フローレス島の70万年前頃の人類遺骸

 インドネシア領フローレス島の70万年前頃の小柄な人類の遺骸を報告した研究(Kaifu et al., 2024)が公表されました。日本語の解説記事もあります。フローレス島西部のリアン・ブア(Liang Bua)洞窟では6万年以上前の小柄な人類遺骸が発見されており、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)と分類されています。フローレス島中央部に位置するソア盆地(So’a Basin)のマタ・メンゲ(Mata Menge)遺跡では、ホモ・フロレシエンシスの直接的な祖先もしくはその近縁集団に分類できそうな人類遺骸が発見されており(van den Bergh et al., 2016)、本論文は、そのマタ・メンゲ遺跡で発見された70万年前頃の上腕骨が小柄な人類のものと明らかにし、フローレス島における島嶼化による人類の小型化がすでに70万年前頃には起きていた可能性を示しました。

 本論文は、石器の証拠に基づくとフローレス島には100万年前頃までに人類が存在したことから、フローレス島では比較的短期間(30万年間以内)で人類が小型化したのではないか、と推測しています。ただ、フローレス島に100万年以上前に到来した人類が当初から小柄だった可能性や、フローレス島にはスラウェシ島など近隣の島から何度か人類が到来した可能性も考えられます(Dennell et al., 2014)。つまりフローレス島では、70万年前頃の人類集団と6万年前頃の人類集団とが直接的な祖先と子孫の関係ではなかったかもしれない、というわけです。現時点では、ホモ・フロレシエンシスはフローレス島で100万年間にわたって独自の進化を遂げたアジア南東部本土から到来したホモ・エレクトス(Homo erectus)の子孫だった、と考えるのが最も妥当なように思われますが、他の可能性も念頭に置き、今後の研究の進展に注目していくつもりです。


●要約

 ホモ・フロレシエンシスとホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)の最近の発見は、きょくたんな身体の大きさの縮小が島嶼環境の一部の絶滅ホモ属種でどのように起きたのか、ということに関する問題を提起しています。インドネシアのフローレス島のマタ・メンゲにおける以前の調査から、ホモ・フロレシエンシスの中期更新世初期の祖先は顎と歯がさらに小さかった、と示唆されました。本論文は、マタ・メンゲの同じ堆積物から発見された追加の人類化石を報告します。成人の上腕骨は6万年前頃となるホモ・フロレシエンシスの模式標本より9~16%短くて薄く、これまでに報告されたどの鮮新世~更新世の成体の人類の上腕骨よりも小さいものでした。新たに報告された歯は両方ともひじょうに小さく、一方はジャワ島の初期ホモ・エレクトスとより密接な形態学的類似性を有しています。ホモ・フロレシエンシス系統はアジアの初期ホモ・エレクトスから進化した可能性が高く、フローレス島で長きにわたって存続した系統で、少なくとも70万年前頃以降、身体の大きさは顕著に小型化していました。


●研究史

 インドネシアのフローレス島中央部のソア盆地は、フローレス島西部の石灰岩洞窟であるリアン・ブア洞窟の後期更新世の岸の小柄な人類種である、ホモ・フロレシエンシスの起源と進化の解明にとって重要な地域です。ルソン島で発見された別の小柄なホモ属(Détroit et al., 2019)のように、この島嶼部人類種の進化史は長きにわたって議論の対象となってきました。ソア盆地の前期~中期更新世となるカラブリアン~チバニアンにかけての層序に関する以前の野外調査では、固有種(小型ステゴドンやコモドオオトカゲや大型ラットや鳥類やクロコダイルやカメ)の動物相の化石遺骸(Brumm et al., 2016)と、最古の年代が少なくとも102万±2万年前にさかのぼる技術的に単純な石器(Brumm et al., 2010)と、重要なことに、小柄な人類の断片的な下顎と6点の遊離した歯(van den Bergh et al., 2016)が回収されました。これらの人類化石は、773000~65万年前頃のマタ・メンゲ遺跡の化石含有区間上部の河川起源の砂岩層(第2層)から発掘されました(Brumm et al., 2016)。これらの化石は10万~6万年前頃となるリアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスの模式標本群(Sutikna et al., 2016)やジャワ島の初期ホモ・エレクトス(Matsu'ura et al., 2020)との一般的な形態学的類似性を示しますが、ホモ・フロレシエンシスを特徴づける独特な大臼歯の特殊化が欠けており、ジャワ島の初期ホモ・エレクトスよりかなり小さかった(van den Bergh et al., 2016)、と示されました。

