中国南部の近世の被葬者のゲノムデータ
現在の中華人民共和国広西チワン族自治区の洞窟で発見された近世の被葬者のゲノムデータを報告した研究(Guo et al., 2024)が公表されました。本論文は、広西チワン族自治区のバイタイシャン(Baitaishan)およびフアトゥドン(Huatudong)洞窟で発見された、大元ウルス後期~明代にかけての被葬者4個体のゲノムデータを新たに報告し、既知の古代人および現代人と比較しました。その結果、この被葬者は現代人ではミャオ・ヤオ(Hmong-Mien)語族話者、とくにに地理的に隣接しているバイク・ヤオ人(Baiku Yao)集団との強い遺伝的つながりが明らかになりました。中国では歴史時代の古代ゲノム研究も進んでいるようで、日本での研究の進展も期待されます。なお、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡の漢字表記は検索しても分からなかったので、この記事では暫定的に片仮名で表記します。他にも民族名や地名で間違った表記がありそうですが、とりあえず片仮名や漢字で表記しておきます。
●要約
洞窟葬は商(殷)王朝と周王朝(3600~2200年前頃)以来、中国南部では数千年にわたって一般的でした。洞窟葬集団の人口史と現在の中国南部少数民族の形成への遺伝的寄与は、古代ゲノムデータの不足のため、ほぼ分かっていません。本論文は、後期元王朝から明王朝(650~300年前頃)の洞窟葬遺跡であるバイタイシャンおよびフアトゥドンから発見された、古代人4個体のゲノムデータを提示します。この4個体と刊行されている同時代の埋葬標本との間の、密接な遺伝的類似性が観察されました。しかし、本論文で調査された4個体は、1600~1400年前頃の洞窟葬集団と比較して、アジア東部北方人からの遺伝子流動を受けていました。これら古代の洞窟葬集団と現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団、とくに地理的に隣接しているバイク・ヤオ人集団との間の強い遺伝的つながりが特定され、過去数世紀にわたる中国南部の山岳地帯における人口安定性が示唆されます。
●研究史
広西チワン族自治区は雲南・貴州高原とアジア南東部本土の山岳地帯の交差点に位置し、それは中国南西部とアジア南東部との間で文化と言語と人口集団を接続する重要なつながりとして機能します。よく知られているように、の移送慣行はある人口集団の関係と習慣を観察する最も効率的な方法の一つです。中国南部で広く見られる洞窟葬の慣行は、文化と人口両方の進化を観察するためのひじょうに貴重な手段で、それはこれらの洞窟葬と関連する人口集団の移動および進化の歴史を解明できます。とくに、広西チワン族自治区の洞窟葬は、洞窟葬の発展史において独特な特徴を示し、3期に分類できます。第1期は商(殷)王朝と周王朝にさかのぼり(3600~2200年前頃)、自然の洞窟を利用した埋葬慣行によって特徴づけられます。第2期は漢王朝から唐王朝にまたがり(2200~1100年前頃)、洞窟内の人工的な壁龕や建築された埋葬構造の使用が特徴です。第3期は宋王朝からダイチン・グルン(大清帝国)にまたがり(1100~100年前頃)、第2期の埋葬慣行が続きましたが、主要な埋葬地として自然の洞窟が広範に使用されました。
広西チワン族自治区における以前の遺伝学的研究は、おもに先史時代のヒト標本に焦点を当てており、中石器時代以降の中国南部およびアジア南東部本土における人口拡大および融合の歴史を明らかにしました(McColl et al., 2018、Wang et al., 2021)。以前に1600~200年前頃にさかのぼる広西チワン族自治区の洞窟葬から得られた古代DNAは、古代人標本と現在のタイ・カダイ(Tai-Kadai)語族およびミャオ・ヤオ語族話者人口集団との間の密接な遺伝的つながりを明らかにしました。一般的に、広西チワン族自治区のBaBanQinCen(Banda遺跡とQinCen遺跡とBalong遺跡)標本のような個体群により表される1600~1400年前頃の洞窟葬標本は、現在のタイ・カダイ語族話者人口集団とより密接な遺伝的関係を共有しています。逆に、先行研究において、GaoHuaHua(広西チワン族自治区のGaofeng遺跡Huaqjao遺跡とHuatuyan遺跡)個体群により表される、400~200年前頃の洞窟葬関連人口集団は、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団とより密接な遺伝的類似性を示します(Wang et al., 2021)。さらに、中国南部およびタイ北部の洞窟葬のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究は、洞窟葬標本と中国南部およびアジア南東部に暮らす現在の人口集団との間の遺伝的類似性を明らかにしており、そうした現代人には、中国南部およびタイ北部の傣人(Dai)やシュイ人(Sui、水族)やチワン人(Zhuang、壮族)やミャオ・ヤオ語族話者やタイ人やクメール人の集団が含まれます。
したがって、アジアの東部と南東部の交差点である広西チワン族自治区の集団遺伝学的構造の調査は、古代と現在の人口集団の人口統計学的歴史の理解に重要です。とくに、この地域における現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団の埋葬慣行に関する以前の人類学的研究では、洞窟葬はバイク・ヤオ人集団の一般的な慣行でもあり、それは宋王朝以来(1100年前頃以降)の洞窟葬の第3期にたどることができる、と示唆されてきました。ミャオ・ヤオ語族は中国南部およびアジア南東部本土における主要な語族の一つで、遺伝学的観点から人口構造と多様性に関して広範に調べられてきました。しかし、この語族の話者集団の起源と混合の歴史の詳細は、とくに古代DNAに基づく複雑な混合モデル化の文脈では、著しく不足しています。本論文は、中国南部の広西チワン族自治区における後期大元ウルスから明王朝(650~300年前頃)にまたがる3ヶ所の洞窟葬遺跡(図1A)から得られた古代人4個体のゲノム規模データを、生成して分析し、洞窟葬と関連する古代の個体群とミャオ・ヤオ語族話者人口集団との間の遺伝的関係および混合史を調べます。以下は本論文の図1です。
●標本と手法
