フランス南部の後期新石器時代墓地被葬者のゲノムデータ

 フランス南部の後期新石器時代の墓地被葬者のゲノムデータを報告した研究(Arzelier et al., 2024)が公表されました。本論文は、フランス南部ガール(Gard)県コルコンヌ(Corconne)のアヴェン・デ・ラ・ブークル(Aven de la Boucle、略してBOU)遺跡の集団埋葬の被葬者のゲノムデータを報告し、当時の埋葬慣行が考察されています。ゲノム解析の結果、被葬者の3/4以上が男性と特定され、この共同体の埋葬選択における顕著な性別の偏りが示唆されます。また、この共同体では男系での社会的地位の継承が行なわれていたようで、先史時代の社会慣行を検証するうえで、古代ゲノム研究が大きく役立つことを、改めて示しているように思います。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。


●要約

 フランス南部ガール県コルコンヌのアヴェン・デ・ラ・ブークルは、紀元前3600~紀元前2800年頃に集団埋葬として使用されたカルスト地形の立坑です。この遺跡には、散乱して混在している遺骸によって表される約75個体の骨格遺骸が含まれており、その大半は成人個体から構成されています。これまで、新石器時代の集団埋葬に取り組むために古代DNAの可能性を調べた研究はほとんどなく、そうした構造内の葬儀の選択規則には依然として議論の余地が多くあります。本論文では、考古人類学的データのある37個体のゲノム解析と放射性炭素年代のベイズモデル化が組み合わされます。本論文はこの学際的手法を用いて、死者の帰属性およびその関係の特徴づけや、この共同体の遺伝的多様性と葬儀の動態の解明を目的とします。ゲノム解析の結果、76%が男性新石器時代個体と特定され、顕著な性別の偏った選択が示唆されます。利用可能なデータは、生物学的近縁性の重要性と社会的地位の男性を媒介とした継承を強調します。ゲノム解析の結果は、土器資料に反映されている文化的変化にも関わらず、同じ共同体によって行なわれた、紀元前3600~紀元前2800年頃の間の「連続的な」堆積を支持します。


●研究史

 集団埋葬(つまり、経時的な同じ埋葬構造内での複数個体の連続的集合)の使用は、ヨーロッパ西部全域における新石器時代(Neolithic、略してN)後半の象徴的現象です。フランス南部では、集団埋葬は紀元前四千年紀後半に広がり、広範なシャセ(Chasséen)文化から新石器時代末に地域水準で出現したさまざまな文化の一つ、つまりフェリエール(Ferrières)文化への移行に相当します。集団埋葬慣行使用の背後にある社会的動機の特定は、いくつかの理由で依然として困難です。たとえば、巨石記念碑と空洞との間の二分は、埋葬場所におけるこれらの異なる選択の理由に関する議論を引き起こしました。フランス南部内の特定地域自然環境では巨石記念碑と空洞の両方の種類の構造の共存が可能なので、場所の選択には環境的機会主義以外の議論が必要で、文化的選好および伝統と関連しているかもしれません。

 数世代にわたって頻繁に使用された集団埋葬は一般的に、同じ共同体の個体を含んでいるようで、個体の独自性を強調することなく、集団埋葬の祖先を象徴しています。しかし、そうした埋葬にはさまざまな家族の個体が含まれているかもしれないので、異なる局所的集団間の社会政治的つながりの強化にも役立った、とも示唆されています。本論文では、BOU自然空洞の考古学と放射性炭素年代とゲノムのデータを組み合わせた学際的手法が提供され、フランスにおける新石器時代集団埋葬の使用の動態が初めて報告されます。