 全体的に、マタ・メンゲ遺跡の化石群はリアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシス系統の祖先の一部であり、フローレス島の人類は大きな身体のアジアの初期ホモ・エレクトスの小型化した子孫である、と示唆されます。しかし、一部の分岐分類学と系統発生分析は、ホモ・フロレシエンシスと、ホモ・ハビリス(Homo habilis)などより小柄な基底部のホモ属もしくはアウストラロピテクス属さえとの間の直接的な進化的つながりを支持しています(Argue et al., 2017、Dembo et al., 2016)。フローレス島人類の身体の大きさの進化のパターンと時期を解明するには、この論争の解決が重要です。

 注目すべきことに、マタ・メンゲ遺跡の科学と歯はリアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスの模式標本(LB1)よりわずかに小さい、と目視されています。これは、劇的な歯顎の縮小が、リアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスの最古級の化石証拠以前となる、60万年以上前の中期更新世初期までにフローレス島で起きていたことを示唆します。しかしこれまで、マタ・メンゲ遺跡の遺骸群に頭蓋後方(人類の場合は首から下)要素が欠けており、フローレス島における身体の大きさの進化に関する理解を制約してきました。

 本論文は、ひじょうに小さな遠位上腕骨幹(SOA-MM9)である、マタ・メンゲ遺跡の人類の頭蓋後方化石1点の発見と形態を報告します(図1)。この標本と2点の小さな歯(SOA-MM10とSOA-MM11)は、マタ・メンゲ遺跡の第2層の既存の人類遺骸群への追加として回収されました(表1)。本論文の組織形態学的調査は、この上腕骨が成人状態であることを確証します。骨幹形態が、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)の部分骨格標本(A.L. 288-1)などのアウストラロピテクス属とよりも、LB1やホモ・ナレディ(Homo naledi)など小柄なホモ属の方と類似しており、大臼歯の歯冠(SOA-MM11)がアフリカの初期ホモ属とよりもジャワ島の初期ホモ・エレクトスの方とより密接な形態類似性を有することも、本論文は示します。マタ・メンゲ遺跡標本の増加は、その分類がホモ・フロレシエンシスの初期の代表であることを裏づけ、初期のホモ・フロレシエンシスはおそらく、100万~70万年前頃の期間に、大型のアジアのホモ・エレクトスから劇的な身体の大きさの縮小を経ました。以下は本論文の図1です。
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●背景と地質年代

 すべての人類化石は飾り紐状の硬化した小石の多い砂岩層(第2層)の上部に由来し、第2層は70万年前頃に火山砕屑性堆積扇状地上の小さな川の流れに堆積しました。この年代推定は、第2層から層序的に16.5m下の凝灰質層の火山ジルコン(風信子鉱)への一連の核分裂痕跡年代と組み合わされた、古磁気測定による773000年前頃となるブリュンヌ・松山(Brunhes-Matuyama)境界の同定に基づいています。第2層の下限年代は65万±2万年前で、層序的に第2層の上14mにあるから採集された空中降下火砕堆積物(PGT-2)から得られた単一の普通角閃石の結晶でのアルゴン同位体比(⁴⁰Ar/³⁹Ar)年代により提供されます。

 最大の厚さが50cmの第2層は、赤みがかった古土壌(第3層)の上に位置し、波打つ侵食接触面があります。一連の巨大で凝灰質粘土の多い泥流層(第1層a~f)は、第2層と第3層をその後で覆いました(図2)。上腕骨断片であるSOA-MM9は2013年の発掘32 A開始後の1週間以内にいくつかの断片で回収されましたが、研究室での復元後、2015年にやっと上腕骨と認識されました。この標本は、第2層のひじょうに密な砂岩からの発掘中の過程で損傷を受けました。上顎の乳歯犬歯(dᶜ)標本(SOA-MM10)は2015年に第1層と第2層との間の境界の約5cm下で発掘されましたが、下顎第三大臼歯(M₃)標本(SOA-MM11)は2016年に第2層の上部の約15cm下で発掘されました。以下は本論文の図2です。
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 すべての人類化石は第2層の上部に集中していますが、他の動物化石は第2層でより均等に分布する傾向にあります。この化石の堆積前の河川による移動の証拠があり、多くの(全てではありませんが)標本は断片化しており(発掘による損傷は除いて)、摩耗し、および/もしくはある程度丸くなっていました。しかし、本論文で記載される3点の人類化石には、摩耗の証拠が最小限もしくはありません。化石生成論および堆積学の観察から、この人類化石は、関節が離れた比較的短期間のうちに地表に現れた後で、中程度から低いエネルギーの流れの状態の間に堆積した、と示唆されます。川床に化石が埋まった直後に、河川流域全体が6.5mの厚さの泥流の層序で満たされました。その後の2017~2019年と2023年の野外調査では、この遺跡からそれ以上の人類化石は発見されていません。


