ネアンデルタール人と現生人類の交雑地域
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)の交雑地域を検証した研究(Guran et al., 2024)が公表されました。現在では、ネアンデルタール人[28]や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類との間の交雑が複数回あった(関連記事)、と推測されています。本論文はおもに海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5となる12万~8万年前頃を対象として、生態学的生態的地位モデル(Ecological niche model、略してENM)とGIS(Geographic Information System、地理情報体系)を活用し、当時の古環境からこの期間におけるネアンデルタール人と解剖学的現代人(Anatomically modern human、略してAMH、現生人類)の間で交雑が置きた地域を検証し、それがイラン高原(ペルシア高原)だった可能性を指摘しています。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。
●要約
ネアンデルタール人とAMHとの間の交雑は証明されてきましたが、化石の不足と適切なDNAの欠如のため、その交雑の時期と地理は明確には分かっていません。本論文はENM(最大エントロピー手法)とGISを用いて、アジア南西部およびヨーロッパ南東部におけるネアンデルタール人とAMHの古分布を再構築し、交雑の第二波が起きたMIS5における両者の接触および交雑の可能性のある地帯を特定します。各種【ネアンデルタール人とAMH】の古分布を特徴づけるため、ネアンデルタール人および現生人類の考古学的遺跡の地形と緯度および経度とともに、12万~8万年前頃となるMIS5の環境条件(平均値)を特徴づける気候変数が用いられました。重複するモデルから、ザグロス山脈がこのヒト2種【ネアンデルタール人とAMH】の接触および交雑の可能性のある地帯だった、と明らかになりました。ザグロス山脈は旧北区(Palearctic)とアフリカ熱帯区(Afrotropical)をつなぐ回廊として機能し、MIS5におけるAMHの北方への拡散とネアンデルタール人の南方への拡散を促進した、と本論文は考えています。本論文の分析は、最近数十年間で収集された考古学および遺伝学の証拠と比較できます。
●研究史
ネアンデルタール人や古代型/現代型のヒトやデニソワ人といったさまざまな初期ヒト集団の後期更新世における生物文化期混合の画期的発見に続いて、これらの事象の性質と進化史に関する研究が多数蓄積されつつあります。生物学的交換が種に及ぼした影響、たとえば2016年の研究[1]や関連する問題に加えて、接触と交雑の時期[2、3、4]と地理が激しい議論の対象となっています[5]。ネアンデルタール人40万年前頃に出現し、4万年前頃に消滅した[6]人類の絶滅系統です。ネアンデルタール人の化石の位置と形態学的証拠では、ネアンデルタール人は、ヨーロッパ西部からシベリアのアルタイ山脈まで、北緯55度からアジア西部の北緯約31度に至る、旧北区生物地理学的領域に適応している、と示唆されています[7、8]。ネアンデルタール人の遺跡の年代順の居住パターンは、少なくとも15万年前頃以降のアジア東方および南西部への拡大を示唆しています。
一方で、AMHはアフリカで30万年以上にわたって進化してきました[12、13]。身体遺骸や形態学的分析を含めての証拠から、AMHは少なくとも20万年間にわたってアフリカから何度も出た、と示唆されます[15、16、17]。AMHはアジア東部にも12万年前頃[18]【現生人類がアジア東部へ55000年以上前に到来したのか否かについては、議論になっています(関連記事)】に、その後ヨーロッパには6万年前頃[19、20]に到達しました。最近の正確な考古学および古い環境データから、AMHは高地や山脈や旧北区の生態系などアフリカ外の新しくて極端な環境に急速に適応した、と示唆されています[21]。さらに、考古学と化石の証拠から、AMHはMIS5にアジア南西部に侵入した、と示唆されています[15]。
