ザンビアのバトゥア人の遺伝的歴史
ザンビアのバトゥア人(Batwa)の遺伝的歴史に関する研究(Breton et al., 2024)が公表されました。本論文は、ザンビアのバトゥア人の比較的孤立した2集団の遺伝的歴史を、現代人と古代人のゲノムデータから推測しています。分析の結果、バトゥア人は、バントゥー諸語話者集団的な遺伝的構成要素とともに、過去に現在のザンビアに存在した独特な遺伝的構成の狩猟採集民に由来する遺伝的構成要素も有しており、この過去の狩猟採集民は遺伝的に、アフリカ南部の現在のコイサン人(Khoe-San、略してKS)とアフリカ中央部熱帯雨林の狩猟採集民の中間に位置します。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
●要約
赤道付近のアフリカには現在、ザンビア東部のルアングア(Luangwa)渓谷へと2000年前頃に農耕をもたらした、アフリカ西部のバントゥー諸語話者集団がおもに居住しています。このバントゥー諸語話者集団の到来前には、この地域には狩猟採集民が居住しており、そうした狩猟採集民は多くの場合、置換されたか退去させられたか同化されました。ザンビアでは、これら縄文人の遺伝的類似性についてほとんど分かっていません。本論文は、バトゥア人として知られており、最近の狩猟採集民の子孫かもしれない、ザンビアの孤立した二つの共同体の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を調べます。このバトゥア人2集団(合計80個体)および比較のための3農耕人口集団の200万ヶ所以上のゲノム規模の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)が遺伝子型決定されて、(1)バトゥア人が過去の狩猟採集民集団と遺伝的つながりを有しているのかどうか判断され、(2)過去のザンビアの狩猟採集民集団の遺伝的類似性が特徴づけられます。バトゥア人は、狩猟採集民的な遺伝的祖先系統とアフリカ西部祖先系統を有しています。この狩猟採集民構成要素は、アフリカ南部の現在のコイサン人祖先系統とアフリカ中央部熱帯雨林の狩猟採集民祖先系統の中間に位置する、独特な局所的痕跡です。
●研究史
アフリカは現生人類(Homo sapiens)の揺籃の地で、高い遺伝と言語と文化の多様性によって特徴づけられます[1]。それにも関わらず、赤道付近のアフリカにおける人口集団の大半はアフリカ西部系のバントゥー諸語話者農耕民で、他の集団と比較して遺伝と言語と文化の均質性を示します[5]。この均質性は、アフリカ西部において5000~4000年前頃に始まり、アフリカ大陸の多くの地域への言語および人々の拡散をもたらした、大規模な移動の結果です[7]。この移住は少なくとも部分的には、農耕慣行の拡大と関連しており(とくに後期では)、過去3000~1000年間に、アフリカ東部、その後でアフリカ南部に到達しました。
中央部や南部を含めてアフリカの多くの地域では、侵入してきたバントゥー諸語話者が在来の採食民集団を置換か退散か同化しました。伝統的に狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)であるか、かつてそうだった一部の集団は、言語や生計慣行や環境の地域や独特な文化的慣行など、自身を近隣集団と区別する、特定の特徴を保持しました。最もよく知られているアフリカの狩猟採集民人口集団には、アフリカ中央部の熱帯雨林狩猟採集民(rainforest hunter-gatherer、略してRHG)や、アフリカ南部のKSや、ハッザ人(Hadza)などアフリカ東部の狩猟採集民(eastern African hunter-gatherers、略してeHG)が含まれます。これらの人口集団は遺伝的にアフリカ西部系の近隣のバントゥー諸語話者人口集団とは異なります[7]。現在、これらの集団の人口規模は小さく、サハラ砂漠以南のアフリカに分散していますが、過去には、そうした人口集団がもっと多く存在していた可能性は高そうです[14]。これら過去の局所的人口集団について知るための一つの方法は、関連資料から古代DNAを取得することです[15~21]。別の方法は、過去の集団と関連する祖先系統を有しているかもしれない、あまり研究されていない地域の少数派の(現在の)集団のゲノムを研究することです[22]。言語学的研究と民族学は、どの人口集団が在来の祖先系統を保持しているのか仮定し、赤道付近のアフリカのバントゥー諸語話者以前の歴史のゲノム規模調査に含める候補人口集団を特定するのに役立ちます。
アフリカの人口集団の配列決定の取り組みの増加にも関わらず、一部の地域もしくは人口集団は依然としてあまり代表されておらず、そうした1地域がアフリカ中央部南方で、この地域には現在ではおもにバントゥー諸語話者牧畜民人口集団が居住しています。アフリカ中央部南方(マラウイとザンビア)の骨格遺骸の形態学的研究では、中期および後期完新世(5000~500年前頃)の集団はKS集団とよりもアフリカ西部人もしくはRHG集団の方と類似しており、中期完新世と後期完新世の人口集団間で大きな変化はなかった、と示唆されています。
ザンビア東部のルアングア(Luangwa)渓谷は、この地域における農耕民と採食民との間の過去の相互作用について、とくに情報をもたらします。ルアングア渓谷における400年頃以降の食料生産の到来の証拠があり、チフムバゼ(Chifumbaze)考古学複合体の南方への拡大に対応します。考古学的研究は100年頃となる農耕民のずっと早い到来、および1700年頃までの在来のHGと侵入してきた農耕民との間の長い重複を示し、1700年頃以後には、HGの存在の証拠はありません。ルアングア渓谷に隣接する高い断崖上では、HGが農耕共同体と19世紀初期まで共存しており、長い共存の同様のパターンはザンビア北部の隣接地域で明らかです。歴史的記録も、ルアングア渓谷の周辺における19世紀後半のHGの存在を示唆しています。そうした長い共存は、ルアングア渓谷の肥沃な土壌と豊富な獲物によって促進されたかもしれず、それは二つの共同体の相対的な独立性維持を可能としました。この地域におけるツェツェバエの蔓延も、農耕牧畜民の拡大を制約し、HG人口集団の存続に寄与してきたかもしれません。
ルアングア渓谷地域ではHG集団は残っていませんが、在来の農耕民共同体であるピサ(Bisa)とクンダ(Kunda)は、その口承史においてHGの存在に言及しています。ピサとクンダのミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体が調べられ、その多様性のほとんどはバントゥー諸語話者人口集団に典型的でした。他のザンビア人口集団の片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の調査結果は同様でした。しかし、これらの観察は、他のアフリカ中央部南方の人口集団が、現生のアフリカ中央部および南部HGと類似していない過去の採食民集団からの祖先系統を有している、もしくは現在のバントゥー諸語話者とは片親性遺伝標識の遺伝子座だけで区別できるほど大きく異なっていたわけではなかった、との可能性を除外しません。じっさい、ザンビアの特定集団は、片親性遺伝標識とその言語における吸着音に基づいてバントゥー諸語話者農耕民と区別されてきており、とくに、ザンビア南西部のフウェ人(Fwe)はKS的な母系を約25%有しています。これは、いくつかの特定の少数派人口集団がより多くの在来祖先系統を有しているかもしれないものの、多数派人口集団はそれを有していない、と示唆しています。
隣国のモザンビークでは、12のバントゥー諸語話者人口集団における常染色体多様性の研究で、仮定的な先住HG集団との混合は殆どもしくは全くなかった、と示されました。古代DNA研究はマラウイについて同様の結論を提示し、最近の人口置換があり、8000~2000年前頃に生きていた個体群は遺伝的にHGと類似しており、より新しい個体群はバントゥー諸語話者農耕民と類似している、と示しています。これら中期~後期完新世のマラウイのHGは、eHGと現在のアフリカ南部のKSの中間の祖先系統に加えて、中程度の割合のRHG祖先系統を有していた、と推測されました[17]。
地元ではバトゥア(BaTwa)として知られる共同体は、バントゥー諸語で人々(Twa)を指すさいの複数形の接頭辞で、ザンビアにおける仮定的な在来HG祖先系統を探すさいには、とくに興味深い存在です。バトゥアという用語は、つ「常に移動する人々」もしくは「他人」を意味する一般的な分類表示で、採食民集団および大湖(Great Lakes)地域から南方へとザンビア中央部にかけて見られる漁撈民に適用されます。初期の遺伝学的研究は、ピグミーと呼ばれる熱帯雨林狩猟採集民である独特な1集団を特定し、この帰属は熱帯雨林の境界を越えてアフリカ中央部南方のほとんど知られていない集団に拡張され、たとえば、ヴァトゥワ人(Vatwa)やバンボテ人(Bambote)やザンビアのバトゥア人ですが、バトゥア人に関しては利用可能な遺伝的データがありませんでした。
ザンビア中央部では、バトゥア人共同体はカフエ(Kafue)氾濫原(平原)とルカンガ(Lukanga)低湿地で見られます。ザンビア北部では、バトゥア人はバングウェウル湖(Lake Bangweulu)湿地とその周辺に暮らしています。カフエ平原のバトゥア人は島々に暮らす孤立した漁撈および狩猟共同体で、最近では農耕を行なう人々もいます。カフエ平原のバトゥア人はチトワ語(Chitwa)話者で、チトワ語はトンガ語(Tonga)もしくはイラ・バントゥー語(Ila Bantu)の方言です。バングウェウル湖湿地のバトゥア人は漁撈および狩猟共同体で、隣人と同じバントゥー諸語であるベンバ語(ChiBemba)を話します。カフエ平原とバングウェウル湖湿地両方の共同体の隣人は、両共同体が同じ言語を話し、周縁化された集団として暮らしていても、両者を自身とはなる集団と認識しています。これらバトゥア人共同体自体は、部外者と自身の過去を議論するのを渋っており、バントゥー諸語話者農耕民の存在において自己認識をバトゥア人とするのを躊躇っています。カフエ平原のバトゥア人の言語学的調査では、バトゥア人とその近隣集団であるイラ人(Ila)は自身をザンビアの先住民とみなしており、ロジ人(Lozi)など、アンゴラもしくはコンゴ民主共国(Democratic Republic of Congo、略してDRC)のような他国に起源をたどる他の近隣集団とは対照的である、と報告されています。ベンバ人(Bemba)と関連するバングウェウル湿地のバウンガ人(BaUnga)は、DRCから到来したさいにバトゥア人を見つけた、と報告しています。バトゥア人の遠い過去については、それ以上はほとんど知られていません。
