新石器時代スカンジナビア半島の社会構造とペスト感染
新石器時代スカンジナビア半島の社会構造とペスト感染に関する研究(Seersholm et al., 2024)が公表されました。本論文は、新石器時代スカンジナビア半島の108個体のゲノムデータを報告するとともに、この集団は約120年間に少なくとも3回、異なるペスト感染を経た、と示しました。こうした繰り返しのペスト感染が、ヨーロッパ新石器時代の衰退につながった可能性があります。また本論文は、新石器時代スカンジナビア半島における大規模な家系図の再構築も示しており、最大の家系は6世代にわたる38個体から構成され、父系的社会が示唆されています。こうした大規模な古代ゲノム研究はヨーロッパでとくに進んでいますが(関連記事)、日本人の一人としては、日本列島も含めてユーラシア東部で同様の研究が進むよう、期待しています。
●要約
較正年代で5300~4900年前頃、ヨーロッパの大半の人口集団は人口減少期間を経ました。しかし、このいわゆる新石器時代の衰退の原因は、まだ議論されています。農耕の紀元前千年紀が衰退をもたらした、との主張も、ペストの初期型の拡大が原因との主張(関連記事)もあります。本論文は、人口集団規模の古代ゲノミクスを用いて、8基の巨石墓および1基の石棺から発見された、スカンジナビア半島新石器時代の108個体における、祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)と社会構造と病原体感染を推測しました。
その結果、新石器時代のペストは蔓延しており、標本抽出された人口の少なくとも17%でおよび広大な地理的距離にわたった検出された、と分かりました。本論文では、この感染症が約120年間の内に3回の異なる感染事象で新石器時代共同体内に広がった、と論証されます。多様体の図に基づく汎ゲノミクスから、新石器時代のペスト菌(Yersinia pestis)のゲノムは、疾患転帰(disease outcome)と関連する病原因子を含めて、仮性結核菌(Yersinia pseudotuberculosis)に存在する祖先が他のゲノム変異を保持していた、と示されます。
さらに、父系的な社会組織を示す、最大で6世代にまたがる38個体から構成される、複数世代の家系図が再構築されます。最後に、兄弟とは異なる巨石墓に埋葬された女性1個体で、新石器時代の女性族外婚について直接的なゲノム証拠が提示されます。まとめると、本論文の調査結果は、大規模な父系親族集団内でのペスト蔓延の詳細な再構築を提供し、新石器時代衰退の始まりの頃の1人口集団における複数回のペスト感染を特定します。
●研究史
新石器時代における農耕民の出現は、現生人類(Homo sapiens)の歴史における最も顕著な生活様式の変化の一つをもたらしました。狩猟と漁撈と採集から農耕への生計戦略の移行は、人口密度の顕著な増加およびより大きくてより永続的な集落確立への道を開きました。しかし、新石器時代の繁栄した経済は、ヨーロッパ北部では較正年代で5300~4900年前頃に突然終了し、この期間に放射性炭素年代測定されたヒト遺骸の顕著な減少は人口減少を示唆します。新石器時代の衰退と呼ばれるこの人口減少は、ヨーロッパ北部地域における巨石建築の停止と一致しており、ヨーロッパへの縄目文土器複合体(Corded Ware complex、略してCWC)の拡大(4800~4400年前頃)を促進した一因と示唆されてきました(関連記事)。いくつかの仮定的状況が提唱されてきましたが、これまでこの衰退と関連づけられてきた単一の推進要因はなく、この謎は依然として文献で激しく議論されています。それにも関わらず、ペスト菌の祖先型が当時スウェーデンに存在した、と示した最近の調査結果(関連記事)は、この議論を解決できるかもしれません。
ペストの感染病原体であるペスト菌は、その最新共通祖先である仮性結核菌から過去5万年間のある時点で分岐し、先史時代以来ヒトに感染してきました。先史時代のペストのゲノムの大半は、4700~2400年前頃となる後期旧石器時代~青銅器時代(Late Neolithic and Bronze Age、略してLNBA)の個体群に由来します。これらのゲノムは、ymt遺伝子の有無(それぞれ、LNBA+とLNBA−)により区別できる異なる2系統内に収まります。ymt遺伝子は、感染源がマウスかクマネズミかヒトの場合、ノミの消化管での真正細菌の生存、したがって腺ペストの発症に不可欠です。
最近まで、全ての既知の先史時代のペスト株はこれらLNBAの2クレード(単系統群)内に収まっていましたが、先行研究(関連記事)で刊行された調査結果は、それ以前のペスト菌系統(先LNBA)の存在を論証します。これら2系統の祖先型ペスト菌のゲノムは、5035~4856年前頃新石器時代農耕民(つまり、アナトリア半島起源)祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有するスウェーデンの1個体(関連記事)と、狩猟採集民祖先系統を有する5300~5050年前頃のラトビアの1個体で特定されていました。これらのゲノムの年代はごく近く、利用可能なすべての他のペストのゲノムにとって祖先型ですが、二つの研究は異なる結論に達し、一方(関連記事)では、その調査結果は新石器時代の衰退におけるペストの役割を裏づける、と主張されたのに対して、もう一方では、これら初期のペスト型はおそらく散発的な人獣共通感染症の結果である、と結論づけられました。
スカンジナビア半島では、新石器時代の衰退は漏斗状ビーカー(鐘形杯)文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRBもしくはFBC)複合体の消滅および巨石建築の第一波の終焉と一致します。巨石建築のスカンジナビア半島の景観における遍在にも関わらず、巨石と関連する人々の葬儀慣行および社会的背景に関して、依然として論争が存在します。たとえば、これらの墓は親族関係もしくは家族集団により使用された、と長く想定されてきましたが(関連記事)、現時点でこの仮説を実証するデータはほとんど存在しません。骨学的分析はさまざまな割合での両性や、さまざまな死亡時年齢の個体群の存在も示し、これは生活していた人口集団の無作為の選択と一致します。対照的に、世代ごとに埋葬された個体数は少なく、人口集団の限られた人々のみがこれらの墓に埋葬された、と示唆されます。完全な遺骸が直接的に運ばれ、おそらくその後で再配置され乱されたのかどうか、それとも、玄室の配置はさまざまな場所での経時的に行なわれた一連のより長い葬儀における最終段階だったのかどうかも、魏路なされています。さらに、どの要因が埋葬場所を決定したのか、あるいは墓のさまざまに部分が一般的にどのように使われたのか、分かっていません。
スカンジナビア半島の中期新石器時代における社会構造とペスト感染頻度を解明するため、9ヶ所の複数個体の埋葬構造から古代人のDNAが分析され、それは、ファルビグデン(Falbygden)地域およびスウェーデン西部内陸部のランドボガーデン(Landbogården)とフレールセガーデン(Frälsegården)とネステガーデン(Nästegården)とフィルセ・シュテン(Firse sten)とホルマ(Holma)とジェルマーズ・レー(Hjelmars Rör)とレッスベルガ(Rössberga)の7か所の巨石墓、スウェーデン西部沿岸のフネッボシュトラント(Hunnebostrand)の1ヶ所の巨石墓と、デンマークのエスビャウ(Avlebjerg)の石棺1基です。先行研究(関連記事)のペストの事例が孤立した事象だったのかどうか、あるいは、さまざまな遺跡やスウェーデンのさまざまな地域の新石器時代においてより多くの個体のペストの証拠があったのかどうか、調査が試みられました。さらに、病気の伝染の可能性をより深く理解するため、スウェーデンの最も詳しく報告されている数ヶ所の巨石における親族関係と社会的関係の調査が目的とされました。
●DNA配列決定と人口構造
新石器時代のペストの疾患頻度と地理的分布を調べるため、スカンジナビア半島全域の古代人骨格遺骸から174点の標本が配列決定されました。同じ個体に由来する標本から得られたデータを統合し、低網羅率(0.01倍未満)のヒトデータを除外した後で、9ヶ所の遺跡の108個体を表す最終的なデータセットが生成されました(図1)。データセットにおけるわずかな男性への性別の偏り(58%が男性)が見つかり(図1)、これは性別の偏りが観察されなかった、レッスベルガの羨道墓を除いて、すべての遺跡で反映されていました。以下は本論文の図1です。
本論文のデータにおけるより広範な人口集団の遺伝的構造を調べるため、本論文のデータセットが古代人1430個体のショットガン配列決定ゲノムと統合され、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)を用いて遺伝的類似性が視覚化されました(図2c)。その結果、分析された個体(96個体)の大半はヨーロッパ新石器時代人口集団およびアナトリア半島農耕民の広いクラスタ(まとまり)内に収まる、と分かりました。この調査結果は、この集団の年代を5200~4900年前頃と推定した本論文の放射性炭素年代測定結果と一致し、これらの個体群はスカンジナビア半島南部のTRB文化およびスカンジナビア半島中期新石器時代(Middle Neolithic、略してMN)混合集団(農耕民と狩猟採集民)と関連づけます(図2a)。
さらに、草原地帯関連祖先系統を有する個体群の異なりわずかに新しい2集団の証拠も見つかりました。第1集団(草原地帯1、計2個体)の年代は4400年前頃で(スカンジナビア_MN_B)、第2集団(草原地帯2、計8個体)の年代は後期青銅器時代(Late Bronze Age、略してLBA)にまで至る4100~3000年前頃です(スカンジナビア_LN-LBA)。この区別はY染色体ハプログループ(YHg)の結果によっても裏づけられ、農耕民祖先系統の男性全員のYHgがI2なのに対して、草原地帯祖先系統の2集団のYHgはそれぞれR1とI1によってのみ表されている、と示唆されています。一般的に、各遺跡は類似した祖先系統の人々により表されている、と分かりましたが、1ヶ所の遺跡(フレールセガーデン)では、時間的および遺伝的に異なる3人口集団による埋葬玄室の継続的使用の証拠が見つかりました。以下は本論文の図2です。