●上腕骨(SOA-MM9)の発達年齢

 この上腕骨標本(SOA-MM9)は右上腕骨幹の歪みのない遠位半分で、保存されている最大長は88mmと測定されています。大きさは小さいものの、SOA-MM9の皮質骨組織形態学は明らかに成人状態を示します。現生および化石人類の年齢推定に広く用いられている手法である、骨単位および関連する構造の加齢による増加に基づいて、その発達段階が調べられました。

 組織学的断片が、SOA-MM9の中後部骨幹(図1の「HS」)と現代人の標本(20点)で採取された皮質標本から調べられました。各骨領域内の骨単位形成の領域による差異を考慮するため、データはすべての現生人類(Homo sapiens)標本の骨幹中部の追加の(近隣に位置する)2ヶ所の部位から収集されました(図3a)。骨の成熟次を示す2点の媒介変数である、骨単位群密度(Osteon Population Density、略してOPD)とハバース管指標(Haversian Canal Index、略してHCI)では、SOA-MM9は現生人類の亜成体の上腕骨(OPDは0.0~8.9、HCIは0.0~0.63)のいずれよりも明らかに大きな値(OPDは16.5、HCIは0.85)を示す、と分かりました(図3b)。以下は本論文の図3です。
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 マタ・メンゲ遺跡の上腕骨の値は本論文の現生人類の成人標本の平均値(OPDは13.6、HCIは0.78)よりも大きく、SOA-MM9個体は死亡時に充分成人期だった、と示唆されます。SOA-MM9の外側皮質表面は半分の辺縁骨単位の一つ(100μ未満)を減少させたかもしれない微細な損傷を示しますが、そうした堆積後の変化は本論文の年齢推定に限定的な影響しか及ぼしません。表面の摩耗が200μと仮定してさえ、SOA-MM9のOPD値は約15.8へとわずかに低下するだけです。さらに、外側皮質の第二次骨単位の優勢から、成長期における骨膜下の骨の成長はこの個体ではすでに終了していた、と示唆されます。

 SOA-MM9では、病理学的証拠は見つかりませんでした。皮質骨の薄化と線維性骨(woven bone)は特徴的な一部の代謝性障害ですが、これらの特徴はSOA-MM9では明らかではありません。SOA-MM9の相対的な皮質骨の厚さ(0.07、上腕骨幹周径に対する皮質骨の厚さの比率)は、現生人類の成人標本(0.069)とほほ同一です。低身長まつながるかもしれない骨形成不全症の患者は正常以下のOPD値を示し、これはSOA-MM9の状態とは反する傾向です。さらに、SOA-MM9の側部顆上隆起の弱いものの明確な発達(図3d)は、長橈側手根伸筋の正常な発達を示唆しています。