ユーラシア西部における、ネアンデルタール人の2集団と古代型/現代型のヒトとの間の複数回の交雑事象の強い証拠があります[たとえば、3、25]。さらに、この交雑の時期を推定する多くの試みがあり、大きな成果が達成されてきました[26、28]。古遺伝学的研究では、交雑の第二波がMIS5に起きた、と示されてきました[4、28]。一部の研究で研究者は、アジア南西部のより低緯度の地域はネアンデルタール人とAMHとの間の最初の重なりの可能性が高い、と示唆してきました。2020年の研究はネアンデルタール人とAMHの拡大パターンを調べ、ネアンデルタール人とAMHは後期更新世における特定の気候条件下で同じ生態的地位を共有していた、と示しました。2022年の研究は近東におけるネアンデルタール人とAMHとの間の顔面形態の類似性を報告し、ネアンデルタール人とAMHの2系統間の交雑の重要地域かもしれない、と示唆しています。しかし、ネアンデルタール人とAMHの2種がどこで遭遇して交雑したのか、依然として不明です。
ENMはネアンデルタール人とAMHの2種の古分布および交雑の可能性のある地域の調査にとって、ひじょうに実用的な手段です[31]。ENMには古生物地理学や考古学や古人類学に重要な用途がある、と分かっています。ENMは古代人を含めての対象種の発生データと古環境変数を用いて、定義された地理的領域におる種もしくは人類種の存在の確率を計算します。これらのモデルは、さまざまな人類種の分布を再構築し、氷期における退避地を特定し、拡散回廊や種間の生態的地位の重複や獲物種との生態的地位の重複を再構築するための使用に成功してきました。たとえば、2023年の研究は、ENMを使用して、ネアンデルタール人とデニソワ人の接触地帯を特定することに成功しました。他の研究では、生態的地位が、ヨーロッパとイラン・チューロニアン地域の最終間氷期におけるネアンデルタール人の分布を決定するために適用されました。したがって、ENMはネアンデルタール人とAMHの古分布のモデル化およびその生態的地位の重複の地理の特定に使用できます[31]。
本論文の目的は、MIS5におけるネアンデルタール人とAMHの古分布を再構築し、この2種の接触および交雑の可能性のある地理的地帯を特定することです。この2種の最も重要な予測因子も推定され、環境変数へのこの2種の反応が調べられました。先行研究では、ネアンデルタール人とAMHの交雑の可能性のある地域として、アジア南西部が示唆されました[42]。注目すべきことに、アジア南西部はアフリカ熱帯区と旧北区の範囲の交差点に位置し、それぞれAMHとネアンデルタール人の分布に一致します。したがって本論文は、AMHとネアンデルタール人の2種がこれら2生物地理学的範囲の境界で遭遇して交雑し、この境界では環境条件が資源の豊富なひじょうに多様な生息地の提供によって、生態的地位の重複と資源の分割を促進した、と仮定しました。気候は種分布、とくに大きな空間規模では大きな決定要因なので、ネアンデルタール人とAMHとの間の相互作用の形成において、地形よりも影響が大きい、と予測されます。
●接触および交雑地帯の再構築
ネアンデルタール人(AUC=941)とAMH(AUC=895)について本論文で開発されたモデルが、AUC(area under the curve、曲線下面積)モデル実行距離にしたがって行なわれました。ネアンデルタール人の古分布に関する本論文のモデルから、レヴァントへの地中海の北側と西側、トルコや黒海周辺やカスピ海の南側やタウルス地域やコーカサスおよびザグロス山脈の広大な地域は、MIS5においてこの種【ネアンデルタール人】にとってひじょうに好適だった、と示されます(図1)。AMH古分布モデルは、アフリカとアラビア半島とイラン高原における大きく連続した好適地域を特定しました。本論文のモデルは、アジア南西部およびヨーロッパ南東部における接触および交雑の可能性のある地帯としてザグロス山脈を特定しました。以下は本論文の図1です。
●変数の重要性と反応曲線
ネアンデルタール人とAMHの最大エントロピー(Maxent)モデルへの、環境変数の相対的寄与が推定されました。最暖月の最高気温(58.5%の寄与)と最寒月の最低気温(19.7%の寄与)と年間降水量(16.5%の寄与)が、ネアンデルタール人の古分布の最も重要な予測因子だった、と分かりました。最暖月の最高気温は、ネアンデルタール人の存在と負の関連を有しています。傾斜(35.6%の寄与)と地形の多様性(26%の寄与)と最も暖かい四半期の降水量(14%の寄与)が、AMHの古分布の形成において最も重要な変数でした。両種【ネアンデルタール人とAMH】は傾斜の大きい地域における斜面と生息地の適合性の低下に対して、同様の反応を示しました。図2は、各環境変数がネアンデルタール人(a)とAMH(b)の最大エントロピー予測にどのように影響を及ぼすのか、示しています。この曲線は、存在の予測確率が、平均標本値において他のすべての環境変数を維持しながら、各環境変数の変化につれてどのように変わるのか、示しています。以下は本論文の図2です。
●14万~4万年前頃の降水量の変化
