ローマ帝国崩壊後のヨーロッパ社会の展開に関する学際的研究
古代ゲノムデータと同位体データを用いて、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパの農村社会の展開を検証した研究(Tian et al., 2024)が公表されました。中世前期のローマ帝国後のヨーロッパの形成において、大規模および小規模両方の水準で上流階層はひじょうに重要な役割を果たしました。イタリアのコッレーニョ(Collegno)における6~8世紀の共同体の発展における上流階層集団の役割を調べるため、本論文の手法は歴史および考古学を古ゲノムおよび同位体データと組み合わせます。
新たな28個体のゲノムを以前の24個体のゲノムとともに分析すると、コッレーニョ遺跡は生物学的および社会的につながった高位集団を中心に形成された、と明らかになりました。この共同体は新参者も統合し、多様な遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の個体群を包含しました。本論文は、ローマ帝国崩壊後の権力の移行と移住が、それ以前の西ローマ帝国の中核領域の一つの農村地域における共同体形成にどのように影響を及ぼしたのか、浮き彫りにします。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
また、本論文の略称は以下の通りです。CEU+GBR(Northern Europeans from Utah and British in England and Scotland、アメリカ合衆国ユタ州のヨーロッパ北部人およびイングランドとスコットランドのイギリス人)、FIN(Finnish in Finland、フィンランドのフィン人)、IBS(Iberian populations in Spain、スペインのイベリア半島人口集団)、TSI(Tuscans from Italy、イタリアのトスカーナ人)、EAS(East Asian superpopulation、アジア東部超人口集団)、SAS(South Asian superpopulation、アジア南部超人口集団)、YRI(Yoruba in Ibadan, Nigeria、ナイジェリアのイバダンのヨルバ人)、MEDEU(Mediterranean European、地中海ヨーロッパ人、イタリアとイベリア半島)、NGBI(northern Germany and Britain、ドイツ北部とブリテン島)、SCAND(Scandinavia/Estonia、スカンジナビア半島/エストニア)EASIA(台湾の漢本)、NAFRICA(現在のスーダン)、SASIA(インドのループクンド湖)、SUBSAHARAN(サハラ砂漠以南のアフリカの複数の遺跡)。
●要約
中世前期のローマ帝国後のヨーロッパの形成において、大規模および小規模両方の水準で上流階層はひじょうに重要な役割を果たしました。歴史と考古学は長年、文字資料に基づくか、もしくは考古学的記録を通じて、その記述と同定に焦点を当ててきました。本論文は、6~8世紀頃の、イタリアのコッレーニョの近くのランゴバルド期の共同体における、そうした上流階層の1集団の役割への洞察を得るために、古ゲノムと考古学と同位体のデータの統合によって、この問題について異なる視点を提供します。
以前に刊行された24個体のゲノムとともに新たに配列決定された28個体のゲノムの分析は、ストロンチウム(Sr)や炭素(C)や窒素(N)の同位体測定と組み合わされることで、この共同体が、経時的に単一の拡大家系へと発展した複数の上流階層家族で構成されていた可能性が高い、生物学的および社会的に関連する個体群の人脈によって、および人脈を中心に創設された、と明らかにしました。この共同体には多様な遺伝的祖先系統の個体群も含まれており、新参者の統合による多様性および共同体が存在した後期の集団を維持しました。
本論文は、政治権力の移行と移住が、西ローマ帝国の消滅と新たな王国の出現後に、それ以前の西ローマ帝国の重要地域内の小さな農村共同体の形成と発展にどのように影響を及ぼしたのか、浮き彫りにします。さらに、中世前期の上流階層にはさまざまな背景の個体群を組み入れる能力があり、これらの上流階層は生物学的に均一な集団に属しているのではなく、(政治的)作用の結果だった、と示唆されます。
●研究史
既存の共同体の消滅と新たな共同体の設立は、政治的移行もしくは社会的変化の結果であることが多く、特定の集団の移転と人々の移住にも関連している場合はなおさらです。こうした状況では、知的・宗教的・軍事的など、どれであれ、さまざまな上流階層の重要性が増した可能性は高い、と理論化されてきました。現在まで、歴史時代において示された上流階層に関するほとんどの研究は、上流階層の特定と記述のため、文献および埋葬のデータに依拠してきました。しかし、これらのよく調査された手法を新たな古ゲノムおよび同位体データと組み合わせることで、これら上流階層集団がどのように形成されて組織されたのか、地位はどのように獲得もしくは継承されたのか、人口集団の他の人々とはどのような関係だったのかについて、より包括的な記述を提供できるかもしれません。そうした情報は、上流階層が集団の結束の維持もしくは再生にどのような役割を果たしたのか、および、上流階層は新たな共同体の形成の原動力を促進したと理解できるのかどうか、という理解に重要です。
いわゆる移動期(4~9世紀頃)のヨーロッパ西部および中央部全域では、新たに形成された(戦士)上流階層によって築かれ新たな政治制度や分国(regna)や王国が、以前の西ローマ帝国の領域で政治的および社会的階層を支配するようになりました。よく知られた1事例は、ランゴバルドのアルボイーノ(Alboin)王が568年にその多民族的従者とともにパンノニアから移動し、イタリアで王国を築いた時です。その頃、イタリア半島は残酷な戦争を何十年も経ており、その戦争では、何十年にもおよぶローマ(ビザンツ帝国)の軍隊によるイタリア再征服の試みのため、大規模な社会的・経済的・制度的破壊が起きていました。そのため、「蛮族」王国の出現は、単なる政治的変化を意味するだけではなく、社会的および文化的変遷も意味していました。
新たな到来者は、イタリア在来の人口集団と比較して少数派でした。その最高の上流階層や王や大公や他の官吏は、ヴェローナやミラノやパヴィーアやトリノなど重要な都市中心部を占拠し、町を中心とした王国として既存の行政権力を維持しました。新参上流階層は、在来の地主を置換もしくは同化し、新たな共同体を築いた新興の戦士上流階層によって戦略的に重要な場所を占領することで、農村地域で権力を行使しました。イタリア北西部のトリノ近郊のコッレーニョの墓地はそうした共同体に属しており、ランゴバルドの占領の初期段階である6世紀末に築かれ、少なくとも1世紀は使用され続けました(図1)。以下は本論文の図1です。
コッレーニョに関する先行研究は24個体を分析し、最初期段階における大規模な父系の生物学的親族関係を明らかにし、ヨーロッパ中央部および西部の遺伝的祖先系統と外来起源の程度はさまざまでした[13]。本論文では、以前の標本抽出が、墓地の存続の全期間を表す追加の28個体、および追加のストロンチウムと炭素と窒素の同位体分析で補完されました。まず、以前に可能だったよりも詳細に、コッレーニョに埋葬された共同体の形成と発展を記述するため、統合的な枠組みでこれらのデータが使用されました。次に、内部の年代枠組みに基づいて、生物学的近縁性がコッレーニョ遺跡で果たした役割と、広範で多世代の家系と共同体の他の個体群との間の関係が調べられました。
●コッレーニョ遺跡の記述と標本抽出
コッレーニョはイタリア北西部のピエモンテ州トリノ県の西方7kmの、ドーラ川の交差点近くに位置します。2002~2006年に、考古学的複合遺跡が、イタリアとガリアを結ぶヴァル・ディ・スーザ(Val di Susa)とアルプス峠に通じる重要な道に沿って発掘されました。集落の痕跡と年代的に異なる2ヶ所の墓地を形成する埋葬が明らかになり、その墓地は、ゴート期(6世紀前半~半ば)の8ヶ所の埋葬で構成されるより小さな墓地と、ランゴバルド期となる大きな墓地です。考古学的証拠から、この集落地域はこの2期間を通じて複数の共同体によって使用されたものの、両者の間に連続性はなかった、と示唆されます。
まとめると、157基の墓がランゴバルド期に年代測定でき、それには149個体のヒト(成人では男性の比率がより高く、女性40個体と比較して男性65個体ですが、死亡時年齢の分布は類似しています)と1頭のウマが含まれますが、7基の墓には観察可能な骨学的遺骸がありませんでした。この墓はすべて東西方向で、多かれ少なかれ規則正しい南北の列を形成しています。墓は墓地の北西部と東部でより密集しており、区別可能ではあるものの明確には分離できない2埋葬群を形成しています。人工遺物の種類と埋葬慣行の変化と墓間の多くの重層に基づく考古学的年代測定から、この遺跡の使用は3期に区分される少なくとも1世紀にまたがっていた、と示唆されます[13]。この遺跡は、イタリアにおけるランゴバルドの占領の初期段階である6世紀後期に築かれました。初期の埋葬は柱穴構造形態の特徴的な建築様式で、宝石類や武器や精巧な帯一式や道具など比較的多くの人工遺物が含まれており、これらの人工遺物はメロヴィング朝期ヨーロッパ西部だけではなく、6世紀ドナウ川中流域ともつよい文化的つながりを示しています。7世紀における副葬品の一般的な消滅のため、この遺跡の放棄は考古学的年代測定がずっと困難ですが、7世紀後半~8世紀の埋葬に典型的な人工遺物のない単純な土坑墓の多さから、この遺跡は7世紀を通じて、および少なくとも8世紀初頭には使用され続けた、と示唆されます[13]。
コッレーニョ遺跡の28点の新たな標本からゲノムデータが生成されました。錐体骨と耳小骨からのDNA抽出のイルミナ(Illumina)配列決定が実行され、内在性含有量が多く、ライブラリの複雑性が高く、古代DNAに特徴的な死後損傷パターン(patterns of postmortem damage、略してPMD)がありました。標本のうち13点が男性、15点が女性でした。男性のX染色体および両性のミトコンドリアDNA(mtDNA)マッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)読み取りの分析は、全個体における低水準の推定汚染(平均で1%程度)を明らかにしました。28個体のゲノムライブラリは部分的なウラシルDNAグリコシラーゼ(uracil-DNA-glycosylase、略してUDG)処理を経て、次に120万ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)を対象とする溶液内捕獲を経ました(以後、124万捕獲と呼ばれます)。これらのSNPにおける平均網羅率は約1.39倍でした。下流分析では、28個体全員が使用され、以前に刊行された24個体と組み合わされ、遺跡のすべての埋葬群と期間を等しく表し、骨試料の利用可能性と保存状態によってのみ制約された、合計52個体が得られました。
●遺伝的多様性と家系
AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)第50版で見つかったアフィメトリクス(Affymetrix)社のヒト起源(Human Origins、略してHO)配列データの現代ユーラシア人口集団[16、17、19、21、22]や、ヨーロッパPOPRES(Population Reference Sample、人口集団参照標本)データベースに基づく、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)を用いて、52個体全員の遺伝的多様性が調べられました。その結果、古代の個体群はヨーロッパ現代人とかなり重なる(ものの、大陸規模の非ヨーロッパ地域とは重ならない)遺伝的祖先系統を有しており、ヨーロッパの北部から南部への軸に沿って広く拡大する多様な分布が論証される、と分かりました。
本論文は、コッレーニョ共同体の遺伝的構造をさらに調べるため、モデルに基づくクラスタ化(まとまり)手法(fastNGSadmix)を用いて、参照として1000人ゲノム計画(1000 Genomes Project、略して1000G)の7人口集団を使って、コッレーニョの各個体のゲノム祖先系統を特徴づけました。さらに、現在人の参照パネルと類似した地理的分布を有する先行研究[26]で記載された準同時代の参照パネル(4~8世紀)も用いて、現代の標本抽出の偏りなしに個体群がとのようにクラスタ化されるのか、との視点を提供します(図2)。本論文は、イベリア半島の個体群と準同時代のパネルの地中海地域の個体群を区別せず、それは、古代イベリア半島個体群の限定的な網羅率が、別々の人口集団の構築を裏づけることはできないからです[26]。準同時代の参照標本での教師なしAMIXTURE分析が、準同時代の参照標本の方がより低い配列品質にも関わらず、1000Gデータと同様に人口集団を区別する類似の地域的および小地域的権力を示した、ことに要注意です。以下は本論文の図2です。
教師有fastNGSadmix分析で推定されたコッレーニョにおける顕著な現代人の遺伝的構成要素はTSI(42%)で、それに続くのがヨーロッパ中央部および大ブリテン島のCEU+GBR(39%)でした。14%の有意なIBS構成要素も観察されました。準同時代のパネルは同様のパターンを示し、ヨーロッパの人口構造は鉄器時代以降ほぼ安定したままである、と論証した先行研究[27]と一致します。準同時代のパネルでは、MEDEUの55%と、NGBIの35%の構成要素が顕著です(現代人のパネルで観察されたTSIおよびIBS構成要素は、より広範なMEDEU構成要素へと包摂されます)。しかし、いくつかの小さな違いがあることも観察され、たとえば、現代人のパネルのFINと比較すると、準同時代のパネルのSCANDの割合がより高くなっています。
本論文のfastNGSadmix分析を検証するため、個体単位のqpAdmモデル化がさらに使用され、コッレーニョ個体群の遺伝的祖先系統が評価され、準同時代パネルを用いてのモデルに基づくクラスタ化分析で得られた遺伝的祖先系統でのqpAdmモデルで予測される祖先系統の割合と比較されました。この2手法間で高度に一致する祖先系統の割合が得られ、ピアソンの積率相関係数はヨーロッパ北部(NGBIとSCAND)祖先系統構成要素では0.96、ヨーロッパ南部(MEDEU)遺伝的祖先系統構成要素では0.95でした。この明らかな一致は、視覚的にも観察できます。さらに、qpAdmの調査結果は本論文のPCAの結果を補強し、コッレーニョ個体群はヨーロッパ人口集団のみとクラスタ化する、と示唆されます(例外は、最小網羅率の個体COL_110と、高度に汚染された個体COL_031です)。
lcMLkinを用いて、本論文の調査対象の個体間の生物学的近縁性が評価され、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)とKINとancIBDでその結果が検証されました。新たに配列決定された28個体と以前に刊行された24個体に基づいて、本論文の分析は既知の2組の生物学的親族関係を単一の拡張家系(家系1)に統合しました。さらに、別の家系(家系2)が拡張され、墓地内の第三の異なる家系(家系3)の特定にも成功しました(図3E)。以下は本論文の図3です。
家系1はとくに広範で、5世代にまたがり、24個体から構成されています。家系1はさらに、生物学的に親族関係にある個体群の密接な3結合群に区分され、CL1・CL2・CL3と分類されました。これらの集団は2人の配偶者がいる男性1人を中心に形成された直接的系統(CL2)か、キョウダイの組み合わせ(CL1およびCL3)を表しており、CL1とCL3の間には、より遠い生物学的近縁性があります。CL1とCL2は不特定の3親等のつながりを通じて親族関係にありますが、CL3は、父親がCL2、母親がCL3に属する個体COL_017を通じて、CL2とつながっています。家系2は3親等の近縁性を示すキョウダイの2群と、両方のキョウダイの組み合わせと親族関係にある追加の1個体で構成されています。最後に、両親と子供の3人で構成される小さな家系3が特定されました。
家系の個体の色(図3E)は、現代(左側)と準同時代(右側)両方のパネルによって生成されたfastNGSadmixの結果を示しています。家系1のCL1とCL2については、個体群はおもに、現代のヨーロッパ中央部および大ブリテン島(CEU+GBR)に加えてFINの遺伝的祖先系統と、準同時代のドイツ北部およびブリテン島(NGBI)に加えてSCANDの遺伝的祖先系統を有しています。しかし、CL1とCL2が現代のパネルでは同様の祖先系統の割合を有していますが、準同時代のパネルは両者を区別しており、CL1の個体は全員顕著なSCAND構成要素(20~37%)を有しているのに対して、これはCL2ではより新しい世代の2個体(COL_142とCOL_069)のみで明らかです。52個体全員について同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)分析[32]が実行され、CL1では4 cM(センチモルガン)以上の長さのROH断片を有する3個体(COL_093とCOL_146とCOL_128)が特定されました。対照的に、家系1の他の親族もしくは他の家系では、4 cM以上の個体は見つかりませんでした。
一方で、CL3の個体群は、現代(TSIとCEU+GBRとFIN)と準同時代(MEDEUとNGBIとSCAND)両方のパネルで、混合した遺伝的構成要素を有しています。CL2とCL3の3人の子供も、遺伝的祖先系統の混合パターンを示します。家系2では、おもな遺伝的構成要素はTSI(82~95%)もしくはMEDEU(89~100%)です。現代のパネルでは、家系3はおもにIBS祖先系統を示し、準同時代のパネルを用いると、MEDEU祖先系統を示します。これら3家系内で、IBS構成要素は家系3の個体群と家系1のより後の世代の個体群にのみ存在します。
注目すべきは、家系1、とくにCL1とCL2が、共同体の他の個体と比較して、高い割合のヨーロッパ中央部および北部祖先系統(現代のパネルではCEU+GBRとFIN、準同時代のパネルではNGBIとSCAND)を示しており(CL1とCL2は、現代のパネルで95%、準同時代のパネルで96%なのに対して、その他の個体は、現代のパネルで42%、準同時代のパネルで44%)、この祖先系統は4世代を通じてほぼ変わらなかったことです。これらの観察は、並べ替え検定に基づく現代と準同時代両方のパネルを用いると、統計的に有意でした。家系の個体群と比較して、コッレーニョの親族関係にない個体群が、より混合した祖先系統促成に基づいて、より大きな遺伝的多様性を示すことにも要注意です(図2)。
家系内の遺伝的祖先系統の推定値における一部のわずかな不一致も認識され、とくに、家系3の子供におけるIBS祖先系統の推定値はその両親と比較して低く、個体COL_106におけるわずかな準同時代のアフリカ北部祖先系統や、そのキョウダイのCOL_110におけるサハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統との観察も認識されました。fastNGSadmixなどすべてのクラスタ化手法は、データ品質(とくに網羅率で、本論文の全標本は現代人のDNAと比較して低くなっています)や、検証対象の供給源人口集団がどのように密接に関連しているのか、り、および最尤収束時の多峰性(本論文では複数回の実行で緩和しようと試みられました)など、変数の関数である祖先系統推定において関連誤差を有している、と認識することは重要です。1000万塩基対の塊を用いた単純なブロックブートストラッピング手順が、混合係数の信頼区間(Confidence interval、略してCI)を推定するため実行されました。一般的に、非ヨーロッパ祖先系統のCIはひじょうに狭く、標本および祖先系統全体の平均的な標準偏差(standard deviation、略してSD)は、準同時代のパネルで0.42%、現代のパネルで0.25%でした。ヨーロッパ祖先系統については、CIはずっと大きくなりました(平均SDは、準同時代のパネルで6.6%、準同時代のパネルで8.7%)。本論文では、これはパネルにおけるとくに低い遺伝的分化の祖先系統間の切り替わりのためで、それはこれらが最大のCI、つまりIBS(SDは9.8%)対TSI(SDは9.3%)とNGBI(SDは11.9%)対SCAND(SDは8.1%)を示しているからである、と仮定されました。これと一致して、人口集団のこれら3組の祖先系統を組み合わせると、ずっと狭いCIが得られ(IBS_TSIの4.4%に対してNGBI_SCANDの5.8%)、類似の祖先系統は実行中に祖先系統が切り替わりやすい、との仮説が確証されます。上述の両方の事例は、補足S7で詳細に説明されています。
イタリア北西部の準同時代もしくはわずかに古い2ヶ所の遺跡、つまりバルドネッキア(Bardonecchia)およびトリノ・ラヴァッツァ(Torino Lavazza)遺跡[26]と比較すると、コッレーニョ個体群はとくに家系1で、より高度なCEU+GBRとFINの遺伝的祖先系統を示します(図2)。これは、家系1のほとんどの個体が現代のヨーロッパ北部人口集団とクラスタ化する、PCA図でも確証されます。注目すべきことに、このパターンは準同時代の2ヶ所遺跡では完全に存在しません。しかし、コッレーニョ遺跡、およびランゴバルドの移住の前期段階と関連するハンガリーの準同時代のソラッド(Szólád)遺跡と比較すると、ヨーロッパ北部祖先系統がソラッド遺跡個体群においてより顕著であることが明らかになります。
●IBD分析
