チチェン・イッツァの被葬者のゲノムデータ
マヤ文化の有名な都市であるチチェン・イッツァ(Chichén Itzá)の被葬者のゲノムデータを報告した研究(Barquera et al., 2024)が報道されました。チチェン・イッツァはメキシコのユカタン半島に位置し、マヤ文化の古典期後期および末期(600~1000年頃)における最大級の都市とされています。本論文は、チチェン・イッツァの儀式的中心地にあるサグラド・セノーテ(Sacred Cenote、陥没穴)の近くのチュルトゥン(chultún、地下貯水槽)で発見された、500~900年頃の未成年64個体のゲノムデータを報告しています。
この全員男性である64個体のうち、2組の一卵性双生児を含めて約25%が密接な親族関係にある、と明らかになりました。この64個体は人身供犠の対象と考えられ、遠方地域ではなく、比較的近い地域の出身者と推測されています。チチェン・イッツァの古代の住民と現代の住民との遺伝的連続性も示されましたが、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)のうち父系ではヨーロッパや近東からの影響が過半数を占めていることや、HLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球型抗原)などヒトの免疫に関連する特定の遺伝子座での、植民地時代にこの地域にもたらされた感染症に起因する適応の痕跡が示唆されました。
●要約
メキシコのユカタン半島の古代都市であるチチェン・イッツァは、古典期後期および末期(600~1000年頃)における最大級で最も影響力のあった集落の一つで、メソアメリカにおいて最も集中的に研究されている考古学的遺跡の一つであり続けています。しかし、その儀礼空間の社会的および文化的用途や、その人口集団他のメソアメリカ集団との遺伝的なつながりに関しては、多くの疑問が未解決です。本論文は、チチェン・イッツァの儀式的中心地にある陥没穴近くの地下の集団埋葬地で発見された、500~900年頃の未成年64個体から得られたゲノム規模のデータを提示します。
遺伝学的分析から、分析された全個体は男性で、2組の一卵性双生児を含めて、複数の個体が密接な親族関係にあった、と示されました。双生児は、マヤおよびより広くメソアメリカの神話において重要な役割を果たしており、そこでは神々や英雄たちの二元論的特性を具現化しますが、これまで古代マヤの埋葬地で発見されたことはありませんでした。この地域における現代人との遺伝学的比較は、チチェン・イッツァの古代の住民との間の遺伝的な連続性を示しますが、HLAなどヒトの免疫に関連する特定の遺伝子座は例外で、植民地時代にこの地域にもたらされた感染症に起因する適応の痕跡を示唆しています。
●研究史
マヤの古代都市であるチチェン・イッツァはユカタン半島の北部中央に位置しており(図1a・b)、メソアメリカで最大かつ最も象徴的な考古学的遺跡ですが、その起源と歴史についてはさほど理解されていないままです。古典期後期(600~800年頃)において初めて台頭したチチェン・イッツァは、古典期末期(800~1000年頃)にはマヤ北部低地の有力な政治的中心地となり、この期間には南部および北部低地のほとんどの他の古典期マヤ遺跡は政治的崩壊を経ていきました。チチェン・イッツァの彫刻された記念碑に刻まれた暦年代のほとんどは850~875年頃に収まり、チチェンとして知られる遺跡の北部の儀式中心地はほぼ900年頃以後に建設され、チチェン・イッツァ遺跡で最大の建造物である、ククルカン(Kukulkán)寺院としても知られているエル・カスティージョ(El Castillo)でした。
サクベ(石灰岩の舗装道路)は新チチェンをサグラド・セノーテとつなぐため連接され、サグラド・セノーテとは、巨大な陥没穴で、ほぼ子供である200人以上の儀式で犠牲になった遺骸など、豊富儀式の供物が含まれます。儀式殺人の証拠はチチェン・イッツァ遺跡全体で広範にあり、擬制になった個体の遺骸と記念碑的芸術の表現の両方が含まれます。チチェン・イッツァにおけるエリートの活動は11世紀に減少し、最後の刻まれた暦年代は998年ですが、チチェン・イッツァ遺跡は植民地時代およびそれ以降において顕著な儀式と巡礼の中心地であり続けました。以下は本論文の図1です。
1967年、100個体以上の未成年を含む再利用されたチュルトゥン(地下貯水槽)がサグラド・セノーテ(陥没穴)の近くで発見されました。そうした地下洞窟と象徴を共有しています。陥没穴については、チュルトゥンは貯水や儀式活動と関連しており、洞窟と象徴性を共有しています。そうした地下の特徴は長く水や雨や子供の犠牲と関連づけられてきており、マヤの地下世界への入口と広く考えられています。小さな地下洞窟ともつながっていたチチェン・イッツァ遺跡のチュルトゥンの場所と状況を考えて、トウモロコシ農耕の周期を支えるために犠牲にされたか、マヤの雨の神であるチャク(Chaac)への供物として捧げられた子供を含んでいる、と推測されてきました。16世紀のスペイン植民地時代の記録とサグラド・セノーテの浚渫後の20世紀初期の調査から、若い女性と少女がおもにチチェン・イッツァで犠牲となった、との理解が広がりましたが、最近の骨学的分析から、男女両方の身体がサグラド・セノーテに堆積していた、と示唆されています。
マヤ地域全体の犠牲者群の体系的調査から、男女両方が儀式的殺害の対象だった、と確証されてきましたが、古典期のマヤ遺跡ほとんどの犠牲となった個体は学童期(6~7歳から12~13歳頃)なので、正確な性別分布は伝統的な骨学的手法のみを用いては判断できません。16世紀のスペインの資料には、そうした子供は誘拐や購入や贈物の交換により地元で得られた、と記録されていますが、最近の同位体研究では、サグラド・セノーテ内の少なくとも一部の個体は地元出身ではなく、遠くホンジュラスもしくはメキシコ中央部出身だったかもしれない、と示唆されています。とはいえ、1世紀以上の研究にも関わらず、チチェン・イッツァにおける子供の犠牲と儀式的な集団墓地としての地下施設の儀式的使用についての多くは、分かっていないままです。
犠牲となった子供の起源および相互やこの地域の現在の住民との制す物学的関係をより深く理解するため、本論文は生物考古学とゲノムの手法の組み合わせを用いて、サグラド・セノーテの近くのチュルトゥン内の未成年64個体(図1c)を調査し、その64個体を近隣のティシュカカルツユブ(Tixcacaltuyub)町の現在の住民68個体、およびこの地域の他の利用可能な古代人および現代人の遺伝的データと比較しました。ティシュカカルツユブ共同体は長年この研究団に協力してきており、その視点がこの原稿の作成に情報をもたらしました。古代人の遺伝的データ分析や炭素(C)と窒素(N)の骨コラーゲン安定同位体分析と放射性炭素年代測定から、チュルトゥンの未成年は男性で、密接な親族が集団埋葬に存在し、それには2組の一卵性双生児が含まれる、と示されます。
安定同位体分析から、親族関係にある子供はより類似した食べものを消費し、全体的にチチェン・イッツァの子供の食性はマヤ低地全域の他の古典期人口集団と類似していた、と示唆されます。他の古代人および現代人との遺伝的比較はマヤ地域における長期の遺伝的連続性を示しますが、HLAクラスII遺伝子座、とくに、サルモネラ菌(Salmonella enterica)感染に対するより大きな耐性を提供する、HLA-DR4アレルの、免疫遺伝子におけるアレル(対立遺伝子)頻度変化を示唆しています。サルモネラ菌感染は、メキシコ南部のオアハカ(Oaxaca)市の植民地期の集団墓地で以前に特定された腸炎熱(腸チフス)の原因媒体で、これは1545年のココリツトリ(cocoliztli)流行病と関連していました。
●ゲノムおよび免疫遺伝子データの生成
チチェン・イッツァのチュルトゥン埋葬(以後、YCHと呼ばれます)で発見された古代の個体群から得られた骨標本が、専用施設で古代DNA研究用に設計された実施要綱に従って、収集・処理・分析されました。全ての骨格要素を明確に単一個体に割り当てることができなかったので、1回以上の個体の標本抽出を避けるため、左側錐体骨が収集されました。放射性炭素年代測定(26点)から、このチュルトゥンは7世紀初期におけるチチェン・イッツァ遺跡の最初の開花から10世紀の最盛期を経て12世紀半ばまで、少なくとも500年間使用されていた、と示されました。
YCHの64個体全員からの古代DNA回収に成功しました。さらに、メキシコのユカタン半島のDNAはティシュカカルツユブ(Tixcacaltuyub、略してTIX)町の現代の住民68個体の血液標本から収集され、この地域の現代および古代の住民と比較されました。抽出されたゲノム資料はウラシルDNAグリコシラーゼ(uracil-DNA-glycosylase、略してUDG)処理(YCHについて)もしくは非UDG処理ゲノムライブラリ(TIXについて)され、DNAの保存と信頼性評価のため、約500万~1100万の読み取り深度で配列決定されました。次に、11点の一本鎖のUDG処理ライブラリが構築され、YCH個体群の部分集合で分析可能なデータがさらに増加されました。
