アフリカ北部の農耕開始前の狩猟採集民における植物性食料への高い依存

 アフリカ北部の農耕開始前の狩猟採集民における植物性食料への高い依存を報告した研究(Moubtahij et al., 2024)が公表されました。本論文は、亜鉛(Zn)やストロンチウム(Sr)や炭素(C)や窒素(N)や硫黄(S)の同位体を用いて、農耕開始の数千年前となるアフリカ北部の後期石器時代の狩猟採集民の食性が、植物性食料に強く依存していたことを示します。農耕開始直前の狩猟採集民の食性に関する研究は、農耕がどのような契機で始まったのか、解明するうえで重要な手がかりとなるでしょうから、その点でも注目されますが、地域差もあると考えられます。

 狩猟採集から農耕への移行は、ヒトの歴史における最重要な食性革命の一つです。しかし、更新世遺跡の保存状態良好なヒト遺骸が少ないため、農耕前のヒト集団の食性慣行についてはほとんど分かっていません。本論文は、農耕開始に数千年先行する、アフリカ北部(較正年代で15000~13000年前頃)の後期石器時代狩猟採集民における顕著な植物への依存の同位体証拠を提示します。包括的な多同位体手法を用いて、モロッコのタフォラルト(Taforalt)遺跡から発見された、歯のエナメル質の亜鉛(δ⁶⁶Zn)とストロンチウム(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)の同位体分析、象牙質と骨コラーゲンの炭素(δ¹³C)と窒素(δ¹⁵N)と硫黄(δ³⁴S)の同位体分析、ヒトおよび非ヒト動物遺骸の単一アミノ酸分析が実行されました。

 本論文の結果は、これら狩猟採集民の食性におけるかなりの植物依存組成を明らかに論証し、タフォラルト遺跡の人口集団の植物への食性依存の重要性を浮き彫りにしますが、利用可能な同位体データのある他の上部旧石器時代遺跡よりも低い割合ではあるものの、動物性資源も消費されていました。タフォラルト遺跡の乳児は離乳が早かったかもしれず、これは、タフォラルト人口集団が植物性食料に依存していた、との見解を強化し、乳児の主要な栄養源にまで拡張されるかもしれません。この独特な食性パターンは、農耕開始前のヒト集団における動物性タンパク質への高い依存という一般的見解に疑問を呈します。

 この食性パターンは、初期完新世のアフリカ北部における農耕発達の欠如(農耕開始は較正年代で7600年前頃以降)に関する興味深い問題も提起します。後期更新世末における野生植物の集中的利用の証拠は近東でも記録されており、ナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)狩猟採集民は耕作を発展させ、最初期農耕民の一部となりました。近東では、初期完新世のヤンガー・ドライアス(Younger Dryas)の気候悪化(非較正年代で11000~10300年前頃)が、植生被覆率の減少、およびその結果としての野生動物利用の入手可能性減少に対応しての、体系的な耕作の主要な契機になった、と考えられています。

 ナトゥーフィアンとイベロマウルシアン(Iberomaurusian)の人口集団は食料生産出現の前提条件(集中的な植物消費と定住の増加)および遺伝的つながり(ナトゥーフィアン個体群とイベロマウルシアン個体群との間で共有されているゲノムにおける63%の遺伝的構成要素)に関して広範な類似性がありましたが(関連記事)、これらの要因はアフリカ北部では、後期石器における主食としての植物への高い依存にも関わらず、同様の農芸および農耕の局所的発展につながりませんでした。

 この相違点の起源については依然として議論の余地がありますが、ヤンガー・ドライアスの寒冷化段階は植物資源の豊富さを減少させた可能性があり、それはイベロマウルシアン遺跡群の出現率がこの期間に低くなった理由を説明できるかもしれません。しかし重要なのは、これらの調査結果とその意味を完全に理解するには、さらなる包括的調査が必要と認識することです。本論文は、農耕への移行期における食性慣行の調査の重要性を強調し、さまざまな地域におけるヒトの生計戦略の複雑さへの洞察を提供します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:アフリカ北部の狩猟採集民の食事は植物中心だった

 現在のモロッコ・タフォラルトにある後期石器時代の遺跡から出土した狩猟採集民は、その地域に農業が伝わるはるか以前から、主として植物を食べていたことを明らかにした論文が、Nature Ecology & Evolutionに掲載される。この知見は、農業の起源に関する従来のモデルに異を唱え、狩猟採集民の食事に対する植物の重要性を裏付けている。

 狩猟や採集から農業への移行は、人類の食事に大変革をもたらしたが、農業の発達に関する科学的な理解は、多くが西アジアから得られている。西アジアでは、更新世末期(約1万4000~1万1000年前)にナトゥーフ文化の狩猟採集民が野生植物を利用しており、彼らは野生植物を耕作し、最終的には栽培化を始めるほどだった。これに対し、中近東からアフリカ北部に農業が伝わったのは約7600年前の新石器時代のことであり、現地のイベロマウルシアン(Iberomaurusian)の狩猟採集民は、中近東のナトゥーフ人と時代的にも遺伝的にも近かったが、本格的に野生植物を利用してはいなかったと考えられていた。

 今回、Zineb Moubtahijらは、モロッコ・タフォラルトの大規模なイベロマウルシアン遺跡から、1万5077~1万3892年前(後期石器時代)の動物やヒトの遺骸を採集した。そして、同位体を用いる方法により、食物中の肉、魚、植物の比率を分析した。その結果、これらの人々(離乳した幼児を含む)は動物性タンパク質を摂取してはいたが、主として食べていたのは植物(おそらくはデンプンの多い木の実や穀物)であり、植物が常時保存され安定した食物供給が図られていた可能性があることが明らかになった。このコミュニティーの植物への依存は、この地域への農業の伝来に数千年先行していた。

 タフォラルトでは、中近東とは異なり、植物食への強い依存が植物栽培の発達にはつながらず、これは農業が野生植物利用の必然的な帰結ではないことを示すのではないかとMoubtahijらは示唆している。そしてMoubtahijらは、植物性食物の安定供給を実現することが、動物性食物の季節的な不足からタフォラルトの人々を守り、ある程度の定住を可能にしたのかもしれないと考えている。



参考文献:
Moubtahij Z. et al.(2024): Isotopic evidence of high reliance on plant food among Later Stone Age hunter-gatherers at Taforalt, Morocco. Nature Ecology & Evolution, 8, 5, 1035–1045.
https://doi.org/10.1038/s41559-024-02382-z

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