大河ドラマ『光る君へ』第18回「岐路」

 前回から、藤原道長(三郎)にとって大きな転機となった995年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の政局が描かれており、道長は本作の準主人公とも言える重要人物だけに、この過程は丁寧に描かれています。995年には、前回描かれたように、4月に関白で道長の兄である道隆が死亡し、道隆は息子の伊周に関白を継承させるべく、一条天皇に強く要請していたわけですが、一条天皇の母親で道長の姉である詮子の意向もあり、道隆の弟で道長の兄である道兼が関白に就任します。一条天皇の決断に伊周はたいそう不満ですが、一条天皇の中宮で伊周の妹である定子に、もっと人望を得るよう諭されます。定子の苦悩も描かれるなど、本作では中関白家が放送開始前の予想以上に大きく取り上げられています。

 道兼は自暴自棄になっていたところを道長に諭され、すっかり「善人」になった感があり、通俗的表現を用いると、「闇落ち」の正反対と言えそうですが、短期間で病死し、これが道長政権へとつながるわけですが、道兼の息子と紫式部(まひろ)の娘が後に結婚したことを考えると、道兼の病死の過程は意外とあっさりした描写でした。ただ、道長は道兼の改心と病に倒れた後を見ているわけで、道長から聞いて、紫式部の心境が変わるのでしょうか。道兼の息子と紫式部の娘の結婚が描かれるとしたら終盤でしょうから、まだ先の話ですが。

 関白で右大臣の道兼が短期間で死に、同日に左大臣の源重信が死亡し、次の関白をめぐってのさまざまな人の思惑が描かれました。この時点では権大納言の道長より内大臣の伊周の方が立場は上で、伊周が関白になるだろう、との予測が有力で、一条天皇も伊周を関白にするつもりでしたが、母親である詮子は、道長を関白とするよう必死に説得します。一条天皇は、それでも伊周を関白にする、と詮子に言ったものの、伊周を関白に就任させず、道長を内覧とします。一条天皇の翻意について詳しく描かれませんでしたが、道長は権勢欲が強くなく、優しい人柄だと母親から聞いて、考えを改めたのでしょうか。

 定子が言ったように、一条天皇が道長を関白とせず、内覧としたのは、母親と中宮の両者への配慮でもあるのでしょうが、源俊賢が妹で道長の妻である明子に語った内容から窺え、歴史学でも指摘されているように、関白は陣定など公卿会議に出席できないので、道長があくまでも太政官を直接的に掌握しようと考えたこともあるのでしょう。気になるのは、姉の詮子が語ったように、これまで道長は権勢欲が強くなく優しい人柄と描かれてきましたが、娘の彰子の入内など、客観的には強引に見える最高権力者としての道長がどう描かれるのか、ということです。そこは本作の評価を大きく左右することになるかもしれません。

 伊周は関白に就任できず、内覧も道長に任じられたことで激昂し、定子に当たり散らす醜態を見せますが、この場には清少納言(ききょう)もいました。今後、中関白家は没落していくわけですが、定子に仕えていた清少納言はそうした様子も見ていながら、『枕草子』での中関白家の没落の様子ではなく栄光の日々を描いた、となるのでしょうか。本作ではおそらく清少納言が『枕草子』を執筆する場面も、『枕草子』が朝廷の人々に読まれる場面も描かれそうですが、今回も親しく話していたように、これまでは互いの才を認め合い、良好な関係だった紫式部と清少納言の関係が、紫式部が日記で清少納言を腐すような関係にどう変わっていくのかも、本作の見どころの一つとなりそうです。

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