東京都知事選結果
先日(2024年7月7日)投開票となった東京都知事選は、大手報道機関の事前の情勢調査通り、現職の小池百合子候補が圧勝し、都知事選での投票は今回で10回目となりますが、私が投票した候補者は全員落選したことになります。予想通りだったので覚悟していたとはいえ、やはりたいへん不愉快な結果だったので、当ブログでの言及のはやめておこうとも考えたのですが、当ブログを始めてからの都知事選はすべて取り上げてきたので、今回も短いながら記事を掲載します。選挙期間中、大衆媒体に有力候補として扱われることの多かった4人が上位を占め、得票数は以下の通りで、()は得票率です。
小池百合子候補・・・2918015票(42.77%)
石丸伸二候補・・・1658363票(24.30%)
蓮舫候補・・・1283262票(18.81%)
田母神俊雄候補・・・267699票(3.92%)
今回は、最近の都内での選挙結果から、支持の低迷している自民党と接近したこともあって小池知事への支持が下がっているのではないか、とも考えられたので、2016年に都知事選出馬を噂されていた蓮舫氏も参議院議員を辞職して出馬しましたが、負けても1年数ヶ月以内に行なわれる衆院選で東京の新選挙区(第26区)から出馬するのだろう、との意図が見透かされていたこともあったのか、情勢調査ではほぼ全てで決定的な差をつけられており、無党派層では石丸候補以下の支持率との報道も見られ、NHKでも開票開始直後に小池知事3選が伝えられるのではないか(いわゆる0打ち)、とさえ予想していました。
じっさい、NHKでは「0打ち」で小池知事3選が伝えられ、蓮舫候補は2位の石丸候補にも決定的な差をつけられて、3位でした。2016年の都知事選で「野党統一候補」として立候補し、選挙期間中の醜聞報道で大敗した鳥越俊太郎候補より得票数(1346103票)も得票率(20.56%)も下回っており、国会の野党第一党が大々的に支援したことを考えると、大惨敗と言えるでしょう。共産党が前面にでたことも悪影響を及ぼしたのでしょうが、共産党の固定票をしっかり把握できただろうこととの差し引きで正負どちらだったのか、判断の難しいところです。蓮舫候補はこれでは、次期衆院選での東京第26区からの出馬も、松原仁氏と競合することを考えると難しいように思います。
正直なところ、広島県の安芸高田市の市長を任期途中で辞任して都知事選に立候補し、若者ではともかく一定以上の年齢層には知名度が低そうで、市長時代の悪評が伝わってきた石丸候補(まあ、私の情報収集に偏りがあるのかもしれませんが)にも、蓮舫候補が決定的な差をつけられたのはかなり衝撃でした。確かに、蓮舫候補は3位とNHKは予想している、との報道も選挙期間中にありましたが、半信半疑でした。しかし、情勢調査でも当日の出口調査でも示されていたように、蓮舫候補は無党派層では石丸候補と小池候補に差をつけられた3位で、無党派層に浸透できなかったのでしょう。蓮舫候補は「古い側」の政治家で、石丸候補は既存の政治勢力とのつながりが「表面的」にはなく、「新鮮な」政治家との印象が、とくに若い世代では強かったようです。元々、蓮舫候補は嫌っている人の多そうな政治家でもありましたし、「鮮度」が下がればこの大敗も仕方のないところでしょうか。
私にとっても、蓮舫候補は嫌いな政治家の一人でした。それは、蓮舫候補には松下政経塾臭が強いとの印象を抱いてきて(実際には松下政経塾出身ではありませんし、私の偏見かもしれませんが)、とても大臣や首長の器ではない、と考えていたからです。まあ、東京都のような大組織を運営する器という点では、石丸候補よりはずっとましだろう、とは思いますが。なお私は、蓮舫候補が今回、「左翼」にも頼ったというか、「左翼」に利用された側面が少なからずあるものの、蓮舫候補が「左翼」とはまったく考えていません。正直なところ、石丸候補の得票がここまで多いことは私にとって脅威で、今後は次期衆院選での立候補を考えているそうですが、早く「鮮度」が低下してもらいたいものですし、その言動を少し見た限りでは、「鮮度」低下の時期は早いのではないか、と願望込みで考えています。
選挙権を得て以降、都知事選ではずっと不愉快な結果が続いていますが、これを嘆くばかりではなく、私自身の立候補は見識からも器からも論外としても、相応しい候補を見つけて積極的に支援することは、今後真剣に考えねばなりません。今にして思うと、完全に結果論になってしまいますが、私が選挙権を得てからの都知事選での当選者で最もまともなのは舛添要一前都知事で、舛添前知事の退陣要求が盛り上がったさいには、強く擁護しておくべきでした。まあ、私一人が行動を変えても、大勢が変わるわけもありませんが。投票率は60.62%と前回(55.00%)を上回り、これは前回よりも接戦になりそうとの予想が大きかったのでしょうが、過去最高の立候補者数となり、「お祭り感」が多くの有権者に強く印象づけられたこともあるのかもしれません。同日行なわれた都議補選では自民党が苦戦し、次期衆院選での自民党の議席数減少は避けられないようです。
