後期新石器時代ヨーロッパ人類集団における遺伝的構成の大きな変容
後期新石器時代ヨーロッパ人類集団における遺伝的構成の大きな変容を報告した研究(Parasayan et al., 2024)が公表されました。後期新石器時代のヨーロッパにおいては、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)を中心にヨーロッパ草原地帯からの大規模な人口移動により、人類集団の遺伝的構成が大きく変容しました(Allentoft et al., 2024A)。本論文はその具体的過程を詳細に解明し、それは考古学的には、縄目文土器文化(Corded Ware Culture、略してCWC)や鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、略してBBC)と関連しています。今後は、日本列島も含めてアジア東部においても、完新世における人類集団の遺伝的構成の変容が時系列で詳細に位置づけられるよう、期待しています。
●要約
紀元前三千年紀は、現在のヨーロッパ人のゲノムにおける祖先系統パターンを形成した、ポントス・カスピ海草原からの移動と関連する、ヨーロッパにおける顕著な文化とゲノムの変容の重要な期間でした。本論文は、フランスのパリ盆地における、紀元前2500年頃の集団埋葬の7個体と紀元前2300年頃の鐘状ビーカー文化の1個体のハプロタイプ位相化を含めて、高解像度の全ゲノム分析を実行しました。この集団埋葬は、フランスにおける草原地帯祖先系統の同時の到来を明らかにしました。本論文は、親族のゲノムを通じて、標本抽出されていない1個体のゲノムを再構築し、これにより、後期新石器時代ヨーロッパにおける、初期段階の混合パターンと動態と草原地帯祖先系統の拡散に光を当てることが可能になりました。本論文は、紀元前3000/2900年頃と紀元前2600年頃における2回の主要な新石器時代/草原地帯関連祖先系統の混合の波を特定しました。これらの波は、縄目文土器および鐘状ビーカー文化複合体との顕著なつながりを有する、さまざまな人口拡大の動態を示唆しています。
●研究史
過去の人口移動とそれに続く移動してきた人口集団と在来の人口集団との間の混合は、子孫のゲノムに痕跡を残す、と示されてきました(Fu et al., 2015、Fu et al., 2016)。完新世ヨーロッパでは2回の主要な人口変容が起き、両者ともに顕著な文化的移行および子孫人口集団のゲノム組成変化を含んでいまする最初の変容はヨーロッパへの新石器時代文化の導入と関連しており、狩猟および採集から農耕民および畜産への根本的な生活様式の変化につながりました。この過程はヨーロッパ南東部において紀元前6500年頃に始まり、他地域での農耕拡大には約2000年間を要しました。それに伴うゲノムの変容は、アナトリア半島西部および/もしくはエーゲ海の人口集団の子孫である移住してきた新石器時代農耕民と中石器時代狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)との間の混合の結果でした(Haak et al., 2015、Lazaridis et al., 2016、Lipson et al., 2017、Mathieson et al., 2018、Brunel et al., 2020、Rivollat et al., 2020)。
ヨーロッパにおける第二の変容は、約600年と比較的短い期間での、ヨーロッパ後期新石器時代社会における顕著な社会的および経済的変化と関連していました。この社会的変容は、まずCWC、その後でBBC、最終的には青銅器時代の状況において埋葬からのゲノム証拠により証明されているように(Haak et al., 2015、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021)、ポントス・カスピ海草原牧畜民の西方への移動、および在来の後期新石器時代人口集団との混合と関連していました。しかし、人口変容の詳細な過程は、ヨーロッパのどこでもまだ充分には解明されていません。本論文は以下の段落で、ヨーロッパにおける紀元前三千年紀の変容過程と関わる社会の主要な特徴を浮き彫りにし、まずは考古学、次に古ゲノムの観点からヨーロッパ西部に焦点を当てます。
紀元前四千年紀末に、ヨーロッパの中期新石器時代文化は多様化し、さまざまな葬儀慣行のある文化の寄せ集めへと地域化し、最も著名なもののみを挙げると、西部ではフランス後期新石器時代(Néolithique récent)のさまざまな表現、北部では紀元前4300~紀元前2800年頃となる漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRBもしくはFBC)、中央部~東部では紀元前3600~紀元前2900年頃となるハンガリーのバーデン(Baden)文化や紀元前3200~紀元前2600年頃となる球状アンフォラ(両取って付き壺)文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)、南東部では銅器時代の紀元前4500~紀元前4000年頃となるグメルニタ・コヅァダーメン・カラノヴォ(Gumelnița–Kodžadermen-Karanovo)複合体や紀元前5500~紀元前2750年頃となる金石併用時代のククテニ・トリピリャ(Cucuteni-Trypillia)複合体です。
紀元前四千年紀末以降、ヨーロッパの中央部と東部における地域間の移動性の顕著な増加の証拠があり、「地域横断的」共同体が形成されました。犂や車輪や荷馬車を用いての動物の牽引など新たな文化的要素が、ヨーロッパの東部と中央部で広がっていきました。しかし、ヨーロッパの北部と西部では、集団間の競争激化にも関わらず、この期間は文化的に安定していたようです。葬儀の証拠は、巨石建築であることが多い記念碑における、副葬品(土器や斧や装飾品)を伴うさまざまな数の死体の連続的堆積を伴う集団墓により占められています。紀元前3600~紀元前2900年頃の間のパリ盆地では、回廊墓と地下室が建設され、その一部は後期新石器時代まで使用されていました。
この状況は、顕著な変容が次の世紀にヨーロッパの大半に影響を及ぼした、千年紀の転換期に変わりました。この変容の始まりは、GACと関連するヨーロッパ中央部および東部の遺跡(紀元前3400~紀元前2800年頃)で記録されています。紀元前3100~紀元前2450年頃の帰還の新石器時代ヨーロッパにおける3回の連続した広範な文化的拡大の豊富な考古学的証拠があり、それは、(1)農耕牧畜経済と単一の性別(ジェンダー)固有の土坑墓や古墳(クルガン/ヤムナ)と冶金と装飾された容器と戦斧を伴う、カルパチア山脈とウラル山脈との間のポントス・カスピ海草原からの遊牧文化と、(2)これら草原地帯の文化の構成要素を取り入れたヨーロッパ中央部および北部におけるCWCと、(3)BBCです。
CWCの出現および拡大と関連している変容過程の根源は、ヨーロッパ東部草原地帯にあります。紀元前五千年紀後半には、草原地帯共同体の範囲は草原森林地帯へと広がり、西方では紀元前四千年紀の始まりにはククテニ・トリピリャ共同体と、東方ではコーカサス北部のマイコープ(Maykop)文化共同体(紀元前3700~紀元前3000年頃)とつながりました(Immel et al., 2020)。紀元前四千年紀末には、ドニエストル・ドニエプル(Dniester-Dnieper)地域に始まり、この草原地帯由来の文化複合はヨーロッパの東部および中央部(現在のポーランドとハンガリーとボヘミアとドイツ)へと拡大しました。単一墓埋葬慣行はヨーロッパの東部と中央部におけるヤムナヤ(Yamnaya)文化、およびGACやバーデンやククテニ・トリピリャ文化などカルパチア山脈周辺の紀元前四千年紀金石併用時代伝統など、共同体間の遭遇を通じてもたらされました。さらに新たな土器様式がポーランド南部および南東部(Lesser Poland)とドニエストル川流域に出現し、ヤムナヤ文化とGAC両方の要素のある縄目文土器です。その後、CWCは断片的にさらに北方へと拡大して紀元前29世紀にバルト海に到達し、それは紀元前24世紀まで続き、最終的にはロシア西部からオランダ、スイスからノルウェーまでの地域を網羅しました。
CWCは文化的特色における強い地域的違いにより特徴づけられますが、おもに、排他的ではないものの、性別(ジェンダー)固有の埋葬位置の単葬墳における、縄目装飾土器のビーカーや特別な石斧や指揮棒頭(戦斧)共有要素があります。CWCには多くの「慣行の共同体」が含まれ、他の文化集団と共存していました。単葬墳および短剣や戦斧など武器と考えられている副葬品の関連は、社会階層化や個人の富と地位の拡大や制度化された戦士身分や男性優先の顕著な性別(ジェンダー)役割、したがって草原地帯の人々に影響受けた観念形態(イデオロギー)の出現の兆候と解釈されてきました。紀元前2600年頃に、全体的な装飾(All-Over-Ornamented、略してAOO)およびその下位群である全体的な縄目文(All-Over-Corded、略してAOC)ビーカー、つまりCWビーカーの特定の種類がライン川とマース川の三角州の単葬墳に出現し、パリ盆地起源のプレッシニアン(Pressignian)燧石製短剣と関連していることが多くなっています。フランスの北部と西中部では、AOC/AOOビーカーのある個々の墓が、既存の新石器時代の燧石交換網に沿っての急速な北方から南方への「飛び越え」を裏づけています。紀元前2857~紀元前2488年頃のブリニクール(Blignicourt)および紀元前2574~紀元前2452年頃のシリー=サルソーニュ(Ciry-Salsogne、La Bouche à Vesle)のAOC埋葬は、ヨーロッパの北部と西部南方をつなぐ、ヨーロッパ西部における広範な交換網を示唆する、AOC土器と大プレッシニー(Grand Pressigny)燧石製小刀を含む、フランス北部および東部全域の小さな一連の埋葬に属します。
第三の現象であるBBCは、地域固有の年代順で紀元前三千年紀後半を網羅し、時空間的にはCWCおよびヨーロッパ西部のAOO/AOC複合体と重複しています。その初期段階では、BBCは墓もしくは埋葬慣行の典型的形態により特徴づけられていませんでした。むしろ、BBCの人工遺物は既存の埋葬状況で発見され、大西洋沿岸からヨーロッパ東部中央および地中海南部にかけての広範な地域全体で島嶼部に集中して散在していました。その後、この現象は一貫した考古学的文化へと発展し、単葬が優勢でした。この最終的に汎ヨーロッパ的となった現象の収容な文化的表現は、その識別の唯一の信頼できる特徴である特徴的な鐘状土器ビーカーにより特徴づけられ、時空間的に類似性を共有しています。しかし、ビーカーの装飾様式の分類については合意がなく、その分類と解釈の不一致につながっています。
鐘状ビーカーやしばしば短剣や弓用が備わっている墓は、モロッコからスコットランド、シチリア島からノルウェー北部、デンマークからハンガリーまで、ヨーロッパの西部および中央部の全域で発見されました。鐘状ビーカーの資料は、金属製品と関連してイベリア半島およびヨーロッパ北部において要塞化された集落や、フランスとイタリアの巨石墓と洞窟や、ブリテン諸島において性別(ジェンダー)の違いの有無に関わらず単葬墓や、CWCと重複するヨーロッパ中央部でも発見されました。BBCの起源は依然として議論されていますが、その拡大が文化変容もしくは人口拡散に起因するのかどうか理解したいならば、本論文で扱われるこの問題を検討することが重要です。放射性炭素年代測定は、広い較正範囲をもたらす紀元前三千年紀の放射性炭素の平坦域のため、年代を解決できませんでした。
それにも関わらず、オランダ起源よりもイベリア半島起源を示すより多くの考古学的証拠があり、海洋鐘状ビーカー(Maritime Bell Beakers、略してMBB)がBBC系列の開始を示す、という合意があります。これらのMBBは大西洋沿岸のタホ(Tagus estuary)川の河口に沿って急速に拡大してライン川を下り、同様に地中海沿岸に沿って急速に拡大してローヌ川・ソーヌ川流域に至り、ライン川上流はヨーロッパ中央部において既知の最大のMBB収集物のある地域です。初期の鐘状ビーカーの慣行は、ヨーロッパの諸大河沿いに飛び地から拡大し、その後でヨーロッパの広範な鐘状ビーカー文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】へと発展し、ヨーロッパの南西部と南部と北部と東部で地理的に異なる4ビーカー集団が存在しました。
自然環境の境界でCWC地帯の西端であるライン川は、ライン川下流のAOO/AOCビーカー関連慣行とライン川上流のMBB関連慣行が遭遇し、融合して、高い移動率で東方へとさらに拡大した、接触地帯を形成したようです。ヨーロッパ中央部では、BBCは直ちにCWCを置換しなかったものの、領域の区分を通じて共存しました。BBCは最終的に遠くポーランドまでCWCを置換しましたが、牧畜から農耕経済への移行を引き起こしながら、その葬儀慣行を吸収しました。
これらヨーロッパ全域の紀元前三千年紀の文化的変容は、人口変化を伴っていたようです。古ゲノム解析は短期間での大きなゲノム変化を明らかにしており、現在のロシアのサマラ(Samara)草原地帯からヨーロッパ北西部への人々の移動を示唆し、そのゲノムは草原地帯金石併用時代の混合としてモデル化できます。つまり、ザグロス・コーカサスおよびヨーロッパ東部狩猟採集民(Wang et al., 2019)と、新石器時代初期アナトリア半島農耕民祖先系統で構成されるコーカサス金石併用時代マイコープ祖先系統(Penske et al., 2023)です。バルカン半島とポントス草原地帯北部との間の長期にわたる文化的相互作用は考古学的記録から知られており、物質文化の交換と混合を含んでいました。それは、アナトリア半島新石器時代農耕民(Anatolian Neolithic Farmer、略してANF)および草原地帯祖先系統が紀元前四千年紀のククテニ・トリピリャ農耕共同体で特定されてきたからです(Immel et al., 2020)。
西方へと移動する草原地帯の人々と、GACなどヨーロッパ東部におけるさまざまな文化的な後期新石器時代の慣行と関連する新石器時代祖先系統(つまり、アナトリア半島北西部起源の新石器時代農耕民とヨーロッパ西部中石器時代HGの祖先系統なので、「新石器時代祖先系統」と呼ばれます)を有する在来の個体群との間で、混合が継続しました(Haak et al., 2015、Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Penske et al., 2023、Brace et al., 2019、Linderholm et al., 2020、Seguin-Orlando et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B)。混合を伴うこの移動は、CWC関連人口集団におけるポントス・カスピ海草原地帯関連祖先系統(以下では「草原地帯祖先系統」と呼ばれます)の東西の勾配につながり、草原地帯祖先系統の割合はさまざまです。
ヨーロッパ中央部および西部全域での草原地帯祖先系統の拡散と同時に、Y染色体ハプログループ(YHg)では、R1b1a1b(M269)系統の急速な拡大が検出され、これはサマラのヤムナヤ文化個体で見つかった系統、つまりYHg-R1b1a1b1b(Z2103)と類似しています(Haak et al., 2015、Wang et al., 2019、Linderholm et al., 2020)。CWC期においてヨーロッパ北部および東部へと拡大した主要なYHgはR1a1a1(M417)とその派生系統のR1a1a1b(Z465)です(Mathieson et al., 2018)。したがって、紀元前三千年紀の期間におけるY染色体系統は、さまざまな草原地帯人口集団を含む複雑な草原地帯祖先系統の拡散パターンと、紀元前四千年紀にはすでに始まっていたヨーロッパ中央部における複雑な人口動態の両方を示唆しています。
この複雑さは紀元前2400~紀元前2000年頃の間となるその後のBBC拡大期のボヘミアでも観察され、ボヘミアではYHg-R1b1a1b1a1a(L151)の別の派生系統であるR1b1a1b1a1a2(P312)が草原地帯祖先系統の割合の漸進的な現象と並行して優勢になりました(Papac et al., 2021)。YHg-R1b1a1b1a1aの地理的分布に基づいて先行研究(Papac et al., 2021では、YHg-R1b1a1b1a1a2系統はライン川下流域周辺に起源があり、BBCと関連して拡大したので、ボヘミアへのBBCの拡大はユーラシア西方草原地帯祖先系統集団からの東方への移動と同時だった、と示唆されました。これらのY染色体系統の置換の波は、移動が文化的変化と関連する集団における男性優位パターンの変化を示唆しています。
ヨーロッパ西部における草原地帯祖先系統の拡大はあまり正確に記録されておらず、それは、遺伝学的に分析された古代の個体群の時空間的分布が断片的で一様ではないからです。データセットがより高密度のため、現在のスイスにおける草原地帯祖先系統の到来時期は紀元前2700年頃(紀元前2860~紀元前2460年頃の間)と推定されており、到来とともに60%程度と急速に増加し、その後の1000年間で25~35%に減少しました(Furtwängler et al., 2020)。標本抽出に偏りがなかったと仮定すると、草原地帯祖先系統はドイツ北部よりもスイスにわずかに早く到来したようで(Haak et al., 2015、Mathieson et al., 2015)、ドイツでの検出はスイスの約100年後です(Furtwängler et al., 2020)。しかし、スイスの全個体が草原地帯祖先系統を有していたわけではなく、到来の1000年後でさえ、対応する痕跡のない個体が依然として存在しました。このパターンは、草原地帯祖先系統の保有者と新石器時代祖先系統の在来の農耕民との間の限定的な混合を示唆しています。
イベリア半島では、草原地帯祖先系統はその後に到来し、スペイン北部では紀元前2400年頃(Olalde et al., 2019)、スペイン南部では紀元前2200年頃(Villalba-Mouco et al., 2021)に検出されました。イベリア半島では、草原地帯祖先系統の有無に関わらずBBC関連個体群が数百年間ともに暮らしていたものの、最終的には草原地帯祖先系統がすべてのゲノムに浸透しました(Olalde et al., 2018、Olalde et al., 2019、Villalba-Mouco et al., 2021)。草原地帯祖先系統はブリテン諸島に紀元前2450年頃と同様の期間に到来し、この到来はBBCの拡大およびYHg-R1b1a1b1a1a2から派生したR1b1a1b1a1a2c1(L21)の導入と関連しています(Patterson et al., 2022)。
最初の観察以来、ヨーロッパでの草原地帯祖先系統拡散における男性への偏りが議論となってきました(Goldberg et al., 2017)。検出された性別偏りの感受性と特異性は、用いられた手法とX染色体データの品質および豊富さの両方に依存し、特定の差異が捕獲配列の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)密度およびショットガンゲノムの網羅率と関連づけられました。先行研究(Papac et al., 2021)は、ボヘミアにおける初期CW社会への先CWの人々の女性に偏った同化過程を報告していますが、ドイツのCWC個体群では、男性への性別の偏りが紀元前2600年頃の2個体で検出されたものの、その後の青銅器時代個体群では検出されませんでした(Mittnik et al., 2019)。性別の偏りはスイスでも観察され、紀元前2700~紀元前2000年頃の間の新石器時代祖先系統の増加は女性により起きました(Furtwängler et al., 2020)。エストニアでは、紀元前2800~紀元前2000年頃のCWC期において、草原地帯祖先系統の拡散は男性に偏っていたものの、YHg-R1a1a1b(Z645)を有するヤムナヤ文化個体群とは異なる人口集団が関わっていました。
文化的変容と結びつけてヨーロッパ西部における草原地帯祖先系統の拡大をより深く理解するためには、フランスにおけるこの現象の明確な視野が必要です。フランスは、ヨーロッパの東部と中央部と極西(ブリテン諸島)の間だけではなく、ヨーロッパの北西部と南西部(イベリア半島)との間の、したがってCWC地帯とBBCの拡大が展開した地域との間の重要な地理的位置を表しています。しかし、フランスにおけるゲノム景観の紀元前三千年紀の変容は、大まかにしか概略されてきませんでした。フランスの南北両方における鐘状ビーカーと青銅器時代状況のほぼ十数個体のゲノムは、約50%(38~68%)かなりの草原地帯祖先系統関連のゲノム割合と、草原地帯関連のYHg-R1b1a1bを有しており、より高い解像度で遺伝子型決定されたほとんどの個体はYHg-R1b1a1b1a1a2に属する男性により特徴づけられています(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018、Seguin-Orlando et al., 2021)。