nf-core/Eagerパイプラインの一部として実装された二つの手法で、許容可能な汚染量(5%未満)を確保するための品質管理評価が実行されました。すべてのTIX個体およびYCHの56個体では分析に充分なヒトDNAが得られ(0.1%以上)、再調整手順後に、これらのDNAライブラリが120万の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)情報をもたらす一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)のパネル(124万SNP)と、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ゲノムと、免疫遺伝子のパネルのため、さらに濃縮されました(関連記事)。濃縮されたゲノムライブラリの配列決定後に、ライブラリ1点あたり約4000万の読み取りが得られ、これらのデータで、さらに品質管理が実行され、集団遺伝学的分析とHLA分類が行なわれました。
●チュルトゥンにおける遺伝的親族関係と双子
X染色体とY染色体のSNPの網羅率比較から、YCHの全未成年個体は遺伝的に男性に分類され、TIX参加者全員の記録された性別が確証されました(関連記事)。YCH個体群の不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)は、2組の一卵性双生児(YCH018–YCH019およびYCH033–YCH054)と9組の他の密接な親族の組み合わせ(YCH016–CH017、YCH017YCH018、YCH017–YCH019、YCH034–YCH041、YCH036–YCH038、YCH042–YCH049、YCH047–YCH057、YCH049–YCH057、YCH059–YCH060)の存在を裏づけます。全体的に、儀式埋葬の分析された子供のうち25%(16個体)がチュルトゥン内の他の子供と密接な親族関係にあります。
●子供の食性の同位体パターン
骨のコラーゲンのδ¹³Cおよびδ¹⁵N測定は、−13.9‰~−7.6‰(平均および標準偏差=−9.9‰±1.5‰)の範囲のδ¹³C値と5.9‰~14.0‰(平均および標準偏差=9.7‰±1.5‰)の範囲のδ¹⁵N値を提供しました。全体的に、これらの値は他の古典期マヤ低地遺跡と類似しており、ユカタン半島および他の古典期マヤ遺跡の食性証拠と一致しています。より高いδ¹⁵N値の一部の個体(たとえば、YCH004、YCH008、YCH023、YCH039、YCH047、YCH061)の食性は、水産資源を含んでいたかもしれませんが、社会的地位と関連している他の食性の差異か、授乳の影響の結果を示唆しているかもしれません。
関連する動物相からのさらなる背景情報もしくは地元の基準同位体データがなければ、個々の食性をより正確に判断することは困難なままです。それにも関わらず、本論文のデータと刊行されている結果(古典期後期および古典期末期で調べられた450個体以上)との比較から、チュルトゥンの54個体は、さまざまな量のC₃タンパク質と組み合わされた顕著な量のC₄陸生資源と淡水および/もしくは海洋資源を消費した、と示唆されます。これは、記録された古典期マヤの食性に焦点を当てた以前の考古学的調査と一致します。関連する個体の同位体値は相互の近くに位置し、食性の類似性を示唆します。
●マヤ地域における遺伝的連続性
世界規模の人口集団とアメリカ大陸の現在の個体群(関連記事)に基づいて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました(図2)。メソアメリカ人口集団について予測されるように、YCHは世界規模のPCAでは混合していないアメリカ大陸先住民人口集団と密接にクラスタ化します(まとまります)。TIXの一部の個体はヨーロッパ人の方へと動いており、遺伝的混合が示唆されます(図2)。YCHとTIX両方の個体群は、現在のアメリカ大陸北部と中央部と南部の先住民人口集団(関連記事)に投影されると、マヤの現代人とクラスタ化します(図2a)。
アフリカとヨーロッパとオセアニアとアメリカ大陸の人口集団の部分集合を用いた教師なし混合分析(図2b・c)は、YCH個体群における混合の兆候を示さず、TIX個体群についてはヨーロッパおよびアフリカ祖先系統の小さな寄与を示し、一部の個体(18個体)は非アメリカ大陸先住民の遺伝的寄与の兆候を示しません。カリブ海地域の古代の人口集団で最大化される遺伝的構成要素がベリーズのマヤ地域古代人とYCH個体群の両方に存在するものの(関連記事1および関連記事2)、マヤ地域とTIXの現代人の遺伝的構成にほぼ存在しないのに注目するのは興味深いことです。メソアメリカ(この構成要素はまだ検出されていません)の他の人口集団との混合もしくは遺伝的浮動が、マヤ地域の現代人から消えつつあるこの構成要素を説明できるかもしれません。以下は本論文の図2です。
現在および古代のアメリカ大陸人口集団との遺伝的類似性を検証するため、f₃形式(外群、標的、検証対象)の外群F₃統計が、外群としてサハラ砂漠以南のアフリカ人からムブティ人を、標的としてアメリカ大陸先住民人口集団のパネルを、検証対象としてTIXもしくはYCH個体群を用いて計算されました(関連記事)。YCHおよびTIX個体群両方で検出された最高の遺伝的類似性(図2)には、アメリカ大陸中央部および南部の集団が含まれました。TIX個体群は、チチェン・イッツァ遺跡の古代の個体群と最高の浮動を共有します(図2)。検証された古代の人口集団のうち、ベリーズ南部のマヤ山脈のマヤハク・カブ・ペク(Mayahak Cab Pek、略してMHCP)遺跡の9300年前頃の1個体(関連記事)とベリーズではあるもののもっと新しい状況の他の団関された個体群は、古代チチェン・イッツァ個体群と遺伝的に最も類似しており、マヤ地域における長期の遺伝的連続性が示唆されます。
YCHおよびTIX個体群が、最高のF₃得点のアメリカ大陸先住民人口集団の部分集合を使い、f₄形式(ムブティ人、TIX、標的、YCH)のF₄統計を用いて、他のアメリカ大陸先住民人口集団とよりも相互の方と密接なのかどうか、検証されました。その結果、検証された標的のアメリカ大陸先住民人口集団の数集団がTIX個体群とより密節に関連している、と示唆されます。これが示唆しているかもしれないのは、TIX個体群がチチェン・イッツァの古代の住民と遺伝的に関連しているとしても、チチェン・イッツァの古代の住民と遺伝的に最も近い人口集団はもはや存在しないか、まだ標本抽出されていないかもしれない、ということです。
次に、2個体群/集団が特定の人口集団参照一式と比較して同じ祖先系統供給源から派生する尤度を評価するqpWaveが適用されました。その結果得られたP値から、YCH個体群とマヤ地域の現代人集団は同じ祖先系統を共有している、と示唆されます。TIX個体群はYCH個体群とスペイン人とヨルバ人の混合としてモデル化でき、作業モデルは、アメリカ大陸先住民構成要素92%とヨーロッパ人からの遺伝的寄与7%とアフリカ人祖先系統0.03%()の組成を示唆します。遺伝的連続性の遺伝的最尤検定を用いて、TIX個体群はYCH個体群の直接的な遺伝的子孫人口集団である、と形式的に検証されました。
YCHの53個体とTIXの全68個体について、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)を決定でき、その頻度(AとBとCとD)は両集団【YCHとTIX】間でほぼ同一です。しかし、より高水準の遺伝的解像度を表しているハプロタイプからは、mtDNAの多様性がTIX個体群よりもYCH個体群の方で高いことは明らかです。mtHgとmtDNAのハプロタイプ系統は、古代および現在両方のマヤ地域住民で以前に報告されたものに相当します。チチェン・イッツァ個体群(51個体)から回収された全てのY染色体ハプロタイプは(アメリカ大陸先住民で多い)Qの一部ですが、TIX個体群の半分以上(19個体)はヨーロッパ(47.37%)および中東(5.26)系統で、他のラテンアメリカ人口集団で以前に説明されてきたように、植民地時代およびその後の混合過程における強い性別の偏りを反映しています。
●マヤ地域住民における代謝経路のゲノミクス
両人口集団【YCHとTIX】で生成されたSNPデータを用いて、LSBL(locus-specific branch lengths、遺伝子座固有の枝の長さ)が計算され、YCHとTIXの両個体群のゲノム規模選択について検証されました。2通りのLSBL比較が行なわれ、第一に、YCH個体群とスペインのイベリア人および中国の漢人(ともに1000人ゲノム計画のデータ)、第二に、TIX個体群とイベリア人およびYCH個体群で、YCH個体群とイベリア人からの選択の分離が検証されました。
注釈付けされた上位0.5%のSNPのうち、YCH個体群では脂質代謝と関わる29個の遺伝子が見つかり、以前に報告された脂肪酸不飽和化酵素(fatty acid desaturase、略してFAD)遺伝子が含まれ、TIX個体群については20個の遺伝子が見つかり、FTOαケトグルタル酸依存二原子酸素添加酵素(FTO)と転写産物因子7様2(transcription factor 7 like 2、略してTCF7L2)が含まれ、両者ともラテンアメリカおよびとくにマヤ地域の人口集団における代謝特性と関連づけられてきました。アデニル酸環化酵素族(adenylate cyclase family、略してADCY)に属するような特定の遺伝子のSNPもTIX個体群では上位0.5%に入り、これは以前の報告と一致しますが、YCH個体群ではそうではなく、植民地時代の前後での選択の相違を示しているかもしれません。
