ヨーロッパ中央部の紀元前千年紀の「初期ケルト」のゲノムデータから推測される「王朝」継承

 ドイツ南部で発見された紀元前千年紀の人類のゲノムデータを報告した研究(Gretzinger et al., 2024)が公表されました。アルプス山脈以北のヨーロッパの鉄器時代は、ハルシュタット(Hallstatt)文化(紀元前800~紀元前450年頃)とララ・テーヌ(La Tène)文化(紀元前450~紀元前50年頃)という二つの文化を特徴とします。これらの文化は「初期ケルト」と呼ばれ、儀式用の馬車や調度品や金製の宝飾品や輸入品など含む埋葬塚、あるいは大規模な饗宴によって認識されています。豪華な副葬品を含む子供の墓は、富と力が世代を越えて伝えられた可能性を示唆していますが、この仮説に対しては、政治制度の性質に関して異論が多く提示されています。

 本論文は、「初期ケルト」期となる、ドイツ南部で発見された前期鉄器時代の紀元前616~紀元前200年頃の人類のゲノムデータから、上流階層において「王朝」的な社会的継承が行なわれていた可能性を指摘しています。遠く100km離れた上流階層の3ヶ所の埋葬にまたがる生物学的親族関係が特定され、そのうち2ヶ所で発見された2個体は、おそらく母方のオジとオイの関係にあり、母系での「王朝」継承の可能性が指摘されています。上流階層のゲノムの祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)はイベリア半島からヨーロッパ中央部および東部全域までの広範な地理的規模で共有されており、支配者一族が広範な地域を越えてつながっていた可能性も示されています。


●要約

 現在のフランスとドイツとスイスの前期鉄器時代(紀元前800~紀元前450年頃)は「西方ハルシュタット圏(West-Hallstattkreis)」として知られており、アルプス以北の超地域的組織の最古級の証拠を特徴づけるものとして際立っています。これは「初期ケルト」と呼ばれることが多く、その後の文化現象や社会および人口構造との暫定的なつながりの示唆は、不可解なままです。本論文は、紀元前616~紀元前200年頃となる、ドイツ南部のこの状況の31個体のゲノムおよび同位体データを提示します。

 本論文は、上流階層の3ヶ所の埋葬にまたがる、遠く100km離れた複数の生物学的に親族関係にある3集団を特定し、これは同位体データから推測される地域を横断する個体の移動によって裏づけられます。これらには、ハルシュタット文化の最も豊かな埋葬塚の2基間の密接な生物学的関係が含まれます。ベイズモデル化は2個体間のオジとオイのような関係を示しており、これは初期ケルトの上流階層における母系での王朝継承慣行を示唆しているかもしれません。本論文では、後期鉄器時代(紀元前450~紀元後50年頃)後の衰退を経ながらも、上流階層の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)はイベリア半島からヨーロッパ中央部および東部全域までの広範な地理的規模で共有されている、と示されます。


●研究史

 アルプス以北のヨーロッパの鉄器時代は、二つの重要な考古学的文化であるハルシュタット(紀元前800~紀元前450年頃)およびラ・テーヌ(紀元前450年~ローマ期開始となる紀元後50年頃)によって特徴づけられ、これらは程度の差こそあれ、「ケルト」として説明されてきました。現在、民族名として問題があると考えられている名称「ケルト」は、紀元前6世紀後半のギリシアの文献で初めて言及され、ラ・テーヌ文化と関連する社会についての古文献で多く使われています。この歴史的記録およびその後のハルシュタットおよびラ・テーヌ文化との関連を除いて、ヨーロッパの大半にまたがる共通の先史時代の語族(ケルト語族)に関する言語学的証拠とのつながりもあります。じっさい、この期間における文化的つながりについての汎ヨーロッパ的パターンと言語学の証拠は複雑で、イベリア半島とブリテン諸島からヨーロッパ中央部を経て遠く東方のアナトリア半島までの広範な地域が包含されます(紀元前3世紀)。

 以前の研究はアルプスの北西の比較的狭く定義された地域におけるこの後期汎ヨーロッパ的現象を想定していましたが、新たな視点では、大西洋沿岸とドイツ南西部との間の広範な地域における多中心的出現のモデルが示唆されています。これら中核地域の一つは、現在のフランス東部とスイスとドイツ北西部に位置していました。紀元前600~紀元前400年頃(ハルシュタット文化Dとラ・テーヌ文化A)にはこの地域は、「フュルステングレーベル(Fürstengräber)」と呼ばれる豊かな「王侯」の埋葬によって浮き彫りになるように、その考古学的重要性で際立っていました。