ancIBDを用いて、コッレーニョ遺跡(29個体)とこの地域の利用可能な準同時代の標本、つまりルドネッキア遺跡(7個体)およびトリノ・ラヴァッツァ遺跡(4個体)と、現在のハンガリー西部の5~6世紀の遺跡、つまりフォニョード(Fonyód)遺跡(9個体)とハクス(Hács)遺跡(9個体)とバラトンセメシュ(Balatonszemes)遺跡(8個体)[26]とソラッド遺跡(8個体)[26]の、網羅率1倍以上の個体間の同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片が特定されました。これらの遺跡は文献資料や考古学的記録に基づいて、コッレーニョ共同体のあり得る起源だったかもしれない地域に位置しています。他の準同時代のイタリア北部の遺跡とのつながりは在来起源を示唆しているかもしれませんが、以前のパンノニア州の領域であるハンガリー西部とのつながりは、6世紀後半におけるパンノニアからイタリアへのランゴバルドの移住の影響を示しているかもしれません。
次に、対でのIBD共有に基づいて人脈が構築されました(図4)。その結果、構築された家系が実証されました。家系1は大きなクラスタ(まとまり)を形成し、家系2は別の分離したクラスタを形成しました。家系3は、限定的な網羅率のため含まれませんでした。家系1の個体以外で、最大のクラスタは個体COL_036およびCOL_036(この2個体は家系1の個体群と3親等以内ではないため、家系には含まれませんでした)でも構成されました。主要なクラスタはソラッド遺跡の個体(Sz_11)およびフォニョード遺跡の個体(フォニョード_490)へのつながりを示しました。他のクラスタは、バラトンセメシュ遺跡の2個体と関連する家系2の3個体で構成されました。これらのクラスタに加えて、単一の12cMの断片のみを共有していたにも関わらず、ソラッド遺跡の個体Sz_13とつながっている1個体(COL_063)が特定されました。以下は本論文の図4です。
●放射性炭素年代測定
コッレーニョ遺跡では、14点の放射性炭素年代が生成されました。標本抽出された個体は、古代DNA解析の補完のため選択されました。CL2の最古と最新の構成員であるCOL_102とCOL_020、家系2の4個体(COL_110、COL_126、COL_136、COL_148)を含めて家系1の6個体と、家系3の2個体(COL_008とCOL_050)が年代測定され、家系の相対的および絶対的な年代的位置が明らかにされました。その結果、特定された生物学的近縁性とコッレーニョ遺跡の考古学的年代範囲が確証され、最古級の個体(COL_102)の年代は435~591年(95.4%の確率)で、複数の後期の個体の年代は7もしくは8世紀です。相対的に高い割合のIBS構成要素を有する追加の2個体(COL_035とCOL_130)が含められ、コッレーニョ遺跡における最初の出現がさらに年代測定されました。
●ストロンチウム同位体分析
新たに収集されたヒト28個体の標本が、先行研究[13]で刊行されたヒト標本33点および環境標本13点とともに分析され、後者はこの地域において生物学的に利用可能な⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値の決定を可能としました。より控えめ(より広い)な、およびより厳密な(より狭い)局所的ストロンチウム範囲(地元の中心)が特定され、前者は環境標本(これは全ヒト標本の2倍のSDとも一致します)に、後者は非成人の値の2倍のSDに基づいており、再び利用可能な環境標本によって裏づけられます。非成人個体全員と成人個体のほとんどが「地元の中心」と一致する⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値を示したのに対して、両方の地元の範囲外の値の4個体(全員女性で、COL_008とCOL_020とCOL_035とCOL_147)と、より広範囲内ではあるものの、「地元の中心」外の11個体(女性4個体と男性7個体)が特定されました。家系1の複数の第1世代もしくは第2世代の個体(COL_049、COL_087、COL_093、COL_102)は後者の区分に属し、おそらくはコッレーニョ集落地域にとって外来だったものの、より広範な地理的地域で育ったかもしれない、共同体の創始者構成員を示唆しています。外来の痕跡を有する後期の個体(COL_008、COL_020、COL_034、COL_050)も特定でき、個体と集団の移動性が最初の定住後でさえ共同体の発展に重要な役割を果たした、と示唆されます。
●炭素と窒素の同位体分析
新たに収集された28個体のうち27個体から、コラーゲンの抽出に成功しました。この27個体は、先行研究[13]で刊行された以前の31個体の標本とともに分析されました。コッレーニョ共同体の構成員は、C₃およびC₄両方の植物とともに動物性タンパク質を消費していました。ほとんどの個体はC₃植物に依存しており、C₄植物の消費量はごくわずかでした。しかし、個体群の約22%は、C₄植物のかなり多くの消費を示唆する、δ¹³C値の増加を示しており、このC₄植物は中世前期イタリアではキビだった可能性が最も高いでしょう。
すべての個体は雑食性を示唆するδ¹⁵N値を示しました。一部の事例では、高いδ¹⁵N値は高いδ¹³C値と一致しました。これは、C₄植物をある程度の量食べていた動物の消費によって説明できるかもしれません。生物学的性別間で、有意な違いは見つかりませんでした。標本規模が小さいため、死亡時年齢の区分間の差異は、統計的に調べることができませんでした。しかし、遺伝的祖先系統に基づく平均δ¹³C値を比較すると、IBS構成要素が、有意により低いδ¹³C値と一致するので、際立っていました。さらに、家系1の構成員は、共同体の他の構成員と比較すると、有意により高いδ¹³C値を示しました。最後に、密接な親族関係にある個体間(1親等と2親等)の食性選好で、より遠い親族関係か親族関係にない個体群と比較して、類似性が観察されました。
●コッレーニョにおける共同体の形成と発展
上述の考古学と古ゲノミクスと同位体の分析の組み合わせから、埋葬地としてコッレーニョ墓地を使用していた共同体の形成と発展への深い洞察が得られました(図3)。とくに、主要な3段階を特定でき、それは、(1)共同体の形成、(2)遺跡の拡大、(3)新たな人口集団の到来です。
(1)共同体の創設
この葬儀共同体の最古級の構成員は、考古学および放射性炭素年代測定によって示唆されているように、6世紀末に遺跡の中心部に埋葬されました。この初期中核は、地元ではないストロンチウム同位体値を有する個体COL_093(CL1)と個体COL_097(CL2)との間で特製された生物学的近縁性によって示されるように、コッレーニョの到来の前から相互にすでに親族関係にあった、類似したヨーロッパ中央部および北部遺伝的祖先系統を有する個体群の2集団(CL1とCL2)を中心に形成されました(図3A)。地元ではないストロンチウム同位体値を有する個体群の高頻度は、これらCL1およびCL2の第1世代の構成員の比較的初期の年代測定とともに、これらの個体が墓地を設立し、おそらくは墓地を使用した共同体の形成にも役割を果たした、と示唆しています。精巧な帯一式や武器の存在と墓の柱穴構造など、CL1とCL2との間の埋葬慣行の観点での類似性も、社会的結合を示唆しており、最も可能性が高いのはこれらの集団の構成員間の家族関係です。同様にこの地域の精巧な墓に埋葬された親族関係にない成人男性(COL_094)も、地元ではないストロンチウム同位体値の境界線を示しており、この初期段階でさえ、集団は血縁関係のない個体を組み込んでいた、と示唆されます。
家系1(COL_017、COL_143、COL_057、COL_145、COL_146、COL_151)の5~6世紀以前のハンガリーのバラトン湖(Lake Balaton)遺跡とのIBDのつながりは、この地域におけるこの集団の外来起源を示唆し、6世紀後期におけるパンノニアからイタリアへのランゴバルドの移住を記載した歴史的資料と一致するかもしれません。家系1と生物学的に親族関係ではありませんが、家系2の3個体は同様にともに埋葬されました。これとその類似した放射性炭素年代測定から、この3個体もこの初期共同体の構成員だった、と示唆されます。その埋葬は単純で浅い土坑墓で、副葬品が欠けており、家系1の埋葬と容易に区別でき、その遺伝的祖先系統も顕著に異なっています。家系2も近隣のバルドネッキア遺跡の個体群と複数のIBDのつながりを示しており、家系1の事例とは異なる起源が示唆されます(図4)。コッレーニョ共同体はおそらくCL1を中心に形成されましたが、さまざま遺伝的・社会的・文化的背景の個体群を惹きつけ、異質な集団の共存を通じて形成されました。
同時に、第二の中核が、CL3の3キョウダイ(COL_053、COL_049、COL_047)の南北の列を中心に、コッレーニョ遺跡の東部で形成されました。これらの個体はCL1およびCL2の個体群と比較して、顕著に高い割合のTSIもしくはMEDEU構成要素を有しています。この3キョウダイは、遺CL1およびCL2の個体群と比較して伝的祖先系統における顕著な違いを示しているにも関わらず、その埋葬は柱穴構造のある墓に精巧な帯一式や武器とともに埋葬されたCL1およびCL2の個体群との明確な類似性を示しますが、いくつかの違いも観察できます。この3キョウダイは全員、金製の葉形十字架で埋葬されており、これはCL1およびCL2の埋葬には存在しない、イタリアの他のランゴバルド期の埋葬で知られている人工遺物の種類です。その空間的分離も、コッレーニョ遺跡の創設時に、CL3の構成員が独特な帰属意識を維持していたかもしれない、と示唆しています。この見解については、CL1およびCL2で観察されたより多くのC₄植物とは対照的な、C₃植物へのおもな依存を示唆するδ¹³C値によって証明されているように、これらの個体の異なる食性からもさらなる裏づけが見つかります(図5A)。個体COL_049は、CL1の個体COL_093と類似した、地元ではないストロンチウム同位体値を示しますが、CL3の構成員が家系1の他の構成員とともに到来したのかどうか、示すことはできません。CL1およびCL2とより近い食性値を有する遠い親族関係にある個体COL_099を除いて、CL2とも関連する個体も含めてCL3のすべての特定された構成員は、数十年後に複数の方向へも拡大された同じ埋葬群に葬られました。以下は本論文の図5です。
(2)コッレーニョ遺跡の拡大
墓地の使用を通じて、CL3の構成員は同じ一般的な区域に埋葬されていましたが、家系1の他の系統は異なるパターンを示します。その中核はコッレーニョ遺跡の後期段階で放棄され、CL2の1系統は消滅した(その最新の構成員は両方とも幼い子供です)か、コッレーニョ共同体を去りましたが、その他の系統とCL1の構成員は墓地の西部に移転し、第三の中核を形成しました(図3B・C)。別々の埋葬群の設立から、コッレーニョ共同体は少なくとも埋葬儀式において、拡大家系よりもこれらの小さく緊密な社会集団を重視しており、と示唆され、これは一部の他のイタリアの遺跡で観察される特徴です。密接な親族関係にある個体の食性パターンの類似性も、これらの密接な結合集団の重要性を示しています。家系2の構成員は、相互に隣り合って死者を埋葬し続けたので、CL1の構成員に続いており、そその異なる遺伝的および考古学的特徴にも関わらず、この2集団間の強い社会的つながりを再び示唆します。家系1および2のその後の世代の個体群は、この地域で生物学的に利用可能なストロンチウム同位体値を示し、子供によって示唆される地元の範囲内にも収まっています。これは安定した共同体を示唆しますが、家系1における女性の人数が比較的少なく(家系1以外の成人の遺伝的性別間の男女ともに均衡のとれた16個体ずつと比較すると、成人男性14個体と成人女性7個体)、同じ遺跡で特定された親と子供の両方がいる女性は1個体(COL_087)だけという事実から、成人女性はおそらく族外婚もしくは他の社会的慣行の結果として共同体を離れたかもしれない、と示唆されます。