上述のAOC埋葬の個体CBV95は、フランス北部のシリー=サルソーニュ(La Bouche à Vesle)で発見され、紀元前2574~紀元前2452年頃の単葬で、かなりのゲノム割合の草原地帯祖先系統とYHg-R1b1a1bの両方を有していましたが、紀元前2562~紀元前2308年頃のBBC集団墓の個体PEI2は、フランス南部のオード(Aude)県のヴィルデュベール(Villedubert)のペイリエレス支石墓(Dolmen des Peirières)で発見され、アルザスのヘーゲンハイム(Hégenheim)で発見された紀元前2832~紀元前2476年頃の個体I1392(Olalde et al., 2018)と類似した実質的な草原地帯祖先系統を有していませんでした(Brunel et al., 2020)。この不均一な状況はイベリア半島でも見られ、イベリア半島では、ごく一部のBBC関連被葬者が草原地帯祖先系統を有しており、草原地帯関連祖先系統を有していない個体群が少なくとも紀元前1950年頃まで存在していました(Olalde et al., 2018、Villalba-Mouco et al., 2021)。
これらさまざまな一連の証拠から、相互に対峙した多様な遺伝的起源を有しており、地域的に異なる結果の生じた、紀元前三千年紀のヨーロッパ社会の全体像が浮かび上がります。CWCは、おもにGACと関連するヨーロッパ中央部における新石器時代人口集団と、ヨーロッパ東部から移動してきたさまざまな草原地帯の人々との間の遭遇後に出現したようです(Papac et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B)。対照的に、BBCが新石器時代祖先系統を有する在来の人々と、草原地帯祖先系統を有する移民との間の遭遇から生じたのかどうか、あるいは、草原地帯祖先系統の到来前に発展したのかどうか、明確ではありません。初期イベリア半島MBB関連個体のほとんどは、先行する新石器時代人口集団の混合していない子孫である、と分かりました(Olalde et al., 2018)。ヨーロッパの南西部/西部からポーランドなど北部および東部へのMBBの拡散には、新石器時代祖先系統とYHg-R1b1a1bおよびその派生系統のYHg-R1b1a1b1a1a2の草原地帯祖先系統の両方の保有者が明らかに含まれていました。これらの過程と関わる考古学的に文脈化された個体の遺伝的データが、とくにフランス北部などゲノムデータの不足している地域において、この限界を補い、情報の間隙を埋めるのに必要です。
この目的のため、本論文はフランス北部のパリ盆地の紀元前2500年頃となる後期新石器時代の1ヶ所の集団埋葬遺跡であるブレヴィアンド・レス・ポアント(Bréviandes les Pointes)の、7個体の古ゲノム研究を提示します。これらの個体について全ゲノム配列が生成され、それにはミトコンドリアゲノムとY染色体配列が含まれ、放射性炭素年代とストロンチウム同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)データも含まれます。本論文は、草原地帯祖先系統のフランス北部の新石器時代遺伝子プールへの到来の「同時」観察を報告します。本論文はさらに、さまざまな祖先構成要素の起源をモデル化し、混合動態やヨーロッパ西部の紀元前四千年紀末から紀元前三千年紀前半、つまりBBCと一致する石器時代と金属器時代との間の文化的移行期の始まりにかけての草原地帯祖先系統の起源と方向性と時期と機序に光を当てます。本論文は人口集団と個体群の移動を考古学的証拠と相関させ、CWCとBBCの進化に関する問題に取り組みます。本論文は最後に、BBC埋葬が稀なパリ盆地中央部のイル=ド=フランス地域圏の正確なBBC被葬者1個体の最初のゲノム解析を表す、紀元前2300年頃となるサン・マルタン・ラ・ガレンヌ(Saint-Martin-la-Garenne)遺跡のBBC被葬者1個体を分析します。これらの分析の結果、CWCおよびBBCと関連する混合過程の重要な特徴が明らかになります。
●後期新石器時代の埋葬の考古学的背景
パリ盆地南部のトロワ(Troyes)近くの「ブレヴィアンド・レス・ポアント」・エト・レス・グレヴォッテス(“Bréviandes les Pointes” et les Grèvottes)遺跡(以下、ブレヴィアンド遺跡)は、前期新石器時代(紀元前5200年頃)から末期青銅器時代(紀元前1200年頃)まで埋葬地として繰り返し利用されました。殆ど若しくは全く関連する人工遺物のないいくつかの同時代ではない墓は、文化的帰属が木またげられ、放射性炭素年代測定で新石器時代後期とされました。BRE445と命名された円形に近い穴状遺構の7個体の集団埋葬(図1A)からは、遠景の骨製ビーズとイヌの足以外には発見がありませんでした。診断可能な人工遺物を欠いているこの埋葬様式は、イル=ド=フランス地域圏とシャンパーニュ県のこの期間に典型的でした。以下は本論文の図1です。
BRE445の個体(以下、A・B・C・D・E・FK・HIと略されます)はよく保存されており、断片化されていません。この埋葬は、成人女性3個体と成人男性1個体と幼児2個体と新生児1個体から構成されます。人類学的分析から、女性3個体の年齢について、Aは20~39歳、Bは20~30歳、Eは約60歳と推定されましたが、成人男性1個体は死亡時に20~30歳と推定されました。子供2個体の死亡時年齢は、HIが4~8歳、Cが6~10歳と推定されました。直接的な放射性炭素年代の結果、個体Bは紀元前2580~紀元前2275年頃(98.9%)、個体FKは紀元前2580~紀元前2284年頃(99.6%)、個体Eは紀元前2706~紀元前2287年頃(96.9%)の範囲で、後期新石器時代後半の埋葬に相当します。
埋葬BRE445と同時代の追加の埋葬1ヶ所の発掘がありますが、その骨格は頭骨が欠けており、古代DNAの保存状態は悪く、完全な分析が妨げられました。その近隣の墓の年代は、BRE445より古いものでした。病理の骨学的兆候は、一般的な圧力と老化以外には見つかりませんでした。骨の形態における差異から、個体FKは他の個体と区別され、個体Eと個体HIとの間の生物学的近縁性が示唆されます。暴力の兆候は確認されませんでした。埋葬の時系列は、層序学的データから部分的に判断できました。骨格の空間配置から、より古い埋葬の一部の骨は新たな死体のその後の埋葬により攪乱されたものの、意図的な空間転置の証拠はなかった、と示されます。考古学と人類学の分析から、これは家族の埋葬である可能性が最も高い、と示唆されました。
●ブレヴィアンド遺跡の集団埋葬の個体の遺伝的および同位体の特徴づけ
埋葬BRE445をより深く理解するため、各個体の錐体骨から非標的ショットガン配列決定により全ゲノムが生成され、網羅率は0.75~4.6倍(中央値は1倍)でした。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)から、被葬者の生物学的関係の最初の一瞥が得られました(図1B)。共有されたミトコンドリアハプロタイプから、個体FK・HI・Dはそれぞれ、女性個体E・A・Bと親族関係にある、と示唆されます。個体FKとHIのYHgは同じR1b1a1b1a1aで、その死亡時年齢を考えると、両者は父親と息子かもしれません。個体Cのみが埋葬された他のどの個体ともミトコンドリアハプロタイプを共有していません。これらの結論は、系図の再構築を可能とするNgsRelateとREADでの以下の全ゲノム解析に従ってさらに確証されました。
この埋葬は3世代からなる生物学的な1家族で構成されており、2番目の母親とその生物学的子供、および核家族の個体と遺伝的に親族関係になかった子供1個体です。hapROH(Ringbauer et al., 2021)を用いてのゲノムの同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)分析から、近親交配の個体はいなかった、と示されました。遺伝学と人類学と考古学の結果の組み合わせも、被葬者の最も可能性の高い時系列の再構築を可能としました。成人男性個体FKとその息子のHIがまず、中間の時間点の埋葬の半ばでFKの母親とHIの祖母が、最後にHIの母親が埋葬されたので、埋葬構造内に埋められた遺伝的に親族関係にない個体はここで埋葬された社会的共同体の一部だったに違いない、と推測できます。
この集団の個体群をさらに特徴づけ、個体の移動可能性を明らかにするため、成人個体および【非ヒト】動物遺骸の歯と骨の両方で安定同位体分析(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比)が実行されました。この分析の背後にある理論的根拠は、歯の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比は子供期の初期に水と食料由来のSr同位体の歯の形成への取り込みを示している一方で、骨のSr同位体は死亡前10年間と20年間のSrの取り込みに対応している、というものです。これらの個体から得られたSr値は、地元の痕跡を表す同時代の【非ヒト】動物遺骸と同等でした。個体EとBのみが歯と骨で異なる⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比値を有しており、これら2個体の生涯の移動性と、他の個体はそうではなかったことを示唆しています。個々の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比値と現在のフランス人のSr同位体景観図との比較から、個体EとBはパリ盆地もしくはフランスの北東部あるいは南東部を含めてそれ以外の同様の地質地域といった他の場所での子供期に続いてブレヴィアンド移動した、と示唆されます。
●BRE445埋葬の個体群のゲノム組成と欠落している祖父のハプロタイプ再構築
ブレヴィアンド遺跡個体群の潜在的な遺伝的起源へのより深い洞察を得るため、補完された古代人116個体のゲノムのデータセットでChromoPainter分析が実行されました。これに、上述の特定されたブレヴィアンド遺跡445の集団墓の各「生物学的家族」から代表1個体を追加し、親族関係にある個体群での過度なハプロタイプ共有によって起きる偏りと人為的な下部クラスタ化(まとまり)を避けるため、全ての他の親族関係にある個体が除外されました。したがって、以下の分析を通じて、親族関係にある個体群は、全ての他の親族関係にない個体とともに互いに独立して分析されることになるでしょう。対応する結果は、補足資料で示されるか、結果を誤って示さず可能な限り、単一の代表内で組み合わされます。
このデータセットで、ハプロタイプ共祖先系統行列が生成され、そこで主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とfineSTRUCTUREが実行されました(よく行なわれるように、ハプロタイプ位相化情報を無視し、現代人のゲノムにより定義されるPCAに古代人のゲノムを投影するわけではありません)。PCAでの次元削減とfineSTRUCTUREでの樹状図分析により、このデータセット内のさまざまな遺伝的クラスタおよび構造が特定され、視覚化されます。最初の2主成分(PC)は3祖先人口集団を区別し、つまり、北西部ANF、ヨーロッパ西部狩猟採集民(Western hunter-gatherers、略してWHG)、ポントス草原地帯のヤムナヤ文化と関連する個体群により表される草原地帯祖先系統を有する個体群です(図2A)。PC1はANFをHG/草原地帯祖先系統から分離し、PC2はWHGを草原地帯祖先系統から分離します。新石器時代から青銅器時代の状況のヨーロッパの個体群は、ブレヴィアンド遺跡個体群を含めて、その祖先系統の割合を反映するように3祖先系統の極間に位置します(図2A)。草原地帯祖先系統を有さない新石器時代祖先系統の個体群は、ANFとWHGのクラスタ間に描かれる線上に分布します。
後期新石器時代およびヤムナヤ文化関連個体群のゲノムにおける草原地帯祖先系統の割合はSOURCEFINDを用いて推定され、PCAでは草原地帯祖先系統の保有者を増加する草原地帯祖先系統の線に沿って位置づけます(図2A・Bでは、a~dの4クラスタに分類された個体群が比較されます)。ブレヴィアンド遺跡の女性5個体はクラスタ「a」では、フランスの新石器時代およびスペインの銅器時代個体群のゲノムとクラスタ化し、草原地帯祖先系統は存在しません(図2A・B)。対照的に、親族関係にある男性2個体(HIとFK)はそれぞれ、クラスタ「b」と「c」内に位置し、それは草原地帯祖先系統の割合が異なるためで、息子であるHIの草原地帯祖先系統はその父親であるFKの半分で、HIの母親Aに草原地帯祖先系統が見つからないことと一致します(図2A・B)。この調査結果から、FKとHIはフランス北部の新石器時代状況における草原地帯祖先系統の初期の到来を表している、と明らかになります。以下は本論文の図2です。
FKで見られる草原地帯祖先系統の割合は約35%なので、この割合はその父親ではさらに2倍になるはずだ、と予測されました。それは、FKの母親である個体Eには、この草原地帯祖先系統がないからです(図2A・B)。FKにおけるこの高い割合の草原地帯祖先系統から、FKの父親(図1Dの系図分析で表されています)は約70%と高い割合の草原地帯祖先系統を有していただろう、と示唆されます。これは、現時点で検出されたフランスにおける草原地帯祖先系統の最古級の到来となり、FKとEの位相化された遺伝子型を用いて、FKの標本抽出されていない父親再位相化遺伝子型の構築が促進され、ここではその父親はYYと呼ばれます。FKにつながった配偶子(精子)であるYYの半数体ゲノム1点しか推測できなかったので、FKとEの位相化された遺伝子型がYYによりFKにもたらされたアレル(対立遺伝子)の明確な推論を可能とする部位のみを用いて、YYはすべての部位で疑似二倍体同型接合方としてモデル化されました。この個体の到来と関連する年代は、人類学的分析から推測された、死亡時に20~30歳だったその息子であるFKの放射性炭素年代から推測されました。再構築された個体YYの疑似二倍体ゲノムはPCAではクラスタ「d」で、類似の年代と同様に高い割合の草原地帯祖先系統を示す他の個体、とくにフランス北東部のシリー=サルソーニュのAOCの1個体CBV95(Brunel et al., 2020)、オランダの最古級のBBC関連個体群のうち1個体、ブレヴィアンド遺跡個体群とほぼ同年代の1個体I5748(Olalde et al., 2018)とともに見られます。この再構築されたYYのゲノムは、ヨーロッパ西部におけるこの祖先系統の到来の動態の分析能力を高めます。
●フランス北部の鐘状ビーカー関連個体の新たなゲノムにおける草原地帯祖先系統
個体FKにおける草原地帯祖先系統の特定とフランス北部の同時代のショットガンゲノムの少なさから、草原地帯祖先系統とつながっている文化的状況であるBBCと関連している、近い地域と期間の1個体の別のゲノムの追加による、本論文の分析の解像度の改善が促進されました。紀元前2410~紀元前2129年頃(97.8%)となり、BBC様式の頁岩製手首防具を含めてBBC葬儀で埋葬された30~49歳の男性を表している、イル=ド=フランス地域圏のパリの西側のイヴリーヌ(Yvelines)県に位置するサン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の1個体(SMGB54)のゲノムが生成されました。この個体も、35~36%の草原地帯祖先系統の保有者で(図2Aの青い菱形および図2B)、FK個体と類似しているので、さらなる分析に含められました。個体SMGB54はFKやフランスの他のBBCおよび青銅器時代個体、および青銅器時代のハンガリーとクロアチアの個体群とともに、クラスタ「c」で見られます。
●後期新石器時代個体のゲノム時空間的な高解像度分析
本論文のfineSTRUCTURE分析は、PC1とPC2の図師で見られるような個体間の関係を明らかにしますが、地理的起源に関してさらにクラスタを定義します(図2C)。fineSTRUCTURE樹状図はまず、草原地帯もしくはHG祖先系統を高い割合で有する個体群を、ANF祖先系統を高い割合で有する個体群から分離します(図2Cの枝1および2)。樹状図の第1群内では、次の分岐は草原地帯とHGの祖先系統を分離し(それぞれ枝11と枝12)、次に、草原地帯祖先系統群では、高い割合の草原地帯祖先系統を有するBBCとCWCと前期青銅器時代関連ヨーロッパ人をヤムナヤ文化個体群から分離します(それぞれ枝111と枝112)。
再構築されたYYのゲノムは、ほぼヨーロッパ西部個体群から構成される高い割合の草原地帯祖先系統を有するヨーロッパ人の下位群に属します。高い割合のANF祖先系統を有する1群のうち、最初の分岐は草原地帯祖先系統のある個体群とない個体群を分離します(それぞれ枝21と枝22)。草原地帯祖先系統のない個体群では、次の分岐はWHG祖先系統の程度に従って個体群を分離します。つまり、第1群(枝221)がこの最初の人口集団と小さな分岐の全ての最初期ANFおよびヨーロッパ初期新石器時代個体群で構成されるのに対して、第2群(枝222)はWHG祖先系統を有するほとんどのヨーロッパ新石器時代個体群で構成され、これらの個体群はほぼその地理的起源に従って微細規模で下位区分されます。
草原地帯祖先系統のないブレヴィアンド遺跡個体(つまり、女性個体A・B・C・D・E)はほぼ、フランス南部/イベリア半島起源の個体群で構成される下位群で見られます。枝21はかなりのWHGおよび草原地帯両方の祖先系統を有する個体群で構成され、その年代は後期新石器時代と中期青銅器時代に相当する期間です。この枝から草原地帯祖先系統の程度により区別される2クラスタが生じ、より高い割合の草原地帯祖先系統を有する第1群(枝211)はその後、ヨーロッパ中央部とフランスという異なる地理的起源の2下位群に区分され、フランス側には個体FKが含まれます。第2群(枝212)はより低い割合の草原地帯祖先系統を有しており、2下位群に区分され、一方にはほとんどのイベリア半島個体と個体HIが含まれます。
fineSTRUCTURE分析の階層的クラスタ化から、まず3供給源人口集団からの混合を反映し、より微細規模では地理的起源も反映しているクラスタが生成されたので、この地理的兆候がPCAでも検出できるのかどうか、調べられました。この3供給源祖先系統の割合はPC1とPC2で検出された兆候のほとんどを占めていますが、PC3とPC4はハプロタイプと地理との間の相関を明らかにし、後期新石器時代から中期青銅器時代のその後の標本で顕著です(図3Aは、地理的起源に応じて色付けされた個体と、草原地帯祖先系統の存在が四角により示された場所を示しています)。以下は本論文の図3です。
西方から東方へ、および南方から北方への勾配は、個体群の祖先系統の程度に関係なく図3Aで明確に視覚化され、微細規模の遺伝的構造が大陸水準ではすでにこの期間に確立しており、それは恐らく、遺伝的浮動および/もしくは新石器時代の拡大におけるヨーロッパのさまざまな地域の遺伝的に独特なHG人口集団との混合蓄積に起因する、と示唆されます。さらに、フランス南部とイベリア半島の後期新石器時代個体群はともにまとまり、フランス北部のほとんどの標本と歯明らかに異なっていて、顕著な例外は、ブレヴィアンド遺跡の草原地帯祖先系統を有さない女性5個体(A・B・C・D・E)です。
BBC個体SMGB54も、フランス南部クラスタと関連しています。この関連から、これらの個体はすべて在来の人口集団とよりも南部との遺伝的つながりが強い、と示唆されます。対照的に、再構成されたYY個体は明確な北部の痕跡を有しており、PC3からPC4では、フランス北部/オランダ/ブリテン諸島/チェコ(チェチア)の個体群の外側の境界に位置しており、これは以後ヨーロッパ北部クラスタと呼ばれます。YYの息子であるFKはヨーロッパの南北のクラスタ間で中間的位置を占めており、これはその母親であるEによりもたらされた南方構成要素に起因し、そのためFKはヨーロッパ北部クラスタの真ん中に位置します。
最後に、YYの孫息子であるHIは再度、ヨーロッパ北部との類似性を有するその父親であるFKと、ヨーロッパ南部との類似性を有するその母親であるAとの中間に位置します。BRE445個体群の後期新石器時代祖先系統がヨーロッパ南部起源だった、との推測を実証するため、同じ期間の後期新石器時代と同じ地理的地域のフランスの2参照提供人口集団を用いて、新石器時代祖先系統に焦点を当てた正規化ハプロタイプ提供者検定が実行されました。一方はマルヌ県のモン・アイメー(Mont-Aimé)の地下室から発見されたフランス北部の代表で、もう一方は、エロ―(Hérault)県の花束洞窟(Grotte du Rouquet)から発見されたフランス南部の代表(Seguin-Orlando et al., 2021)です。
図3Bで表されているハプロタイプ提供分析では、受容者として、草原地帯祖先系統を有さないBRE445の個体群に加えて、参照人口集団の同じ遺跡から発見されたものの、使用された受容者に含まれない2制御個体、フランス北部の1H04とフランス南部のROUQH、異なる遺跡のヨーロッパ南西部の後期新石器時代2個体、花束洞窟の近くのフランス南部の遺跡のGBVPL(Seguin-Orlando et al., 2021)、スペイン北部のアタプエルカのブルゴス(Burgos)の銅器時代の1個体であるI5835(Lipson et al., 2017)が使用されました。その結果、ブレヴィアンド遺跡個体群は、検証されたヨーロッパ南西部の他の全個体に匹敵するほど、フランス北部よりもフランス南部の個体群の方と多くのアレルを共有する、と示されます(図3B)。したがって、BRE445墓の被葬者は、墓の位置がフランス北部にも関わらず、ヨーロッパ南西部に典型的な祖先系統を有していることになります。
