辻田真佐憲『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』
講談社現代新書の一冊として、講談社より2023年5月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はまず、肯定にせよ否定にせよ、実際とはかけ離れた都合のよい「戦前」像が提示されている、と指摘します。とはいえ、「戦前」も含めて常に多面的性格のある特定の期間を的確に把握することが難しいことも確かで、本書の視点は神話と国威発揚との関係です。その前提として、大日本帝国は神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家だった、との認識があります。本書のこうした問題意識は、近代国民国家も人権も平等も皇室制度も貨幣も共産主義もすべて虚構で、その中から適切な虚構を選択して、鍛え上げていくしかない、との認識に基づいており、この認識は尤もなところだと思います。
王政復古の大号令で諸事「神武創業之始」に基づくよう謳われたことにも示されているように、近代日本国家にとって初代天皇である神武は重要な意味を有していました。しかし本書は、幕末まで神武天皇が必ずしも重んじられていなかったことを指摘します。神武天皇陵は、平安時代に他の天皇陵と比較して特別な扱いを受けていませんし、中世には神武天皇陵が明確ではありませんでした。幕末維新期に神武天皇が注目されたのは、革命ではなく原点回帰として、実質的な革命と新政権の正当性を得るためで、新政権にとって都合がよかったのは、天智天皇や桓武天皇とは異なり、その政治体制について記録がほとんど残っていなかったからだ、と本書は指摘します。近代化という名の実質的な西洋化も、古代への回帰を名目に進められ、これは一方で中世を暗黒とする史観と表裏一体でした。
大日本帝国の重要な精神的支柱となった教育勅語については、その根底に君臣関係があることを本書は強調します。その点を曖昧にしたり捨て去ったりしたような第二次世界大戦後の現代語訳から、教育勅語の家族道徳のような「普遍性」を強調することには大きな問題がある、というわけです。本書は、後期水戸学が教育勅語の世界観に大きな影響を与えた、と指摘します。本書は、現代にも続く後期水戸学の影響の一例として、江戸時代には一般的ではなかった「幕府」の使用を挙げています。本書が後期水戸学の大成者として評価しているのは、会沢正志斎です。本書は、会沢正志斎『新論』の独自性として、忠孝の起源を漢籍ではなく日本神話に求めたことを挙げています。
この後期水戸学と国学とは尊王攘夷思想を鼓吹した点では似ているものの、根本的には必ずしも相性がよくなかった、と本書は指摘します。後期水戸学はあくまでも儒教思想に基づいており、国学の立場からは「漢意(中国かぶれ)」となりますし、日本神話をそのまま信じる国学は、後期水戸学にとって「怪力乱神を語る」だった、というわけです。国学では、江戸時代後期の平田篤胤がきょくたんに日本中心的な思想を展開し、その影響を受けた佐藤信淵は、日本による世界征服を主張します。そうした国学的主張は記紀神話に基づいていましたが、かなり強引な解釈だったことを、本書は指摘します。ただ本書は、平田篤胤や佐藤信淵の思想が近代日本国家において影響力を維持し続け、領土拡大の根拠になったのではなく、領土拡大の過程で「発見」されたことに、注意を促します。
近代日本が対外戦争によって、日本列島を越えて台湾や朝鮮半島や満洲にまで勢力を拡大していく中で、前近代の「対外戦争」の指導者として、北条時宗や羽柴秀吉とともに称揚されていったのが神功皇后でした。明治時代前半には、神功皇后は紙幣の肖像にも起用され、人気が高かったのですが、早くも日露戦争終の頃にはその人気に翳りが差していた、と本書は指摘します。本書はその一因として、近代において女性は戦うのではなく家を守る存在と考えられたことを挙げています。