 これらの埋葬は、儀式用荷馬車や家具や金製装身具類やギリシアおよびエトルリア文化圏からの輸入品や広範な飲食供給など、記念碑的な埋葬塚や豪華な副葬品によって特徴づけられます。そうした稀で貴重な品々は通常、傑出した社会的地位を示している、と考えられてきました。前期鉄器時代を通じて、それら王侯埋葬内の戦士と聖霊および宗教的表現はますます密集していき、世俗的権力と精神的権力が統合され、おそらくは単なる指導者ではなく聖霊的な王に匹敵するでしょう。その死後に、この王侯上流階層の構成員は堂々たる記念碑の下に葬られ、英雄的祖先として記念されるようになりました。この発展が進むにつれて、これらの個体の一部は、紀元前400年頃のラ・テーヌ文化初期に建てられたヘッセン州のグラウブルク(Glauberg)近くの埋葬記念碑など、大きな記念碑複合施設において神のように埋葬されて崇拝されました。したがって、これらの記念碑的な王族埋葬は、政治的主導権が少なくとも部分的には生物学的に継承された特権に基づいていた権力の王朝的制度を表しており、これは初期の複雑な社会の特徴です。

 初期ケルトの政治制度の性質もとくに生物学的親族関係の重要性は、現在まで激しく議論されてきました。一部の学者はこれらの使者を、その高い社会的地位を相続の前提条件なしに生涯において個人的功績で獲得した、「村落の長老」と解釈しました。ひじょうに富裕な子供の埋葬の存在は、壮大な社会的地位および名声を示唆しており、自力で獲得した名声とのこの仮説と矛盾するようで、それは、そうした若い個体群がそのような地位を短い生涯において獲得することはとても不可能で、代わりにそうした地位を継承したに違いないからです。上流階層一族間の世襲した地位との主張は、死亡した王子や王女の儀式的権威と関連する金製装身具類や貴重な酒器や馬車など、権力の象徴の繰り返しの組み合わせによってさらに裏づけられます。世襲権力の王朝制度の中心的側面は、生物学的近縁性です。里子や養子縁組などの社会的親類を含めて他の形態の親族関係があり、それは埋葬考古学からの推測がきわめて困難ですが、生物学的近縁性は遺伝的データを用いて決定的に再構築できます。したがって、古代DNAはこの問題に取り組むための独特な手段ですが、これまで成功していませんでした。本論文は、ドイツ南西部の初期ケルト社会と、紀元前6世紀および紀元前5世紀における政治組織についてのゲノム規模の証拠を提示します。


●王朝的なケルトの上流階層の証拠

 ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州の7ヶ所の上流階層所在地から高位の31個体と二次埋葬が選択され、つまり、大きな塚であるマグダレーネンベルク(Magdalenenberg)遺跡(17個体)、エバーディンゲン・ホーホドルフ(Eberdingen-Hochdorf)の埋葬塚(4個体)、アスペルク・グラーフェンビュール(Asperg-Grafenbühl)遺跡(3個体)、ルートヴィヒスブルク・レーメルヒューゲル(Ludwigsburg-Römerhügel)遺跡(3個体)、ディッツィンゲン・シェッキンゲン(Ditzingen-Schöckingen)遺跡の王侯埋葬(1個体)、ホイネブルク(Heuneburg)集落(2個体)、アルテ・ブルク(Alte Burg)祭祀場(1個体)です(図1)。以下は本論文の図1です。
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 それらの個体について、錐体骨と歯から粉末が調整され、古代DNAが抽出されて、二本鎖もしくは一本鎖のDNAライブラリへと変換されました。混合DNA捕獲のため全ライブラリが選択され、約124万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)と重複するDNA断片で古代DNAライブラリが濃縮され、全標本で新たなゲノム規模配列が生成されました。ディッツィンゲン・シェッキンゲン遺跡の埋葬については、ミトコンドリアゲノムのみが回収されました。標的ゲノム規模SNPにおける最終的な平均網羅率は0.76倍で(平均で339000ヶ所のSNP)、内在性DNAの割合はほぼ全ての標本でひじょうに低く、中央値は0.55%でした。男性20個体と女性11個体が遺伝的に特定され、マグダレーネンベルク(MB017)とエバーディンゲン・ホーホドルフ(HOC001)とアスペルク・グラーフェンビュール(APG001)の3ヶ所の中心的埋葬は男性、ディッツィンゲン・シェッキンゲンの中心的埋葬は女性で、骨学的分類が裏づけられました。ゲノム規模配列に加えて、これまで同位体データが利用可能ではなかった個体のうち17個体で、酸素同位体(δ¹⁸O)値とストロンチウム同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)値が測定され、個体の移動性のパターンが再構築されました。