●ブレヴィアンド遺跡被葬者で反映されているヨーロッパにおける草原地帯祖先系統の混合動態
本論文の調査結果を、完全なゲノムデータによりハプロタイプ推測が可能な個体より多数の個体に拡張できるのかどうか調べるため、SNPに基づく手法を用いて、124万SNP配列での配列捕獲の使用により遺伝子型決定された個体群が組み込まれました。qpAdm分析を用いて、その場所および関連する分化もしくは前後関係での年代に基づき、標本が分類されました(図4A)。以前に報告されたように(Olalde et al., 2018)、北西部から南西部への勾配を通じて、草原地帯関連祖先系統の希釈が観察されます。注目は、ブレヴィアンド遺跡被葬者が一般的な大陸の混合動態、とくにANFとWHGの祖先系統で草原地帯祖先系統の希釈を再現していることです。以下は本論文の図4です。
この祖先系統の希釈が起きた年代を正確に示すため、その較正された放射性炭素年代の関数として草原地帯祖先系統の個々の割合が図示され、地理的位置に応じて色分け体系され(図4B)、より適切な世界的傾向を視覚化するため、LOESS手法を用いて、相対的な草原地帯祖先系統の割合の局所的な多項式回帰適合を表しました(図4C)。以前に報告されたように(Papac et al., 2021)、草原地帯祖先系統の保有者では、紀元前3000~紀元前2000年頃の間の1000年間にわたって、紀元前3000~紀元前2500年頃のチェコのCWC関連個体群で見られる75%超の水準から始まって、ヨーロッパ中央部の後期CWCおよびBBC関連個体群での50%の緩やかな減少まで、ヨーロッパ西部においてゲノムの草原地帯祖先系統の割合で漸進的な現象が観察されます。その後の1000年間(紀元前2000~紀元前1000年頃)では、草原地帯祖先系統の割合は地域的平衡に達したようです。
フランスでは、紀元前2500~紀元前2250年頃の間の数百年以内に、草原地帯祖先系統の割合が約35~40%に減少し、この値は少なくとも紀元前1700年頃まで安定していたようです。草原地帯祖先系統の背景への新石器時代祖先系統のさらなる組み込みは、イベリア半島に向かっての草原地帯祖先系統保有者の南方への移動期に起き、青銅器時代には草原地帯祖先系統の銅器時代における約25%から約13%への希釈(Olalde et al., 2018)につながりました(図4B・C)。この草原地帯祖先系統の南北の勾配は、ヨーロッパでは現在まで続いています(Haak et al., 2015)。
驚くべきことに、ブレヴィアンド遺跡の集団墓は、南方への移動期間における草原地帯祖先系統の希釈過程の同時の断片で、この希釈が起きた正確な瞬間での活動中に希釈過程を把握しています。再較正されたYYは、紀元前2600~紀元前2500年頃という、フランスにおける草原地帯祖先系統の最古級の記録された到来に相当し、その後で近隣のシリー=サルソーニュ遺跡のほぼ同時代の個体CBV95が続きます。この祖先系統はBBC個体群でその後に見られますが、これら同じ地域のそれ以前の個体群は、BBCとの関連の有無に関わらず、この祖先系統を有していません。
●草原地帯祖先系統の混合の2回の大きな波
ヨーロッパの新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統の関連集団間の混合年代を推測するため、位相化ハプロタイプに基づくfastGLOBETROTTERが用いられ、それがFKやSMGB54や紀元前2500年頃以後の他の混合個体群に適用されました。ジャックナイフ手順を用いて混合事象の時期が推定され、95%信頼区間が生成されました。較正された平均標本年代と、1世代28年と仮定して推測された混合年代が図示されました(図5A)。以下は本論文の図5です。
その分布は草原地帯祖先系統の混合の明確な波を示唆していたので、ジャックナイフ手順で個体ごとに生成された21点の測定すべてが、ガウス混合モデル化(Gaussian mixture modeling、略してGMM)確立クラスタ化手法を用いて、下位人口集団の存在を表すような、多峰性分布を明らかにできるのかどうか、評価されました。これら440点の測定は、図5Bで表されている三峰性パレート密度推定につながり、これが確率密度関数の推定に用いられました。局所最大尤度発見のための予測最大化演算法の使用後、データは3通りのガウス分布にクラスタ化でき、最良のモデルはベイズ情報基準(the Bayesian information criterion、略してBIC)と適合検定のピアソンのカイ2乗検定の良好により裏づけられています。
これら3通りのガウス分布の平均と標準偏差(standard deviation、略してSD)と割合は、それぞれ紀元前2611±130年(49.9%)、紀元前2947±92年(42.5%)、紀元前3266±82年(7.6%)と推定されたので、最新の2回の波がデータの90%以上を占めています。驚くべきことに、FKとSMGB54の2個体の混合年代はそれぞれ紀元前2949±92年と紀元前2587年±154年で、これら2回の主要な波の中心とほぼ正確に対応しており、これが世界的傾向をじっさいに表している、と示されます。要注意なのは、fastGLOBETROTTERの年代推定値は、混合後の減数分裂に依存する組換えによって次第に減少する、祖先のハプロタイプの塊の規模の分布に依存していることです。
FKは草原地帯祖先系統の父親であるYYと草原地帯祖先系統のない新石器時代祖先系統の母親であるEとの間のF1交雑なので、組換え事象はまだ起きていなかったため、両祖先系統間の混合年代は父親であるYYに関する年代です。それにも関わらず、FKは紀元前2500年頃に起きた混合事象の個体なので、この最新の混合の波の直接的証人ですが、それはハプロタイプの塊の規模分布からは検出できません。フランス南部とオランダとチェコのBBCと関連する個体群は、紀元前2950年頃(YYは同様の年代を示しました)にさかのぼる、古代の主要な波に相当する最初の混合年代を示しました。対照的に、紀元前2600年頃に相当する混合年代、つまり最新の主要な混合の波は、SMGB54を含めてフランスの他の個体だけではなく、ブリテン諸島とイベリア半島の個体群についても推定されました。
代替的な混合手法であるDATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)を用いて推測できる結果が調べられ、DATESは位相化されていないデータに基づいているので、ハプロタイプの塊により提供される追加の解像度を活用しません。じっさい、DATESは検証対象のゲノムと2供給源人口集団のゲノムとの間の祖先系統の共分散パターンに依存します。以前の模擬実験では、DATESは3祖先集団の等しくない寄与を含む複雑な混合の事例では、さまざまな値を提供する、と明らかになりました。したがって、草原地帯祖先系統と自身がANFとHGとの間の混合である新石器時代祖先系統の農耕民との間の混合を評価するのにDATESを用いるさいには、ひじょうに異なる年代が一部の検証個体では得られ、それは、どの個体が後期新石器時代の供給源人口集団を表すのに使用されたのかに依存します。これらの結果から、この手法は供給源人口集団の真の構造において不確実性に対してひじょうに敏感である、と示されます。これは本論文で当てはまる事例で、それは、草原地帯祖先系統の東西の移動が、HGとの混合が増えていくアナトリア半島起源の前期新石器時代農耕民の東西の移動により形成された、人口集団の基盤で起きるからです。対照的に、fastGLOBETROTTERで推定された混合年代は、以前に考察されたように、供給源人口集団におけるそうした不確実性に対してずっと耐性があるようです。
草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合の波の存在から、ほとんどの草原地帯祖先系統を有する個体は同様の祖先系統の個体群と選好的に交雑し、混合の波の期間を除いて、新石器時代祖先系統の保有者との配偶は稀だったので、多世代で高水準の草原地帯祖先系統が保持された、と示唆されます。対照的に、草原地帯祖先系統を有する1個体が新石器時代祖先系統の農耕民集団に統合されると、その草原地帯祖先系統は数世代で希釈されたでしょう。そうした事象は、本論文においてブレヴィアンド遺跡の集団埋葬で観察されたように、第1世代でのみ明らかに検出できます。
●草原地帯祖先系統の性別の偏った拡大
草原地帯祖先系統の拡大における性別の偏りの可能性を検出するため、最良の網羅率の全ゲノムの補完されたX染色体データセットでChromoPainterが実行され、続いて、草原地帯祖先系統の保有者において、X染色体での祖先系統の割合が、常染色体で見られる祖先系統の割合と比較されました(図6)。性別の偏りの可能性を定量化するため、常染色体に対するX染色体の草原地帯祖先系統の比率が計算され、log₂変換が使用されました。X染色体上での草原地帯祖先系統の過剰が正の値を生じる一方で、新石器時代祖先系統の過剰と類似した減少は、負の値を示します(たとえば、+1は2倍の草原地帯祖先系統の過剰を明らかにし、−1は2倍の草原地帯祖先系統の減少を示すので、後期新石器時代祖先系統の過剰、つまりANF+WHGに相当します)。以下は本論文の図6です。
図6で見られるように、母方で選好的に継承される祖先系統の過剰において個体間で変動性があり、X染色体での草原地帯祖先系統のわずかな過剰を示す個体も、新石器時代祖先系統の過剰を示す個体も存在します。ゲノムが利用可能なCWCとBBCと青銅器時代のヨーロッパの草原地帯祖先系統の保有者38個体のうち、18個体がX染色体で少なくとも20%の草原地帯祖先系統の過剰を示す一方で、12個体は草原地帯祖先系統の同様の減少、したがってX染色体での少なくとも20%の新石器時代祖先系統の過剰を示し、残りの8個体は均衡を維持していました(図6)。
X染色体で草原地帯祖先系統が希釈されていた12個体のうち、5個体はさらに低水準を示し、X染色体での草原地帯祖先系統と新石器時代祖先系統の比率は、X染色体での2.5倍もしくはずっと高い新石器時代祖先系統に相当する0.4未満で、残りには、フランス南部の3個体、ブリテン諸島のBBCの男性1個体(I2445)、X染色体で草原地帯祖先系統を有していないブレヴィアンド遺跡のFK個体がいます。母系で草原地帯祖先系統の過剰を有する個体はより多く存在しましたが、この過剰は一般的により小さな振幅でした。これら草原地帯祖先系統を有する18個体のうち、1個体のみが高い割合の新石器時代祖先系統を有する個体群で観察される水準の過剰に近い草原地帯祖先系統を示し、それはBBCの男性個体SMGB54です。SMGB54はX染色体で草原地帯祖先系統の2.4倍の過剰を有しており、X染色体での86%に達し、常染色体で見られる36%を大きく上回っており、SMGB54の母系はその父系よりもずっと高い割合の草原地帯祖先系統を有していた、と示唆されますが、SMGB54のYHgは草原地帯祖先系統に特徴的なR1b1a1b1a1(P310/PF6546/S129)でした。SMGB54は、ブリテン諸島のBBCもしくは期青銅器時代個体群や、オランダのBBCの2個体や、チェコのBBCの2個体や、ポーランドのCWCの1個体と同様に、X染色体でひじょうに高い割合(80%超)の草原地帯祖先系統を有しています。強い草原地帯祖先系統優位の母系のこのパターンから、草原地帯祖先系統を有する男性が新石器時代祖先系統の女性と配偶するよりも、草原地帯祖先系統を有する女性が新石器時代祖先系統を有する男性と配偶することは少なかった、と示唆されます。
これらの非対称的な混合事象は、フランス南部の個体群もしくはブリテン諸島のBBC個体群の事例のように、BRE445の男性の事例の如きF1水準で、もしくは数世代後で、配偶事象後の数世代で把握すると、X染色体での新石器時代祖先系統の顕著な不均衡につながりました。したがって、性別の偏りは、現在のデータセットで分析すると二峰性に見え、新石器時代祖先系統を有する男性が草原地帯祖先系統を有する女性と混合するよりも、新石器時代祖先系統を有する女性が草原地帯祖先系統を有する男性と混合する方が高頻度でした。新石器時代祖先系統を有する男性を含む混合のこの低頻度はY染色体でも明らかで、それは、いくつかの研究(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018)で以前に観察されたように、この網羅率の高いゲノムデータセットにおける草原地帯祖先系統の男性21個体のうち、わずか2個体のYHgが典型的な草原地帯祖先系統のR1b1a1b1と異なっているからです。
●考察
本論文の後期新石器時代の集団埋葬BRE445の高解像度のゲノム解析は、新石器時代農耕民とポントス・カスピ海草原遊牧民の子孫との間のヨーロッパ西部における混合過程の機序と方向性を解明しました。そのゲノム網羅率は、ハプロタイプを補完して位相化するには不充分で、ハプロタイプ分析に固有の制度を最大限とする手段の使用を可能としたため、地理的起源によって新石器時代祖先系統を有する個体群を区別する痕跡の検出ができました。以下、具体的な問題が検証されます。
●パリ盆地の後期新石器時代集団埋葬の個体間の生物学的および社会的近縁性
BRE445の集団墓地では、新石器時代祖先系統を有する女性3個体のゲノムは、ヨーロッパ北部の同時代の個体群とよりも、フランス南部およびイベリア半島の新石器時代祖先系統を有する個体群の方との、より密接な類似性を示しており、これらの女性もしくはその祖先がヨーロッパ南西部から来たことを示唆しています(図3)。これの女性のうち、2個体のみが、生涯の移動性を明らかにしているかもしれない⁸⁷Sr/⁸⁶Sr同位体痕跡を示しているのに対して、他の全個体はこの地域における生涯の居住の痕跡を示しています。
BRE445個体群で得られた同位体の痕跡は、これら女性2個体の起源の明確な識別を提供しませんが、その遺伝的痕跡と一致して、フランス南部からの生涯の初期の移動と一致します。この結果は、中期新石器時代とBBCと青銅器時代における大規模な移動性と少なくとも部分的な女性族外婚を明らかにした、BBC埋葬の遺伝学と同位体の分析の組み合わせに関する以前の結果と一致するでしょう(Knipper et al., 2017、Rivollat et al., 2023)。これら女性2個体の生涯の移動性の起源地点がフランス南部と確証はできませんが、フランス北部で保持されている南方の遺伝的兆候について、南方祖先系統の新石器時代の人々における何世代にもわたる選好的配偶を考慮する必要があることは、要注意です。
同じ墓に埋葬された純粋な後期新石器時代祖先系統のBRE445の女性全員で検出された南方の遺伝的痕跡から、この共通の南方起源は、その共有された帰属意識に寄与した一因かもしれない、と示唆されます。つまり、祖先を同じくする親族関係が死後も維持された、というわけで、それは選好的な配偶パターンを裏づけます。世代が増えるほど、フランス北部に暮らす移民の個体群から南方の供給源人口集団は分離されますが、数世代にわたって南方からのゲノム痕跡を維持するために、配偶選好がより強くなったに違いありません。したがって、ブレヴィアンド遺跡個体群もしくはその祖先が近い過去に、女性EおよびBがおそらくはその生涯において南方から北方へと移動した、と考えるのはより節約的なようで、それは、これがSr同位体痕跡と一致するからです。
祖先系統特性と系図と⁸⁷Sr/⁸⁶Sr同位体痕跡の利用を通じて、他にも可能性はあるものの、以下の説明が提案されます。それは、女性EがYYとの出会いの前後どちらかでブレヴィアンド遺跡へと移動し、草原地帯遊牧民の子孫である民族集団の構成員になった可能性が高い、というものです。YYは、先行研究で仮定された、新石器時代祖先系統を有する女性を「誘拐」した「戦士の若者集団」の構成員だったかもしれませんが、これは推測に留まります。しかし、新石器時代祖先系統を有する女性個体Eは、新石器時代共同体でその生涯を続け、そこでFKを生み、FKはこの新石器時代的背景で育ちました。FKには、新石器時代祖先系統を有する女性Aとの間に、1人の息子HIがいました。父親であるFKとその息子のHIは同時に死亡したか、HIが父親であるFKの直後に死亡しました。FKとAとBは全員、中年の成人として死亡しました。
第1世代に属する唯一の年配の個体は、Eでした。個体Bも、おそらくは子供として他の場所から来たかもしれず、ブレヴィアンドに居城し、埋葬には存在しない新石器時代祖先系統を有する男性との間に、子供を1人儲けました。個体Cは、養子だったかもしれません。遺伝学と人類学と考古学の結果の組み合わせはこの集団墓を、埋葬されるのに充分なほど重要な、純粋に社会的および生物学的両方の結びつきのある親族集団として特定しました。親族集団はじっさい、社会的構築として認識されており、親族関係慣行は大きく異なると知られています。法医学HIrisPlex-S分析評価での遺伝子型決定解析を通じて決定されるような、個体の身体的外見は、他の新石器時代個体群(Brace et al., 2019、Linderholm et al., 2020、Mathieson et al., 2015、Marchi et al., 2022)と区別できませんでした。分析された全個体は、茶色の目と中間的からより恋色の肌と濃い色の髪を示唆する遺伝的痕跡を有しており、例外は髪が栗色だったかもしれないFKとEです。したがって、その身体的外見は刊行されている他の新石器時代個体とさほど変わりません。
●ブレヴィアンド遺跡被葬者のゲノムで明らかになる草原地帯祖先系統と関わるヨーロッパ全体の性別の偏った混合過程
ブレヴィアンド遺跡の個体の生活史のほとんどの詳細を再構築できませんが、この特異な埋葬は、フランスにおける草原地帯祖先系統到来のいくつかの側面を明らかにします。祖父であるYYは、その息子のFKおよび孫のHIのゲノムで見られる草原地帯祖先系統の保有者でした(図2B)。YYの再構築された疑似二倍体ゲノムにおける草原地帯祖先系統の割合(約66%)は、ポーランド(Fernandes et al., 2018、Linderholm et al., 2020)やボヘミア(Papac et al., 2021)の同時代のCWC個体群で見られるものと類似していますが、YYの息子のFKでは、ドイツとスイスとフランス南部の後期新石器時代および青銅器時代の他の個体(Olalde et al., 2018、Seguin-Orlando et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Mittnik et al., 2019)で見られる割合半分に減少しています。YYの孫(個体HI)では、この祖先系統はさらに、青銅器時代のスペインおよびイタリアの個体群(Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2020、Saupe et al., 2021)で見られる水準の半分まで減少しています。
したがって、わずか2世代以内で、混合した草原地帯と新石器時代の遺伝子プールへの新石器時代祖先系統の組み込みは、紀元前2500年頃以後の他の個体で観察される水準にまで草原地帯祖先系統を減少させました。この祖先系統減少の速さと、ヨーロッパ西部における最初の草原地帯祖先系統拡大中の混合の低頻度は、新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統の混合がこれまで観察を免れていた理由を説明できるかもしれません。つまり、そうした混合はBRE445個体群で可能だったように、同時であれば明らかになるに違いない、というわけです。この埋葬は幸運な事例で、初期の草原地帯祖先系統の先駆者とみなすことができる、草原地帯祖先系統を有する1個体を含む配偶事象の断片です。個体YYは、そのヨーロッパ北部の遺伝的痕跡を考えると、おそらくライン川下流からフランスに到来しました。
この結果は、在来の新石器時代祖先系統を有する集団と移動してきた草原地帯祖先系統を有する集団との間の初期段階の混合過程の基本的要素、およびその集団の最も可能性の高い配偶行動を明らかにします。ブレヴィアンド遺跡の家族の断片で観察されたような2世代以内の草原地帯祖先系統の際立った希釈は、この事例と、それに対して草原地帯祖先系統の希釈がずっと遅かったか、ほぼ存在しなかった状況での配偶行動における差異を浮き彫りにします。ヨーロッパの東部と中央部のほとんどの後期新石器時代と青銅器時代の個体で見られる少なくとも70%を超えるような(Haak et al., 2015、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Furtwängler et al., 2020、Mittnik et al., 2019、Fernandes et al., 2020)、個体群が何世代にもわたってかなりの草原地帯祖先系統を維持するには、ほとんど類似の祖先系統の人々と配偶し、たまにしか新石器時代祖先系統を有する農耕民と配偶しなかったに違いありません。この配偶パターンは、捕獲されたゲノムデータのモデル化に基づく以前の人口統計学的推測と一致します。