 BOUはフランス南部のガール県コルコンヌの近くに位置しており、紀元前四千年紀後半に集団埋葬として使用されました(図1)。死者の集団は埋葬空間の散在した遺骸によって表され、解剖学的つながりはほとんどありません。BOU遺骸群の考古人類学的研究は、この空洞内の死者の主要な堆積を論証し、子供の多数の除外によって示される、個体の死亡時年齢による顕著な選択があります。以下は本論文の図1です。
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 骨格部分の定量的分析は、踵骨に基づいて少なくとも約75個体を特定し、存命の人々による一部の骨格部分の回収の証拠があります。じっさい、寛骨や頭蓋遺骸や長骨など大きな骨の断片は、約30~45個体に相当します。二つの層準が重なっており、考古学的資料、とくに土器要素で区別されます。基底部では、第一層準がシャセ文化末期からフェリエール文化への移行段階に相当し、「最新の新石器時代」もしくは先フェリエール文化とも呼ばれています。第二の層準は、狭義のフェリエール文化に属しています。これらの埋葬地は、連続的か否かに関わらず、空洞が再配置された継ぎ目を通じて利用可能だったので、使用されました。この通路は埋葬目的の使用後に廃棄処分となり、空洞は垂直立坑が偶然開くまで閉じられたままでした。したがって、この空洞は紀元前三千年紀末のフォントブイス(Fontbouisse)期と青銅器時代(Bronze Age、略してBA)の最終段階(最終青銅器時代2期、紀元前1200~紀元前900年頃)に散発的に再使用されました。

 これら主要な新石器時代層準の継続性は、空洞を使用した共同体の連続性対不連続性、およびラングドック(Languedoc)東部の新石器時代末における埋葬儀式の進化に関する問題を提起します。ゲノム規模では、新石器時代末の広範な記載がフランスでは依然として不足しています。最近のゲノム規模研究は、紀元前3600~紀元前2000年頃にわたるフランス全体の領域の39個体を明らかにしました[13~17]。文化的状況の異質性と、現代のフランスの領域におけるこの時間横断区で報告されている人口動態の変異性にも関わらず、これまで局所的もしくは小地域的焦点は当てられてきませんでした。

 この学際的研究は、いくつかの一連の研究を中心に表されました。第一に、死者の生物学的帰属性の記載と、ゲノム解析結果および考古人類学的観察の考察が目的とされました。第二に、とくに死者の堆積の連続性 対不連続性に関する問題に取り組むことによって、墓の空洞使用の動態を解明するための、古代DNA研究と放射性炭素年代測定の組み合わせの可能性について、問題が提起されました。第三の一連の研究で本論文は、BOUで表される個体群が地域的および汎ヨーロッパ的状況へとどのように適合するのか、調べることによって、人口集団水準で得られたゲノム解析結果にも取り組みました。


●BOUの概観

 本論文では、この空洞の以前に配列決定された10個体[18]を含めて、BOUの37個体のゲノム規模データが提示されます。分析された37個体のうち27個体が直接的に年代測定され、17点の新たな放射性炭素年代が報告され、以前に報告された10点の年代[18]を補完します(図1b)。このデータセットは、新石器時代の34個体(紀元前3800~紀元前2900年頃)と青銅器時代の3個体によって表されます。

 古ゲノム解析については、41点の左側錐体骨が標本抽出され、骨の粉末が回収されて、そこからDNAが抽出されました。次にライブラリが構築され、古代DNA起源と一致する死後の脱アミノ化パターンが調べられました。浅いショットガン配列決定での最初の検査で、品質選別に合格した39個体のライブラリの選択が可能となりました(0.1%以上の内在性DNA)。内在性DNA含有量の割合の低い(0.3~13.5%)ライブラリ10点、溶液内捕獲を用いて、120万ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)で濃縮され(124万SNP[19])、充分な割合(10.3~71.3%)の内在性DNAが全ゲノムショットガン配列決定のため選択されました。網羅の津0.04倍の1個体(BOU26)の除外後に、平均網羅率0.08~2.7倍の標本9点の全ゲノムデータと、網羅率0.05~0.68倍の部分的ゲノムが得られました。男性のX染色体上の多型部位の異型接合性を調べることによって、核ゲノムの潜在的な汚染が評価されました。約5%の汚染閾値を仮定すると、下流分析から1個体(BOU43)が除外されました。