バトゥア人の在来狩猟採集民祖先系統の可能性の問題に取り組むため、バングウェウル湖のバトゥア人とロッチンバー国立公園(Lochinvar National Park)近くのカフエ平原のバトゥア人の2集団それぞれから40個体のゲノム規模のSNPデータが生成されました(図1a)。アフリカ人の遺伝的多様性を把握するため特別に設計された、イルミナ(Illumina)社のH3アフリカ配列が使用されました。近隣人口集団の文脈にバトゥア人の遺伝的多様性を置くため、ザンビアのバントゥー諸語話者の農耕牧畜民である3人口集団、つまりベンバ人とロジ人とトンガ人の個体群[53]とともにデータが分析されました。本論文は、サハラ砂漠以南のアフリカ人口集団に焦点を当て、世界規模の遺伝的多様性の文脈でこれらザンビアの人口集団の常染色体の遺伝的多様性を報告します。本論文は、過去の混合事象を含めて、バトゥア人の人口統計学的歴史も特徴づけます。以下は本論文の図1です。
●ザンビア人口集団の遺伝的類似性
344644個の多様体と39人口集団の973個体を含むデータセット(図1b)においてアフリカ人口集団の多様な一式およびアフリカ外の2人口集団とともに、ザンビアの5人口集団間の人口関係が調べられました(図1a、表1)。主成分分析(principal component analysis、略してPCA)の最初の軸はアフリカの人口集団を非アフリカ系人口集団から分離します。その後の軸はさまざまなアフリカ人集団を分離します。サハラ砂漠以南のアフリカの遺伝的多様性を表す3人口集団、つまりKSであるジュホアン人(Ju|’hoansi)とアフリカ西部のニジェール・コンゴ語族話者であるヨルバ人とRHGであるカメルーンのバカ人(Baka)のPCAに、ザンビアの5人口集団が投影されました(図1c)。このPCA空間では、バトゥア人個体群はアフリカ西部のヨルバ人から(ほぼ、ベンバ人とロジ人とトンガ人から始まります)ジュホアン人とバカ人の間の空間に向かっての、勾配を形成します。
カフエ平原の個体群は、バングウェウル湿地の個体群よりも、ベンバ人とロジ人とトンガ人からさらに離れています。この勾配は三角形のバカ人クラスタ(まとまり)に向かってやや偏っており、バカ人およびジュホアン人との中間的な関係を示唆します。ザンビアの農耕牧畜民の3人口集団はともに、バトゥア人の近くでまとまりますが、ヨルバ人の方へとよりずれています。これは、ザンビアの農耕牧畜民も、より少ないとはいえ、HG集団からの寄与を有しているかもしれない、と示唆しています。同様の観察は、投影されていないPCAでも見ることができます。ヨルバ人を、農耕牧畜移民の祖先系統のより適した代理かもしれない、カメルーンのバントゥー諸語話者人口集団であるンジメ人(Nzime)に置換すると、投影されたPCAで同様の結果が見つかりました。西部RHGであるバカ人を、HG遺伝的構成要素の代替的供給源かもしれないウガンダの東部RHGバトゥア人と置換しても、同様の結果が見つかりました。さらに、関係の同様のパターンは、39の人口集団を用いてPCA軸を構築するか、古代のアフリカ個体群のデータを含めると観察され、参照人口集団の選択はザンビア集団の祖先系統の関係にほとんど影響がない、と示唆されます。
2~12の遺伝的祖先系統構成要素(K)を仮定して、ADMIXTUREに実装された手法を用いて、推定祖先系統構成要素が推測されました。K=2では、一方のクラスタにはおもにアフリカ人口集団の個体群が、もう一方のクラスタにはほぼ非アフリカ系人口集団の個体群が含まれました。K=3では、1構成要素がジュホアン人(KS)で最大化されます。K=6での新たな構成要素はカメルーンのバカ人(RHG)とアフリカ東部人口集団でそれぞれ最大化され、エチオピアのチャブ人(Chabu、Sabue)狩猟採集民集団の遺伝的構成員の80.1%を占め、平均標準誤差(standard error of mean、略してsem)は0.39%です(図1d)。ニジェール・コンゴ語族話者であるヨルバ人で最大化される構成要素(95.1%、semは0.23%)は、以下の段落でアフリカ西部的祖先系統と呼ばれます。しかし、これは現在の人口分布を反映しておらず、祖先構成要素とみなすべきことに要注意です。この構成要素を高い割合で有する人口集団の一部、たとえばズールー人(Zulu)は、アフリカ西部との祖先のつながりがあります。Kの値がより大きくなると、単一の人口集団に特有の構成要素が含まれ、たとえば、タンザニアのハッザ人(K=7)、ウガンダの東部RHGとなるバトゥア人(K=9)、エチオピアのチャブ人(K=10)、これらの人口集団のいくつかは、人口規模が小さいので、遺伝的浮動の影響をより受けやすいと知られており、独特な祖先系統構成要素として現れることが多くあります。
6個の推定祖先系統構成要素に焦点が当てられ、それは、K=6で明確な主要形態があり、ザンビアの個体群について完結に祖先系統情報を要約しているからです。主要な4構成要素がザンビアの人口集団には存在し、それは、KS的、RHG的、アフリカ西部(western Africa、略してwA)的、eHG的です。非アフリカ系人口集団で最大化される他の2個の構成要素は、ザンビアの人口集団では0.01~0.31%を表しており、例外は1.92%を示すロジ人です(このより高い割合は2個体に起因します)。KS的とRHG的とeHG的な構成要素の合計は、カフエ平原のバトゥア人の遺伝的祖先系統の約31.3%(semは1.4%)、バングウェウル湿地のバトゥア人の約18.9%(semは0.5%)、ザンビアの農耕牧畜民の11~13%(ベンバ人は約10.9%でsemが0.6%、ロジ人は約10.5%でsemが0.3%、トンガ人は約12.7%でsemは0.6%)を表しています(図2)。以下は本論文の図2です。
ザンビア人口集団の非アフリカ西部構成要素における、KS的とRHG的とeHG的な構成要素の相対的割合が計算されました。KS的構成要素の相対的割合は、ザンビアの農耕牧畜民(約25%)と比較して、バトゥア人集団でより大きくなります(カフエ平原集団では50%、バングウェウル湿地集団では40%)。RHG的構成要素の相対的割合は、バトゥア人(カフエ平原集団では約49%、バングウェウル湿地集団では約40%)より、ザンビアの農耕牧畜民人口集団(約63~67%)でより大きくなります。ザンビアの5人口集団では、eHG的な遺伝的割合はKS的およびRHG的構成要素より低くなり、約9~12%です。さまざまな狩猟採集民の遺伝的類似性の同様のパターンは、古代のアフリカ個体群のデータを含めても観察されました。
●ザンビア人口集団における混合の性質の特徴づけ
ネットも密接なHG供給源人口集団を判断するため、ザンビアの5人口集団が、(1)アフリカ西部供給源(ヨルバ人により表されます)と、(2)アフリカの南部か中央部か東部のHG供給源間の(2方向で)混合されていたのかどうか、f₃統計で検証されました。先史時代(隣国のマラウイの個体群が含まれます)と現在両方の個体群が、HGにとって可能性のある供給源人口集団として検証されました。カフエ平原のバトゥア人は南アフリカ共和国のバリット・ベイ(Ballito Bay)遺跡の石器時代(2000年前頃)の1個体、および現在のサン人(ジュホアン人)との有意な類似性を示しますが、RHG人口集団とは類似性を示しません。低いZ得点によって示されるように(ただ、有意ではなく、先史時代マラウイ個体群の限定的なデータ量に起因する可能性が高そうです)、先史時代マラウイ個体群との遺伝的類似性もあるようです。ザンビアの他の4人口集団は検証された集団のどれとも明確な類似性を示さず、おそらくは、(1)中程度から低いHG祖先系統の割合、(2)ザンビアの人口集団におけるHG祖先系統構成要素が検証された供給源人口集団と完全には一致しないこと、(3)f₃統計の限定的な検出力の組み合わせに起因います。
カフエ平原のバトゥア人について可能性のある複数の混合事象を体系的に調べるため、ADMIXTOOLS 2のfind_graphs関数を用いて、最大4回の混合事象で大規模な混合図一式が調べられました。最も適合したのは、3回の混合事象のある図でした。すべての検証された組み合わせで、カフエ平原のバトゥア人を含む混合事象は1回だけで、これは、HG人口集団(ジュホアン人と関連する1集団によって表される図において)とアフリカ西部人と関連する1集団との間の混合事象を示します。有意ではないf₃検定を示したザンビアの4人口集団について分析を繰り返すと、ごく小さなHGの寄与(ロジ人では3%)が検出されるか、有意ではないf₃検定から予測されるようにHGの寄与は検出されませんでした。
f₄比検定を用いて、現在のHG人口集団からの混合割合がさらに推定されました。ジュホアン人により表されるKS祖先系統についてのf₄比の結果(人口集団の接続形態の過程に基づいています、図3a)は、モデルフリー分析(PCA、ADMIXTURE、図1c・d)によって示唆されたパターンと一致します。推定された祖先系統の割合は、カフエ平原のバトゥア人では約21.2%(標準誤差0.6%)、バングウェウル湿地のバトゥア人では約9.7%(標準誤差0.6%)です。ザンビアの農耕牧畜民について、KSとの混合の推定割合は、トンガ人では約4.2%、ベンバ人では約2.4%、ロジ人では約0.3%です。可能性のあるKS混合供給源人口集団をRHG混合供給源人口集団(カメルーンのバカ人もしくはウガンダのバトゥア人により表されます)と置換すると、推定されたHGとの混合割合はより高くなりますが、同じパターンが現れ、その推定割合は、バングウェウル湿地のバトゥア人と比較してカフエ平原のバトゥア人では2倍です(図3b)。しかし、ザンビア人口集団を生み出したRHG集団からアフリカ西部集団への単一の寄与が、f₃検定に裏づけられなかったことに要注意です。