図3は、ザグロス山脈の1万年間隔での14万~4万年前頃の降水量の変化を示しています。降水量の最高値は12万年前頃で、ネアンデルタール人とAMHの間の範囲拡大と相互作用にとって好適な時期です。以下は本論文の図3です。
●考察
人類の交雑は、古人類学研究の重要な話題ですが、それがいつどこで起きたのかは、ほぼ分かっていません。さまざまな人類種の中で、ネアンデルタール人とAMHの交雑はとくに重要で、それは、この交雑が現生人類種の遺伝学に寄与するからです。本論文では、ENMとGISが広範な地域(図4)に適用され、イランのザグロス山脈がこれら2種の生態的地位の重複および交雑の可能性のある地帯にとってひじょうに好適な地理的単位である、と明らかになりました。以下は本論文の図4です。
本論文の生態的地位モデルは、ザグロス山脈におけるこの2種【ネアンデルタール人とAMH】の重なりを予測しました。この調査結果の裏づけとして、さまざまな遺伝学的研究[46]や生態学的モデル化[21]や考古学および遺伝学的記録[46]や化石[47]が、本論文の生態的地位重複モデルと一致します。ザグロス山脈へのネアンデルタール人の拡大は、旧北区環境および黒海両側のカルスト地形、つまり南方地域へと横断するコーカサスおよびアナトリア半島と一致して起きたに違いありません。最新の証拠では、ネアンデルタール人の最南端の広がりは、アンチレバノン山脈およびザグロス山脈に沿って異なる2方向へと南方に伸びる腕状の地域における北緯約31度までだった、と示されました。ウズベキスタン[47]やタジキスタンやアジア・ロシア[26]で見つかった化石などさらに東方の領域におけるネアンデルタール人は、アジア中央部および北部のネアンデルタール人として知られています。これまで、ネアンデルタール人存在の証拠は、レヴァントのアンチレバノン山脈やアナトリア半島やコーカサス[52]やザグロス山脈[54]を含めて、南西の湿潤な山岳地帯と一致しています。
ザグロス山脈地域における中部旧石器時代(Middle Paleolithic、略してMP)に関するデータは豊富で、絶対年代や人類化石記録や石器と関連する層序化された遺跡の発見のため、最新となっています。多くのMP遺跡のうち、4ヶ所でネアンデルタール人化石が発見されました。これらの遺跡のうち最もよく知られているのがシャニダール洞窟(Shanidar Cave)で、この遺跡ではネアンデルタール人10個体の遺骸が発見されました。そこから約350km南西(北緯約34度)の、ケルマーンシャー(Kermanshah)州地域のウェズメー(Wezmeh)洞窟およびビソトゥン(Bisetun)でも、ネアンデルタール人遺骸が発見されました[54]。しかし、バワ・ヤワン岩陰(Bawa Yawan Rock Shelter)遺跡からのネアンデルタール人遺骸の最近の発見は重要で、それは同遺跡の同じ場所でザグロス・ムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)の石器と関連してネアンデルタール人の歯が発見されたからです。この歯の年代が65000年前頃だったのに対して、ムステリアン層の年代は83000年前頃までさかのぼります。
さまざまな人類化石遺骸の証拠のため、アジア南西部地域には後期更新世においてAMH現生人類が居住していた、と判断されました。AMHはレヴァントに、ミスリヤ洞窟(Misliya Cave)遺跡で証明されているように[16]194000~177000年前頃と、スフール(Skhul)およびカフゼー(Qafzeh)洞窟遺跡で示されているよに12万~9万年前頃の少なくとも2期間居住しており、それはこの地域が55000年前頃[59]に現生人類によって恒久的に居住される前のことでした。アフリカ東部の石器技術と関連するアラビア半島における40万~5万年前頃の人類(AMHも含まれます)に関する膨大な量のデータは先行研究[42]とその参考文献で取り上げられており、さらに、85000年前頃となるアルウスタ(Al-Wusta)遺跡のAMHの指骨[15]を含めて身体遺骸はすべて、アラビア半島が中期~後期更新世においてユーラシアへの出入口だったことを示唆しています。ザグロス山脈とイラン高原中央部の南方の両方で、イラン高原南部地域における8万年前頃にさかのぼる非ムステリアンMP人工遺物の存在の証拠があります。