最後に、2個体のゲノムにはかなりの割合の狩猟採集民祖先系統が含まれている、と分かり、TRB集団とスカンジナビア半島狩猟採集民との間の最近の混合が示唆されます。フレールセガーデン遺跡の女性1個体(FRA108)は、同じ割合の狩猟採集民祖先系統と新石器時代農耕民祖先系統を有しているようで、FRA108はこれら社会経済的に異なる2集団の交雑第1世代である可能性が最も高い、と分かりました。同様にレッスベルガ遺跡の他の女性1個体(ROS027)についても、約34%の狩猟採集民祖先系統と約66%の新石器時代農耕民祖先系統が見つかり、ROS027が農耕民と狩猟採集民の混合事象から2もしくは3世代後に生きていたかもしれない、と示唆されます。中石器時代祖先系統を有する狩猟採集民の北方集団は除外できませんが、これら混合2個体の狩猟採集民DNAの最も可能性が高い供給源は5400~4300年前頃となる円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、略してPWC)で、PWCはスウェーデンでは時空間両方でTRB文化と重複しています。両女性個体(FRA108とROS027)の年代がTRB期末であることは注目に値し、おそらくはTRB人口集団内の人口統計学的危機および/もしくは社会的・文化的境界の弛緩を反映しています。
●独特な新石器時代IBDクラスタ
TRB個体間の微細規模構造を解明するため、参照データとクラスタ化した個体群全体で共有される同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)が、関連するIBD集団への密接な類似性と比較されました。その結果、ヨーロッパ北部新石器時代農耕民のIBDクラスタ化はおもに、ファルビグデン遺跡内の密接な家族関係により起きている、と分かりました。したがって、ファルビグデン個体群の4区分のIBDクラスタ(それぞれ、17個体と13個体と8個体と4個体)と、伝染およびスウェーデンの全ての他の新石器時代個体の1クラスタ(32個体)が特定されました(図2b)。予測されたように、本論文の標本のほとんどがファルビグデン遺跡の4集団へとクラスタかされたのに対して、デンマーク(エスビャウ遺跡)の本論文の標本は、デンマークとスウェーデンの無関係な集団内に収まりました(図2b)。
興味深いことに、ファルビグデンのTRBの3個体はデンマーク/スウェーデンIBD集団とクラスタ化し、これらの個体がファルビグデン地域外に由来する、と示唆されます。これは、そのうち1個体(成人男性であるFRA106)のストロンチウム(Sr)同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)データ(0.717011)により裏づけられ、これらの個体がファルビグデンのキャンブロ・シルリアン(Cambro-Silurian)岩盤外で育ったことを示唆します。さらに、スウェーデン西部沿岸のフネッボシュトラント遺跡の配列決定された2個体のゲノムについて、1個体(成人男性であるHUN002)のゲノムがファルビグデン集団とクラスタ化したのに対して、もう一方の1個体(70歳くらいの女性であるHUN001)はデンマーク/スウェーデン集団とクラスタ化する、と分かり、これら2個体の異なる起源が示唆されます。この2個体【HUN001とHUN002】のストロンチウム同位体は、異なる子供期の居住地を示唆します。この両個体【HUN001とHUN002】はファルビグデンで子供期を過ごしたことと一致しクスが、デンマーク外のスカンジナビア半島の他の場所が起源だった可能性もあります。
IBDの共有結果も、上述の本論文のデータセットにおける異なる草原地帯関連の2集団の存在を示唆します。初期集団(YHg-R1a1a、4400年前頃)はCWC祖先系統のヨーロッパにまたがる個体群の大きな1集団とクラスタ化し、それにはスウェーデンの戦斧文化(Battle Axe Culture、略してBAC)背景の個体群が含まれます。一方で、後期集団(YHg-I1、4100~3000年前頃)はデンマーク東部とスウェーデンとノルウェーの同時代の個体群とのみクラスタ化し、先行研究(関連記事)の結果を反映しています。DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)を用いて、これら2集団における「草原地帯」と「農耕民」のDNAの混合を年代測定出来ました(関連記事)。両集団について、混合は4750年前頃に起きた可能性が最も高い、と分かりました。草原地帯関連集団がまず4800年前頃にヨーロッパ東部に出現した、と示す最近の結果(関連記事)と一致して、この調査結果から、混合はスウェーデンにおけるCWCの到来前に単一の波動で起きた、と示唆されます。
●4家系の社会的構造
データセットにおける密接な家族関係が調べられ、1親等か2親等か3親等のいずれかの親族として、個体の組み合わせが分類されました。これらのデータを用いて、大きな1家系とより小さな3家系がフレールセガーデンとジェルマーズ・レーとランドボガーデンとレッスベルガの遺跡から再構築できました(図3)。1家系に位置づけることができた個体の大半はフレールセガーデンの羨道墓で発掘され、これは最も密に標本抽出された遺跡でもあり、この遺跡に埋葬された推定合計78個体のうち54個体がゲノム配列決定されました。フレールセガーデンの家系には、6世代にまたがる合計61個体(標本抽出された38個体と推定された23個体)が含まれています。この家系は二つの下位系統/下部家系から構成されています(それぞれ図3の左側と右側)。左側の下部家系には標本抽出されていない始祖が含まれているのに対して、右側の下部家系では、1人の男性始祖が3人の息子を通じて全ての男性系統の祖先である、と分かりました。以下は本論文の図3です。
この家系は父系の性質が強く、単一の女性個体(FRA023)を除いて、子供のいる全女性個体は系統外に由来するようです。じっさい、女性族外婚の直接的証拠が見つかった1事例では、3人のキョウダイ、つまり兄弟2人(HJE003、HJE012)とその姉妹(FRA028)が特定され、兄弟はジェルマーズ・レー遺跡に埋葬された(図3の破線囲いにて濃い藤色で強調されています)のに対して、その姉妹は8km離れたフレールセガーデン遺跡に埋葬されました。フレールセガーデン遺跡では、この女性個体FRA028は、7人の孫のいる大家族を築き、FRA028がその生涯において家族から離れ、新たな集落で自身の家族を始めた、と示唆されます。ストロンチウム同位体比に基づくと、男女間で有意な違いは観察されず、ファルビグデン地域内のそうした短い移転は一般的だった、と示唆されます。
さらに、新石器時代には近親交配は稀ではあるものの、起きていた、と以前に示唆されました(関連記事)。兄弟2人(FRA025とFRA026)でそうした近親交配の直接的証拠が確認され、この兄弟は3親等の親族間(図3では二重の黒線により示されています)の子供でした【本文ではFRA009とFRA010が近親同士の両親の息子たちとされていますが、FRA010は女性ですし、両親が二重の黒線で結ばれているのはFRA025とFRA026の兄弟なので、両親が近親関係にある兄弟とはFRA025とFRA026を指していると思われます】。両親の近親関係は、集団の他の個体と比較しての、その子供における同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の有意な水準上昇により確証できます。
この親族集団の個体群と親族関係にあったものの、家系では確実に位置づけることができない、他の数個体が特定されました。さらに、フレールセガーデン遺跡から標本抽出された全個体のうち、8個体のみがこの遺跡のどの個体とも親族関係になく、そのうち6個体は女性である、と分かりました。この調査結果は、フレールセガーデン遺跡における父系社会構造を確証し、これらフレールセガーデン遺跡内の個体と親族関係を有さない女性6個体が家族と結婚したものの、フレールセガーデン遺跡内の墓内に埋葬された子供は儲けなかった、と示唆します。これらの女性は死亡前に子供を儲けなかったかもしれませんが、全ての子供が女性で、フレールセガーデン遺跡から離れ、他の墓に埋葬された、という可能性の方がおそらくより高いでしょう。さらに、親族関係にない個体のうち3個体は、集団の他の個体とわずかに異なる祖先系統も有しているようで、親族関係にない男性2個体(FRA104とFRA106)が上述のスウェーデン/デンマークIBD集団とクラスタ化した(まとまった)のに対して、女性1個体(FRA108)は狩猟採集民と農耕民両方の祖先系統を有する個体の1人です。
フレールセガーデン遺跡における6世代の年代範囲は、1世代を平均25~30年と仮定すると、約150~180年間と推定できます。個体の多くが直接的に年代測定されたので、ベイズモデル化によって年代推定も行なわれました。この結果はひじょうに類似しており、フレールセガーデンおよびランドボガーデンの両遺跡における2系統の重複する年代測定があらづけられ、フレールセガーデン遺跡の左側の家系がより早く始まったかもしれません。
●埋葬位置と親族関係
フレールセガーデン遺跡の羨道墓内の各個体の埋葬位置に基づくと、親族関係と埋葬位置との間で明確なつながりが見つかりました。羨道墓の北部には、家系の第1世代と第2世代が埋葬されているようです。これらの個体はひじょうに特別な扱いを受けました。男性始祖(FRA021)の頭蓋は、その息子(FRA022)と義理の娘(FRA023)の側の石灰岩の石板の下に埋葬されていました。さらに、始祖とは未知の2親等の親族である1男性個体の(FRA020)の上顎断片も、玄室の北部に埋葬されていました。別の始祖とは2親等の親族関係の男性1個体(FRA011)は北端で発見され、遊離した下顎により表されます。この男性個体FRA011は、左側の親族系統の第1世代に属します。
墓の北半分の家系において誰とも親族関係にない、若い女性1個体(FRA102)も特定されました。この女性個体FRA102は多くの点で外れ値であり、その身体は特別な扱いを受けており、それは個体FRA102が部分的に関節でつながった骨の密集状態(発掘報告での個体C)として埋葬されたからです。さらに、個体FRA102の左側下顎第一大臼歯のストロンチウム同位体値(0.717345)から、FRA102はその生涯の初期をファルビグデン以外の地質で過ごした、と示唆されますが、FRA102の起源をより正確には特定できません。最後に、FRA102はペストの祖先型に感染していたようです(後述)。その後の世代の位置には明確な区別があり、それは、玄室において、右側の家系は北半分で、左側の家系は南半分で見つかるからです。さらに、遺伝学的に女性の個体群が玄室の中央部に集中しているのに対して、【遺伝学的な】男性はより均等に分布しています。