次に、GoWindaを用いて、濃縮された遺伝子オントロジー経路が検索されました。両集団【YCHとTIX】は代謝経路と関連する濃縮された遺伝子オントロジー期間を示しますが、YCH個体群が繁殖関連の生物学的過程(卵形成やステロイドホルモンに媒介されたシグナル伝達経路や排卵周期や発情周期など)における増加を示す一方で、コレステロールおよび脂質代謝経路期間(脂質生合成過程の負の調節やコレステロール恒常性やステロール恒常性など)はTIX個体群においてより顕著に現れます。
●HLA遺伝子は免疫における変化を示します
免疫に関連する遺伝子については、YCH個体群とTIX個体群についてそれぞれ、上位0.5%の注釈付けされたSNPのうち15ヶ所と7ヶ所のHLA領域を検出でき、正の選択の兆候を示しています(図3)。YCHおよびTIXの両個体群で共有されているSNPはなく、北アメリカ大陸の北西部沿岸の古代および現代の先住民において先行研究で選択下にあると明らかになったSNPもありませんでした。YCH個体群で見つかったSNPが、HLAのB・DRB1・DQA1・DQA2・S・X・DOA・DQB1遺伝子もしくはその近傍領域に位置しているのに対して、TIX個体群のSNPは、HLAのC・DQA1・DQA2・DQB1遺伝子もしくはその周辺で見つかります。
宿主と病原体のアレル特有の適応的免疫を伴う共進化多遺伝子座モデルを使用して、病原体からの選択は宿主の認識遺伝子座(HLA系におけるものなど)間の関連を維持するならば、遺伝子座におけるアレル(対立遺伝子)は連鎖不平衡にあるだけではなく、重複しない関連性も示すかもしれない、と示されてきました。その理由のため、重複しない関連性のパターンが分析され(図3)、YCHおよびTIX個体群とメキシコ南部のチアパス(Chiapas)州の高地の以前に分析されたマヤ地域のラカンドン人(Lacandon)における、HLA関連での病原体駆動選択について検証されました。HLA遺伝子座のさまざまな組み合わせ間のf*adjf*adj計量(重複しない関連づけの強度の順位付けに用いられる媒介変数)が測定されました。標準偏差の単位で、本論文で観察された非重複の量と、無作為化されたアレル関連づけで観察された非重複の量との間の違いも測定されました。以下は本論文の図3です。
古代のデータと比較すると、マヤ地域現代人のデータは、より高水準の非重複を有しているようで(図3a・b・c)、それは、分析された現代の人口集団がHLA遺伝子座において病原体への曝露に起因するかもしれない選択を経てきた、と示唆しているのでしょう。YCH個体群とTIX個体群のHLAアレル頻度を比較すると、8ヶ所のアレルで統計的に有意な変化が検出され、それは、いくつかの比較の補正後の、3ヶ所のHLAクラスIアレルと、5ヶ所のHLAクラスIIアレルです。YCH個体群と比較してTIX個体群において、アレルのHLA-B*40:02(0.2447対0.0821)とHLA-DQA1*03:03(0.1277対0.0224)とHLA-DQB1*04:02(0.1809対0.0299)で頻度が減少したのに対して、HLA-A*68:03(0.0532対0.2687)とHLA-B*39:05(0.0532対0.2687)とHLA-C*07:02(0.2021対0.3955)とHLA-DQB1*03:02(0.4894対0.7015)とDRB1*04:07(0.2340対0.4627)では頻度が増加しました。TIX個体群については、HLAハプロタイプの88%がアメリカ大陸先住民人口集団で以前に報告されており、そのうち10%はおそらくヨーロッパ人起源で、2%はアフリカ人のハプロタイプを表している、と分かりました。全てのYCH個体群のHLAハプロタイプは、アメリカ大陸先住民人口集団、とくにマヤ人で見られるものと一致します。
HLAクラスII領域は以前に、16世紀アメリカ大陸におけるヨーロッパ人との接触の前後の選択事象およびサルモネラ菌感染に対する耐性が示唆されてきました。したがって本論文は、有意な変化のあるアレルがサルモネラ菌由来のペプチドにどのように反応するのか、検証することに関心を抱きました。そのために、免疫抗原決定基データベース(Immune Epitope Database、略してIEDB)分析情報源に実装されたNetMHCIIPan 結合予測法を用いて、ヒトにおいて免疫原性の証拠があるサルモネラ菌の18個のタンパク質が選択され、YCHおよびTIX両個体群で見つかった、コンピュータで計算された(in silico)HLAクラスII分子に、それらに由来するペプチドを提示されました。
強い結合では、結合ペプチドはそのペプチドに対して免疫応答を起こす可能性が高い、と意味するのに対して、より弱い結合では免疫応答の誘発がさほど成功しません。最も強力なHLA-DRの結合体が、HLA-DRB1*14:02とHLA-DRB1*04:07とHLA-DRB1*16:02とHLA-DRB1*04:17であるのに対して、HLA-DQの最も強い結合はHLA-DQA1*05:01/DQB1*03:01とHLA-DQA1*05:05/DQB1*03:03とHLA-DQA1*03:01/DQB1*03:03でした。全体的に、HLAクラスII分子により示される強弱いずれかのペプチドの最少数は、HLA-DRアレルのDRB1*08:02およびDRB1*04:04およびDRB1*14:06と、以前に一覧が示された同じHLA-DQ分子です。大まかには、TIX個体群において、HLA-DRB1*04:07(強い結合体)とHLA-DQB1*03:02(弱い結合体、HLA-DRB1*04:07との連鎖不平衡)の頻度が上昇するのに対して、HLA-DQA1*03:03とHLA-DQB1*04:02は低下し、弱い結合体です。
●考察
考古遺伝学は、より伝統的な考古学的手法を用いての推測は困難かもしれない、過去のマヤ地域の期時期感光生物学的親族関係や遺伝的歴史の側面の調査機会を提供します。本論文は、チチェン・イッツァの古代都市マヤのサグラド・セノーテの近くに位置する、古典期のチュルトゥンに500年間にわたって儀式的に埋葬された未成年遺骸64個体を調べました。サグラド・セノーテのヒト遺骸とは対照的に、チュルトゥンの分析された全未成年は男性と分かり、この状況における男児の儀式的犠牲への強い選好を論証します。遺伝学的分析は、チュルトゥン内における親族関係にある個体の存在も示し、それには2組の一卵性双生児と9組の他の親族の組み合わせが含まれます。そうした双子の自然的な発生率は一般人口のわずか0.4%なので、チュルトゥンにおける一卵性双生児2組の存在は、偶然により予測されるよりずっと高くなります。
全体的に、子供の25%は遺骸群内で密接な親族を有しており、犠牲にされた子供はその密接な生物学的親族関係のため特別に得らばれたかもしれない、と示唆されます。さらに、これはチュルトゥンにおける親族の実際の人数を過小評価しているかもしれず、それは、チュルトゥンにおいて推定された106個体のうち64個体のみで、分析に利用可能な左側側頭骨の錐体部が保存されていたからです。各一式で密接な親族関係にある子供のが、類似した食事を消費しており、同様の死亡年齢であるように見えるさらなる発見から、そうした子供たちは1組もしくは双子の犠牲として同じ儀式行事中に犠牲にされた、と示唆されます。
双子はマヤ神話ではとくに縁起がよく、双子の犠牲は、起源がマヤ先古典期にさかのぼるかもしれない本である『ポポル・ヴフ(Popol Vuh)』と呼ばれている、神聖なキチェ人(K’iche’)の評議会書の中心的主題です。『ポポル・ヴフ』では、双子のフン・フナプ(Hun Hunapu)とヴクブ・フナフプ(Vucub Hunahpu)が球技で負けた後に、神により冥界に下され、犠牲にされます。その後、フン・フナプの頭はカラバッシュの木に吊るされ、そこで処女を受精させ、この女性は2組目の双子であるフナプとイシュバランケー(Xbalanque)を生みます。これらの双子は英雄の双子として知られており、その後、冥界の神を出し抜くため、犠牲と復活の繰り返しの周期を経ることにより、その父親とオジのための復讐を続けます。英雄の双子とその冒険は、古典期マヤ芸術において豊富に表現されており、地下構造が冥界への入口とみなされていたことを考えると、チチェン・イッツァにおけるチュルトゥン内の双子とその親族の犠牲は、英雄の双子に関わる儀式を想起させるかもしれません。
チュルトゥンの未成年をマヤ地域の他の古代および現在の人口集団と比較すると、長期の遺伝的連続性の証拠が見つかり、それはチチェン・イッツァにおける犠牲とされた子供やキョウダイの組み合わせが近隣の古代マヤ共同体から得られたことも示唆しています。TIXの現在の個体群では、ヨーロッパ勢力との接触期以降のヨーロッパ人およびアフリカ人との混合の証拠が検出されます。非アメリカ大陸先住民供給源からの祖先系統の寄与はゲノム規模水準では低いものの、片親性遺伝標識に関してはひじょうに非対称的です。TIX個体群では、すべてのmtHgがアメリカ大陸先住民系統であるのに対して、Y染色体ハプログループ(YHg)の半分以上は非アメリカ大陸先住民系統で(ほぼヨーロッパおよび中東/地中海起源で、以前の報告と一致します)、ヨーロッパ勢力との接触期における非アメリカ大陸先住民祖先系統への強い男性の偏りが起きた、と示唆されます。
