フランス地中海地域の孤立したネアンデルタール人
フランス地中海地域の後期ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のゲノムデータを報告した研究(Slimak et al., 2024)が公表されました。本論文はすでに昨年(2023年)4月、査読前に公開されており(関連記事)、分析結果や論旨の大きな変更はないと思われますが、この間の最新研究の成果も取り入れるなど、それなりに修正されているようですし、何よりも、ヨーロッパ地中海地域におけるネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との関係についてたいへん注目される研究なので、改めて取り上げます。なお、以下の[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。また、以下の年代は基本的に較正されています。
本論文は、フランス地中海地域のマンドリン洞窟(Grotte Mandrin)で発見されたトラン(Thorin)と呼ばれるネアンデルタール人遺骸が、ヨーロッパの他の後期ネアンデルタール人とは遺伝的に異なる系統であることを明らかにしています。ヨーロッパの後期ネアンデルタール人系統においても、アフリカから世界中に拡散した現生人類(Homo sapiens)と同様に遺伝的分化が進んでおり、遺伝的に異なる系統が複数存在した、というわけです。マンドリン洞窟には、このネアンデルタール人の前に現生人類が一時的に居住してネロニアン(Neronian、ネロン文化)インダストリーを残した、と考えられています[1、2]。ヨーロッパの同一の遺跡で、その居住者もしくは使用者がネアンデルタール人から現生人類へと替わった後に、再度ネアンデルタール人が居住もしくは使用する事例の確認はまだ少ないものの、5万年前頃よりもむしろ42000年前頃に近そうなトラン個体はその代表例で、現在は海面下の一部の遺跡には、そうした痕跡が残っている可能性も考えられます。ネロニアンでは現生人類と関連する弓矢技術の存在も推定されているので[2]、ネアンデルタール人と現生人類との関係、さらにはネアンデルタール人の絶滅の観点からもたいへん注目されます。
●要約
ネアンデルタール人のゲノムはユーラシアの遺跡から回収されてきており、その人口構造のますます複雑な状況を描いており、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人は人口構造の顕著な証拠がない単一のメタ個体群【アレル(対立遺伝子)の交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団】に属している、とたいていは示唆されています。本論文は、フランス地中海地域のマンドリン洞窟で回収されたトランという愛称の後期ネアンデルタール人男性1個体の発見と、そのゲノムを報告します。臼後歯の稀な事例を含むこれらの歯顎化石は、50000~42000年前頃のこの地域におけるネアンデルタール人の末期技術伝統の豊富な考古学的記録と関連しています。トランのゲノムは、他の後期ネアンデルタール人との105000年前頃となる比較的早い分岐を明らかにします。トランは他の既知のヨーロッパの後期ネアンデルタール人との遺伝的な浸透性交雑を示さない小さな集団規模の個体群に属しており、近隣地域に居住しているにも関わらず、トランの系統の遺伝的孤立が明らかになります。これらの結果は、ネアンデルタール人の消滅原因についての競合仮説の解決に重要な意味を有しています。
●研究史
4万年前頃となるネアンデルタール人の絶滅に取り組むため、長年にわたって複数の仮説が提示されてきました。これらの手法は一般的に、気候変化から火山の噴火もしくは磁場逆転まで、さまざまな出来事の特定に基づいています。したがって、それらは生態学的要因に帰属しており、ネアンデルタール人の消滅はネアンデルタール人集団自体の生物学的および文化的特徴と関連する過程というよりも、むしろ外部起源の自然事象の結果だった、と示唆されています。ネアンデルタール人集団の社会的もしくは歴史的もしくは動物行動学的構造に基づく内部要因は、ほとんど調べられていないままです[1、2、4、5、7]。注意すべきは、古ゲノムおよび骨学的研究が小さな有効人口規模およびシベリアと後期ヨーロッパのネアンデルタール人における近親交配の痕跡を昭にしてきたことで[7~9]、小さな集団規模と低い集団間の移動によって特徴づけられる社会構造が示唆されています。これはユーラシアの初期現生人類から得られた最近の結果とは対照的で、そうした研究は、現生人類の小さな集団規模にも関わらず、低水準の近親交配とより高い集団間移動性を示しました[9、10]。これらの結果がより広いネアンデルタール人と現生人類の社会組織を表しているのかどうか、まだ決定的ではありません。
2010年におけるネアンデルタール人のゲノムの最初の概要の刊行[10]以来、ネアンデルタール人のゲノムはユーラシアの遺跡から回収されてきており、ネアンデルタール人の遺伝的構造のますます複雑な状況を描きつつあります。これまでに配列決定されたネアンデルタール人のゲノム間で最も深い分岐はユーラシア東西のネアンデルタール人集団間で見られ、東方集団はシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された12万年前頃の女性1個体(デニソワ5号)により表され[8]、西方集団はクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)で発見された44000年以上前となるネアンデルタール人女性1個体(ヴィンディヤ33.19)により表されます[12]。全ての他の利用可能なネアンデルタール人遺骸のゲノムデータは、ヨーロッパ西部において最古は、12万年前頃となるベルギーのスクラディナ洞窟(Scladina Cave)とドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel、略してHST)洞窟で発見された遺骸からのもので、一方最新のデータは4万年前頃となりますが、ユーラシア西部における約8万年間の遺伝的連続性が示唆されます[13]。
堆積物のDNAから得られた最近の結果では、この遺伝的景観はネアンデルタール人集団の105000年前頃の拡大によって顕著に変わった、と示唆されています[14]。これは、ヴィンディヤ洞窟個体(ヴィンディヤ33.19)などヨーロッパ中央部、ヨーロッパ・ロシアのメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟などコーカサス、アルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)個体(チャギルスカヤ8号)などシベリアから得られた標本によって表されるヨーロッパの系統を生み出し、後者がそれ以前のアルタイ的人口集団を置換した可能性が高そうです。コーカサスの1個体(メズマイスカヤ2号)を含むヨーロッパの後期(5万年前頃未満)ネアンデルタール人のゲノムは全て、他の既知の系統よりもヴィンディヤ個体的系統の方と類似しており、コーカサスもしくはヨーロッパ西部におけるネアンデルタール人の歴史の最終段階に向けての、さらなる人口置換が示唆されます。遺伝的類似性と地理的距離との間の密接な相関は、標本抽出された後期ネアンデルタール人集団における大きな人口構造の欠如を示唆します。これらのパターンが、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人集団の同じ場所での長期にわたる進化の結果なのか、ヨーロッパへのヴィンディヤ的系統の最近の拡大の結果なのか、不明なままです。
本論文は、2015年にフランス地中海地域のマンドリン洞窟で発見された、トランという愛称の後期ネアンデルタール人1個体を報告します。2015年以降、マンドリン洞窟では発掘が続き、初期現生人類が54000年前頃に一時的に居住していました[1]。トランは、1979年のサン・セザール(Saint-Césaire)遺跡における発見以来、フランスで見つかった最も代表的なネアンデルタール人個体のうちの一つです。本論文は考古学と年代層序学と同位体とゲノムの分析を組み合わせて、トランは5万年前頃に遺伝的に孤立したままだった後期ネアンデルタール人集団に属していた、と示します。トラン系統とは別に、フランスのレス・コテス(Les Cottés)遺跡[16]のネアンデルタール人1個体(コテスZ4-1514)のゲノムで、ヨーロッパのネアンデルタール人の祖先の系統から8万年以上前に分岐した別の系統からの遺伝子流動の証拠が見つかりました。本論文の結果は、絶滅時期に近いヨーロッパにおける複数の孤立した後期ネアンデルタール人共同体の存在を示唆し、これらの人口集団が相互に地理的にひじょうに近くても、過去数千年間のさまざまなネアンデルタール人集団間の、たとえあるとしても限定的な水準の相互作用を伴う、社会組織に光を当てます。
●ヨーロッパの後期ネアンデルタール人であるトラン
マンドリン洞窟はローヌ川渓谷に直接的に張り出している、フランス地中海地域に位置する岩陰です。マンドリン洞窟遺跡には12の主要な堆積物層があり、その年代は海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~3です。地質学的および微細形態学的分析から、マンドリン洞窟の考古学的層位はすべて、砂と沈泥の急速な風による堆積によってよく保存されている、と示されます[1]。上部の層序は年代的に65600年前頃(F層底部)~41500年前頃(B1層)の間に位置づけられる8考古学的層位へと区分され、最後のネアンデルタール人共同体と最初の現生人類集団の到来を含んでいます。これら各層では豊富な考古学的記録が得られ、合計で6万点以上の石器と7万点以上の動物遺骸となります。マンドリン洞窟のほとんどの層では、暖炉と人類遺骸も発見されました[1]。これら8考古学的層位は5通りの文化段階に区分され、F層はローヌ・キーナ(Rhodanian Quina)、E層はネロニアン、D層はネロニアン後1期(Post-Neronian I、略してPNI)、C2層からB2層はネロニアン後2期(Post-Neronian II、略してPNII)、B1層はプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian、先オーリニャック文化)です。マンドリン洞窟におけるネロニアンとPNIとPNII段階の文化的確定[1]は、フランス南西部とブルゴーニュの近隣地域で見られる同年代のムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)およびシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)社会[4]との大きな技術および文化の相違を示しています[5]。