中国南部の広西チワン族自治区は、洞窟葬の発見と保存において重要です。洞窟葬が集中している珠江上流の紅水川(Hongshui River)地域に焦点を当てた考古学的調査は、おもに3回実施されました。この地域における洞窟葬の最初の考古学的調査は、1958年の広西チワン族自治区南丹県(Nandan)大瑶寨客(Dayaozhai)のヤオ共同体の社会経済的調査にさかのぼることができます。この最初の調査中に、約40ヶ所の洞窟葬遺跡が特定され、最大の遺跡には12基以上の棺が含まれていました。
1980年代には、広西チワン族自治区博物館の考古学調査団が、洞窟葬のより広範な調査を2回実施しました。1981年には、その民族性に焦点を当てて、フアイリ(Huairi)やジホウ(Jihou)やレングアン(Renguang)やドンジア(Dongjia)やヤオリ(Yaoli)の35ヶ所の洞窟葬と年代とこれらの埋葬の慣行が調べられました。この研究では、これらの洞窟葬は在来人口集団であるバイク・ヤオ人の独特な伝統の一部だった、と明らかになりました。これらの洞窟葬の年代測定範囲は宋王朝からダイチン・グルン中期までで(1100~200年前頃)、いくつかはダイチン・グルン後期と中華民国初期にまでわたるかもしれません。1984年に調査が続き、フアイリとフアグオ(Huaguo)とジホウとレングアンとヤオリとドンジア(Dongjia)の39ヶ所に焦点が当てられました。この追跡調査では、これらの洞窟葬における棺の広範な集中は氏族の埋葬を表している可能性が高く、数点の棺しかない洞窟葬は家族葬で、1点の棺しかない洞窟葬は個人もしくは夫婦の埋葬かもしれない、と示唆されました。相対的な年代測定の観点から、氏族葬と家族葬と個人葬は異なる年代系列かもしれず、個人葬は通常後の時代です。
本論文では、広西チワン族自治区の、南丹県バイタイシャン(Nandan Baitaishan、略してNBT)遺跡の3個体(5点の標本)と、南丹県フアトゥドン(Nandan Huatudong、略してNHT)遺跡の4個体(7点の標本)が収集されました。放射性炭素年代測定のため、より古い考古学的遺跡であるNBT1およびNBT2から2点の標本が選択されました(表1)。DNA解析用の試料は、遺骸の四肢骨と歯と側頭骨錐体部から収集されました。性別は常染色体の網羅率とのX染色体およびY染色体の網羅率の比較により推定され、X染色体とY染色体の読み取りの網羅率が常染色体と比較して半分なら男性と判断され、対照的に女性では、常染色体に対する網羅率の比率は、X染色体では同じ、Y染色体ではゼロとなります。
新たに得られた遺伝的デーは、刊行されているデータセット(Mallick et al., 2024)と統合されました。親族関係の推定には、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)とlcMLkin第2.1版が用いられました。現代の人口集団で計算された主成分分析(principal component analysis、略してPCA)に、新たに得られた古代人の遺伝的データが投影され、主成分(PC)の計算には合計593120ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)が使用されました。混合分析は、ADMIXTURE第1.3.0版を用いて行なわれ、連鎖不平衡に剪定された後で、226429ヶ所のSNPが混合分析の実行に使用されました。
●分析結果
広西チワン族自治区の南丹県里湖(Lihu)の3ヶ所の遺跡から7個体(12点の標本)が得られ、年代は600~300年前頃です。各標本は、バイタイシャン遺跡とフアトゥドン遺跡に位置する4ヶ所の異なる洞窟葬から得られました(図1A)。このうち4個体(NBT1_1、NBT2_1、NHT1_3、NHT1_4)で高い割合の内在性DNAが確認され、全員男性と推定されました。これら4個体は、124万SNPのうち638159~823274ヶ所を網羅します(表1)。これら4個体で2親等以上の親族関係は検出されず、以後の集団遺伝学的分析では4個体全員が使用されました。
●広西チワン族自治区における歴史的な人口構造
古代と現在の人口集団間の遺伝的類似性を視覚的に示すため、まず「ヒト起源」データセット(Jeong et al., 2019)に基づいて、ユーラシア東部の選択された古代の人口集団とともにPCAが実行されました。PCAから、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡の640~420年前頃の全個体は、広西チワン族自治区のそれ以前の埋葬人口集団、つまりライ(LaYi)やラセン(Lacen)やシェンシー(Shenxi)やイヤン(Yiyang)やBaBanQinCenではなく、500年前頃のGaoHuaHua人口集団とクラスタ化する(まとまる)、と明らかになります(図1B)。さらに、これら調査された個体群は、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団であるミャオ人やパフン人(PaThen)との遺伝的類似性を示します。ADMIXTUREの結果でも、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡個体群はGaoHuaHua人口集団と類似の遺伝的特性を共有しており、現在のミャオ人集団に顕著に影響を及ぼした、と示されます(図1C)。さらに外群f₃統計分析では、本論文で調査された個体群は、広西チワン族自治区の1500年前頃の1集団を含めて、どの他の古代の人口集団とよりもGaoHuaHua人口集団密接な類似性を示す、と確証されます。
先行研究では、広西チワン族自治区の500年前頃となる歴史時代の人口集団がアジア東部北方からの遺伝的影響を受けた、と分かりました(Yang et al., 2020、Wang et al., 2021)。古代のアジア東部北方個体群が広西チワン族自治区人口集団にどのように影響を及ぼしたのか調べるため、f₄(ムブティ人、アジア東部古代人;1500年前頃の広西チワン族自治区集団、フアトゥドン/バイタイシャン個体群)が計算されました。本論文で新たに標本抽出された個体群は、より古いい広西チワン族自治区人口集団であるイヤンやライ・シェンシアン(Shenxian)やラセンやBaBanQinCenからの遺伝的特性の変化(図2A)と、黄河流域およびチベット高原に暮らしていた古代のシナ・チベット語族話者人口集団とのつながりを示し(図2B)、1500年前頃にさかのぼる北方から南方への遺伝的影響が示唆されます。以下は本論文の図2です。