●遺伝的性別決定と片親性遺伝標識

 女性(XX)8個体と男性(XY)28個体が、確信をもって特定されました。追加の2個体については、遺伝的性別決定は曖昧な結果となり、個体BOU29のY染色体読み取り比は0.0287~0.029で、女性である可能性が最も高く、個体BOU21のY染色体読み取り比は0.0564~0.0585で、男性である可能性が最も高そうです。さらに、個体BOU12は0.84のY染色体/常染色体比を示した一方で、X染色体/常染色体比は男性個体で予測される範囲内に収まり、X染色体の汚染は低い、と示されました。したがって、個体BOU12はXYY核型を有していた可能性が高そうです。この種類の染色体異常は47,XYY症候群として知られています。47,XYY症候群は出生1000人に1人の出現率で、比較的稀な種類の三染色体性(トリソミー)であり、これは表現型への影響なしに男性に影響を及ぼす可能性があります。47,XYY症候群は、高身長や学習障害や不妊性などの症状として現れる可能性もあります。

 片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)は、ミトコンドリアとY染色体のデータを用いて特定されました。BOU個体群には、ミトコンドリアの下位ハプログループであるH(13個体)やK(8個体)やU(9個体)やT(4個体)やX2b(2個体)やV(1個体)が含まれ、これらはヨーロッパ西部の新石器時代集団で以前に報告されており、アナトリア半島農耕民とヨーロッパ西部狩猟採集民(Western European hunter–gatherers、略してWHG)両方の母方祖先を表しています。じっさい、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)では、6個体がU5b、3個体がU2e1c1とU4とU8で、ヨーロッパ西部の中石器時代の祖先に起因する可能性が高そうです[24]。

 新石器時代の男性個体のY染色体ハプログループ(YHg)は、I2a1(4個体)やH2a1(2個体)やG2(19個体)やR1b1b(1個体)と分かりました。YHg-R1b1bを除いて、そうしたYHgは大陸部および地中海両方、つまりフランス[15、16、18、26]やスイス[17]やドイツ[26~29]やイベリア半島[13、14、28、31~33]の拡大経路のヨーロッパ西部新石器時代共同体において相対的に一般的です。ヨーロッパ西部の新石器時代共同体では稀ですが、個体BOU38(紀元前3626~紀元前3369年頃)のYHg-R1b1bは、スペインのウエスカ(Huesca)県のピレネー山脈に位置するエルストロクス(Els Trocs)洞窟やカタルーニャのチャヴェス洞窟(Cueva de Chaves)やイタリア中央部のコンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)など、地中海西部の前期新石器時代共同体で以前に確認されてきました[19、32、34]。高頻度(73%)のYHg-G2a系統は、フランスのアヴェロン(Aveyron)県のレス・トレイユ(Les Treilles)の同時代の洞窟で以前に報告された割合(90%)と類似しています。これは、新石器時代末のフランス人西部におけるYHg-G2aの一般的優勢を反映しているかもしれません[31、35]。紀元前二千年紀後半となる個体BOU44およびBOU17は両方ともYHg-R1b1a1bで、ポントス草原地帯の牧畜民の遺伝的影響に関する以前の記録[27]と一致します。


●放射性炭素年代測定

 放射性炭素年代測定に関して、25個体は紀元前3800~紀元前2900年頃の範囲で、この集団埋葬はおもに、この地域におけるフェリエール文化の範囲と大まかに一致する、紀元前四千年紀後半と紀元前三千年紀初頭に活発的だった、と確証されました。さらに、年代測定されていない5個体をこの年代範囲に帰することができ、それは、この5個体が直接的に年代測定された個体と1親等もしくは2親等の生物学的親族関係にあるからです。岩屑斜面区域とソンダージュ1(Sondage 1)内では、遺骸は青銅器時代における空洞の散発的使用に帰することができます。したがって、個体BOU44の年代範囲は紀元前1600~紀元前1500年頃で、これは中期青銅器時代(Middle Bronze Age、略してMBA)に相当するのに対して、個体BOU17は紀元前1200~紀元前1000年頃となる後期青銅器時代(Late Bronze Age、略してLBA)に直接的に年代測定されました。


