貴州省の明代の人類のゲノムデータ

 中国南西部に位置する貴州省の明代の人類のゲノムデータを報告した研究(Zhang et al., 2024)が公表されました。本論文は、貴州省貴陽(Guiyang)市の大松山(Dasongshan、略してDSS)遺跡で発見された人類7個体のゲノムデータを報告し、現代人のみならず、上部旧石器時代(Upper Palaeolithic、略してUP)から前期新石器時代(Early Neolithic、略してEN)や中期新石器時代(Middle Neolithic、略してMN)や後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)や後期青銅器時代~鉄器時代(Late Bronze Age to Iron Age、略してLBIA)や歴史時代(historical era、略してHE)までの、既知の古代人と比較しています。中国南西部の他の既知の古代人のゲノムデータと比較すると、大松山遺跡集団は華北集団との遺伝的類似性がより多く、華南新石器時代集団的な遺伝的構成の集団と、黄河流域新石器時代集団的な遺伝的構成の集団との混合によって形成された、と示されました。また、大松山遺跡集団は族外婚で、人口規模は小さかった、と推測されます。


●要約

 中国南西部は、その民族と文化と言語の多様性によって特徴づけられていましたが、この地域における遺伝的特性と過去の人口集団の動的な歴史はあまり証明されていません。本論文は、中国南西部の中心地である貴州省の明王朝(1368~1644年)の7個体のゲノム規模の古代DNAデータを提示します。本論文が把握している限りでは、これはこの地域の最初の古代ゲノムデータです。中国南西部の他の刊行されている歴史時代のゲノムと比較すると、貴州省の明王朝期の大松山遺跡個体群は中国北部人とより多くの類似性を共有しており、中国南部の古代の人口集団と黄河流域の中国北部の農耕民によって遺伝的に混合していました。短い同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の分析から、大松山遺跡の人々はおそらく族外婚の習慣の小規模な人口集団を構成していた、と示唆されます。さらに、中国南西部における現在のチベット・ビルマ語派とタイ・カダイ語族とミャオ・ヤオ語族の話者集団は、古代の黄河農耕民と関連する追加の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しており、最近数世紀内の中国北部からの遺伝的流入が示唆されます。


●研究史

 最近の古代DNA研究は、中国における人口集団の動的な歴史を明らかにしてきており、さまざまな地域の人口集団間の明確な遺伝的分岐と、人口移動および文化的変容と一致する大規模な遺伝的混合がありました。福建省の奇和洞(Qihe Cave)遺跡や山東省の變變(Bianbian)遺跡など、それぞれ中国の南東部および北部のEN(前期新石器時代)人口集団は、独特なアジア東部関連祖先系統を有していました(Yang et al., 2020)。中国中央部の仰韶(Yangshao)文化と関連するMN(中期新石器時代)の農耕民は、古代中国北部人口集団との遺伝的類似性の増加を示します。しかし、LN(後期新石器時代)の龍山(Longshan)文化個体群は、中国南部からの稲作農耕の北方への拡大と関連する祖先系統からの寄与を明らかにしました(Ning et al., 2020)。

 中国南西部では、11000年前頃となる広西壮族(チワン族)自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)の1個体が、中国の北部および南東部の人口集団とは異なる遺伝的行け等を示しました(Wang et al., 2021)。包󠄁家山(Baojianshan)遺跡や独山洞窟(Dushan Cave)遺跡など9000~6000年前頃の広西チワン族自治区のその後の人口集団は、広範な混合を例証し、在来の隆林洞窟と中国南東部の奇和洞とアジア南東部のホアビン文化(Hòabìnhian)の個体群的な祖先系統を組み込んでおり、この地域の動的な先史時代の人口集団の相互作用を論証しています(Wang et al., 2021)。これらの研究は古代中国における主要な人口集団の起源と移動の理解を進めましたが、過去数世紀にわたる最近のヒトの歴史における人口動態の包括的枠組みは、まだほとんど調べられていません。

