楊海英『人類学と骨 日本人ルーツ探しの学説史』

 岩波書店より2023年12月に刊行されました。電子書籍での購入です。以下、敬称は省略します。本書は近現代の日本における人類学の研究史で、近現代日本において盛り上がった日本人起源論において、学者がどのように研究し、その主張が一般層にどう受容されていったのか、その倫理的問題とともに検証します。日本に限りませんが、現代の視点からは、近代の人類学的研究、とくに人類遺骸の扱いで多くの倫理的問題があったことは、とても否定できません。本書は、現代も日本国の範囲内にある沖縄やアイヌのみならず、マンジュ(満洲)やモンゴルなどユーラシア東方の大陸部も視野に入れており、日本の人類学会が人類遺骸の問題について「鈍感」とも言えることを指摘します。その背景として、近代日本の人類学が受け入れた西洋の人類学は、そもそも植民地支配から出発していたことが指摘されています。そのため、近代日本の人類学は西洋の人類学のように人類集団間の差異を発見しようと努力し、つまりは「人種」の違いを見つけようとしたわけです。

 ただ、西洋がアフリカやアメリカ大陸など自身と外見の大きく異なる集団と遭遇し、研究対象としたのに対して、近代日本の人類学においては、主要な対象とした地域の住民は日本列島の住民との外見の差がさほど大きくなく、「人種」の違いを見出だすが困難なことから、新たな概念としての「民族」が多用されるようになったと本書は指摘します。日本が帝国として台頭し、直接的な支配地域や勢力圏が日本列島を越えて拡大するにつれて、多様な「民族」が「日本人」として組み入れられ、そうした新たな「日本人」と日本列島の在来集団との関係の整理が必要となり、日本列島の住民の起源探索が課題となっていきましたが、第二次世界大戦での敗北により日本が帝国としての実態を失った後も、日本の人類学では起源探索研究が中心となり、これは西洋と日本の人類学の大きな差異の一つになっている、と本書は指摘し、日本独自の「人種学」と呼んでいます。モンゴル出身の著者は、自身の起源にこだわる日本独自の「人種学」に強い違和感を抱いていたそうで、それは、モンゴルのようなユーラシア内陸部の人類集団にとって、混合は当然のことだったからです。本書で指摘されているように、「人種」という概念に大きな問題があることは、現在では広く認められているように思います。

 本書は近現代日本の人類学における問題点を指摘しますが、中国の人類学においても民族主義的な観念が問題となっていることを指摘します。中国の人類学や考古学では現生人類(Homo sapiens)多地域進化説が長く優勢で、いわゆる北京原人は、現代の中国人というか「中華民族」の祖先とされます。一方、現在の有力説である現生人類アフリカ単一起源説では、いわゆる北京原人は現代人の祖先ではなく絶滅した、と考えられており、仮に現代人に遺伝的影響を残したとしても、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)を介しての検出可能か微妙なくらいの程度だったでしょう。

 1987年の時点で、中華人民共和国の陝西省西安市の半坡博物館の説明には、「蒙古人種(モンゴロイド)」の揺籃の地は黄河流域で、「中華民族」の直系の祖先であり、「蒙古人種」は旧石器時代晩期にアジアの中央部や東部に拡散し、アメリカ大陸にも分布するようになった、とあったそうです。当ブログで以前に概説を取り上げたことがある(関連記事)中国の古人類学者の呉汝康は、1980年に別府大学の国際シンポジウム「人類の起源をどう考えるか」で、二宮淳一郎から、人類の起源地はアフリカかアジアのどちらかなのか、それとも両方なのか、と問われたさいに、中国人は北京原人の系統と主張して譲らなかったそうで、私にとっては興味深い話でした。現在の中国でも、北京原人を中国人というか「中華民族」の祖先と考える人は多そうですし、政権もそうした方向を推し進めているようですが、一方で、現生人類アフリカ単一起源説を前提とする最新の研究が禁止されているわけではなく(少なくとも現時点では)、非専門家の中国人が最新の研究に接することも禁止されていないようです(関連記事)。

