『卑弥呼』第132話「告白 其の二」
『ビッグコミックオリジナル』2024年7月5日号掲載分の感想です。前回は、馬韓の蘇塗(ソト)の邑で、馬韓の湖南(コナム)国の王が派遣した兵隊を、倭人であるゴリとその配下の兵士が撃退し、ヤノハがゴリに、その顔の黥はトンカラリンの洞窟の地図で、ゴリこそ、暈(クマ)国のタケル王と大夫である鞠智彦(ククチヒコ)がトンカラリンの洞窟内の地図を作るため10年ほど前に送り込み、生還した図師はないか、指摘したところで終了しました。今回は、10年前、ゴリとカネトという名の方士がトンカラリンの洞窟内を歩いている場面から始まります。食糧と水が残り僅かで、トンカラリンから永久に抜け出せない運命だ、と絶望するカネトをゴリは励ましますが、カネトは、松明の火が消えたらもう暗闇の中で死ぬしかない、と悲観的です。ゴリは広場に出たことに気づき、カネトに動かないよう指示して、黄鉄鉱を見つけ、木片と枯れ葉を用意して、黄鉄鉱の破片を互いにぶつけて生じた火花で、枯れ葉と木片に火をつけます。ゴリは、黄鉄鉱同士をぶつけると火が出る、と父に教わっていました。カネトは、やはり図師の知識は方士より上だ、とゴリに感心します。カネトは正直に、この暗闇の中で、地の神は自分に一言もささやかない、とゴリに打ち明けます。
ゴリは、この場所に数名たどり着いたことに気づき、中には新しい死骸もありました。カネトは、自分たちが来る5日前に、どこかの方士と図師がトンカラリンに入った、と聞いていました。ゴリは、ここまでたどり着いたものの、水も食糧もなくなり自決したのだろう、と推測します。カネトは、我々も同じく覚悟を決める時だ、と言います。ゴリは諦めずトンカラリンの構造を把握しようと考えており、蜘蛛の巣のような構造で自分たちは洞窟の中央にいる、と推測します。ゴリの絵図が正しければ、出口は東にあることになりますが、カネトは、この先も無数の迷路がある、と不安げです。ゴリは、まず食事をしようと提案し、残りは1食分しかないので、二人で分けることにします。ゴリはカネトに、あきらめず、褒美のことを考えるよう、勇気づけます。うまくトンカラリンから生還できれば、鞠智彦からそれぞれ邑を与えられ、邑長となれば障害安穏に暮らせる、というわけです。その話を聞いたカネトはゴリに、偽りを言っていた、と打ち明けます。タケル王は、図師には邑は与えられないので、代わりに五銖銭を100枚授ける、というわけです。するとゴリは、五銖銭は韓(カラ、朝鮮半島を指すのでしょう)国と中土(中華地域のことでしょう)でしか使えない代物で、100枚ではたいした価値がない、なぜ図師には邑を与えられないのだ、と激昂します。するとカネトは、あくまでも鞠智彦の言葉だと断り、図師は土地を絵に写す故に地の神に祟られた存在で、そうした不浄の者に邑を与えられない、と説明します。ゴリは、自分に相談もせずに鞠智彦の条件を受け入れたカネトを、自分に頼りきりで何の役にも立たない、と難詰します。ゴリは、この数日で、方士とは神通力や占術や医術や錬金術を究めた学者というが、実はただのイカサマ師だと分かった、とカネトを罵倒します。カネトはさすがに、それは言い過ぎだ、と反論しますが、地神に尋ね、出口がどこか今すぐ示せ、とゴリに問い詰められ、鞠智彦の言葉にも一理あり、図師とは神を冒涜する不浄の者で、倭に住むところはない、と開き直ります。それでも、悪いようにはしない、と言うカネトに、長く朋友だったが今日で終わりだ、とゴリは告げます。ここで別れよう、と言って去るゴリに、カネトは謝罪しますが、ゴリは暗闇を進みます。
ゴリは出口に到達し、鞠智彦の家臣であるウガヤが出迎えます。ウガヤは、ゴリがカネトという方士と組んだ図師と覚えていましたが、ゴリはウガヤに、カネトとは途中まで一緒だったが、はぐれてしまった、と伝えます。するとウガヤは、方士は気の毒だったが、鞠智彦様が欲しかった絵図を描けるか、とゴリに尋ねます。ゴリが肯定すると、絵図の完成後に褒美を授ける、とウガヤは伝えます。ウガヤは、カネトが消えたことを残念がり、実に義理堅い男だった、と言います。ゴリがそれに気づいていないようなので、ウガヤは、図師は地神に呪われた生業なので邑を与えることはできない、と頑なな鞠智彦に、カネトが朋友であるゴリにも邑を与えるよう、懇願していた、とゴリに語ります。すると鞠智彦は、特別に広い邑をカネトに与えるので、その邑を半分図師に与える分には、自分は何も言わない、とカネトに伝えていました。
