エジプトの東部砂漠の前期石器時代と中期石器時代

 エジプトの東部砂漠の前期石器時代と中期石器時代の石器を報告した研究(Leplongeon et al., 2024)が公表されました。エジプトについては、古王国以降の歴史がよく知られているでしょうが、現生人類(Homo sapiens)だけではなく他の人類のアフリカからの拡散経路においても、重要な役割を果たしたと考えられます。エジプトの東部砂漠については、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5における降水量増加の可能性が示されており(関連記事)、そうした期間にはとくに、人類拡散の重要な経路として機能したのではないか、と推測されます。


●要約

 アフリカからの人類拡散における重要な役割にも関わらず、ナイル川流域と砂漠のオアシス以外のアフリカ北東部の更新世のヒトの居住については、ほとんど知られていません。ワディ・アブ・スベイラ(Wadi Abu Subeira)における調査は、この間隙を埋めるのに役立つことを目的とし、更新世におけるエジプトの東部砂漠の繰り返しの居住を証明します。


●研究史
 古環境の証拠の増加から、ナイル川流域に加えてエジプトの東部砂漠は、間氷期、とくにMIS5においてヒト集団の拡散回廊として機能したかもしれない、と示唆されています。しかし、この知育の石器時代のヒトの居住についてはほとんど知られていません。本論文は、エジプトのアスワン地域の東部砂漠に位置するワディ・アブ・スベイラの、いくつかの前期石器時代と中期石器時代の発見地を報告します。この調査地域は、ナイル川流域の15~25km東方に位置します(図1)。以下は本論文の図1です。
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 ワディ・アブ・スベイラにおける以前の研究は、小さな中期石器時代の遺跡1ヶ所と、いくつかの後期石器時代の岩絵の場所を特定しましたが、これらは全てナイル川流域から10km未満の枯れ谷(wadi)の入口に位置しています。2022年の調査は、岩絵に焦点を当てた、グウェノラ・グラフ(Gwenola Graff)氏が指揮したワディ・アブ・スベイラ調査計画による以前の研究に基づいています。


●ワディ・アブ・スベイラにおける2022年の調査結果

 合計で、34点の石器時代の遺跡が2022年に地図化されました。これらは全て、主要な3種類の表面遺跡で、つまり孤立した人工遺物と人工遺物の散乱と石器作業場です。これらは、台地の頂上もしくは台地と枯れ谷の間の坂で発見されています。孤立した人工遺物には、1点の大きな対称的握斧(ハンドアックス)と、1点の粗い含鉄砂岩で作られた鉈状石器が含まれています(図2)。以下は本論文の図2です。
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 明らかな空間パターンのない人工遺物の散乱には、大きな一事例が含まれ(長さが500m超のL613)、人工遺物の明確な集中間の明らかな境界がありません。この遺跡では、人工遺物の密度は300mの線に沿って15mごとに体系的に記録されました。人工遺物の密度は1 m²あたり0~10個まで変わります。人工遺物はさまざまな石材で作られており、石英やケイ化木材やケイ化砂岩(鉄を含みます)や燵岩が含まれますが、この遺跡におけるこれらの石材のほとんどに関しては主要な供給源がなく、例外は石英です。

 しかし、これらの石材は枯れ谷もしくは近隣の台地で利用可能だったかもしれません。人工遺物の種類には、前期石器時代に典型的なもの(たとえば、大型握斧)や、中期石器時代に典型的なものが含まれており、後者はたとえば、中期石器時代の特徴的な石器打撃技術であるルヴァロワ(Levallois)石核です(図3B)。これらの人工遺物の散乱は、長期にわたるこの地域の繰り返しの居住の重複堆積物および/もしくは浸食(洪水と風による収縮)による人工遺物の二次的蓄積を表している可能性が高そうです。以下は本論文の図3です。
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 5ヶ所の石器作業場が特定され、さまざまな種類(粗い砂岩から細粒の砂岩まで)の含鉄砂岩の露頭と関連して発見された人工遺物の蓄積から構成されています。この作業場の人工遺物の密度は最高で(1 m²あたり50個超)、「葉型」台地(L618~623)に位置しています(図4)。塊と大きな剥片が細粒の赤色と黄色の含鉄砂岩の露出した露頭から採取され、その場で多様な縮小戦略(石を打ち割る方法)に従って打ち割られました。求心性の繰り返しおよび優先的ルヴァロワ石核(ルヴァロワ技法のさまざまな種類)と石刃石核と2点の両面尖頭器を含む数点の再加工された石器に基づいて(図4E)、この作業場は中期石器時代に帰属させられました。以下は本論文の図4です。
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 中期石器時代の作業場の約800m東には、別の作業場(L602~603)がより粗い種類の含鉄砂岩の露頭で発見されました(図5)。そこでは、大きな剥片が大きな求心性の剥片状石核から作られ、数点の握斧と予備成形物が観察されました。全ての人工遺物に暗い砂漠のニスがある事実とともに、これはアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)への帰属を示唆しています。この作業場は、500m離れて見つかった孤立した鉈状石器とも関連しているかもしれません(図1および図2)。アフリカ北東部のアシューリアン遺物は、とくにら技術的観点からはあまり分かっていないので、この作業場はこの地域の前期石器時代の記録への重要な追加を表しています。以下は本論文の図5です。
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 2022年の現地調査での発見は全て、前期石器時代と中期石器時代に帰属させられます。後期旧石器時代に帰属させることができる人工遺物はありません。豊富な後期旧石器時代の記録がワディ・アブ・スベイラと近隣のワディ・クッバニヤ(Wadi Kubbaniya)の両方で見られることを考えると、枯れ谷のこの地域における後期旧石器時代の証拠の欠如は、ナイル川流域からずっと遠いこの地域のヒトの居住を妨げた、その頃の極端な感想条件により説明できるかもしれません。

 これらの作業場は、長期にわたる露頭の利用の繰り返しの事象を表している可能性が高そうですが、さまざまな種類の砂岩が前期石器時代と中期石器時代に利用されていたことを示しています。前期石器時代の作業場は、より粗い粒の含鉄砂岩と、中期石器時代の作業場はより細粒の砂岩と関連しており、異なる期間における異なる石材の必要性を示唆しています。ヌビアの砂岩の地質図とワディ・アブ・スベイラにおける石器時代の遺跡分布の比較から、背石器時代の遺跡は、おそらくより高品質の打ち割りとのある特定の層、つまりティムサ(Timsah)層の露出と関連している、と示唆されます。景観内の局所的な露出の選択的利用は、前期石器時代と中期石器時代において、ヒトが砂漠のこの地域の環境に関して充分に発達した知識を有していた、と証明しています。


参考文献:
Leplongeon A, Bailly M, and Graff G.(2024): Raw-material exploitation in the Earlier and Middle Stone Age in the Eastern Desert of Egypt: evidence from Wadi Abu Subeira. Antiquity, 98, 399, e13.
https://doi.org/10.15184/aqy.2024.40

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