 また本書は、中国において近代西欧起源の「人種学」がおおむね好意的に受容されていたことを指摘しますが、中国では現在も人類進化研究では「人種」への拘りが強いようで、それが中国の大衆や一部専門家の人類進化観をかなり歪めているようにも思います(関連記事)。こうした中国における今でも根深そうな「人種」観念とも関連しそうですが、マルクス思想の発展段階論は華夷秩序と相性がよく、発展段階論と進化論を学んだ中国の知識人は、自分たちが「白人」ほどには「進歩」していないものの、中華周辺の「東夷南蛮北狄」よりはるかに優れている、と再解釈した、との本書の指摘は興味深いもので、現在の中華人民共和国の体制教義的言説にもつながっているように思います。

 本題に戻って近現代日本における人類学の展開ですが、その理論的基礎を固めた小金井良精は、アイヌの墓を発掘し、遺骨を持ち出すとともに、アイヌの身体計測も積極的に進めたものの、アイヌの目を気にするところもあったようです。「日本民族」は混合民族と主張した小金井の「人種論」は、「白人」→「蒙古人種」→「アボリジニ」と優劣を定めたヨーロッパの「人種論」には批判的で、そうした日本人の学者もいたものの、一方でそうした学者がアイヌや沖縄などへの尊大な態度を取るようになったことも、本書は指摘します。アイヌの墓を発掘して遺骨を持ち出したのは小金井だけではなく、清野謙次も同様でした。その清野は、小金井のアイヌ日本列島先住民説を批判します。墓から遺骨が持ち出されたのは、北海道や樺太のアイヌだけではなく、琉球諸島でもあったことで、そうした遺骨の多くが京都大学に保管され、近年でも遺骨返還をめぐって裁判が続いています。

 こうした現代から見て明らかに倫理的問題のある人骨収集というか略奪により、人類学の研究が進められた側面は否定できず、計測方法の体系化と理論家も進んだわけですが、現代から見てさらに問題となるのは、こうした人類学的研究が優生学と連動していたことです。そうした中で、羽田宣男のように、日本人は「混合民族」ではなく太古より日本列島に暮らす「正しい民族」と主張する学者も現れます。羽田も、「渡来人種」の存在は否定しませんが、それは太古に日本人へと同化された、と主張しました。また、羽田もそうですが、日本の人類学では、小金井などにも見られた西洋の「白人」を「最優秀」とする人種論への反発も継承しつつ、一方でアジアの諸民族には尊大な態度を取る学者が多くいたことを、本書は指摘します。

 近代日本がその支配領域もしくは勢力圏を台湾からユーラシア東方の大陸部にまで拡大すると、台湾や満洲やモンゴルなど日本列島外の地域も、日本の人類学にとって重要な研究対象となります。その初期に精力的に日本列島外で調査を進めたのが鳥居龍蔵でした。鳥居は20世紀初頭、当時は形質人類学的な研究が皆無に近かった南満州で人体計測を進めますが、墓から人骨を暴いて計測するようなことはほとんどなく、近代日本の人類学者とはこの点で大きく異なっていた、と本書は指摘します。鳥居はその後、モンゴルのハラチン部に招かれて人体計測を行ない、日本軍がシベリアに出兵中にはシベリア東部でも形質人類学的調査に努めました。鳥居はアジア各地での調査結果を著書にまとめ、記紀神話をユーラシア内陸部のトルコ系諸民族やモンゴルの神話と比較し、類似性があることを指摘しています。

 この鳥居の見解は、その後で江上波夫によってさらに体系化され、第二次世界大戦後の「騎馬民族征服王朝説」につながります。東洋史を専攻した江上は日本の一般層には「騎馬民族征服王朝説」で知られていますが、すでに第二次世界大戦終結前にモンゴル高原で匈奴や突厥などの遺跡を調べ、業績を挙げていました。モンゴル高原の調査で江上は、モンゴル人が墳墓を掘ることはきょくたんに嫌うと知っていながら、モンゴル人に見つからないよう発掘し、人骨の研究を進めていました。この点では江上も、近代日本の他の人類学者と変わらなかったようです。本書は、こうして江上がモンゴル高原で収集した古人骨は今でも東大に保管されている、と推測しています。こうした江上の倫理感は戦後も大きく変わらなかったのかもしれず、1990年代にはチンギス・ハーンの陵墓探しを計画し、モンゴルでは猛反対に遭ったそうです。本書は、日本国内で宮内庁治定陵墓の発掘が原則として禁止されているように、他の国や民族には神聖な存在や禁忌があることを日本の学者は認識すべきと指摘します。