●上腕骨の大きさ

 骨幹の直径/周径と長さの利用可能なすべての寸法において、SOA-MM9はLB1(ホモ・フロレシエンシスの模式標本)および小さな身体の化石人類(アウストラロピテクス属とホモ・ナレディ)の他の成人個体より小さい、と示されます。その最小周径(46mm)は、ホモ・ナレディ標本U.W. 101-283(47.5mm)やアウストラロピテクス・ガルヒ(Australopithecus garhi)標本BOU-12/1(52mm)より小さく、本論文の先史時代の現生人類標本(46.5mm、2060点)では最小でした。約19%の水準の断面における重心の大きさも、アウストラロピテクス属やパラントロプス属やホモ属(ホモ・ナレディとリアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスが含まれます)の標本抽出された成体標本と比較して最小でした(図4)。SOA-MM9の栄養孔(nutrient foramen、略してNF)とhOF(superior margin of the hollow leading to the olecranon fossa、肘頭窩につながる穴の上端)点の遠位骨幹長(58mm)は、LB1を含めて他の人類化石より明らかに短いものの、NFの垂直位置はヒトの上腕骨の変異内です。以下は本論文の図4です。
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 SOA-MM9の断片的な性質はその元々の長さの再構築を妨げますが、以下のように推定できます。第一に、SOA-MM9の保存された近位後端は50%の水準にひじょうに近く、それはこの割合が人類の上腕骨の骨幹中央部の一連の以下のような特徴的な性質を示すからです。(1)放射状の溝(螺旋状の溝)が、CT(computed tomography、計算断層写真術)の分層番号1900および2000(図5の「RS」)では平坦な領域として見られるように、側面には存在しないものの後外側面には存在します。(2)側面図では、前縁は番号1900周辺でわずかな凹みを示し(図5の「AM」、左側に描かれた表面)、保存されている近位後端の約13mm下のこの部分が、近位で三角筋結節につながります。三角筋結節の遠位端は本論文の現生人類標本(366点、43~53%)の平均では48.4%の水準、LB1では51%の水準、アフリカのホモ・エレクトス標本KNM-WT 15000では48%の水準で前方側面に位置します。(3)NFはSOA-MM9の保存された近位後方端から21mm遠位に存在します。50%水準の骨幹およびNFのよりより低い縁に沿った投影距離は、LB1では23mm、KNM-WT 15000では1mm、アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)標本のMH2では15mm、本論文の現生人類標本(366点)の平均では21.2mmです。上述の3点の特徴はかなりの差異を示しますが、保存された近位骨幹での同時の発現から、SOA-MM9の近位および遠位端は元々の50%水準にひじょうに近かった、と強く示唆されます。この位置は、SOA-MM9により示される他の骨幹形態と一致します。以下は本論文の図5です。
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 次に、SOA-MM9のCT区画番号250は、hOF点で撮影されており、最大長の12.5~14%(もしくはより広く11.5~15%)の水準な相当します(後述)。より短い現生人類の上腕が相対的に大きな遠位骨端を有する傾向にある、観察された相対成長的関係のため、上記の図を参考するために以下の2点の標本が参照されます。一方は日本の種子島の低身長の先史時代完新世人口集団(13個体、最大上腕骨長は245~292mm)で、もう一方は日本の先史時代の縄文時代人口集団(10個体、最大上腕骨長は240~250mm)の短い上腕骨の部分集合です。これらの標本におけるhOF水準の平均はそれぞれ12.5%と14%で、その範囲はそれぞれ11.5~13.5%と13~15%です。短い人類化石の上腕骨における同等の値は、LB1とA.L. 288-1両方の13%です。

 SOA-MM9の上腕幹骨の保存状態の上述の評価(近位50%水準で12.5~14%もしくは11.5~15%)に基づくと、SOA-MM9の元々の最大上腕骨長はそれぞれ、211~220mmもしくは206~226mmと推定されます。あるいは、本論文の現生人類の男女の標本におけるNF-hOF長と最大上腕骨長との間の平均比(0.29~0.30)を適用するならば、SOA-MM9の推定最大長は194~200mmですが、2点の測定値間の相関が弱いことを考えると、これはさほど信頼できない、と推測されます。


●上腕骨形態の比較

 SOA-MM9には、顕著な突縁的な側面顆上隆起や突出した中央顆上冠や矢状面における顕著な湾曲など、アウストラロピテクス属の遠位上腕骨の特徴的な性質が欠けていますが、これらの形質の発現はアウストラロピテクス属の比較的華奢な標本では弱い傾向にあります。断面形態(遠位骨幹19%水準)に関して、比較集団では珍しい中央側面の狭い特性を有する点で、SOA-MM9は小柄なホモ属(ホモ・ナレディとホモ・フロレシエンシス)と類似しています(図6)。しかし、それはA.L. 288-1など小柄なアウストラロピテクス属個体群とは異なっており、A.L. 288-1の上腕骨はSOA-MM9の推定値よりわずかに長いだけです。プロクラステス距離は、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)結果により要約される断面形態の差異を裏づけます。集団平均の形態もしくはホモ・ナレディおよびホモ・フロレシエンシスの個々の標本に対するSOA-MM9の距離は、本論文の現生人類標本により表される種内変異の程度を超過していない一方で、他の化石分類群に対しての同じ距離はずっと長くなっています。以下は本論文の図6です。
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●上顎乳歯犬歯(SOA-MM10)