集団遺伝学的分析(混合特性とF₃およびF₄と遺伝的連続性検証)で判断されたマヤ地域集団における遺伝的類似性により、古代(YCH個体群)と現在(TIX個体群)のマヤ地域における選択の検証のため、機能的多様体をコードするゲノム領域における変化の調査が可能となりました。本論文の調査結果は、脂質代謝と繁殖の両方がアメリカ大陸先住民では最近選択されてきた特性で、それは恐らく、植民地時代初期および定住期におけるこれらの人口集団の経てきた強いボトルネック(瓶首効果)とカロリー制約に起因する、との以前の仮説を裏づけます。
チチェン・イッツァで分析された個体から得られたδ¹⁵N値の観察された標準偏差(1.5)は、これまでに分析された全ての古典期後期~末期のマヤ遺跡のうち最高です。マヤ地域における古食性の再構築から得られた全体像は、おひらくトウモロコシであるC₄食料の顕著な量の消費を示しますが、地理的差異が利用可能な食料における微細環境の違いと交易網の変動性に反映されています。この変動性を説明するため、チチェン・イッツァで犠牲にされた個体のかなりの割合がわずかに異なる食事を消費していた地元ではないマヤ人だったかもしれない、と想定できます。あるいは、先行研究では、古典期マヤのエリートの食性パターンは経時的に一般人口より大きな変動性を示す、と示唆されています。この変動性は、アルトゥン・ハ(Altun Ha)やベイキング・ポッ(Baking Pot)など他の場所で観察されたδ¹³Cおよびδ¹⁵Nの標準偏差にも反映されています。したがって、分析されたチチェン・イッツァの個体群で観察されたタンパク質摂取津の違いも、社会的地位の差異を示唆しているかもしれません。
観察されたδ¹⁵Nの変動性が母乳育児の結果であることも、必ずしも除外できず、それは、標本抽出された遺骸が3~6歳の間と推定されている個体に由来するからです。したがって、他の背景情報がない場合には、特定の食性の差異の解釈には注意が必要です。本論文のデータから、DNAが密接な遺伝的関係を示す個体はより類似したδ¹³Cおよびδ¹⁵N値を示し、そうした個体は同様の世話と食事を提供した拡大家族網で育ったかもしれない、と示唆されます。
遺伝的検証から得られた遺伝的浮動の値が意味するのは、TIX個体群の祖先は過去1000年間ほどのある時点で深刻な人口減少を経た、ということです。16世紀を通じて、戦争と飢饉は疫病が人口減少をもたらした、と論証されてきており、ヨーロッパ人の接触時期に現在のメキシコに暮らしていた1000万~2000万人の先住民は16世紀すえにはわずか200万人と、最大で90%人口が減少したかもしれません。天然痘や麻疹やおたふく風邪やインフルエンザやタバルディヨ(tabardillo)もしくはマトラルザフアトル(matlalzahuatl)と呼ばれる発疹チフスや腸チフスや風疹や百日咳やガロッティッロ(garrotillo、深刻なジフテリア)や風土病性赤痢や三次熱(マラリア)や梅毒などの感染症は、植民地時代メソアメリカにおいて大規模な発生を引き起こし、人口減少に寄与し、おそらくは免疫関連遺伝子座での選択を引き起こした、と主張されてきました。
HLAクラスII領域は以前に、アメリカ大陸の植民地期において選択事象を経てきた、と報告されました。注目すべきことに、YCH個体群をTIX個体群と比較した場合に頻度が変化したアレルのうち3ヶ所はHLAクラスIIの一部である、と分かり、これはLSBL分析で見つかったSNPによりさらに裏づけられる調査結果です。それらのアレルのうち1ヶ所(HLA-DRB1*04:07)は、南アメリカ大陸とアジア東部においてサルモネラ菌亜種により引き起こされる腸チフスへの耐性と関連している、と以前に報告されたアレル群(HLA-DR4)に属しています。最近、考古遺伝学的研究は、1545年のココリツトリ流行病と関連する集団埋葬においてサルモネラ菌パラチフスC(Salmonella enterica sp. Paratyphi C)の存在を特定しており、全ての記録されている植民地時代の流行病の最高の死亡率であるこの流行病の少なくとも一つの原因媒体だった、と示唆されます。古代のサルモネラ菌株のゲノム解析は、16世紀におけるアメリカ大陸へのその到来を強く裏づけます。
現在のマヤ人とメキシコ人で一般的に観察されているHLA-DR4アレル群の増加は、疫病事象とその後の病原体への持続的な曝露により引き起こされた選択と一致します。HLAアレル間の非重複関連のさらなる調査は同様に、現在のマヤ地域人口集団が、病原体選択を経てきて、それがYCH個体群よりも重複の少ないHLAとの関連を促進したことと一致します。コンピュータで計算された結合予測分析も、HLA-DRB1*04:07をサルモネラ菌由来のペプチドへの強い結合体として示しますが、マヤ地域の現代人で有意に減少しているHLA-DQB1*04:02とHLA-DQB1*03:03は同じペプチドに対してより弱い結合体です。まとめて検討すると、各証拠は植民地時代における疫病事象に応答してHLA領域で起きた(複数の)選択事象を示しています。そうした選択は、1545年の強烈なココリツトリ流行病と、16世紀初頭以降のマヤ地域における疫病事象の回数の多さに直面して、予測されるでしょう。アレルの重ならない組み合わせを有するハプロタイプが偶然に非疾患関連のボトルネックを生き残ったことは除外できませんが、そうした仮定的状況はおそらく、古代の人口集団にすでに存在したアレルの頻度増加をもたらすでしょうが、それは本論文では観察されません。
本論文は、チチェン・イッツァにおける後期~末期古典期マヤの詳細な肖像を示しており、この地域の古代の住民のゲノムの遺産が、この古代都市の周辺地域に暮らす共同体に依然として存在する、と示唆されます。男児の儀式的な集団埋葬一卵性双生児2組や他の密接な親族の発見から、若い少年がその生物学的親族関係およびマヤ神話における双子の重要性のため犠牲に選ばれたかもしれない、と示唆されます。本論文では、ゲノム規模水準で、TIXの現在のマヤ人がかつてチチェン・イッツァに暮らしていた古代のマヤ人と遺伝的連続性を示す、と分かり、いくつかの証拠を通じて、植民地時代にヨーロッパ人によりアメリカ大陸にもたらされた感染症により引き起こされた病原体による、(複数の)選択事象におけるHLA領域の関わりが論証されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:マヤ文明の人身供犠儀式の詳細が古代ゲノムの解析により明らかに
マヤ文明の古代都市チチェン・イッツァで500年の間に人身供犠の対象になったとみられる64人の古代DNAの解析が行われ、マヤ文明の埋葬儀式を洞察する手掛かりが得られたことを報告する論文が、Natureに掲載される。今回の知見から、地下貯蔵庫で発見された多くの個体が近縁関係にあることが明らかになり、マヤ地域で現在まで遺伝的連続性が認められることが示された。
メキシコのユカタン半島に位置する古代都市チチェン・イッツァは、マヤ文明の古典期終末期(西暦800~1000年)の主要な集落の1つだった。この遺跡全体で、人身供犠儀式があったことを示す証拠が数多く見つかっており、その1つがサグラド・セノーテだ。サグラド・セノーテは、大きな陥没穴で、200体以上の遺骸が埋葬されていた。しかし、儀式の詳細については明らかになっていない。
1967年にサグラド・セノーテの近くで発見されたチュルトゥン(地下貯水槽)に、成人間近の人々の遺骸100体以上が収容されていたことが明らかになった。今回、Rodrigo Barquera、Oana Del Castillo-Chávez、Johannes Krauseらは、そのうちの64体から古代DNAを回収し、解析した。そして、放射性炭素年代測定法によって、このチュルトゥンが紀元7世紀初頭から12世紀半ばまで使用されていたことが示された。また、遺伝的解析の結果、64個体が全て男性で、解析された個体の約25%が近縁関係にあり、2組の一卵性双生児が含まれていることも判明した。これに対して、サグラド・セノーテで発見された遺骸は、若年成人女性と男女の子どもの遺骸だった。著者らは、子どもを供犠する儀式は、作物の収穫量と降水量の確保に役立てるためだったと推測されており、マヤ神話には、双生児を供犠することが記述されていると指摘している。
今回の研究では、チュルトゥンで発見された個体の素性が明らかになっただけでなく、この地域の現代人との遺伝的比較によって遺伝的連続性も明らかになった。この知見は、人身供犠の対象になった人々が、遠く離れた地域の出身者ではなく、マヤの近傍のコミュニティーの出身者であったことを示唆している。また、著者らは、免疫に関連する遺伝子の塩基配列の多様性を見いだした。このことは、植民地時代にこの地域に持ち込まれたパラチフスC菌などの流行性病原体による適応を示している可能性がある。
以上の知見を考え合わせると、チュルトゥンの事例では男児の人身供犠が好まれたことが示唆され、マヤの人々の遺伝的歴史を洞察する手掛かりが得られた。
参考文献:
Barquera R. et al.(2024): Ancient genomes reveal insights into ritual life at Chichén Itzá. Nature, 630, 8018, 912–919.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07509-7
この全員男性である64個体のうち、2組の一卵性双生児を含めて約25%が密接な親族関係にある、と明らかになりました。この64個体は人身供犠の対象と考えられ、遠方地域ではなく、比較的近い地域の出身者と推測されています。チチェン・イッツァの古代の住民と現代の住民との遺伝的連続性も示されましたが、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)のうち父系ではヨーロッパや近東からの影響が過半数を占めていることや、HLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球型抗原)などヒトの免疫に関連する特定の遺伝子座での、植民地時代にこの地域にもたらされた感染症に起因する適応の痕跡が示唆されました。
●要約
メキシコのユカタン半島の古代都市であるチチェン・イッツァは、古典期後期および末期(600~1000年頃)における最大級で最も影響力のあった集落の一つで、メソアメリカにおいて最も集中的に研究されている考古学的遺跡の一つであり続けています。しかし、その儀礼空間の社会的および文化的用途や、その人口集団他のメソアメリカ集団との遺伝的なつながりに関しては、多くの疑問が未解決です。本論文は、チチェン・イッツァの儀式的中心地にある陥没穴近くの地下の集団埋葬地で発見された、500~900年頃の未成年64個体から得られたゲノム規模のデータを提示します。
遺伝学的分析から、分析された全個体は男性で、2組の一卵性双生児を含めて、複数の個体が密接な親族関係にあった、と示されました。双生児は、マヤおよびより広くメソアメリカの神話において重要な役割を果たしており、そこでは神々や英雄たちの二元論的特性を具現化しますが、これまで古代マヤの埋葬地で発見されたことはありませんでした。この地域における現代人との遺伝学的比較は、チチェン・イッツァの古代の住民との間の遺伝的な連続性を示しますが、HLAなどヒトの免疫に関連する特定の遺伝子座は例外で、植民地時代にこの地域にもたらされた感染症に起因する適応の痕跡を示唆しています。
●研究史
マヤの古代都市であるチチェン・イッツァはユカタン半島の北部中央に位置しており(図1a・b)、メソアメリカで最大かつ最も象徴的な考古学的遺跡ですが、その起源と歴史についてはさほど理解されていないままです。古典期後期(600~800年頃)において初めて台頭したチチェン・イッツァは、古典期末期(800~1000年頃)にはマヤ北部低地の有力な政治的中心地となり、この期間には南部および北部低地のほとんどの他の古典期マヤ遺跡は政治的崩壊を経ていきました。チチェン・イッツァの彫刻された記念碑に刻まれた暦年代のほとんどは850~875年頃に収まり、チチェンとして知られる遺跡の北部の儀式中心地はほぼ900年頃以後に建設され、チチェン・イッツァ遺跡で最大の建造物である、ククルカン(Kukulkán)寺院としても知られているエル・カスティージョ(El Castillo)でした。
サクベ(石灰岩の舗装道路)は新チチェンをサグラド・セノーテとつなぐため連接され、サグラド・セノーテとは、巨大な陥没穴で、ほぼ子供である200人以上の儀式で犠牲になった遺骸など、豊富儀式の供物が含まれます。儀式殺人の証拠はチチェン・イッツァ遺跡全体で広範にあり、擬制になった個体の遺骸と記念碑的芸術の表現の両方が含まれます。チチェン・イッツァにおけるエリートの活動は11世紀に減少し、最後の刻まれた暦年代は998年ですが、チチェン・イッツァ遺跡は植民地時代およびそれ以降において顕著な儀式と巡礼の中心地であり続けました。以下は本論文の図1です。
1967年、100個体以上の未成年を含む再利用されたチュルトゥン(地下貯水槽)がサグラド・セノーテ(陥没穴)の近くで発見されました。そうした地下洞窟と象徴を共有しています。陥没穴については、チュルトゥンは貯水や儀式活動と関連しており、洞窟と象徴性を共有しています。そうした地下の特徴は長く水や雨や子供の犠牲と関連づけられてきており、マヤの地下世界への入口と広く考えられています。小さな地下洞窟ともつながっていたチチェン・イッツァ遺跡のチュルトゥンの場所と状況を考えて、トウモロコシ農耕の周期を支えるために犠牲にされたか、マヤの雨の神であるチャク(Chaac)への供物として捧げられた子供を含んでいる、と推測されてきました。16世紀のスペイン植民地時代の記録とサグラド・セノーテの浚渫後の20世紀初期の調査から、若い女性と少女がおもにチチェン・イッツァで犠牲となった、との理解が広がりましたが、最近の骨学的分析から、男女両方の身体がサグラド・セノーテに堆積していた、と示唆されています。
マヤ地域全体の犠牲者群の体系的調査から、男女両方が儀式的殺害の対象だった、と確証されてきましたが、古典期のマヤ遺跡ほとんどの犠牲となった個体は学童期(6~7歳から12~13歳頃)なので、正確な性別分布は伝統的な骨学的手法のみを用いては判断できません。16世紀のスペインの資料には、そうした子供は誘拐や購入や贈物の交換により地元で得られた、と記録されていますが、最近の同位体研究では、サグラド・セノーテ内の少なくとも一部の個体は地元出身ではなく、遠くホンジュラスもしくはメキシコ中央部出身だったかもしれない、と示唆されています。とはいえ、1世紀以上の研究にも関わらず、チチェン・イッツァにおける子供の犠牲と儀式的な集団墓地としての地下施設の儀式的使用についての多くは、分かっていないままです。
犠牲となった子供の起源および相互やこの地域の現在の住民との制す物学的関係をより深く理解するため、本論文は生物考古学とゲノムの手法の組み合わせを用いて、サグラド・セノーテの近くのチュルトゥン内の未成年64個体(図1c)を調査し、その64個体を近隣のティシュカカルツユブ(Tixcacaltuyub)町の現在の住民68個体、およびこの地域の他の利用可能な古代人および現代人の遺伝的データと比較しました。ティシュカカルツユブ共同体は長年この研究団に協力してきており、その視点がこの原稿の作成に情報をもたらしました。古代人の遺伝的データ分析や炭素(C)と窒素(N)の骨コラーゲン安定同位体分析と放射性炭素年代測定から、チュルトゥンの未成年は男性で、密接な親族が集団埋葬に存在し、それには2組の一卵性双生児が含まれる、と示されます。
安定同位体分析から、親族関係にある子供はより類似した食べものを消費し、全体的にチチェン・イッツァの子供の食性はマヤ低地全域の他の古典期人口集団と類似していた、と示唆されます。他の古代人および現代人との遺伝的比較はマヤ地域における長期の遺伝的連続性を示しますが、HLAクラスII遺伝子座、とくに、サルモネラ菌(Salmonella enterica)感染に対するより大きな耐性を提供する、HLA-DR4アレルの、免疫遺伝子におけるアレル(対立遺伝子)頻度変化を示唆しています。サルモネラ菌感染は、メキシコ南部のオアハカ(Oaxaca)市の植民地期の集団墓地で以前に特定された腸炎熱(腸チフス)の原因媒体で、これは1545年のココリツトリ(cocoliztli)流行病と関連していました。
●ゲノムおよび免疫遺伝子データの生成
チチェン・イッツァのチュルトゥン埋葬(以後、YCHと呼ばれます)で発見された古代の個体群から得られた骨標本が、専用施設で古代DNA研究用に設計された実施要綱に従って、収集・処理・分析されました。全ての骨格要素を明確に単一個体に割り当てることができなかったので、1回以上の個体の標本抽出を避けるため、左側錐体骨が収集されました。放射性炭素年代測定(26点)から、このチュルトゥンは7世紀初期におけるチチェン・イッツァ遺跡の最初の開花から10世紀の最盛期を経て12世紀半ばまで、少なくとも500年間使用されていた、と示されました。
YCHの64個体全員からの古代DNA回収に成功しました。さらに、メキシコのユカタン半島のDNAはティシュカカルツユブ(Tixcacaltuyub、略してTIX)町の現代の住民68個体の血液標本から収集され、この地域の現代および古代の住民と比較されました。抽出されたゲノム資料はウラシルDNAグリコシラーゼ(uracil-DNA-glycosylase、略してUDG)処理(YCHについて)もしくは非UDG処理ゲノムライブラリ(TIXについて)され、DNAの保存と信頼性評価のため、約500万~1100万の読み取り深度で配列決定されました。次に、11点の一本鎖のUDG処理ライブラリが構築され、YCH個体群の部分集合で分析可能なデータがさらに増加されました。
nf-core/Eagerパイプラインの一部として実装された二つの手法で、許容可能な汚染量(5%未満)を確保するための品質管理評価が実行されました。すべてのTIX個体およびYCHの56個体では分析に充分なヒトDNAが得られ(0.1%以上)、再調整手順後に、これらのDNAライブラリが120万の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)情報をもたらす一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)のパネル(124万SNP)と、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ゲノムと、免疫遺伝子のパネルのため、さらに濃縮されました(関連記事)。濃縮されたゲノムライブラリの配列決定後に、ライブラリ1点あたり約4000万の読み取りが得られ、これらのデータで、さらに品質管理が実行され、集団遺伝学的分析とHLA分類が行なわれました。
