匈奴の墓地被葬者のミトコンドリアDNA

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、匈奴の墓地被葬者のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Kim et al., 2024)が公表されました。本論文は、2000年前頃となる匈奴のエリート層の墓地6基の被葬者のmtDNAを解析し、mtDNAハプログループ(mtHg)を決定しました。これら6個体のmtHgで同じ系統のものはなく、父方居住慣行が示唆されているように思います。匈奴については、核ゲノムに基づく研究も進められていますが(関連記事)、mtDNAは核DNAよりも解析がずっと容易なので、核DNAよりずっと多く個体を解析でき、mtDNAは、もちろん母系での関係しか明らかにできませんが、今でも古代DNA研究において重要だと思います。


●要約

 匈奴帝国は、紀元前3世紀~紀元後1世紀にかけて、シベリア南部の東方における支配的な遊牧民部族でした。匈奴の考古学的遺跡と人工遺物はおもにモンゴルで発見されてきており、ロシアと中国北部にも散在しています。その遺跡はおもに墓です。主要な大きい段丘墓の周りの小さな円形墓である衛星墓を伴う長方形段丘墓が、匈奴の墓地で発見されてきました。本論文は、これら衛星墓の個体間の関係の遺伝学的分析を報告する最初の研究です。古代DNA標本は、珪酸に基づく手法を用いて、専用研究室で厳密な汚染除去実施要綱にしたがって抽出されました。ハプログループ決定に必要なmtDNA断片は、複数の標的断片を同時に増幅する、複合および入れ子同時ポリメラーゼ(重合酵素)反応に基づく手法を用いて評価されました。これにより、貴重な標本と労力と時間の消費を減らせました。mtDNAハプロタイプは、モンゴルのドーリク・ナルス(Duurlig nars)の2000年前頃の匈奴のエリート墓地6基の衛星墓より発掘された骨格から分析されました。興味深いことに、6基の衛星墓の異なるミトコンドリアハプロタイプ(A、C4、D4、G1、G2、W)は、墓の6個体間の母方の親族関係を明らかにしませんでした。2基の殉葬墓では、20代の女性が2個体いました。将来の研究では、Y染色体ハプロタイプやY染色体縦列型反復配列や常染色体縦列型反復配列や表現型や生物地理学的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)情報をもたらすDNAが評価されるべきです。


●研究史

 匈奴帝国はモンゴル南部(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区)からバイカル湖まで、および遼寧省から新疆の一部まで、広範な領域を支配しました。匈奴の史跡は一般的に墓で構成されており、鉄生産の遺跡(関連記事)もしくは窯跡を含めて、一部の廃墟となった城や作業場があります。匈奴の墓は、モンゴルやロシアや中国やキルギスタンを含めて、ユーラシア草原地帯に広く存在しました。匈奴の墓は、歴史的な変化と移住に応じて、さまざまな期間に建造されました。匈奴の人口集団は、広範な領域のため、さまざまな民族から構成されていた可能性が高そうです。

 モンゴルの匈奴の墓は2種類に区分され、それは長方形段丘墓と円形墓です。そうした墓は、表面の石の線で識別できます。長方形段丘墓は、逆ピラミッド型で、南側に通路(dromos)と入口があります。この外観のため、外側は凸型になります。通路のある段丘墓のほとんどはたいへん大きく、匈奴のエリート墓と考えられています。匈奴のエリートの大きな段丘墓は、モンゴルの9ヶ所の地域で見られ、それは、タヒルティン・ホトゴル(Takhiltyn khotgor、略してTAK)、オヴーノ・ハール(Ovoono khar)、ゴル・モド1(Gol mod I)、ゴル・モド2(Gol mod II)、ヒャルガナト(Khyalganat)、ノヨン・ウール(Noyon uul)、セルベ(Selbe)、ボル・ブラグ(Bor bulag)、ドーリク・ナルスです。匈奴エリートの凸型墓には、その規模と墓内の一級品の人工遺物に基づいて、最上階級が含まれていた、と仮定されました。