 調べられた個体のうち、数組の密接な生物学的関係が特定されました(図1)。最も顕著なものとして、これにはヨーロッパ先史時代で最も豊かな埋葬のうち2基が含まれ、それはエバーディンゲン・ホーホドルフ(HOC001)とアスペルク・グラーフェンビュール(APG001)で、2親等の関係が特定されました。両男性個体は同じミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプロタイプJ1b1a1(2個の個人的変異を特徴とします)を共有しており、母系での近縁性が示唆されます。この2個体の同位体データはひじょうに類似しており、ネッカー(Neckar)川中流域における生物学的に利用可能なストロンチウムと一致し、両個体の地元出身を示しています。

 本論文は埋葬年代の考古学的推定値と死亡時年齢の推定値と複数の遺伝的証拠(常染色体の近縁度や同型接合性やmtDNA)を統合し、観察されていない家族構成員についての潜在変数を用いて、両個体をつなぐ系図について、ベイズモデルを導きだしました。とくに母親の妥当な年齢の分布によって制約され(Wang et al., 2023)、本論文は、1親等および2親等の遺伝的近縁性と一致する11のあり得る系図についての周辺事後確率を得て、HOC001の娘がAPG001の母親という母方の祖母と孫のモデル(6.6%)や、多くの可能性の低い仮定的状況(両親かキョウダイかイトコ)と比較して、最も可能性が高い関係として、HOC001の姉妹がAPG001の母親というオジとオイの関係(86%)を特定しました(図2a)。これらの結果は、時間的順序および考古学的データに基づく関係についての以前の推測と一致します。

 本論文のベイズ系図モデルは、観察されていない家族構成員の誕生年代と年齢も予測し(最も可能性の高いモデルとして図2b)、これら王侯個体群のあり得る生活史を垣間見ることができます。この2個体【HOC001とAPG001】間の密接な生物学的関係は、その例外的な身長も説明できるかもしれません。上流階層墓の男性個体群は二次埋葬の男性個体群よりもかなり身長が高く、HOC001はその親族のAPG001に次いで、鉄器時代ドイツ南部の完全な骨学的記録において高身長です。これは、より良好な栄養摂取の他に、遺伝的近縁性も身長におけるこの社会的差異に寄与したかもしれない、という可能性を浮き彫りにします。以下は本論文の図2です。
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 第二の目立つ発見は、マグダレーネンベルク遺跡の豊かな供え物のある女性個体MBG009とエバーディンゲン・ホーホドルフ遺跡の二次埋葬個体HOC003との間の長距離の3親等の生物学的親族関係で、これは100km以上、約100年間にまたがる親族の組み合わせです。成人男性HOC003は、エバーディンゲン・ホーホドルフ遺跡の他の二次埋葬もしくは中心墓のどの個体とも親族関係ではありません。一貫して、HOC003はマグダレーネンベルクと関連する集落であるカプフ(Kapf)周辺地域で育ったことと一致する同位体値を示しますが、エバーディンゲン・ホーホドルフの北側の出自の可能性もあります。長い地理的距離にわたるそうした密接な遺跡間の関係は、考古学的記録ではきわめて稀で、本論文が把握している限りでは、これまで2親等の親族関係の類例が一つだけです(Margaryan et al., 2020)。この事例における墓間の年代的違いに基づくと、曾祖母と曽孫男子のような両個体間の祖先関係が最も可能性は高いようです。この親族集団内では、MBG009と若い成人男性MBG003との間の3親等の関係がさらに特定されました。この両個体は同じmtDNAハプロタイプH1c9を共有しており、密接な親族関係はおそらく母系に由来する、と示唆されます。

 親族の第三の遺跡間集団が特定され、これは2親等の親族MBG004(成人女性)とMBG016(成人男性)、そのより遠い親族MBG017(中心の王侯埋葬)とエバーディンゲン・ホーホドルフの別の二次埋葬個体HOC004で、HOC004は6~8親等の親族に典型的な同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)を共有しており、これら4個体は全員最近の共通祖先を有している、と示唆されます(図1)。MBG016とMBG004の両個体は埋葬群内では例外的で、MBG016の供え物の少ない墓は、他の埋葬と重複し、非定型的方向となっている唯一の墓ですが、MBG004の墓はひじょうに豊かです。この両個体【MBG016とMBG004】は塚の初期段階に属しているので、創始者家族と関連していたかもしれません。MBG004は別の若い成人の女性個体MBG004のすぐ近くに埋葬されており、MBG005はMBG004との遺伝的関係を示さず、ネッカー川中流域に典型的なストロンチウム同位体を示しており、ネッカー川中流域にはエバーディンゲン・ホーホドルフ遺跡とアスペルク・グラーフェンビュール遺跡とディッツィンゲン・シェッキンゲン遺跡が位置しています。要注意なのは、中心埋葬と二次埋葬との間で検出された生物学的近縁性が、「拡大家族」の「親族集団」埋葬塚としてのマグダレーネンベルク遺跡の解釈と一致することです。