●チュルトゥンにおける遺伝的親族関係と双子
X染色体とY染色体のSNPの網羅率比較から、YCHの全未成年個体は遺伝的に男性に分類され、TIX参加者全員の記録された性別が確証されました(関連記事)。YCH個体群の不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)は、2組の一卵性双生児(YCH018–YCH019およびYCH033–YCH054)と9組の他の密接な親族の組み合わせ(YCH016–CH017、YCH017YCH018、YCH017–YCH019、YCH034–YCH041、YCH036–YCH038、YCH042–YCH049、YCH047–YCH057、YCH049–YCH057、YCH059–YCH060)の存在を裏づけます。全体的に、儀式埋葬の分析された子供のうち25%(16個体)がチュルトゥン内の他の子供と密接な親族関係にあります。
●子供の食性の同位体パターン
骨のコラーゲンのδ¹³Cおよびδ¹⁵N測定は、−13.9‰~−7.6‰(平均および標準偏差=−9.9‰±1.5‰)の範囲のδ¹³C値と5.9‰~14.0‰(平均および標準偏差=9.7‰±1.5‰)の範囲のδ¹⁵N値を提供しました。全体的に、これらの値は他の古典期マヤ低地遺跡と類似しており、ユカタン半島および他の古典期マヤ遺跡の食性証拠と一致しています。より高いδ¹⁵N値の一部の個体(たとえば、YCH004、YCH008、YCH023、YCH039、YCH047、YCH061)の食性は、水産資源を含んでいたかもしれませんが、社会的地位と関連している他の食性の差異か、授乳の影響の結果を示唆しているかもしれません。
関連する動物相からのさらなる背景情報もしくは地元の基準同位体データがなければ、個々の食性をより正確に判断することは困難なままです。それにも関わらず、本論文のデータと刊行されている結果(古典期後期および古典期末期で調べられた450個体以上)との比較から、チュルトゥンの54個体は、さまざまな量のC₃タンパク質と組み合わされた顕著な量のC₄陸生資源と淡水および/もしくは海洋資源を消費した、と示唆されます。これは、記録された古典期マヤの食性に焦点を当てた以前の考古学的調査と一致します。関連する個体の同位体値は相互の近くに位置し、食性の類似性を示唆します。
●マヤ地域における遺伝的連続性
世界規模の人口集団とアメリカ大陸の現在の個体群(関連記事)に基づいて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました(図2)。メソアメリカ人口集団について予測されるように、YCHは世界規模のPCAでは混合していないアメリカ大陸先住民人口集団と密接にクラスタ化します(まとまります)。TIXの一部の個体はヨーロッパ人の方へと動いており、遺伝的混合が示唆されます(図2)。YCHとTIX両方の個体群は、現在のアメリカ大陸北部と中央部と南部の先住民人口集団(関連記事)に投影されると、マヤの現代人とクラスタ化します(図2a)。
アフリカとヨーロッパとオセアニアとアメリカ大陸の人口集団の部分集合を用いた教師なし混合分析(図2b・c)は、YCH個体群における混合の兆候を示さず、TIX個体群についてはヨーロッパおよびアフリカ祖先系統の小さな寄与を示し、一部の個体(18個体)は非アメリカ大陸先住民の遺伝的寄与の兆候を示しません。カリブ海地域の古代の人口集団で最大化される遺伝的構成要素がベリーズのマヤ地域古代人とYCH個体群の両方に存在するものの(関連記事1および関連記事2)、マヤ地域とTIXの現代人の遺伝的構成にほぼ存在しないのに注目するのは興味深いことです。メソアメリカ(この構成要素はまだ検出されていません)の他の人口集団との混合もしくは遺伝的浮動が、マヤ地域の現代人から消えつつあるこの構成要素を説明できるかもしれません。以下は本論文の図2です。
現在および古代のアメリカ大陸人口集団との遺伝的類似性を検証するため、f₃形式(外群、標的、検証対象)の外群F₃統計が、外群としてサハラ砂漠以南のアフリカ人からムブティ人を、標的としてアメリカ大陸先住民人口集団のパネルを、検証対象としてTIXもしくはYCH個体群を用いて計算されました(関連記事)。YCHおよびTIX個体群両方で検出された最高の遺伝的類似性(図2)には、アメリカ大陸中央部および南部の集団が含まれました。TIX個体群は、チチェン・イッツァ遺跡の古代の個体群と最高の浮動を共有します(図2)。検証された古代の人口集団のうち、ベリーズ南部のマヤ山脈のマヤハク・カブ・ペク(Mayahak Cab Pek、略してMHCP)遺跡の9300年前頃の1個体(関連記事)とベリーズではあるもののもっと新しい状況の他の団関された個体群は、古代チチェン・イッツァ個体群と遺伝的に最も類似しており、マヤ地域における長期の遺伝的連続性が示唆されます。
YCHおよびTIX個体群が、最高のF₃得点のアメリカ大陸先住民人口集団の部分集合を使い、f₄形式(ムブティ人、TIX、標的、YCH)のF₄統計を用いて、他のアメリカ大陸先住民人口集団とよりも相互の方と密接なのかどうか、検証されました。その結果、検証された標的のアメリカ大陸先住民人口集団の数集団がTIX個体群とより密節に関連している、と示唆されます。これが示唆しているかもしれないのは、TIX個体群がチチェン・イッツァの古代の住民と遺伝的に関連しているとしても、チチェン・イッツァの古代の住民と遺伝的に最も近い人口集団はもはや存在しないか、まだ標本抽出されていないかもしれない、ということです。
次に、2個体群/集団が特定の人口集団参照一式と比較して同じ祖先系統供給源から派生する尤度を評価するqpWaveが適用されました。その結果得られたP値から、YCH個体群とマヤ地域の現代人集団は同じ祖先系統を共有している、と示唆されます。TIX個体群はYCH個体群とスペイン人とヨルバ人の混合としてモデル化でき、作業モデルは、アメリカ大陸先住民構成要素92%とヨーロッパ人からの遺伝的寄与7%とアフリカ人祖先系統0.03%()の組成を示唆します。遺伝的連続性の遺伝的最尤検定を用いて、TIX個体群はYCH個体群の直接的な遺伝的子孫人口集団である、と形式的に検証されました。
YCHの53個体とTIXの全68個体について、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)を決定でき、その頻度(AとBとCとD)は両集団【YCHとTIX】間でほぼ同一です。しかし、より高水準の遺伝的解像度を表しているハプロタイプからは、mtDNAの多様性がTIX個体群よりもYCH個体群の方で高いことは明らかです。mtHgとmtDNAのハプロタイプ系統は、古代および現在両方のマヤ地域住民で以前に報告されたものに相当します。チチェン・イッツァ個体群(51個体)から回収された全てのY染色体ハプロタイプは(アメリカ大陸先住民で多い)Qの一部ですが、TIX個体群の半分以上(19個体)はヨーロッパ(47.37%)および中東(5.26)系統で、他のラテンアメリカ人口集団で以前に説明されてきたように、植民地時代およびその後の混合過程における強い性別の偏りを反映しています。
●マヤ地域住民における代謝経路のゲノミクス
両人口集団【YCHとTIX】で生成されたSNPデータを用いて、LSBL(locus-specific branch lengths、遺伝子座固有の枝の長さ)が計算され、YCHとTIXの両個体群のゲノム規模選択について検証されました。2通りのLSBL比較が行なわれ、第一に、YCH個体群とスペインのイベリア人および中国の漢人(ともに1000人ゲノム計画のデータ)、第二に、TIX個体群とイベリア人およびYCH個体群で、YCH個体群とイベリア人からの選択の分離が検証されました。
注釈付けされた上位0.5%のSNPのうち、YCH個体群では脂質代謝と関わる29個の遺伝子が見つかり、以前に報告された脂肪酸不飽和化酵素(fatty acid desaturase、略してFAD)遺伝子が含まれ、TIX個体群については20個の遺伝子が見つかり、FTOαケトグルタル酸依存二原子酸素添加酵素(FTO)と転写産物因子7様2(transcription factor 7 like 2、略してTCF7L2)が含まれ、両者ともラテンアメリカおよびとくにマヤ地域の人口集団における代謝特性と関連づけられてきました。アデニル酸環化酵素族(adenylate cyclase family、略してADCY)に属するような特定の遺伝子のSNPもTIX個体群では上位0.5%に入り、これは以前の報告と一致しますが、YCH個体群ではそうではなく、植民地時代の前後での選択の相違を示しているかもしれません。