トランは2015年に岩陰の入口で、上層とB2層の岩盤との間の横方向の接触面にて発見されました(図1)。B2層は、マンドリン洞窟の最終ムステリアン段階となるPNII期の豊富な動物相および人工遺物と関連しています。トランは依然として発掘中ですが、数点の断片により表され、大臼歯層の左口蓋突起の一部、断片的な下顎、31点の永久歯の上顎および下顎の歯が含まれます(図2)。上顎右側小臼歯および上顎左側犬歯は死後に失われましたが、2個の下顎過剰大臼歯(4個の大臼歯)が存在することは注目に値します。以下は本論文の図1です。
これらの歯は異形で、歯頚から根尖にかけての単一ではあるものの大きな歯根のある、縮小して単純化した(非円錐形の)歯冠を示します。その2歯の咬合近心歯冠に影響を及ぼした著しく傾斜している摩耗面は、下顎第三大臼歯の遠位歯冠面と一致し、臼後歯が萌出中に第三大臼歯の歯冠に衝突したことを示唆します。全体的に、この個体の歯の形態はネアンデルタール人に典型的で、シャベル型の上顎中切歯、歯冠の下側側面で巨大な結核結節歯骨も示す上顎側切歯の顕著な唇側凸状、上顎大臼歯の下側に突き出たよく発達した下錐、高い根茎/枝比(つまり長髄歯)があります。以下は本論文の図2です。
歯列のほとんどは、とくに前歯で歯根尖においてセメント質増殖症と関連した歯根発達した咬合摩耗を示し、完全に発達した第三および第四大臼歯は、トランが成人個体であることを示唆します。発達した咬合摩耗もセメント質増殖症と関連しており、歯と顎がこの個体の障害において重度の(異常な)咀嚼圧力下にあったことを示唆します。これらの遺骸は典型的なネアンデルタール人の特徴を示し、それは親指遠位骨の尺骨側偏位と、遠位指骨結節の拡大です。これまでに回収されたヒト遺骸のすべては成人期のもので、さまざまな要素の解剖学的表示は単一の個体の存在と一致します。歯は典型的なネアンデルタール人の特徴を示しますが、2個の過剰な第四大臼歯は注目に値します。下顎臼後歯は現代人ではひじょうに稀で(約0.02%)、本論文が把握している限りでは、これまで更新世のホモ属では報告されていませんが、他の種類の過剰歯がネアンデルタール人と旧石器時代の現生人類についていくつかの事例で記載されてきました[27]。臼後歯の存在の原因は、依然として議論されています。現生霊長類の初期世代の交雑個体で見られる歯骨異常の研究は、臼後歯の比較的高い発生率を示します。
ヨーロッパ制西部の旧石器時代遺跡群の最近の分析から、伝統的にネアンデルタール人のみの所産とされてきたムステリアン石器インダストリーは、較正年代で41000~39000年前頃に終焉した、と示唆されています[4]。ユーラシア全体では、10ヶ所の遺跡で5万~4万年前頃と直接的に年代測定されたネアンデルタール人遺骸が得られていますが[16、32~36、38、39]、フランスではわずか4ヶ所の遺跡、つまりアルシ・スュル・キュール(Arcy-sur-Cure)遺跡とレス・コテスとラ・フェラシー(La Ferrassie)遺跡とサン・セザール遺跡でのみ、限外濾過法を経て45000~40000年前頃の年代が得られました[16、36、38、39]。したがって、長い存在の最終段階に間違いなく分類されるネアンデルタール人遺骸はとくに珍しく、ネアンデルタール人遺骸は基本的に、層序学的および考古学的文脈がほとんどないか、議論の余地のある、数十年前に発掘された遺跡に由来します[16、32~36、38、39]。
放射性炭素年代測定の破壊的過程についてより広範囲のさほど貴重ではない標本を提供するため、ZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)のコラーゲンペプチド質量フィンガープリント法により先行研究で概略された手法に従って、トランに由来すると推測される80点の断片的な骨遺骸が検査されました。ヒト科と一致する範囲を産出した標本[43]は、オックスフォード放射性炭素加速器単位で年代測定されました。ヒドロキシプロリンが加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)年代測定のため抽出され、その信頼性と汚染除去が保証されました。人類遺骸の選択も、古プロテオーム(タンパク質の総体)解析配列決定と、現生人類分類群を古代型ホモ属【非現生人類ホモ属】から区別するその能力によってもさらに調べられました。しかし、完新世の堆積物から得られた既知の現生人類遺骸との比較は、この手法に問題があると証明し、マンドリン洞窟のPNII期と同年代の技術的伝統であるシャテルペロン文化(Châtelperronian culture、シャテルペロニアン)の製作者に関する現生人類(Homo sapiens)なのかネアンデルタール人なのかの議論に関しては、いくらかの直接的意味があります。
トランの、直接的なウラン系列(U-series、略してUS)年代測定と、組み合わされたウラン系列および電子スピン共鳴法(electron spin resonance、略してESR)年代測定(US-ESR)も、トランの下顎左側第三小臼歯の歯冠の断片で行なわれました。B2層からの追加の動物相遺骸は、同じ手法を用いて直接的に年代測定されました。象牙質とエナメル質におけるウランの拡散および蓄積パターンが、同位体分析の前に得られました。化石における拡散モデルとウラン系列年代の分布によると、B2層のネアンデルタール人遺骸の下限年代は43500±4100年前と割り当てることができます。US-ESRモデル化は統計的に区別できない有限年代を示し、トランについては48000+5000/-13000年前、B2層の動物相については49000+5000/-10000年前です。
PNII層内(C2~B2層)のトランについて堅牢な年代推定値を決定するため、マンドリン洞窟におけるより広範な層序系列のモデル化が行なわれました。そのモデルはトランについて較正年代で、51300~48900年前頃(68.2%の確率)と52900~48050年前頃(95.4%)を示しました(図3)。この遺骸が依然として発掘中であることに注意すべきです。PNII層序系列(異なるC層とBそうの間)における正確な下位段階の最終的な帰属は、完全な発掘後に改良されるはずです。以下は本論文の図3です。
モデルが統計的にトランを52000~48000年前頃に、したがってPNIIの開始に位置づけるならば、PNIIにおけるトランの正確な位置は、その遺骸が小さな自然の窪みでさらに現れ、意図的にあるいはそうではなくとも堆積した可能性があるので、さらに変わるかもしれません。現時点で最も節約的で堅牢な解釈では、トランがPNIIに属し、故に最大幅では52000~42000年前頃の年代に位置づけられる、と確実に考えられます。トランの歯の1個で測定された炭素と窒素と酸素とストロンチウムの同位体比は、MIS5の場合のような森林のある温暖な気候条件ではなく、開けた景観と寒冷な気候条件で暮らしていた1個体と完全に合致し、C2~B2層の堆積物の特徴、直接的な年代測定結果と一致します。
●トランは独特なネアンデルタール人系統を表しています
第一大臼歯の歯根断片が、トランの全ゲノム配列の生成に用いられました。これは、現代人の汚染を劇的に減らす3点の異なるDNA抽出(E1とE2とE3)と、内在性ヒトDNAの断片を増加させる全ゲノム溶液内捕獲により行なわれました。生の(非ウラシル特異的切除試薬使用者処理済)DNA抽出で構築されたライブラリは、末端のシトシンからチミン(C>T)およびグアニンからアデニン(G>A)の置換率上昇を示し、これは確実な古代DNAデータと一致します。しかし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とX染色体を用いての汚染率の分析、および核DNAでの構成員等級モデル(grade-of-membership model、略してGoMモデル、個体が1人口集団を特徴づける1群の部分的な構成員であることを許容する、個体水準のモデル)は、最初の抽出E1で生成されたデータにおける、かなり高水準の現代人のDNAによる汚染を明らかにしました(mtDNAに基づく推定は13~60%、X染色体に基づく推定は13~29%)。したがって、その後の分析は抽出E2とE3から得たデータに限定され、再推定されたmtDNAと核DNAの汚染率はそれぞれ1%未満と0.01%と示され、網羅率の最終的な平均深度が核ゲノムでは1.3倍、mtDNAでは561倍となりました。本論文のデータにおける参照と捕獲の偏りの可能性は、両方の事例で有意ではないD値が得られるD統計で除外されます。
X染色体とY染色体へのマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)読み取りを用いての分子的性別決定は、トラン個体が男性と示しました。ミトコンドリアゲノムの系統発生分析は、トランのミトコンドリアゲノムがポーランドのスタイニヤ洞窟(Stajnia Cave)の最近記載された[45]個体(スタイニヤS5000)およびコーカサスの65000年前頃となるメズマイスカヤ1号[8]と最も密接に関連しており、これまでに配列決定された他の後期ユーラシア西部ネアンデルタール人とは異なることを明らかにしました。(図4A)。以下は本論文の図4です。
系統発生最尤法を用いて、低網羅率のミトコンドリアゲノムを含めると、低いブートストラップの裏づけですが、トランは、スペイン北部のアタプエルカ考古学・古生物学複合の一部である彫像坑道(Galería de las Estatuas、略してGE)で発見されたネアンデルタール人個体(ピット1第3層とピット2第2層)[14]や上述のスタイニヤS5000およびメズマイスカヤ1号とのクレード(単系統群)において、ジブラルタルのフォーブス採石場(Forbes’ Quarry、略してFQ)の1個体[47]と最も密接に関連しています。Y染色体の分析は類似の結果を示し、ブートストラップの裏づけは限定的ですが、トランの配列は他の後期ネアンデルタール人男性2個体、つまりベルギーのスピ(Spy)洞窟個体(スピ94a)およびメズマイスカヤ2号[16]の前に分岐し、わずかに古いアルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)のネアンデルタール人男性個体[48]とクレードを形成します(図4B)。トランのY染色体配列は、スペイン北部のエル・シドロン(El Sidrón)洞窟の個体(エル・シドロン1253号)と最も密接に関連しており、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人におけるトランのミトコンドリア系統の位置づけとは対照的です(図4A・B)。しかし、おそらくは両標本の低網羅率のため、このクレードの裏づけが弱いこと(89%のブートストラップの裏づけ)に要注意です。