広西チワン族自治区の先史時代および歴史時代の古代の人口集団は、他の古代のアジア東部人口集団と比較して、本論文で調べられた個体群と異なる遺伝的類似性を示します。これらのパターンは、6000~1500年前頃の広西チワン族自治区へのアジア北東部からの顕著な人口移動を示唆しており、それは広西チワン族自治区の人口構造をかなり変えて、歴史時代以降の広西チワン族自治区人口集団におけるアジア北東部からの遺伝的影響の増加をもたらしました。本論文で調べられた個体群も、アジア北東部古代人からの混合を示します。しかし、この混合は6000~1500年前頃となるそれ以前の混合事象ほどには、人口構造に強い影響を及ぼしませんでした。さらに、先行研究(Tao et al., 2023)で示された中国南西部における稲作関連の高山(Gaoshan)遺跡の後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)個体群(高山_LN)と海門口(Haimenkou)遺跡の青銅器時代(Bronze Age、略してBA)個体群(海門口_BA)も、広西チワン族自治区の古代の個体群の遺伝的構成に寄与した、と分かりました。
本論文で調査された個体群はGaoHuaHua人口集団との時空間的類似性を示しているので、次にqpWaveおよびf₄分析を用いて、これらの個体群とGaoHuaHua人口集団との間の遺伝的差異が形式的に調べられました。qpWave分析では、NHT1_3およびNHT1_4がGaoHuaHua人口集団と類似の遺伝的特性を共有している、と明らかになりました。対照的に、より古い2個体であるNBT1_1およびNBT2_1は、GaoHuaHua人口集団とはわずかな差異を示します(図3A)。さらに、本論文で調べられた個体群は、アジア東部古代人とのアレル(対立遺伝子)共有パターンに関してGaoHuaHua人口集団と高い類似性を示し(図2C)、明王朝およびダイチン・グルン期(600~100年前頃)のこの地域における遺伝的安定性が示唆されます。フアトゥドン/バイタイシャン人口集団と比較して、GaoHuaHuaの他の古代の人口集団からの幾分かの影響も検出され、この地域における一貫した人口混合が示唆されます。以下は本論文の図3です。
本論文で調べられた個体群の遺伝的構造が、qpAdmでさらに調べられました。その結果、NBT1_1とNHT1_3とNHT1_4はアジア東部北方人口集団からの31.7~50.3%と、広西チワン族自治区のより古いBaBanQinCen人口集団からの49.7~68.3%の混合としてモデル化できる、と示されます(図4A)。対照的に、NBT2_1は、アジア東部北方人口集団からの44.1%と、BaBanQinCen人口集団からの43.6と、ホアビン文化(Hòabìnhian)関連人口集団からの12.3%の混合としてモデル化でき(図4A)、ホアビン文化関連人口集団からの遺伝的影響は、フアトゥドン/バイタイシャン個体群より古い広西チワン族自治区の古代の人口集団である、BaBanQinCenおよびラセンでは検出されませんでした。以下は本論文の図4です。
●歴史時代と現在の人口集団間のつながり
先行研究では、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団は1500年前頃の広西チワン族自治区の古代の人口集団よりも、GaoHuaHua人口集団と多くの類似性を示す、と証明されました(Wang et al., 2021)。棺の類型論およびヒト遺骸の身長に基づくと、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡から標本抽出された個体群は、現在のバイク・ヤオ人集団とつながりがある、と考えられます。しかし、棺で見つかった織物や彫刻肖像は、バイク・ヤオ人集団と関連する織物や彫刻肖像とは大きく異なります。本論文の遺伝学的分析から、新たに分析された4個体はすべて、1500年以上前の広西チワン族自治区の古代の人口集団と比較して、バイク・ヤオ人を含めて現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団と類似性を共有している、と示されます。現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団は、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡個体群の構成要素を示しており(図1C)、本論文で調べられた個体群とミャオ・ヤオ語族話者人口集団との間の遺伝的つながりが推測されます。qpWaveの結果からも、本論文で調べられた個体群は、ミャオ人やパフン人やザオ人(Dao)など現在の一部のミャオ・ヤオ語族話者人口集団と類似の遺伝的特性を共有している、と示唆されます(図3B)。
次に、f₄(ムブティ人、現在のミャオ・ヤオ語族話者;アジア東部古代人、フアトゥドン/バイタイシャン個体群)を用いて、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団と本論文で調べられた個体群との間の遺伝的類似性が地理的距離と関連しているのかどうか、調べられました(Tao et al., 2023)。その結果、本論文で調べられた個体群と他の中国のミャオ・ヤオ語族話者において、地理的距離と遺伝的類似性との間の相関が示唆されました。貴州省のバイク・ヤオ人のように、より近い人口集団は、本論文で調べられた広西チワン族自治区の個体群とより高いf₄値を示しますが、他の地理的に遠い人口集団はより近い集団よりもアレル共有数が少なくなっています。このパターンから、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団の祖先はバイタイシャンおよびフアトゥドン地域から移住してきたかもしれない、と示唆されます(図2D)。