当初の予測と一致して、ネアンデルタール人とAMHの相互作用および交雑の可能性のある地帯は旧北区とアフリカ熱帯区の範囲の接触地帯、つまりザグロス山脈に位置しました。ザグロス山脈がこの2種【ネアンデルタール人とAMH】の生態的地位の重複および可能性のある交雑地帯にとって好適地だった理由は、いくつかあります。第一に、ザグロス山脈はネアンデルタール人の起源地である旧北区範囲の環境条件によって特徴づけられます。同時に、ザグロス山脈の周辺地域は、AMHの起源地であるアフリカ熱帯区範囲の環境条件によって特徴づけられます。したがって、ザグロス山脈には、更新世個の気候変動期に旧北区範囲とアフリカ熱帯区範囲の境界地域に暮らす人々が繰り返し訪れたかもしれません。したがって、AMHやネアンデルタール人を含めてさまざまな人類間の相互作用の可能性は、これらの地域ではより高かったでしょう。第二に、ザグロス山脈は巨大な安定した人口集団を支えることができる、広範な地理的地域(トルコのクルディスタンのヴァン湖からからイラン南東部まで1500km以上)を網羅しています。第三に、ザグロス山脈は地形と生物多様性の観点ではひじょうに多様で、同時に2種の存在を支えることができます。これらの山脈は、同じ生息地内で同様の生態的地位の一部の動物種の生態的地位の重複を促進します。これらの山脈は、拡散の障壁もしくは拡散の回廊として機能することによって、種分布においてひじょうに重要な役割を果たす、と知られています。これらの知見は、本論文の結果を裏づけます。
本論文の調査結果は、ザグロス山脈における新たな化石の発見と新たな遺伝学的データ[46]によってさらに裏づけられます。アラビア半島やペルシア湾やオマーン海(アラビア海)経由での南方地域を含めて、他方向からのイラン高原中央部への移動経路が妥当である、と想定されます。この経路は海岸線に沿って北方へと向かい、最終的にはイラン高原の内陸部に達したかもしれません。イラン高原最南端部に位置する地域の表面に散在している人類居住の最近の証拠は、本論文の仮説を裏づけます。
本論文の当初の推測は、気候要因がネアンデルタール人とAMH両方の分布の予測において優勢な影響力となるだろう、というものでした。しかし、本論文の調査結果は微妙な状況を明らかにしており、気候がネアンデルタール人の生息地の重要な決定要因として現れたのに対して、AMHの分布は地形の差異に大きく影響を受けました。気候は均一でしたが、地形はAMHの分布地域全体で不均一でした。これらの調査結果は、地形がAMHの分布パターンの形成においてより顕著な役割を果たした、と示唆している可能性が高そうです。本論文は、種分布の決定における環境要因間の複雑な相互作用を強調する証拠の増加に寄与します。本論文の結果は獲物の重複と一致しており、年間降水量と最暖月の最高気温がペルシア高原におけるネアンデルタール人の分布の最も重要な予測因子だった、と示しています。気候は最終間氷期のヨーロッパとイラン・トゥーラーン(現在のトルクメニスタンとウズベキスタンとタジキスタン)地域におけるネアンデルタール人の分布の最も重要な決定要因でしたが、地形の影響は局所的規模に限られていました。
ENMの1点の特別な適用は、観察が行なわれていなかった対象種の存在にとっての好適地域の特定です。ENMによって進められる現地調査は、新たな個体群や希少種の発見につながり、それによってこの状況におけるENMの有用性が証明されました。ネアンデルタール人とAMHの交雑地域を予測する本論文のモデルは、将来の現地調査と発掘においてひじょうに高い優先度が割り当てられます。考古学的研究におけるENMの現地検証は限られていますが、イランの考古学者には、可能性のある交雑地域における現地発掘を行ない、考古学的研究においてこのモデルの実用性を評価するよう、本論文は奨励します。さらに、ENMの利用は考古学的発掘の財源の割り当てを導くことができ、重要な発見の可能性が最も高い地域に努力が集中されるよう、保証できます。これら高確率の場所を優先することで、その実地調査の効率を最大化でき、より多くを対象として収穫の多い発掘につながります。
●まとめ
この研究の前には、AMHとネアンデルタール人の交雑の理解は、遺伝学および形態学のデータのみに基づいていました[71、72]。本論文は初めて、追加の独立した一連の情報としてENMを適用し、この2種【ネアンデルタール人とAMH】が交雑した可能性のある地理的場所を特定しました。本論文は、AMHとネアンデルタール人の可能性がある交雑地域としてイラン高原、とくにザグロス山脈を特定しました。ザグロス山脈においてさまざまな人類集団が惹きつけられた可能性は、この地域の地理的条件によって証明され、それは、この地域が異なる二つの生物地理学的地帯、つまり旧北区とアフリカ熱帯区の範囲に位置するからです。この2ヶ所の範囲の境界地域は生物学において重要で、それは、境界地域が種にとって氷河環境からの退避地として機能するからです。結果として、ザグロス山脈の一部には、旧北区とアフリカ熱帯区の範囲の境界地域に暮らす人々が更新世の気候変動期に繰り返し訪れたかもしれません。したがって、AMHとネアンデルタール人を含めてさまざまな人類間の相互作用の可能性は、これらの地域でより高かったでしょう。本論文では、イラン高原はアフリカからの拡散後の現生人類にとって拠点として機能した、という以前の調査結果[46]に加えて、イラン高原は人類の分布と拡散と進化[46]に大きく寄与した、と結論づけられ、ヒトの進化と拡散に光を当てるだろう多くの刺激的発見が期待されます。
