ヨーロッパ西部の狩猟採集民と最初期農耕民
取り上げるのが遅れてしまいましたが、ヨーロッパ西部の狩猟採集民と最初期農耕民に関する解説(Rowley-Conwy., 2024)が公表されました。本論文は、ヨーロッパ西部における狩猟採集民と最初期農耕民との関係について解説しています。ヨーロッパ西部においては、アナトリア半島(小アジア)起源の農耕民が到来したことで、農耕民がもたらされました。そのさい、狩猟採集民は直ちに農耕を採用したり、最初期農耕民に併合もしくは置換されたりしたわけではなく、一定期間狩猟採集民としての独自性を保持し、農耕民との婚姻がなかったか極めて限定的だった事例も珍しくなかったようです。世界各地で、農耕が拡大したさいの到来してきた農耕民と在来の狩猟採集民との関係は一様ではなかったようで、古代ゲノム研究によって農耕への移行期における各地の具体的な変容の様相がさらに詳しく解明されるのではないか、と期待されます。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
●解説
ヨーロッパ西部における農耕の出現に関する理解は、近年大きな変化を経てきました。何十年間も、在来の中期石器採食民(狩猟採集民)はいくつかの農耕慣行を採用し、その狩猟と採集を補った、というのが優勢な見解でした。中石器時代採食民はこれをじょじょにしか行なわず、新石器時代前半を通じて続けたので、完全な農耕経済は新石器時代後半まで形成されませんでした。この見解は、その後の狩猟採集民における一部の農耕慣行について主張された証拠に部分的に基づいており、狩猟採集民社会はより大きな社会と経済的複雑さに向かう生得的傾向がある、との(述べられていないことが多い)仮定に部分的に基づいています。しかし、最近の年代測定の証拠は、中石器時代の農耕に関する主張に疑問を呈しています。今では、ヨーロッパのあらゆる場所の最初期農耕民は小アジアからの遺民で、完全に機能する農耕経済とともに到来したようです。
『アメリカ科学アカデミー紀要(PNAS)』の論文[4]は、フランス大西洋地域における最後の採食民と最初の農耕民との間の時間的重複の確たる証拠を提供し、最後の採食民と最初の農耕民は別の共同体として暮らしていた、と示されます。オエディック(Hoedic)およびテヴィエック(Téviec)遺跡に埋葬された採食民は、農耕の採用もしくは農耕民との通婚の痕跡を示しません。これらの採食民はヨーロッパ西部狩猟採集民(Western Hunter-Gatherer、略してWHG)遺伝的集団に属しており、最初期農耕民の古代DNAとは大きく異なります。Simões論文[4]は、採食民の社会がどのように組織されていたのかについて、大きな新しい洞察を提供します。これは、採食民が農耕の採用に向かっていた、という仮定に疑問を呈します。
図1の上部は、農耕への移行に関するさまざまなモデルを示します。この年代は、スカンジナビア半島南部の状況に基づいています。Simões論文[4]で提示された採食民と農耕民との間の重複に関する証拠では、フランス大西洋地域においては、ほぼ千年早いにも関わらず類似の状況があった、と示されています。さらに、この重複と近隣の農耕民の存在にも関わらず、オエディックもしくはテヴィエック遺跡の採食民が漁撈と採食以外を行なっていた兆候はありません。ヨーロッパのさまざまな地域の最近の年代測定の証拠から、これは一般的なパターンだった、と示され、後期中石器時代の農耕を何十年も調べた後で、農耕のじっさいの証拠はごくわずかであることを認めねばなりません。
数頭のブタがドイツ北部の中石器時代のローゼンホフ(Rosenhof)遺跡で主張されており、それは、これらの動物が究極的には小アジアに由来する家畜化されたmtDNA系統を有していたからですが、これらの動物は形態学的には野生のイノシシで、おそらくはさらに南方の農村から逃げてきて、野生のイノシシ個体群に加わり、その後で野生のイノシシの雄が父の仔を生んだ、雌の家畜化されたプタの子孫でした。オオムギなど栽培化された穀物に由来すると主張されている花粉粒が、中石器時代と年代測定されたさまざまな堆積物で発見されてきましたが、これらは在来の野生の草種花粉との区別が困難なため、疑問が呈されています。
地中海西部地域の沿岸部遺跡は、中石器時代における農耕の痕跡を伴う漸進的な移行を示す、と長く主張されていました。しかし、それらの遺物はかなり前に発掘されており、現代の基準には達しておらず、この証拠は最近の研究で再現されていません。沿岸部集落の人骨の同位体から、採食・漁撈民は海洋性資源(魚やアザラシ類や貝類)に大きく依存していた、と示されています。近隣集落の最初期農耕民さえ、陸生資源(おそらくは農産物)の優占する食性でした。以下は本論文の図1です。