 この右側の歯は、完全な歯冠と歯根の壊れており短い断片を保存しています(図1j)。この歯冠はひじょうに小さく、以前に報告されたマタ・メンゲ遺跡の上顎乳歯犬歯(dᶜ)と同様に、現生人類の報告された範囲のずっと下に位置します(図7b)。この標本はアウストラロピテクス属やジャワ島のサンギラン(Sangiran)遺跡のホモ・エレクトス同族体と類似する祖先的で比較的低い遠心点角を有していますが、4もしくは5点の線形測定に基づくPCAでは、この形態が現生人類で見られる大きな差異内にわずかに収まる、と示唆されます。咬合摩耗は咬頭で小さな象牙質断片を、細長い遠位切端で象牙質の薄い線を露出させます。後者は、サンギラン遺跡のジャワ島の初期ホモ・エレクトスの乳歯第一大臼歯(dm₁)で知られているように、塞いでいるdm₁における祖先的で高い近心咬頭形状の存在を示唆します。以下は本論文の図7です。
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●下顎第三大臼歯(SOA-MM11)

 保存された左側の歯冠には、縮小した遠位咬頭領域と、遠位突出の遠心咬頭があり、遠位隣接面は存在しません(図1k)。摩耗は咬合面のほとんどを平にしていますが、例外は比較的高いままの下顎大臼歯近心舌側咬頭です。歯冠直径はより小さいリアン・ブア洞窟の個体(LB6/1)と同等で、本論文の世界規模の現生人類標本により示される大きな差異内にわずかに収まります(図7c)。SOA-MM11には「+」パターンで並んだ5点の主咬頭を有しており、派生的で4点の咬頭形態を示す、リアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスの下顎第三大臼歯(LB1、LB6/1)とは異なります(Jacob et al., 2006)。正規化楕円フーリエ解析により説明される咬合冠輪郭から、これがサンギラン遺跡のホモ・エレクトスとしっかりクラスタ化し(まとまり)、ホモ・エルガスター(Homo ergaster)とはわずかにクラスタ化し、近遠心的に短い歯冠を有する、と示されます。それは広義のホモ・ハビリスにより示される差異の範囲外にあり、広義のホモ・ハビリスはおもに、近遠心的に細長く遠位で先細になる歯冠により特徴づけられ(図7d、図8)、より発達した遠心咬頭と副咬頭の傾向を有しています。以下は本論文の図8です。
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●リアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスとの大きさの比較

 下顎体と犬歯後方歯(上顎第三小臼歯、M₁/₂、M₃)と遠位上腕骨の利用可能な測定において、本論文でもしくは以前に(van den Bergh et al., 2016)報告されたマタ・メンゲ遺跡の化石群は、リアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシス遺骸(LB1とLB6/1)より1~21%小さい、と示されます(表2)。SOA-MM9(211~220mm)とLB1(243mm)の上腕骨長に基づくと、それぞれの身長は、ヒトのピグミーモデルを用いる場合にはそれぞれ103~108cmと121cm、類人猿モデル(Kaifu et al., 2015)を用いる場合にはそれぞれ93~96cmと102cmです。


●考察

 マタ・メンゲ遺跡からはこれまで、全10点の人類遺骸が第2層上部内の狭い区画(約7m×20m)で発掘されました(図2)。以前に、マタ・メンゲ遺跡の収集物の1点の下顎断片(SOA-MM4)と6点の遊離した歯(SOA-MM1・2・5・6・7・8)は、少なくとも成人1個体と子供2個体を表している(van den Bergh et al., 2016)、と報告されました(表1)。新たな右側dᶜ(SOA-MM10)の近心切歯縁の限定的な摩耗は、以前に報告された右側dc(SOA-MM8)の遠位切歯縁の広範な摩耗と一致しませんが、その摩耗の程度はSOA-MM10とSOA-MM7(左側dc)が同じ子供に由来する可能性を除外しません。SOA-M7は篩から回収されましたが、SOA-MM8とSOA-MM10は互いに水平距離6m以内で見つかりました。新たに永久歯大臼歯(SOA-MM11)は中程度に摩耗した左側で、SOA-MM1とは明らかに異なる個体であり、わずかに摩耗した左側M₁(もしくはM₂)は思春期(もしくはこれがMならば若い成人)に属します。したがって、現在のマタ・メンゲ遺跡の人類化石群には、成人1個体と思春期/若い成人1個体と子供2個体という、少なくとも4個体が含まれます(表1)。