参考文献:
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●要約
ネアンデルタール人とAMHとの間の交雑は証明されてきましたが、化石の不足と適切なDNAの欠如のため、その交雑の時期と地理は明確には分かっていません。本論文はENM(最大エントロピー手法)とGISを用いて、アジア南西部およびヨーロッパ南東部におけるネアンデルタール人とAMHの古分布を再構築し、交雑の第二波が起きたMIS5における両者の接触および交雑の可能性のある地帯を特定します。各種【ネアンデルタール人とAMH】の古分布を特徴づけるため、ネアンデルタール人および現生人類の考古学的遺跡の地形と緯度および経度とともに、12万~8万年前頃となるMIS5の環境条件(平均値)を特徴づける気候変数が用いられました。重複するモデルから、ザグロス山脈がこのヒト2種【ネアンデルタール人とAMH】の接触および交雑の可能性のある地帯だった、と明らかになりました。ザグロス山脈は旧北区(Palearctic)とアフリカ熱帯区(Afrotropical)をつなぐ回廊として機能し、MIS5におけるAMHの北方への拡散とネアンデルタール人の南方への拡散を促進した、と本論文は考えています。本論文の分析は、最近数十年間で収集された考古学および遺伝学の証拠と比較できます。
●研究史
ネアンデルタール人や古代型/現代型のヒトやデニソワ人といったさまざまな初期ヒト集団の後期更新世における生物文化期混合の画期的発見に続いて、これらの事象の性質と進化史に関する研究が多数蓄積されつつあります。生物学的交換が種に及ぼした影響、たとえば2016年の研究[1]や関連する問題に加えて、接触と交雑の時期[2、3、4]と地理が激しい議論の対象となっています[5]。ネアンデルタール人40万年前頃に出現し、4万年前頃に消滅した[6]人類の絶滅系統です。ネアンデルタール人の化石の位置と形態学的証拠では、ネアンデルタール人は、ヨーロッパ西部からシベリアのアルタイ山脈まで、北緯55度からアジア西部の北緯約31度に至る、旧北区生物地理学的領域に適応している、と示唆されています[7、8]。ネアンデルタール人の遺跡の年代順の居住パターンは、少なくとも15万年前頃以降のアジア東方および南西部への拡大を示唆しています。
一方で、AMHはアフリカで30万年以上にわたって進化してきました[12、13]。身体遺骸や形態学的分析を含めての証拠から、AMHは少なくとも20万年間にわたってアフリカから何度も出た、と示唆されます[15、16、17]。AMHはアジア東部にも12万年前頃[18]【現生人類がアジア東部へ55000年以上前に到来したのか否かについては、議論になっています(関連記事)】に、その後ヨーロッパには6万年前頃[19、20]に到達しました。最近の正確な考古学および古い環境データから、AMHは高地や山脈や旧北区の生態系などアフリカ外の新しくて極端な環境に急速に適応した、と示唆されています[21]。さらに、考古学と化石の証拠から、AMHはMIS5にアジア南西部に侵入した、と示唆されています[15]。
ユーラシア西部における、ネアンデルタール人の2集団と古代型/現代型のヒトとの間の複数回の交雑事象の強い証拠があります[たとえば、3、25]。さらに、この交雑の時期を推定する多くの試みがあり、大きな成果が達成されてきました[26、28]。古遺伝学的研究では、交雑の第二波がMIS5に起きた、と示されてきました[4、28]。一部の研究で研究者は、アジア南西部のより低緯度の地域はネアンデルタール人とAMHとの間の最初の重なりの可能性が高い、と示唆してきました。2020年の研究はネアンデルタール人とAMHの拡大パターンを調べ、ネアンデルタール人とAMHは後期更新世における特定の気候条件下で同じ生態的地位を共有していた、と示しました。2022年の研究は近東におけるネアンデルタール人とAMHとの間の顔面形態の類似性を報告し、ネアンデルタール人とAMHの2系統間の交雑の重要地域かもしれない、と示唆しています。しかし、ネアンデルタール人とAMHの2種がどこで遭遇して交雑したのか、依然として不明です。
