『卑弥呼』第137話「胎動」

 『ビッグコミックオリジナル』2024年9月20日号掲載分の感想です。前号は休載だったので、久々の感があります。前回は、遼東郡の襄平で、ヤノハが遼東太守の公孫淵に、本国の魏から独立するつもりなら、倭国の兵20万人を貸そう、と伝えたところで終了しました。今回は、遼東郡の襄平で、倭王への親書を受け取るためヤノハが公孫淵の公邸を訪れ、一行がヤノハの帰還を待っている場面から始まります。トメ将軍は、ヤノハは倭の女王の使者と偽っているので、襄平を離れてから親書を読むつもりだろう、とトメ将軍は推測します。いつ帰国するのか、ゴリから問われたトメ将軍は、日見子(ヒミコ)であるヤノハ次第だ、と答えます。目達(メタ)国のスイショウ王の指示により朝鮮半島に残った人々の子孫が暮らす邑の長で、朝鮮半島では通訳も務めているヒホコが、早く帰りたいでしょう、と倭国から来た人々に問いかけると、ヌカデもオオヒコも故郷が恋しくなった、と答えますが、トメ将軍は、このまま魏の都である洛陽まで旅を続けたい、と言います。オオヒコが、昨日の公孫淵との会見での日見子に、肝を冷やしたが見事だった、と感心すると、ヌカデ、あの場で嘘が見破られて首を刎ねられると覚悟した、と打ち明けます。トメ将軍は、あれほど傲慢に大嘘だと、爽快でしかない、と笑顔で言い、前回語られなかったヤノハと公孫淵とのやり取りを回想します。同盟を結ぶ気があるのか、と公孫淵から問われたヤノハは、ありがたき幸せと答えます。戦が起きた場合、本当に派兵してくれるのか、と念押しする公孫淵に対して、20万人の兵を所望か、とヤノハ尋ねます。20万人の兵を渡海させるとなると、準備と造船に3年、全兵士の航行に5年、襄平まで1年の丸9年要する、とヤノハ公孫淵に伝えます。5万人の兵ならどのくらいの期間になるか、と公孫淵に問われたヤノハは、4年半と答えます。造船に1年半、全兵を加羅まで運ぶのに2年、襄平までたどり着くのに1年というわけです。公孫淵は了承し、魏への挙兵の報せは4年半前までに頂けることでよろしいか、と念押しします。公孫淵から援軍の要請を受けた場合、日見子(ヤノハ)様はどう対応すると思うか、とオオヒコに尋ねられたトメ将軍は苦笑し、その判断は常人には分かりかねる、と答えます。

 日下(ヒノモト)の庵戸宮(イオトノミヤ)では、楼観でモモソと吉備津彦(キビツヒコ)が会談していました。吉備津彦は出雲攻めについて、起死回生の良策を思いついたようです。日下から出雲へは何度も、モモソを事代主(コトシロヌシ)の嫁に出すので、和平を結ぼう、と書簡を送ってきましたが、出雲は無視し続けています。そこで吉備津彦は、戦しかないと覚悟を決め欠けていましたが、戦わず勝つ方法を思いついたようです。ただ、それは日下の日見子であるモモソにとっては辛い選択となるようですが、上手くいけば日下は出雲を完全に手中に収めた、と倭国中に喧伝できる、と吉備津彦はモモソに説明します。モモソは、ならば自分は気にしないと言って、その案をいつ実行するのか、吉備津彦に尋ねます。すると吉備津彦は、すでに出雲フルネに命じているので、今頃事代主は慌てているだろう、と自信ありげに答えます。

 金砂(カナスナ)国の能見邑(ノミノムラ)の伊毘志郷(イビシノサト)では、事代主一行が雪の中を歩いていました。事代主は配下のシラヒコに、伊毘志郷は伊毘志都幣命(イビシツベノミコト)を祀る神聖な邑だ、と説明します。シラヒコは伊毘志都幣命を知らず、事代主によると、伊毘志都幣命は金砂の地に降った、自分たちが祀る)大穴牟遅命(オオアナムチノミコト)より古い神とのことです。故に賊はあえてここを襲撃したのか、と推測するシラヒコの前では、多数の死者が山積みとなっており、これは京観だ、と事代主は説明します。事代主によると、中土(中華地域のことでしょう)ではよくある、敵の骸を積み上げた塚とのことです。シラヒコにその目的を問われた事代主は、己の強さを自分に対して誇示するためだろう、と答えます。そのために50人もの死体を積み上げたことに、シラヒコは驚愕します。遺体の傷は矢によるものですが、すべて取り除かれていることから、吉備津彦の副官である出雲フルネの仕業だろう、と事代主は推測します。日下軍はなぜ矢を回収したのか、とシラヒコに問われた事代主は、鏃の鉄(カネ)を無駄にしたくなかったからだろう、と答えます。豊秋津島(トヨアキツシマ、本州を指すと思われます)における日下の位置を考えると、韓(カラ、朝鮮半島)から鉄をなかなか入手しにくい、というわけです。日下の武器は我々と違ってすべて鉄製だ、と疑問を呈するシラヒコに、我々は鉄をまず耕作道具に使うが、日下は軍事最優先なので、少ない鉄を武器に使用し、田畑を耕す道具には使わない、と答えます。日下はおそらく、先の戦争で鉄を失いすぎたのだろう、と事代主は推測します。事代主は、京観の犠牲者が50人で、能見邑には300人いたはずなので、生存者や他の死者を手分けして探すよう、命じます。しかし、他に生存者も遺体も確認できず、生き残った250人を出雲フルネはどこかに連行したのだろう、と事代主は推測します。日下(ヒノモト)の庵戸宮では、吉備津彦がモモソに、金砂国から250人を拉致し、日下に出雲を創るつもりで、上手くいけば筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)の山社も日下に創ろうと考えている、との構想を語っていました。