次に、qpAdmを用いて、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡個体群との現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がモデル化されました。その結果、ミャオ人とパフン人はフアトゥドン遺跡の2個体(NHT1_3、NHT1_4)と比較して均質である、と分かりました。さらに、シェ人(She)およびミャオ人集団はNBT1_1と均質で、フアトゥドン遺跡個体群84.2~92.8%と古代の中国北部人口集団7.2~15.8%の混合としてもモデル化できます(図4B)。
●考察
本論文における600~300年前頃にさかのぼる洞窟葬から発見された4個体の集団遺伝学的分析は、調べられた古代の広西チワン族自治区人口集団と同時代のGaoHuaHua人口集団との間の密接な遺伝的つながりを明らかにします。先行研究で報告されているように、本論文で調べられたNHT1_3およびNHT1_4で観察された、GaoHuaHua個体群との遺伝的均質性も、その密接な関係を示唆します。これらの調査結果は、自然人類学の観察と一致し、中国南部の古代の人口集団の典型的な特徴を浮き彫りにします。さらに、これら古代の洞窟葬関連人口集団と現在のミャオ・ヤオ語族話者集団、とくに地理的に隣接している貴州省のバイク・ヤオ人集団との間の強い遺伝的つながりが特定されました。
より具体的には、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡からの地理的距離に基づいて、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団をさらに3集団へと分類できます。近い距離の集団には、貴州省のチャングシャン(Changshan)・ヤオ人やキン・ヤオ人(QingYao)やバイク・ヤオ人が含まれます。中距離集団には、貴州省の従江(Congjiang)県や西江(Xijiang)鎮や雷山(Leishan)県や紫雲(Ziyun)や西秀(Xixiu)や鎮寧(Zhenning)のミャオ人が含まれます。遠距離集団は、貴州省の松桃(Songtao)県のミャオ人で構成されます。これらの結果から、古代の洞窟葬関連人口集団はこの地域に暮らす現在のバイク・ヤオ人集団の祖先と関連している、と示唆されます。この遺伝的一貫性は、過去600年間比較的安定したままで、外部集団からの限定的な影響があります。
さらに、本論文のf₄モデルから、フアトゥドン個体群は、より古いNBT2_1個体と比較して、現在の貴州省のバイク・ヤオ人およびチャングシャン人口集団とより密接な遺伝的類似性を示す、と示唆されます。この現象は、フアトゥドン人口集団のより新しい年代測定に起因するかもしれず、居住しているバイク・ヤオ人および近隣のチャングシャン・ヤオ人集団とのより密接な遺伝的つながりをもたらしました。あるいは、これはこの100年間に起きた他の人口集団からの遺伝的混合事象に起因し、それはこれらミャオ・ヤオ語族話者人口集団の遺伝的構造における差異につながったかもしれません。
広西チワン族自治区の洞窟葬の古代の個体群と現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団との間の遺伝的関係に加えて、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡集団は稲作農耕関連の中国南部祖先系統からのより多くの遺伝的浮動も受けており、さまざまな程度で現在の中国南西部および南部人口集団に影響を及ぼしました。興味深いことに、調べられた600~300年前頃【近世】の洞窟葬関連個体群は、広西チワン族自治区の1600~1400年前頃【中世】の洞窟葬人口集団よりもアジア東部北方からの高い遺伝的割合を有しています。この現象は、「中央政府」、とくに中期~後期の明王朝(500~300年前頃)と関連しているかもしれず、中国南部および南西部におけるより強い統制政策が実行され、これらの地域は属国から「中央政府」の統治の不可欠な一部に変わりました。この政策変更は、中国北部人口集団の移住や文化的および経済的中心地の南方への移行と一致しており、シナ語派およびミャオ・ヤオ語族話者人口集団の移住をもたらしました。
広西チワン族自治区における洞窟葬の考古学的研究は、この2期間【中世と近世】の洞窟の場所選択と埋葬慣行における顕著な差異も明らかにしています。広西チワン族自治区における類似の文化的特徴のある洞窟葬の存続にも関わらず、人口集団の遺伝的構造は変わり、次第に中国北部からの遺伝子流動による影響を受けました。後期における、より高くより隠れた洞窟への選好や、家族もしくは氏族の出現など、これらの変化はこの2期間【中世と近世】における洞窟葬関連人口集団の移行を反映しています。これらの変化は、qpAdm混合モデルにより示唆さるように中国北部人口集団と、アジア南東部本土からの古代の人口集団と関連する遺伝子流動【ホアビン文化関連集団的な遺伝的構成要素】の両方に影響を受けました。
まとめると、本論文における広西チワン族自治区の古代の個体群の観察は、600~300年前頃となるこの地域での洞窟葬関連人口集団の遺伝的構造について、中国南部とアジア南東部の交差点における人口集団の相互作用の影響を浮き彫りにします。一方で、明王朝およびダイチン・グルン期(600~100年前頃)の洞窟葬人口集団と現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団、とくに周辺地域に暮らすバイク・ヤオ人との間の遺伝的連続性は、過去数世紀にわたる中国南部の山岳地帯における人口安定性を示唆します。
参考文献:
Guo J. et al.(2024): Genetic affinity of cave burial and Hmong-Mien populations in Guangxi inferred from ancient genomes. Archaeological and Anthropological Sciences, 16, 121.
https://doi.org/10.1007/s12520-024-02033-1
Jeong C. et al.(2019): The genetic history of admixture across inner Eurasia. Nature Ecology & Evolution, 3, 6, 966–976.