●大地域的変異性へのBOU集団の統合

 本論文で調査対象の個体間の遺伝的差異を調べるため、ユーラシア現代人一式に基づいて主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が構築され、それに以前に刊行された古代の個体群とともにBOU標本が投影されました(図2)。BOUの新石器時代集団はヨーロッパ西部新石器時代個体群の一般的な変異性内に、より具体的には、紀元前五千年紀~紀元前三千年紀後期のフランスおよびイベリア半島の以前に報告された個体群とともに収まりました。それにも関わらず、外れ値2個体(BOU20とBOU29)が検出され、この2個体は主成分2(PC2)の差異では主要なクラスタ(まとまり)からひじょうに明確な上方への移動を示しました。この2個体は、この墓地空洞の新石器時代集団の残りの個体と同時代であるにも関わらず、以前に報告された[13、15、16、38]ヨーロッパ中央部およびイベリア半島の鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、略してBBC)個体群や、フランスの前期~中期青銅器時代標本とクラスタ化します(まとまります)。以下は本論文の図2です。
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 qpWave分析の結果は、上述のように新石器時代末のBOU20およびBOU29や、、追加のWHG祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有する個体BOU6の外れ値の状態を裏づけます[18]。残りの新石器時代個体群は共通の遺伝的背景のあるクレード(単系統群)を形成します(図2b)。地域規模では、qpWaveの結果は、紀元前四千年紀後期~紀元前三千年紀半ばまでの年代で、草原地帯祖先系統が欠如しているフランス南部個体群とのBOU新石器時代集団の遺伝的クラスタ化を浮き彫りにします。逆に、外れ値個体BOU20およびBOU29や青銅器時代3個体は、ラ・ファーレ(La Fare)や亀洞窟(Grotte des Tortues)やBVP洞窟(Grotte Basse de la Vigne Perdue)のBBC個体群[13、16]、およびヴィラール(Villard)やル・ピルー(Le Pirou)やサン・ウジェーヌ(St Eugène)やキンキリス(Quinquiris)といったフランス南部の青銅器時代個体群[15、38]とクラスタ化します。このクラスタ化は、f3形式(ムブティ人;個体1、個体2)の対での外群f3検定によっても裏づけられました。

 これらの調査結果を反映して、検証対象としてさまざまな紀元前5600~紀元前2500年頃のヨーロッパ新石器時代集団を用いてのf3形式(ムブティ人;検証対象、BOU)の外群f3統計によって、同時代のヨーロッパ西部新石器時代個体群とのBOU集団および外れ値個体群との地理的類似性の調査が可能となりました。その結果、BOU新石器時代集団は、レス・ペイリエレス(Les Peirières)遺跡(紀元前2900~紀元前2650年頃)[15]やコレット・レドン(Collet Redon)遺跡(紀元前3600~紀元前3400年頃)[13]の集団埋葬に由来する近隣集団との最高の遺伝的類似性を示すように、地域的変異性がある、と示唆されます。新石器時代の外れ値個体BOU20およびBOU29はより低いf3値を、したがって、地元集団とのより低い遺伝的類似性を示します。個体BOU20はスペインのムルシア(Murcia)の同時代の個体群(紀元前2900~紀元前2600年頃)とより多くの類似性を、個体BOU29はドイツのタンガーミュンデ(Tangermünde)遺跡の後期新石器時代の1個体(TGM009)と最高の遺伝的類似性を共有しています[13、26]。

 qpAdmを用いて、BOU共同体における遺伝的祖先系統の供給源が調べられました。まず、新石器時代個体群が、アナトリア半島農耕民とヨーロッパ狩猟採集民(hunter–gatherers、略してHG)祖先系統の2方向混合としてモデル化されました。以前に報告されたように、BOUの新石器時代個体群はさまざまな量のヨーロッパHG遺伝的構成要素(14.7~36.2%)を有しており、異質なHGの遺産および新石器時代を通じてのヒト集団間の異質な混合過程と一致します[16、18、26]。ヨーロッパ西部新石器時代集団におけるさまざまな種類のHGと初期農耕民祖先系統の異なる分布に関する先行研究に基づいて報告された観察から、代替モデルが調べられました。いわゆるマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)関連祖先系統の存在の追跡が目的とされ、それは、先行研究がヨーロッパ南西部新石器時代集団におけるこの種類の遺伝的構成要素の持続を浮き彫りにしたからです。とくに、追加のベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡の個体(GoyetQ2)の構成要素が、個体BOU29およびBOU20の外れ値状態の説明の候補となり得るのかどうか、検証が試みられました[15、18、31、32]。追加のGoyetQ2祖先系統の証拠は見つからず、それは、新石器時代の個体全員がドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡の2個体的なオーバーカッセル祖先系統[39]のみでモデル化できるからで、このオーバーカッセル祖先系統は以前には、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体に代表されるヴィッラブルーナ祖先系統と呼ばれていました。