 興味深いことに、この第三の親族の遺跡間集団は、分析された他の個体の残りよりも顕著に多くのヨーロッパ南部祖先系統(93.6±1.9%対59.9±3.9%)を、したがって有意により多くの初期ヨーロッパ農耕民(Early European Farmer、略してEEF)祖先系統(55.6±0.9%対48.4±1.1%)を有しています。これは、マグダレーネンベルク遺跡上流階層の祖先の、在来ではない、ヨーロッパ南部起源を示唆しているかもしれません。したがって、MOBESTを適用して、5660年前頃の以前に刊行された古代人のゲノムとの遺伝的類似性の時空間的補間法が実行され、地理的起源の代理として解釈できる初期鉄器時代ヨーロッパ全域で類似性確率が得られました。これら4点の標本(MBG004とMBG016とMBG017とHOC004)すべてでイタリア北部の推定されるアルプス以北の起源が検出されましたが、検証されたハルシュタット文化の他のすべての個体の起源は、それぞれの遺跡に近いアルプスの北側に位置しています(図3a・b)。注目すべきことに、これらの個体は常染色体と比較して、X染色体上における過剰なEEF祖先系統を特徴とします(83.5±9.9%対する55±1.1%)。先行研究(Mathieson et al., 2018)で説明された公式を適用すると、標本抽出されたハルシュタット文化人口集団の残りにおけるX染色体と常染色体上のEEF祖先系統の違いは検出されなかったので、主要集団における性別の偏った混合の証拠はありません。以下は本論文の図3です。
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 各遺跡に焦点を合わせると、二次埋葬のMBG001とMBG013や、3人の埋葬MBG002とMBG011とMBG012の間で(図1では示されていません)いくつかの生物学的関係(3~4親等)が再構築され、その全員がマグダレーネンベルク遺跡およびシュヴァルツヴァルト(Schwarzwald、Black Forest)の周辺地域の同位体組成を示します。対照的に、アスペルク・グラーフェンビュール遺跡とエバーディンゲン・ホーホドルフ遺跡の二次埋葬はそれぞれの中心墓の誰とも親族関係にありません。アスペルク・グラーフェンビュール遺跡内では、二次二重埋葬の使者2個体である、成人女性のAPG002と男児APG003も生物学的に相互と親族関係になく、里親養育の事例を表しているかもしれません(考察で後述)。

 さらに、APG003は安定同位体の観点では外れ値で、アルテ・ブルク遺跡の立坑で八消されたラ・テーヌ文化期の男性個体LAN001とひじょうに類似したδ¹⁸Oおよび⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値を示します。LAN001はヨーロッパ北西部沿岸もしくはドイツ中央部出身である可能性が最も高く、これはMOBESTでも裏づけられる発見ですが(図3c)、APG003は遺伝的に在来のようです。APG003のδ¹⁸O水準はむしろ、気候的に異なる地域に由来するよりも、母乳摂取を反映しているかもしれません。じっさい、APG003の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値はHOC003とひじょうに類似しており、マグダレーネンベルク遺跡周辺の生物学的に利用可能なストロンチウムと一致し、遺跡間の移動に関する本論文の遺伝学的観察を裏づけます。

 一般的に、本論文の標本における男女の個体群はストロンチウムおよび酸素の同位体値で有意に異なっていません。これは、ドイツ南部の前期および中期青銅器時代における移動性の分析とは対照的で、そこでは男性よりずっと多くの外来女性が発見されました(Mittnik et al., 2019)。さらに、外来の出自の指標として、副葬品とδ¹⁸Oと古代DNAとの間の有意な関連が見つかりませんでした。そこで本論文は、多数の墓がヨーロッパ南部(とくにイタリア北部および/もしくはアルプス南西部)のアルプス以北起源の人工遺物を示し、広範で継続的な個人単位の移動とともに文化伝播を示唆する、マグダレーネンベルク遺跡に焦点を当てました。

 同位体と古代DNA両方のデータが利用可能な個体群が、ヨーロッパ南部の地元ではない人工遺物の存在に基づいて2群に分類されました。その結果、地元ではない人工遺物(16基の墓のうち6基に存在します)はEEF祖先系統のより高い割合ともδ¹⁸O値とも統計的に有意に相関しておらず、両者ともアルプス以南起源を示唆している、と分かりました。したがって、ヨーロッパ南部系の副葬品はマグダレーネンベルク遺跡人口集団におけるヨーロッパ南部起源の信頼できる指標を構成しないものの、本論文の同位体および古代DNAデータ経由で埋葬塚におけるそうした起源の個体群が特定されます。これは成人女性個体MBG010の事例に置いてとくに明らかで、MBG010はイタリア半島北部もしくはイベリア半島起源を示唆するδ¹⁸Oおよび⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値を示していますが、ヨーロッパ南部系副葬品で埋葬されておらず、それらの地域との過剰な遺伝的類似性も示しません。