最後に、ザンビアの人口集団へのeHG人口集団(ハッザ人もしくはチャブ人)からの祖先系統の証拠はありません。さまざまな供給源人口集団について推定された混合割合は強く相関しており、KSとRHGの祖先系統、RHGの東西の祖先系統、eHG祖先系統については正の相関でした。これらの傾向から、この検定が非アフリカ西部系遺伝的祖先系統構成要素の類似の兆候を検出している、と示されます。この構成要素について一致する代理がない場合、検定はこのアフリカ西部祖先系統の検出に同等に適しているようです。KSとRHGの祖先系統間の正の相関は、非アフリカ西部構成要素がKSとRHGの祖先系統の中間だった、との他の観察と一致します。以下は本論文の図3です。
モデルに基づく手法であるMOSAICを用いて、ザンビアの人口集団における潜在的な混合事象が特徴づけられました。参照パネルの指定のない2方向混合モデル(すべての人口集団はモデルの構築に使用でき、混合供給源のある類似性の観点で評価されます)は、ザンビアの人口集団では良好に適合します。この混合事象はバングウェウル湿地のバトゥア人では約38世代前(1世代30年と仮定すると1140年前頃)、カフエ平原のバトゥア人では約15世代前(450年前頃)と推定されます。ベンバ人の年代は約23世代前(690年前頃)で、ロジ人(約57世代前、1710年前頃)とトンガ人(約41世代前、1220年前頃)ではより古くなります。追加の人口集団のブートストラップ反復と年代は、補足表6に要約されています。
すべてのザンビアの5人口集団すべてについて、主要な祖先系統構成要素はザンビアの農耕牧畜民人口集団や、アフリカ中央部西方のバントゥー諸語話者人口集団であるンゼビ人(Nzebi)およびンジメ人と、遺伝的に最も類似しており、つまりは最小のFₛₜ(fixation index、2集団の遺伝的分化の程度を示す固定指数)です。少数派の祖先系統構成要素については、最も密接な可能性がある供給源は、ザンビアの人口集団間で異なります。カフエ平原のバトゥア人については、可能性のある上位5供給源は現代のKS人口集団です。バングウェウル湿地のバトゥア人については、可能性のある供給源は、KS祖先系統とアフリカ西部祖先系統を有する混合人口集団(図1d)であるコエ人(Khwe)で、それに続くのが、カフエ平原のバトゥア人、KSからの混合を有する南アフリカ共和国のバントゥー諸語話者人口集団であるソト人(Sotho)、アフリカ東部のサイ人(Maasai)、別のKS人口集団であるコマニ人(#Khomani)です。
農耕牧畜民については、わずかに寄与した供給源は、さまざまなアフリカ東部人口集団と最も密接です。この少数派供給源のFₛₜ値はバングウェウル湿地(約0.12)とカフエ平原(約0.06)のバトゥア人では、ザンビアの農耕牧畜民(約0.02)および主要な供給源の5人口集団(約0.001)より明らかに大きいことに要注意です。これが示唆するのは、本論文の人口集団一式には、少数派の祖先系統構成要素で適した人口集団の代理を有しているように見える農耕牧畜民とは対照的に、バトゥア人の2集団【カフエ平原とバングウェウル湿地】における少数派の混合供給源と遺伝的に近い人口集団が含まれない、ということです。比較すると、南アフリカ共和国の南東バントゥー諸語話者における少数派の供給源は、さまざまなKS人口集団と最も近く、そのFₛₜ値は尤も密接な5人口集団については0~0.02です。
●一部のザンビア人口集団における最近の孤立の可能性
同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の分布(長さと数)は、特定の過程を示唆しているかもしれず、たとえば、長い連続領域は小さな人口規模もしくは近親交配を示唆します。ROHの合計の長さ(人口集団での平均、図4)は、以前の報告と類似しています。ザンビアの農耕牧畜民の2人口集団、つまりベンバ人とトンガ人はROH長の下限にあり、マンディンカ人(Mandinka)やヨルバ人など他のニジェール・コンゴ語族話者人口集団と類似しています。ロジ人とカフエ平原のバトゥア人の合計ROH長はわずかにより大きいものの、下限に留まっており、平均値はそれぞれ1950万塩基対(19.5 Mb)と21.5 Mbで、21.4 Mbの南アフリカ共和国のカッレッジェ人(Karretjie)と類似しています。バングウェウル湿地のバトゥア人はザンビアの人口集団では最も長い合計ROH長を有しており(平均値は38.4 Mb)、分散も最大です。しかし、この長さは中間的な値にあり、コエ人もしくはトゥブゥ人(Toubou)などの人口集団と類似しています(平均値はそれぞれ41.2 Mbと41.5 Mb)。以下は本論文の図4です。
ROHを長さで分類すると、バングウェウル湿地のバトゥア人はザンビア人口集団において3区分では最も長いROHを有していますが、カフエ平原のバトゥア人とロジ人のROHはベンバ人やトンガ人と比較して、1~2 Mbおよび2~3 Mbの区分では類似した長さとなり、3~5Mbの区分ではより長くなります。ベンバ人およびトンガ人と比較して、バトゥア人の2集団【カフエ平原とバングウェウル湿地】およびロジ人集団のROHは最長の区分ではより長く、最近の孤立と近親交配が示唆されます。これはバングウェウル湿地のバトゥア人ではより顕著で、祖先系統構成要素で見ることができ、バングウェウル湿地のバトゥア人はK=12での自身の祖先系統構成要素を形成します。地理的孤立は、バトゥア人の両共同体【カフエ平原とバングウェウル湿地】、とくにバングウェウル湿地のバトゥア人ついて、接近困難な季節的な洪水発生の景観に暮らす点で役割を果たしているかもしれません。しかし、ザンビア人口集団のROH分布は、本論文で提示された他の分析に影響を及ぼすかもしれない、きょくたんなパターンを示唆していません。
●ザンビアの人口集団における父系
SNAPPY59で、ザンビアの男性74個体のY染色体ハプログループ(YHg)が特定されました。バトゥア人集団では、YHg-E1b1a1(M2)の下位系統のYHgが大半と分かり、とくに、E1b1a1a1a1c1a1a(U174)とE1b1a1a1a2a1(U209)とE1b1a1a1a2a1a3b1a(U290)です。YHg-E1b1a1の下位系統はバントゥー諸語話者人口集団では一般的で、本論文で確認された特定のYHgは、以前に他のザンビア人口集団で報告されました。ザンビア人口集団において異なる分布を示す主要なYHg-Bの6ヶ所のコピーも特定され、農耕牧畜民のB2aとバトゥア人のB2bです。これは農耕牧畜民とバトゥア人との間の祖先系統の違いを反映しているかもしれず、それは、下位系統のYHg-B2bがアフリカの狩猟採集民人口集団と関連しているからです。しかし全体的には、バトゥア人において多くの典型的なバントゥー諸語話者の父系が見つかりました。
一部のザンビア人集団の母系が以前に調べられ、H3Africa第1版コールセット(遺伝的変異の検出で、大量に収集された遺伝子配列の低い割合の領域から配列情報取得)は、アフリカの人口集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の呼び出しに充分な情報をもたらしませんでした。
●性別の偏った混合
祖先系統の観点でX染色体と常染色体を比較すると、性別の偏った混合について情報をもたらします[65]。アフリカ西部供給源とHG供給源(それぞれ、ヨルバ人とジュホアン人によって表されます)からの女性と男性の寄与、および、ザンビアのバトゥア人や農耕牧畜民とKSとRHGとRHGの近隣人口集団を含めて、人口集団の部分集合における対応する性比が計算されました。X染色体と常染色体の祖先系統比も計算されました。アフリカ西部系男性の寄与に対する女性の比率はザンビア人口集団では1未満で、農耕牧畜民では約0.79~0.83、バトゥア人では約0.58~0.70で、アフリカ西部的祖先系統の男性に偏った寄与が示唆されます。HG祖先系統の比率はザンビア人口集団において負で、モデル違反が示唆されます。その絶対値は1より大きく、これは常染色体祖先系統に対するX染色体祖先系統の比率が1より大きいことと組み合わされ、HG供給源の女性に偏った寄与を示唆します。これらの結果とほぼ典型的なバントゥー諸語話者のYHgから全体的に、現在のザンビア人口集団を生み出した混合はアフリカ西部的祖先系統について男性に偏っていた、と示唆され、これはバントゥー諸語拡大を報告した以前の結果と一致します。
●考察
年代順では、バントゥー諸語話者は赤道付近のアフリカにおける最新の人口階層を表しています。バントゥー諸語話者は、以前に存在した複雑な人口の寄せ集めを、置換したか、さらに断片化しました。アフリカの南部と中央部と東部の一部地域では、以前の人口階層の子孫である可能性が高い集団は依然として残っており、たとえば、KSやRHGやハッザ人などです。他地域の以前に存在した集団は、バントゥー諸語話者集団によっておもに吸収および/もしくは置換され、古代DNA研究(たとえば、マラウイで行なわれた[17])と考古学的調査(たとえば、ルアングア渓谷)から、以前に存在していたことが示唆されています。これらバントゥー諸語話者集団以前の理解において間隙を埋め目ことは重要で、この作業は時に関連する期間のヒト遺骸で遺伝的情報を直接的に調べることによって達成できますが、多くの地域と期間では、DNAを保存しているヒト遺骸はまだ発見されていません。次に、その代替案は、バントゥー諸語話者と頻繁に混合したそれ以前の人口階層の潜在的な子孫の調査です。たとえば、KSおよびRHGの代理の中間的集団と、バントゥー諸語話者以前の採食民の未知の祖先系統を表しているように見える集団が、アンゴラ(アフリカ南西部)で特定されました[22]。
同様に、漁撈民および採食民として暮らすザンビアのバトゥア人2集団、つまりカフエ平原のバトゥア人とバングウェウル湿地のバトゥア人について、ザンビアの農耕牧畜民3人口集団およびアフリカ系と非アフリカ系の多様性を表す比較用データとともに、ゲノム規模データが調べられました。この分析は、これらバトゥア人共同体が遺伝的には他のザンビア人口集団とほぼ同様でありながら、独特な少数派の遺伝的構成要素(カフエ平原のバトゥア人では31%、バングウェウル湿地のバトゥア人では19%)を有しており、この遺伝的構成要素は在来の独特なHG人口集団に由来する可能性が高く、現在のHGとは類似性が少ない(KSとRHGの人口集団の中間)、との遺伝学に基づく確証を提供します。
