浮世博史『日本史の新事実 70 古代・中世・近世・近代 これまでの常識が覆る!』

 世界文化社より2022年4月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は近年の日本史の研究の進展に基づき、通俗的な歴史認識が改められていることを紹介します。すでに知っている新見解もありますが、手際よくまとめられており、新たに知った見解もありますし、改めて新見解を整理でき、復習にもなりした。著者は高校教師なので全時代を扱わねばならず、本書も広範な時代が取り上げられています。本書は分かりやすい説明になっており、授業もなかなか面白いのだろうな、と想像されます。以下、興味深い見解を備忘録として取り上げます。

 大井川に橋がかけられなかった理由については、西国大名が江戸に攻め込むのを防ぐため、との俗説がありますが、橋梁建設技術が未熟で、橋をかけると川越し職人などを失業させてしまうことが主因で、幕府は何度も橋梁建設を計画したものの、そうした理由で橋がかけられなかった、と指摘されています。「鎌倉幕府」という用語はいずれ「鎌倉武家政権」と言い換えられるのではないか、との指摘はなかなか面白いとは思いますが、近代日本においてすっかり定着しているだけに、一般的な使用はなかなか変わらないでしょう。ただ、教科書の表記が変わると、いずれは「鎌倉武家政権」が一般的に使われるようになり、「鎌倉幕府」という表現が古臭いと感じられることになるかもしれません。

 北条政子はよく「尼将軍」と呼ばれていますが、鎌倉時代の史料では確認できず、現時点で最古の「尼将軍」の表記は、『御成敗式目』の室町時代の注釈になるそうです。「尼将軍」が一般的になった契機は、大正期の本多浅治郎『日本歴史講義』以降ではないか、と本書は推測します。また、そもそも「北条政子」という表記が一般的になったのは第二次世界大戦後と指摘されています。足利義満が天皇家の簒奪を企図していた、との見解は一般にも広く知られるようになりましたが、現在では否定する見解が有力です(関連記事)。本書は、この義満簒奪説から派生した義満暗殺説について、「専門家以外の作家や歴史番組のコメンテーターらの判断力過小・想像力過多の脚色」と評価しており、妥当だと思います。

 大阪(大坂)が「天下の台所」と呼ばれるようになったのは大正期で、『大阪市史』で用いられ広がったようですが、江戸時代には「日本ノ賄所」という表現があったようです。明治政府が取り組んだ「不平等条約改正」については、むしろ明治政府がその最初期に安政期の諸条約よりも不利な条約を締結した、と指摘されています。明治期のいわゆる藩閥政府については、その成立の画期として廃藩置県が挙げられています。西南戦争については、「最後の反乱(内戦)」となったことよりも、それにより財政が危機的状況に陥り、政治・経済的に大きな転換点となったことが指摘されています。西南戦争後の緊縮財政によるデフレで原材料費が低くなり、農村の貧富の格差拡大により安価な労働力が創出されたことで、国際競争力の高い商品を生産する基盤が整えられ、産業革命が進展した、というわけです。

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