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Lipson M. et al.(2018): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.
https://doi.org/10.1126/science.aat3188
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Mallick S. et al.(2024): The Allen Ancient DNA Resource (AADR) a curated compendium of ancient human genomes. Scientific Data, 11, 182.
https://doi.org/10.1038/s41597-024-03031-7
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McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://doi.org/10.1126/science.aat3628
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Tao L. et al.(2023): Ancient genomes reveal millet farming-related demic diffusion from the Yellow River into southwest China. Current Biology, 33, 22, 4995–5002.E7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.09.055
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Wang T. et al.(2021): Human population history at the crossroads of East and Southeast Asia since 11,000 years ago. Cell, 184, 14, 3829–3841.E21.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.05.018
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Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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●要約
洞窟葬は商(殷)王朝と周王朝(3600~2200年前頃)以来、中国南部では数千年にわたって一般的でした。洞窟葬集団の人口史と現在の中国南部少数民族の形成への遺伝的寄与は、古代ゲノムデータの不足のため、ほぼ分かっていません。本論文は、後期元王朝から明王朝(650~300年前頃)の洞窟葬遺跡であるバイタイシャンおよびフアトゥドンから発見された、古代人4個体のゲノムデータを提示します。この4個体と刊行されている同時代の埋葬標本との間の、密接な遺伝的類似性が観察されました。しかし、本論文で調査された4個体は、1600~1400年前頃の洞窟葬集団と比較して、アジア東部北方人からの遺伝子流動を受けていました。これら古代の洞窟葬集団と現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団、とくに地理的に隣接しているバイク・ヤオ人集団との間の強い遺伝的つながりが特定され、過去数世紀にわたる中国南部の山岳地帯における人口安定性が示唆されます。
●研究史
広西チワン族自治区は雲南・貴州高原とアジア南東部本土の山岳地帯の交差点に位置し、それは中国南西部とアジア南東部との間で文化と言語と人口集団を接続する重要なつながりとして機能します。よく知られているように、の移送慣行はある人口集団の関係と習慣を観察する最も効率的な方法の一つです。中国南部で広く見られる洞窟葬の慣行は、文化と人口両方の進化を観察するためのひじょうに貴重な手段で、それはこれらの洞窟葬と関連する人口集団の移動および進化の歴史を解明できます。とくに、広西チワン族自治区の洞窟葬は、洞窟葬の発展史において独特な特徴を示し、3期に分類できます。第1期は商(殷)王朝と周王朝にさかのぼり(3600~2200年前頃)、自然の洞窟を利用した埋葬慣行によって特徴づけられます。第2期は漢王朝から唐王朝にまたがり(2200~1100年前頃)、洞窟内の人工的な壁龕や建築された埋葬構造の使用が特徴です。第3期は宋王朝からダイチン・グルン(大清帝国)にまたがり(1100~100年前頃)、第2期の埋葬慣行が続きましたが、主要な埋葬地として自然の洞窟が広範に使用されました。
広西チワン族自治区における以前の遺伝学的研究は、おもに先史時代のヒト標本に焦点を当てており、中石器時代以降の中国南部およびアジア南東部本土における人口拡大および融合の歴史を明らかにしました(McColl et al., 2018、Wang et al., 2021)。以前に1600~200年前頃にさかのぼる広西チワン族自治区の洞窟葬から得られた古代DNAは、古代人標本と現在のタイ・カダイ(Tai-Kadai)語族およびミャオ・ヤオ語族話者人口集団との間の密接な遺伝的つながりを明らかにしました。一般的に、広西チワン族自治区のBaBanQinCen(Banda遺跡とQinCen遺跡とBalong遺跡)標本のような個体群により表される1600~1400年前頃の洞窟葬標本は、現在のタイ・カダイ語族話者人口集団とより密接な遺伝的関係を共有しています。逆に、先行研究において、GaoHuaHua(広西チワン族自治区のGaofeng遺跡Huaqjao遺跡とHuatuyan遺跡)個体群により表される、400~200年前頃の洞窟葬関連人口集団は、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団とより密接な遺伝的類似性を示します(Wang et al., 2021)。さらに、中国南部およびタイ北部の洞窟葬のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究は、洞窟葬標本と中国南部およびアジア南東部に暮らす現在の人口集団との間の遺伝的類似性を明らかにしており、そうした現代人には、中国南部およびタイ北部の傣人(Dai)やシュイ人(Sui、水族)やチワン人(Zhuang、壮族)やミャオ・ヤオ語族話者やタイ人やクメール人の集団が含まれます。