バトゥア人の主要な祖先系統構成要素は、ザンビアの農耕牧畜民のバントゥー諸語話者人口集団およびカメルーンとガボンの西部~中央部のバントゥー諸語話者と最も密接です。少数派のHG供給源との混合は、カフエ平原のバトゥア人では450年前頃で、バングウェウル湿地のバトゥア人ではその2倍古い1140年前頃です。現在の各バトゥア人集団のすぐ近くの最古級の鉄器時代遺跡の較正された放射性炭素年代での考古学的証拠は、これらの混合年代推定値への裏づけを提供します。カフエ平原については、鉄器時代のセバンジ丘(Sebanzi Hill)遺跡は、1525年頃(98.9%の確率)の氾濫原の末端に農耕牧畜民を位置づけます。セバンジ丘の最初の集落は、年代測定されていないその下の堆積物の深さに基づくと1世紀さかのぼるかもしれませんが、この推定値は遺伝的な混合計算と考古学的証拠との間の密接な一致に影響しません。バングウェウル湿地については、バトゥア人地域内に位置するサムフヤ(Samfya)遺跡の考古学的証拠は、682年頃(94.5%の確率)の農耕民の到来を示唆しており、これはザンビアのこの地域におけるより早い混合時期と一致します。
全体的に、推定された年代は、アフリカ西部的構成要素がバントゥー諸語拡大期にザンビアにもたらされたことと一致します、バングウェウル湿地のバトゥア人における推定された混合年代は、モザンビーク南部と南アフリカ共和国のソト人およびズールー人集団における混合の推定年代と類似しています(主要なバントゥー諸語話者農耕民祖先系統と少数派のKS祖先系統との間)。言語では、カフエ平原のバトゥア人は優勢な地元のトンガ語の方言を話します。その方言であるチトワ語は、トンガ本土からの孤立と、その生活様式の採用への抵抗を反映しています。バングウェウル湿地のバトゥア人は農耕牧畜民との接触のより長い歴史があり、おそらくは同化によって言語の独自性を失いしました。
少数派の祖先系統構成要素は、KS的構成要素とRHG的構成要素との間の中間として最適に説明され、KSとの類似性(もしくは割合)が、とくにカフエ平原のバトゥア人集団でより大きくなっています(図1および図3)。この祖先系統構成要素はザンビアの在来HG人口集団(その代表は得られていません)に由来するか、アフリカ南部のKS集団の最近の移住と混合の結果かもしれません。しかし、現在のKS人口集団は少数派の構成要素と良好には一致しません。とくに、バングウェウル湿地のバトゥア人の最も密接な少数派供給源はコエ人集団で、その遺伝的構成はKSとアフリカ西部の祖先系統の混合です。バングウェウル湿地のバトゥア人における少数派構成要素の他の可能性のある供給源は、ひじょうに多様で遺伝的に異なっています。これが示唆するのは、供給源がむしろ、現在のアフリカ南部のKS集団とは関連が遠いザンビアの在来人口集団だった、ということで、これはザンビアとマラウイの中期および後期完新世HG骨格の証拠の現在の解釈と一致します。カフエ平原の端の4000年前頃となる後期石器時代のグウィショーA(Gwisho A)遺跡の頭蓋遺骸の形態学的調査は、KS集団との排他的類似性を示しません。同様の調査結果は、マラウイの中期および後期完新世の頭蓋(5000~500年前頃)で報告されており、この頭蓋はどの現生HG人口集団とも一致しません。アフリカ南東部のHGは形態学的に独特だったようで、遺伝学的結果の解釈を裏づけます。興味深いことに、バトゥア人はeHGの遺伝的構成要素を示さず、マラウイの先史時代個体群もしくはバトゥア人集団から500~700km離れて現在のザンビアに500年前頃に暮らしていた1個体[21]とは対照的です。
これら古代の個体群における祖先系統勾配(アフリカ東部とアフリカ南部の祖先系統間)は中期完新世における移住回廊として解釈されてきましたが、この遺伝子流動はザンビアの中央平原にまでは拡大しなかったようで、マラウイからアフリカ東部へのより地域的な遺伝子流動だったかもしれません。ザンビアのバトゥア人は牧畜民関連のアフリカ東部構成要素を示さず(図1d)、予測されるように、ラクターゼ(Lactase、略してLCT、乳糖分解酵素)活性持続(lactase persistence、略してLP)多様体の割合はひじょうに低くなっており、LCT遺伝子の部位14010の1C(シトシン)と153G(グアニン)アレル(対立遺伝子)の2ヶ所の多様体で、それぞれ0.6%と0%です)。したがって、アフリカ南部に牧畜慣行をもたらしたアフリカ東部牧畜民の移住[16]は、(現在の)ザンビアの西部には到達してザンビアのバトゥア人と混合することありませんでした。
ザンビア集団のHG構成要素には、KSとの類似性に加えて、RHGとの類似性(図1および図2)があります。バトゥア人集団は近隣の農耕牧畜民人口集団よりも強いRHGとの類似性(もしくはより高い割合)を有しているようで、これは、より多くのRHG的なHG集団がバトゥア人の祖先へと少数派供給源をもたらした、と示唆しています。別の筋書きは、バトゥア人の主要な供給源を寄与したのはザンビアに侵入してきた農耕民の第一波で、この農耕民はRHG祖先系統の割合がより高かったものの、ベンバ人とロジ人とトンガ人の祖先が少ないRHG祖先系統を有するバントゥー諸語話者農耕民のその後の移住を介して到来した、というものです。
バトゥア人はほぼ典型的なバントゥー諸語話者農耕民YHgを有しているので、Y染色体のデータだけでは、バトゥア人におけるHG的構成要素を特定できなかったでしょう。これは、バントゥー諸語話者以前の祖先系統の可能性を特定するためには、常染色体のデータが必要であることを論証しています。在来のY染色体系統は多くの場合、バントゥー諸語拡大期に侵入してきた人口集団によって置換されました。ザンビアのバトゥア人で同様のパターンが見つかり、本論文の結果は、アフリカ西部的供給源からバトゥア人への男性に偏った寄与を裏づけますが、HG的供給源の値は女性に偏った寄与を示唆します。モデルの失敗は、HG的供給源の適切な代理の欠如で説明できるかもしれません。これらの結果は、コイサン諸語話者集団からバントゥー諸語話者人口集団への女性の偏った混合を提案し、ザンビアの2人口集団、つまりフウェ人(Fwe)とシャンジョ人(Shanjo)におけるY染色体と皇子の多様性のパターンを説明した先行研究と一致します。言語学的証拠によると、これら2人口集団の祖先は当初カフエ平原に居住しており、それは南西部への移住の前で、これはカフエ平原のバトゥア人と共有されている歴史を示唆しているかもしれません。考古学的証拠も、フウェ人の地理的範囲と重複するザンベジ川中流から上流沿いのHGの紀元二千年紀の存在を示唆していますが、考古学的記録によって提起された人口集団の類似性に関する問題に取り組むには、再びさらなる遺伝学的研究が必要です。
調べられたバトゥア人2集団【カフエ平原とバングウェウル湿地】間には、HG的祖先系統の割合、推定された混合年代、少数派混合供給源の最適な代理である人口集団など、いくつかの違いがあります。これは、在来の人口集団供給源が2ヶ所体【カフエ平原とバングウェウル湿地】間で異なっていたのかどうか、との問題を提起します。農耕牧畜民であるベンバ人とロジ人とトンガ人も少ないHG的遺伝的構成要素を有しており、ADMIXTURE分析では11~13%に相当し、このうち、25%はKS的、65%はRHG的で、これはバトゥア人よりも、KS的構成要素は少なく、RHG的構成要素は多くなります(図2)。MOSAIC分析では、単純な2方向混合モデルがザンビアの農耕牧畜民人口集団に良好に適しており、主要な供給源は他のザンビアの農耕牧畜民人口集団もしくはンジメ人およびンゼビ人と最も近い、と示されました。
ザンビアの農耕牧畜民人口集団で推測された混合事象には、少数派供給源として、たとえばオロモ人(Oromo)やマサイ人やアムハラ人(Amhara)などアフリカ東部のHGではない人口集団が含まれており、大湖やケニアおよびタンザニア沿岸部の現在のバントゥー諸語話者農耕民人口集団およびアフリカ東部の先史時代個体群の観察[17]と同様です。本論文における少数派供給源とその最も近い代理との間のFₛₜ推定値はバトゥア人ではより小さく、農耕牧畜民における少数派供給源は本論文のデータセットにおける人口集団とより近い、と示唆されます。推定された混合年代はザンビアの農耕牧畜民の3人口集団では異なっており、上限により近い(ロジ人では57世代前、トンガ人では41世代前)か、アフリカ東部のどのバントゥー諸語話者人口集団でも推定された年代の下限により近い(ベンバ人では23世代前)かのどちらかです。ザンビアでは、比較言語学のデータに基づくと、トンガ人はバントゥー諸語話者の初期の到来を表しているかもしれません。まとめると、これらの観察から、ザンビアの農耕牧畜民におけるHG的な遺伝的構成要素はバトゥア人とは起源が異なっていた、と示唆されます。
ザンビアのバトゥア人2集団【カフエ平原とバングウェウル湿地】のゲノム規模常染色体データから、このバトゥア人2集団はHG的な遺伝的構成要素を有しており、それぞれその遺伝的構成の約19%と約31%を表している、と明らかになりました。この構成要素は、アフリカ南部のKSおよびアフリカ中央部のRHGとは関係が遠い、在来のHG人口集団に由来する可能性が高そうです。これは、バトゥア人においてその祖先系統の一部がバントゥー諸語話者農耕民の到来に先行するHG人口集団にたどれる、最初の直接的な遺伝学的証拠です。在来HG集団と侵入してきたバントゥー諸語話者農耕民のとの間の混合年代は、北部の人口集団では約38世代前、中央部の人口集団では約15世代前に起きた、と推定されます。これらの結果は、在来のHG的な遺伝的構成要素がほぼ存在しない、モザンビークやマラウイなどの隣国の人口史における違いを浮き彫りにします。
本論文の遺伝学的結果をザンビアおよびマラウイの中期完新世の骨格データと統合すると、かつてこの地域に存在した別のアフリカ中央部南方のHG人口集団の仮説への裏づけが加えられます。農耕牧畜民と比較してのバトゥア人におけるより大きなHG的祖先系統構成要素の保持は、季節的に反乱する湿地帯におけるこれらの共同体の地理的孤立を反映しているかもしれません。これらの結果は、アフリカにおける人口史の複雑さ、とくに、過去数千年間のアフリカ西部および東部からの農耕牧畜民の到来前にアフリカ全域に居住していた人々の歴史の再構築において、バトゥア人など過小評価されている集団の研究の価値を強調します。