(3)新たな人口集団の到来
コッレーニョ遺跡の後期には、地元ではないストロンチウム同位体値の個体群の出現も含まれ、そうした個体群の年代測定は、家系での位置づけ(COL_020)や放射性炭素年代測定(COL_050、COL_008)や層序によって確証され、つまりは埋葬の重層です(COL_050、COL_035)。個体COL_002とCOL_050とCOL_008の親子3人(家系3)は顕著なIBS構成要素を示し、これはCEU+GBRおよびTSI構成要素をおもに有する家系の初期の構成員には存在しません。このIBS構成要素は、初期では1個体(COL_094)のみに存在しました。しかし、IBS構成要素は家系の最期の構成員(COL_017、COL_020、COL_039)ではより一般的になりました。家系3の構成員(COL_002、COL_008、COL_050)と、顕著なIBS構成要素を伴う類似した遺伝的祖先系統の他の親族関係にない個体群(COL_034、COL_035、COL_036、COL_056、COL_077、COL_079、COL_095)の構成員も、著しく異なる考古学的特徴を示しており、それは、これらの個体が複数回、以前の埋葬と重なる墓とともに、コッレーニョ遺跡の中心部で小さく不定な形状の単純な穴状の遺構に副葬品なしで埋葬されていたからで、これは後期の年代を示唆しています(個体COL_035とCOL_050の放射性炭素年代測定によっても確証されました)。さらに、この集団の構成員は一見すると異なる食性を示しており、この食性は、設立された共同体の食性と比較すると、C₃植物の消費のより高い割合を示唆する、有意により低いδ¹³C値によって特徴づけられます。したがって、これらの個体は異なる遺伝的祖先系統を有する新たに到来した集団の構成員だった可能性が高く、この集団はコッレーニョ遺跡の後期段階に共同体に加わり(図3D)、家系1の最終構成員(個体COL_020とCOL_039)、および、ancIBDによってのみ特定されたそのより遠い(6親等以上)不特定の親族(COL_033、COL_036)と同時代です。興味深いことに、この大きな影響の集団水準の移動はコッレーニョ遺跡の最終的な放棄の頃に起きており、両事象【集落への移動と集落の放棄】は、8世紀初頭にこの(より広い)地域に影響を及ぼした、共同体水準の再編成と関連していたかもしれません。
●共同体の形成と発展における上流階層の役割
上述のように、本論文は大きく生物学的に親族関係にある集団(家系1)を特定し、家系1はコッレーニョ遺跡の創設から少なくとも5世代を経てその放棄までにまたがっており、分析された52個体のうち24個体を含んでいます。CL1とCL2とCL3の間の遺伝的祖先系統と食性選好の違いにも関わらず、その構成員の埋葬は埋葬慣行において一般的な類似性を示すものの、わずかな差異もあります。武器と精巧な帯一式の存在は、家系1と有意な相関を示しました(図2)。スパタ(spatha)と呼ばれる諸刃の剣やサックス(sax)と呼ばれる片刃の剣や槍や盾などさまざまな種類の武器と、動物様式2で装飾された精巧な多部品の帯一式は、男性の埋葬における社会的および経済的権力の象徴と一般的に考えられています。これらの人工遺物の種類はイタリアにおいて、新たな種類の上流階層の明確な兆候としてのランゴバルドの征服の後で、6世紀の後半1/3に出現します。家系1のほとんどの成人男性は、その遺伝的祖先系統に関係なく、これらの品目とともに埋葬されていましたが(14個体のうち12個体が武器と帯一式で埋葬されました)、家系1以外の分析された個体の埋葬(成人男性12個体)では、これらは存在しませんでした。家系1における女性個体の少なさのため、生物学的近縁性と埋葬慣行との間の同様の統計的比較はできませんでした。
特定の減少は家系の特定の系統にのみ特徴的で、金製の葉形十字架はCL3の3キョウダイ(COL_047、COL_049、COL_053)の埋葬でしか見つからず、より緊密な結合群と関連する伝統が示唆されます(図3E)。これは、密接な親族関係にある個体群の食性値(たとえば、CL3のキョウダイもしくは親子のCOL_087とCOL_084)が、より遠い親族もしくは生物学的に親族関係にない個体と顕著な偏差を示す一方で、密接にクラスタ化する傾向にある、という事実によってさらに裏づけられます。系統と分枝に固有の刊行は、別々の埋葬群および栄養パターンの確立とともに、これらの分枝が意味のある社会的勝ちを保持しており、おそらくは中世前期ヨーロッパ社会の中核単位である家族もしくは世帯として解釈できる、と示唆します。これらの単位は生物学的に親族関係にある集団を中心に形成されましたが、おそらくは法的か空間的か経済的理由で親族関係にない個体群も取り込んだかもしれません。家系1および家系2の同様の空間的発展と食性パターンは、この証拠かもしれません。
家系1のさまざまな系統間での埋葬慣行の類似性は、その遺伝的祖先系統に関係なく(とくにもCL1からCL2とCL3との間で)、埋葬はこの集団内の社会的結合の維持だけではなく、親族関係にない構成員の除外と「我々と彼ら」との間の区別にも使用されていた、と示唆されます。古食性分析はこの理論への裏づけをさらに提供し、それは、家系1の構成員とコッレーニョ共同体の他の構成員との間で平均δ¹³C値の統計的に有意な違いが明らかになったからです(図5A)。これが示唆するのは、そうした個体は共同体の他の構成員と定期的には食事を共有しておらず、共同体の他の構成員と比較して、異なる食資源の取り入れを積極的に選択していた、ということです。家系1遺骸の柱穴構造と武器と複雑な帯一式の欠如は、これらの埋葬の排他性をさらに強調します。
興味深いことに、これらの類似性はCL2とCL3との間のつながりに先行します。栄誉ある人工遺物の存在から、「創始者家族」は共同体内の高い経済的および/もしくは社会的地位を維持した、と示唆され、経時的変化のため一定の違いが観察されるものの、家系の終焉までこれらの人工遺物とともに男性が継続的に埋葬されていることによって証明されているように(図3E)、これはその子孫が多世代を通じて維持した地位です。これは、社会的地位が名声に基づくのではなく継承されていた、安定した階層構造を示しています。最新の構成員の埋葬における副葬品の少なさもしくは欠如は、おそらくその経済的および社会的地位の変化と関連しておらず、一般的な傾向の結果で、ヨーロッパ西部全体で7世紀半ばまでに、副葬品が埋葬から消え始めます。家系1の構成員(地元ではないストロンチウム同位体値を示すCOL_020)の最後の埋葬から間もなく、8世紀の最初の数十年にコッレーニョ遺跡が放棄されたことは、これら指導的一族の移転もしくは絶滅か、あるいは8世紀以降の一般的傾向の一部として近隣の教会墓地を選好しての、埋葬地場所変更の結果かもしれません。
コッレーニョ遺跡もしくはその近くには、6聖域前半/半ばから東ゴート王国期に至ると明確に年代測定される、埋葬および集落構造があります。家系1の構成員は、以前の政権を置換した6世紀後半におけるイタリア北部のランゴバルドの占領後に新たな共同体を築いた、新興上流階層を表しているようです。遺伝学的結果から、血縁関係が、ランゴバルド王国の初期段階に埋葬慣行によって特定されたこれら新興上流階層間の社会的親族関係の形成に重要な役割を果たしたかもしれない、と示されますが、そうした新興上流階層は遺伝的に均一な集団と必ずしも理解できないかもしれません。CL1とCL2の構成員はおもに、この地域の利用可能なそれ以前および準同時代の遺跡(バルドネッキアおよびトリノ・ラヴァッツァ)には存在せず、移住の結果かもしれない、ヨーロッパ中央部および北部の遺伝的祖先系統を有していました。この可能性は、歴史資料によるとイタリアへのランゴバルドの移住の出発点として機能した領域である、パンノニアとのIBDのつながりによって強化されます。一方でCL3は、地理的に近い他の準同時代遺跡群と類似し、長距離のIBDのつながりを欠いている、遺伝的祖先系統を示します(図4)。しかし、これらの解釈はデータセットの低解像度によって大きく制約されており、近隣地域の準同時代遺跡群の追加の標本が、これらのつながりの真の重要性の理解には必要でしょう。現時点で、この遺伝的異質性がイタリアへの到来前にすでに確立しており、文献に見えるアルボイーノの移住と関連する民族名の長い一覧と一致しているのかどうか、あるいは、考古学的記録によって示唆されるように、新参者の慣行を取り入れた地元上流階層の同化の地域的過程の結果なのか、識別できません。それにも関わらず、これらの共同体の上流階層は、戦略的に重要な場所を占領することによって、都市を基盤とする政権において農村地域での権力の行使と政治的支配の維持にひじょうに重要な役割を果たしました。
●まとめ
本論文の結果は、多くのローマの構造が解体し、新たなローマ後の国家であるランゴバルド王国が6世紀後半~7世紀前半にイタリアで統合されつつあった移行期に形成された、新たな共同体の複雑さに光を当てます。コッレーニョ共同体は生物学的および社会的に関連する個体群の人脈によって設立されて、その人脈を中心に組織化され、その人脈で最も可能性が高いのは複数の上流階層家族で、この上流階層家族を通じて、ランゴバルド王国はイタリア征服後の農村地域において権力を行使し、維持しました。これらの家族は、同一の社会的地位ではないとしても同様である、埋葬慣行と食性パターンの両方において類似性を示しましたが、この家系は大きく異なる遺伝的祖先系統の個体群を含んでおり、その大半は、この集団内において顕著な割合でおもに見られる、ヨーロッパ中央部および北部の遺伝的構成要素を有していました。この家系の複数の構成員は、イタリアへのランゴバルドの移住の出発点である、ハンガリー西部の先行する遺跡の個体群との遠い遺伝的つながりを示しています。これらの集団は経時的に単一の拡大家系へと発展しましたが、同時に、その埋葬慣行と生活様式において共同体の他の構成員とは分離した一部の形態を維持しました。その埋葬における武器や精巧な帯一式の存在と排他性や異なる食性から、この拡大家系は高い社会的地位を有しており、子孫に伝え、文献に記載されているように地位の継承が確立した社会だった、と示唆されます。
この上流階層と同様に、コッレーニョ共同体はさまざまな遺伝的祖先系統の個体群も含んでおり、新たに到来した個体群および集団の統合を通じて、その異質性を維持し、それは、移動がさまざまな段階で共同体の発展に重要な役割を果たしたからです。このコッレーニョ遺跡の事例研究の結果は、政治権力の変動と移住が、ローマ帝国の解体跡と、新たな王国の出現期間において、以前のローマ帝国の中核領域の1ヶ所のある小さな農村共同体の形成と発展にどのように影響を及ぼしたのか、示します。さらに、中世前期の上流階層は異質な背景の個体群を統合でき、これらの上流階層は、生物学的に均質な集団に属するのではなく、(政治的)作用の結果だった、と示されます。この概念は、アルボイーノ王の移動する従者の異質性に関するパウルス・ディアコヌス(Paulus Diaconus)の記述とよく一致します。