●1回の小さな波と2回の大きな波だった草原地帯祖先系統と新石器時代祖先系統の混合
ハプロタイプに適用される混合年代測定手法であるfastGLOBETROTTERを用いて、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合は直線的ではなく、むしろ三峰性分布パターンに従っている、と推定されました(図5)。紀元前3300年頃に観察された最初ではあるものの小さな混合の波は、ドニエストル川とドニエプル川の間の草原森林地帯における草原地帯遊牧民と後期新石器時代個体群の遭遇から生じたかもしれません。これらの牧畜民は金石併用時代草原地帯集団とは遺伝的に異なっており、それは、ゲノムに少量のANF関連祖先系統を有していたからです。このANF関連祖先系統は、黒海地域西部の前期青銅器時代個体群と、墓が遠く西方ではカルパチア山脈で見つかっている草原地帯牧畜民との間の時々の混合により説明できます(Penske et al., 2023)。
この最初の混合事象は、限定的な範囲だったようです。その300年後となる紀元前2950年頃に、より大規模な混合の波が続き(図5)、ヨーロッパの中央部と北部の個体群で特定されました(Haak et al., 2015、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Lazaridis et al., 2022)。第2の混合の波は、第1の混合の波より多くの個体を含んでいたので、以後はこれが「最初の主要な混合の波」と呼ばれます。この主要な混合過程は、先行研究で観察された混合に相当します(Haak et al., 2015、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B、Allentoft et al., 2015)。相当する共同体は、一方が草原地帯関連で、もう一方がGAC関連だったに違いありません。GAC関連個体群の遺伝的遺産は、その後のCWC関連個体群への主要な寄与として特定されてきました(Allentoft et al., 2024A)。
草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間のこれらの最初の小さな混合の波と主要な混合の波は、性別の偏りがあったようで、それは、初期CWC個体群において、X染色体よりも常染色体の方で高い割合の草原地帯祖先系統が検出されているからです。これらの最初の混合の波の後は、相対的な静止期間が続き、この期間にCWC関連個体群は、類似したおもに草原地帯祖先系統の個体群と選好的に配偶し、多世代にわたって安定して70~80%の草原地帯祖先系統を有する個体群へとつながりました。このわずかに混合した人口集団は、ヨーロッパの北方と西方への移動を続け、たとえば、ポーランド南部(Linderholm et al., 2020)で説明されているように、時々在来の新石器時代祖先系統を有する農耕民と配偶しました。
ヨーロッパ西部では紀元前2600年頃に、BBC(紀元前2339~紀元前2139年頃)と関連し、40%程度の草原地帯祖先系統を有するサン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の「レ・ブレテル(Les Bretelles)」の個体SMGB54のゲノムにおける、新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統との間の混合の新たな波が検出されます(図5)。個体SMGB54のゲノムにおける草原地帯祖先系統の高い割合と長い祖先系統ハプロタイプの大きな塊は、SMGB54の約12世代前という近い過去の混合事象を示します。この事象はフランス北部で起き、そこでは、BRE445墓の被葬者で見られるように、北方草原地帯祖先系統を有する個体群が、草原地帯祖先系統を有さない南西部新石器時代祖先系統の保有者と混合しました。
したがって、SMGB54とブレヴィアンド墓地の男性個体FKの両方が、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合の主要な第2の波の証拠です。FKは交雑第1世代なので、そのハプロタイプの塊の長さはまだ組換えにより減少していないため、ハプロタイプの塊の規模分布から推測される混合年代に影響を及ぼしませんが、この新たな混合は交雑第1世代の状態から推測できます。この第2の混合の波によりもたらされた多量の草原地帯祖先系統は、個体SMGB54のように草原地帯祖先系統のさらなる侵食を示さない、ヨーロッパ西部のその後の青銅器時代個体群でも検出されます。この観察から、主要な第2の混合の波の後には、ほとんどの個体は草原地帯祖先系統の保有者に対するじゅうらいの配偶選好を再開した、と推測されます。
●混合過程の性別の偏り
ハプロタイプに基づく手法を用いて、紀元前2000年頃のヨーロッパの個体群におけるX染色体と常染色体での草原地帯祖先系統の程度の違いも検出されます。このパターンは、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合過程の二峰性の性別の偏りを明らかにします。一部の個体は、X染色体での新石器時代祖先系統の顕著な過剰を示します。BRE445の男性2個体は、X染色体で新石器時代祖先系統の大幅な過剰を有しており、それは、その母親のゲノムに草原地帯祖先系統がなかったからです。
イングランドの男性個体I12445(Olalde et al., 2018)も、X染色体で新石器時代祖先系統の高い過剰を示します。しかし、その母方のX染色体には草原地帯祖先系統の痕跡があり、その草原地帯祖先系統がゲノムの半分を占めることから、母方の常染色体がかなり寄与したに違いないものの、男性個体I12445は純粋な新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統を有する両親の間の交雑第1世代ではなかった、と示唆されます。このイングランドのBBC個体のX染色体における新石器時代祖先系統の過剰は、新石器時代祖先系統の女性との混合の数世代の歴史を明らかにします。X染色体での新石器時代祖先系統のそうした過剰は、ゲノムがこの分析に適しているフランス南部の3個体でも明らかです。フランス南部の個体群におけるX染色体での新石器時代祖先系統の過剰の高頻度は、混合のパターンにおける地域的な偏りを示唆しているかもしれません。しかし、混合パターンにおけるそうした地域的および時間的差異のより詳しい評価には、信頼性のある検出のためのより広範で高品質な全ゲノム配列決定が必要になるでしょう。
対照的に、多くの個体はX染色体で新石器時代祖先系統の過剰を示しませんでした。逆に、X染色体での草原地帯祖先系統の過剰占めた個体の割合はより高かったものの、この過剰はごく近い過去の母方の新石器時代祖先系統を有する個体群で見られるほど高くはありませんでした。X染色体での草原地帯祖先系統の最高の過剰は、パリ盆地の男性BBC個体であるSMGB54で見つかり、その母方のX染色体には80%以上の草原地帯祖先系統があります。分析された個体の20%(40個体のうち8個体)は、X染色体で80%の草原地帯祖先系統の過剰を示しました。X染色体での草原地帯祖先系統のそうした高い割合の維持から、多世代にわたって、女性はその父親から完全な新石器時代祖先系統を有するX染色体を受け取らなかった、と示唆されます。それは、そうした【女性がその父親から完全な新石器時代祖先系統を有するX染色体を受け取るような】状況ではX染色体に新石器時代祖先系統の大きな塊をもたらすことになるからです。
したがって、X染色体における祖先系統の二峰性パターンは、配偶の偏りから生じたようです。つまり、草原地帯祖先系統の男性が時に新石器時代祖先系統の女性と配偶したのに対して、草原地帯祖先系統の女性は新石器時代祖先系統の男性とさほど配偶しなかったからです。そうした混合のパターンは、ヨーロッパ西部において後期新石器時代から青銅器時代において検出された草原地帯祖先系統のYHgの広範な過剰や、男性24個体のうち22個体がYHg-R1b1a1だった、という本論文で分析されたデータセットでも裏づけられています(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018)。新石器時代祖先系統の女性との草原地帯祖先系統の男性の混合はさまざまな時点で起きましたが、混合時期で検出された二峰性パターンから、これらの混合事象は草原地帯祖先系統を有する個体群の西方への拡大の2段階においてより高頻度だった、と示唆されます。個体FKは、この主要な第2の性別の偏った混合の波が起きた時に検出された、最初の代表と考えることができます。
紀元前2600年頃のヨーロッパ西部における、新石器時代祖先系統の女性との混合のこの短いもののかなり一般的なパターンは、ライン川に到達したさいの、草原地帯祖先系統保有者の西方への拡大の様相もしくは周期的変動の変化を示唆しています。第1と第2波の間に、放浪する開拓者はその出自のCWC集団との接触を維持していたでしょう。これは、類似した草原地帯祖先系統を有する相手との配偶の充分な機会を提供した行動です。草原地帯祖先系統の女性の交換パターンが、BBCと青銅器時代においてドイツのレヒ川渓谷(Lech Valley)で検出されました(Mittnik et al., 2019)。したがって、このパターンは草原地帯祖先系統の集団と関連する一般的な傾向だったかもしれず、それは混合の第1の波の後の相対的な人口静止を説明できるかもしれません。
3回の混合の波は、その出身共同体との「配偶のつながり」を維持するには長すぎる距離を1世代で移動する、男性優位の開拓者集団の急速な拡大を示唆します。この過程は、新石器時代祖先系統の在来女性のより活発な加入と、同時に減少が観察されたブレヴィアンド遺跡個体群で見られたような、草原地帯祖先系統のより急速な希釈につながったでしょう。祖父であるYYはそうした開拓者を表している可能性が高く、フランスにおける草原地帯祖先系統の到来の最初の証人です。その後の草原地帯祖先系統の子孫に残った痕跡は、同様の事象が他の場所でも起きたことを明らかにします。新石器時代遺伝子プールにおける草原地帯祖先系統のこの希釈は考古学的データと一致し、初期段階のBBCによる在来の新石器時代文化の置換の証拠を提供しません。驚くべきことに、第2の主要な混合の波は、草原地帯祖先系統と関連して、BBCがヨーロッパ全域に拡大した時点で起きました。とくに、MBBの起源がイベリア半島の新石器時代祖先系統の新石器時代/銅器時代共同体にある、との提案を考えると、これら2回の混合事象は関連していた、と推測したくなります。以下、人口集団と関連する文化の融合について検証されます。
●草原地帯の人々と新石器時代共同体との遭遇およびCWCの出現
第1の小さな混合の波は、墓が遠く西方ではカルパチア盆地で見つかっている草原地帯から出現したヤムナヤ文化牧畜民と、さらに西方の新石器時代世界との間に位置するヨーロッパ東部の草原森林地帯で、紀元前3270年頃に置きくたに違いありません。この混合は、草原地帯の人々が西方へと移動し、バーデン文化が東方へと、GACがポーランド東部からドナウ川の三角州とドニエプル川地域にまで拡大した時に、起きたに違いありません。これらの共同体間の接触は、考古学的記録で特定可能な大規模な文化的変容につながらず、小さな開拓者集団によって起きたに違いありませんでした。
紀元前3000~紀元前2900年頃に起きた第1の主要な混合の波は大規模な事象で、紀元前三千年紀の変わり目にヨーロッパ東部に出現した、CWC/単葬墓文化という用語で統一された地域的に多様な物質文化の拡大を促進した可能性が高そうです。CWCと関連する最古級の放射性炭素年代測定された単葬墓は、紀元前2900年頃のドイツとデンマークで見つかりました。この第1の主要な混合の波は、10世代もしないうちにかなり急速に停止しCWC関連集団と他の新石器時代集団との間の相互作用の際立った減少でのみ説明できます。この仮説を裏づける、考古学的証拠があります。たとえば、オランダでは、CWC関連集団と既存の後期新石器時代のヴラールディンゲン(Vlaardingen)/シュタイン(Stein)文化関連集団(紀元前3400~紀元前2450年頃)との間の相互作用の欠如が記録されており、外来の物質は他のCWC共同体が居住していた地域にのみ由来します。紀元前三千年紀を通じて、CWC共同体が強く相互につながっており、個体の移動性が高かったことも認識されてきました。
●ヨーロッパ西部における北方から南方および南方から北方への壺と人々の移動
紀元前三千年紀の半ばに、フランスのプレッシニアン短剣がAOO/AOCの墓に現れ、外来の物質はヨーロッパ全域で長距離交易されました。これらの要素は、紀元前2600年頃と推測され、フランスの考古学的記録に見られる第2の主要な混合の波と一致します。紀元前2574~紀元前2452年頃となるシリー=サルソーニュ遺跡の個体CBV95の文化的帰属(とくに、AOCビーカーと大プレッシニー燧石製短剣)は、単葬墓のAOC/AOO複合体です。個体CBV95の文化的起源は、その高い割合の草原地帯祖先系統(約68%)と、ヨーロッパ中央部で確立した後期新石器時代および前期青銅器時代の単葬複合体と関連するヨーロッパ北部/中央部クラスタと関連づけられる新石器時代ゲノムの割合の両方に反映されています(Haak et al., 2015)。この個体は第1の主要な混合の波にさかのぼる混合事象の子孫かもしれませんが、そのゲノム網羅率は高解像度分析に充分なほど高くはありませんでした。
サン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の男性1個体(SMGB54)のゲノムは、約36%の草原地帯祖先系統により特徴づけられます。SMGB54はBBCの葬儀(左側にしゃがんだ位置の身体と、北東に向いた頭)に従って埋葬され、その頁岩製手首防具は射手か狩猟者および/もしくは戦士に属している可能性がありますが、象徴的でもあるかもしれません。手首防具はBBCの一部の墓でのみ見られる権威のある副葬品で、家庭の状況では稀です。手首防具の機能的役割は議論されていますが、より高位の社会的地位を示唆しているかもしれません。この文化的属性は、草原地帯祖先系統およびヨーロッパ南西部の人々とのゲノムのクラスタ化とともに、SMGB54を南方へ移動した北方のAOC開拓者と、北方へ移動したフランス南部もしくはイベリア半島の新石器時代/銅器時代のMBB使用者との間の祖先の1人における混合の証人とします。したがって、SMGB54は、BBCの初期段階において、大西洋沿岸で北方へ移動し、続いてロワール川沿いに内陸へと侵入し、ガティネ(Gâtinais)地方を横断してセーヌ川流域へと達した、北方への移動と、AOO/AOCの開拓者からの南方への移動の両方を反映しているかもしれません。
これまでフランス北部では、AOO/AOCビーカーおよびMBBで埋葬されたと判明した個体は全員、草原地帯祖先系統の保有者でしたが、これはフランス南部とライン川流域では当てはまりません。BBC期に分類されるイベリア半島からの影響を示すフランス南部の集団墓の副葬品は、以下のような草原地帯祖先系統の保有者ではない個体群と関連づけることができます。それは、(1)ラ・ヴィーニュ・ペルデュの地下洞窟(Grotte Basse de la Vigne Perdue)の2個体で、そのうち1個体(紀元前2574~紀元前2473年頃のGBVPL)は古典的なヴェラザ(Veraza)文化と同年代で、この時に最初のBBCの進入が起きたかもしれない一方で、もう一方の個体(紀元前2461~紀元前2299年頃となるGBVPK)は後期ピレネーBBCに属しており、草原地帯祖先系統を有しており、(2)ペイリエレス支石墓で他の個体とともに埋葬された(Seguin-Orlando et al., 2021)BBC期(Brunel et al., 2020)の1個体(紀元前2563~紀元前2308年頃となるPEI2)と、(3)アルザスのヘーゲンハイムのBBC被葬者で、初期BBC伝統からの混合海洋様式で装飾された容器が共伴する、紀元前2832~紀元前2476年頃の1個体(Olalde et al., 2018)です。これらの個体は、土器製作者もしくは射手などの移動する職人を通じての、ローヌ川・ソーヌ川流域のBBC拡大の証拠かもしれません。ローヌ川上流域では、紀元前2600/2500~紀元前2200年頃となる、新石器時代と青銅器時代の葬儀用土器様式間の不連続が記録されています。葬儀用記念碑と石碑彫刻の変化や、副葬品の個人かと変更は、これら相互接続された「慣行の共同体」における顕著な文化的変化を示唆しています。この変化は、遠方の原材料供給源(大プレッシニーの燧石鉱山など)から地元の原材料供給源への移行にも反映されているので、交換網の変容を示唆しています。
●フランスにおけるBBCの確立
フランスのBBC層準におけるゲノムの不均一性は、草原地帯祖先系統を有する人々による急激な人口置換なしでのBBCの社会文化的モデルの連続的同化の代表的断片と考えることができ、新石器時代祖先系統を有する人口集団が草原地帯祖先系統の保有者により置換されたように見えるブリテン諸島の状況(Olalde et al., 2018)とは対照的です。したがって、フランス南部における変容過程は、考古学的記録で観察されるように、さまざまな拒絶と文化変容を伴う、地域的に多様な傾向を統合したかもしれません。フランスにおけるこの新たなBBC観念形態の拡大は、特定の個体のみを含む、不均一な局所的および地域内の混合を伴っていたようです。その混合した子孫はブレヴィアンド遺跡個体群のように後期新石器時代共同体に吸収され、CWCおよびその後のBBCの伝統とは異なるさまざまな中期および後期新石器時代の埋葬習慣に従って集団墓に埋葬されたか、あるいはその混合した子孫は埋葬されなかったので、考古学および古ゲノム研究では見過ごされました。しかし、新たな観念形態を発展させたか採用した集団の他の混合した個体は、単葬墓に埋葬されました。発掘され、ゲノムが分析されたそうした個体群から、在来人口集団とのさらなる混合は一般的ではなく、以前の新石器時代文化の漸進的な消滅および新石器時代ゲノムの変容につながった、と明らかになりました。
この研究のゲノムデータを他地域の以前に刊行されたゲノムと統合した分析から、ヨーロッパ南西部の北方へと移動したMBBと集団墓の利用者、および南方へと移動したAOO/AOCビーカーを利用した草原地帯祖先系統の保有者が、フランス北部で遭遇した、と明らかになります。この遭遇が本論文で検出された第2の主要な混合の波につながった、と本論文は提案します。したがって、BBCは南西部銅器時代MBBと集団墓の利用者、および単葬墓埋葬儀式の北西部のAOO/AOC利用者のフランスにおける遭遇の文化的要素の統合として生じ、混合集団につながり、それは、CWCとBBCの両方が移民背景を有する個体群とより強い在来起源を有する人々の相互作用と混合を通じて生じた、との提案と一致する、と本論文は仮定します。BBCは既存の文化的構造に統合されましたが、それ以前の新石器時代伝統と関連するほとんどの集落は、これらの地域において単葬墓埋葬儀式の出現後数世代で存在しなくなりました。この観察から、在来起源の人口集団が、移民の生活様式の採用によって、移民の集落および経済的漢詩集と関連する要素をますます採用していった、と示唆されます。
紀元前2500年頃以後、「還流(Rückstrom)仮説」によって想定されているように、この混合集団の子孫はおそらく古代のアルプス西部の硬玉交易路を経由して南方へと移動し、フランス南部やイベリア半島で既存の新石器時代伝統と関連する個体群と配偶し、地中海の飛び地を形成したので、追加の何ライブ新石器時代祖先系統を混合した草原地帯・新石器時代祖先系統へと入れました。MBB利用者と在来の新石器時代集団との間の相互作用は、地中海南西部および南部地域の墓から報告されてきており、それにはAOO/AOCとMBB両方のビーカー様式が含まれ、局所的伝統は最新の新石器時代の在来生産とより関連しています。この過程は、現在でも存在するように、南北の草原地帯祖先系統の勾配の確立を説明するでしょう。
この祖先系統勾配の存続と、現在までヨーロッパ人のゲノムにおいて草原地帯祖先系統が維持されていることは、BBCの広範における草原地帯祖先系統を有する個体群のより高い繁殖率と、最終的には単に新石器時代祖先系統を有する農耕民を打ち負かしたことを裏づけます。ゲノムと文化的慣行の融合は、進化し続け、ヨーロッパ全域に急速に広がった「交雑」文化の出現につながったでしょう。この仮説の裏づけとして、フランス北西部におけるさまざまな鐘状ビーカーの装飾様式があり、それは交雑として解釈されてきており、イベリア半島とライン川の装飾伝統間の相互の影響を反映しています。したがって、統合したゲノム文化的要素の融合との仮説は、考古学的証拠のみに基づいた以前の提案と合致し、これを裏づけます。
結論として、後期新石器時代の埋葬に関するこの研究により、草原地帯祖先系統の人々が拡散し、在来の新石器時代祖先系統の集団もしくは個体群と混合するような、紀元前3300~紀元前2600年頃のヨーロッパにおける三峰性の混合過程の直接的で準同時の観察が可能となります。本論文のデータから得られた結果の一般化から、このゲノム変容は顕著な文化的変化の期間に起きた、と示唆されます。2回の主要な波を経た提案された混合過程は、最終的には新石器時代ゲノムの置換につながった青銅器時代に観察された顕著に異なる社会制度への移行(Mittnik et al., 2019)も説明するでしょう。したがって、この変容は関連する人口集団の文化と生物学の両方と関わっており、現在も依然として存在するヨーロッパの人口集団のゲノム構造の確立につながりました。