ENMはネアンデルタール人とAMHの2種の古分布および交雑の可能性のある地域の調査にとって、ひじょうに実用的な手段です[31]。ENMには古生物地理学や考古学や古人類学に重要な用途がある、と分かっています。ENMは古代人を含めての対象種の発生データと古環境変数を用いて、定義された地理的領域におる種もしくは人類種の存在の確率を計算します。これらのモデルは、さまざまな人類種の分布を再構築し、氷期における退避地を特定し、拡散回廊や種間の生態的地位の重複や獲物種との生態的地位の重複を再構築するための使用に成功してきました。たとえば、2023年の研究は、ENMを使用して、ネアンデルタール人とデニソワ人の接触地帯を特定することに成功しました。他の研究では、生態的地位が、ヨーロッパとイラン・チューロニアン地域の最終間氷期におけるネアンデルタール人の分布を決定するために適用されました。したがって、ENMはネアンデルタール人とAMHの古分布のモデル化およびその生態的地位の重複の地理の特定に使用できます[31]。
本論文の目的は、MIS5におけるネアンデルタール人とAMHの古分布を再構築し、この2種の接触および交雑の可能性のある地理的地帯を特定することです。この2種の最も重要な予測因子も推定され、環境変数へのこの2種の反応が調べられました。先行研究では、ネアンデルタール人とAMHの交雑の可能性のある地域として、アジア南西部が示唆されました[42]。注目すべきことに、アジア南西部はアフリカ熱帯区と旧北区の範囲の交差点に位置し、それぞれAMHとネアンデルタール人の分布に一致します。したがって本論文は、AMHとネアンデルタール人の2種がこれら2生物地理学的範囲の境界で遭遇して交雑し、この境界では環境条件が資源の豊富なひじょうに多様な生息地の提供によって、生態的地位の重複と資源の分割を促進した、と仮定しました。気候は種分布、とくに大きな空間規模では大きな決定要因なので、ネアンデルタール人とAMHとの間の相互作用の形成において、地形よりも影響が大きい、と予測されます。
●接触および交雑地帯の再構築
ネアンデルタール人(AUC=941)とAMH(AUC=895)について本論文で開発されたモデルが、AUC(area under the curve、曲線下面積)モデル実行距離にしたがって行なわれました。ネアンデルタール人の古分布に関する本論文のモデルから、レヴァントへの地中海の北側と西側、トルコや黒海周辺やカスピ海の南側やタウルス地域やコーカサスおよびザグロス山脈の広大な地域は、MIS5においてこの種【ネアンデルタール人】にとってひじょうに好適だった、と示されます(図1)。AMH古分布モデルは、アフリカとアラビア半島とイラン高原における大きく連続した好適地域を特定しました。本論文のモデルは、アジア南西部およびヨーロッパ南東部における接触および交雑の可能性のある地帯としてザグロス山脈を特定しました。以下は本論文の図1です。
●変数の重要性と反応曲線
ネアンデルタール人とAMHの最大エントロピー(Maxent)モデルへの、環境変数の相対的寄与が推定されました。最暖月の最高気温(58.5%の寄与)と最寒月の最低気温(19.7%の寄与)と年間降水量(16.5%の寄与)が、ネアンデルタール人の古分布の最も重要な予測因子だった、と分かりました。最暖月の最高気温は、ネアンデルタール人の存在と負の関連を有しています。傾斜(35.6%の寄与)と地形の多様性(26%の寄与)と最も暖かい四半期の降水量(14%の寄与)が、AMHの古分布の形成において最も重要な変数でした。両種【ネアンデルタール人とAMH】は傾斜の大きい地域における斜面と生息地の適合性の低下に対して、同様の反応を示しました。図2は、各環境変数がネアンデルタール人(a)とAMH(b)の最大エントロピー予測にどのように影響を及ぼすのか、示しています。この曲線は、存在の予測確率が、平均標本値において他のすべての環境変数を維持しながら、各環境変数の変化につれてどのように変わるのか、示しています。以下は本論文の図2です。
●14万~4万年前頃の降水量の変化
図3は、ザグロス山脈の1万年間隔での14万~4万年前頃の降水量の変化を示しています。降水量の最高値は12万年前頃で、ネアンデルタール人とAMHの間の範囲拡大と相互作用にとって好適な時期です。以下は本論文の図3です。
●考察
人類の交雑は、古人類学研究の重要な話題ですが、それがいつどこで起きたのかは、ほぼ分かっていません。さまざまな人類種の中で、ネアンデルタール人とAMHの交雑はとくに重要で、それは、この交雑が現生人類種の遺伝学に寄与するからです。本論文では、ENMとGISが広範な地域(図4)に適用され、イランのザグロス山脈がこれら2種の生態的地位の重複および交雑の可能性のある地帯にとってひじょうに好適な地理的単位である、と明らかになりました。以下は本論文の図4です。