 生物学的関係についての本論文の調査結果を補うため、近親婚を示唆する同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の証拠について全個体が分析されました。本論文はじっさい、ROHが増加した2個体、つまりMBG004とAPG003を見つけました。この両個体は合計で150 cM(センチモルガン)以上のROHを示し、最近の近親交配が示唆され、最も可能性が高いのはイトコ同士の両親です。そうした高水準がかんこうされている記録ではひじょうに稀であることを考えると、比較的小規模の30個体のうち近親婚により生まれた2個体の存在は、考古学的記録では他の古代社会よりもドイツ南西部のハルシュタット文化上流階層においてより高頻度だった、と示唆しているかもしれません。


●西方ハルシュタット文化の遺伝子プールの出現と衰退

 本論文の初期鉄器時代標本のゲノム規模データが、ユーラシアの古代人5665個体および現代人10176個体の参照データセットと比較されました。主成分分析(principal component analysis、略してPCA)によってヨーロッパ現代人の多様性に投影すると、鉄器時代個体群は現代ドイツ人とは遺伝的空間で分離し、現在のフランス人および他のヨーロッパ南部個体群とより近くに位置する、と分かりました。同時代のデータと比較すると、ハルシュタット文化個体群は、フランス現代人の差異内で、バイエルンのレヒ(Lech)渓谷の鉄器時代標本(Mittnik et al., 2019)とともに、現在のフランスおよびチェコ共和国の鉄器時代標本(Patterson et al., 2022)の中間において均一にクラスタ化します(まとまります)。ドイツの先史時代と現在の個体群の間の分岐は、人口集団と個体両方の水準で、遺伝的距離(Fₛₜ)の分布やアレル(対立遺伝子)頻度の相関(F₄)でも見られます。本論文で分析されたドイツ南部のハルシュタット文化個体群と青銅器時代および鉄器時代フランスの個体群との間の遺伝的類似性は、イベリア半島からバルカン半島にまたがるより広範な遺伝的連続体の一部で、共通の遺伝的祖先系統構成要素を特徴とします(図4a、緑色のCWE、つまりヨーロッパ西部およびイベリア半島構成要素)。以下は本論文の図4です。
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 この広範な連続体は、遠位祖先系統の割合の分析から分かる共通の人口統計学的過程によって特徴づけられます。とくに、qpAdmを用いると、EEF祖先系統の増加と、中期青銅器時代および鉄器時代で頂点に達し、フランスと土井南部の遺伝子プールを網羅する後期新石器時代の鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、略してBBC)期以後のヤムナヤ(Yamnaya)およびポルタフカ(Poltavka)文化牧畜民(旧草原地帯)祖先系統の減少が論証されます。EEFのこの増加には、EEFおよび草原地帯祖先系統の観点では遺伝子プールの均一化が伴い、これは時代間の個体ごとの統計F₄(ヨルバ人、検証対象;旧草原地帯、EEF)の分散の顕著な減少によって示されます。この現象は以前に説明されており(Mittnik et al., 2019)、草原地帯関連人口集団からの遺伝子流動をさほど経ていない、おもにヨーロッパ南部の他地域における共存集団との継続的な混合を反映しているかもしれません。それは、EEF祖先系統が青銅器時代においてヨーロッパ中央部および西部全域でより類似するようになった広範な傾向の一部で、とくに後期青銅器時代の骨壺墓地(Urnfield)文化期における文化的交流強化の考古学的証拠と一致します(Patterson et al., 2022)。

 じっさい、この地域の個体群における混合時期を紀元前2500~紀元前500年頃の範囲で推定すると、混合年代は各個体の年代とともに顕著に減少する、と観察され、傾きが1.0(0.75±0.13)に近づき、これは混合の単一の波動とは矛盾しますが、変化間内連続的で継続的な混合と一致します。この青銅器時代のEEF復活のあり得る供給源への洞察を得るため、qpAdmでまとめられたハルシュタット文化個体群が、前期青銅器時代(Early Bronze Age、略してEBA)のドイツのレヒ渓谷クラスタ(ドイツ_レヒ_EBA)と第二の供給源の混合としてモデル化されて、第二の供給源については、いくつかの潜在的な代理が特定され、その全てはヨーロッパ南西部、とくにイベリア半島とイタリア半島に位置しました。

 ハルシュタット文化集団内で個々の祖先系統を調べるため、ドイツ南部レヒ渓谷の中期青銅器時代(Middle Bronze Age、略してMBA)人口集団が在来祖先系統の代理として用いられました。じっさい、ほとんどのハルシュタット文化個体はその祖先系統のすべてをドイツ_レヒ_MBAから受け取った、とのモデルと適合し、例外は、以前に説明された南方外れ値のMBG004およびMBG016と北方外れ値のアルテ・ブルク遺跡のLAN001です。LAN001はその祖先系統の大半を、オランダとザクセン・アンハルト州の青銅器時代および鉄器時代の人口集団と最も密接に関連しているより北方のヨーロッパ供給源から受け取っており、これはヨーロッパ北西部沿岸もしくはドイツ中央部起源を裏づけるδ¹⁸O値の増加とも一致します。