今回改めて思ったのは、選挙において、「内輪」で相互に「正しさ」を誇示して承認し、対立候補とその支持者および投票者(と東京地方もしくは日本社会全体)をもっぱら腐す、自己満足で終わるような人々とは距離を取らねばならない、ということです。これについて私も多々反省せねばならぬことがありますが、それ以上に根本的に反省しなければならないのは、今回の都知事選の在り様です。過去の都知事選でも、当選度外視と思われる立候補者は少なからずいましたし、そうした候補者の中には、当時の社会環境では注目されにくい問題を提起したかった人も、単に目立ちたかった人もいたでしょうが、今回の都知事選では、後者に近い(それが経済的利益にもなる、との思惑も強かったようですが)候補者があまりにも多かったように思われます。
そうした人々の立候補を制度的に禁止もしくは困難にすることには反対ですが、こうした現象は、現代の日本社会の問題を反映しているように思います。それは、各個人がどれだけ自覚的かはともかく、制度や社会資本をいかに上手く「利用」するか、換言すると、どれだけ「タダ乗り(フリーライド)」できるかが、「賢さ」や「格好良さ」の指標になっている側面が多分にある、ということです。もちろん、そうした側面は前近代からあったでしょうが、現代日本のような大規模化して複雑化した社会では、そうした「フリーライダー」の検出およびその後の追放もしくは処罰がより困難になり、それどころか、時にはそうした「フリーライダー」が「正義」の体現者として社会において英雄的に受け止められることも、問題の解決を困難なしているように思います。
この問題と深くつながっているのが消費者(お客様)意識の強さで、大雑把にまとめれば社会に対する当事者意識の低さがあり、それが30年以上にわたる、世界における日本の相対的衰退(経済力を中心としてさまざまな側面で)の根本的要因になっているのだろう、と思います。お客様意識の強さは、現代日本社会において多くの住民に快適さをもたらし、それがお客様意識の強さを維持あるいは強化さえしているのでしょうが、一方でこれが労働環境の悪化をもたらしている側面は大きく、その意味で現代日本社会は、消費者としてのみ暮らすならばかなり快適だと思います。ただ、日本社会においてこのまま世界における経済力の相対的衰退や人口減少が続けば、消費者にとって快適な社会が短期間で崩壊する可能性もあるとは思います。
正直なところ、私もお客様意識に強く毒されてきましたから、この問題について大いに反省せねばなりません。しかし、社会全体に対して当事者意識を持てといっても、多分に精神論でしかなく、大規模化して複雑化した高度な大衆消費社会において、お客様意識が強くなるのは仕方のないところもあるでしょう。ただ、大規模化して複雑化した高度な大衆消費社会を基盤とした国でも、過去数十年間において経済など多くの側面で日本より上手く運営している国は少なくないでしょう。恐らくこれは多分に「経路依存性」の問題で、それは近代化の過程のみならず前近代までさかのぼらねばならない問題でしょうから、その意味でも歴史学は重要になると思います。
現代日本(に限りませんが)社会のさまざまな問題の解決に「経路依存性」の解明が重要であることは、単純に「先進国」の真似をして解決できるとは限らないことも意味しており、それはソ連崩壊後のロシアなどの事例によく表れているように思います。また、「経路依存性」が重要とはいっても、歴史の展開が必然であることを意味しているわけではなく、程度の差はあれども一定の範囲で選択の幅があると考えているので、その意味で、希望的観測ですが、日本社会の世界における相対的衰退が今後変わる可能性もあるのではないか、とも思います。現代日本社会の問題点の改善に、制度設計や教育など有効な具体的提案ができるわけではありませんが、都知事選を機に、現代日本社会について日頃考えていることを漫然と述べました。この問題は今後も考え続け、もっと知見を増やし、整理していきたいものです。なお、過去の都知事選に関する記事は以下の通りです。
2007年
https://sicambre.seesaa.net/article/200704article_9.html
2011年
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_11.html
2012年
https://sicambre.seesaa.net/article/201212article_19.html
2014年
https://sicambre.seesaa.net/article/201402article_11.html
