ウマの家畜化と現代のウマの遺伝的起源

 古代ゲノムデータからウマの家畜化と現代のウマ系統の遺伝的起源を検証した研究(Librado et al., 2024)が公表されました。本論文は、現代の家畜ウマ系統につながる家畜化が始まったのは、紀元前2700年頃以降に始まった深刻なボトルネック(瓶首効果)後で、現代の家畜ウマ系統につながる繁殖管理は、近親交配と世代時間短縮によって紀元前2200年頃に始まった、と示しました。これは、紀元前3000年頃以降のヨーロッパ全域におけるユーラシア草原地帯からの大規模な人口移動にウマの大群が伴っていた、との仮説と整合的ではありません。さらに、紀元前3500年頃のボタイ(Botai)文化においてすでに、現代の系統とは異なる家畜ウマの世代時間の大幅な短縮が検出され、地域的なウマの飼育が現代の家畜系統の出現前から存在したことを示しています。プシバルスキーウマ(モウコノウマ)は、このボタイ文化において紀元前四千年紀に家畜化されたウマの野生化した子孫と考えられています(Gaunitz et al., 2018)。


●要約

 ウマは高速移動によりヒトの歴史に革命をもたらしました。しかし、ウマの家畜化と、輸送手段としての広範な統合との間の時系列に関しては、まだ議論が続いています(Librado et al., 2021)。本論文は、古代のウマ475個体のゲノムを収集し、ウマがユーラシアにおいてヒトの手によって最初に作り変えられた時期を評価しました。その結果、現代の家畜系統の繁殖管理は、近親交配と世代時間短縮によって、紀元前2200年頃に始まった、と分かりました。繁殖管理が行なわれるようになったのは、紀元前2700年頃以降に始まった家畜化の深刻なボトルネック(瓶首効果)の後で、これはユーラシア全域への急速な拡大と同時期であり、これが最終的に、ほぼ全ての地域的なウマ系統の置換につながりました。この拡大は、ヒトの歴史における広範なウマを用いた移動の始まりを示しており、それは、紀元前3000年頃およびそれ以前のヨーロッパ全域の草原地帯の人々の大規模な移動にウマの大群が伴っていた、という一般的に受け入れられている言説に異議を唱えます。最後に、囲いやウマ中心の生計経済と関連づけられているアジア中央部の定住社会である、紀元前3500年頃のボタイ文化(Gaunitz et al., 2018)において、世代時間の大幅な短縮が検出されました。これは、地域的なウマの飼育が、現代の家畜血統の出現の前に存在したことを裏づけます。


●研究史

 現代の家畜ウマ(以後、DOM2)の遺伝的構成は、紀元前三千年紀にユーラシア西部草原地帯に出現しました(Librado et al., 2021)。DOM2ウマの拡大から、アジアにおけるシンタシュタ(Sintashta)文化の輻付き車輪(spoke-wheeled)戦車(チャリオット)の開発(紀元前2200~紀元前1800年頃)、およびその前のヨーロッパにおけるDOM2の明らかに限定的な遺伝的影響とともに、ウマによる長距離移動が紀元前三千年紀後半以後に発達した、と示唆されてきました。この年表から、紀元前三千年紀においてヨーロッパ中央部および西部のヒトの遺伝的景観を再形成した草原地帯関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が、DOM2の乗馬によって促進されたわけではなかった、と示唆されます(Haak et al., 2015、Allentoft et al., 2015)。