BEAST2を用いて、トランについて10万年前頃の分子年代推定値が得られましたが、これは、トランが発掘された堆積物層で得られた、放射性炭素(¹⁴C)年代測定やウラン系列法や光刺激ルミネッセンス(Optically Stimulated Luminescence、略してOSL)法の考古層序学的状況より5万年ほど古くなります。年代の同様の不一致は、以前にチャギルスカヤ8号[8]とスタイニヤS5000[45]で観察されました。とくに、先端較正で用いられた直接的に年代測定された標本は、後期ネアンデルタール人のクレードに限定されおり(図4A)、全体の系統樹の浅い部分のみを網羅しており、置換率が系統発生全体で異なる場合、不正確な推定につながるかもしれません。
これを検証するため、系統樹での置換率の差異を考慮して、95%信頼区間(Confidence interval、略してCI)では55000~45000年前となる5万年前頃の年代を用いて、追加の較正点としてトランを含む追加のBEAST2分析が実行されました。得られたチャギルスカヤ8号(7万年前頃、95% CIで94000~48000年前)とスタイニヤS5000(77000年前頃、95% CIで103000~53000年前)の先端年代は、それぞれの考古学的状況(6万年前頃と5万年前頃)で得られた年代にかなり近づく、と分かりました。同様に、74000年前頃とされるメズマイスカヤ1号の分枝年代推定値も、7万~6万年前頃の推定値と一致しました。推定置換率は比較的狭い範囲内に留まり、トランのミトコンドリアクレードにおける標本の最初の分枝年代は過大評価された可能性が高い、と示唆されます。このモデルでは、トランクレードの分岐年代は95%最高確率密度(highest probability density、略してHPD)で152000~97000年前頃となる123000年前頃と推定されますが、HSTと他のネアンデルタール人との間の分岐年代は215000年前頃(95% HPDで274000~163000年前)、現生人類と全てのネアンデルタール人との間の分岐年代は331000年前頃(95% HPDで417000~253000年前)と推定されます。
各個体がヴィンディヤ33.19とアルタイ山脈ネアンデルタール人(デニソワ5号)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)個体(デニソワ3号)[53]へと投影された、主成分分析(principal component analysi、略してPCA)から得られた固有ベクトルへのプロクラステス分析の実行によって、低網羅率のネアンデルタール人とチャギルスカヤ8号とにおける広範な人口構造が調べられました。投影された個体群はヴィンディヤ33.19に向かう勾配を形成し、アルタイ山脈ネアンデルタール人とよりも新しい共通祖先を有している、との以前の報告と一致します。興味深いことに、トランの位置はこの勾配内に収まるものの、他のどの後期ネアンデルタール人個体よりもヴィンディヤ33.19から離れており、ヴィンディヤ33.19とのより遠い関係が示唆されます。
全読み取りを用いたD統計では、8万年前頃より新しいヨーロッパとコーカサスとシベリアのネアンデルタール人はトランとよりもヴィンディヤ33.19の方と多くの遺伝的浮動を共有しており、トランはヴィンディヤ系統の残りの後期ネアンデルタール人より早くに分岐した系統に属する、と確証されました。この調査結果は、脱アミノ化した読み取りのみに限定しても、裏づけられました(図5)。例外はジブラルタルのFQの低網羅率のネアンデルタール人のゲノム[47]で、この個体はトランと共有される弱いものの有意な過剰アレル(対立遺伝子)の兆候を示し、その密接に関連するミトコンドリア配列と一致します(FQのミトコンドリアゲノムが低網羅率であることに要注意です)。さらに、トランは他のすべてのユーラシア西部ネアンデルタール人との比較において、現生人類と共有される過剰なアレルを示さず、現生人類と交雑したネアンデルタール人系統はトラン系統の前に分岐した、と示唆され、マンドリン洞窟における初期現生人類との近い過去での交雑の可能性は除外されます。以下は本論文の図5です。
momi2に実装されている部位頻度範囲に基づく手法を用いて、人口統計学的モデル化が実行されました。momi2は、高品質のゲノムから推測された「足場(scaffold)」へと低網羅率の個体群の配置を可能とします。まず、高網羅率のネアンデルタール人3個体(デニソワ5号とチャギルスカヤ8号とヴィンディヤ33.19)とデニソワ人1個体(デニソワ3号)を含む「足場」人口統計が当てはめられ、以前に推測された人口統計学的事象[8]へと組み込まれました。次に、低網羅率標本であるトランとメズマイスカヤ1号がこの「足場」に追加され、デニソワ5号(アルタイ山脈ネアンデルタール人)からの分岐後のあらゆる時点におけるヴィンディヤ33.19からの分岐が可能となります。最適モデルはヴィンディヤ33.19からのトラン系統の分岐を102861年前頃(95% CIで105169~100267年前)と推定し、これはメズマイスカヤ1号(82617年前頃、95% CIで85606~79313年前)もしくはチャギルスカヤ8号(79458年前頃、95% CIで80892~77600年前)の推定分岐年代よりかなり早く、D統計およびmtDNAの結果と一致します(図6)。FQネアンデルタール人個体を人口統計学に追加すると、FQがトラン系統から分岐するモデルは、FQが同じ祖先の系統から独立して分岐するモデル(106000年前頃)より適切に裏づけられ、D統計の結果と一致する、と分かりました。以下は本論文の図6です。
低網羅率のネアンデルタール人のゲノムにおける同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)を検出する新たな手法を用いて、他のヨーロッパの後期ネアンデルタール人と比較して、トラン系統のゲノムにおける同型接合性増加の証拠が見つかりました。トランはそのゲノムの7%ほどが500万塩基対もしくはそれ以上の同型接合断片で、近い過去の近親交配を示唆する合計2000万塩基対以上の断片では、4500万塩基対(1.5%)が含まれます(図7)。まとめると、本論文の結果は、利用可能なゲノムデータのある他の後期ネアンデルタール人集団から、トラン集団は規模が小さく長期間遺伝的に孤立していた、と示唆されます。以下は本論文の図7です。
●5万年前頃に存在した他の孤立系統?
後期ネアンデルタール人の時代のヨーロッパにおける人口置換の可能性が、さらに調べられました。メズマイスカヤ2号のコーカサス系統が他のヨーロッパ後期ネアンデルタール人に対して外群を形成するのかどうか、検証するD統計を用いて、43000年前頃となるフランスのレス・コテスZ4-1514標本において、後期ネアンデルタール人の最新共通祖先に先行して分岐したネアンデルタール人系統からの遺伝子流動の証拠が見つかりました。興味深いことに、レス・コテスZ4-1514個体は、これまでに標本抽出されたヴィンディヤ的な後期ネアンデルタール人のクレードより早くに分岐した、アルタイ山脈のオクラドニコフ洞窟(Okladnikov Cave)とチャギルスカヤ洞窟で発見されたシベリアのネアンデルタール人と最も密接に関連するmtDNA系統を有しています(図4A)。以前の最適モデルへのレス・コテスZ4-1514個体とメズマイスカヤ2号の人口統計学的モデル化から、89000年前頃に分岐した以前には標本抽出されていなかった系統からレス・コテスZ4-1514個体への遺伝子流動のあるモデルが、遺伝子流動なしのモデルよりも有意に適切に一致する、と明らかになりました。トラン系統から分岐したと制約された以前には標本抽出されていなかった系統を含む代替的なモデルでも、トラン系統の分岐に近い標本抽出されていないかった系統の分岐年代となり、より適していない合致が得られました。
したがって、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人の時代の地理的に近い場所において遺伝的に孤立したままで、その後は部分的にヨーロッパ西部へのヴィンディヤ的系統の拡大によってその存在の直近1万年間以内に置換された、遅くとも89000年前頃の分岐年代となる少なくとも2系統の存在を示唆します。これらの系統はその後、存在していた最後の1万年間にヨーロッパ西部へのヴィンディヤ的系統の拡大により部分的に置換されました。興味深いことに、メズマイスカヤ洞窟のヨーロッパ東部の後期ネアンデルタール人(メズマイスカヤ2号)も高水準の同型接合性を示しており(図7)、拡大するヴィンディヤ的人口集団以外の後期ネアンデルタール人において、小さな集団規模も一般的だった可能性が高そうです。
●考察
トランは1979年以降にフランスで発見された最も完全なネアンデルタール人個体で、ヨーロッパ西部におけるネアンデルタール人の存在の最後の数千年にさかのぼる他のネアンデルタール人集団に収まります。これまで、他の後期ネアンデルタール人の集団遺伝学的分析では、後期ネアンデルタール人はその中に人口構造の有意な証拠がない単一のメタ個体群に属する、と示唆されてきました[16]。本論文のゲノム分析では、トランは祖先的なヨーロッパのネアンデルタール人系統から105000~100000万年前頃に分岐した系統に属し、故にそれ以前のヨーロッパのネアンデルタール人の残りを表す、と論証されたので、トランのゲノムは後期ネアンデルタール人の人口構造に新たな光を当てます。興味深いことに、この系統の分岐年代はMIS5と一致し、これは、ユーラシア全域における急速な気候および環境変化と、ユーラシア大陸全体で温暖な環境に適応した動物相の再増殖が見られた期間です。この分岐の時期は、ネアンデルタール人集団においてスペイン北部で検出された人口置換の期間とも一致します[14]。