したがって、アジアの東部と南東部の交差点である広西チワン族自治区の集団遺伝学的構造の調査は、古代と現在の人口集団の人口統計学的歴史の理解に重要です。とくに、この地域における現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団の埋葬慣行に関する以前の人類学的研究では、洞窟葬はバイク・ヤオ人集団の一般的な慣行でもあり、それは宋王朝以来(1100年前頃以降)の洞窟葬の第3期にたどることができる、と示唆されてきました。ミャオ・ヤオ語族は中国南部およびアジア南東部本土における主要な語族の一つで、遺伝学的観点から人口構造と多様性に関して広範に調べられてきました。しかし、この語族の話者集団の起源と混合の歴史の詳細は、とくに古代DNAに基づく複雑な混合モデル化の文脈では、著しく不足しています。本論文は、中国南部の広西チワン族自治区における後期大元ウルスから明王朝(650~300年前頃)にまたがる3ヶ所の洞窟葬遺跡(図1A)から得られた古代人4個体のゲノム規模データを、生成して分析し、洞窟葬と関連する古代の個体群とミャオ・ヤオ語族話者人口集団との間の遺伝的関係および混合史を調べます。以下は本論文の図1です。
●標本と手法
中国南部の広西チワン族自治区は、洞窟葬の発見と保存において重要です。洞窟葬が集中している珠江上流の紅水川(Hongshui River)地域に焦点を当てた考古学的調査は、おもに3回実施されました。この地域における洞窟葬の最初の考古学的調査は、1958年の広西チワン族自治区南丹県(Nandan)大瑶寨客(Dayaozhai)のヤオ共同体の社会経済的調査にさかのぼることができます。この最初の調査中に、約40ヶ所の洞窟葬遺跡が特定され、最大の遺跡には12基以上の棺が含まれていました。
1980年代には、広西チワン族自治区博物館の考古学調査団が、洞窟葬のより広範な調査を2回実施しました。1981年には、その民族性に焦点を当てて、フアイリ(Huairi)やジホウ(Jihou)やレングアン(Renguang)やドンジア(Dongjia)やヤオリ(Yaoli)の35ヶ所の洞窟葬と年代とこれらの埋葬の慣行が調べられました。この研究では、これらの洞窟葬は在来人口集団であるバイク・ヤオ人の独特な伝統の一部だった、と明らかになりました。これらの洞窟葬の年代測定範囲は宋王朝からダイチン・グルン中期までで(1100~200年前頃)、いくつかはダイチン・グルン後期と中華民国初期にまでわたるかもしれません。1984年に調査が続き、フアイリとフアグオ(Huaguo)とジホウとレングアンとヤオリとドンジア(Dongjia)の39ヶ所に焦点が当てられました。この追跡調査では、これらの洞窟葬における棺の広範な集中は氏族の埋葬を表している可能性が高く、数点の棺しかない洞窟葬は家族葬で、1点の棺しかない洞窟葬は個人もしくは夫婦の埋葬かもしれない、と示唆されました。相対的な年代測定の観点から、氏族葬と家族葬と個人葬は異なる年代系列かもしれず、個人葬は通常後の時代です。
本論文では、広西チワン族自治区の、南丹県バイタイシャン(Nandan Baitaishan、略してNBT)遺跡の3個体(5点の標本)と、南丹県フアトゥドン(Nandan Huatudong、略してNHT)遺跡の4個体(7点の標本)が収集されました。放射性炭素年代測定のため、より古い考古学的遺跡であるNBT1およびNBT2から2点の標本が選択されました(表1)。DNA解析用の試料は、遺骸の四肢骨と歯と側頭骨錐体部から収集されました。性別は常染色体の網羅率とのX染色体およびY染色体の網羅率の比較により推定され、X染色体とY染色体の読み取りの網羅率が常染色体と比較して半分なら男性と判断され、対照的に女性では、常染色体に対する網羅率の比率は、X染色体では同じ、Y染色体ではゼロとなります。
新たに得られた遺伝的デーは、刊行されているデータセット(Mallick et al., 2024)と統合されました。親族関係の推定には、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)とlcMLkin第2.1版が用いられました。現代の人口集団で計算された主成分分析(principal component analysis、略してPCA)に、新たに得られた古代人の遺伝的データが投影され、主成分(PC)の計算には合計593120ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)が使用されました。混合分析は、ADMIXTURE第1.3.0版を用いて行なわれ、連鎖不平衡に剪定された後で、226429ヶ所のSNPが混合分析の実行に使用されました。
●分析結果
広西チワン族自治区の南丹県里湖(Lihu)の3ヶ所の遺跡から7個体(12点の標本)が得られ、年代は600~300年前頃です。各標本は、バイタイシャン遺跡とフアトゥドン遺跡に位置する4ヶ所の異なる洞窟葬から得られました(図1A)。このうち4個体(NBT1_1、NBT2_1、NHT1_3、NHT1_4)で高い割合の内在性DNAが確認され、全員男性と推定されました。これら4個体は、124万SNPのうち638159~823274ヶ所を網羅します(表1)。これら4個体で2親等以上の親族関係は検出されず、以後の集団遺伝学的分析では4個体全員が使用されました。
●広西チワン族自治区における歴史的な人口構造
古代と現在の人口集団間の遺伝的類似性を視覚的に示すため、まず「ヒト起源」データセット(Jeong et al., 2019)に基づいて、ユーラシア東部の選択された古代の人口集団とともにPCAが実行されました。PCAから、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡の640~420年前頃の全個体は、広西チワン族自治区のそれ以前の埋葬人口集団、つまりライ(LaYi)やラセン(Lacen)やシェンシー(Shenxi)やイヤン(Yiyang)やBaBanQinCenではなく、500年前頃のGaoHuaHua人口集団とクラスタ化する(まとまる)、と明らかになります(図1B)。さらに、これら調査された個体群は、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団であるミャオ人やパフン人(PaThen)との遺伝的類似性を示します。ADMIXTUREの結果でも、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡個体群はGaoHuaHua人口集団と類似の遺伝的特性を共有しており、現在のミャオ人集団に顕著に影響を及ぼした、と示されます(図1C)。さらに外群f₃統計分析では、本論文で調査された個体群は、広西チワン族自治区の1500年前頃の1集団を含めて、どの他の古代の人口集団とよりもGaoHuaHua人口集団密接な類似性を示す、と確証されます。