 4個体(もしくはそれ以上)がきょくたんに小柄であるとの観察は、身体の大きさが(個体に)特有の性質ではなく、フローレス島の中期更新世初期人類の集団的特徴だった、という主張を裏づけます。現生人類の大きな差異範囲外にほぼ位置している少なくとも2個体の顕著に小さい乳歯も、マタ・メンゲ遺跡の人類が誕生時に小さい歯だったことを示唆しています。さらに、本論文で報告された顕著に小さな成人の上腕骨(SOA-MM9)から、この特徴は歯顎要素に限定されているのではなく、上腕の大きさにも及ぶ、と論証されます。この点で、マタ・メンゲ遺跡の成人/思春期の2個体もしくはそれ以上がリアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスの成人2個体より一貫して小さい(表1)、と強調する価値があります。これが強く示唆するのは、フローレス島の人類は70万年前頃までにすでに、後期更新世のホモ・フロレシエンシスと同じくらい小さかったか、あるいは恐らくわずかに小さかった、ということです。

 以前に回収された歯顎標本に基づいて、マタ・メンゲ遺跡の化石群はホモ・フロレシエンシスに合理的に分類できる、と示唆されました(van den Bergh et al., 2016)。今や、この分類群に属する新たな腕の骨と追加の歯の遺骸がリアン・ブア洞窟の遺骸群と強い類似性を示すので、これら中期更新世初期人類をホモ・フロレシエンシスに確信的に分類できます。大きく分離した年代順の2形態間の注目すべきわずかな違いには、より古いマタ・メンゲ遺跡の人類における大臼歯形態の特殊化の欠如(後述)と、おそらくはより小さな身体および歯の大きさが含まれます。

 この研究は、ホモ・フロレシエンシスの起源と進化に関する議論にも寄与します。今ではホモ・フロレシエンシスに分類されるマタ・メンゲ遺跡の人類は下顎体の形態とM₁(もしくはM₂)の形状において、アウストラロピテクス属や広義のホモ・ハビリスとよりもジャワ島の初期ホモ・エレクトスの方と類似していた、と以前に報告されており、これは、ホモ・フロレシエンシスとホモ・ハビリスなどホモ・エレクトス以前の人類との直接的な進化的つながりを想定する仮説(Argue et al., 2017、Dembo et al., 2016)と反する調査結果です。この研究では、マタ・メンゲ遺跡の化石群とジャワ島の初期ホモ・エレクトスとの間の形態類似性はM₃にも適用され、マタ・メンゲ遺跡の大臼歯にはリアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシス同族体で見られる独特な特殊化、つまり4点の咬頭や近遠心的に短くやや歪んだ大臼歯の歯冠(van den Bergh et al., 2016、Kaifu et al., 2015)が欠けている、と示唆されます。したがって、マタ・メンゲ遺跡における古代型ホモ・フロレシエンシスはおそらく、独特な大臼歯の特殊化の前段階におけるジャワ島の初期ホモ・エレクトスの小型化系統を表しています。

 あるいは、仮に広義のホモ・ハビリスがマタ・メンゲ遺跡およびリアン・ブア洞窟のホモ・フロレシエンシスの祖先だったならば、ホモ・フロレシエンシスは近遠心および頬舌側の歯冠直系が(ホモ・ハビリスの平均から)60~65%の縮小を経ねばならず、これはジャワ島の初期ホモ・エレクトスの状態に匹敵する形態変化を伴っていました。ホモ・ハビリス内の大臼歯と歯冠の大きさ間でそうした相対成長的関係が明らかではないので、ホモ・フロレシエンシスが広義のホモ・ハビリスの直接的な系統の子孫である、という仮説は支持されません。対照的に、大臼歯の大きさはサンギラン遺跡の下部~上部にかけての歯の遺骸群で縮小しており、顕著な形態の変化はなく(図7d)、そうした局所的進化が起き得る、と確証されます。さらに、SOA-MM9の上腕骨幹の形態はホモ・エレクトスもしくはホモ・ハビリスのいずれかとの類似性を示唆しませんが、その断面形態はホモ属の小柄な分類群(ホモ・フロレシエンシスとホモ・ナレディ)とほぼ同様で、小柄なアウストラロピテクス属の個体群とは異なっています。