トランの系統および他の既知のネアンデルタール人と現生人類系統との間の遺伝子流動について検証した本論文の分析は、ヨーロッパ西部における5万年前頃の後期ネアンデルタール人の孤立した集団の存在を示唆します。この人口集団は特徴的なPNII石器伝統と関連しており、この石器伝統はマンドリン洞窟の最後の4ムステリアン層(C2層~B2層)で証明されており、年代は95%CIで52900~43000年前で、ユーラシアにおけるネアンデルタール人集団の最終的な消滅と重なっています[1、4]。したがって、トロンは地中海フランスのこの地域における最後の代表的なネアンデルタール人集団の一つに属していた可能性が高く、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人における人口構造の最初の直接的なゲノム証拠です。トランのゲノムとFQの低網羅率のゲノムとの間で観察された遺伝的関係(人口統計学的モデル化でも示唆されました)から、ジブラルタルのネアンデルタール人は広がったヨーロッパ南西部メタ個体群の構成員だったかもしれない、と示唆され、そうした個体について以前に予測されていた[47]よりもずっと後の年代の可能性が高くなります。
トラン系統の5万年間にわたる長い遺伝的孤立は、ネアンデルタール人の消滅に関する議論と、ネアンデルタール人集団間およびヨーロッパに到来した最古級の現生人類との相互作用の種類に関する、新たな問題を提起します。この人口集団がローヌ川中流域に局所的にのみ拡大したのかどうか、あるいは、ジブラルタルとのつながりによって示唆されるように、トラン系統がヨーロッパ全域により広く分布していたのかどうか、不明なままです。注目すべきは、PNIIにはローヌ渓谷のより古い伝統であるPNI(D層)やネロニアン(E層)やローヌ・キーナ(F層)ら名窯に技術的在来起源がなく、それらより古い伝統はPNII強い技術的および文化的相違を示すことです。これは、こうしたPNII伝統の外来起源を示唆しているかもしれません。PNIIとジブラルタルの石器データとの間の直接的比較は、これらの遺伝的つながりがこうした地中海西部地域の後期ネアンデルタール人集団間の文化的つながりとも関連しているのかどうか、浮き彫りにします。
スペイン北部の彫像坑道(GE)人口集団の堆積物の常染色体DNAデータは残念ながら、トランとのより密接な類似性を確証するのに充分な網羅率ではありません。しかし、イベリア半島(ジブラルタルとGE)とフランス南西部からポーランド(スタイニヤ洞窟)までとなるトランのmtDNAクレード内でのヨーロッパのネアンデルタール人の標本抽出位置は、より広範な分布を裏づけており、ネアンデルタール人集団の105000年前頃の提案された放散と一致するでしょう。しかし要注意なのは、FQとGEのミトコンドリアゲノムが低網羅なので、慎重に扱わねばならいないことです。最初の現生人類と最後のネアンデルタール人との間の相互作用が、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たしたかもしれない、と一般的に推測されていますが、これまで認識されていなかった後期ネアンデルタール人集団の特定と、これらネアンデルタール人集団の遺伝的および文化的孤立の論証は、後期ネアンデルタール人における予期せぬ人口構造を明らかにし、ネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たしたかもしれない、その社会的および行動的組織をさらに調査すべき、新たな一連の問題を提起します。
トランに代表される系統に加えて、本論文の人口統計学的モデル化は、フランスのネアンデルタール人個体レス・コテスZ4-1514における遺伝子移入を通じて、別の以前には標本抽出されていなかった分岐したヨーロッパ系統の存在に関する直接的証拠を提起します。本論文の人口統計学的モデル化から、この遺伝子移入系統は、レス・コテスZ4-1514が密接に関連するミトコンドリア系統も共有している、メズマイスカヤ1号とアルタイ地域のシベリア個体チャギルスカヤ8号の分岐とより近いトランの系統の後しばらくして分岐した、と示唆されます。この以前には標本抽出されていなかった系統が、10万年前頃以後ではあるものの、古典的な後期ネアンデルタール人の前となる系統のまだ知られていないさらなる放散の一部を形成するのかどうか、その期間の頃のゲノムデータのより高密度の標本抽出なしには分からないままです。それにも関わらず、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人の時代にヨーロッパに存在した、少なくとも2系統、おそらくは3系統の異なるネアンデルタール人系統を示唆します。トラン系統と他のネアンデルタール人系統との間の検出可能な遺伝子流動の欠如から、トランは5万年間孤立したままだった系統を表している、と結論づけられます。
社会的に言えば、後期ネアンデルタール人集団内における近い過去の現生人類からの遺伝子移入の欠如は、後期ネアンデルタール人集団に影響を及ぼしたより大きなパターンの一部だったかもしれず、それは、初期現生人類とのみならず、より一般的にネアンデルタール人集団自身の内部内でも、遺伝子交換を制約もしくは避けたようです。人類学的には、これらの遺伝子交換過程は決して2個体間の恋愛に限定されず、ヒト集団が意識的に構築すると決めた同盟と体系的に対応しています。遺伝子交換の欠如もしくはその非相互関係(ヨーロッパの最初の現生人類にはネアンデルタール人の遺伝子が存在するのに対して、最後のネアンデルタール人には相互関係が存在しません)は、これらネアンデルタール人集団を支配下社会構造に関する問題を提起します。したがって、本論文の結果から、限定的な集団間交換を伴う、および伴わないもしれない小さな孤立した人口集団は、ネアンデルタール人の社会構造の驚くべきより一般的な特徴をよく表しているかもしれない、と示唆されます。
文化的に言えば、ローヌ渓谷の後期ムステリアンインダストリーを区別する深い技術的特異性が長い間提案されてきており、MIS5~3のこれらフランス地中海地域のネアンデルタール人社会が独特な文化的背景を有していた、と強調されます。隣接地域からネアンデルタール人社会を区別するこれらの文化的特徴は、これらの社会間の長期の遺伝的孤立と並行していたかもしれません。これらの遺伝的差異は、ヨーロッパ全域の解剖学的現代人(現生人類)の拡大に続くか、それと関連している、人口置換の主要な過程を意味しているかもしれません。興味深いことに、トランはヨーロッパ大陸における最古級の現生人類の侵入後の、マンドリン洞窟のネアンデルタール人の再居住段階に相当します[1、2]。この遺伝的のみならず文化的な証拠は、何千年にもわたる複数の遺伝的に孤立したネアンデルタール人系統の存在の可能性を示唆します。
トラン人口集団のPNII文化伝統は、ローヌ渓谷には存在しないものの、ブルゴーニュ地方から地中海および大西洋のスペインでは認識されおり、これまで後期ネアンデルタール人伝統に帰属させられていた、45000~40000年前頃となるシャテルペロニアンの年代と重複しています[1、4、5]。2023年に、シャテルペロニアンはネアンデルタール人起源ではなく、現生人類と密接に関連した地中海東部の伝統である、レバノンの北方前期アハマリアン(Early Ahmarian、前期アハマル文化)インダストリーと密接に関連していた、と提案されました[5]。ならば、シャテルペロニアンはヨーロッパ大陸における現生人類の移動の第二波を示しており、ネアンデルタール人集団とは関連していないはずです。この3波モデルはマンドリン洞窟の北方のブルゴーニュ地方のシャテルペロニアン層における現生人類の腸骨の発見によって裏づけられました。これらのデータは、後期ネアンデルタール人集団とその同時代の現生人類集団の印象的な状況を示しており、ネアンデルタール人の小さな集団は文化的にも遺伝的にも数万年孤立していたようで、その同型接合性水準の増加につながります。
これらの後期ネアンデルタール人の集団間交流網は、現生人類集団で見られる大きな社会的相互接続よりもずっと制約されていたようで、現生人類集団では、地中海を越えた文化的一致が55000~40000年前頃のヨーロッパへの定着の最初の3段階において描けます[5]。これらの人口集団におけるこうした遺伝的・社会的・文化的相違は、大きく複雑な社会的交流網で構造的に組織化された現生人類集団に直面した、長く孤立していたネアンデルタール人集団間の脆弱性を増加させたかもしれません[1]。ならば、ネアンデルタール人の衰退は単なる出来事以上に複雑な過程を表しており、その過程でネアンデルタール人集団の歴史と行動がネアンデルタール人の驚くべき消滅の構造において重要な役割を果たしたかもしれません。以下は本論文の要約図です。
●この研究の限界
この研究は、フランス地中海地域のマンドリン洞窟で発見された後期ネアンデルタール人1個体の低網羅率のゲノムを提示し、その核ゲノムによってヨーロッパ西部における長期の孤立した遺伝的系統の特定が可能となりました。本論文は、トラン遺骸が発見された層序学的状況について、いくつかの年代測定手法とベイズモデルを組み合わせることによって、トランの年代を推定しました。しかし、これらの年代測定手法にはいくつかの大きな標準偏差があのます。さらに、トラン遺骸はまだ発掘中で、その遺骸は小さな自然の窪みで見られ、そこではトランは意図的に、あるいはそうではなくとも堆積したかもしれず、遺骸の層序学的年代評価に影響を及ぼします。
現時点での節約的手法は、その正確な年代を52000~42000年前頃のどこかに統計的に制約されるものとみなすことです。トランの年代は、B層もしくはC層への最終的な帰属に従って、将来改良されるべきです。B層に帰属されるならば、トラン遺骸は小さな自然の窪みに堆積したことになるでしょう。C層に帰属されるならば、この自然の窪みはトランの死後に起きた層序のひじょうに局所的な自然変形を表しているでしょう。B層とC層は両方とも、PNII文化に属します。ならば、B層もしくはC層へのトランの帰属は、PNIIへの文化的帰属およびその地域のムステリアンの終末段階への帰属に影響を及ぼさないでしょう。最新の野外調査(2023年夏)は、B層の最上部(B2層)に層序学的によく制約される、いくつかの追加のトラン遺骸の回収を可能としました。これら細菌の調査結果から、トランは5万年前頃ではなく42000年前頃である可能性がより高いので、この地域における終末ネアンデルタール人の1個体を表しているだろう、と強く示唆されます。
本論文では、後期ネアンデルタール人における人口構造は以前に考えられていたよりも複雑だった、との結論が導かれます。単一個体のゲノムは、後期ネアンデルタール人個体群における新しい独特な遺伝的系統の存在の確証には充分ですが、その個体が属したより大きな人口集団の単一の観察を提供するだけで、その完全な遺伝的多様性を充分には代表出来ていないかもしれません。これは、DNA回収に成功した遺骸が依然として少ないので、古代型人類に関する研究ではより一般的な懸念です。それにも関わらず、本論文は、低網羅率のミトコンドリアゲノムが同様にヨーロッパ西部における独特な系統の存在を示唆する、FQネアンデルタール人の調査結果を示します。ゲノム全体での同型接合性の増加に基づいて、トランの系統は遺伝的に孤立してきた、と本論文はさらに主張します。本論文が用いた手法は、模擬実験された低網羅率のゲノムを用いて、良好な成果を残しましたが、同型接合断片長の推測された分布は依然として低網羅率に影響を受けるかもしれないことに要注意です。将来、ネアンデルタール人のより密な標本抽出とより深い配列決定が、ネアンデルタール人の遺伝的歴史のより深い理解を得るのに必要でしょう。