後期採食民と初期農耕民との間の年代の重複は、ヨーロッパのさまざまな地域で現れ始めています。デンマークでは、女性1個体の完全なゲノムがカバノキのタールの「チューインガム」の塊内に保存されていた唾液から回収されました。この女性は遺伝的に純粋なWHGで、近隣での農耕到来の300年ほど後ですが、農耕民との混合はありません[14]。狩猟漁撈経済デンマークのさまざまな遺跡は最初期農耕民と並行して続いており、人骨から得られた食性同位体は同様に、最初期農耕民と時間的に重なる海洋性食性の個体群の存在を明らかにします。ブリテン島では、同様の兆候があるかもしれません。地中海西部とポルトガルでは、沿岸での「飛び越え」植民が見られ、農耕民は狩猟採集民の飛び地を深いし、新たな地域へと移動しました。
これらの地域では、Simões論文[4]は他の最新の証拠と一致します。Simões論文[4]が最近の研究を超えて、本当に新境地を開いたのは、採食民の居住と配偶者交換パターンの解明にあります。古代DNAでは、オエディックおよびテヴィエック遺跡の住民は予測されたようにWHG遺伝的集団へと収まるものの、WHG内ではやや離れた下位集団を形成する、と明らかになっています。したがって、その配偶網はかなり内向的で、他のWHGとの配偶は少なかったようです。さらに、食性同位体から、オエディック遺跡とテヴィエック遺跡は相互に個なっている、と明らかになっており、この両遺跡はともに近くにあっても異なる共同体を構成していた、と示唆されます。
安定して長期間続いた採食民共同体のこれらの兆候は、先史時代ヨーロッパの採食民は通常遊動的で、小さく流動的な人口単位で暮らしていた、との伝統的な見解と一致しません。しかし、この証拠は、現代の採食民の人類学的な異文化調査の結果と一致します。図1下部は、先行研究から導かれたそのような分析を提示しています。図の各点は一つの現代の採食民社会を表しています。横軸は、右側ほど増加する相対的な人口密度の先行研究の計測です。縦軸は、集団が最も長く暮らした集落で過ごした1年ごとの月数によって計測される、居住の安定性を示します。両者の間には一致した関係があり、より小さな遊動的集団は左側下部でクラスタ化する(まとまる)傾向があり、より大きく安定した集団は右側上部に向かう傾向があります。
先行研究の社会的階層化の程度の計測も示されています。小さな遊動的な集団は、社会的階層化をわずか若しくはまったく示さないのが特徴です。集団がより大きくより安定すると、一部の個体はいくらかの富を獲得し、その地位が向上するかもしれません。最も複雑な形態では、これらの社会が血族集団を形成するかもしれず、富と地位は家族もしくは系統内でその後の世代に継承されます。血族集団は通常、多くの食料を所有して貯蔵し、特別な生産資源地点も所有しています。これは、その高い地位を維持します。血族集団は開かれた配偶制度を持たないことが多いものの、血族集団が通婚可能な規則を定めていました。土地の所有権を示す方法の一つは、長期の領土主張を正当化する手段として、集団の祖先を含む墓地の設立です。血族集団に暮らす採食民が最も高頻度で暮らすのは海岸で、それは、一部の沿岸環境では食料資源の利用可能性がずっと大きいからです。
Simões論文[4]は、オエディック遺跡とテヴィエック遺跡で墓地を設立した沿岸集団の状況を提示します。食性同位体と古代DNAをまとめると、この2ヶ所の遺跡には異なる集団が居住しており、他のWHG集団とはやや離れていたものの、間違いなく他の近隣沿岸集団が排他的な配偶網を形成していた、と示されます。海岸の人口密度は内陸部集団より高かったでしょうし、墓地は血族集団に組織された社会に特徴的な土地所有権を示唆しています。この証拠は、先行研究による現代採食民の異文化調査の結論とよく一致しており、採食民の社会形態は暮らしている環境に適応します。それは、採食民社会が社会経済的複雑さおよび農耕へと向かう傾向にある、との仮定と一致しません。したがって、Simões論文[4]は沿岸部ヨーロッパにおける採食民社会の内部作用についてこれまでで最も明確な論証を提示しており、この社会は、侵入してきた農耕民に数世紀にわたって直面しながら、農耕民とは異なる存在を明らかに維持できました。
参考文献:
Rowley-Conwy P.(2024): Hunter-gatherers and earliest farmers in western Europe. PNAS, 121, 10, e2322683121.