 歴史的な南方の絹の道(シルクロード)に位置する中国南西部の貴州省は、中国の内陸地域とアジア西部とアジア南部とヨーロッパとの間の対外交易や文化的交流や大規模な移住の重要な交差点でした(図1)。一方で、貴州省には多様な民族が暮らしており、主要な人口集団の漢人や、少数人口集団として、ミャオ・ヤオ語族やタイ・カダイ語族やチベット・ビルマ語派の話者集団が含まれ、この地域の複雑な人口史を反映しています。その重要性にも関わらず、ヒト遺骸の利用可能性が限られており、これは、この地域の遺伝的祖先系統と先史時代人口集団の社会的複雑さに関する詳細な知識が依然として乏しいままであることを意味しています。

 考古学的証拠から、貴州省地域には早くも中期更新世には人類が共住していた、と示されてきました。中国史における漢王朝(紀元前202~紀元後220年)以来、貴州省地域に暮らす古代人集団は中国北部の中原で設立された農耕王朝と相互作用してきました。これは、貴州省で発見された多くの中国様式の墓によって証明されています。歴史的記録によると、紀元前110年に漢王朝の武帝は【現在の】貴州省を支配下に置くため、移住や軍隊の駐屯を含めて、一連の処置を実行しました。中国の中原の文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】との相互作用は、何世紀にもわたってじょじょに強化されました。740年に、強力な唐帝国は黔中道(Qianzhong Dao)として知られる、【現在の】貴州省における公的な行政地域を設置しました。

 宋王朝期(960~1279年)の中国の中原で一般的だった模倣木造建築を特徴とする多くの墓が、貴州省で発掘されました。明王朝期の1413年には、明帝国が正式に貴州省を設置しました。同時に、ひじょうに多くの漢人兵士がこの地域に移転させられ、地元のミャオ人およびヤオ人を守るための駐屯地が設置されました。これは、この期間において貴州省に暮らすさまざまな集団間の多様性増加をもたらし、最終的には、現代の貴州省における多民族共存の特徴が生まれました。以下は本論文の図1です。
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 考古学的発見と文書記録が古代貴州省の人口史および近隣人口集団との相互作用を明らかにしている事実にも関わらず、人工移動と混合に関する定量的研究、とくに人口集団の相互作用を反映する、古代DNAからの直接的証拠を用いた研究は、現時点では不足しています。おもな課題は貴州省の温暖湿潤気候にあり、これによって古代DNAの保存が難しくなり、この地域における古ゲノム研究の不足につながっています。最近の古代DNA研究は、歴史時代における中国南西部の動的な人口移動を明らかにしてきました。広西チワン族自治区では、500年前頃にさかのぼるGaoHuaHua(Gaofeng遺跡Huaqjao遺跡とHuatuyan遺跡)人口集団は先行する古代の人口集団と異なる祖先系統を有していますが、中国北部の古代の人口集団との強い遺伝的類似性を示します(Wang et al., 2021)。四川盆地では、断崖墓に埋葬された東漢(後漢)期の個体群は、黄河の古代人集団と遺伝的に区別できません。しかし、貴州省の歴史時代の古代ゲノムの欠如のため、古代貴州省人口集団のゲノム特性、周辺集団との遺伝的混合、現在の貴州省人口集団への祖先系統の寄与は、あまり研究されてきませんでした。

 本論文は、貴州省の大松山遺跡の7個体の古代ゲノム規模データを報告し、これはこの地域で最初の古代ゲノムデータとなります(図1)。明王朝(1368~1644年)にさかのぼるこれら7個体は、過去数世紀における古代貴州省人口集団の遺伝的特徴への洞察を提供します。この地域の人口動態史をさらに調べるため、本論文で新たに生成されたデータが、地球儀の多様な人口集団から得られた現在の人口集団および周辺地域の古代人のゲノムから得られた、既知のデータとともに共同分析されました。


●大松山遺跡の考古学的背景と標本と手法

 大松山遺跡は、中国南西部の貴州省貴陽市の南部に位置します(図1)。2022年7月~2023年1月での共同考古学的発掘調査では、13500の広大な範囲が対象となり、金銀銅の製品や土器や漆器やガラスや翡翠など人工遺物4000点以上が発見されました。大松山遺跡は中国で最大級の公開埋葬遺跡で、西晋王朝(265~316年)から明王朝(1368~1644年)まで、1000年以上にわたる歴史が網羅されています。大松山遺跡の墓はおもに明王朝期のもので、当時の貴州省地域の人口集団の遺伝的遺産の調査のための貴重な研究資料を提供しています。