 しかし、最近の集団モデルは、ヤムナヤ(Yamnaya)文化集団、の草原地帯からの移動を背景に、紀元前3000年頃以降に発達した文化である、縄目文土器複合体(Corded Ware complex、略してCWC)と関連する、ヨーロッパのウマへの顕著なDOM2遺伝的祖先系統を主張しました。常習的な乗馬に起因するかもしれない骨の病態も、カルパチア盆地のヒト骨格の約5%に見られ、それはおもに草原地帯関連のヤムナヤ文化個体群(Haak et al., 2015)ですが、紀元前五千年紀までの先ヤムナヤ文化の人々でも見られます。さらに、インド・ヨーロッパ語族全体で一般的に共有されるウマと関連する用語は、ヤムナヤ文化集団関連のインド・ヨーロッパ語族祖語話者における、草原地帯における馬術の確立を示唆している、と考えられることが多くあります。これらの知見は、ヤムナヤ文化の拡大および恐らくは紀元前4500年頃以後のカルパチア盆地へのヤムナヤ文化以前の草原地帯の人々の移動(Penske et al., 2023)と、乗馬とを関連づける理論を復活させました。

 迅速な移動がウマの家畜化の唯一の動機だったのかどうかも、議論の余地があります。紀元前3300~紀元前2600年頃のヤムナヤ文化のヒトの歯石では馬乳のペプチドが報告されましたが(Wilkin et al., 2021)、その後の研究では、西方草原地帯の牧畜慣行はヒツジとウシの酪農からウマの搾乳へと紀元前1000年頃以後に移行した、と示されました。ヤムナヤ文化以前のウマの搾乳と馬具使用の考古学的証拠は、さらに東方のアジア中央部の5500年前頃のボタイ文化に存在し、ここではほぼ完全にウマを中心とした生計経済が発展しました。ボタイ遺跡では、馬乳消費の証拠が土器破片(5点)に吸収された脂肪酸の残留分析によって裏づけられていますが、これはヒトの歯石(2点)の古プロテオーム(タンパク質の総体)解析により裏づけられていません(Outram et al., 2009、Wilkin et al., 2021)。

 さらに、ボタイ遺跡のウマの歯の摩耗の異常なパターンは当初、銜の摩耗と特定されましたが、この解釈はそれ以降、異議を唱えられてきました。ボタイ文化の前とボタイ文化期の動物骨向けにおける変わらない性比も、ボタイ遺跡における新たなウマの管理慣行の出現を否定しています(Fages et al., 2020)。DOM2とボタイ遺跡のウマが遺伝的に異なる2系統に由来することを考えると、ボタイ文化社会においてウマが果たした正確な役割、より一般的には、家畜ウマが草原地帯集団の移動および恐らくはインド・ヨーロッパ語族の同時の拡大にどのように寄与したのか、評価するには新たな証拠が必要です。


●データセットと実験設計

 ウマの飼育が紀元前四千年紀と紀元前三千年紀に発達した背景に取り組むため、古代のウマ475個体のゲノムが解析されて(図1a)、公表されて利用可能な現代のウマ77個体のゲノムと組み合わされ、その中には世界中の家畜種40個体と、絶滅危惧種であるプシバルスキーウマ(モウコノウマ)6個体が含まれます。新たに生成された124個体のゲノムの網羅率の中央値は1.40倍で(最小は0.29倍、最大は10.92倍)、5万年以上にわたるユーラシアの考古学的背景にまたがっており、乗馬の生物人類学的証拠が報告されたカルパチア盆地の個体も含まれます。新規の140点を含めて401点の放射性炭素年代と合わせて、本論文のデータセットは、家畜化過程の全体にわたる前例のないゲノム時系列を提供します。以下は本論文の図1です。
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 本論文では、ウマの飼育の可能性のある3種の標識が調べられます。第一に、ウマが草原地帯から移動した人々に同行していたのかどうか検証するため、ヨーロッパ中央部および東部全体のウマのゲノム構成における変化が調べられます。第二に、家畜化の瓶首効果の存在と年代と厳しさを評価するため、ウマの個体群動態の軌跡が再構築されます。これは、大規模な移動の維持のためウマが多数飼育された時期を示します。第三に、近親交配や世代時間の短縮という形で、ウマの管理された繁殖の証拠が追跡されます。