先行研究では、広西チワン族自治区の500年前頃となる歴史時代の人口集団がアジア東部北方からの遺伝的影響を受けた、と分かりました(Yang et al., 2020、Wang et al., 2021)。古代のアジア東部北方個体群が広西チワン族自治区人口集団にどのように影響を及ぼしたのか調べるため、f₄(ムブティ人、アジア東部古代人;1500年前頃の広西チワン族自治区集団、フアトゥドン/バイタイシャン個体群)が計算されました。本論文で新たに標本抽出された個体群は、より古いい広西チワン族自治区人口集団であるイヤンやライ・シェンシアン(Shenxian)やラセンやBaBanQinCenからの遺伝的特性の変化(図2A)と、黄河流域およびチベット高原に暮らしていた古代のシナ・チベット語族話者人口集団とのつながりを示し(図2B)、1500年前頃にさかのぼる北方から南方への遺伝的影響が示唆されます。以下は本論文の図2です。
広西チワン族自治区の先史時代および歴史時代の古代の人口集団は、他の古代のアジア東部人口集団と比較して、本論文で調べられた個体群と異なる遺伝的類似性を示します。これらのパターンは、6000~1500年前頃の広西チワン族自治区へのアジア北東部からの顕著な人口移動を示唆しており、それは広西チワン族自治区の人口構造をかなり変えて、歴史時代以降の広西チワン族自治区人口集団におけるアジア北東部からの遺伝的影響の増加をもたらしました。本論文で調べられた個体群も、アジア北東部古代人からの混合を示します。しかし、この混合は6000~1500年前頃となるそれ以前の混合事象ほどには、人口構造に強い影響を及ぼしませんでした。さらに、先行研究(Tao et al., 2023)で示された中国南西部における稲作関連の高山(Gaoshan)遺跡の後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)個体群(高山_LN)と海門口(Haimenkou)遺跡の青銅器時代(Bronze Age、略してBA)個体群(海門口_BA)も、広西チワン族自治区の古代の個体群の遺伝的構成に寄与した、と分かりました。
本論文で調査された個体群はGaoHuaHua人口集団との時空間的類似性を示しているので、次にqpWaveおよびf₄分析を用いて、これらの個体群とGaoHuaHua人口集団との間の遺伝的差異が形式的に調べられました。qpWave分析では、NHT1_3およびNHT1_4がGaoHuaHua人口集団と類似の遺伝的特性を共有している、と明らかになりました。対照的に、より古い2個体であるNBT1_1およびNBT2_1は、GaoHuaHua人口集団とはわずかな差異を示します(図3A)。さらに、本論文で調べられた個体群は、アジア東部古代人とのアレル(対立遺伝子)共有パターンに関してGaoHuaHua人口集団と高い類似性を示し(図2C)、明王朝およびダイチン・グルン期(600~100年前頃)のこの地域における遺伝的安定性が示唆されます。フアトゥドン/バイタイシャン人口集団と比較して、GaoHuaHuaの他の古代の人口集団からの幾分かの影響も検出され、この地域における一貫した人口混合が示唆されます。以下は本論文の図3です。
本論文で調べられた個体群の遺伝的構造が、qpAdmでさらに調べられました。その結果、NBT1_1とNHT1_3とNHT1_4はアジア東部北方人口集団からの31.7~50.3%と、広西チワン族自治区のより古いBaBanQinCen人口集団からの49.7~68.3%の混合としてモデル化できる、と示されます(図4A)。対照的に、NBT2_1は、アジア東部北方人口集団からの44.1%と、BaBanQinCen人口集団からの43.6と、ホアビン文化(Hòabìnhian)関連人口集団からの12.3%の混合としてモデル化でき(図4A)、ホアビン文化関連人口集団からの遺伝的影響は、フアトゥドン/バイタイシャン個体群より古い広西チワン族自治区の古代の人口集団である、BaBanQinCenおよびラセンでは検出されませんでした。以下は本論文の図4です。
●歴史時代と現在の人口集団間のつながり
先行研究では、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団は1500年前頃の広西チワン族自治区の古代の人口集団よりも、GaoHuaHua人口集団と多くの類似性を示す、と証明されました(Wang et al., 2021)。棺の類型論およびヒト遺骸の身長に基づくと、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡から標本抽出された個体群は、現在のバイク・ヤオ人集団とつながりがある、と考えられます。しかし、棺で見つかった織物や彫刻肖像は、バイク・ヤオ人集団と関連する織物や彫刻肖像とは大きく異なります。本論文の遺伝学的分析から、新たに分析された4個体はすべて、1500年以上前の広西チワン族自治区の古代の人口集団と比較して、バイク・ヤオ人を含めて現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団と類似性を共有している、と示されます。現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団は、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡個体群の構成要素を示しており(図1C)、本論文で調べられた個体群とミャオ・ヤオ語族話者人口集団との間の遺伝的つながりが推測されます。qpWaveの結果からも、本論文で調べられた個体群は、ミャオ人やパフン人やザオ人(Dao)など現在の一部のミャオ・ヤオ語族話者人口集団と類似の遺伝的特性を共有している、と示唆されます(図3B)。