 合計で1944基の墓が明王朝期と確認され、その大半ではヒト骨格遺骸が発見されませんでした。この研究は、古代DNA抽出のため選択された保存状態良好な11個体に焦点が当てられ、それらは一貫して、大松山遺跡の他の明王朝期の墓と類似する埋葬形態と慣行を示します。標本抽出された埋葬のうち、M167とM117は垂直坑埋葬で、その他は石室墓です。発掘された人工遺物は限定的で、おもに土器の壺や銅の装飾品や数点の硬貨が構成されており、庶民の埋葬地と示唆されます。人工遺物と埋葬様式に基づくと、これらの墓の年代は確実に明王朝期と判断できます。

 これらの標本からDNA抽出と分析が試みられ、Y染色体の読み取り比率に基づく性別や、片親性遺伝標識のハプログループ、つまりミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)が決定されました。大松山遺跡の個体間の親族関係はREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)を用いて推定され、古代の個体群の同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)は、hapROHで検出されました(Ringbauer et al., 2021)。

 生成された大松山遺跡個体群のゲノムデータは、ヒト起源(Human Origins、略してHO)データセットおよびAADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)の「124万」データセット(Mallick et al., 2024)と統合されました。この統合データに基づいて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)やf3およびf4統計が計算されました。潜在的な起源集団とその割合の推定には、qpAdmソフトウェアが用いられました。

 外群として用いられた集団に含まれるのは、アフリカ中央部の狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)であるムブティ人、シベリアのシベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる現生人類男性1個体(ウスチイシム_HG)、アンダマン諸島先住民であるオンゲ人、ヨーロッパで最古級の現生人類(Homo sapiens)埋葬となる、ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の1個体(コステンキ14号)、イラン新石器時代農耕民であるガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡集団(イラン_ガンジュ・ダレー_N)、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体、ニューギニアの先住民であるパプア人、アメリカ大陸におけるクローヴィス(Clovis)文化と関連する後期更新世の1個体、バイカル湖地域の前期新石器時代(EN)狩猟採集民であるバイカル_EN、モンゴル南部(現在は中華人民共和国内モンゴル自治区)の裕民(Yumin)遺跡の8400年前頃の1個体です。

 大松山遺跡集団の近位供給源人口集団の選択から始まり、人口集団の分析結果に基づいて、古代中国の南北の代表が選択されました。具体的には、北方祖先系統を表す、黄河中流と下流両方の古代の2人口集団が選択され、それぞれ黄河_LBIAと山東_ENで、中国南部祖先系統については、四川盆地と広西チワン族自治区と福建省地域の全ての以前に刊行された古代の人口集団が含められました。中国南西部の現在の集団については、中国北部の祖先系統を表す黄河流域の古代人(黄河_LBIA、黄河_LN、黄河_MN、黄河上流_LN、山東_EN)のゲノムと、チベット関連祖先系統を表すチベット高原の、2800年前頃のチャムド(Chamdo)遺跡個体、5100年前頃のゾングリ(Zongri)遺跡個体、3000年前頃山南(Shannan)個体が選択されました。次に、広西チワン族自治区と貴州省の歴史時代の個体群、つまり独山洞窟(Dushan Cave)遺跡やBaBanQinCenやGaoHuaHuaやラセンやライ(LaYi)やシェンシー(Shenxi)イヤン(Yiyang)が、中国南部祖先系統の代表として選択されました。連鎖不平衡(linkage disequilibrium、略してLD)を減らすため、K(系統構成要素数)=2~20でモデルに基づくADMIXTURE分析が実行されました。交差検証(cross-validation、略してCV)誤差の評価後、K=8で最小CV誤差が得られる、と測定されました。