●ヨーロッパ全域でのDOM2ウマの拡大

 草原地帯の人々とウマがともに移動した、との仮定は、両種【ヒトとウマ】における遺伝的祖先系統の並行変化を意味します。そうした同時の変化は先行研究で提示された集団図により裏づけられており、ドイツのCWC状況で発掘されたウマは約20%のDOM2祖先系統を有する、と特定され、どうもヒトで観察される約70%のヤムナヤ関連草原地帯祖先系統(Haak et al., 2015)を反映しています。しかし、他の研究の分析では、CWCのウマの地理的起源はヨーロッパ中央部内のみと予測されています。以前の提案(Librado et al., 2021)より有意に刊行されているデータに適合する集団図も特定され、余分の4集団を加えることにより、草原地帯とヨーロッパの他地域との間のつながりの理解が深まります。そうした図はCWCのウマへのDOM2の遺伝的寄与を裏づけず、最も包括的な位置づけでは、CWCのウマはヨーロッパ中央部のヤムナヤ集団(紀元前3364~紀元前3102年頃のENEOCZE、紀元前5210~紀元前5006年頃のNEOPOL)に近くなります。

 ヨーロッパ中央部のウマ系統が草原地帯から隔離されたままであったことは、多次元尺度分析(multidimension scaling analysis)における隣接した位置、CWCのウマの主要な遺伝的構成要素を共有している独特な祖先系統特性(図1b・c)、qpAdmモデル化によっても裏づけられます。2集団供給源を含むqpAdmモデルは、CWCのウマをENEOCZE(チェコの金石併用時代集団)32.4%とヨーロッパ北部のウマ(紀元前3050~紀元前2950年頃のFBPWC)67.6%ととの間の混合として示しますが、第三の供給源を考慮すると、草原地帯集団からの寄与はわずかです(1.7%かそれ未満)。まとめると、これらの分析はCWCのウマにおいて頂点に達し、西方(紀元前13969~紀元前12090年頃のLPNFR)、およびヨーロッパ中央部全域(ENEOCZEとNEOPOL)やカルパチア盆地とトランシルバニア盆地(紀元前3364~紀元前1971年頃のHUNG、紀元前4494~紀元前3658年頃のENEOROM)やアナトリア半島(紀元前6396~紀元前4456年頃のNEOANA)といった東方の両方で減少する、遺伝的祖先系統の明確な勾配を明らかにします(図1b・c)。

 本論文のデータセットでは、かなりの割合(約45.1%)のCWC関連祖先系統が「ターパン」と呼ばれるヨーロッパの野生ウマにおいて1868年頃まで存続していましたが(そして恐らくは飼育下もしくは放し飼いのターパンの差異日の生き残りにおいてその後も)、現代の家畜ウマの遺伝的構成にせいぜい残っている程度です(図1b)。じっさい、草原地帯外での典型的なDOM2祖先系統特性の拡大に伴い、CWC関連祖先系統は消えていきます(図1c)。本論文のカルパチア盆地から得られた古代ゲノムの拡張時間区画は、DOM2ウマの到来およびそこで見つかった在来系統(HUNG)の置換に関する時間解像度の向上を提供しました。これは、草原地帯からのヒトの移動におけるウマの役割の解明にたいへん重要です。

 カルパチア盆地における最初の典型的なDOM2ウマの年代は紀元前1822年頃(紀元前1895~紀元前1749年)ですが、典型的な在来のHUNG(ハンガリー集団)の遺伝的特性を有する最後のウマの年代は紀元前2033年頃(紀元前2120~紀元前1945年)です。地域全体ではなく個々の考古学的遺跡を考慮すると、同様の年表が示唆され、紀元前1822年頃(紀元前1895~紀元前1749年)対紀元前2211年頃(紀元前2284~紀元前2138年)となるブダペストのキラリョク・ウチャ(Királyok Útja)遺跡や、紀元前1822年頃(紀元前1893~紀元前1751年)対紀元前2033年頃(紀元前2120~紀元前1945年)となるハンガリーのサージャロンバッタ・フェルトヴァー(Százhalombatta-Földvár)遺跡です。