 別の検定では、最初のモデルに祖先系統構成要素の第三の供給源としてイランのガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡の新石器時代個体群(イラン_ガンジュ・ダレー_N)を追加することによって、BOU新石器時代集団がモデル化されました。この追加の遺伝的構成要素は以前に、いくつかの先行研究で浮き彫りにされており、紀元前六千年紀のアナトリア半島およびレヴァント集団や、地中海西部におもに由来するヨーロッパ新石器時代共同体における主要な新石器時代祖先系統構成要素とともに、散発的に現れます[31、35、37]。この追加の供給源は、とくに個体BOU29については、モデルの適合性をわずかに改善するようです。数個体はヨーロッパHGとアナトリア半島およびイラン新石器時代の祖先系統の3方向混合としてモデル化できること(12個体、7.7~19.9%のイラン_ガンジュ・ダレー_N祖先系統)に要注意です。したがってこれは、ガンジュ・ダレー遺跡のイラン新石器時代個体群で最大化されている追加の祖先系統構成要素が、BOU個体群の遺伝的祖先系統にさまざまな程度で起用している可能性を示唆しているかもしれません(図2c)。個体BOU20およびBOU29は、両者がそれぞれイラン_ガンジュ・ダレー_N祖先系統の19.9%と21.9%でモデル化できるので、最高水準のこの種類の遺伝的祖先系統を有しています。この点は、f3(ムブティ人;個体、イラン_ガンジュ・ダレー_N)形式の外群f3統計の結果にも反映されており、個体BOU20およびBOU29は集団間で最高のf3値を示します。

 地中海に沿ってヨーロッパへと拡大した農耕民は当初、アナトリア半島西部祖先系統とは対照的に、さまざまな割合のレヴァント/コーカサス西部構成要素を有する近東祖先系統における微妙な差異によって特徴づけられた、と仮定されてきました。しかし、この遺伝的構成要素が近東に由来するその後の集団との交流を通じて地中海西部遺伝子プールに備わっていた、という可能性を除外できません[31]。


●青銅器時代個体群

 BOUに由来する青銅器時代3個体は女性1個体(BOU36)とYHg-R1b1a1の男性2個体(BOU17とBOU44)で、YHg-R1b1a1は新石器時代末/青銅器時代の開始に西方へと移動したポントス草原地帯牧畜民の拡散と関連づけられてきました[13、15、16、27]。PCAへのBOU集団埋葬の新たな青銅器時代標本3点の投影は、以前に刊行されたフランスおよびヨーロッパ南西部の前期~後期青銅器時代標本と重なり、より具体的には、キンキリスやル・ピルーや亀洞窟やサン・ウジェーヌといったフランス南部の前期~後期青銅器時代個体群とクラスタ化しました(図2a)。qpAdmを用いると、これらの個体群は、アナトリア半島農耕民(アナトリア_N)とヨーロッパHGとロシアのヤムナヤ(Yamnaya)文化のサマラ(Samara)個体群の草原地帯(ロシア_ヤムナヤ_サマラ)の関連祖先系統の3方向混合としてモデルかできました(図2c)。この3個体は中間~少量の草原地帯関連祖先構成要素を示しており、ヤムナヤ_サマラ祖先系統の推定値の範囲は17~43%です。これらの観察は、草原地帯からの移住の局所的影響に関する以前の記録と一致し、それは、より低い祖先系統の割合が、ヨーロッパ南西部の後期新石器時代および青銅器時代共同体で報告されたからです[13、40]。


●新石器時代共同体の生物学的近縁性および葬儀と社会の機能

 遺伝的性別分析は、女性個体の強い過小代表を浮き彫りにし、それは、男性26個体に対して女性は8個体しか特定されなかったからで、男性個体の選好に顕著に不均衡な性比を提供し、男性個体が新石器時代集団の76%を表しています。寛骨の形態鏡検査法調査も、男性個体の圧倒的な多さに気づきましたが、適切な定量化は実行できませんでした。男性個体では、片親性遺伝標識の分析は、YHg-G2a2の過剰代表(26個体のうち19個体、73%)を強調します。逆に、新石器時代集団で頻繁に観察されるように、mtHgはより多様な分布を示し、これは女性の移動性および父方居住制度における女性族外婚の慣行の証拠として解釈されることが多くなっています。