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●要約
紀元前三千年紀は、現在のヨーロッパ人のゲノムにおける祖先系統パターンを形成した、ポントス・カスピ海草原からの移動と関連する、ヨーロッパにおける顕著な文化とゲノムの変容の重要な期間でした。本論文は、フランスのパリ盆地における、紀元前2500年頃の集団埋葬の7個体と紀元前2300年頃の鐘状ビーカー文化の1個体のハプロタイプ位相化を含めて、高解像度の全ゲノム分析を実行しました。この集団埋葬は、フランスにおける草原地帯祖先系統の同時の到来を明らかにしました。本論文は、親族のゲノムを通じて、標本抽出されていない1個体のゲノムを再構築し、これにより、後期新石器時代ヨーロッパにおける、初期段階の混合パターンと動態と草原地帯祖先系統の拡散に光を当てることが可能になりました。本論文は、紀元前3000/2900年頃と紀元前2600年頃における2回の主要な新石器時代/草原地帯関連祖先系統の混合の波を特定しました。これらの波は、縄目文土器および鐘状ビーカー文化複合体との顕著なつながりを有する、さまざまな人口拡大の動態を示唆しています。
●研究史
過去の人口移動とそれに続く移動してきた人口集団と在来の人口集団との間の混合は、子孫のゲノムに痕跡を残す、と示されてきました(Fu et al., 2015、Fu et al., 2016)。完新世ヨーロッパでは2回の主要な人口変容が起き、両者ともに顕著な文化的移行および子孫人口集団のゲノム組成変化を含んでいまする最初の変容はヨーロッパへの新石器時代文化の導入と関連しており、狩猟および採集から農耕民および畜産への根本的な生活様式の変化につながりました。この過程はヨーロッパ南東部において紀元前6500年頃に始まり、他地域での農耕拡大には約2000年間を要しました。それに伴うゲノムの変容は、アナトリア半島西部および/もしくはエーゲ海の人口集団の子孫である移住してきた新石器時代農耕民と中石器時代狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)との間の混合の結果でした(Haak et al., 2015、Lazaridis et al., 2016、Lipson et al., 2017、Mathieson et al., 2018、Brunel et al., 2020、Rivollat et al., 2020)。
ヨーロッパにおける第二の変容は、約600年と比較的短い期間での、ヨーロッパ後期新石器時代社会における顕著な社会的および経済的変化と関連していました。この社会的変容は、まずCWC、その後でBBC、最終的には青銅器時代の状況において埋葬からのゲノム証拠により証明されているように(Haak et al., 2015、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021)、ポントス・カスピ海草原牧畜民の西方への移動、および在来の後期新石器時代人口集団との混合と関連していました。しかし、人口変容の詳細な過程は、ヨーロッパのどこでもまだ充分には解明されていません。本論文は以下の段落で、ヨーロッパにおける紀元前三千年紀の変容過程と関わる社会の主要な特徴を浮き彫りにし、まずは考古学、次に古ゲノムの観点からヨーロッパ西部に焦点を当てます。
紀元前四千年紀末に、ヨーロッパの中期新石器時代文化は多様化し、さまざまな葬儀慣行のある文化の寄せ集めへと地域化し、最も著名なもののみを挙げると、西部ではフランス後期新石器時代(Néolithique récent)のさまざまな表現、北部では紀元前4300~紀元前2800年頃となる漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRBもしくはFBC)、中央部~東部では紀元前3600~紀元前2900年頃となるハンガリーのバーデン(Baden)文化や紀元前3200~紀元前2600年頃となる球状アンフォラ(両取って付き壺)文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)、南東部では銅器時代の紀元前4500~紀元前4000年頃となるグメルニタ・コヅァダーメン・カラノヴォ(Gumelnița–Kodžadermen-Karanovo)複合体や紀元前5500~紀元前2750年頃となる金石併用時代のククテニ・トリピリャ(Cucuteni-Trypillia)複合体です。
紀元前四千年紀末以降、ヨーロッパの中央部と東部における地域間の移動性の顕著な増加の証拠があり、「地域横断的」共同体が形成されました。犂や車輪や荷馬車を用いての動物の牽引など新たな文化的要素が、ヨーロッパの東部と中央部で広がっていきました。しかし、ヨーロッパの北部と西部では、集団間の競争激化にも関わらず、この期間は文化的に安定していたようです。葬儀の証拠は、巨石建築であることが多い記念碑における、副葬品(土器や斧や装飾品)を伴うさまざまな数の死体の連続的堆積を伴う集団墓により占められています。紀元前3600~紀元前2900年頃の間のパリ盆地では、回廊墓と地下室が建設され、その一部は後期新石器時代まで使用されていました。
この状況は、顕著な変容が次の世紀にヨーロッパの大半に影響を及ぼした、千年紀の転換期に変わりました。この変容の始まりは、GACと関連するヨーロッパ中央部および東部の遺跡(紀元前3400~紀元前2800年頃)で記録されています。紀元前3100~紀元前2450年頃の帰還の新石器時代ヨーロッパにおける3回の連続した広範な文化的拡大の豊富な考古学的証拠があり、それは、(1)農耕牧畜経済と単一の性別(ジェンダー)固有の土坑墓や古墳(クルガン/ヤムナ)と冶金と装飾された容器と戦斧を伴う、カルパチア山脈とウラル山脈との間のポントス・カスピ海草原からの遊牧文化と、(2)これら草原地帯の文化の構成要素を取り入れたヨーロッパ中央部および北部におけるCWCと、(3)BBCです。
CWCの出現および拡大と関連している変容過程の根源は、ヨーロッパ東部草原地帯にあります。紀元前五千年紀後半には、草原地帯共同体の範囲は草原森林地帯へと広がり、西方では紀元前四千年紀の始まりにはククテニ・トリピリャ共同体と、東方ではコーカサス北部のマイコープ(Maykop)文化共同体(紀元前3700~紀元前3000年頃)とつながりました(Immel et al., 2020)。紀元前四千年紀末には、ドニエストル・ドニエプル(Dniester-Dnieper)地域に始まり、この草原地帯由来の文化複合はヨーロッパの東部および中央部(現在のポーランドとハンガリーとボヘミアとドイツ)へと拡大しました。単一墓埋葬慣行はヨーロッパの東部と中央部におけるヤムナヤ(Yamnaya)文化、およびGACやバーデンやククテニ・トリピリャ文化などカルパチア山脈周辺の紀元前四千年紀金石併用時代伝統など、共同体間の遭遇を通じてもたらされました。さらに新たな土器様式がポーランド南部および南東部(Lesser Poland)とドニエストル川流域に出現し、ヤムナヤ文化とGAC両方の要素のある縄目文土器です。その後、CWCは断片的にさらに北方へと拡大して紀元前29世紀にバルト海に到達し、それは紀元前24世紀まで続き、最終的にはロシア西部からオランダ、スイスからノルウェーまでの地域を網羅しました。
CWCは文化的特色における強い地域的違いにより特徴づけられますが、おもに、排他的ではないものの、性別(ジェンダー)固有の埋葬位置の単葬墳における、縄目装飾土器のビーカーや特別な石斧や指揮棒頭(戦斧)共有要素があります。CWCには多くの「慣行の共同体」が含まれ、他の文化集団と共存していました。単葬墳および短剣や戦斧など武器と考えられている副葬品の関連は、社会階層化や個人の富と地位の拡大や制度化された戦士身分や男性優先の顕著な性別(ジェンダー)役割、したがって草原地帯の人々に影響受けた観念形態(イデオロギー)の出現の兆候と解釈されてきました。紀元前2600年頃に、全体的な装飾(All-Over-Ornamented、略してAOO)およびその下位群である全体的な縄目文(All-Over-Corded、略してAOC)ビーカー、つまりCWビーカーの特定の種類がライン川とマース川の三角州の単葬墳に出現し、パリ盆地起源のプレッシニアン(Pressignian)燧石製短剣と関連していることが多くなっています。フランスの北部と西中部では、AOC/AOOビーカーのある個々の墓が、既存の新石器時代の燧石交換網に沿っての急速な北方から南方への「飛び越え」を裏づけています。紀元前2857~紀元前2488年頃のブリニクール(Blignicourt)および紀元前2574~紀元前2452年頃のシリー=サルソーニュ(Ciry-Salsogne、La Bouche à Vesle)のAOC埋葬は、ヨーロッパの北部と西部南方をつなぐ、ヨーロッパ西部における広範な交換網を示唆する、AOC土器と大プレッシニー(Grand Pressigny)燧石製小刀を含む、フランス北部および東部全域の小さな一連の埋葬に属します。
第三の現象であるBBCは、地域固有の年代順で紀元前三千年紀後半を網羅し、時空間的にはCWCおよびヨーロッパ西部のAOO/AOC複合体と重複しています。その初期段階では、BBCは墓もしくは埋葬慣行の典型的形態により特徴づけられていませんでした。むしろ、BBCの人工遺物は既存の埋葬状況で発見され、大西洋沿岸からヨーロッパ東部中央および地中海南部にかけての広範な地域全体で島嶼部に集中して散在していました。その後、この現象は一貫した考古学的文化へと発展し、単葬が優勢でした。この最終的に汎ヨーロッパ的となった現象の収容な文化的表現は、その識別の唯一の信頼できる特徴である特徴的な鐘状土器ビーカーにより特徴づけられ、時空間的に類似性を共有しています。しかし、ビーカーの装飾様式の分類については合意がなく、その分類と解釈の不一致につながっています。
鐘状ビーカーやしばしば短剣や弓用が備わっている墓は、モロッコからスコットランド、シチリア島からノルウェー北部、デンマークからハンガリーまで、ヨーロッパの西部および中央部の全域で発見されました。鐘状ビーカーの資料は、金属製品と関連してイベリア半島およびヨーロッパ北部において要塞化された集落や、フランスとイタリアの巨石墓と洞窟や、ブリテン諸島において性別(ジェンダー)の違いの有無に関わらず単葬墓や、CWCと重複するヨーロッパ中央部でも発見されました。BBCの起源は依然として議論されていますが、その拡大が文化変容もしくは人口拡散に起因するのかどうか理解したいならば、本論文で扱われるこの問題を検討することが重要です。放射性炭素年代測定は、広い較正範囲をもたらす紀元前三千年紀の放射性炭素の平坦域のため、年代を解決できませんでした。
それにも関わらず、オランダ起源よりもイベリア半島起源を示すより多くの考古学的証拠があり、海洋鐘状ビーカー(Maritime Bell Beakers、略してMBB)がBBC系列の開始を示す、という合意があります。これらのMBBは大西洋沿岸のタホ(Tagus estuary)川の河口に沿って急速に拡大してライン川を下り、同様に地中海沿岸に沿って急速に拡大してローヌ川・ソーヌ川流域に至り、ライン川上流はヨーロッパ中央部において既知の最大のMBB収集物のある地域です。初期の鐘状ビーカーの慣行は、ヨーロッパの諸大河沿いに飛び地から拡大し、その後でヨーロッパの広範な鐘状ビーカー文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】へと発展し、ヨーロッパの南西部と南部と北部と東部で地理的に異なる4ビーカー集団が存在しました。
自然環境の境界でCWC地帯の西端であるライン川は、ライン川下流のAOO/AOCビーカー関連慣行とライン川上流のMBB関連慣行が遭遇し、融合して、高い移動率で東方へとさらに拡大した、接触地帯を形成したようです。ヨーロッパ中央部では、BBCは直ちにCWCを置換しなかったものの、領域の区分を通じて共存しました。BBCは最終的に遠くポーランドまでCWCを置換しましたが、牧畜から農耕経済への移行を引き起こしながら、その葬儀慣行を吸収しました。
これらヨーロッパ全域の紀元前三千年紀の文化的変容は、人口変化を伴っていたようです。古ゲノム解析は短期間での大きなゲノム変化を明らかにしており、現在のロシアのサマラ(Samara)草原地帯からヨーロッパ北西部への人々の移動を示唆し、そのゲノムは草原地帯金石併用時代の混合としてモデル化できます。つまり、ザグロス・コーカサスおよびヨーロッパ東部狩猟採集民(Wang et al., 2019)と、新石器時代初期アナトリア半島農耕民祖先系統で構成されるコーカサス金石併用時代マイコープ祖先系統(Penske et al., 2023)です。バルカン半島とポントス草原地帯北部との間の長期にわたる文化的相互作用は考古学的記録から知られており、物質文化の交換と混合を含んでいました。それは、アナトリア半島新石器時代農耕民(Anatolian Neolithic Farmer、略してANF)および草原地帯祖先系統が紀元前四千年紀のククテニ・トリピリャ農耕共同体で特定されてきたからです(Immel et al., 2020)。
西方へと移動する草原地帯の人々と、GACなどヨーロッパ東部におけるさまざまな文化的な後期新石器時代の慣行と関連する新石器時代祖先系統(つまり、アナトリア半島北西部起源の新石器時代農耕民とヨーロッパ西部中石器時代HGの祖先系統なので、「新石器時代祖先系統」と呼ばれます)を有する在来の個体群との間で、混合が継続しました(Haak et al., 2015、Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Penske et al., 2023、Brace et al., 2019、Linderholm et al., 2020、Seguin-Orlando et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B)。混合を伴うこの移動は、CWC関連人口集団におけるポントス・カスピ海草原地帯関連祖先系統(以下では「草原地帯祖先系統」と呼ばれます)の東西の勾配につながり、草原地帯祖先系統の割合はさまざまです。
ヨーロッパ中央部および西部全域での草原地帯祖先系統の拡散と同時に、Y染色体ハプログループ(YHg)では、R1b1a1b(M269)系統の急速な拡大が検出され、これはサマラのヤムナヤ文化個体で見つかった系統、つまりYHg-R1b1a1b1b(Z2103)と類似しています(Haak et al., 2015、Wang et al., 2019、Linderholm et al., 2020)。CWC期においてヨーロッパ北部および東部へと拡大した主要なYHgはR1a1a1(M417)とその派生系統のR1a1a1b(Z465)です(Mathieson et al., 2018)。したがって、紀元前三千年紀の期間におけるY染色体系統は、さまざまな草原地帯人口集団を含む複雑な草原地帯祖先系統の拡散パターンと、紀元前四千年紀にはすでに始まっていたヨーロッパ中央部における複雑な人口動態の両方を示唆しています。
この複雑さは紀元前2400~紀元前2000年頃の間となるその後のBBC拡大期のボヘミアでも観察され、ボヘミアではYHg-R1b1a1b1a1a(L151)の別の派生系統であるR1b1a1b1a1a2(P312)が草原地帯祖先系統の割合の漸進的な現象と並行して優勢になりました(Papac et al., 2021)。YHg-R1b1a1b1a1aの地理的分布に基づいて先行研究(Papac et al., 2021では、YHg-R1b1a1b1a1a2系統はライン川下流域周辺に起源があり、BBCと関連して拡大したので、ボヘミアへのBBCの拡大はユーラシア西方草原地帯祖先系統集団からの東方への移動と同時だった、と示唆されました。これらのY染色体系統の置換の波は、移動が文化的変化と関連する集団における男性優位パターンの変化を示唆しています。
ヨーロッパ西部における草原地帯祖先系統の拡大はあまり正確に記録されておらず、それは、遺伝学的に分析された古代の個体群の時空間的分布が断片的で一様ではないからです。データセットがより高密度のため、現在のスイスにおける草原地帯祖先系統の到来時期は紀元前2700年頃(紀元前2860~紀元前2460年頃の間)と推定されており、到来とともに60%程度と急速に増加し、その後の1000年間で25~35%に減少しました(Furtwängler et al., 2020)。標本抽出に偏りがなかったと仮定すると、草原地帯祖先系統はドイツ北部よりもスイスにわずかに早く到来したようで(Haak et al., 2015、Mathieson et al., 2015)、ドイツでの検出はスイスの約100年後です(Furtwängler et al., 2020)。しかし、スイスの全個体が草原地帯祖先系統を有していたわけではなく、到来の1000年後でさえ、対応する痕跡のない個体が依然として存在しました。このパターンは、草原地帯祖先系統の保有者と新石器時代祖先系統の在来の農耕民との間の限定的な混合を示唆しています。
イベリア半島では、草原地帯祖先系統はその後に到来し、スペイン北部では紀元前2400年頃(Olalde et al., 2019)、スペイン南部では紀元前2200年頃(Villalba-Mouco et al., 2021)に検出されました。イベリア半島では、草原地帯祖先系統の有無に関わらずBBC関連個体群が数百年間ともに暮らしていたものの、最終的には草原地帯祖先系統がすべてのゲノムに浸透しました(Olalde et al., 2018、Olalde et al., 2019、Villalba-Mouco et al., 2021)。草原地帯祖先系統はブリテン諸島に紀元前2450年頃と同様の期間に到来し、この到来はBBCの拡大およびYHg-R1b1a1b1a1a2から派生したR1b1a1b1a1a2c1(L21)の導入と関連しています(Patterson et al., 2022)。
最初の観察以来、ヨーロッパでの草原地帯祖先系統拡散における男性への偏りが議論となってきました(Goldberg et al., 2017)。検出された性別偏りの感受性と特異性は、用いられた手法とX染色体データの品質および豊富さの両方に依存し、特定の差異が捕獲配列の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)密度およびショットガンゲノムの網羅率と関連づけられました。先行研究(Papac et al., 2021)は、ボヘミアにおける初期CW社会への先CWの人々の女性に偏った同化過程を報告していますが、ドイツのCWC個体群では、男性への性別の偏りが紀元前2600年頃の2個体で検出されたものの、その後の青銅器時代個体群では検出されませんでした(Mittnik et al., 2019)。性別の偏りはスイスでも観察され、紀元前2700~紀元前2000年頃の間の新石器時代祖先系統の増加は女性により起きました(Furtwängler et al., 2020)。エストニアでは、紀元前2800~紀元前2000年頃のCWC期において、草原地帯祖先系統の拡散は男性に偏っていたものの、YHg-R1a1a1b(Z645)を有するヤムナヤ文化個体群とは異なる人口集団が関わっていました。
文化的変容と結びつけてヨーロッパ西部における草原地帯祖先系統の拡大をより深く理解するためには、フランスにおけるこの現象の明確な視野が必要です。フランスは、ヨーロッパの東部と中央部と極西(ブリテン諸島)の間だけではなく、ヨーロッパの北西部と南西部(イベリア半島)との間の、したがってCWC地帯とBBCの拡大が展開した地域との間の重要な地理的位置を表しています。しかし、フランスにおけるゲノム景観の紀元前三千年紀の変容は、大まかにしか概略されてきませんでした。フランスの南北両方における鐘状ビーカーと青銅器時代状況のほぼ十数個体のゲノムは、約50%(38~68%)かなりの草原地帯祖先系統関連のゲノム割合と、草原地帯関連のYHg-R1b1a1bを有しており、より高い解像度で遺伝子型決定されたほとんどの個体はYHg-R1b1a1b1a1a2に属する男性により特徴づけられています(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018、Seguin-Orlando et al., 2021)。
