イランの更新世の石器

 イランの更新世の石器を報告した研究(Hashemi et al., 2024)が公表されました。本論文は、イラン中央砂漠北部(the northern part of the Iranian Central Desert、略してNICD)に位置するセムナーン(Semnan)州のエイヴァーネケイ(Eyvanekey)遺跡の、少なくとも中期更新世にさかのぼる石器群を報告しています。これまで、NICDの中央地域では本格的な考古学的調査が行なわれておらず、本論文の報告は貴重です。本論文は、この知見からNICDが中期更新世以前の人類にとって重要な拡散経路だった可能性も示唆していますが、現生人類(Homo sapiens)の拡散に関してもイラン高原を重視する見解が示されており(関連記事)、旧石器時代のイラン高原の研究の進展により、人類進化史がさらに解明されていくのではないか、と期待されます。


●要約

 この研究以前には、旧石器時代の現地調査はNICDの中央地域では行なわれていませんでした。本論文は、イランのセムナーン州のエイヴァーネケイ遺跡における更新世人類の存在の最初の説明で、少なくとも中期更新世にさかのぼる石器群の回収を報告します。


●研究史

 北方ではアルボルツ(Alborz)山脈、南方で中央砂漠に囲まれたNICDは、人類拡散の回廊として提案されてきました。以前の調査では、この地域の旧石器時代遺跡が明らかにされてきましたが、そうした研究はおもにNICDの西部と東部に焦点を当てており、一方でより中央の地域は無視されてきました。回廊の存在の調査には、過去のヒトの活動の痕跡を発見することにより、景観が調査できるように、地域の実質的にほぼ全てで行なわれる現地調査が必要です。したがって、エイヴァーネケイ現地計画は、NICDの中央部の旧石器時代の可能性を調査するために設計されました。


●手法

 調査は2021年に891 km²の区域で行なわれ、65.2km²が体系的に調べられました。この区域の中心は、エイヴァーネケイ県の北部山麓のテヘランの南東62kmに位置し、エイヴァーネケイ沖積扇状地の南側の南部の平坦な粘土質の土地にあります(図1)。最初の偵察調査に続いて、古地表の可視性(更新世堆積物の露出)などの要因と地形と斜面とヒトの建造物が、石器産出の可能性に基づいてこの区域を4ヶ所の地区に区分するため用いられました。以下は本論文の図1です。
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 第1地区は考古学的可能性が最も高い一方で、第4地区はヒトの建造物が集中した地域で、それ以上は調べられませんでした。各地区の相対的な可能性を反映して、碁盤目は、第1地区からより多く、第3地区からより少なく選択されました(不均衡な層序化標本抽出)。各碁盤目内の標本抽出は無作為でしたが、かなりの数の石器が横断区で回収された場所では、近隣の単位が、潜在的クラスタ(まとまり)を検出するため調査されました(適応的クラスタ標本抽出)。第1地区が、アルボルツ山脈南側の分断された丘陵平原を含み、南方への膨らんだ粘土質平原の北部であることは注目に値します。


●結果

 第1地区では7ヶ所の旧石器時代の景観が特定され、第2地区内ではユーセフアバド(Yousefabad)という1ヶ所の地点が記録されました(図1、表1)。第3地区では石器もしくは石材の可能性のある露頭の兆候は得られませんでした。合計で1200点の石器が記録されました。中部旧石器時代および上部旧石器時代の居住の証拠が確認されましたが、下部旧石器時代の証拠の可能性は乏しく、決定的ではありません。中部旧石器時代/上部旧石器時代の8ヶ所の景観は全て、分断された非活動的な更新世沖積扇状地および古い河川段丘に位置しており、それは風食作用と表面流出による浸食のため露出しています。ほぼ全ての石器は砂漠の摩耗の厚い褐色層で覆われています(図2)。以下は本論文の図2です。
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 石器のほぼ半分は削片群(非目的製作物)ですが、道具と石核はそれぞれ、全体の石器群の29.5%と11%を占めます。ユーセフアバドを除いて、各地点の石器群は剥片に基づいており、標本の約5%で直接的な硬い槌での打撃とルヴァロワ(Levallois)手法の痕跡があります。剥片道具の多様性は、ラミナール(laminar、長さが幅の2倍以上となる本格的な石刃)道具を上回っています。判別のできる断片には、いくらかの巨大で見事な横形削器や柄の証拠のある再加工された尖頭器やルヴァロワ式尖頭器や、ごく少数の不定型的なルヴァロワ式石核が含まれます(図2)。さらに、3点の両面石器が回収され、その中には、1点の西洋梨型槍状(amygdaloid-lanceate)の硬い槌の握斧(ハンドアックス)的標本(あるいは、対称的な石核剥片)と1点のカイルメッサ―(keilmesser)が含まれます(図3)。以下は本論文の図3です。
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●まとめ

 顕著な密度でのそうした広範な石器散在の発見は、更新世人類拡散の経路としてのNICDの重要性をさらに浮き彫りにします。さまざまな縮小系列の存在および道具製作の多様性と組み合わされた石器の広範な分布は、この地域における人類の頻繁な使用と長期の存在を示唆しています。石器群は混在していますが、大まかに2部に区分でき、一方は中部旧石器(典型的な剥片に基づく再加工された道具、剥片石核、ルヴァロワ技法の存在)と、もう一方は上部旧石器(ラミナール縮小系列、柔らかい槌の技術、調整されていない端のあるラミナールの再加工された製品、かなりの数の容積的亜柱状の石刃/小石刃)です(図3)。

 石器群の全体的な機会主義的性質(道具類型の大半は不定型です)のため、地域的比較は困難です。しかし、再加工された道具の数の少なさと、ルヴァロワ技法の重要性と組み合わされた再加工の低密度を考えると、エイヴァーネケイ遺跡の景観は、ザグロス地域ムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)ではなく、ミラク(Mirak)遺跡などNICD内の他の中部旧石器時代遺跡とより類似しています。さらに、エイヴァーネケイ遺跡における完全に発達していないルヴァロワ技法は、レヴァントおよび小コーカサス山脈の中部旧石器技術複合体とは対照的です。しかし、エイヴァーネケイ遺跡の石器群は、推定される北方拡散経路に沿ったテシク・タシュ(Teshik Tash)などの遺跡における他の機会主義的な中部旧石器時代遺物群といくらかの類似性を共有しています。

 この現地調査は、エイヴァーネケイ遺跡における旧石器時代研究の始まりを示しています。見落とされていた地域の考古学的重要性が論証されたことで、次章は同じ場所での考古学的堆積物における発見と、絶対的な年代順の文脈に石器を位置づけることです。


参考文献:
Hashemi SM. et al.(2024): Evidence of Pleistocene hominin landscapes in Eyvanekey, Iran, and implications for the Northern Dispersal Corridor. Antiquity, 98, 399, e14.
https://doi.org/10.15184/aqy.2024.53

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