 すべての新石器時代個体間の遺伝的近縁性が分析され、1親等と2親等と3信宇の関係の16組の生物学的に親族関係にある個体が特定されました(図3)。興味深いことに、顕著な男性に偏った選択が特定されたにも関わらず、生物学的近縁性には男女両方が含まれています。親族関係にある女性はBOU13とBOU34の2個体だけで、空洞の北部で近接して発見されました。この2個体のmtHgはH4aで、数個体と2親等の関係を共有しています。これらの観察を性別および片親性遺伝標識の帰属と組み合わせて、さまざまな家系の仮定的状況が調べられ、それらは電子補足資料に記載されています(図3)。充分な解像度では正確な家系を推測できませんが、生物学的近縁性と対での外群f3分析の結果は、紀元前3600~紀元前2900年頃に集団埋葬として空洞を用いた、密接に結合した家族集団と一致します。さらに、BOU集団埋葬の人類学的研究は、膝蓋骨陥没(patella emarginata)と呼ばれる解剖学的差異の高頻度が確認されました、じっさい、膝蓋骨の75%は上方外側端の顕著な陥没を示しており、長さは10mmもしくはそれ以上です。興味深いことに、長さ16mm以上の陥没を示す11個体の内、8個体はC4a単位と関連していました。この解剖学的差異の異常な高頻度を考えて、死者間の高水準の生物学的近縁性との仮説が当初提唱されました。以下は本論文の図3です。
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 BOUに埋葬された死者の親の近縁性を評価するため、hapROHで同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が分析されました[42]。これらの個体(BOU31とBOU28とBOU35)は長いROHを示し、その長さと分布から、その両親はマタイトコの親族関係だった、と示唆されます。これらの観察を除くと、長いROHの全体的な制限から、この埋葬集団は密接な親族の結びつきが限られていた人口集団を表している、と示唆されるかもしれません。BOUで観察されたROH分布のパターンは、ヨーロッパ西部で報告された同時代の新石器時代集団および個体群のパターンを反映しています。

 この新石器時代共同体内の女性族外婚慣行を確認するため、BOUで埋葬された少数の女性個体には男性個体よりも密接な親族が少ないのかどうか、先行研究の手法[31]に従って検証されました(図3b)。観察された男女の個体間の不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)の平均は高度に類似しているので、新石器時代個体間の生物学的近縁性に性別の偏りがある可能性は低そうです(図3b)。男女の個体間の遺伝的近さにおける有意な違いについて複数のf3形式、つまりf3(ムブティ人;女性、女性)とf3(ムブティ人;女性、男性)とf3(ムブティ人;男性、男性)のf3統計で検証されました。その結果、女性・女性群と男性・男性群との間、もしくは女性・女性群と女性・男性群との間でf3に有意な違いは見つかりませんでした。これは、他の女性個体との女性と、男性もしくは女性個体との男性個体との間の遺伝的近さにおける有意な違いを裏づけません。これらの観察は、片親性遺伝標識によって表される性族外婚兆候と対照的で、集団埋葬への利用を認められた個体の偏った選択と関連しているかもしれません。


●年代モデル化

 ゲノム規模で分析された新石器時代26個体で得られた放射性炭素年代測定の、ベイズモデル化が実行されました。層序の帰属によって定義された個体の、さまざまなクラスタの年代分布が調べられました。開始段階と終了段階の事後段階は、遺跡利用の段階の説明に適切なものとして、ここでは保持されました。構築された両モデルは、C4b単位(「最新の新石器時代」/先フェリエール文化/シャセ文化)を紀元前3600~紀元前3185年頃に位置づけ、紀元前3350年頃と紀元前3140~紀元前2880年頃のC4a単位(フェリエール文化)に顕著な活動密度があり、紀元前3100~紀元前2910年頃に活動は安定します(図4)。以下は本論文の図4です。
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 したがって、層序の帰属と頭蓋遺骸の放射性炭素年代測定の組み合わされた観察は、居住の第一段階(「最新の新石器時代」/末期シャセ文化、C4b単位)と第二段階(フェリエール文化、C4a単位)との間の明確な断絶がないことを明らかにします。これらの観察はある程度、異なる段階間の断絶ではなく、考古学的堆積物に反映されている文化的移行を通じての、集団埋葬の継続的使用を裏づけるかもしれません。