本論文の生態的地位モデルは、ザグロス山脈におけるこの2種【ネアンデルタール人とAMH】の重なりを予測しました。この調査結果の裏づけとして、さまざまな遺伝学的研究[46]や生態学的モデル化[21]や考古学および遺伝学的記録[46]や化石[47]が、本論文の生態的地位重複モデルと一致します。ザグロス山脈へのネアンデルタール人の拡大は、旧北区環境および黒海両側のカルスト地形、つまり南方地域へと横断するコーカサスおよびアナトリア半島と一致して起きたに違いありません。最新の証拠では、ネアンデルタール人の最南端の広がりは、アンチレバノン山脈およびザグロス山脈に沿って異なる2方向へと南方に伸びる腕状の地域における北緯約31度までだった、と示されました。ウズベキスタン[47]やタジキスタンやアジア・ロシア[26]で見つかった化石などさらに東方の領域におけるネアンデルタール人は、アジア中央部および北部のネアンデルタール人として知られています。これまで、ネアンデルタール人存在の証拠は、レヴァントのアンチレバノン山脈やアナトリア半島やコーカサス[52]やザグロス山脈[54]を含めて、南西の湿潤な山岳地帯と一致しています。
ザグロス山脈地域における中部旧石器時代(Middle Paleolithic、略してMP)に関するデータは豊富で、絶対年代や人類化石記録や石器と関連する層序化された遺跡の発見のため、最新となっています。多くのMP遺跡のうち、4ヶ所でネアンデルタール人化石が発見されました。これらの遺跡のうち最もよく知られているのがシャニダール洞窟(Shanidar Cave)で、この遺跡ではネアンデルタール人10個体の遺骸が発見されました。そこから約350km南西(北緯約34度)の、ケルマーンシャー(Kermanshah)州地域のウェズメー(Wezmeh)洞窟およびビソトゥン(Bisetun)でも、ネアンデルタール人遺骸が発見されました[54]。しかし、バワ・ヤワン岩陰(Bawa Yawan Rock Shelter)遺跡からのネアンデルタール人遺骸の最近の発見は重要で、それは同遺跡の同じ場所でザグロス・ムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)の石器と関連してネアンデルタール人の歯が発見されたからです。この歯の年代が65000年前頃だったのに対して、ムステリアン層の年代は83000年前頃までさかのぼります。
さまざまな人類化石遺骸の証拠のため、アジア南西部地域には後期更新世においてAMH現生人類が居住していた、と判断されました。AMHはレヴァントに、ミスリヤ洞窟(Misliya Cave)遺跡で証明されているように[16]194000~177000年前頃と、スフール(Skhul)およびカフゼー(Qafzeh)洞窟遺跡で示されているよに12万~9万年前頃の少なくとも2期間居住しており、それはこの地域が55000年前頃[59]に現生人類によって恒久的に居住される前のことでした。アフリカ東部の石器技術と関連するアラビア半島における40万~5万年前頃の人類(AMHも含まれます)に関する膨大な量のデータは先行研究[42]とその参考文献で取り上げられており、さらに、85000年前頃となるアルウスタ(Al-Wusta)遺跡のAMHの指骨[15]を含めて身体遺骸はすべて、アラビア半島が中期~後期更新世においてユーラシアへの出入口だったことを示唆しています。ザグロス山脈とイラン高原中央部の南方の両方で、イラン高原南部地域における8万年前頃にさかのぼる非ムステリアンMP人工遺物の存在の証拠があります。
当初の予測と一致して、ネアンデルタール人とAMHの相互作用および交雑の可能性のある地帯は旧北区とアフリカ熱帯区の範囲の接触地帯、つまりザグロス山脈に位置しました。ザグロス山脈がこの2種【ネアンデルタール人とAMH】の生態的地位の重複および可能性のある交雑地帯にとって好適地だった理由は、いくつかあります。第一に、ザグロス山脈はネアンデルタール人の起源地である旧北区範囲の環境条件によって特徴づけられます。同時に、ザグロス山脈の周辺地域は、AMHの起源地であるアフリカ熱帯区範囲の環境条件によって特徴づけられます。したがって、ザグロス山脈には、更新世個の気候変動期に旧北区範囲とアフリカ熱帯区範囲の境界地域に暮らす人々が繰り返し訪れたかもしれません。したがって、AMHやネアンデルタール人を含めてさまざまな人類間の相互作用の可能性は、これらの地域ではより高かったでしょう。第二に、ザグロス山脈は巨大な安定した人口集団を支えることができる、広範な地理的地域(トルコのクルディスタンのヴァン湖からからイラン南東部まで1500km以上)を網羅しています。第三に、ザグロス山脈は地形と生物多様性の観点ではひじょうに多様で、同時に2種の存在を支えることができます。これらの山脈は、同じ生息地内で同様の生態的地位の一部の動物種の生態的地位の重複を促進します。これらの山脈は、拡散の障壁もしくは拡散の回廊として機能することによって、種分布においてひじょうに重要な役割を果たす、と知られています。これらの知見は、本論文の結果を裏づけます。
