦は自分をしのぐ本物の嘘つきなので、このままでは我々は負ける、と自嘲するところで今回は終了です。
今回は、出雲への日下の侵攻をめぐる、心理戦の側面が描かれました。事代主はシラヒコよりヤノハからの忠告を聞き、ヤノハが自分を深く理解している、と内心では改めて感心したように思われますが、その事代主がヤノハの忠告通りに自らを犠牲とすることはしばらく思いとどまるのか、案じられます。ヤノハは、嘘をつくことに関しては自分より吉備津彦の方が上と考えており、吉備津彦は本作においてかなり重要な人物と改めて示されました。ヤノハがそう言ったのは、ミマアキに自分の嘘を見抜かれたかもしれない、と考えたからでしょうか。ミマアキは、親友のクラトの死に関して、ヤノハへの疑念を依然として払拭できず、これが出雲も含めての山社連合と日下連合との戦いにどう影響してくるのか、あるいは今後ミマアキが改めてヤノハに心服するような展開になるのか、注目されます。なお、次号は休載のようで、残念です。
金砂(カナスナ)国の出雲では、事代主(コトシロヌシ)が配下のシラヒコから、日見子(ヤノハ)様が山社への帰還中に運よく会えて、日見子様が津島(ツシマ、現在の対馬でしょう)国から加羅(カラ、朝鮮半島を指すのでしょう)に渡って、公孫一族の支配地(遼東郡)まで行った、と報告を受けていました。日下が金砂攻めに動いた話について、日見子殿と那(ナ)国王(ウツヒオ王)はどう言ったのか、と事代主から問われたシラヒコは、時が来れば筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)から派兵するので、心配しないよう言っていた、と答えます。さらにシラヒコは、金砂より民が山社に奪われている心の痛みに耐え、しばし静観するよう、日見子が提言していたことも事代主に伝えます。シラヒコは事代主に、日下に連れ去られた能見邑(ノミノムラ)の住民は大穴牟遅神(オオアナムヂノカミ)よりも古い神である伊毘志都幣命(イビシツベノミコト)を奉じる人々で、我々と違う神の下に集う民を、事代主が気にかける必要はないのではなかろうか、と尋ねます。すると事代主は、シラヒコがまだ大穴牟遅神を分かっていないようだ、と言います。
山社では、楼観に山社の指導層である、イクメとミマト将軍とミマアキとヌカデとテヅチ将軍とオオヒコが集まり、会議が開かれていました。ミマアキは、日下では先の戦でおそらく鉄板(カネ)が不足しているので、金砂に全面攻撃を仕掛けられないのだろう、と推測します。鉄を入手するため鬼国(キノクニ)を奪ったのに、まだ奏功していないのか、と父のミマト将軍に尋ねられたミマアキは、吉備津彦(キビツヒコ)が獲得したタタラ集団も韓(カラ、朝鮮半島)の地の技術には及ばないのだろう、と答えます。では、事代主様には民の拉致を耐えてもらうしかないようだ、とミマト将軍は発現します。イクメも、山社に連れ去られた能見の邑人は大穴牟遅神とは別の神を祀る人々と聞いているので、事代主様もことさらに心を痛める必要はないのではなかろうか、と考えます。するとヤノハは、一番の心配はそのことで、自分と吉備津彦と事代主殿で、しばらく心の戦いが続くだろうが、心の戦いに一番脆いのは事代主殿だ、と言います。その理由をイクメから問われたヤノハは、事代主から聞いた出雲神話を語ります。大穴牟遅神は最初、金砂に降った多くの神、つまり八十神(ヤソノカミ)に嘘をつかれて蔑まれ、一度殺されたものの、最後は八十神を破り、金砂を統一した、というわけです。では、その八十神の中に能見邑の民が祀る神もおり、つまり能見はかつての憎き敵ではないのか、とヌカデは考えます。ヤノハによると、大穴牟遅神はそう考えず、八十神を殺せばよいのに追放するだけで、これまで敵だった神の下の民も等しく愛でることにしました。この話を聞いて、なんと心が広い神だろうか、とイクメは感心します。その優しさは、出雲の白ウサギの話でも分かる、とヤノハは言います。ワニザメを騙して出雲に渡った嘘つきのウサギすら大穴牟遅神は助けたわけです。我々の天照大神様とはまるで違う、とテヅチ将軍は言い、天照大神様が人を律し、鼓舞する神ならば、大穴牟遅神は人を許し、助ける神なので、事代主殿は連れ去られた民を救うため、自ら日下に赴き、身代わりになるのではないか、と推測します。大穴牟遅神は戦乱の世にはてきさない紙で、事代主殿も白ウサギを助けた神と同じく心が優しすぎる、と言うヤノハに、心の戦いの勝敗はどうしたら決まるのか、とミマアキが尋ねます。するとヤノハは、嘘をつける方が勝ち、嘘が下手な方は負ける、と答えます。ヤノハが、自分ほど嘘の上手い者はいないと思っていたが、しょせん自分は底の浅いすぐばれる嘘しかつけず、吉備津彦は自分をしのぐ本物の嘘つきなので、このままでは我々は負ける、と自嘲するところで今回は終了です。
今回は、出雲への日下の侵攻をめぐる、心理戦の側面が描かれました。事代主はシラヒコよりヤノハからの忠告を聞き、ヤノハが自分を深く理解している、と内心では改めて感心したように思われますが、その事代主がヤノハの忠告通りに自らを犠牲とすることはしばらく思いとどまるのか、案じられます。ヤノハは、嘘をつくことに関しては自分より吉備津彦の方が上と考えており、吉備津彦は本作においてかなり重要な人物と改めて示されました。ヤノハがそう言ったのは、ミマアキに自分の嘘を見抜かれたかもしれない、と考えたからでしょうか。ミマアキは、親友のクラトの死に関して、ヤノハへの疑念を依然として払拭できず、これが出雲も含めての山社連合と日下連合との戦いにどう影響してくるのか、あるいは今後ミマアキが改めてヤノハに心服するような展開になるのか、注目されます。なお、次号は休載のようで、残念です。
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