5万年前頃以降のチベット高原のデニソワ人

 チベット高原における5万年前頃以降の種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の存在を報告した研究(Xia et al., 2024)が公表されました。本論文は、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県のチベット高原北東端の海抜3280mに位置する白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave、略してBKC)で発見された、2500点以上のプロテオーム(タンパク質の総体)解析によって、デニソワ人(関連記事)の存在を確認しました。BKC(拡張図1)では、プロテオーム解析によりデニソワ人と確認された、16万年以上前と推定される右側下顎(夏河1号)が発見されており(Chen et al., 2019)、堆積物のDNA解析から、6万年以上前のデニソワ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)が確認されるとともに、5万年以上前のデニソワ人の存在の可能性も指摘されていました(Zhang et al., 2020)。以下は本論文の拡張図1です。
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 本論文は、プロテオーム解析によりデニソワ人系統と確認された肋骨(夏河2号)の年代が48000~32000年前頃と推定し、チベット高原においてデニソワ人が5万年以上前に存在していたことを示すとともに、動物遺骸からデニソワ人の生息環境を推測し、他のデニソワ人の生息環境との比較から、デニソワ人の環境への適応力が一定以上高かった可能性を指摘しました。甘加盆地(Ganjia Basin)にあるBKCで発見された非ヒト動物の骨の大半は、ヤギ亜科(Caprinae)である、バーラル(Pseudois nayaur)とも呼ばれる現在のヒマラヤ山脈でよく見られるヤギの一種であるブルーシープで、他の骨片は肉食動物や小型哺乳類や鳥類のものでした。これらの骨の多くには解体痕があり、デニソワ人が骨器を用いて食べていた痕跡と推測されています。デニソワ人が甘加盆地に10万年以上にわたって継続的に居住していたとは断定できないとしても、高地(海抜2500m以上)に長期にわたって居住していた可能性はきわめて高そうで、砂漠や熱帯雨林や北極圏とともに人類にとって極限環境の一つとされる高地(Roberts, and Stewart., 2018)に居住した人類は現生人類(Homo sapiens)だけではなかった、というわけです。夏河2号のDNA解析も期待されます。

 注目されるのは、チベット高原中央部のチャンタン(Changthang)地域の海抜約4600mに位置する尼阿底(Nwya Devu)遺跡において、45000年前頃でさかのぼる細石刃技術が確認されていることで(Ge et al., 2024)、これは45000年前頃にチベット高原中央部に現生人類が存在していた可能性を示唆しています。現在の中華人民共和国北東部の山西省にある峙峪(Shiyu)遺跡では、45000年前頃までさかのぼる初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)が確認されており(Yang et al., 2024)、現生人類がチベット高原も含めてユーラシア東部中緯度地帯に45000年前頃までに到来していた可能性は高そうです。5万~4万年前頃に、チベット高原においてデニソワ人と現生人類が接触していたのか、文化的および/もしくは遺伝的接触があったのか、現時点では不明ですが、そうした可能性は低くないでしょうから、57000~29000年前頃となる海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)3のチベット高原におけるホモ属の相互作用に関する研究の進展が期待されます。


●要約

 遺伝学的および断片的な古人類学的データから、デニソワ人がかつてユーラシア東部全域に広く分布していた、と示唆されます(Reich et al., 2010、Demeter et al., 2022、Chen et al., 2019)。限定的な考古学的証拠にも関わらず、これが示唆するのは、デニソワ人はひじょうに多様な範囲の環境に適応できた、ということです。本論文は、デニソワ人の下顎(Chen et al., 2019)とデニソワ人の堆積物mtDNA(Zhang et al., 2020)が発見されたチベット高原のBKCにおける、中期更新世後期~後期更新世の動物遺骸群動物考古学的分析とプロテオーム解析を統合します。

 本論文はZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分析計を用いた動物考古学)を使用し、48000~32000年前頃と推定される新たな人類の肋骨標本を特定します。ショットガンプロテオーム解析は、この標本をデニソワ人系統へと分類学的に割り当て、BKCにおけるデニソワ人系統の存在は、後期更新世まで優に拡張されます。層序系列の全体にわたって、動物遺骸群はヤギ亜科が優占し、大型草食動物や肉食動物や小型哺乳類や鳥類が伴います。