羨道墓の中央部では、埋葬位置と世代との間の相関は北部ほど明確ではありません。それにも関わらず、より古い世代は中央地帯の北部に埋葬されているのに対して、より新しい世代はより中央部に埋葬される、という一般的な傾向があります。さらに、第5世代の4兄弟(FRA032~FRA035)はその半兄弟(FRA030、両親のどちらか一方のみを共有するキョウダイ関係、この場合、FRA032~FRA035とFRA032は異母兄弟の関係)とともに埋葬されているのに対して、その半姉妹(FRA031、この場合、FRA032~FRA035とFRA032は異母キョウダイの関係)は墓の別の場所に埋葬されていた、と分かりました。これは、埋葬位置の決定において男性系統がより関連していることを示唆しています。北部とは対照的に、中央部には多くの完全もしくは部分的に関節のつながった骨格や関節の外れた骨があります。
全体的に、親族関係と埋葬位置から得られたデータを墓の時間依存的埋葬として解釈でき、それは玄室の北部(および恐らくは南部)で始まり、中央部へとゆっくり進みました。埋葬の扱いの違いは、さまざまな方法で見ることができます。第1および第2世代の個体群の頭骨は、特別な扱いのため選択され、おそらく中央部の埋葬から北部へと移動されたかもしれません。この場合、これらの個体の頭蓋後方(首から下)の遺骸は、玄室内で見つかるはずです。別の可能性は、これらの個体の選択された一部が、二次埋葬の計画の一部としてか、あるいは別の埋葬の基礎堆積物としてのどちらかによって、他の場所から持ち込まれたことです。密接な家族関係も認識され、ひじょうに近くに埋葬された2組の核家族が特定されました。したがって、生物学的親族関係と性別は社会的に認識されていたようで、ファルビグデン地域の新石器時代の人々を分類する重要な手段として用いられ、社会の死者の配置と扱いの決定要因でした。
●新石器時代のペストの3株
全ての配列決定されたデータは、既知のヒト病原体について慎重に調べられました。驚くべきことに、この検査から、全体的に最高頻度で見つかった病原体は、ペストを引き起こすペスト菌だった(標本抽出された108個体のうち18個体、17%)、と示されました。真正と考えられる5点の他の病原体が特定され、これらのうち2点は1個体以上で特定され、それは、エルシニア感染症(108個体のうち4個体、4%)の原因病原体であるエルシニア・エンテロコリチカ(Yersinia enterocolitica)と、シラミ媒介性回帰熱(louse-borne relapsing fever)の原因となるボレリア・レクレンティス(Borrelia recurrentis)で、ファルビグデン地域におけるコロモジラミの存在を示唆しています。興味深いことに、1個体(FRA013)では、ペスト菌とエルシニア・エンテロコリチカの同時感染が、それぞれ3.9倍と1.8倍の網羅率で特定されました。
ペスト陽性の18個体のうち、6個体が網羅率0.01倍未満の暫定的検出と分類されたのに対して、7個体はより低い網羅率(0.01~1.5倍)の部分ゲノム、5個体はより高い網羅率(1.5倍超)の部分的ゲノムと分類されました。より高い網羅率の5個体(11.5倍、10.5倍、6.4倍、4.5倍、1.8倍)は一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)呼び出しの実行と、以前に刊行された古代人および現代人のゲノムとともにペストの系統発生を再構築するのに充分なデータでした(図4)。以前の結果(関連記事)と一致して、すべての新たに配列決定されたゲノムはLNBAペスト株のクラスタの基底部に位置しました(図4)。
個体FRA013およびFRA005のペストのゲノムは、同じフレールセガーデン遺跡のゲクヘム(Gökhem)教区で発見された以前に刊行されている個体(Gökhem2)と同一だった、と分かりました。対照的に、FRA020のペストのゲノムは3ヶ所の部位で3点の同一のゲノムとは異なっており、これらは先LNBA株CおよびBと、それぞれ命名されました。驚くべきことに、個体FRA102のペストのゲノムはペスト株CおよびBとは、29~34ヶ所の部位で異なり、顕著に違っていました。このゲノムは較正年代で5300~5050年前頃のペスト株RV2039,を除いて、全ての既知のペストの多様性の基底部に位置します。このゲノムは先LNBA株Aと命名されました(図4)。以下は本論文の図4です。
暫定的なペストの検出(網羅率0.01倍未満)からは系統発生情報は抽出できませんが、より低い網羅率(0.01~1.5倍)のゲノムは、ペストの系統発生に位置づけるのに充分な網羅率です。予測されるように、これらの配置から、本論文で配列決定された全てのペストのゲノムはフレールセガーデン遺跡クラスタのより高網羅率のゲノムととともにクラスタ化する、と確証されます。一般的に、これらの配置ではペスト株のAとBとCの区別ができません。しかし、いくつかの例外があり、個体FRA106のペストのゲノムの比較的高い網羅率(1.1倍)からより正確な配置が得られ、このペスト株はCに属するかもしれない、と示唆されます。同様に、ペスト株AおよびRV2039のより祖先的なゲノムにおける独特なSNPの数がより多いことは、祖先型株と類似しているより低い網羅列のゲノムは系統発生により容易に位置づけられる、と意味しています。したがって、個体FRA021が株Aと類似したペスト形態を有しているのに対して、デンマークの1個体(AVL001)はペスト株Aの祖先型を有しているようである、と分かりました。
図3で示されている家系におけるペスト陽性個体の分布は、急速で致死的なペスト流行を容易には裏づけず、それはペストが第2世代と第6世代を除いて全世代で検出されているからです。しかし、さまざまなペスト株に関する情報を考慮すると、ペスト感染は年代と系統発生の両方で別々の2クラスタに階層化される、と明らかになります。ペストの最も祖先的な型(株A)は本論文の最古級の個体(FRA102)でも検出されており、個体FRA102は、家系の誰とも親族関係にはないにも関わらず、第1および第2世代の個体群とともに玄室の北部に埋葬されました。より低い網羅率のゲノムの配置に基づいて、右側の下部家系の始祖である個体FRA021における株Aと類似したペスト型も特定されました。この調査結果は、家系の第一世代における疾患の初期形態の拡大を示唆しています。ペストのこの型の死亡率は不明ですが、この家系からは明らかに、全体として両家系とFRA021の系統の両方が疾患を生き残った、と示されます。
ペスト感染の第2のクラスタは、第3~第5世代で起き、株BおよびCにより引き起こされました。株Cは左側の家族の第4世代で見つかり、この第4世代では全個体がペストに感染したようです。一方で株Bは、右側の家系の単一個体で見つかり、最も可能性が高いのは第3世代です。株Bと株Cとの間の遺伝的寄与理、およびこの家系全体の異なる分布を考えると、このBとCの2株は別々の感染事象を表しているかもしれず、一方(株B)は右側の下部家系、もう一方(株C)は左側の下部家系というわけです。しかし、このBとCの両株は図3では同時代のように見えるものの、時間的に異なっているかもしれず、それは、年代モデル化の誤差範囲はモデル化された年代においてかなりの差異があり得るからです。残念ながら、この仮説をさらに評価することはできず、それは、より低い網羅率のゲノムのほとんどでB株とC株を区別できないからです。
局所的な人口集団へのこの疾患の影響に関しては推測しかできませんが、急速で致死的な流行で予測される特徴のすべてが、左側の下部家系における株Cの拡大に存在することは注目され、それは、(1)ペスト陽性個体の頻度はひじょうに高く、(2)この疾患は最終2世代に限られており、(3)この下部家系の全てのより高網羅率のゲノムが同一であることです。まとめると、これらの観察から、株Cの発生は左側の下部家系の消滅につながったかもしれず、それは恐らく、株Cにおけるypm遺伝子座周辺の組換えに起因する病原性増加により引き起こされた、と示唆されます(後述)。
古代のペスト株における病原性と感染経路の直接的ひょうかは困難ですが、本論文で分析された感染個体数が多いことから、この疾患は人口集団内で拡大できた、と示唆されます。新石器時代のペストの病原性を示唆するかもしれない遺伝的差異を検出するため、まずは古典的なペスト菌毒性遺伝子の網羅率が分析されました。この手法を用いて、同じ毒性遺伝子、つまりYpfΦ(ペスト菌の出現時に感染した繊維状ファージ)溶原ファージとymtが、LNBA株と先LNBA株RV2039の両方と同様に、ファルビグデン地域のペスト株では存在しない、と分かりました。単一の参照ゲノムへの読み取りマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)に基づくそうした遺伝子含有量の分析は、古代のペスト菌株間のゲノム差異の全範囲を把握できません。とくに、参照ゲノムには存在しないものの、古代系統には存在するゲノム差異は、この手法を用いては検出できません。
この制約を克服するため、配列決定読み取りを、仮性結核菌複合体の82点の完全な集合、つまり56点ペスト菌と24点の仮性結核菌と1点のエルシニア・シミリス(Yersinia similis)を含む、パンゲノム(1個体の全遺伝情報であるゲノムだけではなく、分類群が有する全ての遺伝情報)差異図にマッピングすることにより、古代のペスト系統の遺伝子含有量の差異が調べられました。この3種における存在パターンに基づいて、差異図の分岐点を集団に分割すると、初期に分岐した古代ペスト系統(先LNBA−、フレールセガーデン、LNBA−)は、その後の株(LNBA+、1P、現代)には存在しない(図4b)一部もしくは全ての仮性結核菌/エルシニア・シミリス株に存在する、最大で5万塩基対の遺伝子含有量を持っている、と分かりました。