 襄平では、公孫淵の公邸から戻ったヤノハが一向に、目的を果たしたので明日帰国の途につく、と伝えて感謝します。後は山社(ヤマト)に戻って公孫淵の決起を待つのみだ、と言うヤノハは、公孫淵はいつ魏に叛くと思うか、と尋ねるトメ将軍に、おそらく10年以内と答えます。ヤノハは一行に公孫淵から渡された倭の女王宛の書状を見せ、その書状をいつ読むのか、尋ねるヌカデに、加羅までは公孫淵の手配した警固がつくので、舟に乗ってからだ、と答えます。トメ将軍から真意を尋ねられたヤノハは、自分が認めるのは中土最強の国である魏のみなので、ゴリとヤノハとは旧知である漢人(という分類を作中の舞台である紀元後3世紀に用いてよいのか、疑問は残りますが)何に、10人の兵とともに襄平にこのまま駐在し、ヒホコとイセキは駅役(エキヤク、大陸の国々から倭にわたる人々や品々や情報を中継ぎする役目)として加羅に留まるよう、命じます。イセキは、伊岐(イキ、現在の壱岐諸島でしょう)国の日守(ヒマモ)りでトメ将軍一行の伊岐から黒島までの航海で示齊を務めたアシナカの縁戚のようです。ヤノハは、公孫淵から援軍要請の書簡を渡されたら山社まで届けるよう、ゴリに命じます。何は、自分が皆とは反対方向に行くのだ、と察します。つまり、洛陽にいる魏の皇帝に、遼東太守である公孫淵に謀叛の兆しありと伝えるわけです。何は、自分が黄巾一派だったことを誰も覚えていないから自由に動ける、と自信ありげに言います。ヤノハはトメ将軍に、公孫淵から援軍要請の書簡を受け取ると同時に使節を率いて渡海し、襄平の落城を待って一路洛陽に向かうよう、命じます。トメ将軍は、倭国最初の遣魏使に推挙されたことに感激します。ヤノハが、後少し待てば、魏への道を阻む公孫淵は滅びる、と一行に力強く伝えるところで今回は終了です。


 今回は、本作の完結へと向けて、話が大きく動いたように思います。とはいえ、山社連合と日下や暈(クマ)との関係に、公孫淵の決起と滅亡、さらにはその後の魏への遣使、ヤノハの息子であるヤエト(ニニギ)の動向など、語られるはずのことが多いので、完結は当分先のように思います。本作ができるだけ長く続くよう、願っています。吉備津彦は、日下に新たな出雲と山社を創ろうと構想しており、後に纏向遺跡一帯が(坂東以西の?)日本列島の政治的中心地になることを考えると、注目されます。ただ、日下が山社連合を破り、倭国を統一する、といった単純な展開にはならず、日下と山社連合のある種の融合など、複雑な結末になるのではないか、と予想しています。すでに、纏向遺跡らしき「都」は日下に建造されており、疫病のため現在は放棄されていますが、今後再び「都」として使われることになるのかもしれません。日下の残酷な策略に、知恵者である事代主がどう対応するのかも注目されます。

 本作後半の山場となりそうな魏への遣使は、その道筋がはっきりと見えてきました。倭の魏への遣使は遼東公孫氏の滅亡によって可能になった、と考えられ、公孫氏の滅亡にはヤノハの策略が深く関わっていた、という話になっています。作中では現時点で228年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)頃のようですから、10年以内に公孫淵が魏に対して決起する、とのヤノハの予想通りになりそうです。何は洛陽に向かうことになり、魏の要人が本格的に登場するのではないか、と期待されます。現時点では、魏の皇帝は曹操の孫である曹叡(明帝)で、曹叡も登場しそうですが、本作において魏で重要人物なのは、やはり公孫淵を討滅した司馬懿でしょうから、どのような人物として描かれるのか、たいへん楽しみです。

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