 まとめると、これらの調査結果は、カルパチア盆地におけるDOM2ウマを伴うゲノム転換の時期を、紀元前2033~紀元前1945年頃に絞り込んでいます。この年表は、先行研究(Librado et al., 2021)により報告された草原地帯外のDOM2ウマの最初の証拠と一致し、モルドヴァでは紀元前2063年頃(紀元前2140~紀元前1985年)、アナトリア半島では紀元前2125年頃(紀元前2205~紀元前2044年)、チェコでは紀元前2037年頃(紀元前2137~紀元前1936年)で、これらは各地域におけるヒトの草原地帯関連祖先系統の到来より少なくとも600年遅れます(Penske et al., 2023、Lazaridis et al., 2022)。したがって、ヤムナヤ関連の草原地帯の移動とDOM2ウマの拡大祖先系統は年代順では一致しません。

 しかし、ヒトはDOM2以外のウマを使って草原地帯から移動したかもしれません。これを調べるため、DOM2ウマの拡大前に草原地帯全域に生息していたウマ集団(紀元前5616~紀元前2636年頃となるCPONTとTURGとNEONCAS)の特徴として、Struct-f4により特定された遺伝的祖先系統が地図化されました(図1b)。約17.2%のこの祖先系統が、紀元前四千年紀と紀元前三千年紀(紀元前3364~紀元前1971年頃)のカルパチア盆地に存在していました。

 しかし、この祖先系統は紀元前3300年頃のオーストリア(28.9%、KT46)や、紀元前4200年頃のトランシルバニア盆地(54.5%、ENEOROM)でも見つかっており、後者のルーマニアのピエトレレ(Pietrele)遺跡では、人口集団のゲノム構成は草原地帯との接触がないことを示唆しています(Penske et al., 2023)。じっさい、草原地帯関連祖先系統は広い地理的範囲にまたがるそれ以前のウマ集団でさえ見つかっており、それにはポーランド(NEOPOL、紀元前5210~紀元前5006年頃)やアナトリア半島(NEOANA、紀元前6396~紀元前4456年頃)やイベリア半島(IBE、紀元前5299~紀元前1900年頃)や、遠くさかのぼってフランスの上部旧石器時代の個体(紀元前13969~紀元前12090年頃のLPNFRと、紀元前13969~紀元前12090年頃のLPSFR)が含まれます。これは、ENEOROMウマがLPSFR集団にも寄与した祖先から草原地帯の遺伝的物質を受け取った、と示す最適な集団図と一致します。

 したがって、ヨーロッパへの草原地帯関連のウマの遺伝的祖先系統の拡大は紀元前14646年に先行するはずで、これはウマの飼育について主張されているどの証拠よりもかなり早いため、野生個体群間の自然の接触を通じて起きており、最も可能性が高いのは、紀元前24000~紀元前17500年頃となる最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の余波における拡散です。まとめると、古代ヨーロッパのウマのゲノム構成は、紀元前三千年紀末以前における広範なウマによる移動を裏づけません。したがって、ヤムナヤ関連もしくはそれ以前の草原地帯からのヒトの移動における、ウマの実質的な関わりは却下されます。


●DOM2の個体群動態史

 本論文は、広範なウマによる移動の出現を正確に年代測定するため、次にDOM2ウマが世界的拡大を維持するのに充分なほど多い個体数で繁殖された期間を推定しました。具体的には、本論文のデータセットにおける最古級のDOM2ウマ24個体の平均年代である紀元前1864年頃以前の200世代におけるDOM2の有効個体群規模(Nₑ)の変化が追跡されました(図2a)。重要なことに、連鎖不平衡に基づく個体群動態の再構築は、その期間に詮子日宇する30世代内における約13.7倍の急激な個体数増加を示唆しています。少なくとも紀元前2750年頃までにヨーロッパ中央部に到達していたヤムナヤ関連の草原地帯からの拡大とのそれら30世代の一致は、約27年との非現実的な世代時間を必要とし、現代の集中的な獣医の世話したでのウマの平均余命を大きく超えます。