興味深いことに、その後のペスト株に存在しない差異を有すると特定されたゲノム領域には、仮性結核菌由来の分裂促進因子(ypm)を含む遺伝子染色体遺伝子座がありま、これは仮性結核菌の一部の株で見られる超抗原性毒素です。すべての初期に分岐したペスト株がypmの存在の証拠を示したのに対して、LNBA+型株RT5の後に分岐し、それを含む全ての系統では、全体的な遺伝子座が欠如しています。3ヶ所の既知の遺伝子座(ypmA、ypmB、ypmC)を区別するため、この不安定な遺伝子座の周辺の遺伝的環境における遺伝子の有無が特徴づけられました(図4c)。RV2039とファルビグデン株AおよびB祖先型の遺伝子座における、祖先型の遺伝子座であるypmBと類似した手遺伝的構成のパターンが特定され、株Cとその後のLNBA−株のypm遺伝子座の遺伝子のこれまで知られていなかった2通りの組み合わせが特定されました。
ypmBアレル(対立遺伝子)を有する仮性結核菌株はヒトの低い病原性と関連づけられてきましたが、株Cで特定された未知のypmアレルの毒性は、判断できません。しかし、特定のypmアレルに感染流行の可能性があることは、充分に確証されています。たとえば、超抗原毒素YPMaの産生は、深刻な全身性感染疾患である、猩紅様皮膚発疹や毒素症候群を含む極東猩紅様熱(Far East scarlet-like fever)の病原性に重要です。極東猩紅様熱はヒトにおける仮性結核菌感染の「流行症状」として報告されてきており、1959年には、ソ連のウラジオストックで発生し、300人の患者のうち200人の入院を引き起こしました。
先LNBAおよびLNBA−株における祖先型の仮性結核菌の差異の存在を考えると、これらのペスト型は糞口感染経路をたどり、病原性低下を示したかもしれません。それにも関わらず、ypm遺伝子の存在と、とくに、株Cについてypm遺伝子座におやける遺伝子のこれまで未知の組み合わせの発見は、毒性増加を示唆しているかもしれません。したがって、感染性と罹患率と死亡率はこれら初期のペスト株間では異なっていたかもしれませんが、ypmイイ電子座における組換え事象は株Cに毒性をもたらしたかもしれません。他の要因、おそらくは他の疾患との組み合わせで、株Cは新石器時代の衰退に役割を果たしたかもしれません。それにも関わらず、家系1の全個体はフレールセガーデン遺跡の墓に埋葬されており、誰かが生き残ってそうした個体を埋葬したに違いありません。さらに、フレールセガーデン遺跡の墓の人口統計学的特性は破滅的な死亡率を示唆しておらず、高い感染率とともに、さほど重症ではないか、慢性的な疾患の兆候を示唆しているかもしれません。最後に、ペストのLNBA−クレード(単系統群)は、青銅器時代の人口規模に顕著に影響せず、2000年以上にわたってユーラシア全土で蔓延していた、と充分に確証されます。
●展望とまとめ
新石器時代末までに、少なくとも3系統の主要なペストが進化しており、それは、最も祖先的なRV2039系統と、ファルビグデン地域クレード(株A・B・C)と、最終的にはペスト株Aの青銅器時代拡散へと進化しただろう系統です。これら3系統には、ノミの消化管においての真正細菌の生存に重要である、ymt遺伝子が欠けています。したがって、LNBA−および先LNBA−ペスト株のノミによる伝染の可能性は低そうで、新石器時代のペストの症状が腺ペストに類似している可能性は低そうです。先LNBA−のRV2039系統とペストの他の初期型は感染性が低く、散発的な人獣共通感染症事象を表していた、と以前には仮定されていました。標本抽出された各6個体で1個体においてペストが検出されたことにより、新石器時代のスカンジナビア半島ではペスト感染は稀な事象ではなかった、と決定的に示されます。この疾患の高頻度を考えると、ヒトからヒトおよび、可能性としてはヒトからシラミからヒトへの感染を通じて、人口集団内に拡大しつつあったのかもしれません。
しかし、本論文で報告された17%のペスト感染率は、この疾患の真の疾患率を必ずしも反映していないことに要注意です。たとえば、ペストの検出率は人口集団全体を表していないかもしれず、それは、標本抽出された人口集団内の疾患頻度の測定で、これは墓に埋葬された保存状態良好な個体群に限定されるからです。さらに、ペスト陽性事例のごく一部のみが、ペスト菌からのDNAの検出可能な水準を有している、と予測されます。先行研究では、既知のペスト犠牲者の定量的なポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction、略してPCR)検査は、骨では5.7%の新石器時代、歯では37%の検出率を示しており、ファルビグデン地域のペストの真の頻度は17%より顕著に高かったかもしれない、と示唆されます。
ペストの祖先型の病原性は文献(関連記事)で激しく議論されてきており、ペスト菌の毒性を直接的に測定する実験設定がないので、本論文は状況証拠に依拠します。この議論への本論文の寄与は3点あり、それは、(1)拡大家系全体の複数のペスト株の存在を追跡し、ペスト感染はこの共同体において一般的だった、と示唆し、(2)ファルビグデン地域のペスト株は仮性結核菌からのypm遺伝子座の新規で既知の多様体を有しており、これら初期のペスト株の症状と罹患率と死亡率が大きく異なっていたかもしれない、と示唆し、(3)ファルビグデン地域のペスト株は仮性結核菌からの遺伝物質をさまざまな量で有しており、感染力と(複数の)感染経路はやや異なっていたかもしれない、と示唆します。これらの結果から、新石器時代のペストは流行しており、致死的だったかもしれない、と論証されます。これらのペストの事例がスカンジナビア半島で観察された新石器時代祖先系統を有する最後の人口集団の一つで見つかった事実と合わせると、ペストは新石器時代の衰退に寄与した要因だったかもしれない、と考えられます。
ペストに加えて、本論文は大きな1家系とより小さな3家系の再構築によって、中期新石器時代の家族関係に関する新たなデータを提供します。本論文では、墓内で標本抽出された人口集団により表されるファルビグデン地域の社会組織は、父系で父方居住だった、と示されます。この結果は、ブリテン島のヘイズルトン・ノース(Hazleton North)の長いケルン(石塚)の調査結果(関連記事)を裏づけます。しかし、その研究で報告された結果との大きな相違も認められ、複数の配偶者のいる男性4個体が特定されましたが、異なる男性との間に子供を儲けた女性の事例は見つかりませんでした。これは、複数の配偶者のいる女性が男性より多い(女性5個体に対して男性1個体)、ヘイズルトン・ノースの長いケルンから得られた結果とは対照的です。さらに、母系の株集団への細分化は、下部集団が父系構造を示す傾向にあるフレールセガーデン遺跡では見られません。別の比較は、フランスのギュルジー(Gurgy)の「レス・ノイサッツ(les Noisats)」遺跡の新石器時代墓地と可能で、その遺跡では父系および父方居住構造も見つかりました(関連記事)。ファルビグデン地域とは対照的に、ギュルジーの全ての夫婦は一夫一妻制でした。
最後に、これらの親族関係のデータは、考古学で一般的に愚論されている社会的慣行の最初の具体的事例のいくつかを提供します。本論文は男性2個体と女性1個体の3人キョウダイ1組が特定され、女性は家族を築いた近隣集団へと移動したようです。本論文はさらに、3親等の親族間の子供(息子)の単一事例も報告し、その息子ではROHの長い断片が生じていました。
まとめると、本論文で提示されたデータは、スウェーデンの新石器時代ファルビグデン地域における生活がどのようなものだったかについて、ひじょうに綿密で詳細な断片を提供します。その社会的構造は男性の親族関係に沿って組織されており、女性は一般的に他の親族集団に由来しました。ペストは人口集団のかなりの割合に感染していたので、ペストと関連する過剰な死亡率は社会の長期の生存能力を害して、新石器時代社会のこの形態の最終的な崩壊につながったかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
古代ゲノミクス:疫病に襲われた新石器時代の農民たち
繰り返されるペストの発生が、新石器時代のスカンジナビアにおける人口減少の一因となった可能性を示唆する論文が、Natureに掲載される。100人以上から採取された古代のDNAを分析した結果、これらの農民の運命に光を当てるとともに、彼らの親密な家族生活についても明らかになった。
現在より較正年で約5,300年から4,900年前の間に、ヨーロッパの多くの地域で新石器時代の人口が崩壊した。これは、新石器時代の衰退として知られている。ペストを含む様々な説が提唱されているが、初期の発生が広範囲に及ぶ伝染病を引き起こしたのか、それとも小規模の孤立した出来事によるものだったのかは明らかになっていない。
Frederik Valeur Seersholm、Martin Sikoraらは、スウェーデンにある8つの巨石墓、およびデンマークにある1つの石棺から、6世代にわたるスカンジナビアの新石器時代の108人の古代のDNAを分析した。ペストを媒介する細菌Yersinia pestisは広範囲に存在し、塩基配列を決定した全個人の少なくとも17%から検出された。この分析によると、約120年の間にペストは少なくとも3つの異なる波から地域社会に広がったことを示唆している。最初の2つの波は、小規模で収束していたが、3つ目の波はより広範囲に広がった。また、初期のペスト株は、Yersinia pestisにはこれまで見られなかった病原因子を含んでおり、致死的になる可能性があった。これらの証拠を総合すると、この初期に生じたペストが、広範囲に蔓延した伝染病の引き金となった可能性があり、繰り返し発生した伝染病が、新石器時代の衰退に重要な役割を果たしたことを示唆している。
さらに、この研究はスカンジナビアにおける新石器時代の家族生活に関する洞察を与えている。複数のパートナーを持つ男性が4人確認されたが、複数のパートナーを持つ女性の例はなかった。このことは、社会構造が父系的であったことを示唆している。また、1人の女性が2人の兄弟とは別の墓に埋葬されていたことから、女性は家族を築くために近隣の集団に移動することもあったようである。
集団遺伝学:新石器時代の農耕民の6世代にわたるペストへの反復感染
集団遺伝学:新石器スカンジナビアにおけるペストの蔓延
今回、約5000年前の新石器時代のスカンジナビア人にペスト菌(Yersinia pestis)が見いだされ、その蔓延がヨーロッパにおける「新石器時代の衰退」の原因だった可能性があるとする説が提唱されている。
参考文献:
Seersholm FV. et al.(2024): Repeated plague infections across six generations of Neolithic Farmers. Nature, 632, 8023, 114–121.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07651-2
●要約
較正年代で5300~4900年前頃、ヨーロッパの大半の人口集団は人口減少期間を経ました。しかし、このいわゆる新石器時代の衰退の原因は、まだ議論されています。農耕の紀元前千年紀が衰退をもたらした、との主張も、ペストの初期型の拡大が原因との主張(関連記事)もあります。本論文は、人口集団規模の古代ゲノミクスを用いて、8基の巨石墓および1基の石棺から発見された、スカンジナビア半島新石器時代の108個体における、祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)と社会構造と病原体感染を推測しました。
その結果、新石器時代のペストは蔓延しており、標本抽出された人口の少なくとも17%でおよび広大な地理的距離にわたった検出された、と分かりました。本論文では、この感染症が約120年間の内に3回の異なる感染事象で新石器時代共同体内に広がった、と論証されます。多様体の図に基づく汎ゲノミクスから、新石器時代のペスト菌(Yersinia pestis)のゲノムは、疾患転帰(disease outcome)と関連する病原因子を含めて、仮性結核菌(Yersinia pseudotuberculosis)に存在する祖先が他のゲノム変異を保持していた、と示されます。
さらに、父系的な社会組織を示す、最大で6世代にまたがる38個体から構成される、複数世代の家系図が再構築されます。最後に、兄弟とは異なる巨石墓に埋葬された女性1個体で、新石器時代の女性族外婚について直接的なゲノム証拠が提示されます。まとめると、本論文の調査結果は、大規模な父系親族集団内でのペスト蔓延の詳細な再構築を提供し、新石器時代衰退の始まりの頃の1人口集団における複数回のペスト感染を特定します。
●研究史
新石器時代における農耕民の出現は、現生人類(Homo sapiens)の歴史における最も顕著な生活様式の変化の一つをもたらしました。狩猟と漁撈と採集から農耕への生計戦略の移行は、人口密度の顕著な増加およびより大きくてより永続的な集落確立への道を開きました。しかし、新石器時代の繁栄した経済は、ヨーロッパ北部では較正年代で5300~4900年前頃に突然終了し、この期間に放射性炭素年代測定されたヒト遺骸の顕著な減少は人口減少を示唆します。新石器時代の衰退と呼ばれるこの人口減少は、ヨーロッパ北部地域における巨石建築の停止と一致しており、ヨーロッパへの縄目文土器複合体(Corded Ware complex、略してCWC)の拡大(4800~4400年前頃)を促進した一因と示唆されてきました(関連記事)。いくつかの仮定的状況が提唱されてきましたが、これまでこの衰退と関連づけられてきた単一の推進要因はなく、この謎は依然として文献で激しく議論されています。それにも関わらず、ペスト菌の祖先型が当時スウェーデンに存在した、と示した最近の調査結果(関連記事)は、この議論を解決できるかもしれません。
ペストの感染病原体であるペスト菌は、その最新共通祖先である仮性結核菌から過去5万年間のある時点で分岐し、先史時代以来ヒトに感染してきました。先史時代のペストのゲノムの大半は、4700~2400年前頃となる後期旧石器時代~青銅器時代(Late Neolithic and Bronze Age、略してLNBA)の個体群に由来します。これらのゲノムは、ymt遺伝子の有無(それぞれ、LNBA+とLNBA−)により区別できる異なる2系統内に収まります。ymt遺伝子は、感染源がマウスかクマネズミかヒトの場合、ノミの消化管での真正細菌の生存、したがって腺ペストの発症に不可欠です。
最近まで、全ての既知の先史時代のペスト株はこれらLNBAの2クレード(単系統群)内に収まっていましたが、先行研究(関連記事)で刊行された調査結果は、それ以前のペスト菌系統(先LNBA)の存在を論証します。これら2系統の祖先型ペスト菌のゲノムは、5035~4856年前頃新石器時代農耕民(つまり、アナトリア半島起源)祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有するスウェーデンの1個体(関連記事)と、狩猟採集民祖先系統を有する5300~5050年前頃のラトビアの1個体で特定されていました。これらのゲノムの年代はごく近く、利用可能なすべての他のペストのゲノムにとって祖先型ですが、二つの研究は異なる結論に達し、一方(関連記事)では、その調査結果は新石器時代の衰退におけるペストの役割を裏づける、と主張されたのに対して、もう一方では、これら初期のペスト型はおそらく散発的な人獣共通感染症の結果である、と結論づけられました。
スカンジナビア半島では、新石器時代の衰退は漏斗状ビーカー(鐘形杯)文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRBもしくはFBC)複合体の消滅および巨石建築の第一波の終焉と一致します。巨石建築のスカンジナビア半島の景観における遍在にも関わらず、巨石と関連する人々の葬儀慣行および社会的背景に関して、依然として論争が存在します。たとえば、これらの墓は親族関係もしくは家族集団により使用された、と長く想定されてきましたが(関連記事)、現時点でこの仮説を実証するデータはほとんど存在しません。骨学的分析はさまざまな割合での両性や、さまざまな死亡時年齢の個体群の存在も示し、これは生活していた人口集団の無作為の選択と一致します。対照的に、世代ごとに埋葬された個体数は少なく、人口集団の限られた人々のみがこれらの墓に埋葬された、と示唆されます。完全な遺骸が直接的に運ばれ、おそらくその後で再配置され乱されたのかどうか、それとも、玄室の配置はさまざまな場所での経時的に行なわれた一連のより長い葬儀における最終段階だったのかどうかも、魏路なされています。さらに、どの要因が埋葬場所を決定したのか、あるいは墓のさまざまに部分が一般的にどのように使われたのか、分かっていません。
スカンジナビア半島の中期新石器時代における社会構造とペスト感染頻度を解明するため、9ヶ所の複数個体の埋葬構造から古代人のDNAが分析され、それは、ファルビグデン(Falbygden)地域およびスウェーデン西部内陸部のランドボガーデン(Landbogården)とフレールセガーデン(Frälsegården)とネステガーデン(Nästegården)とフィルセ・シュテン(Firse sten)とホルマ(Holma)とジェルマーズ・レー(Hjelmars Rör)とレッスベルガ(Rössberga)の7か所の巨石墓、スウェーデン西部沿岸のフネッボシュトラント(Hunnebostrand)の1ヶ所の巨石墓と、デンマークのエスビャウ(Avlebjerg)の石棺1基です。先行研究(関連記事)のペストの事例が孤立した事象だったのかどうか、あるいは、さまざまな遺跡やスウェーデンのさまざまな地域の新石器時代においてより多くの個体のペストの証拠があったのかどうか、調査が試みられました。さらに、病気の伝染の可能性をより深く理解するため、スウェーデンの最も詳しく報告されている数ヶ所の巨石における親族関係と社会的関係の調査が目的とされました。
●DNA配列決定と人口構造
新石器時代のペストの疾患頻度と地理的分布を調べるため、スカンジナビア半島全域の古代人骨格遺骸から174点の標本が配列決定されました。同じ個体に由来する標本から得られたデータを統合し、低網羅率(0.01倍未満)のヒトデータを除外した後で、9ヶ所の遺跡の108個体を表す最終的なデータセットが生成されました(図1)。データセットにおけるわずかな男性への性別の偏り(58%が男性)が見つかり(図1)、これは性別の偏りが観察されなかった、レッスベルガの羨道墓を除いて、すべての遺跡で反映されていました。以下は本論文の図1です。
本論文のデータにおけるより広範な人口集団の遺伝的構造を調べるため、本論文のデータセットが古代人1430個体のショットガン配列決定ゲノムと統合され、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)を用いて遺伝的類似性が視覚化されました(図2c)。その結果、分析された個体(96個体)の大半はヨーロッパ新石器時代人口集団およびアナトリア半島農耕民の広いクラスタ(まとまり)内に収まる、と分かりました。この調査結果は、この集団の年代を5200~4900年前頃と推定した本論文の放射性炭素年代測定結果と一致し、これらの個体群はスカンジナビア半島南部のTRB文化およびスカンジナビア半島中期新石器時代(Middle Neolithic、略してMN)混合集団(農耕民と狩猟採集民)と関連づけます(図2a)。
さらに、草原地帯関連祖先系統を有する個体群の異なりわずかに新しい2集団の証拠も見つかりました。第1集団(草原地帯1、計2個体)の年代は4400年前頃で(スカンジナビア_MN_B)、第2集団(草原地帯2、計8個体)の年代は後期青銅器時代(Late Bronze Age、略してLBA)にまで至る4100~3000年前頃です(スカンジナビア_LN-LBA)。この区別はY染色体ハプログループ(YHg)の結果によっても裏づけられ、農耕民祖先系統の男性全員のYHgがI2なのに対して、草原地帯祖先系統の2集団のYHgはそれぞれR1とI1によってのみ表されている、と示唆されています。一般的に、各遺跡は類似した祖先系統の人々により表されている、と分かりましたが、1ヶ所の遺跡(フレールセガーデン)では、時間的および遺伝的に異なる3人口集団による埋葬玄室の継続的使用の証拠が見つかりました。以下は本論文の図2です。