舞台は作中世界の現在の馬韓に戻り、ゴリはヤノハに、一時の怒りから朋友を置き去りにしてしまった、と打ち明けます。ゴリは急いでトンカラリンの地図を鞠智彦に渡し、もう一度トンカラリンの洞窟に入りましたが、朋友であるカネトは自決していました。ゴリはバツとしてトンカラリンの地図を顔に刻みつけ、醜悪な怪物(モノノケ)として生きることを誓ったわけでする。するとヤノハは、自分も日見子(ヒミコ)になるはずだった友(モモソのことでしょう)を殺して今ここにいるので、ゴリの気持ちは痛いほど分かる、とゴリに伝えます。では、自分と同じく自らを罰するために渡海したのか、とゴリに問われたヤノハは、日見子として嘘の上に嘘を重ね、せめて、友がやろうとしていた倭国の安寧を成し遂げようと考えている、と答えます。ゴリは、ヤノハが罪の償いをしているのだ、と解釈しましたが、人には償える罪と償えない罪があり、自分の犯した罪は生涯消えない、と自嘲気味に言います。それでも、友の意を受けて、公孫一族と会う危険を冒すのか、とゴリに問われたヤノハは、頷きます。するとゴリは、明後日に馬韓の湖南(コナム)国の勇気ある兵が倭人とともに武装蜂起し、馬韓の他国の王は誰も湖南王に加勢しないだろう、と打ち明けます。ゴリは驚くヤノハに、首尾よく湖南王を追放した後で、自分は日見子様(ヤノハ)を月支(ゲッシ)国の辰王にお連れする、と伝えます。感謝するヤノハにゴリは、辰王から通行証をいただければ、公孫一族のいる遼東半島まで無事にたどり着ける、と説明します。それは、辰王が面従腹背で公孫一族を騙しとおしているからです。ただゴリは、公孫淵太守は力もあり嘘も上手く、簡単に倭国の使節を魏へ通すとは思えない、とヤノハに忠告します。これに対してヤノハが、その点は心配無用で、公孫淵がいかに嘘の上手い人物としても、自分ほどではないだろうから、とゴリに伝えるところで今回は終了です。
今回は、ゴリの生き様が浮き彫りになり、最近新たに登場したゴリですが、深い人物造形になっているように思います。ヤノハは、ゴリと通じ合うものがある、と最初から感づいていたようで、ゴリの振る舞いと告白から、信頼に足る人物だと確信し、自分の過去の悪行を打ち明けたのでしょう。ヤノハとゴリとの間には強い信頼関係が築かれたようで、ゴリはおそらく『三国志』に見える都市牛利で、難升米(おそらく本作のトメ将軍)とともに、倭国から魏へと派遣されるでしょうから、そのさいの活躍も楽しみです。しかし、その前には遼東公孫氏に対処せねばならないわけで、史実では遼東公孫氏は238年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に魏に滅ぼされていますが、作中の現時点は228年頃のようですから、まだ遼東公孫氏の滅亡と魏への遣使には10年間ほどあるわけです。ヤノハが、どのように遼東公孫氏を排除するよう画策するのか、公孫淵はどのような人物として描かれるのか、遼東公孫氏を滅ぼした魏の将軍である司馬懿も登場するのかなど、大陸情勢で注目点は多くあり、壮大な話になりそうで今後もたいへん楽しみです。もちろん、倭国内における山社(ヤマト)国と暈国と日下(ヒノモト)国の鼎立状態がどのように動くのかも注目されます。
ゴリは、この場所に数名たどり着いたことに気づき、中には新しい死骸もありました。カネトは、自分たちが来る5日前に、どこかの方士と図師がトンカラリンに入った、と聞いていました。ゴリは、ここまでたどり着いたものの、水も食糧もなくなり自決したのだろう、と推測します。カネトは、我々も同じく覚悟を決める時だ、と言います。ゴリは諦めずトンカラリンの構造を把握しようと考えており、蜘蛛の巣のような構造で自分たちは洞窟の中央にいる、と推測します。ゴリの絵図が正しければ、出口は東にあることになりますが、カネトは、この先も無数の迷路がある、と不安げです。ゴリは、まず食事をしようと提案し、残りは1食分しかないので、二人で分けることにします。ゴリはカネトに、あきらめず、褒美のことを考えるよう、勇気づけます。うまくトンカラリンから生還できれば、鞠智彦からそれぞれ邑を与えられ、邑長となれば障害安穏に暮らせる、というわけです。その話を聞いたカネトはゴリに、偽りを言っていた、と打ち明けます。タケル王は、図師には邑は与えられないので、代わりに五銖銭を100枚授ける、というわけです。するとゴリは、五銖銭は韓(カラ、朝鮮半島を指すのでしょう)国と中土(中華地域のことでしょう)でしか使えない代物で、100枚ではたいした価値がない、なぜ図師には邑を与えられないのだ、と激昂します。するとカネトは、あくまでも鞠智彦の言葉だと断り、図師は土地を絵に写す故に地の神に祟られた存在で、そうした不浄の者に邑を与えられない、と説明します。ゴリは、自分に相談もせずに鞠智彦の条件を受け入れたカネトを、自分に頼りきりで何の役にも立たない、と難詰します。ゴリは、この数日で、方士とは神通力や占術や医術や錬金術を究めた学者というが、実はただのイカサマ師だと分かった、とカネトを罵倒します。カネトはさすがに、それは言い過ぎだ、と反論しますが、地神に尋ね、出口がどこか今すぐ示せ、とゴリに問い詰められ、鞠智彦の言葉にも一理あり、図師とは神を冒涜する不浄の者で、倭に住むところはない、と開き直ります。それでも、悪いようにはしない、と言うカネトに、長く朋友だったが今日で終わりだ、とゴリは告げます。ここで別れよう、と言って去るゴリに、カネトは謝罪しますが、ゴリは暗闇を進みます。