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●要約
赤道付近のアフリカには現在、ザンビア東部のルアングア(Luangwa)渓谷へと2000年前頃に農耕をもたらした、アフリカ西部のバントゥー諸語話者集団がおもに居住しています。このバントゥー諸語話者集団の到来前には、この地域には狩猟採集民が居住しており、そうした狩猟採集民は多くの場合、置換されたか退去させられたか同化されました。ザンビアでは、これら縄文人の遺伝的類似性についてほとんど分かっていません。本論文は、バトゥア人として知られており、最近の狩猟採集民の子孫かもしれない、ザンビアの孤立した二つの共同体の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を調べます。このバトゥア人2集団(合計80個体)および比較のための3農耕人口集団の200万ヶ所以上のゲノム規模の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)が遺伝子型決定されて、(1)バトゥア人が過去の狩猟採集民集団と遺伝的つながりを有しているのかどうか判断され、(2)過去のザンビアの狩猟採集民集団の遺伝的類似性が特徴づけられます。バトゥア人は、狩猟採集民的な遺伝的祖先系統とアフリカ西部祖先系統を有しています。この狩猟採集民構成要素は、アフリカ南部の現在のコイサン人祖先系統とアフリカ中央部熱帯雨林の狩猟採集民祖先系統の中間に位置する、独特な局所的痕跡です。
●研究史
アフリカは現生人類(Homo sapiens)の揺籃の地で、高い遺伝と言語と文化の多様性によって特徴づけられます[1]。それにも関わらず、赤道付近のアフリカにおける人口集団の大半はアフリカ西部系のバントゥー諸語話者農耕民で、他の集団と比較して遺伝と言語と文化の均質性を示します[5]。この均質性は、アフリカ西部において5000~4000年前頃に始まり、アフリカ大陸の多くの地域への言語および人々の拡散をもたらした、大規模な移動の結果です[7]。この移住は少なくとも部分的には、農耕慣行の拡大と関連しており(とくに後期では)、過去3000~1000年間に、アフリカ東部、その後でアフリカ南部に到達しました。
中央部や南部を含めてアフリカの多くの地域では、侵入してきたバントゥー諸語話者が在来の採食民集団を置換か退散か同化しました。伝統的に狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)であるか、かつてそうだった一部の集団は、言語や生計慣行や環境の地域や独特な文化的慣行など、自身を近隣集団と区別する、特定の特徴を保持しました。最もよく知られているアフリカの狩猟採集民人口集団には、アフリカ中央部の熱帯雨林狩猟採集民(rainforest hunter-gatherer、略してRHG)や、アフリカ南部のKSや、ハッザ人(Hadza)などアフリカ東部の狩猟採集民(eastern African hunter-gatherers、略してeHG)が含まれます。これらの人口集団は遺伝的にアフリカ西部系の近隣のバントゥー諸語話者人口集団とは異なります[7]。現在、これらの集団の人口規模は小さく、サハラ砂漠以南のアフリカに分散していますが、過去には、そうした人口集団がもっと多く存在していた可能性は高そうです[14]。これら過去の局所的人口集団について知るための一つの方法は、関連資料から古代DNAを取得することです[15~21]。別の方法は、過去の集団と関連する祖先系統を有しているかもしれない、あまり研究されていない地域の少数派の(現在の)集団のゲノムを研究することです[22]。言語学的研究と民族学は、どの人口集団が在来の祖先系統を保持しているのか仮定し、赤道付近のアフリカのバントゥー諸語話者以前の歴史のゲノム規模調査に含める候補人口集団を特定するのに役立ちます。
アフリカの人口集団の配列決定の取り組みの増加にも関わらず、一部の地域もしくは人口集団は依然としてあまり代表されておらず、そうした1地域がアフリカ中央部南方で、この地域には現在ではおもにバントゥー諸語話者牧畜民人口集団が居住しています。アフリカ中央部南方(マラウイとザンビア)の骨格遺骸の形態学的研究では、中期および後期完新世(5000~500年前頃)の集団はKS集団とよりもアフリカ西部人もしくはRHG集団の方と類似しており、中期完新世と後期完新世の人口集団間で大きな変化はなかった、と示唆されています。
ザンビア東部のルアングア(Luangwa)渓谷は、この地域における農耕民と採食民との間の過去の相互作用について、とくに情報をもたらします。ルアングア渓谷における400年頃以降の食料生産の到来の証拠があり、チフムバゼ(Chifumbaze)考古学複合体の南方への拡大に対応します。考古学的研究は100年頃となる農耕民のずっと早い到来、および1700年頃までの在来のHGと侵入してきた農耕民との間の長い重複を示し、1700年頃以後には、HGの存在の証拠はありません。ルアングア渓谷に隣接する高い断崖上では、HGが農耕共同体と19世紀初期まで共存しており、長い共存の同様のパターンはザンビア北部の隣接地域で明らかです。歴史的記録も、ルアングア渓谷の周辺における19世紀後半のHGの存在を示唆しています。そうした長い共存は、ルアングア渓谷の肥沃な土壌と豊富な獲物によって促進されたかもしれず、それは二つの共同体の相対的な独立性維持を可能としました。この地域におけるツェツェバエの蔓延も、農耕牧畜民の拡大を制約し、HG人口集団の存続に寄与してきたかもしれません。
ルアングア渓谷地域ではHG集団は残っていませんが、在来の農耕民共同体であるピサ(Bisa)とクンダ(Kunda)は、その口承史においてHGの存在に言及しています。ピサとクンダのミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体が調べられ、その多様性のほとんどはバントゥー諸語話者人口集団に典型的でした。他のザンビア人口集団の片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の調査結果は同様でした。しかし、これらの観察は、他のアフリカ中央部南方の人口集団が、現生のアフリカ中央部および南部HGと類似していない過去の採食民集団からの祖先系統を有している、もしくは現在のバントゥー諸語話者とは片親性遺伝標識の遺伝子座だけで区別できるほど大きく異なっていたわけではなかった、との可能性を除外しません。じっさい、ザンビアの特定集団は、片親性遺伝標識とその言語における吸着音に基づいてバントゥー諸語話者農耕民と区別されてきており、とくに、ザンビア南西部のフウェ人(Fwe)はKS的な母系を約25%有しています。これは、いくつかの特定の少数派人口集団がより多くの在来祖先系統を有しているかもしれないものの、多数派人口集団はそれを有していない、と示唆しています。
隣国のモザンビークでは、12のバントゥー諸語話者人口集団における常染色体多様性の研究で、仮定的な先住HG集団との混合は殆どもしくは全くなかった、と示されました。古代DNA研究はマラウイについて同様の結論を提示し、最近の人口置換があり、8000~2000年前頃に生きていた個体群は遺伝的にHGと類似しており、より新しい個体群はバントゥー諸語話者農耕民と類似している、と示しています。これら中期~後期完新世のマラウイのHGは、eHGと現在のアフリカ南部のKSの中間の祖先系統に加えて、中程度の割合のRHG祖先系統を有していた、と推測されました[17]。
地元ではバトゥア(BaTwa)として知られる共同体は、バントゥー諸語で人々(Twa)を指すさいの複数形の接頭辞で、ザンビアにおける仮定的な在来HG祖先系統を探すさいには、とくに興味深い存在です。バトゥアという用語は、つ「常に移動する人々」もしくは「他人」を意味する一般的な分類表示で、採食民集団および大湖(Great Lakes)地域から南方へとザンビア中央部にかけて見られる漁撈民に適用されます。初期の遺伝学的研究は、ピグミーと呼ばれる熱帯雨林狩猟採集民である独特な1集団を特定し、この帰属は熱帯雨林の境界を越えてアフリカ中央部南方のほとんど知られていない集団に拡張され、たとえば、ヴァトゥワ人(Vatwa)やバンボテ人(Bambote)やザンビアのバトゥア人ですが、バトゥア人に関しては利用可能な遺伝的データがありませんでした。
ザンビア中央部では、バトゥア人共同体はカフエ(Kafue)氾濫原(平原)とルカンガ(Lukanga)低湿地で見られます。ザンビア北部では、バトゥア人はバングウェウル湖(Lake Bangweulu)湿地とその周辺に暮らしています。カフエ平原のバトゥア人は島々に暮らす孤立した漁撈および狩猟共同体で、最近では農耕を行なう人々もいます。カフエ平原のバトゥア人はチトワ語(Chitwa)話者で、チトワ語はトンガ語(Tonga)もしくはイラ・バントゥー語(Ila Bantu)の方言です。バングウェウル湖湿地のバトゥア人は漁撈および狩猟共同体で、隣人と同じバントゥー諸語であるベンバ語(ChiBemba)を話します。カフエ平原とバングウェウル湖湿地両方の共同体の隣人は、両共同体が同じ言語を話し、周縁化された集団として暮らしていても、両者を自身とはなる集団と認識しています。これらバトゥア人共同体自体は、部外者と自身の過去を議論するのを渋っており、バントゥー諸語話者農耕民の存在において自己認識をバトゥア人とするのを躊躇っています。カフエ平原のバトゥア人の言語学的調査では、バトゥア人とその近隣集団であるイラ人(Ila)は自身をザンビアの先住民とみなしており、ロジ人(Lozi)など、アンゴラもしくはコンゴ民主共国(Democratic Republic of Congo、略してDRC)のような他国に起源をたどる他の近隣集団とは対照的である、と報告されています。ベンバ人(Bemba)と関連するバングウェウル湿地のバウンガ人(BaUnga)は、DRCから到来したさいにバトゥア人を見つけた、と報告しています。バトゥア人の遠い過去については、それ以上はほとんど知られていません。