 骨の表面における高い割合の人為的変化から、デニソワ人は動物の蓄積の主要な媒介だった、と示唆されます。死体処理の動作連鎖(chaîne opératoire)から、動物の分類群は肉お骨髄や獣皮のため利用されていた一方で、骨は道具製作の素材としても使われていた、と示唆されます。本論文の結果は、デニソワ人の行動と、ユーラシア東部の中期更新世後期および後期更新世の多様で変動する環境へのデニソワ人の適応に光を当てます。


●研究史

 ロシアのシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見されたいくつかの人類化石の古代DNA解析は、ユーラシア東部におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の姉妹系統である、いわゆるデニソワ人の存在を明らかにしてきました(Reich et al., 2010)。いくつかのアジアの東部と南部と南東部の人口集団に存在するデニソワ人の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)に基づいて(Prüfer et al., 2014、Larena et al., 2021)、デニソワ人は後期更新世のユーラシア東部に広く存在していた、と推測されました(Reich et al., 2010)。チベット高原北東部に位置する甘加盆地のBKCから得られた人類の下顎骨である夏河1号(Chen et al., 2019)とデニソワ人堆積物(Zhang et al., 2020)は、この主張を裏づけます。まとめると、これらの発見から、デニソワ人はBKCに少なくとも16万年前頃から6万年前頃、おそらくは45000年前頃まで居住していた、と示されます(Chen et al., 2019、Zhang et al., 2020)。

 BKCにおける考古学的発掘は、少なくとも19万年前頃から3万年前頃にわたる人類の居住の証拠を提供する、豊富な石器群および動物相遺骸を含む、よく保存された層序を明らかにしてきました(Zhang et al., 2020)。しかし、将軍府01(Jiangjunfu 01)遺跡(Cheng et al., 2021)などチベット高原のほとんどの更新世遺跡では、わずか数点の断片的な骨標本しか発見されてきませんでした。最終氷期に生息していた青海湖盆地(Qinghai Lake Basin)における151ヶ所の遺跡の小規模な動物相の遺骸群を除いて、チベット高原の中期および後期更新世では他に利用可能な動物考古学的もしくは古生物学的データはありません。したがってBKCは、標高の高いチベット高原における、古代型人類の生計戦略と、デニソワ人が暮らしていた動物生態系の研究に独特な機会を提供します。

 本論文は、チベット高原内もしくは周辺に存在する哺乳類種の拡張プロテオーム参照データベースをLC–MS/MS(liquid chromatography with tandem mass spectrometry、液体色層縦列質量分光法)分析で構築し、BKCで発見された1857点の骨および歯の標本のその後の高情報処理ZooMS分析を可能としました。次に、ZooMSを通じての分類学的識別と多数(2567点)の動物遺骸から得られた動物考古学的データが統合され、その一部は形態学的観察を通じてすでに分類学的に識別されていました。まとめると、このデータセットは、チベット高原における古生態系とデニソワ人の生計戦略の新たな全体像を提供します。


●BKCにおける動物群の構成

 形態学的およびZooMSの識別の組み合わせによって、分析された2567点の動物標本のうち2005点(78.1%)が分類学的に識別されました。その結果、バーラルの可能性が最も高いヤギ亜科(Caprinae)が動物遺骸を優占していた、と示されます。層序全体を通じての、ウシ科、たとえばヤギ亜科や野生ヤク(Bos cf. mutus)やチベットガゼル(Procapra cf. picticaudata)、およびウマ属種(Equus sp.)の高い割合は、中期および後期更新世の甘加盆地における草地の優占する景観を明らかにします。アカシカ(Cervus elaphus)やジャコウジカ属種(Moschus sp.)やミゾバムササビ(Aeretes melanopterus)森やマレーヤマアラシ種(Hystrix cf. subcristata、Hystrix cf. brachyura)など林低木種の存在は、甘加盆地における現代の丘陵地帯や河川渓谷と類似した、小規模な森林低木の混在の存在を反映しています。さらに、たとえば)ドウクツハイエナのアジア亜種(Crocuta crocuta ultima)やハイイロオオカミ(Canis lupus)やチベットスナギツネ(Vulpes ferrilata)やユキヒョウ(Panthera cf. uncia)などさまざまな肉食動物と、たとえば、イヌワシ(Aquila chrysaetos)やコウライキジ(Phasianus colchicus)など鳥類も存在していました。