 さまざまな人類学的問題に答えるため、分子遺伝学的研究がさまざまな遺跡の墓の古代人骨格で行なわれてきました。さらに、古代人の骨格間の親族関係が匈奴墓地で分析されてきました。匈奴の段丘墓そその衛星墓との間の関係についていくつかの見解がありますが、分子遺伝学を解明した研究はありません。本論文は、ドーリク・ナルス遺跡の2000年前頃となる匈奴エリート墓地の衛星墓から発掘された古代人6個体の骨格のmtHgを分析しました。これら古代人標本のmtDNA配列決定分析を容易にするため、同時ポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction、略してPCR)に基づく複合および入れ子PCR手法が採用されました。


●遺跡と標本

 匈奴のエリート墓地はモンゴル全土に存在しますが、本論文で分析対象となる2000年前頃の匈奴のエリート墓地は、モンゴルのヘンティー県(Khenti Aimag)の北側のバヤン・アダルガ郡(Bayan Adarga sum)のドーリク・ナルス遺跡(北緯48度32分40.9秒、統計111度04分42.9秒)で発見され、モンゴル東部で最大級の墓地とされます(図1)。ヘンティー県はチンギス・カン(Genghis Khan)の出生地です。簡潔に言うと、ドーリク・ナルス遺跡はモンゴルの首都であるウランバートルの北東約450kmに位置します。この匈奴墓地では、280基以上の墓が見つかり(図2A)、さまざまな金の装飾品が発掘されたたため、匈奴帝国の上流階級の墓地と考えられています。ドーリク・ナルス遺跡は、以下は本論文の図1です。
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 韓国とモンゴルの考古学者は、3基の衛星墓を含めて、2006~2007年にドーリク・ナルス遺跡で4基の墓を発掘しました。3基の衛星墓から発見された3人の骨格の分子遺伝学的結果が分析されました。2010~2011年には、大きな四角の墓複合体(衛星墓のある長方形墓)が発掘されました。大きな略奪された墓は凸型の匈奴エリート墓で、全長は55.5m、通路もしくは入口玄室は32m、深さは15mです。合計で11基の墓が発掘され、東側に3基、西側に6基、南側に2基です(図2B)。本論文で用いられた標本は表1に示されています。骨の年代測定は以前の考古学的証拠に基づいています。以下は本論文の図2です。
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●分析結果と考察

 2006~2007年のドーリク・ナルス遺跡の調査では、母系遺伝となるmtDNAと父系遺伝となるY染色体の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)および両者の縦列型反復配列(short tandem repeat、略してSTR)が分析されました。このうち古代人2個体は、mtHg-D4の女性と、mtHg-D4およびYH-C2の男性でしたが、同じmtHg-D4ではありませんでした。もう1人の古代人は男性で、mtHgはU2e1、YHgはR1a1でした。インド・ヨーロッパ語族話者系統のYHg-R1a1は、モンゴルの匈奴地域において2000年前頃に存在しました。さらに、mtHgとYHgでは、これら3個体間には直接的な親族関係はありませんでした。

 2007年に、匈奴のエリート墓地複合体と知られており、モンゴルのホヴド県(Hovd Aimag)のマンハン郡(Manhan sum)に位置するタヒルティン・ホトゴル墓地で、7基の衛星墓を伴う主要墓が発掘されました。このタヒルティン・ホトゴル遺跡では、分子遺伝学的は行なわれませんでした【その後の研究(関連記事)で、タヒルティン・ホトゴル墓地の被葬者の核ゲノムが解析されました】。モンゴルのアルハンガイ県(Arkhangai Aimag)では、ゴル・モド2遺跡の匈奴エリート墓地がオンドル・ウラーン郡(Ondor-Ulaan sum)で発見されました。主要な標準的匈奴墓の周辺で、30基の衛星墓埋葬が発見されましたが、この衛星墓の分子遺伝学的分析は報告されませんでした【その後の研究(関連記事)で、ゴル・モド2墓地の被葬者の核ゲノムが解析されました】。匈奴期の3基の衛星墓を伴う主要墓1基は、2017年にモンゴルと韓国の合同研究団により発掘されました。しかし、4基の墓から発掘されたヒト骨格はさらに遺伝学的には調査されませんでした。