 遺伝学的基準、つまり男性対女性やさまざまなYHgの男性やmtHg-U5や「イラン_ガンジュ・ダレー」祖先系統に従って定義された個体群のさまざまなクラスタの活動の痕跡も、事後的に調べられました。これらのモデルから、いくつかの観察と仮説が考察できます。YHg-I2とmtHg-U5は相互に、およびC4b単位の活動と強く相関していますが、C4a単位とは異なります(図4)。さらに、YHg-G2クラスタに属する数個体はC4b期の開始に寄与していますが、YHg-I2の活動痕跡が紀元前3100年頃以後に消滅する一方で、YHg-G2を有する個体群の年代分布はより広く、C4a単位にまで大きく広がっています。じっさい、父系のYHg-G2を有する個体群によって形成されるクラスタの分布や女性個体クラスタ(XX)を考慮するならば、両者はC4a単位に顕著に寄与しています(および、YHg-H2を有する個体群は二次的にC4a単位末期に寄与します)。

 さらに、「イラン_ガンジュ・ダレー(Ganj Dareh、略してGD)」祖先系統でモデル化できる個体群は、YHg-G2クラスタ(個体BOU12とBOU23とBOU30)および全女性クラスタの分布と相関しています。これらの個体は、C4bおよびC4a単位に等しく寄与しているようです。BOU32の遺伝的特性と年代を考慮するならば、これらの個体は、紀元前四千年紀前半に、C4b開始期、さらに早ければ後期シャセ文化に出現します。おそらく、C4bを2段階に区分することを考慮する必要があり、最初は後期シャセ文化により強く固定されており、次は中石器時代祖先系統(YHg-I2とmtHg-U5)と関連する片親性遺伝標識の個体群の寄与によって示され、その中石器時代祖先系統はその後で次第に消え去ります。


●考察と展望

 集団埋葬と混合遺骸群の研究におけるおもな課題は、事前に確立された選択の規則の解読と、個体が墓を利用する権利を与えられるための生物学的および/もしくは社会的原則の特定です。BOUの墓地空洞は、ラングドック地域における紀元前四千年紀集団埋葬において最も徹底的に記載された集団埋葬の一つです。物質文化によって二つの葬儀系列へと区別されるこの遺跡を特徴づける遺骸群は、後期新石器時代における文化対生物学の連続性もしくは不連続性との見解に取り組むための独特な機会でもあります。

 ゲノム解析結果は、空洞内に堆積した男性個体の過剰出現によって証明された、顕著な性別の偏った選択を浮き彫りにしました。集団埋葬内では、形態学的性別は骨盤の混在や断片化のため、利用できないか信用できないことが多くあります。したがって、本論文で反映されているように、古代DNAはこの点で重要な貢献です。性別の出現におけるこの顕著な不均衡は、以前には特定されていなかった成人の選択に追加できる、男性に偏った選択の存在を支持します。舌骨や喉頭軟骨など、空洞の新石器時代層で多数のはるかに華奢な人骨断片が得られているため、さほど頑丈ではない頭蓋顔面の塊の異なる保存状態(断片化もしくは水の作用によって)によって女性個体が少ない可能性はひじょうに低そうです。

 二次的行為の観点では、頭蓋遺骸は死者集団の部分標本を表しています。したがって、女性個体の過小出現については、いくつかの問題を提起できます。第一に、この偏った出現は、主要な埋葬が男性個体に対して優先的に与えられたのに対して、わずかな人数の女性個体が集団埋葬に含められることを許可されたか選択された、と示しているかもしれません。男性の過剰出現を説明する第二の仮説は、女性個体に属する頭蓋および寛骨遺骸が、死骸腐敗後に空洞から優先的に除去され、どこかに移された、ということかもしれません。