●ゲノム規模古代DNA

 古代DNAの存在について当初は11個体が検査され、7点の標本が4%以上の内在性DNA水準を示し、さらなる遺伝学的分析に適している、と確証されました。これらの選択された標本は低網羅率で配列決定され、その深度は0.07~0.82倍で、平均網羅率は0.32倍でした(表1)。「124万」パネルと重複する一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)の数は、77310~428956でした(表1)。配列決定データの分析から、DNA断片の5’末端と3’末端の両方で典型的な古代DNA損傷パターンが確証され、断片長は短く(平均で47~55塩基対)、これは古代DNA起源を示唆しています。mtDNA汚染は最小限で、標本全体では1~2%の範囲と分かりました。同様に、X染色体分析に基づく汚染推定値の範囲は0.2~3%で、この標本は高品質と示されます。遺伝的性別の決定に成功し、分析された7個体のうち、女性は4個体で、男性は3個体と明らかになりました(表1)。


●片親性遺伝標識と親族関係と人口規模

 大松山遺跡の標本7個体では、4系統の異なるmtHgが特定され、それは、B4c2とM32’56とR9b1a3とMで、顕著な遺伝的多様性が浮き彫りになります(表1)。とくに、4個体で見つかったmtHg-B4c2は以前には、雲南省の古代の人口集団と、傣人(Dai)やフアン人(Phuan)やラフ(Lahu)人など中国南部およびアジア南東部にまたがる現在の集団の両方で特定されてきました。本論文の標本ではmtHg-R9b1a3も観察され、これは中国南部の広西チワン族自治区の歴史時代の個体群、および中国南部やベトナムやタイやラオスの現代の人口集団に存在します。mtHg-M32’56はアジア南東部人、とくにタイで報告されています。最後に、mtDNAの読み取り量が限定的な単一個体GZM5はmtHg-Mに分類でき、これはアジア東部現代人で広く見られます。Y染色体については、男性3個体全員が、アジア東部で現在広く見られる同じYHg-C2b1を有していました。より具体的には、GZM167はその下位系統であるC2b1b1(F5480)、GZM5はYHg-C2b1(K490)、GZM40はYHg-C2b1b1b(F14054)です(表1)。全体的に、これらの調査結果は、大松山遺跡人口集団と中国南部およびアジア南東部の古代および現在両方の人口集団との顕著な遺伝的類似性を示唆しています。

 Y染色体データの低網羅率のため、大松山遺跡の男性個体が同じY染色体を有しているのか、判断出来ませんが、mtDNA解析は同じmtHg-B4c2の4個体を特定しました。大松山遺跡集団内の親族関係推定から、2親等の近縁性より密接な組み合わせの個体はおらず、密接な家族のつながりの欠如が示唆されました。ROH分析ではさらに、GZM51を除いて大松山遺跡個体のすべてのゲノムが、顕著な数のROH断片を示した、と分かりました。具体的には、全個体が20 cM(センチモルガン)未満の多くの短いROH断片を示しており、さらに2個体は少数の長いROH配列(20cM超)を示しました。このパターンから、大松山遺跡個体群はとくに近親交配を行なっていたわけではなく、むしろ小さな有効人口規模の人口集団を表している、と示唆されます。


