大河ドラマ『光る君へ』第21回「旅立ち」

 今回は、長徳の変の結末とともに、父親の藤原為時が越前守に任じられたことに伴い、紫式部(まひろ)も都を離れて越前に赴いたところまで描かれました。この後、紫式部は藤原宣孝と結婚し、娘が生まれ、夫との死別後?に『源氏物語』の執筆を始めたようで、この越前行きは紫式部にとって転機と言えそうです。本作でも、紫式部の越前での経験はかなり丁寧に描かれるようで、とくに宋から渡来した医師見習いとの設定の周明という人物(おそらく創作でしょうが)は、今回顔見世程度の出番でしたが、かなり重要な役割を担うのでしょう。

 長徳の変では逃げ回っていた藤原伊周が捕まって太宰府へと左遷となり、藤原道長(三郎)の権力基盤がいっそう固まった、とも言えますが、道長の長女である彰子はまだ幼く、この時代は娘が天皇の後継者を産めるのかが、権力者にとって重要となってくるだけに、道長の権力はまだ盤石とは言えそうにありません。道長がまだ出産の可能性のない彰子を強引に入内させる過程は、本作で悪役というか道長の反面教師的役割を担った、とも言えそうな兄の道隆と表面的には似たところがあるだけに、権力への執着の薄い人物として描かれてきた本作の道長が、どのように強引に彰子を入内させるのか、注目しています。

 ここを、清らかな道長が妻の源倫子や姉の詮子や道長に従う貴族など周囲の人物の圧力に負けたり、そうした人々の思惑に、気づいているか否かはともかく、結果として乗せられてしまったりした、と描くようだと、これまで道隆や伊周を自己中心的で器の小さな人物として描いてきたこととともに、準主人公とも言うべき道長を称揚するために、その競合相手を貶めるという、陳腐な手法に安易に頼ったとの評価になりそうで、懸念されます。ここは本作の全体的な評価に大きく関わってきそうなだけに、注目しています。

 じっさい、伊周の失脚は、伊周を都に留めようとする道長の穏便な処置に不満な詮子の策略で、倫子はそれに気づきつつ、夫である道長の権力強化のため、その策略に乗ったようで、道長がこうした権力闘争において、消極的というか、受け身だったことが印象づけられるような構成だったように思われます。かなり先の話になりそうですが、道長と三条天皇との対立も、三条天皇が貴族層に見放されていた(確か歴史学でもそうした指摘があったように記憶しています)ため、道長も仕方なく退位させた、という展開になるのでしょうか。

 一条天皇の中宮である定子に仕えていた清少納言(ききょう)は定子を守れず落胆し、そんな清少納言に紫式部は、定子のため何か書くよう勧め、これが『枕草子』となるようです。ここまで、紫式部と清少納言は相変わらず親しく、後に紫式部は日記で清少納言を腐すことになるものの、表面的な解釈ではなくひねりがあり、両者の友情は本質的に変わらない、といった仕掛けがあるのでしょうか。紫式部も清少納言も没年が不明で、清少納言には怪しげな落魄伝承もありますが、それも含めて両者の関係には色々と創作の余地がありそうで、本作の見どころの一つになるのではないか、と期待しています。もちろん、本作の主軸は紫式部と道長の関係であり、それは今回の二人の再会で改めて強調されていたとは思いますが。

 紫式部と清少納言は没年が不明ですが、高貴な出自だと男女ともに没年が確実に分かることは多く、本作がどこまで描かれるのかまだ分かりませんが、源倫子や藤原実資や藤原公任や藤原斉信は道長よりも没年が後なだけに、最終回か少なくとも終盤まで登場することになりそうです。大河ドラマでは通常、序盤と終盤で重要人物が大きく入れ替わりますが、本作では、序盤から最終回まで登場する重要人物が結構いるでしょうから、すでに藤原公任の描写で見られるように、そうした人物の紫式部や道長との関係の変化も、本作の見どころの一つになるでしょうか。清少納言も、終盤まで登場してもらいたいものです。

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