 民族誌の記録では、集団埋葬構造への時間的利用の慣行が、たとえばインドネシアの西スンバ(West Sumba)県で証明されており、西スンバ県では、自分の埋葬記念碑を有する個体は、選択パターンに適切に合致せずに、一時的に集団埋葬への利用権を与えられます。一時的な埋葬の事例はマダガスカル島のアンタナナリボ(Antananarivo)地域のメリナ(Merina)でも見つかっており、メリナでは、伝統的な骨の発掘がファマディハナ(famadihana)の儀式において行われる前に、遺骸が一時的に集団埋葬内に置かれます。BOU遺跡では、一時的な女性の埋葬との仮説は、そうした骨が白骨化後でさえ識別可能なままだった、と推定されます。これらの観察を考慮すると、生きている人々が頭蓋顔面の塊と寛骨の両方を多数の女性から回収せねばならなかったでしょう。したがって、死骸の腐敗後に多くの女性遺骸を選択的に回収するよりも、男性遺骸を優先する偏った選択の可能性が高そうです。したがって、新石器時代共同体では、死者の選択には死亡時年齢と生物学的性別の基準が含まれていたかもしれないものの、完全に定着して厳密な習慣の程度もしくは範囲ではなく、それは、少数の女性と未成年個体が依然として空洞を利用可能だったからです。

 親族関係のつながりは、生物学的および社会的両方で定義されており、集団埋葬における死者の連続的な集合を説明する、有力候補となることが多くあります。BOUでは、非計測的特徴に基づいて推測される死者の生物学的近さは、ゲノム解析の結果によって浮き彫りにされた生物学的近縁性のパターンを反映しています。男性個体の過剰出現と、近い親族関係にある個体群で唯一現れる系統でもある父系【YHg】G2a2の優勢は、空洞の利用に関する選択基準が父系子孫にも定着していた、と示唆しているかもしれません。これらの観察は、紀元前3000年頃で、BOUから約70km離れて位置する、トレイユ1号洞窟内に埋葬された集団で報告された選択パターンをいくぶん想起させます。この墓地洞窟も、おもに男性個体の遺骸を含んでおり、そのほとんどはYHg-G2aと分かりました。同様のパターンが最近、地理的により遠い巨石集合の状況、とくにブリテン諸島で報告され、父系構造の共同体による世代を超えた占有と関連する、と解釈されました[51]。

 さらに、頭蓋遺骸の年代分布のベイズから、この集団埋葬の利用はC4b単位に相当する「最新の新石器時代(先フェリエール文化)」段階、に始まり、より高い父系多様性によって特徴づけられる男性個体の優占する集団が含まれる、と示唆されます。段階を区切る明確な断絶はなく、この結果から、集団埋葬としての空洞の使用はフェリエール文化と関連し、C4a単位に相当する期間に継続した、と示唆されます。しかし、この段階には、埋葬機能もしくは少なくとも空洞を使用する集団の変更は、父方の【YHg】G2系統がしだいに優勢になり、ほぼ排他的になっていった、として認められます。この調査結果は、数人の女性遺骸を含むことおよび密接な生物学的近縁性の重要性と相関しているようです。全体的に、これらの観察は、男性を介した社会的地位の伝達が以前の期間より排他的である期間を示しているかもしれません。特定の男性系統とのつながりは、この家族体系と結びついた特定の女性の包摂と矛盾しないだろう、優勢な選択要因となるようです。これらの観察は、女性が埋葬地を選択した可能性も示唆しているかもしれません。しかし、利用可能な資料と埋葬行為の両方が検討すべき重要な偏りで、それは、その両方が、完全な生きている人々の共同体もしくはこの墓地空洞の利用と関わる共同体を明確に表現する能力を、疑いなく妨げるからです。この出現の偏りは、骨片の回収と生きている人々によって採用された埋葬選択の両方を検討せねばなりません。

 フランス南部では、後期新石器時代巨石墓のゲノム研究は少なく、1ヶ所の遺跡あたり少数の個体に制約されており、集団遺伝学と移住動態に焦点が当てられています。本論文は、フランスにおける集団埋葬の最初の広範な考古ゲノムの報告で、さまざまな観点からの埋葬選択過程を調べる手段です。したがって、異なる状況、とくに支石墓(ドルメン)から回収される追加のデータが、限定された地域内の集団埋葬のさまざまな出現を示す集団の適切な比較に役立つでしょう。


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