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関連記事1および関連記事2
本論文は、フランス地中海地域のマンドリン洞窟(Grotte Mandrin)で発見されたトラン(Thorin)と呼ばれるネアンデルタール人遺骸が、ヨーロッパの他の後期ネアンデルタール人とは遺伝的に異なる系統であることを明らかにしています。ヨーロッパの後期ネアンデルタール人系統においても、アフリカから世界中に拡散した現生人類(Homo sapiens)と同様に遺伝的分化が進んでおり、遺伝的に異なる系統が複数存在した、というわけです。マンドリン洞窟には、このネアンデルタール人の前に現生人類が一時的に居住してネロニアン(Neronian、ネロン文化)インダストリーを残した、と考えられています[1、2]。ヨーロッパの同一の遺跡で、その居住者もしくは使用者がネアンデルタール人から現生人類へと替わった後に、再度ネアンデルタール人が居住もしくは使用する事例の確認はまだ少ないものの、5万年前頃よりもむしろ42000年前頃に近そうなトラン個体はその代表例で、現在は海面下の一部の遺跡には、そうした痕跡が残っている可能性も考えられます。ネロニアンでは現生人類と関連する弓矢技術の存在も推定されているので[2]、ネアンデルタール人と現生人類との関係、さらにはネアンデルタール人の絶滅の観点からもたいへん注目されます。
●要約
ネアンデルタール人のゲノムはユーラシアの遺跡から回収されてきており、その人口構造のますます複雑な状況を描いており、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人は人口構造の顕著な証拠がない単一のメタ個体群【アレル(対立遺伝子)の交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団】に属している、とたいていは示唆されています。本論文は、フランス地中海地域のマンドリン洞窟で回収されたトランという愛称の後期ネアンデルタール人男性1個体の発見と、そのゲノムを報告します。臼後歯の稀な事例を含むこれらの歯顎化石は、50000~42000年前頃のこの地域におけるネアンデルタール人の末期技術伝統の豊富な考古学的記録と関連しています。トランのゲノムは、他の後期ネアンデルタール人との105000年前頃となる比較的早い分岐を明らかにします。トランは他の既知のヨーロッパの後期ネアンデルタール人との遺伝的な浸透性交雑を示さない小さな集団規模の個体群に属しており、近隣地域に居住しているにも関わらず、トランの系統の遺伝的孤立が明らかになります。これらの結果は、ネアンデルタール人の消滅原因についての競合仮説の解決に重要な意味を有しています。
●研究史
4万年前頃となるネアンデルタール人の絶滅に取り組むため、長年にわたって複数の仮説が提示されてきました。これらの手法は一般的に、気候変化から火山の噴火もしくは磁場逆転まで、さまざまな出来事の特定に基づいています。したがって、それらは生態学的要因に帰属しており、ネアンデルタール人の消滅はネアンデルタール人集団自体の生物学的および文化的特徴と関連する過程というよりも、むしろ外部起源の自然事象の結果だった、と示唆されています。ネアンデルタール人集団の社会的もしくは歴史的もしくは動物行動学的構造に基づく内部要因は、ほとんど調べられていないままです[1、2、4、5、7]。注意すべきは、古ゲノムおよび骨学的研究が小さな有効人口規模およびシベリアと後期ヨーロッパのネアンデルタール人における近親交配の痕跡を昭にしてきたことで[7~9]、小さな集団規模と低い集団間の移動によって特徴づけられる社会構造が示唆されています。これはユーラシアの初期現生人類から得られた最近の結果とは対照的で、そうした研究は、現生人類の小さな集団規模にも関わらず、低水準の近親交配とより高い集団間移動性を示しました[9、10]。これらの結果がより広いネアンデルタール人と現生人類の社会組織を表しているのかどうか、まだ決定的ではありません。
2010年におけるネアンデルタール人のゲノムの最初の概要の刊行[10]以来、ネアンデルタール人のゲノムはユーラシアの遺跡から回収されてきており、ネアンデルタール人の遺伝的構造のますます複雑な状況を描きつつあります。これまでに配列決定されたネアンデルタール人のゲノム間で最も深い分岐はユーラシア東西のネアンデルタール人集団間で見られ、東方集団はシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された12万年前頃の女性1個体(デニソワ5号)により表され[8]、西方集団はクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)で発見された44000年以上前となるネアンデルタール人女性1個体(ヴィンディヤ33.19)により表されます[12]。全ての他の利用可能なネアンデルタール人遺骸のゲノムデータは、ヨーロッパ西部において最古は、12万年前頃となるベルギーのスクラディナ洞窟(Scladina Cave)とドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel、略してHST)洞窟で発見された遺骸からのもので、一方最新のデータは4万年前頃となりますが、ユーラシア西部における約8万年間の遺伝的連続性が示唆されます[13]。
堆積物のDNAから得られた最近の結果では、この遺伝的景観はネアンデルタール人集団の105000年前頃の拡大によって顕著に変わった、と示唆されています[14]。これは、ヴィンディヤ洞窟個体(ヴィンディヤ33.19)などヨーロッパ中央部、ヨーロッパ・ロシアのメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟などコーカサス、アルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)個体(チャギルスカヤ8号)などシベリアから得られた標本によって表されるヨーロッパの系統を生み出し、後者がそれ以前のアルタイ的人口集団を置換した可能性が高そうです。コーカサスの1個体(メズマイスカヤ2号)を含むヨーロッパの後期(5万年前頃未満)ネアンデルタール人のゲノムは全て、他の既知の系統よりもヴィンディヤ個体的系統の方と類似しており、コーカサスもしくはヨーロッパ西部におけるネアンデルタール人の歴史の最終段階に向けての、さらなる人口置換が示唆されます。遺伝的類似性と地理的距離との間の密接な相関は、標本抽出された後期ネアンデルタール人集団における大きな人口構造の欠如を示唆します。これらのパターンが、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人集団の同じ場所での長期にわたる進化の結果なのか、ヨーロッパへのヴィンディヤ的系統の最近の拡大の結果なのか、不明なままです。
本論文は、2015年にフランス地中海地域のマンドリン洞窟で発見された、トランという愛称の後期ネアンデルタール人1個体を報告します。2015年以降、マンドリン洞窟では発掘が続き、初期現生人類が54000年前頃に一時的に居住していました[1]。トランは、1979年のサン・セザール(Saint-Césaire)遺跡における発見以来、フランスで見つかった最も代表的なネアンデルタール人個体のうちの一つです。本論文は考古学と年代層序学と同位体とゲノムの分析を組み合わせて、トランは5万年前頃に遺伝的に孤立したままだった後期ネアンデルタール人集団に属していた、と示します。トラン系統とは別に、フランスのレス・コテス(Les Cottés)遺跡[16]のネアンデルタール人1個体(コテスZ4-1514)のゲノムで、ヨーロッパのネアンデルタール人の祖先の系統から8万年以上前に分岐した別の系統からの遺伝子流動の証拠が見つかりました。本論文の結果は、絶滅時期に近いヨーロッパにおける複数の孤立した後期ネアンデルタール人共同体の存在を示唆し、これらの人口集団が相互に地理的にひじょうに近くても、過去数千年間のさまざまなネアンデルタール人集団間の、たとえあるとしても限定的な水準の相互作用を伴う、社会組織に光を当てます。
●ヨーロッパの後期ネアンデルタール人であるトラン
マンドリン洞窟はローヌ川渓谷に直接的に張り出している、フランス地中海地域に位置する岩陰です。マンドリン洞窟遺跡には12の主要な堆積物層があり、その年代は海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~3です。地質学的および微細形態学的分析から、マンドリン洞窟の考古学的層位はすべて、砂と沈泥の急速な風による堆積によってよく保存されている、と示されます[1]。上部の層序は年代的に65600年前頃(F層底部)~41500年前頃(B1層)の間に位置づけられる8考古学的層位へと区分され、最後のネアンデルタール人共同体と最初の現生人類集団の到来を含んでいます。これら各層では豊富な考古学的記録が得られ、合計で6万点以上の石器と7万点以上の動物遺骸となります。マンドリン洞窟のほとんどの層では、暖炉と人類遺骸も発見されました[1]。これら8考古学的層位は5通りの文化段階に区分され、F層はローヌ・キーナ(Rhodanian Quina)、E層はネロニアン、D層はネロニアン後1期(Post-Neronian I、略してPNI)、C2層からB2層はネロニアン後2期(Post-Neronian II、略してPNII)、B1層はプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian、先オーリニャック文化)です。マンドリン洞窟におけるネロニアンとPNIとPNII段階の文化的確定[1]は、フランス南西部とブルゴーニュの近隣地域で見られる同年代のムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)およびシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)社会[4]との大きな技術および文化の相違を示しています[5]。