●古代貴州省人口集団の遺伝的特性

 大松山遺跡人口集団の遺伝的特性を特徴づけるため、現在のユーラシア個体群から構築された遺伝的差異に古代人のゲノムを投影することによって、PCAが実行されました。貴州省の歴史時代の標本(DSS_HEと分類されます)は、ライやシェンシーやイヤンやラセンやBaBanQinCenなど以前に刊行された中国南西部のHE(歴史時代)のゲノムとは異なる、独特な遺伝的パターンを示しました。代わりに、DSS_HEは中国北部の黄河流域の古代の人口集団と中国南部の古代の人口集団との間に位置し、混合した遺伝的遺産が示唆されます(図2A)。PCAでは、以前に刊行された500年前頃となる広西チワン族自治区のGaoHuaHua人口集団もこの南北の遺伝的勾配上に位置するものの、他の古代の南方人口集団とより密接な遺伝的類似性を示すのに対して、本論文のDSS_HEは古代の北方の人口集団とより多くの遺伝的類似性を共有していた、と分かりました。アジア東部現代人でのPCAでは、大松山遺跡個体群はともにクラスタ化し(まとまり)、中国南部の現代の漢人集団と重なります(図2B)。同様に、DSS_HEは北方から南方への古代中国勾配内に収まり、中国北部の中原の青銅器時代から鉄器時代の個体群(黄河_LBIA)とおよび四川盆地の断崖墓に埋葬された鉄器時代個体群(HHC_断崖)とわずかにより近く、DSS_HEにおける中国古代の南北両方からの影響が示唆されます。以下は本論文の図2です。
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 PCAからの同様の傾向は、モデルに基づくADMIXTUREで観察されました。K=8では、大松山遺跡個体群は主要な二つの祖先系統構成要素によって最適に表されました。一方は、中国南部の広西チワン族自治区古代人のゲノムによっておもに表され、もう一方は、中期新石器時代の仰韶文化人口集団(黄河_MN)や中期新石器時代の紅山(Hongshan)文化人口集団(西遼河_MN)など、中国北部の古代の人口集団の大半と共有されます(図3B)。DSS_HEと中国の南北の古代の人口集団との間の遺伝的類似性をさらに推定するため、f4統計が実行されました。すべてのf4結果(ムブティ人、黄河地域の中国北部古代人;中国南西部古代人、DSS_HE)は有意に正で、Z値の大半は3超となり、古代大松山遺跡集団は中国南部に位置するにも関わらず、中国南部古代人とよりも黄河地域農耕民の方と多くのアレル(対立遺伝子)を共有していた、と示唆されます。以下は本論文の図3です。
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 大松山遺跡の歴史時代人口集団(DSS_HE)の世界中の人口集団との遺伝的つながりを調べるため、外群としてムブティ人を用いて、f3形式(DSS_HE、X;ムブティ人)の外群f3検定が使用されました。この分析から、DSS_HEは中国南部の現在のミャオ人やトゥチャ人(Tujia)やシェ人(She)と最高の遺伝的浮動を共有している、と明らかになりました(図3A)。さらに、DSS_HEはモンゴル南部の廟子溝(Miaozigou)遺跡の新石器時代人口集団(廟子溝_MN)や黄河_LNや黄河_LBIAなど中国北部【およびモンゴル】の古代人のゲノムと強い類似性を示し、DSS_HEと、中国南部の現代人集団や中国北部の古代人のゲノムそれぞれとの間の遺伝的共有が示唆されます(図3A)。これらの結果は、PCAとf4統計の調査結果と一致します。

 さらに、qpAdmを用いて潜在的な祖先系統構成要素がモデル化され、DSS_HE個体群における祖先供給源とその混合割合が調べられました。以前の古代DNA研究では、中国南西部の広西チワン族自治区地域のHE人口集団は、広西チワン族自治区の独山洞窟個体関連(もしくは福建省の奇和洞3号関連)祖先系統58.2~90.6%と、黄河下流域近くの古代山東半島人口集団と密接に関連するアジア東部北方関連祖先系統9.4~41.8%の混合としてモデル化できる、と示唆されました(Wang et al., 2021)。

 本論文では、中国南西部のHE大松山遺跡人口集団について、以前の研究と同様のモデルがまず実行されました。その結果、DSS_HEは広西チワン族自治区や福建省を含む中国南部の古代の人口集団と、前期新石器時代山東半島人口集団や黄河流域の古代の農耕民など多様な中国北部古代人との間の混合として適切にモデル化できる、と示されます。さらに循環qpAdm分析が実行され、DSS_HE人口集団における北方構成要素の具体的な祖先系統供給源が調べられました。まず、基底外群に古代山東半島人口集団が含められ、その結果、DSS_HEは古代中国南部人口集団(35.3~78.1%)と古代黄河人口集団(21.9~64.7%)の2方向混合として有効にモデル化できる、と示唆されました。しかし、黄河集団を外群に含めると、全モデルが失敗しました。したがって、本論文の調査結果から、DSS_HEへの北方からの遺伝的影響は黄河地域の農耕民と最も密接に関連していた、と示唆されます。中国南西部の以前に刊行されたHE個体群のゲノムとのこの区別は、過去数成果のこの地域における多様な遺伝的特性を示唆しています。