 代わりに8年(7~12年)という一般的に受け入れられている世代時間(Orlando et al., 2013)を仮定すると、広範なウマによる移動の出現は紀元前2190年頃(紀元前2310~紀元前2160年)となります。アジアにおける輻付き車輪戦車の拡大と関連しているシンタシュタ文化状況のウマに分析を限定すると、同様の個体群動態特性と時間推定値、つまり紀元前2100年頃(紀元前2200~紀元前2075年)が返ってきます。これらの年表は、草原地帯外の最古級のDOM2ウマの放射性炭素年代測定だけではなく、アッカド芸術における最古級のウマの絵、およびバルカン半島からエジプトとインダス川流域までの紛争や紀元前千年紀や政治的混乱の主要な証拠とも一致します。以下は本論文の図2です。
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 本論文の個体群動態の再構築は、DOM2拡大に先行する75世代のウマにおける強い家畜化瓶首効果の証拠も提供します(図2a)。最小有効規模(Nₑは二倍体の約500個体)と関連する期間は、紀元前2664年頃(紀元前3064~紀元前2564年)に始まります。したがって、草原地帯の人々が移動した時期はDOM2ウマの拡大と一致せず、むしろ、DOM2の繁殖ウマの利用可能性が急激に減少した次期で、これはウマがヤムナヤ関連の草原地帯からの人々の移動を促進しなかったことと一致します。興味深いことに、近親交配を示唆する15 cM(センチモルガン)かそれ以上の長い同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)を有するウマの最初の証拠は、最古級の配列決定されたDOM2の一部で見つかっており(図2c)、それにはアジア中央部の草原地帯とアナトリア半島のDOM2が含まれます。これが示唆するのは、初期のDOM2拡大の根底にある繁殖管理には、野生では避けられるものの、望ましい形質のため動物を繁殖させる場合には一般的な慣行である、一定水準の近親交配が含まれていた、ということです。


●紀元前2200年頃に短縮したDOM2の世代時間

 近親交配の慣行に加えて、初期DOM2の飼育者は、紀元前三千年紀後半におけるウマの爆発的な需要を満たすため、1年あたりより多くのウマの生産を目指していたかもしれません。飼育者が繁殖のためより若いウマを使ったのかどうか検証するため、2通りの、単一の疑似半数体時間刻印ゲノムからの世代時間の補完代理測定が開発されました。最初の測定は、(複数の)外群からの分岐後に観察された変異数蓄積する、ゲノムに必要な世代数を定量化します(変異時計)。第二の測定は、組換えパターンを活用し、抽出された標本の最新共通祖先(most recent common ancestor、略してMRCA)以降に経過した世代数を推定します(組換え時計)。さまざまな近親交配水準と個体群動態の軌跡にわたる合着(合祖)模擬実験を通じて本論文の手法性能が検証され、本論文の放射性炭素年代測定されたウマのゲノムの全てにそれが適用され、過去15000年間の連続する2世代間の平均時間として約7.4年が推定されました(図3b)。以下は本論文の図3です。
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 本論文の分析では、動物生産に最適化された、現代の繁殖慣行の発展を考えると予測できるように、ウマの世代時間は一定のままではないものの、過去約200年間で約1.8倍加速していた(約4.1年)、ことも示されます(図3a)。競走用のクォーターホースとサラブレッドは、おそらく競争の優勝者に課せられた延長された繁殖寿命に起因して、世代時間が最も加速していない品種の好例です(図3a)。同等の変化は、紀元前2200~紀元前2100年頃まで過去にさかのぼって検出されませんでしたが、これは平均約7.4年(から約3.5年)と比較して、世代時間の約2.1倍の加速と一致します(図3b)。この加速は、ヤムナヤ文化やテュルガニック(Turganik)文化や草原地帯のマイコープ(Maykop)文化(CPONTとTURG)や(図3)、草原地帯に生息するより古いウマ(NEONCAS)や、カルパチア盆地およびトランシルバニア盆地に生息するウマ(HUNGとENEOROM)を含めて、DOM2の近縁種のどれにも影響を及ぼしませんでした。これが示すのは、より速い多産を目指したDOM2の繁殖管理慣行が紀元前三千年紀後半に出現し、初期のDOM2の繁殖と広範なウマによる移動の採用にとって前提条件だった、ということです。