最後に、2個体のゲノムにはかなりの割合の狩猟採集民祖先系統が含まれている、と分かり、TRB集団とスカンジナビア半島狩猟採集民との間の最近の混合が示唆されます。フレールセガーデン遺跡の女性1個体(FRA108)は、同じ割合の狩猟採集民祖先系統と新石器時代農耕民祖先系統を有しているようで、FRA108はこれら社会経済的に異なる2集団の交雑第1世代である可能性が最も高い、と分かりました。同様にレッスベルガ遺跡の他の女性1個体(ROS027)についても、約34%の狩猟採集民祖先系統と約66%の新石器時代農耕民祖先系統が見つかり、ROS027が農耕民と狩猟採集民の混合事象から2もしくは3世代後に生きていたかもしれない、と示唆されます。中石器時代祖先系統を有する狩猟採集民の北方集団は除外できませんが、これら混合2個体の狩猟採集民DNAの最も可能性が高い供給源は5400~4300年前頃となる円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、略してPWC)で、PWCはスウェーデンでは時空間両方でTRB文化と重複しています。両女性個体(FRA108とROS027)の年代がTRB期末であることは注目に値し、おそらくはTRB人口集団内の人口統計学的危機および/もしくは社会的・文化的境界の弛緩を反映しています。
●独特な新石器時代IBDクラスタ
TRB個体間の微細規模構造を解明するため、参照データとクラスタ化した個体群全体で共有される同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)が、関連するIBD集団への密接な類似性と比較されました。その結果、ヨーロッパ北部新石器時代農耕民のIBDクラスタ化はおもに、ファルビグデン遺跡内の密接な家族関係により起きている、と分かりました。したがって、ファルビグデン個体群の4区分のIBDクラスタ(それぞれ、17個体と13個体と8個体と4個体)と、伝染およびスウェーデンの全ての他の新石器時代個体の1クラスタ(32個体)が特定されました(図2b)。予測されたように、本論文の標本のほとんどがファルビグデン遺跡の4集団へとクラスタかされたのに対して、デンマーク(エスビャウ遺跡)の本論文の標本は、デンマークとスウェーデンの無関係な集団内に収まりました(図2b)。
興味深いことに、ファルビグデンのTRBの3個体はデンマーク/スウェーデンIBD集団とクラスタ化し、これらの個体がファルビグデン地域外に由来する、と示唆されます。これは、そのうち1個体(成人男性であるFRA106)のストロンチウム(Sr)同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)データ(0.717011)により裏づけられ、これらの個体がファルビグデンのキャンブロ・シルリアン(Cambro-Silurian)岩盤外で育ったことを示唆します。さらに、スウェーデン西部沿岸のフネッボシュトラント遺跡の配列決定された2個体のゲノムについて、1個体(成人男性であるHUN002)のゲノムがファルビグデン集団とクラスタ化したのに対して、もう一方の1個体(70歳くらいの女性であるHUN001)はデンマーク/スウェーデン集団とクラスタ化する、と分かり、これら2個体の異なる起源が示唆されます。この2個体【HUN001とHUN002】のストロンチウム同位体は、異なる子供期の居住地を示唆します。この両個体【HUN001とHUN002】はファルビグデンで子供期を過ごしたことと一致しクスが、デンマーク外のスカンジナビア半島の他の場所が起源だった可能性もあります。
IBDの共有結果も、上述の本論文のデータセットにおける異なる草原地帯関連の2集団の存在を示唆します。初期集団(YHg-R1a1a、4400年前頃)はCWC祖先系統のヨーロッパにまたがる個体群の大きな1集団とクラスタ化し、それにはスウェーデンの戦斧文化(Battle Axe Culture、略してBAC)背景の個体群が含まれます。一方で、後期集団(YHg-I1、4100~3000年前頃)はデンマーク東部とスウェーデンとノルウェーの同時代の個体群とのみクラスタ化し、先行研究(関連記事)の結果を反映しています。DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)を用いて、これら2集団における「草原地帯」と「農耕民」のDNAの混合を年代測定出来ました(関連記事)。両集団について、混合は4750年前頃に起きた可能性が最も高い、と分かりました。草原地帯関連集団がまず4800年前頃にヨーロッパ東部に出現した、と示す最近の結果(関連記事)と一致して、この調査結果から、混合はスウェーデンにおけるCWCの到来前に単一の波動で起きた、と示唆されます。
●4家系の社会的構造
データセットにおける密接な家族関係が調べられ、1親等か2親等か3親等のいずれかの親族として、個体の組み合わせが分類されました。これらのデータを用いて、大きな1家系とより小さな3家系がフレールセガーデンとジェルマーズ・レーとランドボガーデンとレッスベルガの遺跡から再構築できました(図3)。1家系に位置づけることができた個体の大半はフレールセガーデンの羨道墓で発掘され、これは最も密に標本抽出された遺跡でもあり、この遺跡に埋葬された推定合計78個体のうち54個体がゲノム配列決定されました。フレールセガーデンの家系には、6世代にまたがる合計61個体(標本抽出された38個体と推定された23個体)が含まれています。この家系は二つの下位系統/下部家系から構成されています(それぞれ図3の左側と右側)。左側の下部家系には標本抽出されていない始祖が含まれているのに対して、右側の下部家系では、1人の男性始祖が3人の息子を通じて全ての男性系統の祖先である、と分かりました。以下は本論文の図3です。
この家系は父系の性質が強く、単一の女性個体(FRA023)を除いて、子供のいる全女性個体は系統外に由来するようです。じっさい、女性族外婚の直接的証拠が見つかった1事例では、3人のキョウダイ、つまり兄弟2人(HJE003、HJE012)とその姉妹(FRA028)が特定され、兄弟はジェルマーズ・レー遺跡に埋葬された(図3の破線囲いにて濃い藤色で強調されています)のに対して、その姉妹は8km離れたフレールセガーデン遺跡に埋葬されました。フレールセガーデン遺跡では、この女性個体FRA028は、7人の孫のいる大家族を築き、FRA028がその生涯において家族から離れ、新たな集落で自身の家族を始めた、と示唆されます。ストロンチウム同位体比に基づくと、男女間で有意な違いは観察されず、ファルビグデン地域内のそうした短い移転は一般的だった、と示唆されます。
さらに、新石器時代には近親交配は稀ではあるものの、起きていた、と以前に示唆されました(関連記事)。兄弟2人(FRA025とFRA026)でそうした近親交配の直接的証拠が確認され、この兄弟は3親等の親族間(図3では二重の黒線により示されています)の子供でした【本文ではFRA009とFRA010が近親同士の両親の息子たちとされていますが、FRA010は女性ですし、両親が二重の黒線で結ばれているのはFRA025とFRA026の兄弟なので、両親が近親関係にある兄弟とはFRA025とFRA026を指していると思われます】。両親の近親関係は、集団の他の個体と比較しての、その子供における同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の有意な水準上昇により確証できます。
この親族集団の個体群と親族関係にあったものの、家系では確実に位置づけることができない、他の数個体が特定されました。さらに、フレールセガーデン遺跡から標本抽出された全個体のうち、8個体のみがこの遺跡のどの個体とも親族関係になく、そのうち6個体は女性である、と分かりました。この調査結果は、フレールセガーデン遺跡における父系社会構造を確証し、これらフレールセガーデン遺跡内の個体と親族関係を有さない女性6個体が家族と結婚したものの、フレールセガーデン遺跡内の墓内に埋葬された子供は儲けなかった、と示唆します。これらの女性は死亡前に子供を儲けなかったかもしれませんが、全ての子供が女性で、フレールセガーデン遺跡から離れ、他の墓に埋葬された、という可能性の方がおそらくより高いでしょう。さらに、親族関係にない個体のうち3個体は、集団の他の個体とわずかに異なる祖先系統も有しているようで、親族関係にない男性2個体(FRA104とFRA106)が上述のスウェーデン/デンマークIBD集団とクラスタ化した(まとまった)のに対して、女性1個体(FRA108)は狩猟採集民と農耕民両方の祖先系統を有する個体の1人です。
フレールセガーデン遺跡における6世代の年代範囲は、1世代を平均25~30年と仮定すると、約150~180年間と推定できます。個体の多くが直接的に年代測定されたので、ベイズモデル化によって年代推定も行なわれました。この結果はひじょうに類似しており、フレールセガーデンおよびランドボガーデンの両遺跡における2系統の重複する年代測定があらづけられ、フレールセガーデン遺跡の左側の家系がより早く始まったかもしれません。
●埋葬位置と親族関係
フレールセガーデン遺跡の羨道墓内の各個体の埋葬位置に基づくと、親族関係と埋葬位置との間で明確なつながりが見つかりました。羨道墓の北部には、家系の第1世代と第2世代が埋葬されているようです。これらの個体はひじょうに特別な扱いを受けました。男性始祖(FRA021)の頭蓋は、その息子(FRA022)と義理の娘(FRA023)の側の石灰岩の石板の下に埋葬されていました。さらに、始祖とは未知の2親等の親族である1男性個体の(FRA020)の上顎断片も、玄室の北部に埋葬されていました。別の始祖とは2親等の親族関係の男性1個体(FRA011)は北端で発見され、遊離した下顎により表されます。この男性個体FRA011は、左側の親族系統の第1世代に属します。
墓の北半分の家系において誰とも親族関係にない、若い女性1個体(FRA102)も特定されました。この女性個体FRA102は多くの点で外れ値であり、その身体は特別な扱いを受けており、それは個体FRA102が部分的に関節でつながった骨の密集状態(発掘報告での個体C)として埋葬されたからです。さらに、個体FRA102の左側下顎第一大臼歯のストロンチウム同位体値(0.717345)から、FRA102はその生涯の初期をファルビグデン以外の地質で過ごした、と示唆されますが、FRA102の起源をより正確には特定できません。最後に、FRA102はペストの祖先型に感染していたようです(後述)。その後の世代の位置には明確な区別があり、それは、玄室において、右側の家系は北半分で、左側の家系は南半分で見つかるからです。さらに、遺伝学的に女性の個体群が玄室の中央部に集中しているのに対して、【遺伝学的な】男性はより均等に分布しています。