●古代と現在の中国南西部集団間の遺伝的関係

 ミャオ・ヤオ語族話者やタイ・カダイ語族話者やチベット・ビルマ語派話者の少数民族などの集団を含む中国南西部の豊富な民族多様性は、この地域の複雑な人口動態を反映しています。この多様性にも関わらず、古代人のゲノムの不足は以前には、この地域における包括的な遺伝学的研究を制約してきました。本論文のPCAの結果から、中国南西部の少数民族集団は、古代貴州省の歴史時代の標本や以前に刊行された広西チワン族自治区の歴史時代の標本とともに一貫して、高地のチベットおよびシェルパ人口集団と、アミ人(Ami)やタイヤル人(Atayal)など台湾の先住民人口集団によって形成される遺伝的勾配に沿って並んでいる、と示されます。

 具体的には、中国南西部のこれらの人口集団は二つの異なるクラスタ(まとまり)を形成します。チベット・ビルマ語派話者集団であるイー人(Yi)とナシ人(Naxi)が現在のチベット人およびシェルパ人と密接にクラスタ化するのに対して、他の集団はアジア南東部人口集団とより密接な遺伝的類似性を示します。中国南西部の他のHE標本および現代人集団と比較するとイー人とナシ人を除いて、貴州省地域のDSS_HE人口集団は中国北部の古代および現代両方の人口集団とより密接な遺伝的関係を示します。f4形式(ムブティ人、X;HE中国南西部集団、現代中国南西部集団)のf4統計で、同様のパターンが観察され、イー人とナシ人は他のHE中国南西部集団と比較して、チベット人関連人口集団と追加の共有された遺伝的構成要素を示します。

 中国南西部における現在の人口集団の遺伝的構成をさらに調べるため、qpAdm分析が実行されました。その結果、チベット・ビルマ語派話者人口集団であるイー人とナシ人は、古代チベット人と関連する祖先系統(26.5~35%)と、黄河上流地域の斉家(Qijia)文化と関連する後期新石器時代の青海省の喇家(Lajia)遺跡個体群(黄河上流_LN)と関連する祖先系統の混合として最適に説明される、と分かりました。中国南西部の他の現在の人口集団については、有意なチベット人関連祖先系統は観察されず、代わりに、HE広西チワン族自治区人口集団(32.5~81.4%)と中国北部の黄河地域の古代の農耕民(18.6~67.5%)の混合としてモデル化され(表2)、中国南西部のミャオ・ヤオ語族およびタイ・カダイ語族と関連する民族集団が最近数世紀において古代中国北部関連祖先系統に影響を受けた、と示唆されます。


●考察とまとめ

 中国南西部の中核に位置する貴州省は、ミャオ・ヤオ語族やタイ・カダイ語族やシナ・チベット語族の話者集団を含めて、豊富な民族多様性で際立っています。この多様性のため、貴州省は中国におけるさまざまな民族集団間の遺伝的起源と移住パターンと相互作用の理解の貯蔵器となっています。その重要性にも関わらず、直接的な古代DNAの欠如が貴州省における古代人口集団の祖先系統構造と、中国南西部における現在の集団との遺伝的つながりの理解を分かりにくくしています。本論文では、貴州省の最初の古代ゲノムデータが提示されます。このデータを周辺地域の現代および古代の人口集団の刊行されているゲノムデータと統合することによって、人口動態史が再構築され、過去数世紀のこの地域における人口動態に光が当たります。

 本論文の調査結果は、貴州省の大松山遺跡個体群と中国南西部の他の以前に刊行された古代DNA標本群との間の、驚くべく違いを明らかにします。本論文のDSS_HEは、中国北部古代人、とくに黄河_LBIAや黄河上流_IAなど黄河流域の中原の青銅器時代および鉄器時代人口集団との強い遺伝的類似性を共有しています。その後の遺伝学的分析からさらに、明王朝期における貴州省の大松山遺跡個体群は、中国中府の古代の人口集団と黄河地域の古代農耕人口集団の2方向混合として効果的にモデル化できる、と確証されます。これは、大松山遺跡集団への中国北部の黄河地域からの遺伝的影響を示唆しています。以