バトゥア人の在来狩猟採集民祖先系統の可能性の問題に取り組むため、バングウェウル湖のバトゥア人とロッチンバー国立公園(Lochinvar National Park)近くのカフエ平原のバトゥア人の2集団それぞれから40個体のゲノム規模のSNPデータが生成されました(図1a)。アフリカ人の遺伝的多様性を把握するため特別に設計された、イルミナ(Illumina)社のH3アフリカ配列が使用されました。近隣人口集団の文脈にバトゥア人の遺伝的多様性を置くため、ザンビアのバントゥー諸語話者の農耕牧畜民である3人口集団、つまりベンバ人とロジ人とトンガ人の個体群[53]とともにデータが分析されました。本論文は、サハラ砂漠以南のアフリカ人口集団に焦点を当て、世界規模の遺伝的多様性の文脈でこれらザンビアの人口集団の常染色体の遺伝的多様性を報告します。本論文は、過去の混合事象を含めて、バトゥア人の人口統計学的歴史も特徴づけます。以下は本論文の図1です。
●ザンビア人口集団の遺伝的類似性
344644個の多様体と39人口集団の973個体を含むデータセット(図1b)においてアフリカ人口集団の多様な一式およびアフリカ外の2人口集団とともに、ザンビアの5人口集団間の人口関係が調べられました(図1a、表1)。主成分分析(principal component analysis、略してPCA)の最初の軸はアフリカの人口集団を非アフリカ系人口集団から分離します。その後の軸はさまざまなアフリカ人集団を分離します。サハラ砂漠以南のアフリカの遺伝的多様性を表す3人口集団、つまりKSであるジュホアン人(Ju|’hoansi)とアフリカ西部のニジェール・コンゴ語族話者であるヨルバ人とRHGであるカメルーンのバカ人(Baka)のPCAに、ザンビアの5人口集団が投影されました(図1c)。このPCA空間では、バトゥア人個体群はアフリカ西部のヨルバ人から(ほぼ、ベンバ人とロジ人とトンガ人から始まります)ジュホアン人とバカ人の間の空間に向かっての、勾配を形成します。
カフエ平原の個体群は、バングウェウル湿地の個体群よりも、ベンバ人とロジ人とトンガ人からさらに離れています。この勾配は三角形のバカ人クラスタ(まとまり)に向かってやや偏っており、バカ人およびジュホアン人との中間的な関係を示唆します。ザンビアの農耕牧畜民の3人口集団はともに、バトゥア人の近くでまとまりますが、ヨルバ人の方へとよりずれています。これは、ザンビアの農耕牧畜民も、より少ないとはいえ、HG集団からの寄与を有しているかもしれない、と示唆しています。同様の観察は、投影されていないPCAでも見ることができます。ヨルバ人を、農耕牧畜移民の祖先系統のより適した代理かもしれない、カメルーンのバントゥー諸語話者人口集団であるンジメ人(Nzime)に置換すると、投影されたPCAで同様の結果が見つかりました。西部RHGであるバカ人を、HG遺伝的構成要素の代替的供給源かもしれないウガンダの東部RHGバトゥア人と置換しても、同様の結果が見つかりました。さらに、関係の同様のパターンは、39の人口集団を用いてPCA軸を構築するか、古代のアフリカ個体群のデータを含めると観察され、参照人口集団の選択はザンビア集団の祖先系統の関係にほとんど影響がない、と示唆されます。
2~12の遺伝的祖先系統構成要素(K)を仮定して、ADMIXTUREに実装された手法を用いて、推定祖先系統構成要素が推測されました。K=2では、一方のクラスタにはおもにアフリカ人口集団の個体群が、もう一方のクラスタにはほぼ非アフリカ系人口集団の個体群が含まれました。K=3では、1構成要素がジュホアン人(KS)で最大化されます。K=6での新たな構成要素はカメルーンのバカ人(RHG)とアフリカ東部人口集団でそれぞれ最大化され、エチオピアのチャブ人(Chabu、Sabue)狩猟採集民集団の遺伝的構成員の80.1%を占め、平均標準誤差(standard error of mean、略してsem)は0.39%です(図1d)。ニジェール・コンゴ語族話者であるヨルバ人で最大化される構成要素(95.1%、semは0.23%)は、以下の段落でアフリカ西部的祖先系統と呼ばれます。しかし、これは現在の人口分布を反映しておらず、祖先構成要素とみなすべきことに要注意です。この構成要素を高い割合で有する人口集団の一部、たとえばズールー人(Zulu)は、アフリカ西部との祖先のつながりがあります。Kの値がより大きくなると、単一の人口集団に特有の構成要素が含まれ、たとえば、タンザニアのハッザ人(K=7)、ウガンダの東部RHGとなるバトゥア人(K=9)、エチオピアのチャブ人(K=10)、これらの人口集団のいくつかは、人口規模が小さいので、遺伝的浮動の影響をより受けやすいと知られており、独特な祖先系統構成要素として現れることが多くあります。
6個の推定祖先系統構成要素に焦点が当てられ、それは、K=6で明確な主要形態があり、ザンビアの個体群について完結に祖先系統情報を要約しているからです。主要な4構成要素がザンビアの人口集団には存在し、それは、KS的、RHG的、アフリカ西部(western Africa、略してwA)的、eHG的です。非アフリカ系人口集団で最大化される他の2個の構成要素は、ザンビアの人口集団では0.01~0.31%を表しており、例外は1.92%を示すロジ人です(このより高い割合は2個体に起因します)。KS的とRHG的とeHG的な構成要素の合計は、カフエ平原のバトゥア人の遺伝的祖先系統の約31.3%(semは1.4%)、バングウェウル湿地のバトゥア人の約18.9%(semは0.5%)、ザンビアの農耕牧畜民の11~13%(ベンバ人は約10.9%でsemが0.6%、ロジ人は約10.5%でsemが0.3%、トンガ人は約12.7%でsemは0.6%)を表しています(図2)。以下は本論文の図2です。
ザンビア人口集団の非アフリカ西部構成要素における、KS的とRHG的とeHG的な構成要素の相対的割合が計算されました。KS的構成要素の相対的割合は、ザンビアの農耕牧畜民(約25%)と比較して、バトゥア人集団でより大きくなります(カフエ平原集団では50%、バングウェウル湿地集団では40%)。RHG的構成要素の相対的割合は、バトゥア人(カフエ平原集団では約49%、バングウェウル湿地集団では約40%)より、ザンビアの農耕牧畜民人口集団(約63~67%)でより大きくなります。ザンビアの5人口集団では、eHG的な遺伝的割合はKS的およびRHG的構成要素より低くなり、約9~12%です。さまざまな狩猟採集民の遺伝的類似性の同様のパターンは、古代のアフリカ個体群のデータを含めても観察されました。
●ザンビア人口集団における混合の性質の特徴づけ
ネットも密接なHG供給源人口集団を判断するため、ザンビアの5人口集団が、(1)アフリカ西部供給源(ヨルバ人により表されます)と、(2)アフリカの南部か中央部か東部のHG供給源間の(2方向で)混合されていたのかどうか、f₃統計で検証されました。先史時代(隣国のマラウイの個体群が含まれます)と現在両方の個体群が、HGにとって可能性のある供給源人口集団として検証されました。カフエ平原のバトゥア人は南アフリカ共和国のバリット・ベイ(Ballito Bay)遺跡の石器時代(2000年前頃)の1個体、および現在のサン人(ジュホアン人)との有意な類似性を示しますが、RHG人口集団とは類似性を示しません。低いZ得点によって示されるように(ただ、有意ではなく、先史時代マラウイ個体群の限定的なデータ量に起因する可能性が高そうです)、先史時代マラウイ個体群との遺伝的類似性もあるようです。ザンビアの他の4人口集団は検証された集団のどれとも明確な類似性を示さず、おそらくは、(1)中程度から低いHG祖先系統の割合、(2)ザンビアの人口集団におけるHG祖先系統構成要素が検証された供給源人口集団と完全には一致しないこと、(3)f₃統計の限定的な検出力の組み合わせに起因います。
カフエ平原のバトゥア人について可能性のある複数の混合事象を体系的に調べるため、ADMIXTOOLS 2のfind_graphs関数を用いて、最大4回の混合事象で大規模な混合図一式が調べられました。最も適合したのは、3回の混合事象のある図でした。すべての検証された組み合わせで、カフエ平原のバトゥア人を含む混合事象は1回だけで、これは、HG人口集団(ジュホアン人と関連する1集団によって表される図において)とアフリカ西部人と関連する1集団との間の混合事象を示します。有意ではないf₃検定を示したザンビアの4人口集団について分析を繰り返すと、ごく小さなHGの寄与(ロジ人では3%)が検出されるか、有意ではないf₃検定から予測されるようにHGの寄与は検出されませんでした。
f₄比検定を用いて、現在のHG人口集団からの混合割合がさらに推定されました。ジュホアン人により表されるKS祖先系統についてのf₄比の結果(人口集団の接続形態の過程に基づいています、図3a)は、モデルフリー分析(PCA、ADMIXTURE、図1c・d)によって示唆されたパターンと一致します。推定された祖先系統の割合は、カフエ平原のバトゥア人では約21.2%(標準誤差0.6%)、バングウェウル湿地のバトゥア人では約9.7%(標準誤差0.6%)です。ザンビアの農耕牧畜民について、KSとの混合の推定割合は、トンガ人では約4.2%、ベンバ人では約2.4%、ロジ人では約0.3%です。可能性のあるKS混合供給源人口集団をRHG混合供給源人口集団(カメルーンのバカ人もしくはウガンダのバトゥア人により表されます)と置換すると、推定されたHGとの混合割合はより高くなりますが、同じパターンが現れ、その推定割合は、バングウェウル湿地のバトゥア人と比較してカフエ平原のバトゥア人では2倍です(図3b)。しかし、ザンビア人口集団を生み出したRHG集団からアフリカ西部集団への単一の寄与が、f₃検定に裏づけられなかったことに要注意です。
最後に、ザンビアの人口集団へのeHG人口集団(ハッザ人もしくはチャブ人)からの祖先系統の証拠はありません。さまざまな供給源人口集団について推定された混合割合は強く相関しており、KSとRHGの祖先系統、RHGの東西の祖先系統、eHG祖先系統については正の相関でした。これらの傾向から、この検定が非アフリカ西部系遺伝的祖先系統構成要素の類似の兆候を検出している、と示されます。この構成要素について一致する代理がない場合、検定はこのアフリカ西部祖先系統の検出に同等に適しているようです。KSとRHGの祖先系統間の正の相関は、非アフリカ西部構成要素がKSとRHGの祖先系統の中間だった、との他の観察と一致します。以下は本論文の図3です。