 ラ・テーヌ文化期におけるより多くのヨーロッパ北部祖先系統の個体群の到来は、近隣のチェコ共和国の慣行データでも観察でき(Patterson et al., 2022)、本論文はこれについて、教師有クラスタ化を用いて個体の祖先系統構成要素を分析し、ハルシュタット文化期からラ・テーヌ文化期のヨーロッパ北部祖先系統に関して以前には説明されなかった遺伝子プールの多様化を検出しました。ドイツ南部(ここではバーデン=ヴュルテンベルク州とバイエルン州)では、ヨーロッパ北部からの流入が広がり、鉄器時代と中世前期との間の大きな遺伝的置換となりました(図4c)。それは、遺伝子プールの再度の多様化とともに、EEF祖先系統の急激な減少と、草原地帯関連祖先系統のかなりの復活によって示されています。

 ハルシュタット文化人口集団は現在のフランス人やスペイン人やベルギー人と最高の遺伝的類似性を示しますが、アレマン人やババリア人などドイツ南部の中世初期の人口集団(O’Sullivan et al., 2018、Veeramah et al., 2018)は、現在のデンマーク人やドイツ北部人やオランダ人やスカンジナビア半島人と最も密接な類似性を示し、ドイツ北部とスカンジナビア半島の鉄器時代および中世集団と遺伝的に区別できません。これは、qpWave分析および教師有ADMIXTUREによって示唆されているように(図4c)、そうした地域からの大きな遺伝子流入の結果である、と本論文は主張します。ドイツの北部地域(ここでは、ザクセン・アンハルト州とニーダーザクセン州とメクレンブルク=フォアポンメルン州とシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州)は、ドイツ南部とは大きく異なる遺伝的軌跡を経ました。ドイツ北部の青銅器時代および鉄器時代人口集団も追加のEEF祖先系統を受け取りましたが、それはドイツ南部に到来した祖先系統よりかなり少なく、デンマークとスウェーデンとノルウェーの同時代の人口集団と高度に類似した草原地帯祖先系統の豊富な遺伝子プールを形成しました。

 ドイツ北部からの移住はドイツ南部へとEEFの希釈された祖先系統をもたらし、その結果、ヨーロッパ北部祖先系統の中央値が鉄器時代の2.8%から中世初期の62.5%へと上昇し、I1(M253)のようなY染色体ハプログループ(YHg)の形態で新たな父方祖先系統がもたらされました。この移住の正確な年代測定はできませんが、バイエルン州およびチューリンゲン(Thuringia)のローマ期(Veeramah et al., 2018)と後期鉄器時代(Antonio et al., 2024)のデータから、ドイツ南部における初期鉄器時代遺伝子プールの一部は紀元後4もしくは5世紀まで影響を受けなかった(これらの標本では、ヨーロッパ北部祖先系統の中央値が8%を超えません)、と示唆されます。一般的に、この置換は人々のより大規模な移動の一部だったようで、ヨーロッパ北部祖先系統をイングランド(Schiffels et al., 2016)やハンガリー(Amorim et al., 2018)やイタリア(Amorim et al., 2018)やスペイン(Olalde et al., 2019)の中世初期人口集団にもたらしました。

 ほとんどの現代ドイツ人はハルシュタット文化クラスタと中世初期ドイツ南部クラスタとの間に位置し、とくにドイツ南部におけるEEFの豊富な祖先系統の復活が示唆されます。これはY片親性遺伝標識であるY染色体の証拠でも示唆されています。ハルシュタット文化集団のY染色体遺伝子プールはおもにYHg-R1b1a1b(M269)とYHg-G2a2b2a(P303)が優勢で、YHg-G2a2b2aの下位ハプログループであるG2a2b2a1a1b(L497)は標本のハプロタイプの37%を占めている、と分かりました。興味深いことに、YHg-G2a2b2a1a1bの個体群(たとえば、MBG017やMBG016やHOC004)はYHg-R1b1a1bの個体群よりも顕著に多いヨーロッパ南部祖先系統を示す、と分かりました。YHg-G2aはアルプス以北の現在のヨーロッパではひじょうに稀ですが、YHg-G2a2b2a1a1bは以前の西方ハルシュタット圏、つまりフランス東部やドイツ南部やスイスと、イタリア北部では依然として最高に達しているので、それらの地域におけるハルシュタット鉄器時代祖先系統をの存続もしくは復活の追加の証拠を提供します。ほとんどの現代ドイツ人は、ドイツ南部の前期鉄器時代(Early Iron Age、略してEIA)集団(ドイツ南部_ EIA)54.4±2%とドイツ北部_ローマ期(33.8±2.5%)と、第三のヨーロッパ北東部供給源(ここではラトヴィア_BA)の3方向混合としてモデル化でき、最初の混合事象後のさらなる混合を表しており、中世においてドイツ頭部へと移住してきたスラブ語派話者人口集団とも関連しているかもしれません。