2016年
https://sicambre.seesaa.net/article/201608article_2.html
2020年
https://sicambre.seesaa.net/article/202007article_8.html
小池百合子候補・・・2918015票(42.77%)
石丸伸二候補・・・1658363票(24.30%)
蓮舫候補・・・1283262票(18.81%)
田母神俊雄候補・・・267699票(3.92%)
今回は、最近の都内での選挙結果から、支持の低迷している自民党と接近したこともあって小池知事への支持が下がっているのではないか、とも考えられたので、2016年に都知事選出馬を噂されていた蓮舫氏も参議院議員を辞職して出馬しましたが、負けても1年数ヶ月以内に行なわれる衆院選で東京の新選挙区(第26区)から出馬するのだろう、との意図が見透かされていたこともあったのか、情勢調査ではほぼ全てで決定的な差をつけられており、無党派層では石丸候補以下の支持率との報道も見られ、NHKでも開票開始直後に小池知事3選が伝えられるのではないか(いわゆる0打ち)、とさえ予想していました。
じっさい、NHKでは「0打ち」で小池知事3選が伝えられ、蓮舫候補は2位の石丸候補にも決定的な差をつけられて、3位でした。2016年の都知事選で「野党統一候補」として立候補し、選挙期間中の醜聞報道で大敗した鳥越俊太郎候補より得票数(1346103票)も得票率(20.56%)も下回っており、国会の野党第一党が大々的に支援したことを考えると、大惨敗と言えるでしょう。共産党が前面にでたことも悪影響を及ぼしたのでしょうが、共産党の固定票をしっかり把握できただろうこととの差し引きで正負どちらだったのか、判断の難しいところです。蓮舫候補はこれでは、次期衆院選での東京第26区からの出馬も、松原仁氏と競合することを考えると難しいように思います。
正直なところ、広島県の安芸高田市の市長を任期途中で辞任して都知事選に立候補し、若者ではともかく一定以上の年齢層には知名度が低そうで、市長時代の悪評が伝わってきた石丸候補(まあ、私の情報収集に偏りがあるのかもしれませんが)にも、蓮舫候補が決定的な差をつけられたのはかなり衝撃でした。確かに、蓮舫候補は3位とNHKは予想している、との報道も選挙期間中にありましたが、半信半疑でした。しかし、情勢調査でも当日の出口調査でも示されていたように、蓮舫候補は無党派層では石丸候補と小池候補に差をつけられた3位で、無党派層に浸透できなかったのでしょう。蓮舫候補は「古い側」の政治家で、石丸候補は既存の政治勢力とのつながりが「表面的」にはなく、「新鮮な」政治家との印象が、とくに若い世代では強かったようです。元々、蓮舫候補は嫌っている人の多そうな政治家でもありましたし、「鮮度」が下がればこの大敗も仕方のないところでしょうか。
私にとっても、蓮舫候補は嫌いな政治家の一人でした。それは、蓮舫候補には松下政経塾臭が強いとの印象を抱いてきて(実際には松下政経塾出身ではありませんし、私の偏見かもしれませんが)、とても大臣や首長の器ではない、と考えていたからです。まあ、東京都のような大組織を運営する器という点では、石丸候補よりはずっとましだろう、とは思いますが。なお私は、蓮舫候補が今回、「左翼」にも頼ったというか、「左翼」に利用された側面が少なからずあるものの、蓮舫候補が「左翼」とはまったく考えていません。正直なところ、石丸候補の得票がここまで多いことは私にとって脅威で、今後は次期衆院選での立候補を考えているそうですが、早く「鮮度」が低下してもらいたいものですし、その言動を少し見た限りでは、「鮮度」低下の時期は早いのではないか、と願望込みで考えています。
選挙権を得て以降、都知事選ではずっと不愉快な結果が続いていますが、これを嘆くばかりではなく、私自身の立候補は見識からも器からも論外としても、相応しい候補を見つけて積極的に支援することは、今後真剣に考えねばなりません。今にして思うと、完全に結果論になってしまいますが、私が選挙権を得てからの都知事選での当選者で最もまともなのは舛添要一前都知事で、舛添前知事の退陣要求が盛り上がったさいには、強く擁護しておくべきでした。まあ、私一人が行動を変えても、大勢が変わるわけもありませんが。投票率は60.62%と前回(55.00%)を上回り、これは前回よりも接戦になりそうとの予想が大きかったのでしょうが、過去最高の立候補者数となり、「お祭り感」が多くの有権者に強く印象づけられたこともあるのかもしれません。同日行なわれた都議補選では自民党が苦戦し、次期衆院選での自民党の議席数減少は避けられないようです。