本論文の調査結果は、ザグロス山脈における新たな化石の発見と新たな遺伝学的データ[46]によってさらに裏づけられます。アラビア半島やペルシア湾やオマーン海(アラビア海)経由での南方地域を含めて、他方向からのイラン高原中央部への移動経路が妥当である、と想定されます。この経路は海岸線に沿って北方へと向かい、最終的にはイラン高原の内陸部に達したかもしれません。イラン高原最南端部に位置する地域の表面に散在している人類居住の最近の証拠は、本論文の仮説を裏づけます。
本論文の当初の推測は、気候要因がネアンデルタール人とAMH両方の分布の予測において優勢な影響力となるだろう、というものでした。しかし、本論文の調査結果は微妙な状況を明らかにしており、気候がネアンデルタール人の生息地の重要な決定要因として現れたのに対して、AMHの分布は地形の差異に大きく影響を受けました。気候は均一でしたが、地形はAMHの分布地域全体で不均一でした。これらの調査結果は、地形がAMHの分布パターンの形成においてより顕著な役割を果たした、と示唆している可能性が高そうです。本論文は、種分布の決定における環境要因間の複雑な相互作用を強調する証拠の増加に寄与します。本論文の結果は獲物の重複と一致しており、年間降水量と最暖月の最高気温がペルシア高原におけるネアンデルタール人の分布の最も重要な予測因子だった、と示しています。気候は最終間氷期のヨーロッパとイラン・トゥーラーン(現在のトルクメニスタンとウズベキスタンとタジキスタン)地域におけるネアンデルタール人の分布の最も重要な決定要因でしたが、地形の影響は局所的規模に限られていました。
ENMの1点の特別な適用は、観察が行なわれていなかった対象種の存在にとっての好適地域の特定です。ENMによって進められる現地調査は、新たな個体群や希少種の発見につながり、それによってこの状況におけるENMの有用性が証明されました。ネアンデルタール人とAMHの交雑地域を予測する本論文のモデルは、将来の現地調査と発掘においてひじょうに高い優先度が割り当てられます。考古学的研究におけるENMの現地検証は限られていますが、イランの考古学者には、可能性のある交雑地域における現地発掘を行ない、考古学的研究においてこのモデルの実用性を評価するよう、本論文は奨励します。さらに、ENMの利用は考古学的発掘の財源の割り当てを導くことができ、重要な発見の可能性が最も高い地域に努力が集中されるよう、保証できます。これら高確率の場所を優先することで、その実地調査の効率を最大化でき、より多くを対象として収穫の多い発掘につながります。
●まとめ
この研究の前には、AMHとネアンデルタール人の交雑の理解は、遺伝学および形態学のデータのみに基づいていました[71、72]。本論文は初めて、追加の独立した一連の情報としてENMを適用し、この2種【ネアンデルタール人とAMH】が交雑した可能性のある地理的場所を特定しました。本論文は、AMHとネアンデルタール人の可能性がある交雑地域としてイラン高原、とくにザグロス山脈を特定しました。ザグロス山脈においてさまざまな人類集団が惹きつけられた可能性は、この地域の地理的条件によって証明され、それは、この地域が異なる二つの生物地理学的地帯、つまり旧北区とアフリカ熱帯区の範囲に位置するからです。この2ヶ所の範囲の境界地域は生物学において重要で、それは、境界地域が種にとって氷河環境からの退避地として機能するからです。結果として、ザグロス山脈の一部には、旧北区とアフリカ熱帯区の範囲の境界地域に暮らす人々が更新世の気候変動期に繰り返し訪れたかもしれません。したがって、AMHとネアンデルタール人を含めてさまざまな人類間の相互作用の可能性は、これらの地域でより高かったでしょう。本論文では、イラン高原はアフリカからの拡散後の現生人類にとって拠点として機能した、という以前の調査結果[46]に加えて、イラン高原は人類の分布と拡散と進化[46]に大きく寄与した、と結論づけられ、ヒトの進化と拡散に光を当てるだろう多くの刺激的発見が期待されます。
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