●考察

 世襲の指導者の地位は、世界中の初期の歴史的に記録されている複雑な社会の重要な一側面として説明されていますが、考古学的記録のみでは正面困難です。片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)と常染色体のデータを組み合わせると、ヨーロッパ先史時代の最も豊かな墓のうち2基を代表する、エバーディンゲン・ホーホドルフ遺跡(HOC001)とアスペルク・グラーフェンビュール遺跡(APG001)の中心の王侯埋葬2個体間の密接な生物学的関係を証明できます。年代測定および死亡時年齢の骨学的推定値とともに、本論文の系図モデル化は、母方のオジとその姉妹の子供であるオイの関係(最も可能性が高いモデル)もしくは祖父とその娘の息子である孫息子のモデルを示し、この場合には、制度化された権力は君主(HOC001)から母系で継承され、最も可能性が高いのはHOC001の姉もしくは妹の息子(APG001)を介してで、可能性が低いのは、HOC001の娘の息子(APG001)を介してだった、と示唆されます。これらのうち最初のかなり可能性がより高い仮定的状況は、紀元前5もしくは4世紀の初期ケルトにおけるオジ関係に関する歴史的な(その後の)ローマ期の記述と一致しそうです。現在、母系で組織化された社会は世界の人口集団のわずか12~17%しか表しておらず、社会の大半は父系的に組織されており、これはヨーロッパの新石器時代および青銅器時代共同体の古代DNA研究からも明らかなパターンです(Mittnik et al., 2019、Fowler et al., 2022、Rivollat et al., 2023)。しかし、世襲的な指導者の地位が多世代の母系子孫集団で継承された先史時代社会の世界的な事例が知られています(Kennett et al., 2017)。鉄器時代のヨーロッパについては、王位の母系継承がエトルリアと古代ローマで記録されています。

 母系でのオジ組織は、婚外配偶が一般的および/もしくは父性確信が低い人口集団で現れる、と示されているので、男性は自身の妻の子供よりも、姉妹の子供の方と遺伝的により近い親族関係にある可能性がより高く、最終的には姉妹の子供への投資を好みます。この文脈では、アスペルク・グラーフェンビュール遺跡とマグダレーネンベルク遺跡の2個体における近親交配の観察は示唆的です。この両個体はイトコ同士の交配の子供である可能性が最も高く、これは父性確実性およびオジ組織と関連することが多い慣行で、母系社会の男性は自身の妻の子供と結婚している姉妹の子供に寄与することができます。古代DNA記録では、イトコ同士の交配はひじょうに稀で、イトコ同士の子供につい一致するROHを示す古代の個体は3%未満です。しかし本論文では、この指導者の地位の制度はドイツ南部に限定されており、ハルシュタット文化圏の他地域には適用できないかもしれない、と浮き彫りになります。さらに、上流階層とより大きな一般人口との間では違いがあるかもしれません。スロベニアにおけるハルシュタット文化のドルゲ・ジャイヴ古墳墓地(Hallstatt Dolge njive barrow cemetery)は、埋葬された人口集団について厳密には母系と父系どちらの親族関係構造とも一致せず、養子縁組や里子など男女両方の系統に沿ったより複雑な世襲制度を示唆しているかもしれません。

 この文脈では、近親交配のアスペルク・グラーフェンビュール遺跡の子供(APG003)と、共に埋葬された成人女性(APG002)との間の遺伝的関係も、主要埋葬も見つからず、身分集団間の忠誠に関する相互要求の確立、および最終的には封建国家形成と関連する慣行である、「同盟里子」の事例を表しているかもしれません。さらに、里子モデルは⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値によっても裏づけられそうで、里子はマグダレーネンベルク遺跡の周辺出身だった、と示唆され、大陸部および島嶼部のケルト上流階層における非親族の里子との文字記録と一致します。

 より古いマグダレーネンベルク遺跡とより新しいエバーディンゲン・ホーホドルフ遺跡との間の家族の相互関係のさらなる証拠が、MBG009とHOC0033との間の3親等の遺伝的関係、およびマグダレーネンベルク遺跡の王侯埋葬個体MBG017と二次埋葬個体MBG017とHOC004との間の7~8親等の関係の形態で見つかりました。HOC001とAPG001との間の関係とまとめると、これらのつながりは3ヶ所の記念碑的塚を結びつけます。100km以上の直線の地理的距離と最大140年の時間範囲にわたる無作為ではない交配のそうした事例は、高度な社会的複雑さと地域規模の階層の出現を示唆します。一般的に、マグダレーネンベルク遺跡人口集団の同位体特性は、その生涯における高度で大陸規模の移動性を示唆しており、遠方の上流階層の中心地を結びつけ、広範囲の社会的および経済的なハルシュタット文化網を形成した、婚姻同盟構造と後援者による里子痕跡を表しているかもしれません。