 現時点では、中期および後期更新世のチベット高原における動物群の変化についてほとんど知られていません。注目すべきことに、第6層から下では、絶滅したブチハイエナ属種(Crocuta sp.)のような大型肉食動物やケブカサイ属種(Coelodonta sp.)のような大型草食動物のみが識別されました。より新しい層の標本規模は第10層(モデル化された上限年代範囲は109000年前頃~225000年以上前)および第11層より小さいものの、現時点てのデータから、第6層と第5層の形成期(モデル化された上限年代は60000~104000年前頃)においてBKC周辺では動物群の構成に顕著な変化があった、と示唆されます。さらに、本論文のデータは、ウシ属種(Bos sp.)の割合の低下とともに、経時的なヤギ亜科の割合増加も記録しています。これらの変化が人類の採食戦略における変化の結果なのか、より具体的に周辺環境における変化と関連しているのかどうかは、分かりません。それにも関わらず、層序全体を通じての小さな差異と組み合わされたウシ科とウマ科の持続的存在は、甘加盆地における一般的に安定して開けた環境を示唆しています。


●主要な蓄積者だった人類

 BKCの骨標本の表面は保存状態がひじょうに良好で、ほとんどの標本(合計1821点のうち88.7%に相当する1616点)は風化段階1もしくは2内で、地上風化の限定的な証拠を提供します。齧歯類と肉食動物と人類の活動の痕跡が特定されました。齧歯類の齧った跡は限定的で(0.1%に相当する3点、図1a)、肉食動物による骨の変化の割合は少し高い(0.8%に相当する16点、図1a)も肉食動物の糞石は存在しません。対照的に、動物遺骸の割合がより高いことは、人為的変化証拠を示します。これらの標本のほとんどは、ZooMSを通じて特定されました。解体痕と打撃による刻み目、草食動物と、ブチハイエナ属種など一部の大型肉食動物の両方の骨で特定されました。人為的変化を受けた骨のより高い割合と各層における石器の存在(Zhang et al., 2020)から、BKCの動物遺骸群はおもに人類の活動を通じて蓄積された、と示唆されます。以下は本論文の図1です。
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●広範な人為的活動

 形態学的に識別できる標本は、おもに頭部断片や手根骨や足根骨お関連する足の骨に由来します(図1b)。ZooMSにより分類学的識別は増え、その結果、骨格特性の表示において通常は充分に表されていない、多数の軸骨格および前肢もしくは後肢の骨幹断片の特定ができるようになりました(図1b)。結果として、形態学とZooMSで識別されたデータセットの統合は、意外全体について骨格要素の構造のより複雑な構成を明らかにします(Smith et al., 2024)。

 統合データセットでは、ヤギ亜科は各層に存在するだけではなく、ほとんどの層で全ての骨格部分(頭蓋、軸骨格、前肢と後肢、足骨)によっても表されます(図1c)。人為的活動の程度は経時的に草食動物で遍在しており、ヤギ亜科では一貫して高い割合です(分類学的に識別された全標本で約20~40%)。ヤギ亜科標本における肉切断処理と関連する解体痕は、層序全体で最も高い頻度で、例外は、前肢と後肢の骨での骨髄抽出と関連する打撃の刻み目が優占する、第6層と第7層です(図1d・e)。ヤギ亜科以外に、ウシ属種(Bos sp.)やシカ属種(Cervus sp.)やウマ属種やケブカサイ属種を含む他の草食動物のさまざまな種類の骨での解体痕と打撃の刻み目の高頻度から、動物資源の獲得は特定の分類群に限られていなかった、と示唆されます。