羨道墓の中央部では、埋葬位置と世代との間の相関は北部ほど明確ではありません。それにも関わらず、より古い世代は中央地帯の北部に埋葬されているのに対して、より新しい世代はより中央部に埋葬される、という一般的な傾向があります。さらに、第5世代の4兄弟(FRA032~FRA035)はその半兄弟(FRA030、両親のどちらか一方のみを共有するキョウダイ関係、この場合、FRA032~FRA035とFRA032は異母兄弟の関係)とともに埋葬されているのに対して、その半姉妹(FRA031、この場合、FRA032~FRA035とFRA032は異母キョウダイの関係)は墓の別の場所に埋葬されていた、と分かりました。これは、埋葬位置の決定において男性系統がより関連していることを示唆しています。北部とは対照的に、中央部には多くの完全もしくは部分的に関節のつながった骨格や関節の外れた骨があります。
全体的に、親族関係と埋葬位置から得られたデータを墓の時間依存的埋葬として解釈でき、それは玄室の北部(および恐らくは南部)で始まり、中央部へとゆっくり進みました。埋葬の扱いの違いは、さまざまな方法で見ることができます。第1および第2世代の個体群の頭骨は、特別な扱いのため選択され、おそらく中央部の埋葬から北部へと移動されたかもしれません。この場合、これらの個体の頭蓋後方(首から下)の遺骸は、玄室内で見つかるはずです。別の可能性は、これらの個体の選択された一部が、二次埋葬の計画の一部としてか、あるいは別の埋葬の基礎堆積物としてのどちらかによって、他の場所から持ち込まれたことです。密接な家族関係も認識され、ひじょうに近くに埋葬された2組の核家族が特定されました。したがって、生物学的親族関係と性別は社会的に認識されていたようで、ファルビグデン地域の新石器時代の人々を分類する重要な手段として用いられ、社会の死者の配置と扱いの決定要因でした。
●新石器時代のペストの3株
全ての配列決定されたデータは、既知のヒト病原体について慎重に調べられました。驚くべきことに、この検査から、全体的に最高頻度で見つかった病原体は、ペストを引き起こすペスト菌だった(標本抽出された108個体のうち18個体、17%)、と示されました。真正と考えられる5点の他の病原体が特定され、これらのうち2点は1個体以上で特定され、それは、エルシニア感染症(108個体のうち4個体、4%)の原因病原体であるエルシニア・エンテロコリチカ(Yersinia enterocolitica)と、シラミ媒介性回帰熱(louse-borne relapsing fever)の原因となるボレリア・レクレンティス(Borrelia recurrentis)で、ファルビグデン地域におけるコロモジラミの存在を示唆しています。興味深いことに、1個体(FRA013)では、ペスト菌とエルシニア・エンテロコリチカの同時感染が、それぞれ3.9倍と1.8倍の網羅率で特定されました。
ペスト陽性の18個体のうち、6個体が網羅率0.01倍未満の暫定的検出と分類されたのに対して、7個体はより低い網羅率(0.01~1.5倍)の部分ゲノム、5個体はより高い網羅率(1.5倍超)の部分的ゲノムと分類されました。より高い網羅率の5個体(11.5倍、10.5倍、6.4倍、4.5倍、1.8倍)は一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)呼び出しの実行と、以前に刊行された古代人および現代人のゲノムとともにペストの系統発生を再構築するのに充分なデータでした(図4)。以前の結果(関連記事)と一致して、すべての新たに配列決定されたゲノムはLNBAペスト株のクラスタの基底部に位置しました(図4)。
個体FRA013およびFRA005のペストのゲノムは、同じフレールセガーデン遺跡のゲクヘム(Gökhem)教区で発見された以前に刊行されている個体(Gökhem2)と同一だった、と分かりました。対照的に、FRA020のペストのゲノムは3ヶ所の部位で3点の同一のゲノムとは異なっており、これらは先LNBA株CおよびBと、それぞれ命名されました。驚くべきことに、個体FRA102のペストのゲノムはペスト株CおよびBとは、29~34ヶ所の部位で異なり、顕著に違っていました。このゲノムは較正年代で5300~5050年前頃のペスト株RV2039,を除いて、全ての既知のペストの多様性の基底部に位置します。このゲノムは先LNBA株Aと命名されました(図4)。以下は本論文の図4です。
暫定的なペストの検出(網羅率0.01倍未満)からは系統発生情報は抽出できませんが、より低い網羅率(0.01~1.5倍)のゲノムは、ペストの系統発生に位置づけるのに充分な網羅率です。予測されるように、これらの配置から、本論文で配列決定された全てのペストのゲノムはフレールセガーデン遺跡クラスタのより高網羅率のゲノムととともにクラスタ化する、と確証されます。一般的に、これらの配置ではペスト株のAとBとCの区別ができません。しかし、いくつかの例外があり、個体FRA106のペストのゲノムの比較的高い網羅率(1.1倍)からより正確な配置が得られ、このペスト株はCに属するかもしれない、と示唆されます。同様に、ペスト株AおよびRV2039のより祖先的なゲノムにおける独特なSNPの数がより多いことは、祖先型株と類似しているより低い網羅列のゲノムは系統発生により容易に位置づけられる、と意味しています。したがって、個体FRA021が株Aと類似したペスト形態を有しているのに対して、デンマークの1個体(AVL001)はペスト株Aの祖先型を有しているようである、と分かりました。
図3で示されている家系におけるペスト陽性個体の分布は、急速で致死的なペスト流行を容易には裏づけず、それはペストが第2世代と第6世代を除いて全世代で検出されているからです。しかし、さまざまなペスト株に関する情報を考慮すると、ペスト感染は年代と系統発生の両方で別々の2クラスタに階層化される、と明らかになります。ペストの最も祖先的な型(株A)は本論文の最古級の個体(FRA102)でも検出されており、個体FRA102は、家系の誰とも親族関係にはないにも関わらず、第1および第2世代の個体群とともに玄室の北部に埋葬されました。より低い網羅率のゲノムの配置に基づいて、右側の下部家系の始祖である個体FRA021における株Aと類似したペスト型も特定されました。この調査結果は、家系の第一世代における疾患の初期形態の拡大を示唆しています。ペストのこの型の死亡率は不明ですが、この家系からは明らかに、全体として両家系とFRA021の系統の両方が疾患を生き残った、と示されます。
ペスト感染の第2のクラスタは、第3~第5世代で起き、株BおよびCにより引き起こされました。株Cは左側の家族の第4世代で見つかり、この第4世代では全個体がペストに感染したようです。一方で株Bは、右側の家系の単一個体で見つかり、最も可能性が高いのは第3世代です。株Bと株Cとの間の遺伝的寄与理、およびこの家系全体の異なる分布を考えると、このBとCの2株は別々の感染事象を表しているかもしれず、一方(株B)は右側の下部家系、もう一方(株C)は左側の下部家系というわけです。しかし、このBとCの両株は図3では同時代のように見えるものの、時間的に異なっているかもしれず、それは、年代モデル化の誤差範囲はモデル化された年代においてかなりの差異があり得るからです。残念ながら、この仮説をさらに評価することはできず、それは、より低い網羅率のゲノムのほとんどでB株とC株を区別できないからです。
局所的な人口集団へのこの疾患の影響に関しては推測しかできませんが、急速で致死的な流行で予測される特徴のすべてが、左側の下部家系における株Cの拡大に存在することは注目され、それは、(1)ペスト陽性個体の頻度はひじょうに高く、(2)この疾患は最終2世代に限られており、(3)この下部家系の全てのより高網羅率のゲノムが同一であることです。まとめると、これらの観察から、株Cの発生は左側の下部家系の消滅につながったかもしれず、それは恐らく、株Cにおけるypm遺伝子座周辺の組換えに起因する病原性増加により引き起こされた、と示唆されます(後述)。
古代のペスト株における病原性と感染経路の直接的ひょうかは困難ですが、本論文で分析された感染個体数が多いことから、この疾患は人口集団内で拡大できた、と示唆されます。新石器時代のペストの病原性を示唆するかもしれない遺伝的差異を検出するため、まずは古典的なペスト菌毒性遺伝子の網羅率が分析されました。この手法を用いて、同じ毒性遺伝子、つまりYpfΦ(ペスト菌の出現時に感染した繊維状ファージ)溶原ファージとymtが、LNBA株と先LNBA株RV2039の両方と同様に、ファルビグデン地域のペスト株では存在しない、と分かりました。単一の参照ゲノムへの読み取りマッピング(多少の違いを許容しつつ、ゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)に基づくそうした遺伝子含有量の分析は、古代のペスト菌株間のゲノム差異の全範囲を把握できません。とくに、参照ゲノムには存在しないものの、古代系統には存在するゲノム差異は、この手法を用いては検出できません。
この制約を克服するため、配列決定読み取りを、仮性結核菌複合体の82点の完全な集合、つまり56点ペスト菌と24点の仮性結核菌と1点のエルシニア・シミリス(Yersinia similis)を含む、パンゲノム(1個体の全遺伝情報であるゲノムだけではなく、分類群が有する全ての遺伝情報)差異図にマッピングすることにより、古代のペスト系統の遺伝子含有量の差異が調べられました。この3種における存在パターンに基づいて、差異図の分岐点を集団に分割すると、初期に分岐した古代ペスト系統(先LNBA−、フレールセガーデン、LNBA−)は、その後の株(LNBA+、1P、現代)には存在しない(図4b)一部もしくは全ての仮性結核菌/エルシニア・シミリス株に存在する、最大で5万塩基対の遺伝子含有量を持っている、と分かりました。
興味深いことに、その後のペスト株に存在しない差異を有すると特定されたゲノム領域には、仮性結核菌由来の分裂促進因子(ypm)を含む遺伝子染色体遺伝子座がありま、これは仮性結核菌の一部の株で見られる超抗原性毒素です。すべての初期に分岐したペスト株がypmの存在の証拠を示したのに対して、LNBA+型株RT5の後に分岐し、それを含む全ての系統では、全体的な遺伝子座が欠如しています。3ヶ所の既知の遺伝子座(ypmA、ypmB、ypmC)を区別するため、この不安定な遺伝子座の周辺の遺伝的環境における遺伝子の有無が特徴づけられました(図4c)。RV2039とファルビグデン株AおよびB祖先型の遺伝子座における、祖先型の遺伝子座であるypmBと類似した手遺伝的構成のパターンが特定され、株Cとその後のLNBA−株のypm遺伝子座の遺伝子のこれまで知られていなかった2通りの組み合わせが特定されました。
