大河ドラマ『光る君へ』第35回「中宮の涙」

 今回も、宮中の人間模様を中心に話が展開しました。藤原道長(三郎)は息子の頼通とともに娘で一条帝の中宮である彰子の懐妊を祈願し、御嶽詣へ向かいますが、険しい道程と悪天候のため、目的地である金峯山寺に到着したのは都を離れてから9日目でした。その帰途を、藤原伊周は平致頼に襲撃させようとしますが、伊周の弟の隆家が阻止します。当時、伊周と隆家が道長の暗殺を平致頼に命じた、との噂があったようです。本作では、伊周が依然として道長を深く恨んでいるのに対して、隆家は道長の人物を認めていますから、道長を殺しても伊周をめぐる状況は改善しない、と判断して伊周の道長暗殺計画を阻止したのは、納得のいく展開です。

 一条帝は紫式部(まひろ、藤式部)が執筆している、後に『源氏物語』と呼ばれる物語にますます関心を抱き、紫式部から物語の講釈を受けるくらいです。道長は紫式部から物語の意図を聞き、紫式部の娘の賢子(大弐三位)の実父が自分であることを確信したようです。賢子は後に従三位にまで出世し、これには道長とその息子たちからの支援があったため、との設定なのでしょうか。彰子は紫式部とのやり取りを経て、ついに一条帝に本音を見せ、彰子と一条帝との関係は大きく進展しましたが、それとともに、彰子が『源氏物語』の展開にも影響を及ぼした話になっており、紫式部と彰子との関係が双方向だと示され、両者の今後の関係が注目されます。

 ただ、彰子が一条帝から愛されるよう、道長が紫式部の物語を利用し、御嶽詣まで行なった理由を、娘の幸せ願うという父親個人としての心情に集約しているかのような描写は、本作の問題点を表しているように思います。つまり、道長の人物像を権勢欲の薄い清い政治家として描いていることで、通俗的な道長像と異なることこそ本作の見どころの一つである、との制作側の意図なのかもしれませんが、大河ドラマにありがちな(準)主人公の美化という陳腐な印象も否定できないように思います。まあ、道長が父や兄のような権勢欲に取りつかれた人物として描かれれば、それはそれで陳腐な印象を受けるのかもしれず、難しいところではありますが。紫式部の弟である藤原惟規が若くして死亡することを予感させるやり取りもあり、本作も終盤に入ってきたことを予感させます。

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