トランは2015年に岩陰の入口で、上層とB2層の岩盤との間の横方向の接触面にて発見されました(図1)。B2層は、マンドリン洞窟の最終ムステリアン段階となるPNII期の豊富な動物相および人工遺物と関連しています。トランは依然として発掘中ですが、数点の断片により表され、大臼歯層の左口蓋突起の一部、断片的な下顎、31点の永久歯の上顎および下顎の歯が含まれます(図2)。上顎右側小臼歯および上顎左側犬歯は死後に失われましたが、2個の下顎過剰大臼歯(4個の大臼歯)が存在することは注目に値します。以下は本論文の図1です。
これらの歯は異形で、歯頚から根尖にかけての単一ではあるものの大きな歯根のある、縮小して単純化した(非円錐形の)歯冠を示します。その2歯の咬合近心歯冠に影響を及ぼした著しく傾斜している摩耗面は、下顎第三大臼歯の遠位歯冠面と一致し、臼後歯が萌出中に第三大臼歯の歯冠に衝突したことを示唆します。全体的に、この個体の歯の形態はネアンデルタール人に典型的で、シャベル型の上顎中切歯、歯冠の下側側面で巨大な結核結節歯骨も示す上顎側切歯の顕著な唇側凸状、上顎大臼歯の下側に突き出たよく発達した下錐、高い根茎/枝比(つまり長髄歯)があります。以下は本論文の図2です。
歯列のほとんどは、とくに前歯で歯根尖においてセメント質増殖症と関連した歯根発達した咬合摩耗を示し、完全に発達した第三および第四大臼歯は、トランが成人個体であることを示唆します。発達した咬合摩耗もセメント質増殖症と関連しており、歯と顎がこの個体の障害において重度の(異常な)咀嚼圧力下にあったことを示唆します。これらの遺骸は典型的なネアンデルタール人の特徴を示し、それは親指遠位骨の尺骨側偏位と、遠位指骨結節の拡大です。これまでに回収されたヒト遺骸のすべては成人期のもので、さまざまな要素の解剖学的表示は単一の個体の存在と一致します。歯は典型的なネアンデルタール人の特徴を示しますが、2個の過剰な第四大臼歯は注目に値します。下顎臼後歯は現代人ではひじょうに稀で(約0.02%)、本論文が把握している限りでは、これまで更新世のホモ属では報告されていませんが、他の種類の過剰歯がネアンデルタール人と旧石器時代の現生人類についていくつかの事例で記載されてきました[27]。臼後歯の存在の原因は、依然として議論されています。現生霊長類の初期世代の交雑個体で見られる歯骨異常の研究は、臼後歯の比較的高い発生率を示します。
ヨーロッパ制西部の旧石器時代遺跡群の最近の分析から、伝統的にネアンデルタール人のみの所産とされてきたムステリアン石器インダストリーは、較正年代で41000~39000年前頃に終焉した、と示唆されています[4]。ユーラシア全体では、10ヶ所の遺跡で5万~4万年前頃と直接的に年代測定されたネアンデルタール人遺骸が得られていますが[16、32~36、38、39]、フランスではわずか4ヶ所の遺跡、つまりアルシ・スュル・キュール(Arcy-sur-Cure)遺跡とレス・コテスとラ・フェラシー(La Ferrassie)遺跡とサン・セザール遺跡でのみ、限外濾過法を経て45000~40000年前頃の年代が得られました[16、36、38、39]。したがって、長い存在の最終段階に間違いなく分類されるネアンデルタール人遺骸はとくに珍しく、ネアンデルタール人遺骸は基本的に、層序学的および考古学的文脈がほとんどないか、議論の余地のある、数十年前に発掘された遺跡に由来します[16、32~36、38、39]。
放射性炭素年代測定の破壊的過程についてより広範囲のさほど貴重ではない標本を提供するため、ZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)のコラーゲンペプチド質量フィンガープリント法により先行研究で概略された手法に従って、トランに由来すると推測される80点の断片的な骨遺骸が検査されました。ヒト科と一致する範囲を産出した標本[43]は、オックスフォード放射性炭素加速器単位で年代測定されました。ヒドロキシプロリンが加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)年代測定のため抽出され、その信頼性と汚染除去が保証されました。人類遺骸の選択も、古プロテオーム(タンパク質の総体)解析配列決定と、現生人類分類群を古代型ホモ属【非現生人類ホモ属】から区別するその能力によってもさらに調べられました。しかし、完新世の堆積物から得られた既知の現生人類遺骸との比較は、この手法に問題があると証明し、マンドリン洞窟のPNII期と同年代の技術的伝統であるシャテルペロン文化(Châtelperronian culture、シャテルペロニアン)の製作者に関する現生人類(Homo sapiens)なのかネアンデルタール人なのかの議論に関しては、いくらかの直接的意味があります。
トランの、直接的なウラン系列(U-series、略してUS)年代測定と、組み合わされたウラン系列および電子スピン共鳴法(electron spin resonance、略してESR)年代測定(US-ESR)も、トランの下顎左側第三小臼歯の歯冠の断片で行なわれました。B2層からの追加の動物相遺骸は、同じ手法を用いて直接的に年代測定されました。象牙質とエナメル質におけるウランの拡散および蓄積パターンが、同位体分析の前に得られました。化石における拡散モデルとウラン系列年代の分布によると、B2層のネアンデルタール人遺骸の下限年代は43500±4100年前と割り当てることができます。US-ESRモデル化は統計的に区別できない有限年代を示し、トランについては48000+5000/-13000年前、B2層の動物相については49000+5000/-10000年前です。
PNII層内(C2~B2層)のトランについて堅牢な年代推定値を決定するため、マンドリン洞窟におけるより広範な層序系列のモデル化が行なわれました。そのモデルはトランについて較正年代で、51300~48900年前頃(68.2%の確率)と52900~48050年前頃(95.4%)を示しました(図3)。この遺骸が依然として発掘中であることに注意すべきです。PNII層序系列(異なるC層とBそうの間)における正確な下位段階の最終的な帰属は、完全な発掘後に改良されるはずです。以下は本論文の図3です。
モデルが統計的にトランを52000~48000年前頃に、したがってPNIIの開始に位置づけるならば、PNIIにおけるトランの正確な位置は、その遺骸が小さな自然の窪みでさらに現れ、意図的にあるいはそうではなくとも堆積した可能性があるので、さらに変わるかもしれません。現時点で最も節約的で堅牢な解釈では、トランがPNIIに属し、故に最大幅では52000~42000年前頃の年代に位置づけられる、と確実に考えられます。トランの歯の1個で測定された炭素と窒素と酸素とストロンチウムの同位体比は、MIS5の場合のような森林のある温暖な気候条件ではなく、開けた景観と寒冷な気候条件で暮らしていた1個体と完全に合致し、C2~B2層の堆積物の特徴、直接的な年代測定結果と一致します。
●トランは独特なネアンデルタール人系統を表しています
第一大臼歯の歯根断片が、トランの全ゲノム配列の生成に用いられました。これは、現代人の汚染を劇的に減らす3点の異なるDNA抽出(E1とE2とE3)と、内在性ヒトDNAの断片を増加させる全ゲノム溶液内捕獲により行なわれました。生の(非ウラシル特異的切除試薬使用者処理済)DNA抽出で構築されたライブラリは、末端のシトシンからチミン(C>T)およびグアニンからアデニン(G>A)の置換率上昇を示し、これは確実な古代DNAデータと一致します。しかし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とX染色体を用いての汚染率の分析、および核DNAでの構成員等級モデル(grade-of-membership model、略してGoMモデル、個体が1人口集団を特徴づける1群の部分的な構成員であることを許容する、個体水準のモデル)は、最初の抽出E1で生成されたデータにおける、かなり高水準の現代人のDNAによる汚染を明らかにしました(mtDNAに基づく推定は13~60%、X染色体に基づく推定は13~29%)。したがって、その後の分析は抽出E2とE3から得たデータに限定され、再推定されたmtDNAと核DNAの汚染率はそれぞれ1%未満と0.01%と示され、網羅率の最終的な平均深度が核ゲノムでは1.3倍、mtDNAでは561倍となりました。本論文のデータにおける参照と捕獲の偏りの可能性は、両方の事例で有意ではないD値が得られるD統計で除外されます。
X染色体とY染色体へのマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)読み取りを用いての分子的性別決定は、トラン個体が男性と示しました。ミトコンドリアゲノムの系統発生分析は、トランのミトコンドリアゲノムがポーランドのスタイニヤ洞窟(Stajnia Cave)の最近記載された[45]個体(スタイニヤS5000)およびコーカサスの65000年前頃となるメズマイスカヤ1号[8]と最も密接に関連しており、これまでに配列決定された他の後期ユーラシア西部ネアンデルタール人とは異なることを明らかにしました。(図4A)。以下は本論文の図4です。
系統発生最尤法を用いて、低網羅率のミトコンドリアゲノムを含めると、低いブートストラップの裏づけですが、トランは、スペイン北部のアタプエルカ考古学・古生物学複合の一部である彫像坑道(Galería de las Estatuas、略してGE)で発見されたネアンデルタール人個体(ピット1第3層とピット2第2層)[14]や上述のスタイニヤS5000およびメズマイスカヤ1号とのクレード(単系統群)において、ジブラルタルのフォーブス採石場(Forbes’ Quarry、略してFQ)の1個体[47]と最も密接に関連しています。Y染色体の分析は類似の結果を示し、ブートストラップの裏づけは限定的ですが、トランの配列は他の後期ネアンデルタール人男性2個体、つまりベルギーのスピ(Spy)洞窟個体(スピ94a)およびメズマイスカヤ2号[16]の前に分岐し、わずかに古いアルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)のネアンデルタール人男性個体[48]とクレードを形成します(図4B)。トランのY染色体配列は、スペイン北部のエル・シドロン(El Sidrón)洞窟の個体(エル・シドロン1253号)と最も密接に関連しており、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人におけるトランのミトコンドリア系統の位置づけとは対照的です(図4A・B)。しかし、おそらくは両標本の低網羅率のため、このクレードの裏づけが弱いこと(89%のブートストラップの裏づけ)に要注意です。