 これらの交流網の初期ケルトの上流階層は、以前には草原地帯関連人口集団からの遺伝子流動をさほど経なかったヨーロッパ南部で共存する集団との継続的な混合の長期の集団遺伝学的過程から出現しました(Mittnik et al., 2019、Patterson et al., 2022)。この文脈では、紀元前616年のマグダレーネンベルク遺跡の中心墓のこの地域で最古級の上流階層埋葬とその親族が、アルプス以南の祖先系統の証拠を示し、それは初期ケルトのハルシュタット文化の最初の形成におけるこのつながりの主導的な役割を示唆しているかもしれない、という本論文の調査結果が浮き彫りになります。アルプスを越えた文化的つながりは、何世紀にもわたるこれら上流階層墓の物質文化にも保存されています。

 しかし、複雑な政治構造は紀元前5世紀と紀元前4世紀には崩壊し、最終的には放棄されました。本論文と以前に刊行された研究の遺伝的外れ値から、その後、紀元前4世紀と紀元前3世紀におけるケルトの移住の最盛期に、「ケルト」だけが移住したのではなく、少なくとも限定的な人数がヨーロッパ北部および中央部からラ・テーヌ文化の南方圏、さらにはイタリア北部へと到達し(Posth et al., 2021)、おそらくはキンブリ人やテウトネス人のような歴史的存在と関連していた、と示唆されます。歴史と考古学の記録は、ドイツ南西部における文化と人口の発展が、とくに紀元前3世紀~紀元前1世紀における顕著な不連続性によって一時的に特徴づけられたことに、疑いの余地を残しません。

 ドイツ南部における青銅器時代から鉄器時代を通じての相対的な遺伝的連続性の2000年間の決定的な終焉は、古代末期および中世前期における草原地帯関連祖先系統の突然の急増によって示されます。集団遺伝学的観点からは、バーデン=ヴュルテンベルク州とバイエルン州の6~7世紀の遺跡群の碑文にも記録されているように、これは移動期におけるドイツもしくはデンマークからのゲルマン語派話者部族の到来と一致します。中世においてもたらされたヨーロッパ東部からの祖先系統、および世界中からのより新しい遺伝子流入と合わせると、それらの祖先人口集団は現在のドイツ人集団の遺伝子プールを形成します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:古代DNAが示す初期ケルト人支配層の母系王朝

 ドイツ南西部の初期ケルト人の支配層は母系の王朝を維持していた可能性のあることを示唆する論文が、Nature Human Behaviourに掲載される。この知見は、西ヨーロッパから中央・東ヨーロッパにまで影響力を広げた初期ケルト人社会の構造を理解する上で役立つものである。

 アルプス山脈以北のヨーロッパの鉄器時代は、ハルシュタット文化(紀元前800~紀元前450年)とラ・テーヌ文化(紀元前450~紀元前約50年)という2つの考古学的文化を特徴とする。これらの文化は「初期ケルト」と呼ばれ、儀式用の馬車、調度品、金製の宝飾品、輸入品などの品々を含む埋葬塚、あるいは大規模な饗宴によって認識されている。豪華な副葬品を含む子どもの墓は、富と力が世代を越えて伝えられた可能性を示唆しているが、この仮説に対してや、政治システムの性質に関しては異論が多い。

 今回、Stephan Schiffels、Dirk Krausseらは、ドイツ南西部の7つの遺跡で、中央墳墓の外部に埋葬された高位の被葬者と他の埋葬者の合計31人(紀元前616~紀元前200年のものとされる)からゲノムデータと同位体データを抽出した。その結果、生物学的に近縁関係にある複数の集団が、100キロメートル離れた3カ所の支配層の埋葬地で見つかった。また、豪華な埋葬地のうちの2カ所から見つかった2人には、密接な生物学的近縁関係が見いだされた(おそらく母方のおじとおい)。

 さらに、約100キロメートル離れた別の遺跡に由来する2人が祖先関係(おそらく曽祖母と曾孫息子である)にある可能性のあることが分かった。この2人についても、母方の血縁関係にあると考えられた。このことは、この社会において母系の王家継承の慣行があったことを示している可能性があると著者らは考えている。

 著者らは、初期ケルト人の支配層における富と力は母系で継承されてきた可能性があり、また、支配者一族は現在のイベリア半島からドイツ南西部に至る広い地理的領域を越えて結び付いていた可能性があると示唆している。




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