本村凌二『地中海世界の歴史2 沈黙する神々の帝国 アッシリアとペルシア』

 講談社選書メチエの一冊として、2024年4月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は紀元前二千年紀末~紀元前4世紀頃までを扱っており、アルファベットと一神教の誕生をとくに重視しています。アルファベットの起源は紀元前二千年紀の原シナイ(カナン)文字で、ヒエログリフに倣ってカナン人が作りました。カナン人は海洋文化の影響を受けてフェニキア人とも呼ばれるようになり、フェニキア人の交易活動の拡大に伴い、アルファベットはフェニキア文字として地中海世界の各地へと伝わっていき、このフェニキア文字から、ヘブライ文字やアラム文字が派生します。文字、とくにアルファベットのような表音文字の誕生は人類史における一大画期で、飛躍的な知識の蓄積と文化の発展をもたらした、と考える人は多そうです。

 しかし本書は、文字の獲得が本当に人間の能力を高めたと言えるのか、と疑問を呈します。文字言語の習得は確かに人類にとってとてつもない能力の獲得ではあったものの、一方で途方もない能力の喪失でもあったのではないか、というわけです。ただ、この「途方もない能力」を現代人は知り得ない、と本書は指摘します。本書は、ソクラテスが文字に頼ることを警告しており、それは個人の能力としては的確な見解だった、と指摘します。ただ一方で、集団や社会として考えると、広い空間で時を経ても記録が正確に伝達されるのは大きな利点だった、と本書は指摘します。本書は、長期的には文化は経時的に複雑になる傾向にあるものの、ある時点では単純化に転じる場合があり、文字の単純化(アルファベットの誕生)とその普及は画期的な出来事で、一種の認識能力の革命だった、と評価しています。

 本書は、この文字の簡素化(単純化)を「アルファベット運動」と呼び、それと一神教の出現とが関連している可能性を指摘します。崇拝の対象が多数の神々から数少ない神々へと移行することと、文字の簡素化には類似性がある、というわけです。神々の吸収合併はオリエント各地で見られ、メソポタミアでも紀元前二千年紀になると、神々の数は30ほどに減っており、そうした動きがさらに目立っていたカナンの地でした。「アルファベット運動」と「一神教運動」は底流でつながっているのではないか、というのが本書の見通しで、壮大で魅力的な見解になっているように思います。

 「一神教運動」において重要な役割を果たすのがイスラエル人ですが、唯一神ヤハウェをひたすら崇めるその情熱の根源として、本書はイスラエル人がエジプトで長く暮らしていたことを挙げます。古代エジプト人は、真実も秩序も正義も一つの言葉「マアト」で表現し、マアトを遵守しており、それがイスラエル人にも継承されたのではないか、というわけです。この見解は、あるいは古代ゲノム研究の進展によりある程度判断できるようになるかもしれません。ただ本書は、「一神教運動」とはいっても、多神教と一神教の区別は曖昧で、明確に線引きできないことも指摘します。多神教にも至高神のような一神教的側面もあり、一神教にも聖者崇拝のような多神教的側面もある、というわけです。

 また本書は、ユダヤ教につながる古代イスラエル人の宗教の核心にある、唯一神と民の契約との発想が独特で異様であることを指摘しています。それまでの多神教は個人の内心にまでは入り込まず、一神教の成立過程の端緒にいたとも言えるモーセも、基本的には内心にまで踏み込まなかった、と本書は評価しています。本書は、神々の声が聴こえなくなってきた時代(第1巻)において、全知全能の神だけにしかすがれない、と人々が感じるようになったかもしれないことと、「一神教運動」との関連の可能性を指摘します。

 さらに本書は、紀元前千年紀における重要な「発明」として硬貨を挙げており、日常生活における硬貨の使用が、交換手段の規格化もしくは価値尺度の統一化という意識をもたらし、そうした潮流において、物事を抽象的に考えるような精神的土壌が生まれつつあった、との見解を提示します。また本書は、「地中海世界」の東西における硬貨の使用に大きな違いがあり、硬貨の使用が進んだ西方では、物資の交換に硬貨が介在することで、上下関係の絆が希薄になり、人的結びつきが緩やかでかなり自由になったのに対して、東方では硬貨の使用がなかなか進まず、上下関係の強固な絆が維持されたのではないか、との見通しを提示します。これが、ギリシア世界の直接民主政の前提の一つになったのではないか、というわけです。本書は貨幣の出現を、アルファベットや一神教の出現とともに、紀元前1000頃前後の東地中海世界における多様化・複雑化した文化の単純化という大きな流れで把握します。