上述のAOC埋葬の個体CBV95は、フランス北部のシリー=サルソーニュ(La Bouche à Vesle)で発見され、紀元前2574~紀元前2452年頃の単葬で、かなりのゲノム割合の草原地帯祖先系統とYHg-R1b1a1bの両方を有していましたが、紀元前2562~紀元前2308年頃のBBC集団墓の個体PEI2は、フランス南部のオード(Aude)県のヴィルデュベール(Villedubert)のペイリエレス支石墓(Dolmen des Peirières)で発見され、アルザスのヘーゲンハイム(Hégenheim)で発見された紀元前2832~紀元前2476年頃の個体I1392(Olalde et al., 2018)と類似した実質的な草原地帯祖先系統を有していませんでした(Brunel et al., 2020)。この不均一な状況はイベリア半島でも見られ、イベリア半島では、ごく一部のBBC関連被葬者が草原地帯祖先系統を有しており、草原地帯関連祖先系統を有していない個体群が少なくとも紀元前1950年頃まで存在していました(Olalde et al., 2018、Villalba-Mouco et al., 2021)。
これらさまざまな一連の証拠から、相互に対峙した多様な遺伝的起源を有しており、地域的に異なる結果の生じた、紀元前三千年紀のヨーロッパ社会の全体像が浮かび上がります。CWCは、おもにGACと関連するヨーロッパ中央部における新石器時代人口集団と、ヨーロッパ東部から移動してきたさまざまな草原地帯の人々との間の遭遇後に出現したようです(Papac et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B)。対照的に、BBCが新石器時代祖先系統を有する在来の人々と、草原地帯祖先系統を有する移民との間の遭遇から生じたのかどうか、あるいは、草原地帯祖先系統の到来前に発展したのかどうか、明確ではありません。初期イベリア半島MBB関連個体のほとんどは、先行する新石器時代人口集団の混合していない子孫である、と分かりました(Olalde et al., 2018)。ヨーロッパの南西部/西部からポーランドなど北部および東部へのMBBの拡散には、新石器時代祖先系統とYHg-R1b1a1bおよびその派生系統のYHg-R1b1a1b1a1a2の草原地帯祖先系統の両方の保有者が明らかに含まれていました。これらの過程と関わる考古学的に文脈化された個体の遺伝的データが、とくにフランス北部などゲノムデータの不足している地域において、この限界を補い、情報の間隙を埋めるのに必要です。
この目的のため、本論文はフランス北部のパリ盆地の紀元前2500年頃となる後期新石器時代の1ヶ所の集団埋葬遺跡であるブレヴィアンド・レス・ポアント(Bréviandes les Pointes)の、7個体の古ゲノム研究を提示します。これらの個体について全ゲノム配列が生成され、それにはミトコンドリアゲノムとY染色体配列が含まれ、放射性炭素年代とストロンチウム同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)データも含まれます。本論文は、草原地帯祖先系統のフランス北部の新石器時代遺伝子プールへの到来の「同時」観察を報告します。本論文はさらに、さまざまな祖先構成要素の起源をモデル化し、混合動態やヨーロッパ西部の紀元前四千年紀末から紀元前三千年紀前半、つまりBBCと一致する石器時代と金属器時代との間の文化的移行期の始まりにかけての草原地帯祖先系統の起源と方向性と時期と機序に光を当てます。本論文は人口集団と個体群の移動を考古学的証拠と相関させ、CWCとBBCの進化に関する問題に取り組みます。本論文は最後に、BBC埋葬が稀なパリ盆地中央部のイル=ド=フランス地域圏の正確なBBC被葬者1個体の最初のゲノム解析を表す、紀元前2300年頃となるサン・マルタン・ラ・ガレンヌ(Saint-Martin-la-Garenne)遺跡のBBC被葬者1個体を分析します。これらの分析の結果、CWCおよびBBCと関連する混合過程の重要な特徴が明らかになります。
●後期新石器時代の埋葬の考古学的背景
パリ盆地南部のトロワ(Troyes)近くの「ブレヴィアンド・レス・ポアント」・エト・レス・グレヴォッテス(“Bréviandes les Pointes” et les Grèvottes)遺跡(以下、ブレヴィアンド遺跡)は、前期新石器時代(紀元前5200年頃)から末期青銅器時代(紀元前1200年頃)まで埋葬地として繰り返し利用されました。殆ど若しくは全く関連する人工遺物のないいくつかの同時代ではない墓は、文化的帰属が木またげられ、放射性炭素年代測定で新石器時代後期とされました。BRE445と命名された円形に近い穴状遺構の7個体の集団埋葬(図1A)からは、遠景の骨製ビーズとイヌの足以外には発見がありませんでした。診断可能な人工遺物を欠いているこの埋葬様式は、イル=ド=フランス地域圏とシャンパーニュ県のこの期間に典型的でした。以下は本論文の図1です。
BRE445の個体(以下、A・B・C・D・E・FK・HIと略されます)はよく保存されており、断片化されていません。この埋葬は、成人女性3個体と成人男性1個体と幼児2個体と新生児1個体から構成されます。人類学的分析から、女性3個体の年齢について、Aは20~39歳、Bは20~30歳、Eは約60歳と推定されましたが、成人男性1個体は死亡時に20~30歳と推定されました。子供2個体の死亡時年齢は、HIが4~8歳、Cが6~10歳と推定されました。直接的な放射性炭素年代の結果、個体Bは紀元前2580~紀元前2275年頃(98.9%)、個体FKは紀元前2580~紀元前2284年頃(99.6%)、個体Eは紀元前2706~紀元前2287年頃(96.9%)の範囲で、後期新石器時代後半の埋葬に相当します。
埋葬BRE445と同時代の追加の埋葬1ヶ所の発掘がありますが、その骨格は頭骨が欠けており、古代DNAの保存状態は悪く、完全な分析が妨げられました。その近隣の墓の年代は、BRE445より古いものでした。病理の骨学的兆候は、一般的な圧力と老化以外には見つかりませんでした。骨の形態における差異から、個体FKは他の個体と区別され、個体Eと個体HIとの間の生物学的近縁性が示唆されます。暴力の兆候は確認されませんでした。埋葬の時系列は、層序学的データから部分的に判断できました。骨格の空間配置から、より古い埋葬の一部の骨は新たな死体のその後の埋葬により攪乱されたものの、意図的な空間転置の証拠はなかった、と示されます。考古学と人類学の分析から、これは家族の埋葬である可能性が最も高い、と示唆されました。
●ブレヴィアンド遺跡の集団埋葬の個体の遺伝的および同位体の特徴づけ
埋葬BRE445をより深く理解するため、各個体の錐体骨から非標的ショットガン配列決定により全ゲノムが生成され、網羅率は0.75~4.6倍(中央値は1倍)でした。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)から、被葬者の生物学的関係の最初の一瞥が得られました(図1B)。共有されたミトコンドリアハプロタイプから、個体FK・HI・Dはそれぞれ、女性個体E・A・Bと親族関係にある、と示唆されます。個体FKとHIのYHgは同じR1b1a1b1a1aで、その死亡時年齢を考えると、両者は父親と息子かもしれません。個体Cのみが埋葬された他のどの個体ともミトコンドリアハプロタイプを共有していません。これらの結論は、系図の再構築を可能とするNgsRelateとREADでの以下の全ゲノム解析に従ってさらに確証されました。
この埋葬は3世代からなる生物学的な1家族で構成されており、2番目の母親とその生物学的子供、および核家族の個体と遺伝的に親族関係になかった子供1個体です。hapROH(Ringbauer et al., 2021)を用いてのゲノムの同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)分析から、近親交配の個体はいなかった、と示されました。遺伝学と人類学と考古学の結果の組み合わせも、被葬者の最も可能性の高い時系列の再構築を可能としました。成人男性個体FKとその息子のHIがまず、中間の時間点の埋葬の半ばでFKの母親とHIの祖母が、最後にHIの母親が埋葬されたので、埋葬構造内に埋められた遺伝的に親族関係にない個体はここで埋葬された社会的共同体の一部だったに違いない、と推測できます。
この集団の個体群をさらに特徴づけ、個体の移動可能性を明らかにするため、成人個体および【非ヒト】動物遺骸の歯と骨の両方で安定同位体分析(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比)が実行されました。この分析の背後にある理論的根拠は、歯の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比は子供期の初期に水と食料由来のSr同位体の歯の形成への取り込みを示している一方で、骨のSr同位体は死亡前10年間と20年間のSrの取り込みに対応している、というものです。これらの個体から得られたSr値は、地元の痕跡を表す同時代の【非ヒト】動物遺骸と同等でした。個体EとBのみが歯と骨で異なる⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比値を有しており、これら2個体の生涯の移動性と、他の個体はそうではなかったことを示唆しています。個々の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比値と現在のフランス人のSr同位体景観図との比較から、個体EとBはパリ盆地もしくはフランスの北東部あるいは南東部を含めてそれ以外の同様の地質地域といった他の場所での子供期に続いてブレヴィアンド移動した、と示唆されます。
●BRE445埋葬の個体群のゲノム組成と欠落している祖父のハプロタイプ再構築
ブレヴィアンド遺跡個体群の潜在的な遺伝的起源へのより深い洞察を得るため、補完された古代人116個体のゲノムのデータセットでChromoPainter分析が実行されました。これに、上述の特定されたブレヴィアンド遺跡445の集団墓の各「生物学的家族」から代表1個体を追加し、親族関係にある個体群での過度なハプロタイプ共有によって起きる偏りと人為的な下部クラスタ化(まとまり)を避けるため、全ての他の親族関係にある個体が除外されました。したがって、以下の分析を通じて、親族関係にある個体群は、全ての他の親族関係にない個体とともに互いに独立して分析されることになるでしょう。対応する結果は、補足資料で示されるか、結果を誤って示さず可能な限り、単一の代表内で組み合わされます。
このデータセットで、ハプロタイプ共祖先系統行列が生成され、そこで主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とfineSTRUCTUREが実行されました(よく行なわれるように、ハプロタイプ位相化情報を無視し、現代人のゲノムにより定義されるPCAに古代人のゲノムを投影するわけではありません)。PCAでの次元削減とfineSTRUCTUREでの樹状図分析により、このデータセット内のさまざまな遺伝的クラスタおよび構造が特定され、視覚化されます。最初の2主成分(PC)は3祖先人口集団を区別し、つまり、北西部ANF、ヨーロッパ西部狩猟採集民(Western hunter-gatherers、略してWHG)、ポントス草原地帯のヤムナヤ文化と関連する個体群により表される草原地帯祖先系統を有する個体群です(図2A)。PC1はANFをHG/草原地帯祖先系統から分離し、PC2はWHGを草原地帯祖先系統から分離します。新石器時代から青銅器時代の状況のヨーロッパの個体群は、ブレヴィアンド遺跡個体群を含めて、その祖先系統の割合を反映するように3祖先系統の極間に位置します(図2A)。草原地帯祖先系統を有さない新石器時代祖先系統の個体群は、ANFとWHGのクラスタ間に描かれる線上に分布します。
後期新石器時代およびヤムナヤ文化関連個体群のゲノムにおける草原地帯祖先系統の割合はSOURCEFINDを用いて推定され、PCAでは草原地帯祖先系統の保有者を増加する草原地帯祖先系統の線に沿って位置づけます(図2A・Bでは、a~dの4クラスタに分類された個体群が比較されます)。ブレヴィアンド遺跡の女性5個体はクラスタ「a」では、フランスの新石器時代およびスペインの銅器時代個体群のゲノムとクラスタ化し、草原地帯祖先系統は存在しません(図2A・B)。対照的に、親族関係にある男性2個体(HIとFK)はそれぞれ、クラスタ「b」と「c」内に位置し、それは草原地帯祖先系統の割合が異なるためで、息子であるHIの草原地帯祖先系統はその父親であるFKの半分で、HIの母親Aに草原地帯祖先系統が見つからないことと一致します(図2A・B)。この調査結果から、FKとHIはフランス北部の新石器時代状況における草原地帯祖先系統の初期の到来を表している、と明らかになります。以下は本論文の図2です。
FKで見られる草原地帯祖先系統の割合は約35%なので、この割合はその父親ではさらに2倍になるはずだ、と予測されました。それは、FKの母親である個体Eには、この草原地帯祖先系統がないからです(図2A・B)。FKにおけるこの高い割合の草原地帯祖先系統から、FKの父親(図1Dの系図分析で表されています)は約70%と高い割合の草原地帯祖先系統を有していただろう、と示唆されます。これは、現時点で検出されたフランスにおける草原地帯祖先系統の最古級の到来となり、FKとEの位相化された遺伝子型を用いて、FKの標本抽出されていない父親再位相化遺伝子型の構築が促進され、ここではその父親はYYと呼ばれます。FKにつながった配偶子(精子)であるYYの半数体ゲノム1点しか推測できなかったので、FKとEの位相化された遺伝子型がYYによりFKにもたらされたアレル(対立遺伝子)の明確な推論を可能とする部位のみを用いて、YYはすべての部位で疑似二倍体同型接合方としてモデル化されました。この個体の到来と関連する年代は、人類学的分析から推測された、死亡時に20~30歳だったその息子であるFKの放射性炭素年代から推測されました。再構築された個体YYの疑似二倍体ゲノムはPCAではクラスタ「d」で、類似の年代と同様に高い割合の草原地帯祖先系統を示す他の個体、とくにフランス北東部のシリー=サルソーニュのAOCの1個体CBV95(Brunel et al., 2020)、オランダの最古級のBBC関連個体群のうち1個体、ブレヴィアンド遺跡個体群とほぼ同年代の1個体I5748(Olalde et al., 2018)とともに見られます。この再構築されたYYのゲノムは、ヨーロッパ西部におけるこの祖先系統の到来の動態の分析能力を高めます。
●フランス北部の鐘状ビーカー関連個体の新たなゲノムにおける草原地帯祖先系統
個体FKにおける草原地帯祖先系統の特定とフランス北部の同時代のショットガンゲノムの少なさから、草原地帯祖先系統とつながっている文化的状況であるBBCと関連している、近い地域と期間の1個体の別のゲノムの追加による、本論文の分析の解像度の改善が促進されました。紀元前2410~紀元前2129年頃(97.8%)となり、BBC様式の頁岩製手首防具を含めてBBC葬儀で埋葬された30~49歳の男性を表している、イル=ド=フランス地域圏のパリの西側のイヴリーヌ(Yvelines)県に位置するサン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の1個体(SMGB54)のゲノムが生成されました。この個体も、35~36%の草原地帯祖先系統の保有者で(図2Aの青い菱形および図2B)、FK個体と類似しているので、さらなる分析に含められました。個体SMGB54はFKやフランスの他のBBCおよび青銅器時代個体、および青銅器時代のハンガリーとクロアチアの個体群とともに、クラスタ「c」で見られます。
●後期新石器時代個体のゲノム時空間的な高解像度分析
本論文のfineSTRUCTURE分析は、PC1とPC2の図師で見られるような個体間の関係を明らかにしますが、地理的起源に関してさらにクラスタを定義します(図2C)。fineSTRUCTURE樹状図はまず、草原地帯もしくはHG祖先系統を高い割合で有する個体群を、ANF祖先系統を高い割合で有する個体群から分離します(図2Cの枝1および2)。樹状図の第1群内では、次の分岐は草原地帯とHGの祖先系統を分離し(それぞれ枝11と枝12)、次に、草原地帯祖先系統群では、高い割合の草原地帯祖先系統を有するBBCとCWCと前期青銅器時代関連ヨーロッパ人をヤムナヤ文化個体群から分離します(それぞれ枝111と枝112)。
再構築されたYYのゲノムは、ほぼヨーロッパ西部個体群から構成される高い割合の草原地帯祖先系統を有するヨーロッパ人の下位群に属します。高い割合のANF祖先系統を有する1群のうち、最初の分岐は草原地帯祖先系統のある個体群とない個体群を分離します(それぞれ枝21と枝22)。草原地帯祖先系統のない個体群では、次の分岐はWHG祖先系統の程度に従って個体群を分離します。つまり、第1群(枝221)がこの最初の人口集団と小さな分岐の全ての最初期ANFおよびヨーロッパ初期新石器時代個体群で構成されるのに対して、第2群(枝222)はWHG祖先系統を有するほとんどのヨーロッパ新石器時代個体群で構成され、これらの個体群はほぼその地理的起源に従って微細規模で下位区分されます。
草原地帯祖先系統のないブレヴィアンド遺跡個体(つまり、女性個体A・B・C・D・E)はほぼ、フランス南部/イベリア半島起源の個体群で構成される下位群で見られます。枝21はかなりのWHGおよび草原地帯両方の祖先系統を有する個体群で構成され、その年代は後期新石器時代と中期青銅器時代に相当する期間です。この枝から草原地帯祖先系統の程度により区別される2クラスタが生じ、より高い割合の草原地帯祖先系統を有する第1群(枝211)はその後、ヨーロッパ中央部とフランスという異なる地理的起源の2下位群に区分され、フランス側には個体FKが含まれます。第2群(枝212)はより低い割合の草原地帯祖先系統を有しており、2下位群に区分され、一方にはほとんどのイベリア半島個体と個体HIが含まれます。
fineSTRUCTURE分析の階層的クラスタ化から、まず3供給源人口集団からの混合を反映し、より微細規模では地理的起源も反映しているクラスタが生成されたので、この地理的兆候がPCAでも検出できるのかどうか、調べられました。この3供給源祖先系統の割合はPC1とPC2で検出された兆候のほとんどを占めていますが、PC3とPC4はハプロタイプと地理との間の相関を明らかにし、後期新石器時代から中期青銅器時代のその後の標本で顕著です(図3Aは、地理的起源に応じて色付けされた個体と、草原地帯祖先系統の存在が四角により示された場所を示しています)。以下は本論文の図3です。
西方から東方へ、および南方から北方への勾配は、個体群の祖先系統の程度に関係なく図3Aで明確に視覚化され、微細規模の遺伝的構造が大陸水準ではすでにこの期間に確立しており、それは恐らく、遺伝的浮動および/もしくは新石器時代の拡大におけるヨーロッパのさまざまな地域の遺伝的に独特なHG人口集団との混合蓄積に起因する、と示唆されます。さらに、フランス南部とイベリア半島の後期新石器時代個体群はともにまとまり、フランス北部のほとんどの標本と歯明らかに異なっていて、顕著な例外は、ブレヴィアンド遺跡の草原地帯祖先系統を有さない女性5個体(A・B・C・D・E)です。
BBC個体SMGB54も、フランス南部クラスタと関連しています。この関連から、これらの個体はすべて在来の人口集団とよりも南部との遺伝的つながりが強い、と示唆されます。対照的に、再構成されたYY個体は明確な北部の痕跡を有しており、PC3からPC4では、フランス北部/オランダ/ブリテン諸島/チェコ(チェチア)の個体群の外側の境界に位置しており、これは以後ヨーロッパ北部クラスタと呼ばれます。YYの息子であるFKはヨーロッパの南北のクラスタ間で中間的位置を占めており、これはその母親であるEによりもたらされた南方構成要素に起因し、そのためFKはヨーロッパ北部クラスタの真ん中に位置します。
最後に、YYの孫息子であるHIは再度、ヨーロッパ北部との類似性を有するその父親であるFKと、ヨーロッパ南部との類似性を有するその母親であるAとの中間に位置します。BRE445個体群の後期新石器時代祖先系統がヨーロッパ南部起源だった、との推測を実証するため、同じ期間の後期新石器時代と同じ地理的地域のフランスの2参照提供人口集団を用いて、新石器時代祖先系統に焦点を当てた正規化ハプロタイプ提供者検定が実行されました。一方はマルヌ県のモン・アイメー(Mont-Aimé)の地下室から発見されたフランス北部の代表で、もう一方は、エロ―(Hérault)県の花束洞窟(Grotte du Rouquet)から発見されたフランス南部の代表(Seguin-Orlando et al., 2021)です。
図3Bで表されているハプロタイプ提供分析では、受容者として、草原地帯祖先系統を有さないBRE445の個体群に加えて、参照人口集団の同じ遺跡から発見されたものの、使用された受容者に含まれない2制御個体、フランス北部の1H04とフランス南部のROUQH、異なる遺跡のヨーロッパ南西部の後期新石器時代2個体、花束洞窟の近くのフランス南部の遺跡のGBVPL(Seguin-Orlando et al., 2021)、スペイン北部のアタプエルカのブルゴス(Burgos)の銅器時代の1個体であるI5835(Lipson et al., 2017)が使用されました。その結果、ブレヴィアンド遺跡個体群は、検証されたヨーロッパ南西部の他の全個体に匹敵するほど、フランス北部よりもフランス南部の個体群の方と多くのアレルを共有する、と示されます(図3B)。したがって、BRE445墓の被葬者は、墓の位置がフランス北部にも関わらず、ヨーロッパ南西部に典型的な祖先系統を有していることになります。
●ブレヴィアンド遺跡被葬者で反映されているヨーロッパにおける草原地帯祖先系統の混合動態