ypmBアレル(対立遺伝子)を有する仮性結核菌株はヒトの低い病原性と関連づけられてきましたが、株Cで特定された未知のypmアレルの毒性は、判断できません。しかし、特定のypmアレルに感染流行の可能性があることは、充分に確証されています。たとえば、超抗原毒素YPMaの産生は、深刻な全身性感染疾患である、猩紅様皮膚発疹や毒素症候群を含む極東猩紅様熱(Far East scarlet-like fever)の病原性に重要です。極東猩紅様熱はヒトにおける仮性結核菌感染の「流行症状」として報告されてきており、1959年には、ソ連のウラジオストックで発生し、300人の患者のうち200人の入院を引き起こしました。
先LNBAおよびLNBA−株における祖先型の仮性結核菌の差異の存在を考えると、これらのペスト型は糞口感染経路をたどり、病原性低下を示したかもしれません。それにも関わらず、ypm遺伝子の存在と、とくに、株Cについてypm遺伝子座におやける遺伝子のこれまで未知の組み合わせの発見は、毒性増加を示唆しているかもしれません。したがって、感染性と罹患率と死亡率はこれら初期のペスト株間では異なっていたかもしれませんが、ypmイイ電子座における組換え事象は株Cに毒性をもたらしたかもしれません。他の要因、おそらくは他の疾患との組み合わせで、株Cは新石器時代の衰退に役割を果たしたかもしれません。それにも関わらず、家系1の全個体はフレールセガーデン遺跡の墓に埋葬されており、誰かが生き残ってそうした個体を埋葬したに違いありません。さらに、フレールセガーデン遺跡の墓の人口統計学的特性は破滅的な死亡率を示唆しておらず、高い感染率とともに、さほど重症ではないか、慢性的な疾患の兆候を示唆しているかもしれません。最後に、ペストのLNBA−クレード(単系統群)は、青銅器時代の人口規模に顕著に影響せず、2000年以上にわたってユーラシア全土で蔓延していた、と充分に確証されます。
●展望とまとめ
新石器時代末までに、少なくとも3系統の主要なペストが進化しており、それは、最も祖先的なRV2039系統と、ファルビグデン地域クレード(株A・B・C)と、最終的にはペスト株Aの青銅器時代拡散へと進化しただろう系統です。これら3系統には、ノミの消化管においての真正細菌の生存に重要である、ymt遺伝子が欠けています。したがって、LNBA−および先LNBA−ペスト株のノミによる伝染の可能性は低そうで、新石器時代のペストの症状が腺ペストに類似している可能性は低そうです。先LNBA−のRV2039系統とペストの他の初期型は感染性が低く、散発的な人獣共通感染症事象を表していた、と以前には仮定されていました。標本抽出された各6個体で1個体においてペストが検出されたことにより、新石器時代のスカンジナビア半島ではペスト感染は稀な事象ではなかった、と決定的に示されます。この疾患の高頻度を考えると、ヒトからヒトおよび、可能性としてはヒトからシラミからヒトへの感染を通じて、人口集団内に拡大しつつあったのかもしれません。
しかし、本論文で報告された17%のペスト感染率は、この疾患の真の疾患率を必ずしも反映していないことに要注意です。たとえば、ペストの検出率は人口集団全体を表していないかもしれず、それは、標本抽出された人口集団内の疾患頻度の測定で、これは墓に埋葬された保存状態良好な個体群に限定されるからです。さらに、ペスト陽性事例のごく一部のみが、ペスト菌からのDNAの検出可能な水準を有している、と予測されます。先行研究では、既知のペスト犠牲者の定量的なポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction、略してPCR)検査は、骨では5.7%の新石器時代、歯では37%の検出率を示しており、ファルビグデン地域のペストの真の頻度は17%より顕著に高かったかもしれない、と示唆されます。
ペストの祖先型の病原性は文献(関連記事)で激しく議論されてきており、ペスト菌の毒性を直接的に測定する実験設定がないので、本論文は状況証拠に依拠します。この議論への本論文の寄与は3点あり、それは、(1)拡大家系全体の複数のペスト株の存在を追跡し、ペスト感染はこの共同体において一般的だった、と示唆し、(2)ファルビグデン地域のペスト株は仮性結核菌からのypm遺伝子座の新規で既知の多様体を有しており、これら初期のペスト株の症状と罹患率と死亡率が大きく異なっていたかもしれない、と示唆し、(3)ファルビグデン地域のペスト株は仮性結核菌からの遺伝物質をさまざまな量で有しており、感染力と(複数の)感染経路はやや異なっていたかもしれない、と示唆します。これらの結果から、新石器時代のペストは流行しており、致死的だったかもしれない、と論証されます。これらのペストの事例がスカンジナビア半島で観察された新石器時代祖先系統を有する最後の人口集団の一つで見つかった事実と合わせると、ペストは新石器時代の衰退に寄与した要因だったかもしれない、と考えられます。
ペストに加えて、本論文は大きな1家系とより小さな3家系の再構築によって、中期新石器時代の家族関係に関する新たなデータを提供します。本論文では、墓内で標本抽出された人口集団により表されるファルビグデン地域の社会組織は、父系で父方居住だった、と示されます。この結果は、ブリテン島のヘイズルトン・ノース(Hazleton North)の長いケルン(石塚)の調査結果(関連記事)を裏づけます。しかし、その研究で報告された結果との大きな相違も認められ、複数の配偶者のいる男性4個体が特定されましたが、異なる男性との間に子供を儲けた女性の事例は見つかりませんでした。これは、複数の配偶者のいる女性が男性より多い(女性5個体に対して男性1個体)、ヘイズルトン・ノースの長いケルンから得られた結果とは対照的です。さらに、母系の株集団への細分化は、下部集団が父系構造を示す傾向にあるフレールセガーデン遺跡では見られません。別の比較は、フランスのギュルジー(Gurgy)の「レス・ノイサッツ(les Noisats)」遺跡の新石器時代墓地と可能で、その遺跡では父系および父方居住構造も見つかりました(関連記事)。ファルビグデン地域とは対照的に、ギュルジーの全ての夫婦は一夫一妻制でした。
最後に、これらの親族関係のデータは、考古学で一般的に愚論されている社会的慣行の最初の具体的事例のいくつかを提供します。本論文は男性2個体と女性1個体の3人キョウダイ1組が特定され、女性は家族を築いた近隣集団へと移動したようです。本論文はさらに、3親等の親族間の子供(息子)の単一事例も報告し、その息子ではROHの長い断片が生じていました。
まとめると、本論文で提示されたデータは、スウェーデンの新石器時代ファルビグデン地域における生活がどのようなものだったかについて、ひじょうに綿密で詳細な断片を提供します。その社会的構造は男性の親族関係に沿って組織されており、女性は一般的に他の親族集団に由来しました。ペストは人口集団のかなりの割合に感染していたので、ペストと関連する過剰な死亡率は社会の長期の生存能力を害して、新石器時代社会のこの形態の最終的な崩壊につながったかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
古代ゲノミクス:疫病に襲われた新石器時代の農民たち
繰り返されるペストの発生が、新石器時代のスカンジナビアにおける人口減少の一因となった可能性を示唆する論文が、Natureに掲載される。100人以上から採取された古代のDNAを分析した結果、これらの農民の運命に光を当てるとともに、彼らの親密な家族生活についても明らかになった。
現在より較正年で約5,300年から4,900年前の間に、ヨーロッパの多くの地域で新石器時代の人口が崩壊した。これは、新石器時代の衰退として知られている。ペストを含む様々な説が提唱されているが、初期の発生が広範囲に及ぶ伝染病を引き起こしたのか、それとも小規模の孤立した出来事によるものだったのかは明らかになっていない。
Frederik Valeur Seersholm、Martin Sikoraらは、スウェーデンにある8つの巨石墓、およびデンマークにある1つの石棺から、6世代にわたるスカンジナビアの新石器時代の108人の古代のDNAを分析した。ペストを媒介する細菌Yersinia pestisは広範囲に存在し、塩基配列を決定した全個人の少なくとも17%から検出された。この分析によると、約120年の間にペストは少なくとも3つの異なる波から地域社会に広がったことを示唆している。最初の2つの波は、小規模で収束していたが、3つ目の波はより広範囲に広がった。また、初期のペスト株は、Yersinia pestisにはこれまで見られなかった病原因子を含んでおり、致死的になる可能性があった。これらの証拠を総合すると、この初期に生じたペストが、広範囲に蔓延した伝染病の引き金となった可能性があり、繰り返し発生した伝染病が、新石器時代の衰退に重要な役割を果たしたことを示唆している。
さらに、この研究はスカンジナビアにおける新石器時代の家族生活に関する洞察を与えている。複数のパートナーを持つ男性が4人確認されたが、複数のパートナーを持つ女性の例はなかった。このことは、社会構造が父系的であったことを示唆している。また、1人の女性が2人の兄弟とは別の墓に埋葬されていたことから、女性は家族を築くために近隣の集団に移動することもあったようである。
集団遺伝学:新石器時代の農耕民の6世代にわたるペストへの反復感染
集団遺伝学:新石器スカンジナビアにおけるペストの蔓延
今回、約5000年前の新石器時代のスカンジナビア人にペスト菌(Yersinia pestis)が見いだされ、その蔓延がヨーロッパにおける「新石器時代の衰退」の原因だった可能性があるとする説が提唱されている。
参考文献:
Seersholm FV. et al.(2024): Repeated plague infections across six generations of Neolithic Farmers. Nature, 632, 8023, 114–121.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07651-2
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