●ボタイ遺跡におけるウマの飼育の新たな証拠

 先行研究は、紀元前四千年紀におけるウマ集団間の最小限のつながりを確証しました(Librado et al., 2021)。これは、ウマの家畜化の議論されている証拠が見つかったボタイ遺跡集落(紀元前3500年頃)の時間軸を含んでいるので、ボタイ遺跡における家畜化の動機は、もしあったとしても、長距離乗馬ではなかったかもしれません。ボタイ遺跡の分析された36個体のウマでは、近親交配の証拠が見つかりませんでしたが、短縮された世代時間が見つかり、DOM2の繁殖に伴うものと同程度の加速です(図3)。この傾向はボタイ遺跡個体群および紀元前3000年頃となるその直接的子孫集団であるボーリ4(Borly4)に固有で(図3)、氷期時代から金石併用時代まで前例のない規模を維持しています。

 注目すべきことに、平均世代時間を8年(7~12年)と仮定すると、ボタイ遺跡のウマ集団は定住の約80世代前に、つまり紀元前4140年頃(紀元前4460~紀元前4060年頃)に始まる2.4倍の個体数拡大を経ました。これは、より湿潤な条件を示唆する古気候データ、および草原地帯における森林の侵食がないことを示唆する花粉記録とほぼ一致します。これらウマにとって好適な条件は、ヒトの定住と、ほぼ完全にウマを中心市と下生計経済の発展を促進したかもしれず、これは当初、狩猟を通じて確立された、と示唆されています。しかし、本論文の個体群動態再構築からは、このかつて繁栄していた資源がボタイ文化の最後の20世代(つまり、140~240年間)にじょじょに減少していた、と示唆されます(図2b)。食料資源の減少に対応して、ボタイ文化の人々は、ウマを囲いに入れ、世代時間短縮によってその繁殖を管理するなど、畜産慣行を実施していたかもしれず、これは獲物の家畜化経路と一致します。


●考察

 本論文は、ウマとヒト両方の歴史に重要な影響を及ぼした、ウマの家畜化に関する重要な議論に取り組みました。ウマのゲノム構成はヨーロッパ中央部とカルパチア盆地とトランシルバニア盆地では、紀元前三千年紀末まで完全に在来的なままでした。この時間軸は紀元前4500年頃に始まるカルパチア盆地とトランシルバニア盆地における草原地帯との接触期間や、紀元前3000年頃のヤムナヤ現象とともにヨーロッパへとインド・ヨーロッパ語族祖語が拡大したかもしれない移動の後となります。DOM2ウマの顕著な拡大はこの新たな血統の確立直後に続き、紀元前2200年頃以降の広範なウマによる移動の新たな期間を示しており、接続性と交易の記念碑的増加を先導しました。それは考古学的記録を反映しており、紀元前三千年紀と紀元前二千年紀の間の移行期には、近東とアジアでウマの大規模な拡大がありました(Librado et al., 2021、Guimaraes et al., 2020)。牧畜慣行の強化、乾燥化の進展(4200年前頃の乾燥化事象)および/もしくは草原地帯の開発増加は、放牧地拡大の受容を高めて、ウマを介した移動により促進されたかもしれません。家畜ウマと輻付き車輪戦車は、暴動や社会的紛争に直面して、より大きな地理的地域の征服と防衛も促進したかもしれません。