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新たな28個体のゲノムを以前の24個体のゲノムとともに分析すると、コッレーニョ遺跡は生物学的および社会的につながった高位集団を中心に形成された、と明らかになりました。この共同体は新参者も統合し、多様な遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の個体群を包含しました。本論文は、ローマ帝国崩壊後の権力の移行と移住が、それ以前の西ローマ帝国の中核領域の一つの農村地域における共同体形成にどのように影響を及ぼしたのか、浮き彫りにします。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
また、本論文の略称は以下の通りです。CEU+GBR(Northern Europeans from Utah and British in England and Scotland、アメリカ合衆国ユタ州のヨーロッパ北部人およびイングランドとスコットランドのイギリス人)、FIN(Finnish in Finland、フィンランドのフィン人)、IBS(Iberian populations in Spain、スペインのイベリア半島人口集団)、TSI(Tuscans from Italy、イタリアのトスカーナ人)、EAS(East Asian superpopulation、アジア東部超人口集団)、SAS(South Asian superpopulation、アジア南部超人口集団)、YRI(Yoruba in Ibadan, Nigeria、ナイジェリアのイバダンのヨルバ人)、MEDEU(Mediterranean European、地中海ヨーロッパ人、イタリアとイベリア半島)、NGBI(northern Germany and Britain、ドイツ北部とブリテン島)、SCAND(Scandinavia/Estonia、スカンジナビア半島/エストニア)EASIA(台湾の漢本)、NAFRICA(現在のスーダン)、SASIA(インドのループクンド湖)、SUBSAHARAN(サハラ砂漠以南のアフリカの複数の遺跡)。
●要約
中世前期のローマ帝国後のヨーロッパの形成において、大規模および小規模両方の水準で上流階層はひじょうに重要な役割を果たしました。歴史と考古学は長年、文字資料に基づくか、もしくは考古学的記録を通じて、その記述と同定に焦点を当ててきました。本論文は、6~8世紀頃の、イタリアのコッレーニョの近くのランゴバルド期の共同体における、そうした上流階層の1集団の役割への洞察を得るために、古ゲノムと考古学と同位体のデータの統合によって、この問題について異なる視点を提供します。
以前に刊行された24個体のゲノムとともに新たに配列決定された28個体のゲノムの分析は、ストロンチウム(Sr)や炭素(C)や窒素(N)の同位体測定と組み合わされることで、この共同体が、経時的に単一の拡大家系へと発展した複数の上流階層家族で構成されていた可能性が高い、生物学的および社会的に関連する個体群の人脈によって、および人脈を中心に創設された、と明らかにしました。この共同体には多様な遺伝的祖先系統の個体群も含まれており、新参者の統合による多様性および共同体が存在した後期の集団を維持しました。
本論文は、政治権力の移行と移住が、西ローマ帝国の消滅と新たな王国の出現後に、それ以前の西ローマ帝国の重要地域内の小さな農村共同体の形成と発展にどのように影響を及ぼしたのか、浮き彫りにします。さらに、中世前期の上流階層にはさまざまな背景の個体群を組み入れる能力があり、これらの上流階層は生物学的に均一な集団に属しているのではなく、(政治的)作用の結果だった、と示唆されます。
●研究史
既存の共同体の消滅と新たな共同体の設立は、政治的移行もしくは社会的変化の結果であることが多く、特定の集団の移転と人々の移住にも関連している場合はなおさらです。こうした状況では、知的・宗教的・軍事的など、どれであれ、さまざまな上流階層の重要性が増した可能性は高い、と理論化されてきました。現在まで、歴史時代において示された上流階層に関するほとんどの研究は、上流階層の特定と記述のため、文献および埋葬のデータに依拠してきました。しかし、これらのよく調査された手法を新たな古ゲノムおよび同位体データと組み合わせることで、これら上流階層集団がどのように形成されて組織されたのか、地位はどのように獲得もしくは継承されたのか、人口集団の他の人々とはどのような関係だったのかについて、より包括的な記述を提供できるかもしれません。そうした情報は、上流階層が集団の結束の維持もしくは再生にどのような役割を果たしたのか、および、上流階層は新たな共同体の形成の原動力を促進したと理解できるのかどうか、という理解に重要です。
いわゆる移動期(4~9世紀頃)のヨーロッパ西部および中央部全域では、新たに形成された(戦士)上流階層によって築かれ新たな政治制度や分国(regna)や王国が、以前の西ローマ帝国の領域で政治的および社会的階層を支配するようになりました。よく知られた1事例は、ランゴバルドのアルボイーノ(Alboin)王が568年にその多民族的従者とともにパンノニアから移動し、イタリアで王国を築いた時です。その頃、イタリア半島は残酷な戦争を何十年も経ており、その戦争では、何十年にもおよぶローマ(ビザンツ帝国)の軍隊によるイタリア再征服の試みのため、大規模な社会的・経済的・制度的破壊が起きていました。そのため、「蛮族」王国の出現は、単なる政治的変化を意味するだけではなく、社会的および文化的変遷も意味していました。
新たな到来者は、イタリア在来の人口集団と比較して少数派でした。その最高の上流階層や王や大公や他の官吏は、ヴェローナやミラノやパヴィーアやトリノなど重要な都市中心部を占拠し、町を中心とした王国として既存の行政権力を維持しました。新参上流階層は、在来の地主を置換もしくは同化し、新たな共同体を築いた新興の戦士上流階層によって戦略的に重要な場所を占領することで、農村地域で権力を行使しました。イタリア北西部のトリノ近郊のコッレーニョの墓地はそうした共同体に属しており、ランゴバルドの占領の初期段階である6世紀末に築かれ、少なくとも1世紀は使用され続けました(図1)。以下は本論文の図1です。
コッレーニョに関する先行研究は24個体を分析し、最初期段階における大規模な父系の生物学的親族関係を明らかにし、ヨーロッパ中央部および西部の遺伝的祖先系統と外来起源の程度はさまざまでした[13]。本論文では、以前の標本抽出が、墓地の存続の全期間を表す追加の28個体、および追加のストロンチウムと炭素と窒素の同位体分析で補完されました。まず、以前に可能だったよりも詳細に、コッレーニョに埋葬された共同体の形成と発展を記述するため、統合的な枠組みでこれらのデータが使用されました。次に、内部の年代枠組みに基づいて、生物学的近縁性がコッレーニョ遺跡で果たした役割と、広範で多世代の家系と共同体の他の個体群との間の関係が調べられました。
●コッレーニョ遺跡の記述と標本抽出
コッレーニョはイタリア北西部のピエモンテ州トリノ県の西方7kmの、ドーラ川の交差点近くに位置します。2002~2006年に、考古学的複合遺跡が、イタリアとガリアを結ぶヴァル・ディ・スーザ(Val di Susa)とアルプス峠に通じる重要な道に沿って発掘されました。集落の痕跡と年代的に異なる2ヶ所の墓地を形成する埋葬が明らかになり、その墓地は、ゴート期(6世紀前半~半ば)の8ヶ所の埋葬で構成されるより小さな墓地と、ランゴバルド期となる大きな墓地です。考古学的証拠から、この集落地域はこの2期間を通じて複数の共同体によって使用されたものの、両者の間に連続性はなかった、と示唆されます。
まとめると、157基の墓がランゴバルド期に年代測定でき、それには149個体のヒト(成人では男性の比率がより高く、女性40個体と比較して男性65個体ですが、死亡時年齢の分布は類似しています)と1頭のウマが含まれますが、7基の墓には観察可能な骨学的遺骸がありませんでした。この墓はすべて東西方向で、多かれ少なかれ規則正しい南北の列を形成しています。墓は墓地の北西部と東部でより密集しており、区別可能ではあるものの明確には分離できない2埋葬群を形成しています。人工遺物の種類と埋葬慣行の変化と墓間の多くの重層に基づく考古学的年代測定から、この遺跡の使用は3期に区分される少なくとも1世紀にまたがっていた、と示唆されます[13]。この遺跡は、イタリアにおけるランゴバルドの占領の初期段階である6世紀後期に築かれました。初期の埋葬は柱穴構造形態の特徴的な建築様式で、宝石類や武器や精巧な帯一式や道具など比較的多くの人工遺物が含まれており、これらの人工遺物はメロヴィング朝期ヨーロッパ西部だけではなく、6世紀ドナウ川中流域ともつよい文化的つながりを示しています。7世紀における副葬品の一般的な消滅のため、この遺跡の放棄は考古学的年代測定がずっと困難ですが、7世紀後半~8世紀の埋葬に典型的な人工遺物のない単純な土坑墓の多さから、この遺跡は7世紀を通じて、および少なくとも8世紀初頭には使用され続けた、と示唆されます[13]。
コッレーニョ遺跡の28点の新たな標本からゲノムデータが生成されました。錐体骨と耳小骨からのDNA抽出のイルミナ(Illumina)配列決定が実行され、内在性含有量が多く、ライブラリの複雑性が高く、古代DNAに特徴的な死後損傷パターン(patterns of postmortem damage、略してPMD)がありました。標本のうち13点が男性、15点が女性でした。男性のX染色体および両性のミトコンドリアDNA(mtDNA)マッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)読み取りの分析は、全個体における低水準の推定汚染(平均で1%程度)を明らかにしました。28個体のゲノムライブラリは部分的なウラシルDNAグリコシラーゼ(uracil-DNA-glycosylase、略してUDG)処理を経て、次に120万ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)を対象とする溶液内捕獲を経ました(以後、124万捕獲と呼ばれます)。これらのSNPにおける平均網羅率は約1.39倍でした。下流分析では、28個体全員が使用され、以前に刊行された24個体と組み合わされ、遺跡のすべての埋葬群と期間を等しく表し、骨試料の利用可能性と保存状態によってのみ制約された、合計52個体が得られました。
●遺伝的多様性と家系
AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)第50版で見つかったアフィメトリクス(Affymetrix)社のヒト起源(Human Origins、略してHO)配列データの現代ユーラシア人口集団[16、17、19、21、22]や、ヨーロッパPOPRES(Population Reference Sample、人口集団参照標本)データベースに基づく、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)を用いて、52個体全員の遺伝的多様性が調べられました。その結果、古代の個体群はヨーロッパ現代人とかなり重なる(ものの、大陸規模の非ヨーロッパ地域とは重ならない)遺伝的祖先系統を有しており、ヨーロッパの北部から南部への軸に沿って広く拡大する多様な分布が論証される、と分かりました。
本論文は、コッレーニョ共同体の遺伝的構造をさらに調べるため、モデルに基づくクラスタ化(まとまり)手法(fastNGSadmix)を用いて、参照として1000人ゲノム計画(1000 Genomes Project、略して1000G)の7人口集団を使って、コッレーニョの各個体のゲノム祖先系統を特徴づけました。さらに、現在人の参照パネルと類似した地理的分布を有する先行研究[26]で記載された準同時代の参照パネル(4~8世紀)も用いて、現代の標本抽出の偏りなしに個体群がとのようにクラスタ化されるのか、との視点を提供します(図2)。本論文は、イベリア半島の個体群と準同時代のパネルの地中海地域の個体群を区別せず、それは、古代イベリア半島個体群の限定的な網羅率が、別々の人口集団の構築を裏づけることはできないからです[26]。準同時代の参照標本での教師なしAMIXTURE分析が、準同時代の参照標本の方がより低い配列品質にも関わらず、1000Gデータと同様に人口集団を区別する類似の地域的および小地域的権力を示した、ことに要注意です。以下は本論文の図2です。
教師有fastNGSadmix分析で推定されたコッレーニョにおける顕著な現代人の遺伝的構成要素はTSI(42%)で、それに続くのがヨーロッパ中央部および大ブリテン島のCEU+GBR(39%)でした。14%の有意なIBS構成要素も観察されました。準同時代のパネルは同様のパターンを示し、ヨーロッパの人口構造は鉄器時代以降ほぼ安定したままである、と論証した先行研究[27]と一致します。準同時代のパネルでは、MEDEUの55%と、NGBIの35%の構成要素が顕著です(現代人のパネルで観察されたTSIおよびIBS構成要素は、より広範なMEDEU構成要素へと包摂されます)。しかし、いくつかの小さな違いがあることも観察され、たとえば、現代人のパネルのFINと比較すると、準同時代のパネルのSCANDの割合がより高くなっています。
本論文のfastNGSadmix分析を検証するため、個体単位のqpAdmモデル化がさらに使用され、コッレーニョ個体群の遺伝的祖先系統が評価され、準同時代パネルを用いてのモデルに基づくクラスタ化分析で得られた遺伝的祖先系統でのqpAdmモデルで予測される祖先系統の割合と比較されました。この2手法間で高度に一致する祖先系統の割合が得られ、ピアソンの積率相関係数はヨーロッパ北部(NGBIとSCAND)祖先系統構成要素では0.96、ヨーロッパ南部(MEDEU)遺伝的祖先系統構成要素では0.95でした。この明らかな一致は、視覚的にも観察できます。さらに、qpAdmの調査結果は本論文のPCAの結果を補強し、コッレーニョ個体群はヨーロッパ人口集団のみとクラスタ化する、と示唆されます(例外は、最小網羅率の個体COL_110と、高度に汚染された個体COL_031です)。
lcMLkinを用いて、本論文の調査対象の個体間の生物学的近縁性が評価され、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)とKINとancIBDでその結果が検証されました。新たに配列決定された28個体と以前に刊行された24個体に基づいて、本論文の分析は既知の2組の生物学的親族関係を単一の拡張家系(家系1)に統合しました。さらに、別の家系(家系2)が拡張され、墓地内の第三の異なる家系(家系3)の特定にも成功しました(図3E)。以下は本論文の図3です。
家系1はとくに広範で、5世代にまたがり、24個体から構成されています。家系1はさらに、生物学的に親族関係にある個体群の密接な3結合群に区分され、CL1・CL2・CL3と分類されました。これらの集団は2人の配偶者がいる男性1人を中心に形成された直接的系統(CL2)か、キョウダイの組み合わせ(CL1およびCL3)を表しており、CL1とCL3の間には、より遠い生物学的近縁性があります。CL1とCL2は不特定の3親等のつながりを通じて親族関係にありますが、CL3は、父親がCL2、母親がCL3に属する個体COL_017を通じて、CL2とつながっています。家系2は3親等の近縁性を示すキョウダイの2群と、両方のキョウダイの組み合わせと親族関係にある追加の1個体で構成されています。最後に、両親と子供の3人で構成される小さな家系3が特定されました。
家系の個体の色(図3E)は、現代(左側)と準同時代(右側)両方のパネルによって生成されたfastNGSadmixの結果を示しています。家系1のCL1とCL2については、個体群はおもに、現代のヨーロッパ中央部および大ブリテン島(CEU+GBR)に加えてFINの遺伝的祖先系統と、準同時代のドイツ北部およびブリテン島(NGBI)に加えてSCANDの遺伝的祖先系統を有しています。しかし、CL1とCL2が現代のパネルでは同様の祖先系統の割合を有していますが、準同時代のパネルは両者を区別しており、CL1の個体は全員顕著なSCAND構成要素(20~37%)を有しているのに対して、これはCL2ではより新しい世代の2個体(COL_142とCOL_069)のみで明らかです。52個体全員について同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)分析[32]が実行され、CL1では4 cM(センチモルガン)以上の長さのROH断片を有する3個体(COL_093とCOL_146とCOL_128)が特定されました。対照的に、家系1の他の親族もしくは他の家系では、4 cM以上の個体は見つかりませんでした。
一方で、CL3の個体群は、現代(TSIとCEU+GBRとFIN)と準同時代(MEDEUとNGBIとSCAND)両方のパネルで、混合した遺伝的構成要素を有しています。CL2とCL3の3人の子供も、遺伝的祖先系統の混合パターンを示します。家系2では、おもな遺伝的構成要素はTSI(82~95%)もしくはMEDEU(89~100%)です。現代のパネルでは、家系3はおもにIBS祖先系統を示し、準同時代のパネルを用いると、MEDEU祖先系統を示します。これら3家系内で、IBS構成要素は家系3の個体群と家系1のより後の世代の個体群にのみ存在します。
注目すべきは、家系1、とくにCL1とCL2が、共同体の他の個体と比較して、高い割合のヨーロッパ中央部および北部祖先系統(現代のパネルではCEU+GBRとFIN、準同時代のパネルではNGBIとSCAND)を示しており(CL1とCL2は、現代のパネルで95%、準同時代のパネルで96%なのに対して、その他の個体は、現代のパネルで42%、準同時代のパネルで44%)、この祖先系統は4世代を通じてほぼ変わらなかったことです。これらの観察は、並べ替え検定に基づく現代と準同時代両方のパネルを用いると、統計的に有意でした。家系の個体群と比較して、コッレーニョの親族関係にない個体群が、より混合した祖先系統促成に基づいて、より大きな遺伝的多様性を示すことにも要注意です(図2)。
家系内の遺伝的祖先系統の推定値における一部のわずかな不一致も認識され、とくに、家系3の子供におけるIBS祖先系統の推定値はその両親と比較して低く、個体COL_106におけるわずかな準同時代のアフリカ北部祖先系統や、そのキョウダイのCOL_110におけるサハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統との観察も認識されました。fastNGSadmixなどすべてのクラスタ化手法は、データ品質(とくに網羅率で、本論文の全標本は現代人のDNAと比較して低くなっています)や、検証対象の供給源人口集団がどのように密接に関連しているのか、り、および最尤収束時の多峰性(本論文では複数回の実行で緩和しようと試みられました)など、変数の関数である祖先系統推定において関連誤差を有している、と認識することは重要です。1000万塩基対の塊を用いた単純なブロックブートストラッピング手順が、混合係数の信頼区間(Confidence interval、略してCI)を推定するため実行されました。一般的に、非ヨーロッパ祖先系統のCIはひじょうに狭く、標本および祖先系統全体の平均的な標準偏差(standard deviation、略してSD)は、準同時代のパネルで0.42%、現代のパネルで0.25%でした。ヨーロッパ祖先系統については、CIはずっと大きくなりました(平均SDは、準同時代のパネルで6.6%、準同時代のパネルで8.7%)。本論文では、これはパネルにおけるとくに低い遺伝的分化の祖先系統間の切り替わりのためで、それはこれらが最大のCI、つまりIBS(SDは9.8%)対TSI(SDは9.3%)とNGBI(SDは11.9%)対SCAND(SDは8.1%)を示しているからである、と仮定されました。これと一致して、人口集団のこれら3組の祖先系統を組み合わせると、ずっと狭いCIが得られ(IBS_TSIの4.4%に対してNGBI_SCANDの5.8%)、類似の祖先系統は実行中に祖先系統が切り替わりやすい、との仮説が確証されます。上述の両方の事例は、補足S7で詳細に説明されています。
イタリア北西部の準同時代もしくはわずかに古い2ヶ所の遺跡、つまりバルドネッキア(Bardonecchia)およびトリノ・ラヴァッツァ(Torino Lavazza)遺跡[26]と比較すると、コッレーニョ個体群はとくに家系1で、より高度なCEU+GBRとFINの遺伝的祖先系統を示します(図2)。これは、家系1のほとんどの個体が現代のヨーロッパ北部人口集団とクラスタ化する、PCA図でも確証されます。注目すべきことに、このパターンは準同時代の2ヶ所遺跡では完全に存在しません。しかし、コッレーニョ遺跡、およびランゴバルドの移住の前期段階と関連するハンガリーの準同時代のソラッド(Szólád)遺跡と比較すると、ヨーロッパ北部祖先系統がソラッド遺跡個体群においてより顕著であることが明らかになります。
●IBD分析
ancIBDを用いて、コッレーニョ遺跡(29個体)とこの地域の利用可能な準同時代の標本、つまりルドネッキア遺跡(7個体)およびトリノ・ラヴァッツァ遺跡(4個体)と、現在のハンガリー西部の5~6世紀の遺跡、つまりフォニョード(Fonyód)遺跡(9個体)とハクス(Hács)遺跡(9個体)とバラトンセメシュ(Balatonszemes)遺跡(8個体)[26]とソラッド遺跡(8個体)[26]の、網羅率1倍以上の個体間の同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片が特定されました。これらの遺跡は文献資料や考古学的記録に基づいて、コッレーニョ共同体のあり得る起源だったかもしれない地域に位置しています。他の準同時代のイタリア北部の遺跡とのつながりは在来起源を示唆しているかもしれませんが、以前のパンノニア州の領域であるハンガリー西部とのつながりは、6世紀後半におけるパンノニアからイタリアへのランゴバルドの移住の影響を示しているかもしれません。