 アッシリアは、紀元前三千年紀より存在する古い都市国家から、盛衰を経て紀元前8~紀元前7世紀に「史上最初の世界帝国」へと発展しました。アッシリアはその当初から、軍国主義的な社会だったようで、強制移住などかなり過酷な処置も行なっていたようです。とくに強制移住は、アッシリアの残酷さを強く印象づけることになりました。アッシリアは征服地を直接統治の属州とし、服属した土地は貢物の納入を義務付けられた属国と位置づけられました。こうした統治は、後のペルシア帝国やローマ帝国でも採用されました。「世界帝国」となったアッシリアで本書が注目するのは、センナケリブの宗教改革で、アッシリアの神であるアッシュルのバビロニアの神であるマルドゥクに対する優越を示そうとして、アッシリアの国家宗教がバビロニア風になったことを、本書は指摘します。それに対する反発もあったのか、センナケリブは2人の息子に殺害されます。アッシリアの軍事活動は盛んで、それ故に「史上最初の世界帝国」へと発展したわけですが、それが各地の交易路の開拓にもつながったことを、本書は指摘します。

 アッシリアの滅亡後に「世界帝国」へと発展したのがペルシアで、アッシリアの残酷さに対してペルシアの寛容さが強調される傾向にあるように思います。ペルシアは新たに征服した地の固有の制度や習俗を尊重し、租税と忠誠心以外はほとんど何も求めなかった、というわけです。ペルシア帝国の実質的な創始者とも言うべきキュロス(クールシュ2世)は戦死したものの、ペルシアの覇権は揺らがず、キュロスの長子であるカンビュセス(カンブージヤ2世)は、エジプトも征服します。しかし、バビロニアの反乱を鎮圧するための移動中にカンビュセスは死亡し、その後の混乱を制圧したのはダレイオス大王(ダーラヤワウシュ1世)でした。ダレイオス大王は、自身がキュロスの家系と4世代前の父系祖先を同じくする、と主張したようですが、真偽は不明で、いずれにしてもキュロスの直系子孫ではなかったわけです。

 ダレイオス大王は統治機構を整備し、行政区に総督を配置し、総督の統治が過酷にならないよう見張る監視官に加えて、密偵も全国に派遣しました。本書はダレイオス大王の寛容な統治方針を、古代にあっては異例と高く評価しています。そのダレイオス大王の治世に始まったペルシア戦争は、スキタイ勢力の制圧に失敗したダレイオス大王が、その威光を取り戻すための遠征で、当時のペルシアにとってギリシアはとくに脅威ではなく、ギリシアの征服ではなく親ペルシア勢力の強化がペルシア側の目的だったのだろう、と本書は指摘します。ペルシア戦争は、ヨーロッパとアジアとの宿命的な衝突ではなく、ヨーロッパ中心主義からの過大評価には注意すべきなのでしょう。本書は、ダレイオス大王の後継者となったクセルクセス(クシャヤールシャン1世)の治世の末期以降にペルシアが衰退した、との評価について、確かに王家内の殺害や簒奪は頻繁に起きたものの、帝国中枢が麻痺したわけではなく、ペルシア人は圧倒的な軍事力に基づく政治支配上の特権を維持していた、と指摘します。ペルシア帝国では、さまざまな人々による新たな世界秩序と世界文化が形成され、ローマ帝国にも影響を及ぼした、と本書は評価します。

 本書は、アルファベットや硬貨やアッシリアおよびペルシアのような「世界帝国」の出現と「神々の沈黙」と「一神教運動」とを、地中海世界の紀元前二千年紀~紀元前千年紀の「単純化」もしくは「普遍化」へと向かう大きな傾向に位置づけ、カール・ヤスパースが提唱した「枢軸時代」もその文脈で検討しています。紀元前千年紀前半の地中海世界では、イスラエルにおける預言者の出現、イラン高原におけるゾロアスター教につながる宗教運動(ゾロアスター教の「開祖」とされるザラスシュトラの活躍年代については諸説あり、紀元前千年紀前半説が有力であるものの、確定しているわけではないようですが)、ソクラテスなどギリシアの哲学者が出現し、魂のある精神的存在としての人間という理解が生まれ、本書の地中海世界の範囲から外れるものの、アジア南部(インド)ではウパニシャッド哲学とマハーヴィーラのジャイナ教とブッダ(ゴータマ・シッダールタ)の仏教、アジア東部(中国)では孔子の儒教など「諸子百家」が出現します。こうした紀元前千年紀半ば頃の宗教と思想におけるユーラシアの広範な地域で見られる重要な新現象を、ヤスパースは「枢軸時代」と提唱しました本書はこうしたユーラシアの広範な地域で起きた精神的現象を、「神々の沈黙」への早い反応だったのではないか、と把握し、それは「枢軸時代」という理解と通ずるところがあります。ただ、「枢軸時代」との把握については、疑問も呈されており(研究1および研究2)、その有効性は今後も検証されねばならないでしょう。

この記事へのコメント