 人為的変化は、肉食動物や小型哺乳類や鳥類の骨にも存在します(図2)。肉食動物標本(102点)のうち、解体痕と打撃による刻み目がブチハイエナ属種やヒョウ亜科(Pantherinae)やイヌ科(Canidae)の数点の標本に存在しますが、イヌ科標本については、アカギツネ(Vulpes vulpes)やチベットスナギツネ(Vulpes ferrilata)には存在しません。小型哺乳類のうち、打撃による刻み目がマーモット属種(Marmota sp.)の橈骨幹1点(第9層)で観察され(図2c)、骨髄抽出が示唆されます。さらに、第3・4・11層の7点のノウサギ属種(Lepus sp.)と第9~11層の4点のマーモット属種の前肢と後肢の骨幹断片は、通常ではヒトの活動の痕跡として扱われる、新鮮骨(腸骨や上下顎骨や歯槽骨)の破損を示しています。最後に、鳥類遺骸(45点)のうち、解体痕(1点、図2a)と新鮮骨の破損(3点)がワシの標本に存在しますが、キジ科かウズラかフクロウの1点の標本を含めて、他の鳥類種の標本には存在しません。動物考古学のデータからは全体的に、BKCの人類は広範な種を利用しており、それには大型草食動物や、それより少ないものの小型哺乳類や鳥類が含まれている、と示唆されます。以下は本論文の図2です。
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 第11層の再加工品かもしれない1点(図2d)と、第4・9・10層の便宜的な骨器3点が特定されました。再加工品かもしれない1点は歯から作られており、ウマ科と特定されました。便宜的な骨器は、直接的打撃を用いて剥離された四肢骨幹に由来しますが、ZooMSにより、ヤギ亜科とシカ亜科(Cervinae)もしくはガゼル属種(Gazella sp.)に属する3点の骨の特定ができました。したがって、骨製人工遺物は、単一主に意図的に焦点を当てたのではなく、BKCの動物遺骸群で優占的な分類に由来していたようです。


●新たなデニソワ人個体

 識別できない断片のZooMS検査中に、1点の肋骨標本がヒト亜科(Homininae)と特定されました(図3a)。この標本には、ヒト亜科と一致するコラーゲン1型(collagen type I、略してCOL1)の14点のペプチド指標や、ヒト上科(Hominoidea)に固有の1点のペプチド指標が含まれています。他の大型類人猿、とくにチンパンジー属(Pan)の現在と過去の地理的分布を考えると、この標本はホモ属種(Homo sp.)と確証できます。したがって、この人類標本は夏河2号(野外調査番号はBSY-19-B896-1、ZooMS番号はBSY-941)と命名されました。夏河2号は発掘中に2点の断片に壊れており、肋骨の遠位部(長さは51.5mm)に属します。夏河2号標本はBKCのユニット3(T3)の第3層に由来し、T3の年代は48000~32000年前頃です(Zhang et al., 2020)。夏河2号のグルタミン酸のアミド分解値は、第3層の他の標本および5万~3万年前頃と直接的に放射性炭素年代測定された標本と類似しています。しかし、夏河2号のアミド分解値は現代人とは異なっており、夏河2号が第3層の年代(48000~32000年前頃)であることと一致します。以下は本論文の図3です。
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 さらなるショットガンプロテオーム解析は、夏河2号の分類学的帰属についてより具体的な情報を提供します。系統発生分析に使われる21点のタンパク質配列全体(総連結タンパク質配列整列の14.5%)で、夏河2号標本の4597点のアミノ酸部位が再構築されました。これは、夏河1号の系統発生分析(Chen et al., 2019)に使われた6点の内在性タンパク質よりかなり大きなプロテオームです。系統樹の分岐点は、最尤法とベイズ法の両方を通じて高い裏づけ値を有しており、夏河2号は一貫して刊行されている高網羅率のデニソワ人のゲノム(Meyer et al., 2012)とともに位置づけられます(図3b)。そのため、夏河2号個体は利用可能な参照個体のうち、高網羅率のデニソワ人個体であるデニソワ3号と最も密接に関連する、と判断できます。夏河2号標本の接続形態と位置づけは、夏河1号下顎の以前の分析(Chen et al., 2019)にで得られた結果と類似しています。夏河2号デニソワ人の発見は、BKCにおける中期更新世後期から後期更新世へのデニソワ人の存在の化石証拠を拡張し、BKC第3層から回収されたデニソワ人の堆積物mtDNA(Zhang et al., 2020)と一致します。