本論文の調査結果を、完全なゲノムデータによりハプロタイプ推測が可能な個体より多数の個体に拡張できるのかどうか調べるため、SNPに基づく手法を用いて、124万SNP配列での配列捕獲の使用により遺伝子型決定された個体群が組み込まれました。qpAdm分析を用いて、その場所および関連する分化もしくは前後関係での年代に基づき、標本が分類されました(図4A)。以前に報告されたように(Olalde et al., 2018)、北西部から南西部への勾配を通じて、草原地帯関連祖先系統の希釈が観察されます。注目は、ブレヴィアンド遺跡被葬者が一般的な大陸の混合動態、とくにANFとWHGの祖先系統で草原地帯祖先系統の希釈を再現していることです。以下は本論文の図4です。
この祖先系統の希釈が起きた年代を正確に示すため、その較正された放射性炭素年代の関数として草原地帯祖先系統の個々の割合が図示され、地理的位置に応じて色分け体系され(図4B)、より適切な世界的傾向を視覚化するため、LOESS手法を用いて、相対的な草原地帯祖先系統の割合の局所的な多項式回帰適合を表しました(図4C)。以前に報告されたように(Papac et al., 2021)、草原地帯祖先系統の保有者では、紀元前3000~紀元前2000年頃の間の1000年間にわたって、紀元前3000~紀元前2500年頃のチェコのCWC関連個体群で見られる75%超の水準から始まって、ヨーロッパ中央部の後期CWCおよびBBC関連個体群での50%の緩やかな減少まで、ヨーロッパ西部においてゲノムの草原地帯祖先系統の割合で漸進的な現象が観察されます。その後の1000年間(紀元前2000~紀元前1000年頃)では、草原地帯祖先系統の割合は地域的平衡に達したようです。
フランスでは、紀元前2500~紀元前2250年頃の間の数百年以内に、草原地帯祖先系統の割合が約35~40%に減少し、この値は少なくとも紀元前1700年頃まで安定していたようです。草原地帯祖先系統の背景への新石器時代祖先系統のさらなる組み込みは、イベリア半島に向かっての草原地帯祖先系統保有者の南方への移動期に起き、青銅器時代には草原地帯祖先系統の銅器時代における約25%から約13%への希釈(Olalde et al., 2018)につながりました(図4B・C)。この草原地帯祖先系統の南北の勾配は、ヨーロッパでは現在まで続いています(Haak et al., 2015)。
驚くべきことに、ブレヴィアンド遺跡の集団墓は、南方への移動期間における草原地帯祖先系統の希釈過程の同時の断片で、この希釈が起きた正確な瞬間での活動中に希釈過程を把握しています。再較正されたYYは、紀元前2600~紀元前2500年頃という、フランスにおける草原地帯祖先系統の最古級の記録された到来に相当し、その後で近隣のシリー=サルソーニュ遺跡のほぼ同時代の個体CBV95が続きます。この祖先系統はBBC個体群でその後に見られますが、これら同じ地域のそれ以前の個体群は、BBCとの関連の有無に関わらず、この祖先系統を有していません。
●草原地帯祖先系統の混合の2回の大きな波
ヨーロッパの新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統の関連集団間の混合年代を推測するため、位相化ハプロタイプに基づくfastGLOBETROTTERが用いられ、それがFKやSMGB54や紀元前2500年頃以後の他の混合個体群に適用されました。ジャックナイフ手順を用いて混合事象の時期が推定され、95%信頼区間が生成されました。較正された平均標本年代と、1世代28年と仮定して推測された混合年代が図示されました(図5A)。以下は本論文の図5です。
その分布は草原地帯祖先系統の混合の明確な波を示唆していたので、ジャックナイフ手順で個体ごとに生成された21点の測定すべてが、ガウス混合モデル化(Gaussian mixture modeling、略してGMM)確立クラスタ化手法を用いて、下位人口集団の存在を表すような、多峰性分布を明らかにできるのかどうか、評価されました。これら440点の測定は、図5Bで表されている三峰性パレート密度推定につながり、これが確率密度関数の推定に用いられました。局所最大尤度発見のための予測最大化演算法の使用後、データは3通りのガウス分布にクラスタ化でき、最良のモデルはベイズ情報基準(the Bayesian information criterion、略してBIC)と適合検定のピアソンのカイ2乗検定の良好により裏づけられています。
これら3通りのガウス分布の平均と標準偏差(standard deviation、略してSD)と割合は、それぞれ紀元前2611±130年(49.9%)、紀元前2947±92年(42.5%)、紀元前3266±82年(7.6%)と推定されたので、最新の2回の波がデータの90%以上を占めています。驚くべきことに、FKとSMGB54の2個体の混合年代はそれぞれ紀元前2949±92年と紀元前2587年±154年で、これら2回の主要な波の中心とほぼ正確に対応しており、これが世界的傾向をじっさいに表している、と示されます。要注意なのは、fastGLOBETROTTERの年代推定値は、混合後の減数分裂に依存する組換えによって次第に減少する、祖先のハプロタイプの塊の規模の分布に依存していることです。
FKは草原地帯祖先系統の父親であるYYと草原地帯祖先系統のない新石器時代祖先系統の母親であるEとの間のF1交雑なので、組換え事象はまだ起きていなかったため、両祖先系統間の混合年代は父親であるYYに関する年代です。それにも関わらず、FKは紀元前2500年頃に起きた混合事象の個体なので、この最新の混合の波の直接的証人ですが、それはハプロタイプの塊の規模分布からは検出できません。フランス南部とオランダとチェコのBBCと関連する個体群は、紀元前2950年頃(YYは同様の年代を示しました)にさかのぼる、古代の主要な波に相当する最初の混合年代を示しました。対照的に、紀元前2600年頃に相当する混合年代、つまり最新の主要な混合の波は、SMGB54を含めてフランスの他の個体だけではなく、ブリテン諸島とイベリア半島の個体群についても推定されました。
代替的な混合手法であるDATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)を用いて推測できる結果が調べられ、DATESは位相化されていないデータに基づいているので、ハプロタイプの塊により提供される追加の解像度を活用しません。じっさい、DATESは検証対象のゲノムと2供給源人口集団のゲノムとの間の祖先系統の共分散パターンに依存します。以前の模擬実験では、DATESは3祖先集団の等しくない寄与を含む複雑な混合の事例では、さまざまな値を提供する、と明らかになりました。したがって、草原地帯祖先系統と自身がANFとHGとの間の混合である新石器時代祖先系統の農耕民との間の混合を評価するのにDATESを用いるさいには、ひじょうに異なる年代が一部の検証個体では得られ、それは、どの個体が後期新石器時代の供給源人口集団を表すのに使用されたのかに依存します。これらの結果から、この手法は供給源人口集団の真の構造において不確実性に対してひじょうに敏感である、と示されます。これは本論文で当てはまる事例で、それは、草原地帯祖先系統の東西の移動が、HGとの混合が増えていくアナトリア半島起源の前期新石器時代農耕民の東西の移動により形成された、人口集団の基盤で起きるからです。対照的に、fastGLOBETROTTERで推定された混合年代は、以前に考察されたように、供給源人口集団におけるそうした不確実性に対してずっと耐性があるようです。
草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合の波の存在から、ほとんどの草原地帯祖先系統を有する個体は同様の祖先系統の個体群と選好的に交雑し、混合の波の期間を除いて、新石器時代祖先系統の保有者との配偶は稀だったので、多世代で高水準の草原地帯祖先系統が保持された、と示唆されます。対照的に、草原地帯祖先系統を有する1個体が新石器時代祖先系統の農耕民集団に統合されると、その草原地帯祖先系統は数世代で希釈されたでしょう。そうした事象は、本論文においてブレヴィアンド遺跡の集団埋葬で観察されたように、第1世代でのみ明らかに検出できます。
●草原地帯祖先系統の性別の偏った拡大
草原地帯祖先系統の拡大における性別の偏りの可能性を検出するため、最良の網羅率の全ゲノムの補完されたX染色体データセットでChromoPainterが実行され、続いて、草原地帯祖先系統の保有者において、X染色体での祖先系統の割合が、常染色体で見られる祖先系統の割合と比較されました(図6)。性別の偏りの可能性を定量化するため、常染色体に対するX染色体の草原地帯祖先系統の比率が計算され、log₂変換が使用されました。X染色体上での草原地帯祖先系統の過剰が正の値を生じる一方で、新石器時代祖先系統の過剰と類似した減少は、負の値を示します(たとえば、+1は2倍の草原地帯祖先系統の過剰を明らかにし、−1は2倍の草原地帯祖先系統の減少を示すので、後期新石器時代祖先系統の過剰、つまりANF+WHGに相当します)。以下は本論文の図6です。
図6で見られるように、母方で選好的に継承される祖先系統の過剰において個体間で変動性があり、X染色体での草原地帯祖先系統のわずかな過剰を示す個体も、新石器時代祖先系統の過剰を示す個体も存在します。ゲノムが利用可能なCWCとBBCと青銅器時代のヨーロッパの草原地帯祖先系統の保有者38個体のうち、18個体がX染色体で少なくとも20%の草原地帯祖先系統の過剰を示す一方で、12個体は草原地帯祖先系統の同様の減少、したがってX染色体での少なくとも20%の新石器時代祖先系統の過剰を示し、残りの8個体は均衡を維持していました(図6)。
X染色体で草原地帯祖先系統が希釈されていた12個体のうち、5個体はさらに低水準を示し、X染色体での草原地帯祖先系統と新石器時代祖先系統の比率は、X染色体での2.5倍もしくはずっと高い新石器時代祖先系統に相当する0.4未満で、残りには、フランス南部の3個体、ブリテン諸島のBBCの男性1個体(I2445)、X染色体で草原地帯祖先系統を有していないブレヴィアンド遺跡のFK個体がいます。母系で草原地帯祖先系統の過剰を有する個体はより多く存在しましたが、この過剰は一般的により小さな振幅でした。これら草原地帯祖先系統を有する18個体のうち、1個体のみが高い割合の新石器時代祖先系統を有する個体群で観察される水準の過剰に近い草原地帯祖先系統を示し、それはBBCの男性個体SMGB54です。SMGB54はX染色体で草原地帯祖先系統の2.4倍の過剰を有しており、X染色体での86%に達し、常染色体で見られる36%を大きく上回っており、SMGB54の母系はその父系よりもずっと高い割合の草原地帯祖先系統を有していた、と示唆されますが、SMGB54のYHgは草原地帯祖先系統に特徴的なR1b1a1b1a1(P310/PF6546/S129)でした。SMGB54は、ブリテン諸島のBBCもしくは期青銅器時代個体群や、オランダのBBCの2個体や、チェコのBBCの2個体や、ポーランドのCWCの1個体と同様に、X染色体でひじょうに高い割合(80%超)の草原地帯祖先系統を有しています。強い草原地帯祖先系統優位の母系のこのパターンから、草原地帯祖先系統を有する男性が新石器時代祖先系統の女性と配偶するよりも、草原地帯祖先系統を有する女性が新石器時代祖先系統を有する男性と配偶することは少なかった、と示唆されます。
これらの非対称的な混合事象は、フランス南部の個体群もしくはブリテン諸島のBBC個体群の事例のように、BRE445の男性の事例の如きF1水準で、もしくは数世代後で、配偶事象後の数世代で把握すると、X染色体での新石器時代祖先系統の顕著な不均衡につながりました。したがって、性別の偏りは、現在のデータセットで分析すると二峰性に見え、新石器時代祖先系統を有する男性が草原地帯祖先系統を有する女性と混合するよりも、新石器時代祖先系統を有する女性が草原地帯祖先系統を有する男性と混合する方が高頻度でした。新石器時代祖先系統を有する男性を含む混合のこの低頻度はY染色体でも明らかで、それは、いくつかの研究(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018)で以前に観察されたように、この網羅率の高いゲノムデータセットにおける草原地帯祖先系統の男性21個体のうち、わずか2個体のYHgが典型的な草原地帯祖先系統のR1b1a1b1と異なっているからです。
●考察
本論文の後期新石器時代の集団埋葬BRE445の高解像度のゲノム解析は、新石器時代農耕民とポントス・カスピ海草原遊牧民の子孫との間のヨーロッパ西部における混合過程の機序と方向性を解明しました。そのゲノム網羅率は、ハプロタイプを補完して位相化するには不充分で、ハプロタイプ分析に固有の制度を最大限とする手段の使用を可能としたため、地理的起源によって新石器時代祖先系統を有する個体群を区別する痕跡の検出ができました。以下、具体的な問題が検証されます。
●パリ盆地の後期新石器時代集団埋葬の個体間の生物学的および社会的近縁性
BRE445の集団墓地では、新石器時代祖先系統を有する女性3個体のゲノムは、ヨーロッパ北部の同時代の個体群とよりも、フランス南部およびイベリア半島の新石器時代祖先系統を有する個体群の方との、より密接な類似性を示しており、これらの女性もしくはその祖先がヨーロッパ南西部から来たことを示唆しています(図3)。これの女性のうち、2個体のみが、生涯の移動性を明らかにしているかもしれない⁸⁷Sr/⁸⁶Sr同位体痕跡を示しているのに対して、他の全個体はこの地域における生涯の居住の痕跡を示しています。
BRE445個体群で得られた同位体の痕跡は、これら女性2個体の起源の明確な識別を提供しませんが、その遺伝的痕跡と一致して、フランス南部からの生涯の初期の移動と一致します。この結果は、中期新石器時代とBBCと青銅器時代における大規模な移動性と少なくとも部分的な女性族外婚を明らかにした、BBC埋葬の遺伝学と同位体の分析の組み合わせに関する以前の結果と一致するでしょう(Knipper et al., 2017、Rivollat et al., 2023)。これら女性2個体の生涯の移動性の起源地点がフランス南部と確証はできませんが、フランス北部で保持されている南方の遺伝的兆候について、南方祖先系統の新石器時代の人々における何世代にもわたる選好的配偶を考慮する必要があることは、要注意です。
同じ墓に埋葬された純粋な後期新石器時代祖先系統のBRE445の女性全員で検出された南方の遺伝的痕跡から、この共通の南方起源は、その共有された帰属意識に寄与した一因かもしれない、と示唆されます。つまり、祖先を同じくする親族関係が死後も維持された、というわけで、それは選好的な配偶パターンを裏づけます。世代が増えるほど、フランス北部に暮らす移民の個体群から南方の供給源人口集団は分離されますが、数世代にわたって南方からのゲノム痕跡を維持するために、配偶選好がより強くなったに違いありません。したがって、ブレヴィアンド遺跡個体群もしくはその祖先が近い過去に、女性EおよびBがおそらくはその生涯において南方から北方へと移動した、と考えるのはより節約的なようで、それは、これがSr同位体痕跡と一致するからです。
祖先系統特性と系図と⁸⁷Sr/⁸⁶Sr同位体痕跡の利用を通じて、他にも可能性はあるものの、以下の説明が提案されます。それは、女性EがYYとの出会いの前後どちらかでブレヴィアンド遺跡へと移動し、草原地帯遊牧民の子孫である民族集団の構成員になった可能性が高い、というものです。YYは、先行研究で仮定された、新石器時代祖先系統を有する女性を「誘拐」した「戦士の若者集団」の構成員だったかもしれませんが、これは推測に留まります。しかし、新石器時代祖先系統を有する女性個体Eは、新石器時代共同体でその生涯を続け、そこでFKを生み、FKはこの新石器時代的背景で育ちました。FKには、新石器時代祖先系統を有する女性Aとの間に、1人の息子HIがいました。父親であるFKとその息子のHIは同時に死亡したか、HIが父親であるFKの直後に死亡しました。FKとAとBは全員、中年の成人として死亡しました。
第1世代に属する唯一の年配の個体は、Eでした。個体Bも、おそらくは子供として他の場所から来たかもしれず、ブレヴィアンドに居城し、埋葬には存在しない新石器時代祖先系統を有する男性との間に、子供を1人儲けました。個体Cは、養子だったかもしれません。遺伝学と人類学と考古学の結果の組み合わせはこの集団墓を、埋葬されるのに充分なほど重要な、純粋に社会的および生物学的両方の結びつきのある親族集団として特定しました。親族集団はじっさい、社会的構築として認識されており、親族関係慣行は大きく異なると知られています。法医学HIrisPlex-S分析評価での遺伝子型決定解析を通じて決定されるような、個体の身体的外見は、他の新石器時代個体群(Brace et al., 2019、Linderholm et al., 2020、Mathieson et al., 2015、Marchi et al., 2022)と区別できませんでした。分析された全個体は、茶色の目と中間的からより恋色の肌と濃い色の髪を示唆する遺伝的痕跡を有しており、例外は髪が栗色だったかもしれないFKとEです。したがって、その身体的外見は刊行されている他の新石器時代個体とさほど変わりません。
●ブレヴィアンド遺跡被葬者のゲノムで明らかになる草原地帯祖先系統と関わるヨーロッパ全体の性別の偏った混合過程
ブレヴィアンド遺跡の個体の生活史のほとんどの詳細を再構築できませんが、この特異な埋葬は、フランスにおける草原地帯祖先系統到来のいくつかの側面を明らかにします。祖父であるYYは、その息子のFKおよび孫のHIのゲノムで見られる草原地帯祖先系統の保有者でした(図2B)。YYの再構築された疑似二倍体ゲノムにおける草原地帯祖先系統の割合(約66%)は、ポーランド(Fernandes et al., 2018、Linderholm et al., 2020)やボヘミア(Papac et al., 2021)の同時代のCWC個体群で見られるものと類似していますが、YYの息子のFKでは、ドイツとスイスとフランス南部の後期新石器時代および青銅器時代の他の個体(Olalde et al., 2018、Seguin-Orlando et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Mittnik et al., 2019)で見られる割合半分に減少しています。YYの孫(個体HI)では、この祖先系統はさらに、青銅器時代のスペインおよびイタリアの個体群(Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2020、Saupe et al., 2021)で見られる水準の半分まで減少しています。
したがって、わずか2世代以内で、混合した草原地帯と新石器時代の遺伝子プールへの新石器時代祖先系統の組み込みは、紀元前2500年頃以後の他の個体で観察される水準にまで草原地帯祖先系統を減少させました。この祖先系統減少の速さと、ヨーロッパ西部における最初の草原地帯祖先系統拡大中の混合の低頻度は、新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統の混合がこれまで観察を免れていた理由を説明できるかもしれません。つまり、そうした混合はBRE445個体群で可能だったように、同時であれば明らかになるに違いない、というわけです。この埋葬は幸運な事例で、初期の草原地帯祖先系統の先駆者とみなすことができる、草原地帯祖先系統を有する1個体を含む配偶事象の断片です。個体YYは、そのヨーロッパ北部の遺伝的痕跡を考えると、おそらくライン川下流からフランスに到来しました。
この結果は、在来の新石器時代祖先系統を有する集団と移動してきた草原地帯祖先系統を有する集団との間の初期段階の混合過程の基本的要素、およびその集団の最も可能性の高い配偶行動を明らかにします。ブレヴィアンド遺跡の家族の断片で観察されたような2世代以内の草原地帯祖先系統の際立った希釈は、この事例と、それに対して草原地帯祖先系統の希釈がずっと遅かったか、ほぼ存在しなかった状況での配偶行動における差異を浮き彫りにします。ヨーロッパの東部と中央部のほとんどの後期新石器時代と青銅器時代の個体で見られる少なくとも70%を超えるような(Haak et al., 2015、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Furtwängler et al., 2020、Mittnik et al., 2019、Fernandes et al., 2020)、個体群が何世代にもわたってかなりの草原地帯祖先系統を維持するには、ほとんど類似の祖先系統の人々と配偶し、たまにしか新石器時代祖先系統を有する農耕民と配偶しなかったに違いありません。この配偶パターンは、捕獲されたゲノムデータのモデル化に基づく以前の人口統計学的推測と一致します。
●1回の小さな波と2回の大きな波だった草原地帯祖先系統と新石器時代祖先系統の混合