 片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)を用いて、2000年前頃となるモンゴル北部のエグ川(Egyin Gol)匈奴期墓地で研究が行われました。墓地から発掘されたヒト骨格の分枝遺伝学的分析を用いて、親族関係が構築されました。しかし、墓地の墓に衛星墓はないようです。代わりに、一般人の家族もしくは親族の集合墓がありました。モンゴル中央部のアルハンガイ県のタミル・ウラーン・コーシュー(Tamir Ulaan Khoshuu)遺跡は、2013~2018年にモンゴルとフランスの合同研究団により発掘されました。核DNAおよび全mtDNAを組み合わせた分析が、48基の石の環状埋葬から発掘された52個体の骨格遺骸で行なわれました。mtDNAのデータは、ヨーロッパ(H、J、T、U、X)およびアジア(A、B、C、D、F、G)起源の11系統の異なる主要ハプログループを示しました。YHgでは、少なくとも5系統(R、Q、N、J、G)が明らかになりました。男性2個体および女性6個体のハプロタイプのある、5世代にまたがる大家族の親族関係が構築されました。

 匈奴の領域はモンゴルと重なっているので、多くの匈奴墓地がモンゴルに存在します。段丘墓は一般的に大きく、エリートの墓と考えられており、略奪にも関わらず、墓の内部では多くの貴重な副葬品が見つかっています。衛星墓を伴う長方形の段丘墓は、匈奴の墓地全体で頻繁に発見されてきました。衛星墓の個体群は、側室や親族や忠臣や内臣や護衛や召使や奴隷や殉葬者など、家族の構成員かもしれません。これまで、衛星墓の被葬者と主要な段丘墓の被葬者との間の関係は、解明されていませんでした。

 本論文が把握している限りでは、匈奴のエリート墓地における衛星墓のmtHgを用いての、古代人の分子遺伝学的分析はありませんでした。本論文は、主要な匈奴エリート墓地の周辺の衛星墓被葬者間の関係を報告した最初の研究です。ドーリク・ナルス墓地の被葬者6個体のmtHgは表3に示されており、それぞれ異なります(G2、A+152、D4、W+194、G1、C4)。mtHg-Wをいて他のmtHgは、全てアジア系統です。mtHg-Wは古代人標本では、ドイツとスペインとカザフスタンで発見されてきました。mtHg-Wの最初の拡大はアジア南部で置き、第二の拡大はアジア東部の近くからインド西部にまたがっていました。

 2000年前頃の匈奴期のネクロポリス(大規模共同墓地)の二重墓は、殉葬者のものかもしれません。殉葬は、供物箱で舌骨が見つかった、女性1個体を含む古代の墓1基でも提案されました。これらの衛星墓では、古代人5個体の骨格が人類学的に調べられました。3個体(T1、E1、W1)の骨格は60代の男性、2個体(E2、E3)の骨格は20代の女性と推定されました。墓E1およびE2は隣り合って位置していたので、E2は殉葬者の墓かもしれません。本論文は、匈奴帝国全体の衛星墓の分子遺伝学を用いて、古代人骨格間の関係を報告した最初の研究です。匈奴エリート墓の周辺の衛星墓におけるさまざまな母系から、匈奴社会は血縁遺骸の人々に寛容だった、と示唆されました。


●まとめ

 モンゴルのドーリク・ナルス遺跡の2000年前頃となる匈奴エリート墓地の6基の匈奴期衛星墓で、mtDNA解析が実行されました。これは、衛星墓の被葬者間の遺伝的関係を報告した最初の研究です。6基の墓から発見された古代人骨格の異なるmtHgから、この6個体間には母方の親族関係はなかった、と示唆されます。1基の殉葬墓が提案され、その被葬者は20代の女性でした。将来の研究は、Y染色体ハプロタイプやY染色体STRや常染色体STRやDNA情報をもたらす表現型および生物地理学的祖先系統を使うべきです。


参考文献:
Kim K, Bazarragchaa M, and Kim KY.(2023): Mitochondrial DNA sequence analysis of ancient human remains found in a 2000-year-old elite Xiongnu cemetery in northeast Mongolia. Anthropological Science, 131, 1, 55–64.
https://doi.org/10.1537/ase.220522

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