 本論文は、紀元前2200年頃以前にポントス草原地帯もしくはカルパチア盆地における馬術発達の可能性を却下しません。しかし、そうした仮定的状況では、関連する繁殖慣行には近親交配もしくは世代時間の短縮が含まれていなかったでしょう。この現象は、個体群動態と地理の両方の規模でも限られており、おもな家畜化の動機として長距離の速い移動は除外されます。本論文はボタイ遺跡を、ウマの飼育が大規模なウマによる移動の前に発達したアジア中央部草原地帯におけるそうした場所の一つと認識する事例を強化します。そこでは、家畜化の過程は世界的な生産を目的としておらず、地域的なものに留まりました。それは、ヒトの定住集団が、親交配ではなく世代時間の短縮の形で囲い込みと繁殖管理を通じて畜産を発展させた、枯渇近獲物経路の予測と一致し、それは、さもなく枯渇する肉資源の入手保持のためでした。

 より速い繁殖の強制による動物の生活周期を操作は、とくに長い妊娠期間および/もしくは小さな仔の大きさの種について、飼育者に生産性向上をもたらしました。本論文では、この慣行が、前期青銅器時代以降のウマへの大規模な世界的需要の維持のため開発されたさまざまな繁殖技術に不可欠だった、と論証されます。生産を加速させる圧力は紀元前1000年頃以後すぐに緩和され、それは、大きく充分なウマの繁殖集団が広範な地理的地域で利用可能になったからです。しかし、近代の頻出の開発には、限られた基礎的血統からの特定の血統の迅速な生産が必要で、そのため再び、過去数世紀にわたってウマの世代時間は短縮されました。どうも、この過程は競争用のウマ、とくに人工授精が禁止されているサラブレッドよりもアジアの品種に大きな影響を及ぼしました。これらの調査結果は、とくに「冷血ウマ(大きくて重い温和なウマ)」において、過去3世紀に世代時間が次第に早くなったことを記録する、血統書の系図と一致します。

 世代時間を測定する本論文の方法論的枠組みは、生物考古学的手法一式を拡張し、繁殖管理の分子的証拠を検出します。近親交配と合わせて、それは、ヒト集団がウマだけではなく、最初に動物飼育を開発した時期と(複数の)状況の解明に役立つことを証明するかもしれません。それはとくに、初期の家畜化過程が常に明らかな骨格変化と顕著な基礎的な瓶首効果を残さないかもしれないからです。家畜動物以外に、本論文の手法は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)を含めて古代の人類集団の長期の世代時間や、出アフリカに続く拡散や氷期(Posth et al., 2023)や新石器時代革命(Nielsen et al., 2017、Bergström et al., 2021)など、大きな生活様式の移行に直面しての潜在的変化の測定に適用できます。現時点では、本論文の分析から、最終氷期は、家畜化ほどではないものの、ウマの世代時間に影響を及ぼしたかもしれない、と示唆されます。本論文は、ヒト集団と他種両方の繁殖への過去と現在の環境および疫学的危機の影響を調べる、新しい一連の研究に道を開きます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化遺伝学:ウマを用いた移動の普及はユーラシアで紀元前2200年頃に始まった

進化遺伝学:ウマの家畜化の時系列を解き明かす

 今回、古代のウマ475頭と現代のウマ77頭のゲノム解析により、現代のウマ系統の家畜化が始まったのは紀元前2700年以降で、家畜系統の繁殖管理が始まったのは紀元前2200年頃であったことが明らかになった。この結果は、紀元前3000年頃のヨーロッパへのステップ集団の移動にウマの大群が伴っていたという筋書きを否定するものである。



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