BEAST2を用いて、トランについて10万年前頃の分子年代推定値が得られましたが、これは、トランが発掘された堆積物層で得られた、放射性炭素(¹⁴C)年代測定やウラン系列法や光刺激ルミネッセンス(Optically Stimulated Luminescence、略してOSL)法の考古層序学的状況より5万年ほど古くなります。年代の同様の不一致は、以前にチャギルスカヤ8号[8]とスタイニヤS5000[45]で観察されました。とくに、先端較正で用いられた直接的に年代測定された標本は、後期ネアンデルタール人のクレードに限定されおり(図4A)、全体の系統樹の浅い部分のみを網羅しており、置換率が系統発生全体で異なる場合、不正確な推定につながるかもしれません。
これを検証するため、系統樹での置換率の差異を考慮して、95%信頼区間(Confidence interval、略してCI)では55000~45000年前となる5万年前頃の年代を用いて、追加の較正点としてトランを含む追加のBEAST2分析が実行されました。得られたチャギルスカヤ8号(7万年前頃、95% CIで94000~48000年前)とスタイニヤS5000(77000年前頃、95% CIで103000~53000年前)の先端年代は、それぞれの考古学的状況(6万年前頃と5万年前頃)で得られた年代にかなり近づく、と分かりました。同様に、74000年前頃とされるメズマイスカヤ1号の分枝年代推定値も、7万~6万年前頃の推定値と一致しました。推定置換率は比較的狭い範囲内に留まり、トランのミトコンドリアクレードにおける標本の最初の分枝年代は過大評価された可能性が高い、と示唆されます。このモデルでは、トランクレードの分岐年代は95%最高確率密度(highest probability density、略してHPD)で152000~97000年前頃となる123000年前頃と推定されますが、HSTと他のネアンデルタール人との間の分岐年代は215000年前頃(95% HPDで274000~163000年前)、現生人類と全てのネアンデルタール人との間の分岐年代は331000年前頃(95% HPDで417000~253000年前)と推定されます。
各個体がヴィンディヤ33.19とアルタイ山脈ネアンデルタール人(デニソワ5号)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)個体(デニソワ3号)[53]へと投影された、主成分分析(principal component analysi、略してPCA)から得られた固有ベクトルへのプロクラステス分析の実行によって、低網羅率のネアンデルタール人とチャギルスカヤ8号とにおける広範な人口構造が調べられました。投影された個体群はヴィンディヤ33.19に向かう勾配を形成し、アルタイ山脈ネアンデルタール人とよりも新しい共通祖先を有している、との以前の報告と一致します。興味深いことに、トランの位置はこの勾配内に収まるものの、他のどの後期ネアンデルタール人個体よりもヴィンディヤ33.19から離れており、ヴィンディヤ33.19とのより遠い関係が示唆されます。
全読み取りを用いたD統計では、8万年前頃より新しいヨーロッパとコーカサスとシベリアのネアンデルタール人はトランとよりもヴィンディヤ33.19の方と多くの遺伝的浮動を共有しており、トランはヴィンディヤ系統の残りの後期ネアンデルタール人より早くに分岐した系統に属する、と確証されました。この調査結果は、脱アミノ化した読み取りのみに限定しても、裏づけられました(図5)。例外はジブラルタルのFQの低網羅率のネアンデルタール人のゲノム[47]で、この個体はトランと共有される弱いものの有意な過剰アレル(対立遺伝子)の兆候を示し、その密接に関連するミトコンドリア配列と一致します(FQのミトコンドリアゲノムが低網羅率であることに要注意です)。さらに、トランは他のすべてのユーラシア西部ネアンデルタール人との比較において、現生人類と共有される過剰なアレルを示さず、現生人類と交雑したネアンデルタール人系統はトラン系統の前に分岐した、と示唆され、マンドリン洞窟における初期現生人類との近い過去での交雑の可能性は除外されます。以下は本論文の図5です。
momi2に実装されている部位頻度範囲に基づく手法を用いて、人口統計学的モデル化が実行されました。momi2は、高品質のゲノムから推測された「足場(scaffold)」へと低網羅率の個体群の配置を可能とします。まず、高網羅率のネアンデルタール人3個体(デニソワ5号とチャギルスカヤ8号とヴィンディヤ33.19)とデニソワ人1個体(デニソワ3号)を含む「足場」人口統計が当てはめられ、以前に推測された人口統計学的事象[8]へと組み込まれました。次に、低網羅率標本であるトランとメズマイスカヤ1号がこの「足場」に追加され、デニソワ5号(アルタイ山脈ネアンデルタール人)からの分岐後のあらゆる時点におけるヴィンディヤ33.19からの分岐が可能となります。最適モデルはヴィンディヤ33.19からのトラン系統の分岐を102861年前頃(95% CIで105169~100267年前)と推定し、これはメズマイスカヤ1号(82617年前頃、95% CIで85606~79313年前)もしくはチャギルスカヤ8号(79458年前頃、95% CIで80892~77600年前)の推定分岐年代よりかなり早く、D統計およびmtDNAの結果と一致します(図6)。FQネアンデルタール人個体を人口統計学に追加すると、FQがトラン系統から分岐するモデルは、FQが同じ祖先の系統から独立して分岐するモデル(106000年前頃)より適切に裏づけられ、D統計の結果と一致する、と分かりました。以下は本論文の図6です。
低網羅率のネアンデルタール人のゲノムにおける同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)を検出する新たな手法を用いて、他のヨーロッパの後期ネアンデルタール人と比較して、トラン系統のゲノムにおける同型接合性増加の証拠が見つかりました。トランはそのゲノムの7%ほどが500万塩基対もしくはそれ以上の同型接合断片で、近い過去の近親交配を示唆する合計2000万塩基対以上の断片では、4500万塩基対(1.5%)が含まれます(図7)。まとめると、本論文の結果は、利用可能なゲノムデータのある他の後期ネアンデルタール人集団から、トラン集団は規模が小さく長期間遺伝的に孤立していた、と示唆されます。以下は本論文の図7です。
●5万年前頃に存在した他の孤立系統?
後期ネアンデルタール人の時代のヨーロッパにおける人口置換の可能性が、さらに調べられました。メズマイスカヤ2号のコーカサス系統が他のヨーロッパ後期ネアンデルタール人に対して外群を形成するのかどうか、検証するD統計を用いて、43000年前頃となるフランスのレス・コテスZ4-1514標本において、後期ネアンデルタール人の最新共通祖先に先行して分岐したネアンデルタール人系統からの遺伝子流動の証拠が見つかりました。興味深いことに、レス・コテスZ4-1514個体は、これまでに標本抽出されたヴィンディヤ的な後期ネアンデルタール人のクレードより早くに分岐した、アルタイ山脈のオクラドニコフ洞窟(Okladnikov Cave)とチャギルスカヤ洞窟で発見されたシベリアのネアンデルタール人と最も密接に関連するmtDNA系統を有しています(図4A)。以前の最適モデルへのレス・コテスZ4-1514個体とメズマイスカヤ2号の人口統計学的モデル化から、89000年前頃に分岐した以前には標本抽出されていなかった系統からレス・コテスZ4-1514個体への遺伝子流動のあるモデルが、遺伝子流動なしのモデルよりも有意に適切に一致する、と明らかになりました。トラン系統から分岐したと制約された以前には標本抽出されていなかった系統を含む代替的なモデルでも、トラン系統の分岐に近い標本抽出されていないかった系統の分岐年代となり、より適していない合致が得られました。
したがって、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人の時代の地理的に近い場所において遺伝的に孤立したままで、その後は部分的にヨーロッパ西部へのヴィンディヤ的系統の拡大によってその存在の直近1万年間以内に置換された、遅くとも89000年前頃の分岐年代となる少なくとも2系統の存在を示唆します。これらの系統はその後、存在していた最後の1万年間にヨーロッパ西部へのヴィンディヤ的系統の拡大により部分的に置換されました。興味深いことに、メズマイスカヤ洞窟のヨーロッパ東部の後期ネアンデルタール人(メズマイスカヤ2号)も高水準の同型接合性を示しており(図7)、拡大するヴィンディヤ的人口集団以外の後期ネアンデルタール人において、小さな集団規模も一般的だった可能性が高そうです。
●考察
トランは1979年以降にフランスで発見された最も完全なネアンデルタール人個体で、ヨーロッパ西部におけるネアンデルタール人の存在の最後の数千年にさかのぼる他のネアンデルタール人集団に収まります。これまで、他の後期ネアンデルタール人の集団遺伝学的分析では、後期ネアンデルタール人はその中に人口構造の有意な証拠がない単一のメタ個体群に属する、と示唆されてきました[16]。本論文のゲノム分析では、トランは祖先的なヨーロッパのネアンデルタール人系統から105000~100000万年前頃に分岐した系統に属し、故にそれ以前のヨーロッパのネアンデルタール人の残りを表す、と論証されたので、トランのゲノムは後期ネアンデルタール人の人口構造に新たな光を当てます。興味深いことに、この系統の分岐年代はMIS5と一致し、これは、ユーラシア全域における急速な気候および環境変化と、ユーラシア大陸全体で温暖な環境に適応した動物相の再増殖が見られた期間です。この分岐の時期は、ネアンデルタール人集団においてスペイン北部で検出された人口置換の期間とも一致します[14]。
トランの系統および他の既知のネアンデルタール人と現生人類系統との間の遺伝子流動について検証した本論文の分析は、ヨーロッパ西部における5万年前頃の後期ネアンデルタール人の孤立した集団の存在を示唆します。この人口集団は特徴的なPNII石器伝統と関連しており、この石器伝統はマンドリン洞窟の最後の4ムステリアン層(C2層~B2層)で証明されており、年代は95%CIで52900~43000年前で、ユーラシアにおけるネアンデルタール人集団の最終的な消滅と重なっています[1、4]。したがって、トロンは地中海フランスのこの地域における最後の代表的なネアンデルタール人集団の一つに属していた可能性が高く、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人における人口構造の最初の直接的なゲノム証拠です。トランのゲノムとFQの低網羅率のゲノムとの間で観察された遺伝的関係(人口統計学的モデル化でも示唆されました)から、ジブラルタルのネアンデルタール人は広がったヨーロッパ南西部メタ個体群の構成員だったかもしれない、と示唆され、そうした個体について以前に予測されていた[47]よりもずっと後の年代の可能性が高くなります。