次に、対でのIBD共有に基づいて人脈が構築されました(図4)。その結果、構築された家系が実証されました。家系1は大きなクラスタ(まとまり)を形成し、家系2は別の分離したクラスタを形成しました。家系3は、限定的な網羅率のため含まれませんでした。家系1の個体以外で、最大のクラスタは個体COL_036およびCOL_036(この2個体は家系1の個体群と3親等以内ではないため、家系には含まれませんでした)でも構成されました。主要なクラスタはソラッド遺跡の個体(Sz_11)およびフォニョード遺跡の個体(フォニョード_490)へのつながりを示しました。他のクラスタは、バラトンセメシュ遺跡の2個体と関連する家系2の3個体で構成されました。これらのクラスタに加えて、単一の12cMの断片のみを共有していたにも関わらず、ソラッド遺跡の個体Sz_13とつながっている1個体(COL_063)が特定されました。以下は本論文の図4です。
●放射性炭素年代測定
コッレーニョ遺跡では、14点の放射性炭素年代が生成されました。標本抽出された個体は、古代DNA解析の補完のため選択されました。CL2の最古と最新の構成員であるCOL_102とCOL_020、家系2の4個体(COL_110、COL_126、COL_136、COL_148)を含めて家系1の6個体と、家系3の2個体(COL_008とCOL_050)が年代測定され、家系の相対的および絶対的な年代的位置が明らかにされました。その結果、特定された生物学的近縁性とコッレーニョ遺跡の考古学的年代範囲が確証され、最古級の個体(COL_102)の年代は435~591年(95.4%の確率)で、複数の後期の個体の年代は7もしくは8世紀です。相対的に高い割合のIBS構成要素を有する追加の2個体(COL_035とCOL_130)が含められ、コッレーニョ遺跡における最初の出現がさらに年代測定されました。
●ストロンチウム同位体分析
新たに収集されたヒト28個体の標本が、先行研究[13]で刊行されたヒト標本33点および環境標本13点とともに分析され、後者はこの地域において生物学的に利用可能な⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値の決定を可能としました。より控えめ(より広い)な、およびより厳密な(より狭い)局所的ストロンチウム範囲(地元の中心)が特定され、前者は環境標本(これは全ヒト標本の2倍のSDとも一致します)に、後者は非成人の値の2倍のSDに基づいており、再び利用可能な環境標本によって裏づけられます。非成人個体全員と成人個体のほとんどが「地元の中心」と一致する⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値を示したのに対して、両方の地元の範囲外の値の4個体(全員女性で、COL_008とCOL_020とCOL_035とCOL_147)と、より広範囲内ではあるものの、「地元の中心」外の11個体(女性4個体と男性7個体)が特定されました。家系1の複数の第1世代もしくは第2世代の個体(COL_049、COL_087、COL_093、COL_102)は後者の区分に属し、おそらくはコッレーニョ集落地域にとって外来だったものの、より広範な地理的地域で育ったかもしれない、共同体の創始者構成員を示唆しています。外来の痕跡を有する後期の個体(COL_008、COL_020、COL_034、COL_050)も特定でき、個体と集団の移動性が最初の定住後でさえ共同体の発展に重要な役割を果たした、と示唆されます。
●炭素と窒素の同位体分析
新たに収集された28個体のうち27個体から、コラーゲンの抽出に成功しました。この27個体は、先行研究[13]で刊行された以前の31個体の標本とともに分析されました。コッレーニョ共同体の構成員は、C₃およびC₄両方の植物とともに動物性タンパク質を消費していました。ほとんどの個体はC₃植物に依存しており、C₄植物の消費量はごくわずかでした。しかし、個体群の約22%は、C₄植物のかなり多くの消費を示唆する、δ¹³C値の増加を示しており、このC₄植物は中世前期イタリアではキビだった可能性が最も高いでしょう。
すべての個体は雑食性を示唆するδ¹⁵N値を示しました。一部の事例では、高いδ¹⁵N値は高いδ¹³C値と一致しました。これは、C₄植物をある程度の量食べていた動物の消費によって説明できるかもしれません。生物学的性別間で、有意な違いは見つかりませんでした。標本規模が小さいため、死亡時年齢の区分間の差異は、統計的に調べることができませんでした。しかし、遺伝的祖先系統に基づく平均δ¹³C値を比較すると、IBS構成要素が、有意により低いδ¹³C値と一致するので、際立っていました。さらに、家系1の構成員は、共同体の他の構成員と比較すると、有意により高いδ¹³C値を示しました。最後に、密接な親族関係にある個体間(1親等と2親等)の食性選好で、より遠い親族関係か親族関係にない個体群と比較して、類似性が観察されました。
●コッレーニョにおける共同体の形成と発展
上述の考古学と古ゲノミクスと同位体の分析の組み合わせから、埋葬地としてコッレーニョ墓地を使用していた共同体の形成と発展への深い洞察が得られました(図3)。とくに、主要な3段階を特定でき、それは、(1)共同体の形成、(2)遺跡の拡大、(3)新たな人口集団の到来です。
(1)共同体の創設
この葬儀共同体の最古級の構成員は、考古学および放射性炭素年代測定によって示唆されているように、6世紀末に遺跡の中心部に埋葬されました。この初期中核は、地元ではないストロンチウム同位体値を有する個体COL_093(CL1)と個体COL_097(CL2)との間で特製された生物学的近縁性によって示されるように、コッレーニョの到来の前から相互にすでに親族関係にあった、類似したヨーロッパ中央部および北部遺伝的祖先系統を有する個体群の2集団(CL1とCL2)を中心に形成されました(図3A)。地元ではないストロンチウム同位体値を有する個体群の高頻度は、これらCL1およびCL2の第1世代の構成員の比較的初期の年代測定とともに、これらの個体が墓地を設立し、おそらくは墓地を使用した共同体の形成にも役割を果たした、と示唆しています。精巧な帯一式や武器の存在と墓の柱穴構造など、CL1とCL2との間の埋葬慣行の観点での類似性も、社会的結合を示唆しており、最も可能性が高いのはこれらの集団の構成員間の家族関係です。同様にこの地域の精巧な墓に埋葬された親族関係にない成人男性(COL_094)も、地元ではないストロンチウム同位体値の境界線を示しており、この初期段階でさえ、集団は血縁関係のない個体を組み込んでいた、と示唆されます。
家系1(COL_017、COL_143、COL_057、COL_145、COL_146、COL_151)の5~6世紀以前のハンガリーのバラトン湖(Lake Balaton)遺跡とのIBDのつながりは、この地域におけるこの集団の外来起源を示唆し、6世紀後期におけるパンノニアからイタリアへのランゴバルドの移住を記載した歴史的資料と一致するかもしれません。家系1と生物学的に親族関係ではありませんが、家系2の3個体は同様にともに埋葬されました。これとその類似した放射性炭素年代測定から、この3個体もこの初期共同体の構成員だった、と示唆されます。その埋葬は単純で浅い土坑墓で、副葬品が欠けており、家系1の埋葬と容易に区別でき、その遺伝的祖先系統も顕著に異なっています。家系2も近隣のバルドネッキア遺跡の個体群と複数のIBDのつながりを示しており、家系1の事例とは異なる起源が示唆されます(図4)。コッレーニョ共同体はおそらくCL1を中心に形成されましたが、さまざま遺伝的・社会的・文化的背景の個体群を惹きつけ、異質な集団の共存を通じて形成されました。
同時に、第二の中核が、CL3の3キョウダイ(COL_053、COL_049、COL_047)の南北の列を中心に、コッレーニョ遺跡の東部で形成されました。これらの個体はCL1およびCL2の個体群と比較して、顕著に高い割合のTSIもしくはMEDEU構成要素を有しています。この3キョウダイは、遺CL1およびCL2の個体群と比較して伝的祖先系統における顕著な違いを示しているにも関わらず、その埋葬は柱穴構造のある墓に精巧な帯一式や武器とともに埋葬されたCL1およびCL2の個体群との明確な類似性を示しますが、いくつかの違いも観察できます。この3キョウダイは全員、金製の葉形十字架で埋葬されており、これはCL1およびCL2の埋葬には存在しない、イタリアの他のランゴバルド期の埋葬で知られている人工遺物の種類です。その空間的分離も、コッレーニョ遺跡の創設時に、CL3の構成員が独特な帰属意識を維持していたかもしれない、と示唆しています。この見解については、CL1およびCL2で観察されたより多くのC₄植物とは対照的な、C₃植物へのおもな依存を示唆するδ¹³C値によって証明されているように、これらの個体の異なる食性からもさらなる裏づけが見つかります(図5A)。個体COL_049は、CL1の個体COL_093と類似した、地元ではないストロンチウム同位体値を示しますが、CL3の構成員が家系1の他の構成員とともに到来したのかどうか、示すことはできません。CL1およびCL2とより近い食性値を有する遠い親族関係にある個体COL_099を除いて、CL2とも関連する個体も含めてCL3のすべての特定された構成員は、数十年後に複数の方向へも拡大された同じ埋葬群に葬られました。以下は本論文の図5です。
(2)コッレーニョ遺跡の拡大
墓地の使用を通じて、CL3の構成員は同じ一般的な区域に埋葬されていましたが、家系1の他の系統は異なるパターンを示します。その中核はコッレーニョ遺跡の後期段階で放棄され、CL2の1系統は消滅した(その最新の構成員は両方とも幼い子供です)か、コッレーニョ共同体を去りましたが、その他の系統とCL1の構成員は墓地の西部に移転し、第三の中核を形成しました(図3B・C)。別々の埋葬群の設立から、コッレーニョ共同体は少なくとも埋葬儀式において、拡大家系よりもこれらの小さく緊密な社会集団を重視しており、と示唆され、これは一部の他のイタリアの遺跡で観察される特徴です。密接な親族関係にある個体の食性パターンの類似性も、これらの密接な結合集団の重要性を示しています。家系2の構成員は、相互に隣り合って死者を埋葬し続けたので、CL1の構成員に続いており、そその異なる遺伝的および考古学的特徴にも関わらず、この2集団間の強い社会的つながりを再び示唆します。家系1および2のその後の世代の個体群は、この地域で生物学的に利用可能なストロンチウム同位体値を示し、子供によって示唆される地元の範囲内にも収まっています。これは安定した共同体を示唆しますが、家系1における女性の人数が比較的少なく(家系1以外の成人の遺伝的性別間の男女ともに均衡のとれた16個体ずつと比較すると、成人男性14個体と成人女性7個体)、同じ遺跡で特定された親と子供の両方がいる女性は1個体(COL_087)だけという事実から、成人女性はおそらく族外婚もしくは他の社会的慣行の結果として共同体を離れたかもしれない、と示唆されます。