モデルに基づく手法であるMOSAICを用いて、ザンビアの人口集団における潜在的な混合事象が特徴づけられました。参照パネルの指定のない2方向混合モデル(すべての人口集団はモデルの構築に使用でき、混合供給源のある類似性の観点で評価されます)は、ザンビアの人口集団では良好に適合します。この混合事象はバングウェウル湿地のバトゥア人では約38世代前(1世代30年と仮定すると1140年前頃)、カフエ平原のバトゥア人では約15世代前(450年前頃)と推定されます。ベンバ人の年代は約23世代前(690年前頃)で、ロジ人(約57世代前、1710年前頃)とトンガ人(約41世代前、1220年前頃)ではより古くなります。追加の人口集団のブートストラップ反復と年代は、補足表6に要約されています。
すべてのザンビアの5人口集団すべてについて、主要な祖先系統構成要素はザンビアの農耕牧畜民人口集団や、アフリカ中央部西方のバントゥー諸語話者人口集団であるンゼビ人(Nzebi)およびンジメ人と、遺伝的に最も類似しており、つまりは最小のFₛₜ(fixation index、2集団の遺伝的分化の程度を示す固定指数)です。少数派の祖先系統構成要素については、最も密接な可能性がある供給源は、ザンビアの人口集団間で異なります。カフエ平原のバトゥア人については、可能性のある上位5供給源は現代のKS人口集団です。バングウェウル湿地のバトゥア人については、可能性のある供給源は、KS祖先系統とアフリカ西部祖先系統を有する混合人口集団(図1d)であるコエ人(Khwe)で、それに続くのが、カフエ平原のバトゥア人、KSからの混合を有する南アフリカ共和国のバントゥー諸語話者人口集団であるソト人(Sotho)、アフリカ東部のサイ人(Maasai)、別のKS人口集団であるコマニ人(#Khomani)です。
農耕牧畜民については、わずかに寄与した供給源は、さまざまなアフリカ東部人口集団と最も密接です。この少数派供給源のFₛₜ値はバングウェウル湿地(約0.12)とカフエ平原(約0.06)のバトゥア人では、ザンビアの農耕牧畜民(約0.02)および主要な供給源の5人口集団(約0.001)より明らかに大きいことに要注意です。これが示唆するのは、本論文の人口集団一式には、少数派の祖先系統構成要素で適した人口集団の代理を有しているように見える農耕牧畜民とは対照的に、バトゥア人の2集団【カフエ平原とバングウェウル湿地】における少数派の混合供給源と遺伝的に近い人口集団が含まれない、ということです。比較すると、南アフリカ共和国の南東バントゥー諸語話者における少数派の供給源は、さまざまなKS人口集団と最も近く、そのFₛₜ値は尤も密接な5人口集団については0~0.02です。
●一部のザンビア人口集団における最近の孤立の可能性
同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の分布(長さと数)は、特定の過程を示唆しているかもしれず、たとえば、長い連続領域は小さな人口規模もしくは近親交配を示唆します。ROHの合計の長さ(人口集団での平均、図4)は、以前の報告と類似しています。ザンビアの農耕牧畜民の2人口集団、つまりベンバ人とトンガ人はROH長の下限にあり、マンディンカ人(Mandinka)やヨルバ人など他のニジェール・コンゴ語族話者人口集団と類似しています。ロジ人とカフエ平原のバトゥア人の合計ROH長はわずかにより大きいものの、下限に留まっており、平均値はそれぞれ1950万塩基対(19.5 Mb)と21.5 Mbで、21.4 Mbの南アフリカ共和国のカッレッジェ人(Karretjie)と類似しています。バングウェウル湿地のバトゥア人はザンビアの人口集団では最も長い合計ROH長を有しており(平均値は38.4 Mb)、分散も最大です。しかし、この長さは中間的な値にあり、コエ人もしくはトゥブゥ人(Toubou)などの人口集団と類似しています(平均値はそれぞれ41.2 Mbと41.5 Mb)。以下は本論文の図4です。
ROHを長さで分類すると、バングウェウル湿地のバトゥア人はザンビア人口集団において3区分では最も長いROHを有していますが、カフエ平原のバトゥア人とロジ人のROHはベンバ人やトンガ人と比較して、1~2 Mbおよび2~3 Mbの区分では類似した長さとなり、3~5Mbの区分ではより長くなります。ベンバ人およびトンガ人と比較して、バトゥア人の2集団【カフエ平原とバングウェウル湿地】およびロジ人集団のROHは最長の区分ではより長く、最近の孤立と近親交配が示唆されます。これはバングウェウル湿地のバトゥア人ではより顕著で、祖先系統構成要素で見ることができ、バングウェウル湿地のバトゥア人はK=12での自身の祖先系統構成要素を形成します。地理的孤立は、バトゥア人の両共同体【カフエ平原とバングウェウル湿地】、とくにバングウェウル湿地のバトゥア人ついて、接近困難な季節的な洪水発生の景観に暮らす点で役割を果たしているかもしれません。しかし、ザンビア人口集団のROH分布は、本論文で提示された他の分析に影響を及ぼすかもしれない、きょくたんなパターンを示唆していません。
●ザンビアの人口集団における父系
SNAPPY59で、ザンビアの男性74個体のY染色体ハプログループ(YHg)が特定されました。バトゥア人集団では、YHg-E1b1a1(M2)の下位系統のYHgが大半と分かり、とくに、E1b1a1a1a1c1a1a(U174)とE1b1a1a1a2a1(U209)とE1b1a1a1a2a1a3b1a(U290)です。YHg-E1b1a1の下位系統はバントゥー諸語話者人口集団では一般的で、本論文で確認された特定のYHgは、以前に他のザンビア人口集団で報告されました。ザンビア人口集団において異なる分布を示す主要なYHg-Bの6ヶ所のコピーも特定され、農耕牧畜民のB2aとバトゥア人のB2bです。これは農耕牧畜民とバトゥア人との間の祖先系統の違いを反映しているかもしれず、それは、下位系統のYHg-B2bがアフリカの狩猟採集民人口集団と関連しているからです。しかし全体的には、バトゥア人において多くの典型的なバントゥー諸語話者の父系が見つかりました。
一部のザンビア人集団の母系が以前に調べられ、H3Africa第1版コールセット(遺伝的変異の検出で、大量に収集された遺伝子配列の低い割合の領域から配列情報取得)は、アフリカの人口集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の呼び出しに充分な情報をもたらしませんでした。
●性別の偏った混合
祖先系統の観点でX染色体と常染色体を比較すると、性別の偏った混合について情報をもたらします[65]。アフリカ西部供給源とHG供給源(それぞれ、ヨルバ人とジュホアン人によって表されます)からの女性と男性の寄与、および、ザンビアのバトゥア人や農耕牧畜民とKSとRHGとRHGの近隣人口集団を含めて、人口集団の部分集合における対応する性比が計算されました。X染色体と常染色体の祖先系統比も計算されました。アフリカ西部系男性の寄与に対する女性の比率はザンビア人口集団では1未満で、農耕牧畜民では約0.79~0.83、バトゥア人では約0.58~0.70で、アフリカ西部的祖先系統の男性に偏った寄与が示唆されます。HG祖先系統の比率はザンビア人口集団において負で、モデル違反が示唆されます。その絶対値は1より大きく、これは常染色体祖先系統に対するX染色体祖先系統の比率が1より大きいことと組み合わされ、HG供給源の女性に偏った寄与を示唆します。これらの結果とほぼ典型的なバントゥー諸語話者のYHgから全体的に、現在のザンビア人口集団を生み出した混合はアフリカ西部的祖先系統について男性に偏っていた、と示唆され、これはバントゥー諸語拡大を報告した以前の結果と一致します。
●考察
年代順では、バントゥー諸語話者は赤道付近のアフリカにおける最新の人口階層を表しています。バントゥー諸語話者は、以前に存在した複雑な人口の寄せ集めを、置換したか、さらに断片化しました。アフリカの南部と中央部と東部の一部地域では、以前の人口階層の子孫である可能性が高い集団は依然として残っており、たとえば、KSやRHGやハッザ人などです。他地域の以前に存在した集団は、バントゥー諸語話者集団によっておもに吸収および/もしくは置換され、古代DNA研究(たとえば、マラウイで行なわれた[17])と考古学的調査(たとえば、ルアングア渓谷)から、以前に存在していたことが示唆されています。これらバントゥー諸語話者集団以前の理解において間隙を埋め目ことは重要で、この作業は時に関連する期間のヒト遺骸で遺伝的情報を直接的に調べることによって達成できますが、多くの地域と期間では、DNAを保存しているヒト遺骸はまだ発見されていません。次に、その代替案は、バントゥー諸語話者と頻繁に混合したそれ以前の人口階層の潜在的な子孫の調査です。たとえば、KSおよびRHGの代理の中間的集団と、バントゥー諸語話者以前の採食民の未知の祖先系統を表しているように見える集団が、アンゴラ(アフリカ南西部)で特定されました[22]。
同様に、漁撈民および採食民として暮らすザンビアのバトゥア人2集団、つまりカフエ平原のバトゥア人とバングウェウル湿地のバトゥア人について、ザンビアの農耕牧畜民3人口集団およびアフリカ系と非アフリカ系の多様性を表す比較用データとともに、ゲノム規模データが調べられました。この分析は、これらバトゥア人共同体が遺伝的には他のザンビア人口集団とほぼ同様でありながら、独特な少数派の遺伝的構成要素(カフエ平原のバトゥア人では31%、バングウェウル湿地のバトゥア人では19%)を有しており、この遺伝的構成要素は在来の独特なHG人口集団に由来する可能性が高く、現在のHGとは類似性が少ない(KSとRHGの人口集団の中間)、との遺伝学に基づく確証を提供します。