●タンパク質の保存とアミド分解

 骨コラーゲンのアミド分解は、BKCにおいて層序全体で上部から底部にかけて次第に増加しますが、層間でかなり重なります。第3・4・5層のアミド分解の平均水準は、第6・7層の場合と同様に、ひじょうに類似しています。第10層と、とくに第11層は、グルタミン酸アミド分解の水準が上がっています。本論文のデータから、これらの結果は分類学的帰属や骨の長さや骨の種類やタンパク質抽出手法により起きたのではない、と示唆されます。しかし、アミド分解の程度は層序内で次第に増加しており、地質年代学的年代推定値や層序学的証拠(Zhang et al., 2020)と一致します。対照的に、更新世と完新世の遺骸の混合を含む歴史時代の細い穴状の遺構から発見された標本のアミド分解値は、大きく異なります。これらの観察は、グルタミン酸のアミド分解がより古い年代で、および/もしくは層序がかなりの量の(熱)時間にわたる場合の熱的により古い骨標本でより進む、他の更新世洞窟遺跡と一致します。


●考察とまとめ

 先行研究(Chen et al., 2019、Zhang et al., 2020)では、BKCは現時点で唯一の、中期更新世後期から後期更新世にわたるチベット高原における保存状態良好な洞窟遺跡である、と示されています。夏河1号下顎(Chen et al., 2019)および堆積物のmtDNA(Zhang et al., 2020)分析から、デニソワ人は少なくとも16万年前頃と10万年前頃(第7層)と6万年前頃(第4層)とおそらくは新しければ45000年前頃(第4層末)にBKCに居住していた、と明らかになっています。本論文で特定された夏河2号肋骨と、第3層から発見されたデニソワ人の堆積物mtDNA(Zhang et al., 2020)から、デニソワ人の居住は少なくとも48000~32000年前頃まであった、と示されます。

 BKCの第10層と第11層は、BKCで最も豊富な考古学的遺物を提供し、それには本論文で分析された骨標本の60%以上が含まれますが、残念ながら、これまでその居住者の生物学的属性を確証する人類遺骸もしくは堆積物のmtDNAはありませんでした。しかし、夏河1号で得られた2点のアミド分解値はそれぞれ、第10層と第11層の骨標本で観察されたアミド分解値の範囲内にのみ収まります(図4f)。さらに、夏河1号のウラン系列年代の下限年代は16万年前頃で(Chen et al., 2019)、これは第10層もしくはそれより下の層の年代に相当します(図4g)。これは、夏河1号がBKCの第10層か第11層かそれより下の層に確実に由来する、と示しているわけではありませんが、夏河デニソワ人がこれらの層の形成中の居住者だった可能性が最も高いことを示しています。以下は本論文の図4です。
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 これまで、BKCの第3~11層における他の人類の存在の証拠も、同じ期間のチベット高原北東部の他の場所でのデニソワ人以外の古代型【非現生人類ホモ属】人類の居住の証拠もありません。したがって、デニソワ人が少なくとも167000年前頃(第10層のモデル化された平均年代)から4万年前頃(第3層のモデル化された平均年代)まで、おそらくは224000年前頃(第10層のモデル化された上限年代)から32000年前頃(第3層のモデル化された下限年代)までBKCに居住していた、と仮定するのが合理的です。したがって、BKCの動物遺骸群は、最後の氷期と間氷期と表記の周期の甘加盆地におけるデニソワ人の行動と生計を記録しており、最後から2番目の氷期であるMIS6は第10層の下層とおそらくは第11層によって、最終間氷期であるMIS5eは第10層と第9層の移行期(149200~109000年前頃)とおそらくは第10a層によって、最終氷期であるMIS4とMIS3は第3層と第4層によって表されます(図4)。

 BKCの動物遺骸群の包括的分析から、デニソワ人は甘加盆地周辺の草地が優占する景観に存在していた、広範な動物分類群を利用していた、と示されます。ヤギ亜科の役割は人類の居住中、とくにMIS5の後の第5層~第2層においてますます顕著になり、この期間にはヤギ亜科標本が動物遺骸群の半分以上を占めています。ヤギ亜科標本における人為的変化の分析から、体系的な屠殺や道具のための骨材料の使用を含めて、死体処理の完全な動作連鎖がBKCに存在する、と示唆されます。ヤギ亜科に加えて、大型草食動物や肉食動物や小型哺乳類や鳥類の遺骸が、同様にさまざまな方法で利用されていました。これによって、デニソワ人は最後の氷期と間氷期と表記の周期の標高が高いチベット高原において生存するために、自身にとって利用可能な動物資源を最大限に使用していた、と明らかになります。甘加盆地は氷期と間氷期の両方において、その標高にも関わらず、とくにチベット高原のより標高の高い地域もしくは近隣の中国の黄土高原の変動する環境条件と比較して、相対的に安定した資源利用可能性のある快適な退避地を提供したかもしれません。