ハプロタイプに適用される混合年代測定手法であるfastGLOBETROTTERを用いて、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合は直線的ではなく、むしろ三峰性分布パターンに従っている、と推定されました(図5)。紀元前3300年頃に観察された最初ではあるものの小さな混合の波は、ドニエストル川とドニエプル川の間の草原森林地帯における草原地帯遊牧民と後期新石器時代個体群の遭遇から生じたかもしれません。これらの牧畜民は金石併用時代草原地帯集団とは遺伝的に異なっており、それは、ゲノムに少量のANF関連祖先系統を有していたからです。このANF関連祖先系統は、黒海地域西部の前期青銅器時代個体群と、墓が遠く西方ではカルパチア山脈で見つかっている草原地帯牧畜民との間の時々の混合により説明できます(Penske et al., 2023)。
この最初の混合事象は、限定的な範囲だったようです。その300年後となる紀元前2950年頃に、より大規模な混合の波が続き(図5)、ヨーロッパの中央部と北部の個体群で特定されました(Haak et al., 2015、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Lazaridis et al., 2022)。第2の混合の波は、第1の混合の波より多くの個体を含んでいたので、以後はこれが「最初の主要な混合の波」と呼ばれます。この主要な混合過程は、先行研究で観察された混合に相当します(Haak et al., 2015、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B、Allentoft et al., 2015)。相当する共同体は、一方が草原地帯関連で、もう一方がGAC関連だったに違いありません。GAC関連個体群の遺伝的遺産は、その後のCWC関連個体群への主要な寄与として特定されてきました(Allentoft et al., 2024A)。
草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間のこれらの最初の小さな混合の波と主要な混合の波は、性別の偏りがあったようで、それは、初期CWC個体群において、X染色体よりも常染色体の方で高い割合の草原地帯祖先系統が検出されているからです。これらの最初の混合の波の後は、相対的な静止期間が続き、この期間にCWC関連個体群は、類似したおもに草原地帯祖先系統の個体群と選好的に配偶し、多世代にわたって安定して70~80%の草原地帯祖先系統を有する個体群へとつながりました。このわずかに混合した人口集団は、ヨーロッパの北方と西方への移動を続け、たとえば、ポーランド南部(Linderholm et al., 2020)で説明されているように、時々在来の新石器時代祖先系統を有する農耕民と配偶しました。
ヨーロッパ西部では紀元前2600年頃に、BBC(紀元前2339~紀元前2139年頃)と関連し、40%程度の草原地帯祖先系統を有するサン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の「レ・ブレテル(Les Bretelles)」の個体SMGB54のゲノムにおける、新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統との間の混合の新たな波が検出されます(図5)。個体SMGB54のゲノムにおける草原地帯祖先系統の高い割合と長い祖先系統ハプロタイプの大きな塊は、SMGB54の約12世代前という近い過去の混合事象を示します。この事象はフランス北部で起き、そこでは、BRE445墓の被葬者で見られるように、北方草原地帯祖先系統を有する個体群が、草原地帯祖先系統を有さない南西部新石器時代祖先系統の保有者と混合しました。
したがって、SMGB54とブレヴィアンド墓地の男性個体FKの両方が、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合の主要な第2の波の証拠です。FKは交雑第1世代なので、そのハプロタイプの塊の長さはまだ組換えにより減少していないため、ハプロタイプの塊の規模分布から推測される混合年代に影響を及ぼしませんが、この新たな混合は交雑第1世代の状態から推測できます。この第2の混合の波によりもたらされた多量の草原地帯祖先系統は、個体SMGB54のように草原地帯祖先系統のさらなる侵食を示さない、ヨーロッパ西部のその後の青銅器時代個体群でも検出されます。この観察から、主要な第2の混合の波の後には、ほとんどの個体は草原地帯祖先系統の保有者に対するじゅうらいの配偶選好を再開した、と推測されます。
●混合過程の性別の偏り
ハプロタイプに基づく手法を用いて、紀元前2000年頃のヨーロッパの個体群におけるX染色体と常染色体での草原地帯祖先系統の程度の違いも検出されます。このパターンは、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合過程の二峰性の性別の偏りを明らかにします。一部の個体は、X染色体での新石器時代祖先系統の顕著な過剰を示します。BRE445の男性2個体は、X染色体で新石器時代祖先系統の大幅な過剰を有しており、それは、その母親のゲノムに草原地帯祖先系統がなかったからです。
イングランドの男性個体I12445(Olalde et al., 2018)も、X染色体で新石器時代祖先系統の高い過剰を示します。しかし、その母方のX染色体には草原地帯祖先系統の痕跡があり、その草原地帯祖先系統がゲノムの半分を占めることから、母方の常染色体がかなり寄与したに違いないものの、男性個体I12445は純粋な新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統を有する両親の間の交雑第1世代ではなかった、と示唆されます。このイングランドのBBC個体のX染色体における新石器時代祖先系統の過剰は、新石器時代祖先系統の女性との混合の数世代の歴史を明らかにします。X染色体での新石器時代祖先系統のそうした過剰は、ゲノムがこの分析に適しているフランス南部の3個体でも明らかです。フランス南部の個体群におけるX染色体での新石器時代祖先系統の過剰の高頻度は、混合のパターンにおける地域的な偏りを示唆しているかもしれません。しかし、混合パターンにおけるそうした地域的および時間的差異のより詳しい評価には、信頼性のある検出のためのより広範で高品質な全ゲノム配列決定が必要になるでしょう。
対照的に、多くの個体はX染色体で新石器時代祖先系統の過剰を示しませんでした。逆に、X染色体での草原地帯祖先系統の過剰占めた個体の割合はより高かったものの、この過剰はごく近い過去の母方の新石器時代祖先系統を有する個体群で見られるほど高くはありませんでした。X染色体での草原地帯祖先系統の最高の過剰は、パリ盆地の男性BBC個体であるSMGB54で見つかり、その母方のX染色体には80%以上の草原地帯祖先系統があります。分析された個体の20%(40個体のうち8個体)は、X染色体で80%の草原地帯祖先系統の過剰を示しました。X染色体での草原地帯祖先系統のそうした高い割合の維持から、多世代にわたって、女性はその父親から完全な新石器時代祖先系統を有するX染色体を受け取らなかった、と示唆されます。それは、そうした【女性がその父親から完全な新石器時代祖先系統を有するX染色体を受け取るような】状況ではX染色体に新石器時代祖先系統の大きな塊をもたらすことになるからです。
したがって、X染色体における祖先系統の二峰性パターンは、配偶の偏りから生じたようです。つまり、草原地帯祖先系統の男性が時に新石器時代祖先系統の女性と配偶したのに対して、草原地帯祖先系統の女性は新石器時代祖先系統の男性とさほど配偶しなかったからです。そうした混合のパターンは、ヨーロッパ西部において後期新石器時代から青銅器時代において検出された草原地帯祖先系統のYHgの広範な過剰や、男性24個体のうち22個体がYHg-R1b1a1だった、という本論文で分析されたデータセットでも裏づけられています(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018)。新石器時代祖先系統の女性との草原地帯祖先系統の男性の混合はさまざまな時点で起きましたが、混合時期で検出された二峰性パターンから、これらの混合事象は草原地帯祖先系統を有する個体群の西方への拡大の2段階においてより高頻度だった、と示唆されます。個体FKは、この主要な第2の性別の偏った混合の波が起きた時に検出された、最初の代表と考えることができます。
紀元前2600年頃のヨーロッパ西部における、新石器時代祖先系統の女性との混合のこの短いもののかなり一般的なパターンは、ライン川に到達したさいの、草原地帯祖先系統保有者の西方への拡大の様相もしくは周期的変動の変化を示唆しています。第1と第2波の間に、放浪する開拓者はその出自のCWC集団との接触を維持していたでしょう。これは、類似した草原地帯祖先系統を有する相手との配偶の充分な機会を提供した行動です。草原地帯祖先系統の女性の交換パターンが、BBCと青銅器時代においてドイツのレヒ川渓谷(Lech Valley)で検出されました(Mittnik et al., 2019)。したがって、このパターンは草原地帯祖先系統の集団と関連する一般的な傾向だったかもしれず、それは混合の第1の波の後の相対的な人口静止を説明できるかもしれません。
3回の混合の波は、その出身共同体との「配偶のつながり」を維持するには長すぎる距離を1世代で移動する、男性優位の開拓者集団の急速な拡大を示唆します。この過程は、新石器時代祖先系統の在来女性のより活発な加入と、同時に減少が観察されたブレヴィアンド遺跡個体群で見られたような、草原地帯祖先系統のより急速な希釈につながったでしょう。祖父であるYYはそうした開拓者を表している可能性が高く、フランスにおける草原地帯祖先系統の到来の最初の証人です。その後の草原地帯祖先系統の子孫に残った痕跡は、同様の事象が他の場所でも起きたことを明らかにします。新石器時代遺伝子プールにおける草原地帯祖先系統のこの希釈は考古学的データと一致し、初期段階のBBCによる在来の新石器時代文化の置換の証拠を提供しません。驚くべきことに、第2の主要な混合の波は、草原地帯祖先系統と関連して、BBCがヨーロッパ全域に拡大した時点で起きました。とくに、MBBの起源がイベリア半島の新石器時代祖先系統の新石器時代/銅器時代共同体にある、との提案を考えると、これら2回の混合事象は関連していた、と推測したくなります。以下、人口集団と関連する文化の融合について検証されます。
●草原地帯の人々と新石器時代共同体との遭遇およびCWCの出現
第1の小さな混合の波は、墓が遠く西方ではカルパチア盆地で見つかっている草原地帯から出現したヤムナヤ文化牧畜民と、さらに西方の新石器時代世界との間に位置するヨーロッパ東部の草原森林地帯で、紀元前3270年頃に置きくたに違いありません。この混合は、草原地帯の人々が西方へと移動し、バーデン文化が東方へと、GACがポーランド東部からドナウ川の三角州とドニエプル川地域にまで拡大した時に、起きたに違いありません。これらの共同体間の接触は、考古学的記録で特定可能な大規模な文化的変容につながらず、小さな開拓者集団によって起きたに違いありませんでした。
紀元前3000~紀元前2900年頃に起きた第1の主要な混合の波は大規模な事象で、紀元前三千年紀の変わり目にヨーロッパ東部に出現した、CWC/単葬墓文化という用語で統一された地域的に多様な物質文化の拡大を促進した可能性が高そうです。CWCと関連する最古級の放射性炭素年代測定された単葬墓は、紀元前2900年頃のドイツとデンマークで見つかりました。この第1の主要な混合の波は、10世代もしないうちにかなり急速に停止しCWC関連集団と他の新石器時代集団との間の相互作用の際立った減少でのみ説明できます。この仮説を裏づける、考古学的証拠があります。たとえば、オランダでは、CWC関連集団と既存の後期新石器時代のヴラールディンゲン(Vlaardingen)/シュタイン(Stein)文化関連集団(紀元前3400~紀元前2450年頃)との間の相互作用の欠如が記録されており、外来の物質は他のCWC共同体が居住していた地域にのみ由来します。紀元前三千年紀を通じて、CWC共同体が強く相互につながっており、個体の移動性が高かったことも認識されてきました。
●ヨーロッパ西部における北方から南方および南方から北方への壺と人々の移動
紀元前三千年紀の半ばに、フランスのプレッシニアン短剣がAOO/AOCの墓に現れ、外来の物質はヨーロッパ全域で長距離交易されました。これらの要素は、紀元前2600年頃と推測され、フランスの考古学的記録に見られる第2の主要な混合の波と一致します。紀元前2574~紀元前2452年頃となるシリー=サルソーニュ遺跡の個体CBV95の文化的帰属(とくに、AOCビーカーと大プレッシニー燧石製短剣)は、単葬墓のAOC/AOO複合体です。個体CBV95の文化的起源は、その高い割合の草原地帯祖先系統(約68%)と、ヨーロッパ中央部で確立した後期新石器時代および前期青銅器時代の単葬複合体と関連するヨーロッパ北部/中央部クラスタと関連づけられる新石器時代ゲノムの割合の両方に反映されています(Haak et al., 2015)。この個体は第1の主要な混合の波にさかのぼる混合事象の子孫かもしれませんが、そのゲノム網羅率は高解像度分析に充分なほど高くはありませんでした。
サン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の男性1個体(SMGB54)のゲノムは、約36%の草原地帯祖先系統により特徴づけられます。SMGB54はBBCの葬儀(左側にしゃがんだ位置の身体と、北東に向いた頭)に従って埋葬され、その頁岩製手首防具は射手か狩猟者および/もしくは戦士に属している可能性がありますが、象徴的でもあるかもしれません。手首防具はBBCの一部の墓でのみ見られる権威のある副葬品で、家庭の状況では稀です。手首防具の機能的役割は議論されていますが、より高位の社会的地位を示唆しているかもしれません。この文化的属性は、草原地帯祖先系統およびヨーロッパ南西部の人々とのゲノムのクラスタ化とともに、SMGB54を南方へ移動した北方のAOC開拓者と、北方へ移動したフランス南部もしくはイベリア半島の新石器時代/銅器時代のMBB使用者との間の祖先の1人における混合の証人とします。したがって、SMGB54は、BBCの初期段階において、大西洋沿岸で北方へ移動し、続いてロワール川沿いに内陸へと侵入し、ガティネ(Gâtinais)地方を横断してセーヌ川流域へと達した、北方への移動と、AOO/AOCの開拓者からの南方への移動の両方を反映しているかもしれません。
これまでフランス北部では、AOO/AOCビーカーおよびMBBで埋葬されたと判明した個体は全員、草原地帯祖先系統の保有者でしたが、これはフランス南部とライン川流域では当てはまりません。BBC期に分類されるイベリア半島からの影響を示すフランス南部の集団墓の副葬品は、以下のような草原地帯祖先系統の保有者ではない個体群と関連づけることができます。それは、(1)ラ・ヴィーニュ・ペルデュの地下洞窟(Grotte Basse de la Vigne Perdue)の2個体で、そのうち1個体(紀元前2574~紀元前2473年頃のGBVPL)は古典的なヴェラザ(Veraza)文化と同年代で、この時に最初のBBCの進入が起きたかもしれない一方で、もう一方の個体(紀元前2461~紀元前2299年頃となるGBVPK)は後期ピレネーBBCに属しており、草原地帯祖先系統を有しており、(2)ペイリエレス支石墓で他の個体とともに埋葬された(Seguin-Orlando et al., 2021)BBC期(Brunel et al., 2020)の1個体(紀元前2563~紀元前2308年頃となるPEI2)と、(3)アルザスのヘーゲンハイムのBBC被葬者で、初期BBC伝統からの混合海洋様式で装飾された容器が共伴する、紀元前2832~紀元前2476年頃の1個体(Olalde et al., 2018)です。これらの個体は、土器製作者もしくは射手などの移動する職人を通じての、ローヌ川・ソーヌ川流域のBBC拡大の証拠かもしれません。ローヌ川上流域では、紀元前2600/2500~紀元前2200年頃となる、新石器時代と青銅器時代の葬儀用土器様式間の不連続が記録されています。葬儀用記念碑と石碑彫刻の変化や、副葬品の個人かと変更は、これら相互接続された「慣行の共同体」における顕著な文化的変化を示唆しています。この変化は、遠方の原材料供給源(大プレッシニーの燧石鉱山など)から地元の原材料供給源への移行にも反映されているので、交換網の変容を示唆しています。
●フランスにおけるBBCの確立
フランスのBBC層準におけるゲノムの不均一性は、草原地帯祖先系統を有する人々による急激な人口置換なしでのBBCの社会文化的モデルの連続的同化の代表的断片と考えることができ、新石器時代祖先系統を有する人口集団が草原地帯祖先系統の保有者により置換されたように見えるブリテン諸島の状況(Olalde et al., 2018)とは対照的です。したがって、フランス南部における変容過程は、考古学的記録で観察されるように、さまざまな拒絶と文化変容を伴う、地域的に多様な傾向を統合したかもしれません。フランスにおけるこの新たなBBC観念形態の拡大は、特定の個体のみを含む、不均一な局所的および地域内の混合を伴っていたようです。その混合した子孫はブレヴィアンド遺跡個体群のように後期新石器時代共同体に吸収され、CWCおよびその後のBBCの伝統とは異なるさまざまな中期および後期新石器時代の埋葬習慣に従って集団墓に埋葬されたか、あるいはその混合した子孫は埋葬されなかったので、考古学および古ゲノム研究では見過ごされました。しかし、新たな観念形態を発展させたか採用した集団の他の混合した個体は、単葬墓に埋葬されました。発掘され、ゲノムが分析されたそうした個体群から、在来人口集団とのさらなる混合は一般的ではなく、以前の新石器時代文化の漸進的な消滅および新石器時代ゲノムの変容につながった、と明らかになりました。
この研究のゲノムデータを他地域の以前に刊行されたゲノムと統合した分析から、ヨーロッパ南西部の北方へと移動したMBBと集団墓の利用者、および南方へと移動したAOO/AOCビーカーを利用した草原地帯祖先系統の保有者が、フランス北部で遭遇した、と明らかになります。この遭遇が本論文で検出された第2の主要な混合の波につながった、と本論文は提案します。したがって、BBCは南西部銅器時代MBBと集団墓の利用者、および単葬墓埋葬儀式の北西部のAOO/AOC利用者のフランスにおける遭遇の文化的要素の統合として生じ、混合集団につながり、それは、CWCとBBCの両方が移民背景を有する個体群とより強い在来起源を有する人々の相互作用と混合を通じて生じた、との提案と一致する、と本論文は仮定します。BBCは既存の文化的構造に統合されましたが、それ以前の新石器時代伝統と関連するほとんどの集落は、これらの地域において単葬墓埋葬儀式の出現後数世代で存在しなくなりました。この観察から、在来起源の人口集団が、移民の生活様式の採用によって、移民の集落および経済的漢詩集と関連する要素をますます採用していった、と示唆されます。
紀元前2500年頃以後、「還流(Rückstrom)仮説」によって想定されているように、この混合集団の子孫はおそらく古代のアルプス西部の硬玉交易路を経由して南方へと移動し、フランス南部やイベリア半島で既存の新石器時代伝統と関連する個体群と配偶し、地中海の飛び地を形成したので、追加の何ライブ新石器時代祖先系統を混合した草原地帯・新石器時代祖先系統へと入れました。MBB利用者と在来の新石器時代集団との間の相互作用は、地中海南西部および南部地域の墓から報告されてきており、それにはAOO/AOCとMBB両方のビーカー様式が含まれ、局所的伝統は最新の新石器時代の在来生産とより関連しています。この過程は、現在でも存在するように、南北の草原地帯祖先系統の勾配の確立を説明するでしょう。
この祖先系統勾配の存続と、現在までヨーロッパ人のゲノムにおいて草原地帯祖先系統が維持されていることは、BBCの広範における草原地帯祖先系統を有する個体群のより高い繁殖率と、最終的には単に新石器時代祖先系統を有する農耕民を打ち負かしたことを裏づけます。ゲノムと文化的慣行の融合は、進化し続け、ヨーロッパ全域に急速に広がった「交雑」文化の出現につながったでしょう。この仮説の裏づけとして、フランス北西部におけるさまざまな鐘状ビーカーの装飾様式があり、それは交雑として解釈されてきており、イベリア半島とライン川の装飾伝統間の相互の影響を反映しています。したがって、統合したゲノム文化的要素の融合との仮説は、考古学的証拠のみに基づいた以前の提案と合致し、これを裏づけます。
結論として、後期新石器時代の埋葬に関するこの研究により、草原地帯祖先系統の人々が拡散し、在来の新石器時代祖先系統の集団もしくは個体群と混合するような、紀元前3300~紀元前2600年頃のヨーロッパにおける三峰性の混合過程の直接的で準同時の観察が可能となります。本論文のデータから得られた結果の一般化から、このゲノム変容は顕著な文化的変化の期間に起きた、と示唆されます。2回の主要な波を経た提案された混合過程は、最終的には新石器時代ゲノムの置換につながった青銅器時代に観察された顕著に異なる社会制度への移行(Mittnik et al., 2019)も説明するでしょう。したがって、この変容は関連する人口集団の文化と生物学の両方と関わっており、現在も依然として存在するヨーロッパの人口集団のゲノム構造の確立につながりました。
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