こうした神話に基づく大日本帝国を本書は「神話国家」と呼び、それは第二次世界大戦での敗北により終焉します。本書は、国体にしても三種の神器にしても近代国家急造のための方便で、明治時代の「建国」の指導者は神話を方便と踏まえたうえで、国民的動員の装置として機能させようとしたのだろう、と指摘します。その「神話」が、昭和時代には世界恐慌やマルクス主義に向き合う中で、天皇や指導者の言動まで拘束することになり、方便を守るために国民の生命が犠牲にされていった、と本書は指摘します。本書は、「神話」もしくは「物語」にはそうした危険性があることを踏まえたうえで、長く日本の指針となるような新たな国民的物語の創出にさいして、大日本帝国の「神話」や「物語」の的確な理解が必要であることを示しています。
王政復古の大号令で諸事「神武創業之始」に基づくよう謳われたことにも示されているように、近代日本国家にとって初代天皇である神武は重要な意味を有していました。しかし本書は、幕末まで神武天皇が必ずしも重んじられていなかったことを指摘します。神武天皇陵は、平安時代に他の天皇陵と比較して特別な扱いを受けていませんし、中世には神武天皇陵が明確ではありませんでした。幕末維新期に神武天皇が注目されたのは、革命ではなく原点回帰として、実質的な革命と新政権の正当性を得るためで、新政権にとって都合がよかったのは、天智天皇や桓武天皇とは異なり、その政治体制について記録がほとんど残っていなかったからだ、と本書は指摘します。近代化という名の実質的な西洋化も、古代への回帰を名目に進められ、これは一方で中世を暗黒とする史観と表裏一体でした。
大日本帝国の重要な精神的支柱となった教育勅語については、その根底に君臣関係があることを本書は強調します。その点を曖昧にしたり捨て去ったりしたような第二次世界大戦後の現代語訳から、教育勅語の家族道徳のような「普遍性」を強調することには大きな問題がある、というわけです。本書は、後期水戸学が教育勅語の世界観に大きな影響を与えた、と指摘します。本書は、現代にも続く後期水戸学の影響の一例として、江戸時代には一般的ではなかった「幕府」の使用を挙げています。本書が後期水戸学の大成者として評価しているのは、会沢正志斎です。本書は、会沢正志斎『新論』の独自性として、忠孝の起源を漢籍ではなく日本神話に求めたことを挙げています。
この後期水戸学と国学とは尊王攘夷思想を鼓吹した点では似ているものの、根本的には必ずしも相性がよくなかった、と本書は指摘します。後期水戸学はあくまでも儒教思想に基づいており、国学の立場からは「漢意(中国かぶれ)」となりますし、日本神話をそのまま信じる国学は、後期水戸学にとって「怪力乱神を語る」だった、というわけです。国学では、江戸時代後期の平田篤胤がきょくたんに日本中心的な思想を展開し、その影響を受けた佐藤信淵は、日本による世界征服を主張します。そうした国学的主張は記紀神話に基づいていましたが、かなり強引な解釈だったことを、本書は指摘します。ただ本書は、平田篤胤や佐藤信淵の思想が近代日本国家において影響力を維持し続け、領土拡大の根拠になったのではなく、領土拡大の過程で「発見」されたことに、注意を促します。
近代日本が対外戦争によって、日本列島を越えて台湾や朝鮮半島や満洲にまで勢力を拡大していく中で、前近代の「対外戦争」の指導者として、北条時宗や羽柴秀吉とともに称揚されていったのが神功皇后でした。明治時代前半には、神功皇后は紙幣の肖像にも起用され、人気が高かったのですが、早くも日露戦争終の頃にはその人気に翳りが差していた、と本書は指摘します。本書はその一因として、近代において女性は戦うのではなく家を守る存在と考えられたことを挙げています。
こうした神話に基づく大日本帝国を本書は「神話国家」と呼び、それは第二次世界大戦での敗北により終焉します。本書は、国体にしても三種の神器にしても近代国家急造のための方便で、明治時代の「建国」の指導者は神話を方便と踏まえたうえで、国民的動員の装置として機能させようとしたのだろう、と指摘します。その「神話」が、昭和時代には世界恐慌やマルクス主義に向き合う中で、天皇や指導者の言動まで拘束することになり、方便を守るために国民の生命が犠牲にされていった、と本書は指摘します。本書は、「神話」もしくは「物語」にはそうした危険性があることを踏まえたうえで、長く日本の指針となるような新たな国民的物語の創出にさいして、大日本帝国の「神話」や「物語」の的確な理解が必要であることを示しています。
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