https://doi.org/10.1073/pnas.2322683121
[4]Simões LG. et al.(2024): Genomic ancestry and social dynamics of the last hunter-gatherers of Atlantic France. PNAS, 121, 10, e2310545121.
https://doi.org/10.1073/pnas.2310545121
関連記事
[14]Jensen TZT. et al.(2019): A 5700 year-old human genome and oral microbiome from chewed birch pitch. Nature Communications, 10, 5520.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-13549-9
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●解説
ヨーロッパ西部における農耕の出現に関する理解は、近年大きな変化を経てきました。何十年間も、在来の中期石器採食民(狩猟採集民)はいくつかの農耕慣行を採用し、その狩猟と採集を補った、というのが優勢な見解でした。中石器時代採食民はこれをじょじょにしか行なわず、新石器時代前半を通じて続けたので、完全な農耕経済は新石器時代後半まで形成されませんでした。この見解は、その後の狩猟採集民における一部の農耕慣行について主張された証拠に部分的に基づいており、狩猟採集民社会はより大きな社会と経済的複雑さに向かう生得的傾向がある、との(述べられていないことが多い)仮定に部分的に基づいています。しかし、最近の年代測定の証拠は、中石器時代の農耕に関する主張に疑問を呈しています。今では、ヨーロッパのあらゆる場所の最初期農耕民は小アジアからの遺民で、完全に機能する農耕経済とともに到来したようです。
『アメリカ科学アカデミー紀要(PNAS)』の論文[4]は、フランス大西洋地域における最後の採食民と最初の農耕民との間の時間的重複の確たる証拠を提供し、最後の採食民と最初の農耕民は別の共同体として暮らしていた、と示されます。オエディック(Hoedic)およびテヴィエック(Téviec)遺跡に埋葬された採食民は、農耕の採用もしくは農耕民との通婚の痕跡を示しません。これらの採食民はヨーロッパ西部狩猟採集民(Western Hunter-Gatherer、略してWHG)遺伝的集団に属しており、最初期農耕民の古代DNAとは大きく異なります。Simões論文[4]は、採食民の社会がどのように組織されていたのかについて、大きな新しい洞察を提供します。これは、採食民が農耕の採用に向かっていた、という仮定に疑問を呈します。
図1の上部は、農耕への移行に関するさまざまなモデルを示します。この年代は、スカンジナビア半島南部の状況に基づいています。Simões論文[4]で提示された採食民と農耕民との間の重複に関する証拠では、フランス大西洋地域においては、ほぼ千年早いにも関わらず類似の状況があった、と示されています。さらに、この重複と近隣の農耕民の存在にも関わらず、オエディックもしくはテヴィエック遺跡の採食民が漁撈と採食以外を行なっていた兆候はありません。ヨーロッパのさまざまな地域の最近の年代測定の証拠から、これは一般的なパターンだった、と示され、後期中石器時代の農耕を何十年も調べた後で、農耕のじっさいの証拠はごくわずかであることを認めねばなりません。
数頭のブタがドイツ北部の中石器時代のローゼンホフ(Rosenhof)遺跡で主張されており、それは、これらの動物が究極的には小アジアに由来する家畜化されたmtDNA系統を有していたからですが、これらの動物は形態学的には野生のイノシシで、おそらくはさらに南方の農村から逃げてきて、野生のイノシシ個体群に加わり、その後で野生のイノシシの雄が父の仔を生んだ、雌の家畜化されたプタの子孫でした。オオムギなど栽培化された穀物に由来すると主張されている花粉粒が、中石器時代と年代測定されたさまざまな堆積物で発見されてきましたが、これらは在来の野生の草種花粉との区別が困難なため、疑問が呈されています。
地中海西部地域の沿岸部遺跡は、中石器時代における農耕の痕跡を伴う漸進的な移行を示す、と長く主張されていました。しかし、それらの遺物はかなり前に発掘されており、現代の基準には達しておらず、この証拠は最近の研究で再現されていません。沿岸部集落の人骨の同位体から、採食・漁撈民は海洋性資源(魚やアザラシ類や貝類)に大きく依存していた、と示されています。近隣集落の最初期農耕民さえ、陸生資源(おそらくは農産物)の優占する食性でした。以下は本論文の図1です。
後期採食民と初期農耕民との間の年代の重複は、ヨーロッパのさまざまな地域で現れ始めています。デンマークでは、女性1個体の完全なゲノムがカバノキのタールの「チューインガム」の塊内に保存されていた唾液から回収されました。この女性は遺伝的に純粋なWHGで、近隣での農耕到来の300年ほど後ですが、農耕民との混合はありません[14]。狩猟漁撈経済デンマークのさまざまな遺跡は最初期農耕民と並行して続いており、人骨から得られた食性同位体は同様に、最初期農耕民と時間的に重なる海洋性食性の個体群の存在を明らかにします。ブリテン島では、同様の兆候があるかもしれません。地中海西部とポルトガルでは、沿岸での「飛び越え」植民が見られ、農耕民は狩猟採集民の飛び地を深いし、新たな地域へと移動しました。