 ジャワ島における初期ホモ・エレクトスの最近改訂された(Matsu'ura et al., 2020)到来年代(110万年前頃か、新しくても150万~130万年前頃)、およびフローレス島における人類の存在(127万~100万年前頃)や、ほぼ意義なくホモ・エレクトス(とくにジャワ島の初期ホモ・エレクトス)とホモ・フロレシエンシスの強い類似性を裏づける報告された頭蓋計測および歯の計測分析を組み合わせると(Kaifu et al., 2015、Kaifu et al., 2011、Baab et al., 2013)、以下のような進化モデルが浮かび上がります。

 最古のフローレス島人類はこのワラセアの島【フローレス島】に127万~100万年前頃におそらくは意図せず(つまり、津波による木などの残骸での偶発的な「渡海」を通じて)、多分初期ホモ・エレクトスによるスンダ棚地域の最初の定着の一部として、出現しました。フローレス島の人類は、最古級(140万年前頃)以降の古生物学的記録から示される、体長3mになるコモドオオトカゲやクロコダイルなど大型捕食者の存在にも関わらず、この事象後すぐに(30万年以内)かなりの身体の大きさのかなりの縮小を経ました。これは、巨大爬虫類が初期ホモ・フロレシエンシスもしくはその祖先にとって、深刻な捕食脅威ではなかったことを示唆しています。この初期の進化事象に続いて、人類の身体の大きさは長期にわたって安定し、たとえば石器技術(Brumm et al., 2010)などおそらくは文化的適応でも長期間安定し、破裂のわずかな形態学的特殊化がありました。

 6万年前頃のLB1について報告されている小さな脳の大きさ(Kubo et al., 2013)がどのように進化したのかは、依然として分かりません。しかし、現時点では、利用可能な化石データから、小さな身体の大きさは、中期更新世およびそれをわずかに超えた期間、およびじっさいに現生人類がもしかすると5万年前頃にフローレス島に到来するまでに、これら島嶼部の人類にとって機能的適応で、現生人類のフローレス島への到来という事象が、ホモ・フロレシエンシスの消滅を促進したのではないか、と本論文は考えています(Sutikna et al., 2016)。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化:ホミニンの小さな体の初期の進化

 インドネシアのフローレス島、マタ・メンゲ遺跡で新たに見つかった約70万年前のホミニン(hominin;ヒト族)の歯と前腕の化石は、初期のホミニンが、以前考えられていたよりもさらに小柄な体型を持っていたことを示唆する論文が、Nature Communicationsに掲載される。この発見は、東南アジアのホミニンの小柄な体格の進化に光を当てるものである。

 インドネシアのフローレス島には、約6万年前に生息していた身長約1メートルの非常に小さなホミニン(Homo floresiensis)、通称「ホビット」が生息していた。この地域の他の動物も、小さな体のゾウの仲間や巨大なラットの仲間など、異常な体の大きさを示すことが知られていたが、東南アジアのホミニンの動物がどのようにしてこれほど小さく進化したのかについては、まだ多くの議論がある。マタ・メンゲから発見されたこれまでのホミニンの化石には、顎の骨と歯が含まれていたが、頭部の骨から体の大きさを正確に推定することは困難であった。

 海部 陽介らは、マタ・メンゲから約70万年前の歯と上腕骨の一部を含む新しい化石を発表した。著者らは、この化石を分析し、上腕骨がこれまで報告された成体個体の中で最も小さい可能性があること、および60万年以上後にこの地域に生息していたホモ・フローレシエンシス(Homo floresiensis)の標本よりも身長が約6センチメートル低かったと推定されることを発見した。著者らは、小柄な体格は、100万年から70万年前に進化した可能性が高いと推定しており、小柄なホミニンはホモ・エレクトス(Homo erectus)から進化したことを示唆している。



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