(3)新たな人口集団の到来
コッレーニョ遺跡の後期には、地元ではないストロンチウム同位体値の個体群の出現も含まれ、そうした個体群の年代測定は、家系での位置づけ(COL_020)や放射性炭素年代測定(COL_050、COL_008)や層序によって確証され、つまりは埋葬の重層です(COL_050、COL_035)。個体COL_002とCOL_050とCOL_008の親子3人(家系3)は顕著なIBS構成要素を示し、これはCEU+GBRおよびTSI構成要素をおもに有する家系の初期の構成員には存在しません。このIBS構成要素は、初期では1個体(COL_094)のみに存在しました。しかし、IBS構成要素は家系の最期の構成員(COL_017、COL_020、COL_039)ではより一般的になりました。家系3の構成員(COL_002、COL_008、COL_050)と、顕著なIBS構成要素を伴う類似した遺伝的祖先系統の他の親族関係にない個体群(COL_034、COL_035、COL_036、COL_056、COL_077、COL_079、COL_095)の構成員も、著しく異なる考古学的特徴を示しており、それは、これらの個体が複数回、以前の埋葬と重なる墓とともに、コッレーニョ遺跡の中心部で小さく不定な形状の単純な穴状の遺構に副葬品なしで埋葬されていたからで、これは後期の年代を示唆しています(個体COL_035とCOL_050の放射性炭素年代測定によっても確証されました)。さらに、この集団の構成員は一見すると異なる食性を示しており、この食性は、設立された共同体の食性と比較すると、C₃植物の消費のより高い割合を示唆する、有意により低いδ¹³C値によって特徴づけられます。したがって、これらの個体は異なる遺伝的祖先系統を有する新たに到来した集団の構成員だった可能性が高く、この集団はコッレーニョ遺跡の後期段階に共同体に加わり(図3D)、家系1の最終構成員(個体COL_020とCOL_039)、および、ancIBDによってのみ特定されたそのより遠い(6親等以上)不特定の親族(COL_033、COL_036)と同時代です。興味深いことに、この大きな影響の集団水準の移動はコッレーニョ遺跡の最終的な放棄の頃に起きており、両事象【集落への移動と集落の放棄】は、8世紀初頭にこの(より広い)地域に影響を及ぼした、共同体水準の再編成と関連していたかもしれません。
●共同体の形成と発展における上流階層の役割
上述のように、本論文は大きく生物学的に親族関係にある集団(家系1)を特定し、家系1はコッレーニョ遺跡の創設から少なくとも5世代を経てその放棄までにまたがっており、分析された52個体のうち24個体を含んでいます。CL1とCL2とCL3の間の遺伝的祖先系統と食性選好の違いにも関わらず、その構成員の埋葬は埋葬慣行において一般的な類似性を示すものの、わずかな差異もあります。武器と精巧な帯一式の存在は、家系1と有意な相関を示しました(図2)。スパタ(spatha)と呼ばれる諸刃の剣やサックス(sax)と呼ばれる片刃の剣や槍や盾などさまざまな種類の武器と、動物様式2で装飾された精巧な多部品の帯一式は、男性の埋葬における社会的および経済的権力の象徴と一般的に考えられています。これらの人工遺物の種類はイタリアにおいて、新たな種類の上流階層の明確な兆候としてのランゴバルドの征服の後で、6世紀の後半1/3に出現します。家系1のほとんどの成人男性は、その遺伝的祖先系統に関係なく、これらの品目とともに埋葬されていましたが(14個体のうち12個体が武器と帯一式で埋葬されました)、家系1以外の分析された個体の埋葬(成人男性12個体)では、これらは存在しませんでした。家系1における女性個体の少なさのため、生物学的近縁性と埋葬慣行との間の同様の統計的比較はできませんでした。
特定の減少は家系の特定の系統にのみ特徴的で、金製の葉形十字架はCL3の3キョウダイ(COL_047、COL_049、COL_053)の埋葬でしか見つからず、より緊密な結合群と関連する伝統が示唆されます(図3E)。これは、密接な親族関係にある個体群の食性値(たとえば、CL3のキョウダイもしくは親子のCOL_087とCOL_084)が、より遠い親族もしくは生物学的に親族関係にない個体と顕著な偏差を示す一方で、密接にクラスタ化する傾向にある、という事実によってさらに裏づけられます。系統と分枝に固有の刊行は、別々の埋葬群および栄養パターンの確立とともに、これらの分枝が意味のある社会的勝ちを保持しており、おそらくは中世前期ヨーロッパ社会の中核単位である家族もしくは世帯として解釈できる、と示唆します。これらの単位は生物学的に親族関係にある集団を中心に形成されましたが、おそらくは法的か空間的か経済的理由で親族関係にない個体群も取り込んだかもしれません。家系1および家系2の同様の空間的発展と食性パターンは、この証拠かもしれません。
家系1のさまざまな系統間での埋葬慣行の類似性は、その遺伝的祖先系統に関係なく(とくにもCL1からCL2とCL3との間で)、埋葬はこの集団内の社会的結合の維持だけではなく、親族関係にない構成員の除外と「我々と彼ら」との間の区別にも使用されていた、と示唆されます。古食性分析はこの理論への裏づけをさらに提供し、それは、家系1の構成員とコッレーニョ共同体の他の構成員との間で平均δ¹³C値の統計的に有意な違いが明らかになったからです(図5A)。これが示唆するのは、そうした個体は共同体の他の構成員と定期的には食事を共有しておらず、共同体の他の構成員と比較して、異なる食資源の取り入れを積極的に選択していた、ということです。家系1遺骸の柱穴構造と武器と複雑な帯一式の欠如は、これらの埋葬の排他性をさらに強調します。
興味深いことに、これらの類似性はCL2とCL3との間のつながりに先行します。栄誉ある人工遺物の存在から、「創始者家族」は共同体内の高い経済的および/もしくは社会的地位を維持した、と示唆され、経時的変化のため一定の違いが観察されるものの、家系の終焉までこれらの人工遺物とともに男性が継続的に埋葬されていることによって証明されているように(図3E)、これはその子孫が多世代を通じて維持した地位です。これは、社会的地位が名声に基づくのではなく継承されていた、安定した階層構造を示しています。最新の構成員の埋葬における副葬品の少なさもしくは欠如は、おそらくその経済的および社会的地位の変化と関連しておらず、一般的な傾向の結果で、ヨーロッパ西部全体で7世紀半ばまでに、副葬品が埋葬から消え始めます。家系1の構成員(地元ではないストロンチウム同位体値を示すCOL_020)の最後の埋葬から間もなく、8世紀の最初の数十年にコッレーニョ遺跡が放棄されたことは、これら指導的一族の移転もしくは絶滅か、あるいは8世紀以降の一般的傾向の一部として近隣の教会墓地を選好しての、埋葬地場所変更の結果かもしれません。
コッレーニョ遺跡もしくはその近くには、6聖域前半/半ばから東ゴート王国期に至ると明確に年代測定される、埋葬および集落構造があります。家系1の構成員は、以前の政権を置換した6世紀後半におけるイタリア北部のランゴバルドの占領後に新たな共同体を築いた、新興上流階層を表しているようです。遺伝学的結果から、血縁関係が、ランゴバルド王国の初期段階に埋葬慣行によって特定されたこれら新興上流階層間の社会的親族関係の形成に重要な役割を果たしたかもしれない、と示されますが、そうした新興上流階層は遺伝的に均一な集団と必ずしも理解できないかもしれません。CL1とCL2の構成員はおもに、この地域の利用可能なそれ以前および準同時代の遺跡(バルドネッキアおよびトリノ・ラヴァッツァ)には存在せず、移住の結果かもしれない、ヨーロッパ中央部および北部の遺伝的祖先系統を有していました。この可能性は、歴史資料によるとイタリアへのランゴバルドの移住の出発点として機能した領域である、パンノニアとのIBDのつながりによって強化されます。一方でCL3は、地理的に近い他の準同時代遺跡群と類似し、長距離のIBDのつながりを欠いている、遺伝的祖先系統を示します(図4)。しかし、これらの解釈はデータセットの低解像度によって大きく制約されており、近隣地域の準同時代遺跡群の追加の標本が、これらのつながりの真の重要性の理解には必要でしょう。現時点で、この遺伝的異質性がイタリアへの到来前にすでに確立しており、文献に見えるアルボイーノの移住と関連する民族名の長い一覧と一致しているのかどうか、あるいは、考古学的記録によって示唆されるように、新参者の慣行を取り入れた地元上流階層の同化の地域的過程の結果なのか、識別できません。それにも関わらず、これらの共同体の上流階層は、戦略的に重要な場所を占領することによって、都市を基盤とする政権において農村地域での権力の行使と政治的支配の維持にひじょうに重要な役割を果たしました。
●まとめ
本論文の結果は、多くのローマの構造が解体し、新たなローマ後の国家であるランゴバルド王国が6世紀後半~7世紀前半にイタリアで統合されつつあった移行期に形成された、新たな共同体の複雑さに光を当てます。コッレーニョ共同体は生物学的および社会的に関連する個体群の人脈によって設立されて、その人脈を中心に組織化され、その人脈で最も可能性が高いのは複数の上流階層家族で、この上流階層家族を通じて、ランゴバルド王国はイタリア征服後の農村地域において権力を行使し、維持しました。これらの家族は、同一の社会的地位ではないとしても同様である、埋葬慣行と食性パターンの両方において類似性を示しましたが、この家系は大きく異なる遺伝的祖先系統の個体群を含んでおり、その大半は、この集団内において顕著な割合でおもに見られる、ヨーロッパ中央部および北部の遺伝的構成要素を有していました。この家系の複数の構成員は、イタリアへのランゴバルドの移住の出発点である、ハンガリー西部の先行する遺跡の個体群との遠い遺伝的つながりを示しています。これらの集団は経時的に単一の拡大家系へと発展しましたが、同時に、その埋葬慣行と生活様式において共同体の他の構成員とは分離した一部の形態を維持しました。その埋葬における武器や精巧な帯一式の存在と排他性や異なる食性から、この拡大家系は高い社会的地位を有しており、子孫に伝え、文献に記載されているように地位の継承が確立した社会だった、と示唆されます。
この上流階層と同様に、コッレーニョ共同体はさまざまな遺伝的祖先系統の個体群も含んでおり、新たに到来した個体群および集団の統合を通じて、その異質性を維持し、それは、移動がさまざまな段階で共同体の発展に重要な役割を果たしたからです。このコッレーニョ遺跡の事例研究の結果は、政治権力の変動と移住が、ローマ帝国の解体跡と、新たな王国の出現期間において、以前のローマ帝国の中核領域の1ヶ所のある小さな農村共同体の形成と発展にどのように影響を及ぼしたのか、示します。さらに、中世前期の上流階層は異質な背景の個体群を統合でき、これらの上流階層は、生物学的に均質な集団に属するのではなく、(政治的)作用の結果だった、と示されます。この概念は、アルボイーノ王の移動する従者の異質性に関するパウルス・ディアコヌス(Paulus Diaconus)の記述とよく一致します。
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