次に、GoWindaを用いて、濃縮された遺伝子オントロジー経路が検索されました。両集団【YCHとTIX】は代謝経路と関連する濃縮された遺伝子オントロジー期間を示しますが、YCH個体群が繁殖関連の生物学的過程(卵形成やステロイドホルモンに媒介されたシグナル伝達経路や排卵周期や発情周期など)における増加を示す一方で、コレステロールおよび脂質代謝経路期間(脂質生合成過程の負の調節やコレステロール恒常性やステロール恒常性など)はTIX個体群においてより顕著に現れます。
●HLA遺伝子は免疫における変化を示します
免疫に関連する遺伝子については、YCH個体群とTIX個体群についてそれぞれ、上位0.5%の注釈付けされたSNPのうち15ヶ所と7ヶ所のHLA領域を検出でき、正の選択の兆候を示しています(図3)。YCHおよびTIXの両個体群で共有されているSNPはなく、北アメリカ大陸の北西部沿岸の古代および現代の先住民において先行研究で選択下にあると明らかになったSNPもありませんでした。YCH個体群で見つかったSNPが、HLAのB・DRB1・DQA1・DQA2・S・X・DOA・DQB1遺伝子もしくはその近傍領域に位置しているのに対して、TIX個体群のSNPは、HLAのC・DQA1・DQA2・DQB1遺伝子もしくはその周辺で見つかります。
宿主と病原体のアレル特有の適応的免疫を伴う共進化多遺伝子座モデルを使用して、病原体からの選択は宿主の認識遺伝子座(HLA系におけるものなど)間の関連を維持するならば、遺伝子座におけるアレル(対立遺伝子)は連鎖不平衡にあるだけではなく、重複しない関連性も示すかもしれない、と示されてきました。その理由のため、重複しない関連性のパターンが分析され(図3)、YCHおよびTIX個体群とメキシコ南部のチアパス(Chiapas)州の高地の以前に分析されたマヤ地域のラカンドン人(Lacandon)における、HLA関連での病原体駆動選択について検証されました。HLA遺伝子座のさまざまな組み合わせ間のf*adjf*adj計量(重複しない関連づけの強度の順位付けに用いられる媒介変数)が測定されました。標準偏差の単位で、本論文で観察された非重複の量と、無作為化されたアレル関連づけで観察された非重複の量との間の違いも測定されました。以下は本論文の図3です。
古代のデータと比較すると、マヤ地域現代人のデータは、より高水準の非重複を有しているようで(図3a・b・c)、それは、分析された現代の人口集団がHLA遺伝子座において病原体への曝露に起因するかもしれない選択を経てきた、と示唆しているのでしょう。YCH個体群とTIX個体群のHLAアレル頻度を比較すると、8ヶ所のアレルで統計的に有意な変化が検出され、それは、いくつかの比較の補正後の、3ヶ所のHLAクラスIアレルと、5ヶ所のHLAクラスIIアレルです。YCH個体群と比較してTIX個体群において、アレルのHLA-B*40:02(0.2447対0.0821)とHLA-DQA1*03:03(0.1277対0.0224)とHLA-DQB1*04:02(0.1809対0.0299)で頻度が減少したのに対して、HLA-A*68:03(0.0532対0.2687)とHLA-B*39:05(0.0532対0.2687)とHLA-C*07:02(0.2021対0.3955)とHLA-DQB1*03:02(0.4894対0.7015)とDRB1*04:07(0.2340対0.4627)では頻度が増加しました。TIX個体群については、HLAハプロタイプの88%がアメリカ大陸先住民人口集団で以前に報告されており、そのうち10%はおそらくヨーロッパ人起源で、2%はアフリカ人のハプロタイプを表している、と分かりました。全てのYCH個体群のHLAハプロタイプは、アメリカ大陸先住民人口集団、とくにマヤ人で見られるものと一致します。
HLAクラスII領域は以前に、16世紀アメリカ大陸におけるヨーロッパ人との接触の前後の選択事象およびサルモネラ菌感染に対する耐性が示唆されてきました。したがって本論文は、有意な変化のあるアレルがサルモネラ菌由来のペプチドにどのように反応するのか、検証することに関心を抱きました。そのために、免疫抗原決定基データベース(Immune Epitope Database、略してIEDB)分析情報源に実装されたNetMHCIIPan 結合予測法を用いて、ヒトにおいて免疫原性の証拠があるサルモネラ菌の18個のタンパク質が選択され、YCHおよびTIX両個体群で見つかった、コンピュータで計算された(in silico)HLAクラスII分子に、それらに由来するペプチドを提示されました。
強い結合では、結合ペプチドはそのペプチドに対して免疫応答を起こす可能性が高い、と意味するのに対して、より弱い結合では免疫応答の誘発がさほど成功しません。最も強力なHLA-DRの結合体が、HLA-DRB1*14:02とHLA-DRB1*04:07とHLA-DRB1*16:02とHLA-DRB1*04:17であるのに対して、HLA-DQの最も強い結合はHLA-DQA1*05:01/DQB1*03:01とHLA-DQA1*05:05/DQB1*03:03とHLA-DQA1*03:01/DQB1*03:03でした。全体的に、HLAクラスII分子により示される強弱いずれかのペプチドの最少数は、HLA-DRアレルのDRB1*08:02およびDRB1*04:04およびDRB1*14:06と、以前に一覧が示された同じHLA-DQ分子です。大まかには、TIX個体群において、HLA-DRB1*04:07(強い結合体)とHLA-DQB1*03:02(弱い結合体、HLA-DRB1*04:07との連鎖不平衡)の頻度が上昇するのに対して、HLA-DQA1*03:03とHLA-DQB1*04:02は低下し、弱い結合体です。
●考察
考古遺伝学は、より伝統的な考古学的手法を用いての推測は困難かもしれない、過去のマヤ地域の期時期感光生物学的親族関係や遺伝的歴史の側面の調査機会を提供します。本論文は、チチェン・イッツァの古代都市マヤのサグラド・セノーテの近くに位置する、古典期のチュルトゥンに500年間にわたって儀式的に埋葬された未成年遺骸64個体を調べました。サグラド・セノーテのヒト遺骸とは対照的に、チュルトゥンの分析された全未成年は男性と分かり、この状況における男児の儀式的犠牲への強い選好を論証します。遺伝学的分析は、チュルトゥン内における親族関係にある個体の存在も示し、それには2組の一卵性双生児と9組の他の親族の組み合わせが含まれます。そうした双子の自然的な発生率は一般人口のわずか0.4%なので、チュルトゥンにおける一卵性双生児2組の存在は、偶然により予測されるよりずっと高くなります。
全体的に、子供の25%は遺骸群内で密接な親族を有しており、犠牲にされた子供はその密接な生物学的親族関係のため特別に得らばれたかもしれない、と示唆されます。さらに、これはチュルトゥンにおける親族の実際の人数を過小評価しているかもしれず、それは、チュルトゥンにおいて推定された106個体のうち64個体のみで、分析に利用可能な左側側頭骨の錐体部が保存されていたからです。各一式で密接な親族関係にある子供のが、類似した食事を消費しており、同様の死亡年齢であるように見えるさらなる発見から、そうした子供たちは1組もしくは双子の犠牲として同じ儀式行事中に犠牲にされた、と示唆されます。
双子はマヤ神話ではとくに縁起がよく、双子の犠牲は、起源がマヤ先古典期にさかのぼるかもしれない本である『ポポル・ヴフ(Popol Vuh)』と呼ばれている、神聖なキチェ人(K’iche’)の評議会書の中心的主題です。『ポポル・ヴフ』では、双子のフン・フナプ(Hun Hunapu)とヴクブ・フナフプ(Vucub Hunahpu)が球技で負けた後に、神により冥界に下され、犠牲にされます。その後、フン・フナプの頭はカラバッシュの木に吊るされ、そこで処女を受精させ、この女性は2組目の双子であるフナプとイシュバランケー(Xbalanque)を生みます。これらの双子は英雄の双子として知られており、その後、冥界の神を出し抜くため、犠牲と復活の繰り返しの周期を経ることにより、その父親とオジのための復讐を続けます。英雄の双子とその冒険は、古典期マヤ芸術において豊富に表現されており、地下構造が冥界への入口とみなされていたことを考えると、チチェン・イッツァにおけるチュルトゥン内の双子とその親族の犠牲は、英雄の双子に関わる儀式を想起させるかもしれません。
チュルトゥンの未成年をマヤ地域の他の古代および現在の人口集団と比較すると、長期の遺伝的連続性の証拠が見つかり、それはチチェン・イッツァにおける犠牲とされた子供やキョウダイの組み合わせが近隣の古代マヤ共同体から得られたことも示唆しています。TIXの現在の個体群では、ヨーロッパ勢力との接触期以降のヨーロッパ人およびアフリカ人との混合の証拠が検出されます。非アメリカ大陸先住民供給源からの祖先系統の寄与はゲノム規模水準では低いものの、片親性遺伝標識に関してはひじょうに非対称的です。TIX個体群では、すべてのmtHgがアメリカ大陸先住民系統であるのに対して、Y染色体ハプログループ(YHg)の半分以上は非アメリカ大陸先住民系統で(ほぼヨーロッパおよび中東/地中海起源で、以前の報告と一致します)、ヨーロッパ勢力との接触期における非アメリカ大陸先住民祖先系統への強い男性の偏りが起きた、と示唆されます。