トラン系統の5万年間にわたる長い遺伝的孤立は、ネアンデルタール人の消滅に関する議論と、ネアンデルタール人集団間およびヨーロッパに到来した最古級の現生人類との相互作用の種類に関する、新たな問題を提起します。この人口集団がローヌ川中流域に局所的にのみ拡大したのかどうか、あるいは、ジブラルタルとのつながりによって示唆されるように、トラン系統がヨーロッパ全域により広く分布していたのかどうか、不明なままです。注目すべきは、PNIIにはローヌ渓谷のより古い伝統であるPNI(D層)やネロニアン(E層)やローヌ・キーナ(F層)ら名窯に技術的在来起源がなく、それらより古い伝統はPNII強い技術的および文化的相違を示すことです。これは、こうしたPNII伝統の外来起源を示唆しているかもしれません。PNIIとジブラルタルの石器データとの間の直接的比較は、これらの遺伝的つながりがこうした地中海西部地域の後期ネアンデルタール人集団間の文化的つながりとも関連しているのかどうか、浮き彫りにします。
スペイン北部の彫像坑道(GE)人口集団の堆積物の常染色体DNAデータは残念ながら、トランとのより密接な類似性を確証するのに充分な網羅率ではありません。しかし、イベリア半島(ジブラルタルとGE)とフランス南西部からポーランド(スタイニヤ洞窟)までとなるトランのmtDNAクレード内でのヨーロッパのネアンデルタール人の標本抽出位置は、より広範な分布を裏づけており、ネアンデルタール人集団の105000年前頃の提案された放散と一致するでしょう。しかし要注意なのは、FQとGEのミトコンドリアゲノムが低網羅なので、慎重に扱わねばならいないことです。最初の現生人類と最後のネアンデルタール人との間の相互作用が、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たしたかもしれない、と一般的に推測されていますが、これまで認識されていなかった後期ネアンデルタール人集団の特定と、これらネアンデルタール人集団の遺伝的および文化的孤立の論証は、後期ネアンデルタール人における予期せぬ人口構造を明らかにし、ネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たしたかもしれない、その社会的および行動的組織をさらに調査すべき、新たな一連の問題を提起します。
トランに代表される系統に加えて、本論文の人口統計学的モデル化は、フランスのネアンデルタール人個体レス・コテスZ4-1514における遺伝子移入を通じて、別の以前には標本抽出されていなかった分岐したヨーロッパ系統の存在に関する直接的証拠を提起します。本論文の人口統計学的モデル化から、この遺伝子移入系統は、レス・コテスZ4-1514が密接に関連するミトコンドリア系統も共有している、メズマイスカヤ1号とアルタイ地域のシベリア個体チャギルスカヤ8号の分岐とより近いトランの系統の後しばらくして分岐した、と示唆されます。この以前には標本抽出されていなかった系統が、10万年前頃以後ではあるものの、古典的な後期ネアンデルタール人の前となる系統のまだ知られていないさらなる放散の一部を形成するのかどうか、その期間の頃のゲノムデータのより高密度の標本抽出なしには分からないままです。それにも関わらず、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人の時代にヨーロッパに存在した、少なくとも2系統、おそらくは3系統の異なるネアンデルタール人系統を示唆します。トラン系統と他のネアンデルタール人系統との間の検出可能な遺伝子流動の欠如から、トランは5万年間孤立したままだった系統を表している、と結論づけられます。
社会的に言えば、後期ネアンデルタール人集団内における近い過去の現生人類からの遺伝子移入の欠如は、後期ネアンデルタール人集団に影響を及ぼしたより大きなパターンの一部だったかもしれず、それは、初期現生人類とのみならず、より一般的にネアンデルタール人集団自身の内部内でも、遺伝子交換を制約もしくは避けたようです。人類学的には、これらの遺伝子交換過程は決して2個体間の恋愛に限定されず、ヒト集団が意識的に構築すると決めた同盟と体系的に対応しています。遺伝子交換の欠如もしくはその非相互関係(ヨーロッパの最初の現生人類にはネアンデルタール人の遺伝子が存在するのに対して、最後のネアンデルタール人には相互関係が存在しません)は、これらネアンデルタール人集団を支配下社会構造に関する問題を提起します。したがって、本論文の結果から、限定的な集団間交換を伴う、および伴わないもしれない小さな孤立した人口集団は、ネアンデルタール人の社会構造の驚くべきより一般的な特徴をよく表しているかもしれない、と示唆されます。
文化的に言えば、ローヌ渓谷の後期ムステリアンインダストリーを区別する深い技術的特異性が長い間提案されてきており、MIS5~3のこれらフランス地中海地域のネアンデルタール人社会が独特な文化的背景を有していた、と強調されます。隣接地域からネアンデルタール人社会を区別するこれらの文化的特徴は、これらの社会間の長期の遺伝的孤立と並行していたかもしれません。これらの遺伝的差異は、ヨーロッパ全域の解剖学的現代人(現生人類)の拡大に続くか、それと関連している、人口置換の主要な過程を意味しているかもしれません。興味深いことに、トランはヨーロッパ大陸における最古級の現生人類の侵入後の、マンドリン洞窟のネアンデルタール人の再居住段階に相当します[1、2]。この遺伝的のみならず文化的な証拠は、何千年にもわたる複数の遺伝的に孤立したネアンデルタール人系統の存在の可能性を示唆します。
トラン人口集団のPNII文化伝統は、ローヌ渓谷には存在しないものの、ブルゴーニュ地方から地中海および大西洋のスペインでは認識されおり、これまで後期ネアンデルタール人伝統に帰属させられていた、45000~40000年前頃となるシャテルペロニアンの年代と重複しています[1、4、5]。2023年に、シャテルペロニアンはネアンデルタール人起源ではなく、現生人類と密接に関連した地中海東部の伝統である、レバノンの北方前期アハマリアン(Early Ahmarian、前期アハマル文化)インダストリーと密接に関連していた、と提案されました[5]。ならば、シャテルペロニアンはヨーロッパ大陸における現生人類の移動の第二波を示しており、ネアンデルタール人集団とは関連していないはずです。この3波モデルはマンドリン洞窟の北方のブルゴーニュ地方のシャテルペロニアン層における現生人類の腸骨の発見によって裏づけられました。これらのデータは、後期ネアンデルタール人集団とその同時代の現生人類集団の印象的な状況を示しており、ネアンデルタール人の小さな集団は文化的にも遺伝的にも数万年孤立していたようで、その同型接合性水準の増加につながります。
これらの後期ネアンデルタール人の集団間交流網は、現生人類集団で見られる大きな社会的相互接続よりもずっと制約されていたようで、現生人類集団では、地中海を越えた文化的一致が55000~40000年前頃のヨーロッパへの定着の最初の3段階において描けます[5]。これらの人口集団におけるこうした遺伝的・社会的・文化的相違は、大きく複雑な社会的交流網で構造的に組織化された現生人類集団に直面した、長く孤立していたネアンデルタール人集団間の脆弱性を増加させたかもしれません[1]。ならば、ネアンデルタール人の衰退は単なる出来事以上に複雑な過程を表しており、その過程でネアンデルタール人集団の歴史と行動がネアンデルタール人の驚くべき消滅の構造において重要な役割を果たしたかもしれません。以下は本論文の要約図です。
●この研究の限界
この研究は、フランス地中海地域のマンドリン洞窟で発見された後期ネアンデルタール人1個体の低網羅率のゲノムを提示し、その核ゲノムによってヨーロッパ西部における長期の孤立した遺伝的系統の特定が可能となりました。本論文は、トラン遺骸が発見された層序学的状況について、いくつかの年代測定手法とベイズモデルを組み合わせることによって、トランの年代を推定しました。しかし、これらの年代測定手法にはいくつかの大きな標準偏差があのます。さらに、トラン遺骸はまだ発掘中で、その遺骸は小さな自然の窪みで見られ、そこではトランは意図的に、あるいはそうではなくとも堆積したかもしれず、遺骸の層序学的年代評価に影響を及ぼします。
現時点での節約的手法は、その正確な年代を52000~42000年前頃のどこかに統計的に制約されるものとみなすことです。トランの年代は、B層もしくはC層への最終的な帰属に従って、将来改良されるべきです。B層に帰属されるならば、トラン遺骸は小さな自然の窪みに堆積したことになるでしょう。C層に帰属されるならば、この自然の窪みはトランの死後に起きた層序のひじょうに局所的な自然変形を表しているでしょう。B層とC層は両方とも、PNII文化に属します。ならば、B層もしくはC層へのトランの帰属は、PNIIへの文化的帰属およびその地域のムステリアンの終末段階への帰属に影響を及ぼさないでしょう。最新の野外調査(2023年夏)は、B層の最上部(B2層)に層序学的によく制約される、いくつかの追加のトラン遺骸の回収を可能としました。これら細菌の調査結果から、トランは5万年前頃ではなく42000年前頃である可能性がより高いので、この地域における終末ネアンデルタール人の1個体を表しているだろう、と強く示唆されます。
本論文では、後期ネアンデルタール人における人口構造は以前に考えられていたよりも複雑だった、との結論が導かれます。単一個体のゲノムは、後期ネアンデルタール人個体群における新しい独特な遺伝的系統の存在の確証には充分ですが、その個体が属したより大きな人口集団の単一の観察を提供するだけで、その完全な遺伝的多様性を充分には代表出来ていないかもしれません。これは、DNA回収に成功した遺骸が依然として少ないので、古代型人類に関する研究ではより一般的な懸念です。それにも関わらず、本論文は、低網羅率のミトコンドリアゲノムが同様にヨーロッパ西部における独特な系統の存在を示唆する、FQネアンデルタール人の調査結果を示します。ゲノム全体での同型接合性の増加に基づいて、トランの系統は遺伝的に孤立してきた、と本論文はさらに主張します。本論文が用いた手法は、模擬実験された低網羅率のゲノムを用いて、良好な成果を残しましたが、同型接合断片長の推測された分布は依然として低網羅率に影響を受けるかもしれないことに要注意です。将来、ネアンデルタール人のより密な標本抽出とより深い配列決定が、ネアンデルタール人の遺伝的歴史のより深い理解を得るのに必要でしょう。
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