 BKCを他のデニソワ人遺跡(デニソワ洞窟)もしくはデニソワ人かもしれない遺跡、つまりラオスのフアパン(Huà Pan)県に位置するタム・グ・ハオ2(Tam Ngu Hao 2、略してTNH2)洞窟(コブラ洞窟)と比較すると、その動物遺骸群はそれぞれ【デニソワ洞窟とBKCとTNH2】の地理的環境と一致し、高緯度と高地と熱帯(もしくは亜熱帯)の環境に相当する、と分かりました。したがって、本論文の結果は、デニソワ人における古生態学と行動の両方の可塑性の証拠を提供します。さらに、これらの洞察津は、チベット高原におけるデニソワ人消滅の原因と時期や、現代人におけるデニソワ人の遺伝的痕跡の起源(Larena et al., 2021、Huerta-Sánchez et al., 2014、Jacobs et al., 2019、Zhang et al., 2021)に関する問題を提起します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


考古学:チベット高原でデニソワ人が活動していたことを示す動物の骨

 デニソワ人は、ヤギの一種であるブルーシープなどの動物を屠殺して食べることで、チベット高原で生き延びていたことを示唆する論文が、Natureに掲載される。今回の研究は、デニソワ人の行動を浮き彫りにし、彼らが過酷で変わりやすい環境にどのようにして適応していたかを明らかにしている。

 古代人の絶滅種であるデニソワ人は、ネアンデルタール人と近縁で、更新世の末期にかけてユーラシア大陸東部の広範な地域で生活していた。今回、Huan Xia、Frido Welkerらは、デニソワ人が住んでいたことが知られる標高の高いチベット高原の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)から発掘された2500点以上の骨を調べた。今回の研究では、分子解析と視覚的解析を組み合わせて用いることで、ほとんどの骨がブルーシープ(バーラルとも呼ばれるヤギの一種で、現在のヒマラヤ山脈でよく見られる)のもので、他の断片は肉食動物、小型哺乳類や鳥類のものであることが明らかになった。これらの骨の多くには切り痕があり、これは、同じ洞窟の中で発見された骨で作られた道具を使って食用に加工されたことを示している。

 さらに著者らは、デニソワ人の肋骨を発見し、年代測定によって約4万8000~3万2000年前のものと推定した。デニソワ人の化石はこれまでほとんど見つかっていないので、これは注目すべき発見だ。以上の結果を総合すると、デニソワ人はこの洞窟で後期更新世のかなりの時期まで生活し、この地域で利用可能な動物資源を最大限に活用していたことが示唆される。洞窟のある甘加盆地(Ganjia Basin)は、標高が高いにもかかわらず、デニソワ人にとって比較的安定した生活場所であったと考えられ、デニソワ人は、最終氷期–間氷期–氷期サイクルの間、この地域で生活していた。


考古学:中期~後期更新世の白石崖溶洞におけるデニソワ人の生活の糧

考古学:チベット高原のデニソワ人はヤギを生活の糧にしていた

 今回、デニソワ人の下顎骨と堆積物中のデニソワ人ミトコンドリアDNAが発見されたチベット高原の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で、ヤギ類が大半を占める動物遺存体群が出土し、約4万8000~3万2000年前のこの高地洞窟における骨の蓄積の主な主体は、デニソワ人であったことが示された。



参考文献:
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Huerta-Sánchez E. et al.(2014): Altitude adaptation in Tibetans caused by introgression of Denisovan-like DNA. Nature, 512, 7513, 194–197.
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関連記事

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関連記事

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関連記事1および関連記事2

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Zhang D. et al.(2020): Denisovan DNA in Late Pleistocene sediments from Baishiya Karst Cave on the Tibetan Plateau. Science, 370, 6516, 584–587.
https://doi.org/10.1126/science.abb6320
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Zhang X. et al.(2021): The history and evolution of the Denisovan-EPAS1 haplotype in Tibetans. PNAS, 118, 22, e2020803118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2020803118
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