ゴリは出口に到達し、鞠智彦の家臣であるウガヤが出迎えます。ウガヤは、ゴリがカネトという方士と組んだ図師と覚えていましたが、ゴリはウガヤに、カネトとは途中まで一緒だったが、はぐれてしまった、と伝えます。するとウガヤは、方士は気の毒だったが、鞠智彦様が欲しかった絵図を描けるか、とゴリに尋ねます。ゴリが肯定すると、絵図の完成後に褒美を授ける、とウガヤは伝えます。ウガヤは、カネトが消えたことを残念がり、実に義理堅い男だった、と言います。ゴリがそれに気づいていないようなので、ウガヤは、図師は地神に呪われた生業なので邑を与えることはできない、と頑なな鞠智彦に、カネトが朋友であるゴリにも邑を与えるよう、懇願していた、とゴリに語ります。すると鞠智彦は、特別に広い邑をカネトに与えるので、その邑を半分図師に与える分には、自分は何も言わない、とカネトに伝えていました。
舞台は作中世界の現在の馬韓に戻り、ゴリはヤノハに、一時の怒りから朋友を置き去りにしてしまった、と打ち明けます。ゴリは急いでトンカラリンの地図を鞠智彦に渡し、もう一度トンカラリンの洞窟に入りましたが、朋友であるカネトは自決していました。ゴリはバツとしてトンカラリンの地図を顔に刻みつけ、醜悪な怪物(モノノケ)として生きることを誓ったわけでする。するとヤノハは、自分も日見子(ヒミコ)になるはずだった友(モモソのことでしょう)を殺して今ここにいるので、ゴリの気持ちは痛いほど分かる、とゴリに伝えます。では、自分と同じく自らを罰するために渡海したのか、とゴリに問われたヤノハは、日見子として嘘の上に嘘を重ね、せめて、友がやろうとしていた倭国の安寧を成し遂げようと考えている、と答えます。ゴリは、ヤノハが罪の償いをしているのだ、と解釈しましたが、人には償える罪と償えない罪があり、自分の犯した罪は生涯消えない、と自嘲気味に言います。それでも、友の意を受けて、公孫一族と会う危険を冒すのか、とゴリに問われたヤノハは、頷きます。するとゴリは、明後日に馬韓の湖南(コナム)国の勇気ある兵が倭人とともに武装蜂起し、馬韓の他国の王は誰も湖南王に加勢しないだろう、と打ち明けます。ゴリは驚くヤノハに、首尾よく湖南王を追放した後で、自分は日見子様(ヤノハ)を月支(ゲッシ)国の辰王にお連れする、と伝えます。感謝するヤノハにゴリは、辰王から通行証をいただければ、公孫一族のいる遼東半島まで無事にたどり着ける、と説明します。それは、辰王が面従腹背で公孫一族を騙しとおしているからです。ただゴリは、公孫淵太守は力もあり嘘も上手く、簡単に倭国の使節を魏へ通すとは思えない、とヤノハに忠告します。これに対してヤノハが、その点は心配無用で、公孫淵がいかに嘘の上手い人物としても、自分ほどではないだろうから、とゴリに伝えるところで今回は終了です。
今回は、ゴリの生き様が浮き彫りになり、最近新たに登場したゴリですが、深い人物造形になっているように思います。ヤノハは、ゴリと通じ合うものがある、と最初から感づいていたようで、ゴリの振る舞いと告白から、信頼に足る人物だと確信し、自分の過去の悪行を打ち明けたのでしょう。ヤノハとゴリとの間には強い信頼関係が築かれたようで、ゴリはおそらく『三国志』に見える都市牛利で、難升米(おそらく本作のトメ将軍)とともに、倭国から魏へと派遣されるでしょうから、そのさいの活躍も楽しみです。しかし、その前には遼東公孫氏に対処せねばならないわけで、史実では遼東公孫氏は238年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に魏に滅ぼされていますが、作中の現時点は228年頃のようですから、まだ遼東公孫氏の滅亡と魏への遣使には10年間ほどあるわけです。ヤノハが、どのように遼東公孫氏を排除するよう画策するのか、公孫淵はどのような人物として描かれるのか、遼東公孫氏を滅ぼした魏の将軍である司馬懿も登場するのかなど、大陸情勢で注目点は多くあり、壮大な話になりそうで今後もたいへん楽しみです。もちろん、倭国内における山社(ヤマト)国と暈国と日下(ヒノモト)国の鼎立状態がどのように動くのかも注目されます。
この記事へのコメント