集団遺伝学的分析(混合特性とF₃およびF₄と遺伝的連続性検証)で判断されたマヤ地域集団における遺伝的類似性により、古代(YCH個体群)と現在(TIX個体群)のマヤ地域における選択の検証のため、機能的多様体をコードするゲノム領域における変化の調査が可能となりました。本論文の調査結果は、脂質代謝と繁殖の両方がアメリカ大陸先住民では最近選択されてきた特性で、それは恐らく、植民地時代初期および定住期におけるこれらの人口集団の経てきた強いボトルネック(瓶首効果)とカロリー制約に起因する、との以前の仮説を裏づけます。
チチェン・イッツァで分析された個体から得られたδ¹⁵N値の観察された標準偏差(1.5)は、これまでに分析された全ての古典期後期~末期のマヤ遺跡のうち最高です。マヤ地域における古食性の再構築から得られた全体像は、おひらくトウモロコシであるC₄食料の顕著な量の消費を示しますが、地理的差異が利用可能な食料における微細環境の違いと交易網の変動性に反映されています。この変動性を説明するため、チチェン・イッツァで犠牲にされた個体のかなりの割合がわずかに異なる食事を消費していた地元ではないマヤ人だったかもしれない、と想定できます。あるいは、先行研究では、古典期マヤのエリートの食性パターンは経時的に一般人口より大きな変動性を示す、と示唆されています。この変動性は、アルトゥン・ハ(Altun Ha)やベイキング・ポッ(Baking Pot)など他の場所で観察されたδ¹³Cおよびδ¹⁵Nの標準偏差にも反映されています。したがって、分析されたチチェン・イッツァの個体群で観察されたタンパク質摂取津の違いも、社会的地位の差異を示唆しているかもしれません。
観察されたδ¹⁵Nの変動性が母乳育児の結果であることも、必ずしも除外できず、それは、標本抽出された遺骸が3~6歳の間と推定されている個体に由来するからです。したがって、他の背景情報がない場合には、特定の食性の差異の解釈には注意が必要です。本論文のデータから、DNAが密接な遺伝的関係を示す個体はより類似したδ¹³Cおよびδ¹⁵N値を示し、そうした個体は同様の世話と食事を提供した拡大家族網で育ったかもしれない、と示唆されます。
遺伝的検証から得られた遺伝的浮動の値が意味するのは、TIX個体群の祖先は過去1000年間ほどのある時点で深刻な人口減少を経た、ということです。16世紀を通じて、戦争と飢饉は疫病が人口減少をもたらした、と論証されてきており、ヨーロッパ人の接触時期に現在のメキシコに暮らしていた1000万~2000万人の先住民は16世紀すえにはわずか200万人と、最大で90%人口が減少したかもしれません。天然痘や麻疹やおたふく風邪やインフルエンザやタバルディヨ(tabardillo)もしくはマトラルザフアトル(matlalzahuatl)と呼ばれる発疹チフスや腸チフスや風疹や百日咳やガロッティッロ(garrotillo、深刻なジフテリア)や風土病性赤痢や三次熱(マラリア)や梅毒などの感染症は、植民地時代メソアメリカにおいて大規模な発生を引き起こし、人口減少に寄与し、おそらくは免疫関連遺伝子座での選択を引き起こした、と主張されてきました。
HLAクラスII領域は以前に、アメリカ大陸の植民地期において選択事象を経てきた、と報告されました。注目すべきことに、YCH個体群をTIX個体群と比較した場合に頻度が変化したアレルのうち3ヶ所はHLAクラスIIの一部である、と分かり、これはLSBL分析で見つかったSNPによりさらに裏づけられる調査結果です。それらのアレルのうち1ヶ所(HLA-DRB1*04:07)は、南アメリカ大陸とアジア東部においてサルモネラ菌亜種により引き起こされる腸チフスへの耐性と関連している、と以前に報告されたアレル群(HLA-DR4)に属しています。最近、考古遺伝学的研究は、1545年のココリツトリ流行病と関連する集団埋葬においてサルモネラ菌パラチフスC(Salmonella enterica sp. Paratyphi C)の存在を特定しており、全ての記録されている植民地時代の流行病の最高の死亡率であるこの流行病の少なくとも一つの原因媒体だった、と示唆されます。古代のサルモネラ菌株のゲノム解析は、16世紀におけるアメリカ大陸へのその到来を強く裏づけます。
現在のマヤ人とメキシコ人で一般的に観察されているHLA-DR4アレル群の増加は、疫病事象とその後の病原体への持続的な曝露により引き起こされた選択と一致します。HLAアレル間の非重複関連のさらなる調査は同様に、現在のマヤ地域人口集団が、病原体選択を経てきて、それがYCH個体群よりも重複の少ないHLAとの関連を促進したことと一致します。コンピュータで計算された結合予測分析も、HLA-DRB1*04:07をサルモネラ菌由来のペプチドへの強い結合体として示しますが、マヤ地域の現代人で有意に減少しているHLA-DQB1*04:02とHLA-DQB1*03:03は同じペプチドに対してより弱い結合体です。まとめて検討すると、各証拠は植民地時代における疫病事象に応答してHLA領域で起きた(複数の)選択事象を示しています。そうした選択は、1545年の強烈なココリツトリ流行病と、16世紀初頭以降のマヤ地域における疫病事象の回数の多さに直面して、予測されるでしょう。アレルの重ならない組み合わせを有するハプロタイプが偶然に非疾患関連のボトルネックを生き残ったことは除外できませんが、そうした仮定的状況はおそらく、古代の人口集団にすでに存在したアレルの頻度増加をもたらすでしょうが、それは本論文では観察されません。
本論文は、チチェン・イッツァにおける後期~末期古典期マヤの詳細な肖像を示しており、この地域の古代の住民のゲノムの遺産が、この古代都市の周辺地域に暮らす共同体に依然として存在する、と示唆されます。男児の儀式的な集団埋葬一卵性双生児2組や他の密接な親族の発見から、若い少年がその生物学的親族関係およびマヤ神話における双子の重要性のため犠牲に選ばれたかもしれない、と示唆されます。本論文では、ゲノム規模水準で、TIXの現在のマヤ人がかつてチチェン・イッツァに暮らしていた古代のマヤ人と遺伝的連続性を示す、と分かり、いくつかの証拠を通じて、植民地時代にヨーロッパ人によりアメリカ大陸にもたらされた感染症により引き起こされた病原体による、(複数の)選択事象におけるHLA領域の関わりが論証されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:マヤ文明の人身供犠儀式の詳細が古代ゲノムの解析により明らかに
マヤ文明の古代都市チチェン・イッツァで500年の間に人身供犠の対象になったとみられる64人の古代DNAの解析が行われ、マヤ文明の埋葬儀式を洞察する手掛かりが得られたことを報告する論文が、Natureに掲載される。今回の知見から、地下貯蔵庫で発見された多くの個体が近縁関係にあることが明らかになり、マヤ地域で現在まで遺伝的連続性が認められることが示された。
メキシコのユカタン半島に位置する古代都市チチェン・イッツァは、マヤ文明の古典期終末期(西暦800~1000年)の主要な集落の1つだった。この遺跡全体で、人身供犠儀式があったことを示す証拠が数多く見つかっており、その1つがサグラド・セノーテだ。サグラド・セノーテは、大きな陥没穴で、200体以上の遺骸が埋葬されていた。しかし、儀式の詳細については明らかになっていない。
1967年にサグラド・セノーテの近くで発見されたチュルトゥン(地下貯水槽)に、成人間近の人々の遺骸100体以上が収容されていたことが明らかになった。今回、Rodrigo Barquera、Oana Del Castillo-Chávez、Johannes Krauseらは、そのうちの64体から古代DNAを回収し、解析した。そして、放射性炭素年代測定法によって、このチュルトゥンが紀元7世紀初頭から12世紀半ばまで使用されていたことが示された。また、遺伝的解析の結果、64個体が全て男性で、解析された個体の約25%が近縁関係にあり、2組の一卵性双生児が含まれていることも判明した。これに対して、サグラド・セノーテで発見された遺骸は、若年成人女性と男女の子どもの遺骸だった。著者らは、子どもを供犠する儀式は、作物の収穫量と降水量の確保に役立てるためだったと推測されており、マヤ神話には、双生児を供犠することが記述されていると指摘している。
今回の研究では、チュルトゥンで発見された個体の素性が明らかになっただけでなく、この地域の現代人との遺伝的比較によって遺伝的連続性も明らかになった。この知見は、人身供犠の対象になった人々が、遠く離れた地域の出身者ではなく、マヤの近傍のコミュニティーの出身者であったことを示唆している。また、著者らは、免疫に関連する遺伝子の塩基配列の多様性を見いだした。このことは、植民地時代にこの地域に持ち込まれたパラチフスC菌などの流行性病原体による適応を示している可能性がある。
以上の知見を考え合わせると、チュルトゥンの事例では男児の人身供犠が好まれたことが示唆され、マヤの人々の遺伝的歴史を洞察する手掛かりが得られた。
参考文献:
Barquera R. et al.(2024): Ancient genomes reveal insights into ritual life at Chichén Itzá. Nature, 630, 8018, 912–919.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07509-7
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