バトゥア人の主要な祖先系統構成要素は、ザンビアの農耕牧畜民のバントゥー諸語話者人口集団およびカメルーンとガボンの西部~中央部のバントゥー諸語話者と最も密接です。少数派のHG供給源との混合は、カフエ平原のバトゥア人では450年前頃で、バングウェウル湿地のバトゥア人ではその2倍古い1140年前頃です。現在の各バトゥア人集団のすぐ近くの最古級の鉄器時代遺跡の較正された放射性炭素年代での考古学的証拠は、これらの混合年代推定値への裏づけを提供します。カフエ平原については、鉄器時代のセバンジ丘(Sebanzi Hill)遺跡は、1525年頃(98.9%の確率)の氾濫原の末端に農耕牧畜民を位置づけます。セバンジ丘の最初の集落は、年代測定されていないその下の堆積物の深さに基づくと1世紀さかのぼるかもしれませんが、この推定値は遺伝的な混合計算と考古学的証拠との間の密接な一致に影響しません。バングウェウル湿地については、バトゥア人地域内に位置するサムフヤ(Samfya)遺跡の考古学的証拠は、682年頃(94.5%の確率)の農耕民の到来を示唆しており、これはザンビアのこの地域におけるより早い混合時期と一致します。
全体的に、推定された年代は、アフリカ西部的構成要素がバントゥー諸語拡大期にザンビアにもたらされたことと一致します、バングウェウル湿地のバトゥア人における推定された混合年代は、モザンビーク南部と南アフリカ共和国のソト人およびズールー人集団における混合の推定年代と類似しています(主要なバントゥー諸語話者農耕民祖先系統と少数派のKS祖先系統との間)。言語では、カフエ平原のバトゥア人は優勢な地元のトンガ語の方言を話します。その方言であるチトワ語は、トンガ本土からの孤立と、その生活様式の採用への抵抗を反映しています。バングウェウル湿地のバトゥア人は農耕牧畜民との接触のより長い歴史があり、おそらくは同化によって言語の独自性を失いしました。
少数派の祖先系統構成要素は、KS的構成要素とRHG的構成要素との間の中間として最適に説明され、KSとの類似性(もしくは割合)が、とくにカフエ平原のバトゥア人集団でより大きくなっています(図1および図3)。この祖先系統構成要素はザンビアの在来HG人口集団(その代表は得られていません)に由来するか、アフリカ南部のKS集団の最近の移住と混合の結果かもしれません。しかし、現在のKS人口集団は少数派の構成要素と良好には一致しません。とくに、バングウェウル湿地のバトゥア人の最も密接な少数派供給源はコエ人集団で、その遺伝的構成はKSとアフリカ西部の祖先系統の混合です。バングウェウル湿地のバトゥア人における少数派構成要素の他の可能性のある供給源は、ひじょうに多様で遺伝的に異なっています。これが示唆するのは、供給源がむしろ、現在のアフリカ南部のKS集団とは関連が遠いザンビアの在来人口集団だった、ということで、これはザンビアとマラウイの中期および後期完新世HG骨格の証拠の現在の解釈と一致します。カフエ平原の端の4000年前頃となる後期石器時代のグウィショーA(Gwisho A)遺跡の頭蓋遺骸の形態学的調査は、KS集団との排他的類似性を示しません。同様の調査結果は、マラウイの中期および後期完新世の頭蓋(5000~500年前頃)で報告されており、この頭蓋はどの現生HG人口集団とも一致しません。アフリカ南東部のHGは形態学的に独特だったようで、遺伝学的結果の解釈を裏づけます。興味深いことに、バトゥア人はeHGの遺伝的構成要素を示さず、マラウイの先史時代個体群もしくはバトゥア人集団から500~700km離れて現在のザンビアに500年前頃に暮らしていた1個体[21]とは対照的です。
これら古代の個体群における祖先系統勾配(アフリカ東部とアフリカ南部の祖先系統間)は中期完新世における移住回廊として解釈されてきましたが、この遺伝子流動はザンビアの中央平原にまでは拡大しなかったようで、マラウイからアフリカ東部へのより地域的な遺伝子流動だったかもしれません。ザンビアのバトゥア人は牧畜民関連のアフリカ東部構成要素を示さず(図1d)、予測されるように、ラクターゼ(Lactase、略してLCT、乳糖分解酵素)活性持続(lactase persistence、略してLP)多様体の割合はひじょうに低くなっており、LCT遺伝子の部位14010の1C(シトシン)と153G(グアニン)アレル(対立遺伝子)の2ヶ所の多様体で、それぞれ0.6%と0%です)。したがって、アフリカ南部に牧畜慣行をもたらしたアフリカ東部牧畜民の移住[16]は、(現在の)ザンビアの西部には到達してザンビアのバトゥア人と混合することありませんでした。
ザンビア集団のHG構成要素には、KSとの類似性に加えて、RHGとの類似性(図1および図2)があります。バトゥア人集団は近隣の農耕牧畜民人口集団よりも強いRHGとの類似性(もしくはより高い割合)を有しているようで、これは、より多くのRHG的なHG集団がバトゥア人の祖先へと少数派供給源をもたらした、と示唆しています。別の筋書きは、バトゥア人の主要な供給源を寄与したのはザンビアに侵入してきた農耕民の第一波で、この農耕民はRHG祖先系統の割合がより高かったものの、ベンバ人とロジ人とトンガ人の祖先が少ないRHG祖先系統を有するバントゥー諸語話者農耕民のその後の移住を介して到来した、というものです。
バトゥア人はほぼ典型的なバントゥー諸語話者農耕民YHgを有しているので、Y染色体のデータだけでは、バトゥア人におけるHG的構成要素を特定できなかったでしょう。これは、バントゥー諸語話者以前の祖先系統の可能性を特定するためには、常染色体のデータが必要であることを論証しています。在来のY染色体系統は多くの場合、バントゥー諸語拡大期に侵入してきた人口集団によって置換されました。ザンビアのバトゥア人で同様のパターンが見つかり、本論文の結果は、アフリカ西部的供給源からバトゥア人への男性に偏った寄与を裏づけますが、HG的供給源の値は女性に偏った寄与を示唆します。モデルの失敗は、HG的供給源の適切な代理の欠如で説明できるかもしれません。これらの結果は、コイサン諸語話者集団からバントゥー諸語話者人口集団への女性の偏った混合を提案し、ザンビアの2人口集団、つまりフウェ人(Fwe)とシャンジョ人(Shanjo)におけるY染色体と皇子の多様性のパターンを説明した先行研究と一致します。言語学的証拠によると、これら2人口集団の祖先は当初カフエ平原に居住しており、それは南西部への移住の前で、これはカフエ平原のバトゥア人と共有されている歴史を示唆しているかもしれません。考古学的証拠も、フウェ人の地理的範囲と重複するザンベジ川中流から上流沿いのHGの紀元二千年紀の存在を示唆していますが、考古学的記録によって提起された人口集団の類似性に関する問題に取り組むには、再びさらなる遺伝学的研究が必要です。
調べられたバトゥア人2集団【カフエ平原とバングウェウル湿地】間には、HG的祖先系統の割合、推定された混合年代、少数派混合供給源の最適な代理である人口集団など、いくつかの違いがあります。これは、在来の人口集団供給源が2ヶ所体【カフエ平原とバングウェウル湿地】間で異なっていたのかどうか、との問題を提起します。農耕牧畜民であるベンバ人とロジ人とトンガ人も少ないHG的遺伝的構成要素を有しており、ADMIXTURE分析では11~13%に相当し、このうち、25%はKS的、65%はRHG的で、これはバトゥア人よりも、KS的構成要素は少なく、RHG的構成要素は多くなります(図2)。MOSAIC分析では、単純な2方向混合モデルがザンビアの農耕牧畜民人口集団に良好に適しており、主要な供給源は他のザンビアの農耕牧畜民人口集団もしくはンジメ人およびンゼビ人と最も近い、と示されました。
ザンビアの農耕牧畜民人口集団で推測された混合事象には、少数派供給源として、たとえばオロモ人(Oromo)やマサイ人やアムハラ人(Amhara)などアフリカ東部のHGではない人口集団が含まれており、大湖やケニアおよびタンザニア沿岸部の現在のバントゥー諸語話者農耕民人口集団およびアフリカ東部の先史時代個体群の観察[17]と同様です。本論文における少数派供給源とその最も近い代理との間のFₛₜ推定値はバトゥア人ではより小さく、農耕牧畜民における少数派供給源は本論文のデータセットにおける人口集団とより近い、と示唆されます。推定された混合年代はザンビアの農耕牧畜民の3人口集団では異なっており、上限により近い(ロジ人では57世代前、トンガ人では41世代前)か、アフリカ東部のどのバントゥー諸語話者人口集団でも推定された年代の下限により近い(ベンバ人では23世代前)かのどちらかです。ザンビアでは、比較言語学のデータに基づくと、トンガ人はバントゥー諸語話者の初期の到来を表しているかもしれません。まとめると、これらの観察から、ザンビアの農耕牧畜民におけるHG的な遺伝的構成要素はバトゥア人とは起源が異なっていた、と示唆されます。
ザンビアのバトゥア人2集団【カフエ平原とバングウェウル湿地】のゲノム規模常染色体データから、このバトゥア人2集団はHG的な遺伝的構成要素を有しており、それぞれその遺伝的構成の約19%と約31%を表している、と明らかになりました。この構成要素は、アフリカ南部のKSおよびアフリカ中央部のRHGとは関係が遠い、在来のHG人口集団に由来する可能性が高そうです。これは、バトゥア人においてその祖先系統の一部がバントゥー諸語話者農耕民の到来に先行するHG人口集団にたどれる、最初の直接的な遺伝学的証拠です。在来HG集団と侵入してきたバントゥー諸語話者農耕民のとの間の混合年代は、北部の人口集団では約38世代前、中央部の人口集団では約15世代前に起きた、と推定されます。これらの結果は、在来のHG的な遺伝的構成要素がほぼ存在しない、モザンビークやマラウイなどの隣国の人口史における違いを浮き彫りにします。
本論文の遺伝学的結果をザンビアおよびマラウイの中期完新世の骨格データと統合すると、かつてこの地域に存在した別のアフリカ中央部南方のHG人口集団の仮説への裏づけが加えられます。農耕牧畜民と比較してのバトゥア人におけるより大きなHG的祖先系統構成要素の保持は、季節的に反乱する湿地帯におけるこれらの共同体の地理的孤立を反映しているかもしれません。これらの結果は、アフリカにおける人口史の複雑さ、とくに、過去数千年間のアフリカ西部および東部からの農耕牧畜民の到来前にアフリカ全域に居住していた人々の歴史の再構築において、バトゥア人など過小評価されている集団の研究の価値を強調します。
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