 こうして近代日本の人類学はモンゴル高原にまで範囲を広げ、人骨計測データを収集し、それに基づいて「人種」研究が進展しました。江上を中心とした調査団に加わっていた人類学者の横尾安夫は、モンゴル人の肌の色が比較的薄い「乳白色」なので、「蒙古人種」や「類蒙古人種(モンゴロイド)」という言葉を慎重に使う必要があることを指摘します。横尾は西洋の「人種理論」を批判し、相対化していき、他の人類学者も横尾とは異なる方法で「人種」研究を進めます。日本の人類学者は頭部の計測に熱心でしたが、モンゴル人は頭を触られることをきょくたんに嫌がるので、頭部の計測は官憲や軍隊などによる強制が伴っていただろう、と本書は推測します。

 近代日本の人類学はさらに、東トルキスタンまでその調査範囲を広げ、多数のミイラを発見して、一部は日本に持ち込まれたようです。1980年には、タリム盆地で「楼蘭の美女」と呼ばれるミイラが発見され、その年代は紀元前二千年紀早期と推定されました。この「楼蘭の美女」はその形態から、「コーカソイド(白色人種)」系と推測されました。日本では1992年に「楼蘭王国と悠久の美女」が開催されましたが、当時、新疆ウイグル自治区では激しい論争が起きたそうです。ウイグル人の知識層では、楼蘭のミイラ群は例外なく「コーカソイド」系で、ウイグル人も当然「コーカソイド」であり、「黄色人種」の漢人と異文異種であることは自明とされ、ウイグル人を「同文同種の中華民族の一員」としたり、東トルキスタンを中国の「不可分の領土」としたりする見解には科学的根拠がない、と主張されたそうです。ウイグル人の知識層ではさらに、自らの「祖先の遺体」が日本に運ばれ、衆人に晒されることへの抵抗もあったようです。

 最近の古代ゲノム研究では、この東トルキスタンのタリム盆地のミイラ群について、その主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は後期更新世の古代北ユーラシア人(Ancient North Eurasian、略してANE)にさかのぼり(関連記事)、より直接的には中期完新世アルタイ地域の狩猟採集民と関連しているかもしれず(関連記事)、現代人では高地タジク人集団にわずかに遺伝的影響を残している(関連記事)、と推測されています。ANE祖先系統はユーラシア西部現代人のゲノムにおける主要な遺伝的構成要素の一部なので、タリム盆地の青銅器時代のミイラ群が「コーカソイド」と考えられたことには、一定以上の遺伝学的根拠がありそうです。近代日本の人類学はアムール川流域の人類も調査しており、死後間もない人骨も掘り起こし、その一部は現在も日本のどこかの大学研究室にあるのではないか、と本書は推測します。

 第二次世界大戦での敗戦により、「帝国」としての実態を失った日本が、少なくとも日本列島外において、埋葬された人骨を密かに掘り起こして日本に持ち込んだり、生者の形態を配慮なく強制的に計測したりすることは、ほぼ不可能となりました。そうした人骨収集の倫理的問題について、1980年代から多くの批判が寄せられてきましたが、現在でも和解が成立したとは言えない状況です。さらに、そうした倫理的問題がありながら収集された人骨は、現在飛躍的に発展している古代DNA研究にも利用可能で、過去の形態計測データとともに、専制主義的統治などで政治的に悪用される可能性を本書は指摘しますが、それはきわめて現実的な問題だと思います。

 近代日本は「列強」もしくは「帝国」の一員として他の西洋列強とともに、植民地も含めて勢力圏の支配を強化するため、人類学を活用し、それは多分に優生学的思想に基づくものでした。調査する「宗主国」側の列強と調査される被支配側との関係は、人骨返還になかなか応じようとしないことなど、今でも日本において続いているのではないか、と本書は指摘します。古代DNA研究ではこうした倫理的問題の指針も提示されていますが(関連記事)、まだ不充分であることは否めません。こうした近現代における人類学のさまざまな倫理的問題を解決するためには基本的知見を学ぶことが必要で、日本に関して、本書はそうした要請に大きく寄与する一冊になっていると思います。


参考文献:
楊海英(2023)『人類学と骨 日本人ルーツ探しの学説史』(岩波書店)

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