 以前の古代ゲノム研究では、貴州省地域に隣接する広西チワン族自治区の歴史時代のGaoHuaHua人口集団(400年前頃)が、中国北部の古代人口集団と顕著な遺伝的関係を示した、と明らかにされました(Wang et al., 2021)。この調査結果は本論文と一致し、北方からの遺伝子流動が貴州省および近隣地域にこの時代に広がった、と示唆されます。しかし、本論文のDSS_HEは、f4形式(ムブティ人、黄河古代人;GaoHuaHua、DSS_HE)のf4統計で観察されたように、GaoHuaHuaとは遺伝的クレード(単系統群)を形成せず、代わりに、大松山遺跡人口集団は黄河地域の古代農耕人口集団とより多くの遺伝的類似性を共有しており、この地域内の遺伝的不均一性が示唆されます。

 歴史的記録では、明王朝期に中国北部の中央政府は貴州省を設置し、多数の漢人の軍人とその家族を移住させ、貴州省と中国南西部への支配を強化した、と示唆されています。文化的には、貴州省の先住民は北方漢人地域に大きな影響を受けました。明王朝の前には、貴州省でほとんどの少数民族は西南夷(Southwestern Yi)もしくは南夷(Nan Yi)と呼ばれていました。歴史的記録によると、この期間に貴州省のさまざまに集団はおもに動物の毛皮を衣服として着ており、その服装は単純でした。しかし、明王朝以降、これら少数民族の衣服はしだいに中国北部の中原の衣服と似てきました。女性はその髪を束ね始め、男性は漢人の帽子を被るようになりました。さらに、貴州省の先住民の埋葬慣行と宗教的信仰も中原の文化に影響を受け、大松山遺跡人口集団で観察された北方地域からの遺伝的影響と一致します。その後のダイチン・グルン(大清帝国、清王朝)では、より多くの漢人移民が貴州省へと到来しました。歴史的記録では、貴州省の人口構造はこの期間に「より非漢人的」から「より漢人的」へと移行した、と示唆されています。

 貴州省への中国北部の影響は大きいものの、歴史時代における先住民文化の存在の存続も同様に顕著です。これは、典型的な在来の特徴を示す、大松山遺跡墓地で発掘された独特な金属製工芸品や装飾品によって証明されます。考古学的記録によると、貴州省で発見された先秦期の墓は、墓の構造と発掘された人工遺物の両方で、滇(Dian)や巴蜀(Bashu)など地元や近隣の文化の影響を示しています。本論文の遺伝学的証拠を組み合わせると、これが示唆するのは、貴州省地域は多文化の坩堝だっただけではなく、多様な祖先系統の混合の重要な交差点でもあった、ということです。

 最後に、明王朝期の大松山遺跡の人々における短いROH断片の検出から、明王朝期の大松山遺跡集団の人口規模は限定的で、近親子を示唆する証拠はなかった、と示唆されます。地理的に貴州省は複雑な地形で、標高差が大きく、おもに丘陵と山岳で構成されています。貴州省の大半は山岳地帯と丘陵地帯で覆われ、平地はほとんどありません。交通の便が悪い独特な地理的環境は外部世界との限定的な相互作用につながり、この地域の相対的な遺伝的独立に寄与し、これは本論文の遺伝学的調査結果と一致します。しかし、本論文から導かれる結論は、小さな標本規模に制約されています。大松山遺跡集団の遺伝的景観と人口動態と結婚慣行のより深い理解を得るためには、さらなる研究が必要です。これは、同じ墓地からのより大きなデータセットとより高い網羅率の遺伝的データを含むべきで、それは貴州省における遺伝的多様性と歴史時代の人口移動のより包括的な見解を提供するでしょう。

 結論として、本論文では、貴州省の明王朝期の大松山遺跡人口集団の祖先特性は、古代中国南部人口集団と中国北部の黄河地域の古代農耕人口集団との間で遺伝的な混合していた、と明らかになります。さらに、この人口集団は、族外婚慣行だった人口統計学的に限定的な集団に属していた可能性が高そうです。これは歴史時代の貴州省の遺伝的景観への貴重な洞察を提供しますが、本論文の標本規模と範囲は限定的で、この地域における人口動態を完全に理解するには、より包括的なデータのあるさらなる研究が必要です。将来の研究は、を貴州省と中国南西部の多様な歴史的絵模様をより適切に表すために、標本の地理的および時間的範囲の拡張を目指すべきです。


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