これらの地域では、Simões論文[4]は他の最新の証拠と一致します。Simões論文[4]が最近の研究を超えて、本当に新境地を開いたのは、採食民の居住と配偶者交換パターンの解明にあります。古代DNAでは、オエディックおよびテヴィエック遺跡の住民は予測されたようにWHG遺伝的集団へと収まるものの、WHG内ではやや離れた下位集団を形成する、と明らかになっています。したがって、その配偶網はかなり内向的で、他のWHGとの配偶は少なかったようです。さらに、食性同位体から、オエディック遺跡とテヴィエック遺跡は相互に個なっている、と明らかになっており、この両遺跡はともに近くにあっても異なる共同体を構成していた、と示唆されます。
安定して長期間続いた採食民共同体のこれらの兆候は、先史時代ヨーロッパの採食民は通常遊動的で、小さく流動的な人口単位で暮らしていた、との伝統的な見解と一致しません。しかし、この証拠は、現代の採食民の人類学的な異文化調査の結果と一致します。図1下部は、先行研究から導かれたそのような分析を提示しています。図の各点は一つの現代の採食民社会を表しています。横軸は、右側ほど増加する相対的な人口密度の先行研究の計測です。縦軸は、集団が最も長く暮らした集落で過ごした1年ごとの月数によって計測される、居住の安定性を示します。両者の間には一致した関係があり、より小さな遊動的集団は左側下部でクラスタ化する(まとまる)傾向があり、より大きく安定した集団は右側上部に向かう傾向があります。
先行研究の社会的階層化の程度の計測も示されています。小さな遊動的な集団は、社会的階層化をわずか若しくはまったく示さないのが特徴です。集団がより大きくより安定すると、一部の個体はいくらかの富を獲得し、その地位が向上するかもしれません。最も複雑な形態では、これらの社会が血族集団を形成するかもしれず、富と地位は家族もしくは系統内でその後の世代に継承されます。血族集団は通常、多くの食料を所有して貯蔵し、特別な生産資源地点も所有しています。これは、その高い地位を維持します。血族集団は開かれた配偶制度を持たないことが多いものの、血族集団が通婚可能な規則を定めていました。土地の所有権を示す方法の一つは、長期の領土主張を正当化する手段として、集団の祖先を含む墓地の設立です。血族集団に暮らす採食民が最も高頻度で暮らすのは海岸で、それは、一部の沿岸環境では食料資源の利用可能性がずっと大きいからです。
Simões論文[4]は、オエディック遺跡とテヴィエック遺跡で墓地を設立した沿岸集団の状況を提示します。食性同位体と古代DNAをまとめると、この2ヶ所の遺跡には異なる集団が居住しており、他のWHG集団とはやや離れていたものの、間違いなく他の近隣沿岸集団が排他的な配偶網を形成していた、と示されます。海岸の人口密度は内陸部集団より高かったでしょうし、墓地は血族集団に組織された社会に特徴的な土地所有権を示唆しています。この証拠は、先行研究による現代採食民の異文化調査の結論とよく一致しており、採食民の社会形態は暮らしている環境に適応します。それは、採食民社会が社会経済的複雑さおよび農耕へと向かう傾向にある、との仮定と一致しません。したがって、Simões論文[4]は沿岸部ヨーロッパにおける採食民社会の内部作用についてこれまでで最も明確な論証を提示しており、この社会は、侵入してきた農耕民に数世紀にわたって直面しながら、農耕民とは異なる存在を明らかに維持できました。
参考文献:
Rowley-Conwy P.(2024): Hunter-gatherers and earliest farmers in western Europe. PNAS, 121, 10, e2322683121.
https://doi.org/10.1073/pnas.2322683121
[4]Simões LG. et al.(2024): Genomic ancestry and social dynamics of the last hunter-gatherers of Atlantic France. PNAS, 121, 10, e2310545121.
https://doi.org/10.1073/pnas.2310545121
関連記事
[14]Jensen TZT. et al.(2019): A 5700 year-old human genome and oral microbiome from chewed birch pitch. Nature Communications, 10, 5520.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-13549-9
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