今回改めて思ったのは、選挙において、「内輪」で相互に「正しさ」を誇示して承認し、対立候補とその支持者および投票者(と東京地方もしくは日本社会全体)をもっぱら腐す、自己満足で終わるような人々とは距離を取らねばならない、ということです。これについて私も多々反省せねばならぬことがありますが、それ以上に根本的に反省しなければならないのは、今回の都知事選の在り様です。過去の都知事選でも、当選度外視と思われる立候補者は少なからずいましたし、そうした候補者の中には、当時の社会環境では注目されにくい問題を提起したかった人も、単に目立ちたかった人もいたでしょうが、今回の都知事選では、後者に近い(それが経済的利益にもなる、との思惑も強かったようですが)候補者があまりにも多かったように思われます。
そうした人々の立候補を制度的に禁止もしくは困難にすることには反対ですが、こうした現象は、現代の日本社会の問題を反映しているように思います。それは、各個人がどれだけ自覚的かはともかく、制度や社会資本をいかに上手く「利用」するか、換言すると、どれだけ「タダ乗り(フリーライド)」できるかが、「賢さ」や「格好良さ」の指標になっている側面が多分にある、ということです。もちろん、そうした側面は前近代からあったでしょうが、現代日本のような大規模化して複雑化した社会では、そうした「フリーライダー」の検出およびその後の追放もしくは処罰がより困難になり、それどころか、時にはそうした「フリーライダー」が「正義」の体現者として社会において英雄的に受け止められることも、問題の解決を困難なしているように思います。
この問題と深くつながっているのが消費者(お客様)意識の強さで、大雑把にまとめれば社会に対する当事者意識の低さがあり、それが30年以上にわたる、世界における日本の相対的衰退(経済力を中心としてさまざまな側面で)の根本的要因になっているのだろう、と思います。お客様意識の強さは、現代日本社会において多くの住民に快適さをもたらし、それがお客様意識の強さを維持あるいは強化さえしているのでしょうが、一方でこれが労働環境の悪化をもたらしている側面は大きく、その意味で現代日本社会は、消費者としてのみ暮らすならばかなり快適だと思います。ただ、日本社会においてこのまま世界における経済力の相対的衰退や人口減少が続けば、消費者にとって快適な社会が短期間で崩壊する可能性もあるとは思います。
正直なところ、私もお客様意識に強く毒されてきましたから、この問題について大いに反省せねばなりません。しかし、社会全体に対して当事者意識を持てといっても、多分に精神論でしかなく、大規模化して複雑化した高度な大衆消費社会において、お客様意識が強くなるのは仕方のないところもあるでしょう。ただ、大規模化して複雑化した高度な大衆消費社会を基盤とした国でも、過去数十年間において経済など多くの側面で日本より上手く運営している国は少なくないでしょう。恐らくこれは多分に「経路依存性」の問題で、それは近代化の過程のみならず前近代までさかのぼらねばならない問題でしょうから、その意味でも歴史学は重要になると思います。
現代日本(に限りませんが)社会のさまざまな問題の解決に「経路依存性」の解明が重要であることは、単純に「先進国」の真似をして解決できるとは限らないことも意味しており、それはソ連崩壊後のロシアなどの事例によく表れているように思います。また、「経路依存性」が重要とはいっても、歴史の展開が必然であることを意味しているわけではなく、程度の差はあれども一定の範囲で選択の幅があると考えているので、その意味で、希望的観測ですが、日本社会の世界における相対的衰退が今後変わる可能性もあるのではないか、とも思います。現代日本社会の問題点の改善に、制度設計や教育など有効な具体的提案ができるわけではありませんが、都知事選を機に、現代日本社会について日頃考えていることを漫然と述べました。この問題は今後も考え続け、もっと知見を増やし、整理していきたいものです。なお、過去の都知事選に関する記事は以下の通りです。
2007年
https://sicambre.seesaa.net/article/200704article_9.html
2011年
https://sicambre.seesaa.net/article/201104article_11.html
2012年
https://sicambre.seesaa.net/article/201212article_19.html
2014年
https://sicambre.seesaa.net/article/201402article_11.html
2016年
https://sicambre.seesaa.net/article/201608article_2.html
2020年
https://sicambre.seesaa.net/article/202007article_8.html
この記事へのコメント