網野善彦『歴史としての戦後史学 ある歴史家の証言』

 角川ソフィア文庫の一冊として、KADOKAWAから2018年9月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、戦後歴史学の初期から関わってきた歴史学の研究者である網野善彦氏の視点からの戦後歴史学の研究史であり、網野氏の自伝的側面もあるように思います。歴史学を専攻していれば、研究史について学ぶ機会があるでしょうし、戦後歴史学についても一定以上把握しているのでしょうが、私のように歴史学を専攻したことのない門外漢だと、研究史の理解が曖昧であることは多く、その意味でも本書は有益でした。一般的に、専門家と非専門家の間で大きな違いの一つとして、研究史の理解度があるように思います。

 網野氏が国民的歴史学運動に深く関わり、そこでの自らの振る舞いを晩年まで強く批判していたことは、以前に網野氏の著書で読んだ記憶がありました。本書では、自らを真に危険な場所に置かず、会議の日々を過ごし、口先だけは「革命的」に語り、「封建革命」や「封建制度」について愚劣な恥ずべき文章を得意げに書いていた、と当時の自分の振る舞いが強く批判されていました。網野氏は当時の自身を、自らの功名のため、人を病や死に追いやった「戦争犯罪人」そのものだった、とまで批判しています。網野氏が自分の愚かさと罪深さを自覚したのは、1953年夏のことだったそうです。

 著者は戦後歴史学の初期から関わってきた当事者だけに、本書は単なる研究史ではなく、研究史の史料としての性格も有しているように思われます。私のような歴史学の門外漢で、人並み(以上かもしれませんが)に下衆な人間にとって、戦後歴史学の意義とその背景、およびそれに基づく論点の整理といった、研究史の王道的叙述とともに、当事者の語る人間関係というか人間模様は興味深いものでした。どんな分野でもそうでしょうが、歴史学でも、色々と感情による人間関係をめぐる問題があったようです。網野氏は、渋沢敬三が創設したアチック・ミューゼアムを前身とする日本常民文化研究所に務めていた頃、「アメリカ帝国主義の手先(スパイ)」と言われたそうで、当時そのように「アメリカ帝国主義の手先」と陰で言われていた研究者は他にもいたそうです。こうした点も含めて、本書は興味深く読み進められました。

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