次に、f₄(ムブティ人、現在のミャオ・ヤオ語族話者;アジア東部古代人、フアトゥドン/バイタイシャン個体群)を用いて、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団と本論文で調べられた個体群との間の遺伝的類似性が地理的距離と関連しているのかどうか、調べられました(Tao et al., 2023)。その結果、本論文で調べられた個体群と他の中国のミャオ・ヤオ語族話者において、地理的距離と遺伝的類似性との間の相関が示唆されました。貴州省のバイク・ヤオ人のように、より近い人口集団は、本論文で調べられた広西チワン族自治区の個体群とより高いf₄値を示しますが、他の地理的に遠い人口集団はより近い集団よりもアレル共有数が少なくなっています。このパターンから、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団の祖先はバイタイシャンおよびフアトゥドン地域から移住してきたかもしれない、と示唆されます(図2D)。
次に、qpAdmを用いて、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡個体群との現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)がモデル化されました。その結果、ミャオ人とパフン人はフアトゥドン遺跡の2個体(NHT1_3、NHT1_4)と比較して均質である、と分かりました。さらに、シェ人(She)およびミャオ人集団はNBT1_1と均質で、フアトゥドン遺跡個体群84.2~92.8%と古代の中国北部人口集団7.2~15.8%の混合としてもモデル化できます(図4B)。
●考察
本論文における600~300年前頃にさかのぼる洞窟葬から発見された4個体の集団遺伝学的分析は、調べられた古代の広西チワン族自治区人口集団と同時代のGaoHuaHua人口集団との間の密接な遺伝的つながりを明らかにします。先行研究で報告されているように、本論文で調べられたNHT1_3およびNHT1_4で観察された、GaoHuaHua個体群との遺伝的均質性も、その密接な関係を示唆します。これらの調査結果は、自然人類学の観察と一致し、中国南部の古代の人口集団の典型的な特徴を浮き彫りにします。さらに、これら古代の洞窟葬関連人口集団と現在のミャオ・ヤオ語族話者集団、とくに地理的に隣接している貴州省のバイク・ヤオ人集団との間の強い遺伝的つながりが特定されました。
より具体的には、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡からの地理的距離に基づいて、現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団をさらに3集団へと分類できます。近い距離の集団には、貴州省のチャングシャン(Changshan)・ヤオ人やキン・ヤオ人(QingYao)やバイク・ヤオ人が含まれます。中距離集団には、貴州省の従江(Congjiang)県や西江(Xijiang)鎮や雷山(Leishan)県や紫雲(Ziyun)や西秀(Xixiu)や鎮寧(Zhenning)のミャオ人が含まれます。遠距離集団は、貴州省の松桃(Songtao)県のミャオ人で構成されます。これらの結果から、古代の洞窟葬関連人口集団はこの地域に暮らす現在のバイク・ヤオ人集団の祖先と関連している、と示唆されます。この遺伝的一貫性は、過去600年間比較的安定したままで、外部集団からの限定的な影響があります。
さらに、本論文のf₄モデルから、フアトゥドン個体群は、より古いNBT2_1個体と比較して、現在の貴州省のバイク・ヤオ人およびチャングシャン人口集団とより密接な遺伝的類似性を示す、と示唆されます。この現象は、フアトゥドン人口集団のより新しい年代測定に起因するかもしれず、居住しているバイク・ヤオ人および近隣のチャングシャン・ヤオ人集団とのより密接な遺伝的つながりをもたらしました。あるいは、これはこの100年間に起きた他の人口集団からの遺伝的混合事象に起因し、それはこれらミャオ・ヤオ語族話者人口集団の遺伝的構造における差異につながったかもしれません。
広西チワン族自治区の洞窟葬の古代の個体群と現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団との間の遺伝的関係に加えて、バイタイシャンおよびフアトゥドン遺跡集団は稲作農耕関連の中国南部祖先系統からのより多くの遺伝的浮動も受けており、さまざまな程度で現在の中国南西部および南部人口集団に影響を及ぼしました。興味深いことに、調べられた600~300年前頃【近世】の洞窟葬関連個体群は、広西チワン族自治区の1600~1400年前頃【中世】の洞窟葬人口集団よりもアジア東部北方からの高い遺伝的割合を有しています。この現象は、「中央政府」、とくに中期~後期の明王朝(500~300年前頃)と関連しているかもしれず、中国南部および南西部におけるより強い統制政策が実行され、これらの地域は属国から「中央政府」の統治の不可欠な一部に変わりました。この政策変更は、中国北部人口集団の移住や文化的および経済的中心地の南方への移行と一致しており、シナ語派およびミャオ・ヤオ語族話者人口集団の移住をもたらしました。
広西チワン族自治区における洞窟葬の考古学的研究は、この2期間【中世と近世】の洞窟の場所選択と埋葬慣行における顕著な差異も明らかにしています。広西チワン族自治区における類似の文化的特徴のある洞窟葬の存続にも関わらず、人口集団の遺伝的構造は変わり、次第に中国北部からの遺伝子流動による影響を受けました。後期における、より高くより隠れた洞窟への選好や、家族もしくは氏族の出現など、これらの変化はこの2期間【中世と近世】における洞窟葬関連人口集団の移行を反映しています。これらの変化は、qpAdm混合モデルにより示唆さるように中国北部人口集団と、アジア南東部本土からの古代の人口集団と関連する遺伝子流動【ホアビン文化関連集団的な遺伝的構成要素】の両方に影響を受けました。
まとめると、本論文における広西チワン族自治区の古代の個体群の観察は、600~300年前頃となるこの地域での洞窟葬関連人口集団の遺伝的構造について、中国南部とアジア南東部の交差点における人口集団の相互作用の影響を浮き彫りにします。一方で、明王朝およびダイチン・グルン期(600~100年前頃)の洞窟葬人口集団と現在のミャオ・ヤオ語族話者人口集団、とくに周辺地域に暮らすバイク・ヤオ人との間の遺伝的連続性は、過去数世紀にわたる中国南部の山岳地帯における人口安定性を示唆します。
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